とある日曜日。正刻達の住む街にある合気道の道場で、息詰まる試合が展開されていた。  
片方は風格すら漂わせる男。そしてもう片方は、全身から闘気を噴出させている少年だった。  
試合は少年が疾風のような動きで男に挑み、男がそれを捌く、という展開だった。  
技術は男の方が上だが、少年の動きは男の反応を超えており、決定的な反撃には至らない。  
 
両者暫しの硬直の後、少年がゆっくりと深呼吸を始めた。  
それがこの試合における、少年の最後の……そして最大の攻撃の始まりだと直感した男は感覚を研ぎ澄ます。  
少年は深く息を吸った後……「ふっ!」と鋭く息を吐き、そして突進する。  
 
男へ向かって一直線に少年は突っ込む。予測していたかのように自分を捌きにくる腕をくぐり抜け、フェイントをかけつつ男の懐に飛び込む。  
まるで疾風、そして稲妻のような動き。少年はそのまま男の腕を極めようとして……捕らえられた。  
 
少年がかわしたのとは逆の手が、胴着をしっかりとつかんでいたのである。少年の動きがそれにより止まり、男はそのまま流れるように  
投げ飛ばす。  
 
少年は宙を舞い、背中から畳に落ちた。ギャラリーからわっ、と歓声が上がる。彼は受身はしっかりと取ったようだが、それでもやや辛そうだ。  
 
男が少年を見下ろし、笑顔を浮かべながら言った。  
「惜しかったですねぇ正刻君。あそこで私に動きを止められなければ、そのまま私の腕を極められたのに。」  
それを受けて少年……高村正刻は憮然とした表情で答えた。  
「よく言いますよ。俺の動きをきっちり見切って、その上で誘ったくせに。」  
よっ、とジャックナイフで起き上がる。その様子を見て男……佐伯兵馬(さえき ひょうま)は苦笑を浮かべる。  
 
「きっちり見切って、ですか……。」  
あれは半分は勘だったんですがねぇ、と内心で呟く。技は兵馬の方がまだ上だ。しかし、正刻の才能は恐るべき早さで開花しつつある。  
先ほどの動きもそうだ。正刻の疾風の如き動き。今はまだそれを完全には自分のものには出来ていないが、それを自分の意志でコントロール  
出来た時、彼がどれほどの使い手になるか。それを想像し、兵馬は身を震わせる。  
 
(流石は君の息子ですね……大介……。)  
兵馬もまた、大介・夕貴・慎吾・亜衣達の幼馴染であった。彼は離れた地の大学へと進んだため、しばらくはこの街を離れたが、結婚を機に  
再びこの街へと帰ってきたのである。  
 
今彼は陶芸家として活躍している。年に何回か個展を開くほどの人気振りで、彼が作る器のファンは多い。  
そして彼にはもう一つの顔がある。それが合気道の師範としての顔だ。  
その腕は全国でもトップクラスであり、彼が日曜に開く合気道教室では、老若男女、様々なレベルの人達が集まる。  
 
その中に正刻も居た。まだ大介が生きていた頃から、一緒にこの道場に通っていたのである。  
大介と兵馬は子供の頃からのライバルであった。共に全国トップレベルの使い手であり、二人の組み手は道場の名物でもあった。  
残念ながら大介は事故で逝ってしまったが、その後を継ぐように正刻は強くなった。  
兵馬もまた、正刻に自らの業を伝授し、鍛え上げている。  
それは、事故で両親を失いながらも悲しみに暮れる事無く生きようとする正刻への兵馬なりの気遣いでもあった。  
 
体を鍛えることは、心を鍛えることに繋がる。そう考える兵馬は、正刻を心身共に鍛え上げた。悲しみに負けないように。絶望に押し潰されないように。  
その意志を理解した正刻も、兵馬を「先生」と慕い、ずっと道場に通い続け、今に至る。  
 
さて、今の試合は午前の部を締めるものであった。午前の部の最後に正刻と兵馬が試合をし、それを皆で見学するのが一連の流れとなっている。  
皆が帰っていくなか、自分も着替えようかと汗を拭いていた正刻を……  
 
