平日の放課後。今日も正刻は図書委員会の仕事に精を出していた。  
今日の彼の仕事は、本の貸し出し・返却の受付だった。  
仕事自体はそんなに難しいものではない。しかし、借りに来る人、または返却しに来る人がまとめて来て混雑する場合も結構ある。  
それゆえ、受付には常に複数の人員が配置されていた。  
正刻以外は二人。一人は美琴。そしてもう一人は……  
 
「ほらそこ! 割り込まずにちゃんと並ぶ! 待っている人は手続きに不備がないか、ちゃんと確認しておいて下さい!!」  
受付カウンターで機関銃のように注意をしまくる少女。それがもう一人であった。  
 
少女の名は「立上 桜(たつがみ さくら)」。今年入った一年生で、美琴と同じクラスである。  
身長は150前後とかなり小さい。眉が太く、目が大きく、美人というよりは、可愛らしいといった方がしっくりとくる顔立ちだ。  
肩口まで伸びた黒髪を、一房だけ縛っているのが特徴的であった。  
 
口うるさく注意している桜と、その横で黙々と作業をこなす美琴を横目で見ながら正刻は苦笑する。  
この二人は見た目も性格も正反対であったが、とても仲が良かった。一年生の中では、ベストの組み合わせのコンビかもしれない。  
だが、やはりまだまだ一年生である。余裕がないせいか、桜はちょっとキツい言い方をしてしまうし、美琴は逆に何も喋らない。  
 
人の流れが止まったのを見計らって、正刻はその事で二人に注意をした。  
「立上、佐々木、お疲れさん。良くやってくれてるな。……だけど、二人とも注意すべき点があるぞ。立上は少し注意の仕方がキツいし、  
 佐々木は何も言わないから借りに来た人が戸惑ってたぞ。そこの所は気をつけてくれな。」  
美琴は素直に頷いた。もっとも、彼女の場合は頭で分かっていてもなかなか行動に移せないのでそこが問題なのだが。  
そして桜の方はといえば……頬を膨らませている。注意された事が不服のようだ。  
 
「だって先輩!? 何回も注意しているのに皆言う事聞いてくれないんですよ!? 私だってきつい言い方したくないですけど、でも仕方  
 ないじゃないですか!!」  
熱弁を振るう桜を正刻は苦笑しつつ、人差し指を唇に当てて「静かに」という意思表示をする。桜もそれに気づき、少し顔を赤くしながら  
も、それでも抗議は止めない。  
「大体、先輩がもうちょっと厳しくしてくれれば良いんですよ。借りに来る人達だって、私や美琴だときっとナメてるんですよ、このヒヨ  
 ッコ一年生がって。やっぱり、ここは高村先輩が厳しくビシビシと取り締まらなくちゃいけないと思いますよ!」  
 
桜の熱弁に、正刻は三度苦笑した。桜は真面目な良い娘ではあるが、それが強すぎるきらいがあった。  
少しでもルールから外れた行為は許せない。厳しく注意してしまう。それは桜の長所でもあり、欠点でもあった。  
その厳し過ぎる性格のため、中学では少し桜は疎まれていたのである。いじめとまではいかなかったが、友達は殆どいなかった。  
しかし、高校に入ってからは、桜にも変化が起きた。最初は中学のように厳しかったが、ある程度の許容を見せ始めたのである。  
 
それは、高校に入ってから出会った人達との交流の影響であった。  
決してルールを破っている訳ではないが、しかし真面目な訳でもない。  
そういった変わり者が数多くいるこの学校に来たお陰で、桜も自然と度量が大きくなったのである。  
その影響を特に与えたのは親友となった美琴。そして、学校一の変わり者と評判の正刻であった。  
 
正刻は苦笑を浮かべながら桜に言った。  
「おい立上。借りに来る人達がお前達をナメてるって……そりゃ流石に被害妄想じゃないか?」  
「そんな事ないですよ先輩! 絶対私たち、特に私をナメてますって! 私が背が低くて子供っぽいから!!」  
そう桜は反論するが、内容はどう聞いても桜の被害妄想である。正刻は手を伸ばして桜の頭をわしゃわしゃと撫でると、子供をあやすよう  
に言った。  
「あーそうだねー。みんなひどいねー。後でお兄さんが叱っておいてあげるからねー。」  
「なっ! もう先輩! 言ってるそばから子供扱いしないで下さい!!」  
 