「お兄ちゃーん!! またお父さんに負けちゃったねっ!! 私が慰めてあげる! よーしよしよしっ!!」  
「ね、姉さんやめなよ、まー兄ぃに迷惑だよ……。」  
 
……二人の少女が急襲した。  
 
正刻に飛びついて頭をなでなでしているのが佐伯香月(さえき かづき)。中学3年生。その割には発達はあまり良くなく、身長も150  
前後とあまり高くない。体型も、凹凸の少ないものである。しかし中々の美人で、いつも明るくきらきらとした瞳をしており、人気者であった。  
髪はショートでまとめている。リボンを頭にしているが、子供っぽい香月には良く似合っていた。  
 
もう一人が佐伯葉月(さえき はづき)。中学2年生。背は145と香月より更に小さいが、胸は中々発達している。日本人形のように  
整った顔立ちをしており、姉とは違い大人しく控えめな性格をしている。しかし、良く気が利き周りのフォローをしてくれる彼女もまた人気者であった。  
黒い髪をボブカットにしており、カチューシャをつけているのが印象的だ。  
 
正刻と二人の出会いはやはり幼い頃まで遡る。幼稚園の時から大介と共に道場へと通っていた正刻は、必然的に佐伯姉妹とも知り合った。  
出会った時、姉妹はまだ幼かったが、大きくなるにつれ正刻のことを兄のように慕い始め、兄弟のいなかった正刻も二人を実の妹のように可愛がった。  
さらに正刻を通じて宮原姉妹とも知り合い、やはりすぐに懐き、二人を「唯衣姉」「舞衣姉」と慕うようになった。  
ちなみに正刻のことは、香月は「お兄ちゃん」、葉月は「まー兄ぃ」と呼ぶ。  
もっとも、成長するにつれ、二人の正刻に対する想いは「兄」に向けるものとは違ったものになってきたようだが……。  
 
それはさておき。ぐりんぐりんと撫で回されながら正刻が香月に言う。  
「おい香月、慰めてくれるのはまぁ良いが邪魔だ。そんなに引っ付くな。」  
すると香月はニヤリ、と笑う。その表情に何か嫌な感じを覚えた正刻は香月に尋ねる。  
「おい、何だその嫌な笑いは。」  
「ふふふー。照れなくっても良いんだよお兄ちゃん! あは、これってやっぱり効くんだね! 凄いや舞衣姉!」  
そう言うと香月はさらに正刻に引っ付いてくる。  
 
舞衣の名前が出て更に嫌な予感がした正刻は、香月に再度尋ねる。  
「おい香月、お前何を言ってるんだ? 舞衣にどんなロクでもない事教わったんだよ?」  
「えへへー、本当に照れちゃって、可愛いなーお兄ちゃんは! やっぱり舞衣姉直伝の『当たってるんじゃなくて当ててるのだ攻撃』は凄いね!」  
香月は正刻に引っ付く……というよりは胸を押し当ててにこにこと笑う。  
 
正刻は思わず深い溜息をついた。  
(あのバカ、本当にロクでもないことばっかり教えやがって……!)  
内心で舞衣に憤慨し、会ったら即アイアンクローを食らわす事を固く心に誓うと、正刻は香月に引導を渡すべく口を開く。  
「おい香月、いい加減に離れろ。大体、『当ててるのだ』って言われるまで俺は全く気づかなかったぞ。」  
 
香月は笑顔のままぴしり、と固まる。その様子を見て少し可哀想になる正刻だったが、しかしこいつを舞衣のようにする訳にはいかない、  
それが兄貴分たる自分の役目だ、と再び心を鬼にし続ける。  
「大体だな、コレは舞衣や、まぁ唯衣や葉月レベルの娘がやるから効果があるのであって、お前のように断崖絶壁な娘がやっても効果は……。」  
しかしそこまで言った所で正刻は言葉を切った。香月がふるふると身を震わせ始めたからだ。  
 
(あ、ヤバ……。)  
正刻は自分の説得が失敗した事を悟る。まぁ当たり前といえば当たり前だが。  
きっ! と正刻を涙目で睨みつけた香月は、大音量の声を張り上げ始める。  
「うわぁぁぁぁぁぁんっっっっ!!! お兄ちゃんに……お兄ちゃんに汚されたぁぁぁぁぁっっっ!!! 辱められたぁぁぁぁっっっ!!!」  
正刻は、ひぃっと上擦った声をあげる。可憐な少女が「お兄ちゃん」に「汚されて」「辱められた」と大声で喚いている。  
知らない人が見たら通報すること間違い無しだ。  
 
香月は少し我侭なところがあり、自分の意にそぐわない事があると駄々をこねることがしばしばあった。成長するにつれてその悪癖は収まり  
つつあったが、何故か正刻に対してはよく発動した。  
何で俺にだけ……と愚痴る正刻を、唯衣や舞衣、葉月が複雑そうな目で眺めるのは、割と良く見られる光景である。  
 
それはともかく、泣き叫ぶ香月に正刻は弱かった(誰でもそうだろうが)。すぐにさっきの発言を訂正する。  
「いや香月! さっきのはその……そう! 照れ隠し! そう、照れ隠しなんだよ!」  
その言葉を聞き、香月は泣き喚くのを止める。目に涙を溜めたまま、正刻を見つめてくる。  
「ぐすっ……。ほ、本当……?」  
「あ? ああ……ああ! 本当だ!」  
正刻は半分自棄になって叫ぶ。  
 
「いや本当はさ! もうお前に当てられて俺のリビド−はもう暴走寸前だったよ! とっても気持ち良かったしね! だけど年下の女の子に  
 そんなにさせられただなんて恥ずかしいじゃないか! だからさっきみたいな嘘ついちゃったんだようん!」  
正刻の捨て身の台詞を聞いていた香月は、段々と笑顔を浮かべ始めた。正刻が喋り終えるとその輝きは頂点に達した。  
「まったくお兄ちゃんったらホント、ケダモノなんだから……。でも無理無いよね! だって私に『当てられて』るんだもんね!」  
そう言って香月はまた正刻に引っ付く。それを疲れた顔で眺める正刻は、不意にもう一人も不味い状態に陥っていることに気がついた。  
 
葉月が胸を抱いて、何やらブツブツと言っている。さっきの「唯衣や葉月レベル」あたりの発言が不味かったか、と正刻は後悔する。  
「お、おい、葉月……?」  
正刻が恐る恐る声をかけると、葉月は濡れたような瞳を正刻に向けた。  
「まー兄ぃ……。まー兄ぃは……私の胸を『当てて』欲しいの……?」  
(やっぱりスイッチが入っちまってやがる……!)  
正刻は内心で歯軋りした。  
 
葉月は基本的には大人しい娘である。しかし、人並み外れた妄想癖という困った性癖を持っていた。ふとした事で、妄想に没頭してしまうのである。  
それだけならまだしも、その後少しの間、その妄想に引っ張られた性格に変わってしまうのである。具体的に言うなら、エロい妄想をすると、  
普段の清楚さからは考えられない位のエロさを発揮してしまう、という事だった。  
ただこれも、いつでも誰にでも発動する訳ではなく、主に正刻の発言に反応して起こるようであった。  
何で俺の言うことに反応すんのかねぇ、と嘆く正刻を、唯衣や舞衣、香月が呆れたような目で眺めるのはよく見られる光景である。  
 
それはともかく、熱い視線を自分に向けてくる葉月に対し、正刻は危険物処理斑のような気持ちで話しかける。  
「と、とにかく落ち着け葉月。いいこだから、な?」  
「うん分かった……。分かってるよまー兄ぃ……。まー兄ぃにだったらいくら当てても……それ以上でも……良いんだから……。」  
分かってない。全く分かってない。次の手を考えている正刻に、葉月が女豹のようににじりよる。  
後ろには香月、目の前には葉月。二人の吐息を感じる中、そういや酔った唯衣と舞衣にも同じような事されたっけな、と場違いな事を  
現実逃避に考え始めた時……。  
 
ぱぁんぱぁん。  
 
小気味のよい音が二つ、響き渡った。  
 
「はうぅー……。」  
「あいたぁ……。」  
「二人とも。その辺にしときなさい? 正刻君に愛想つかされても知らないわよ?」  
竹刀を持った美女がそう言って笑いかける。  
「助かりましたよ弥生さん……。」  
正刻がほっとしたように言う。  
 
女性の名は佐伯弥生(さえき やよい)。兵馬の妻で、香月と葉月の母である。  
兵馬とは大学で知り合い、卒業後も付き合いを続け、結婚した。  
兵馬は合気道の達人であるが、弥生は剣道の達人である。日曜は合気道教室が開かれているが、土曜は彼女による剣道教室が開かれている。  
 
弥生は正刻に苦笑を返す。  
「正刻君、この子達にはもっと厳しくして良いのよ? あなたはちょっと甘やかし過ぎなんだから。」  
「まぁ確かに……。これじゃあ兄貴失格ですね。」  
そう言って正刻は頭をかく。彼はそのまま更衣室へと向かった。  
 
それを見送った後、姉妹は母に噛み付いた。  
「お母さんひどいよ! お兄ちゃんは悪くないよ!」  
「うん……。まー兄ぃは凄く優しいし……。悪いのは私たちだもん……。」  
そう言ってくる娘達を面白そうに眺めた後、弥生は言った。  
「でも良いんじゃない? 兄貴失格の方が。兄貴合格だったら、あなた達ずっと妹扱いされるわよ?」  
その台詞に姉妹は固まる。その様子を見ながら弥生は更に言い放つ。  
「強力なライバルも居ることだし、ね。」  
 
強力なライバル。それは正刻の周りにいる女性達。幼馴染である宮原姉妹と、中学からずっと同じクラスだという大神鈴音である。  
香月と葉月は、宮原姉妹は当然だが、鈴音とも知り合いであった。学校帰りに遭遇したこともあるし、鈴音が道場に遊びに来たこともある。  
更に、鈴音の妹と香月は同じクラスであるため、色々な情報を仕入れていたのだ。  
 
「確かにライバルは強大だよねぇ。」  
腕を組んで香月は呟く。全員が美人な上に、それぞれが強力な個性を持ち、正刻を一途に想っている。一筋縄ではいかない相手達、だ。  
しかし。  
香月と葉月は……不敵に微笑んだ。  
娘たちの様子を見て、弥生が驚いた声を上げる。  
「何よあなたたち? 相手が強力なのに、随分と余裕じゃないの。」  
 
しかし二人は首を振ってそれを否定する。  
「違うよお母さん、余裕なんか無いよ。だけど……不思議だね。相手が強大だっていうのに、何故か私達は怖くないの。むしろ、何か燃えて  
 きちゃうんだ。」  
武道家であるお父さんとお母さんの娘だからかな、そう言って香月は笑う。  
その後を葉月が受けて言う。  
「私達の、『妹』っていうポジションは……確かに一歩間違うと本当にそのままになっちゃうけど、でもこの関係をまー兄ぃと結んでいる  
 のは私と姉さんだけなの。この関係は、私たちとまー兄ぃを繋ぐ大切な『絆』なの。だから、私たちは敢えて『妹』としての立場から頑張  
 ろう思うの。今までまー兄ぃと築いた時間は……唯衣姉や舞衣姉、鈴音さんにも負けないって信じてるから。」  
その後は姉さんとの一騎打ちかな、そう言って葉月もまた笑った。  
 
弥生はそんな二人を見つめていたが……やがて、黙って二人を抱きしめた。  
「まったく……あんたたちは、本当に自慢の娘たちだわね!」  
親バカであるのを自覚しつつ、弥生は言った。姉妹はくすぐったそうに笑っている。  
「よし! 二人とも精一杯頑張りなさい! 骨は拾ってあげるわ!」  
竹刀をかざして叫ぶ弥生、そしてうなずく佐伯姉妹。まるで一昔前のドラマのようであった。  
 
「お、何か盛り上がってますねー。何やってるんです?」  
そこへ着替えを終えた正刻が現れる。そのあまりの緊張感の無さに……三人は、思わず笑ってしまった。  
 
「じゃ、今日はこれで。」  
正刻はそう言って帰る準備をする。それに対し、香月は文句を言う。  
「えー、いつもはお昼を一緒に食べてから帰ってくれるのに!」  
先程のこともあり、気勢を削がれる形になってしまった。葉月も落ち込んだ顔をしている。  
 
そんな二人の頭をわしゃわしゃとなでながら、正刻は言った。  
「まぁそう言うな。今日はこれから勉強会なもんでな。代わりに来週は一日付き合ってやるから。」  
その言葉に姉妹の目は輝く。  
「本当に!? 嘘ついたらお仕置きだからねお兄ちゃん!!」  
「今からプランを練っておかないと……。ふふ……楽しみ!」  
 
姉妹のあまりの気合の入れように正刻はたじろく。  
「えーと、お前ら、お手柔らかにな……。」  
そう言って正刻は佐伯家を辞し、家へと向かった。  
 
 
 
この後の勉強会でも正刻はまた色々とぐったりするような目に遭い、さらに次の週の日曜には佐伯姉妹に振り回されまくってまたぐったり  
するのだが、それはまた別のお話。  
 

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