当然烈火の如く怒る桜。しかし。  
「……よしよし……。」  
親友でもある美琴にまで頭を撫でられ、その怒りも腰砕けになってしまう。  
「美、美琴、あんたねぇ……!」  
「……?」  
美琴に抗議しようとするが、可愛らしく小首を傾げられてはその気も失せてしまう。桜は深い溜息をしつつ仕事に戻る。  
そんな様子を見て正刻は面白そうに笑った。  
 
そして暫く後。人の波が少なくなったので正刻達は本を読んでいた。受付の時は、暇なら本を読んで良いので各自が本を持ってきているの  
である。  
と、本を読んでいた正刻に声がかけられる。  
「正刻、読書中に済まないが、ちょっと良いか?」  
正刻が顔を上げると、そこには舞衣がいた。目が合うと、大輪の花が咲くような笑顔を浮かべる。周りにいた生徒達が思わず見蕩れて足を  
止めてしまう程だ。  
正刻も軽く笑顔を浮かべて「よっ」と挨拶する。  
 
「どうした舞衣。俺に何か用か?」  
「うん、いや残念ながら、君個人にという訳ではないのだがな。生徒会の資料を作成しているのだが、それに過去の資料が必要になってな?  
 資料室を開けて欲しいのだ。出来れば、君にも探すのを手伝って欲しいのだが……。」  
「了解、そういう事なら手伝うぜ。今鍵を持ってくるからちょっと待ってな。」  
そう言って正刻は鍵を取りに向かう。その後ろ姿を舞衣は見送る。  
 
ふと、自分に向けられる視線を舞衣は感じた。視線を追うと、その発信源は桜と美琴であった。特に桜はきらきらと目を輝かせ、羨望の眼差し  
で舞衣を見つめている。舞衣は軽く二人に微笑みかけて声をかけた。  
「君たちも精がでるな。立上に、佐々木……だったかな?」  
自分の名前を覚えてもらっていた事が嬉しく、桜は嬉しそうに頷いた。  
「はい! 舞衣先輩に名前を覚えてもらっているなんて……光栄です!」  
 
そんな桜に舞衣は微笑を返す。実は、こういうことは日常茶飯事であった。  
舞衣は男子からの人気は当然あるが、実は、下級生からは女子の方に特に人気があった。  
モデルのような美しい顔で背も高く、抜群のスタイル。成績もトップクラスで、運動神経も良い。生徒会副会長で、仕事も出来る。  
そんな彼女を「お姉様」と慕う女子は、結構多いのだ。だが、そんな彼女達には大きな壁が立ちはだかる訳だが……。  
 
それはともかく。桜も、自分とは違う、大人びた容姿を持ち仕事も勉強もなんでもこなす舞衣に憧れていた。  
もっとも、憧れ以上の感情は流石に持っていないようだが。  
桜は舞衣を見ながら、溜息とともに呟いた。  
「でも先輩、本当にスタイル抜群で綺麗ですよね……。羨ましいなぁ……。」  
 
そんな呟きを聞いて、舞衣は微笑みながら言った。  
「ありがとう、立上。でも私は結構努力しているのだぞ? 彼に好かれるような、綺麗で強い自分であるために、な。」  
桜は、はぁ、と溜息とも返事ともつかないような声を漏らした。美琴はきょとんとしている。  
 
ここでいう「彼」が誰を指すのか尋ねる者は、少なくともこの学校には殆どいない。言うまでもなく、それは正刻であるからだ。  
先に言った、舞衣を「お姉様」と慕う女子達にとっての立ちはだかる壁は、正刻であった。  
正刻本人はもちろん立ちはだかっているつもりは全く無いのだが、しかし舞衣を慕う者たちから見れば、正刻は不倶戴天の怨敵とさえ言えた。  
自分達が慕う彼女の愛情を一身に受ける男。さらにそれを邪険にしている(ように見える)男。それが舞衣を慕う女子達の共通見解であった。  
 
しかし、表立って正刻に嫌がらせをしない、出来ないのは、舞衣が正刻と一緒にいる時は本当に幸せそうである事と、正刻に仇為す者を  
彼女は絶対に許さない、という事があるからであった。  
 
過去に正刻に陰湿な嫌がらせをしようとした者もいたが、例外なく舞衣によって様々な制裁を受けている。  
正刻は、そういった嫌がらせなど全く気にしないし、暴力による実力行使を受けても、それを余裕で返り討ちに出来るだけの力がある。  
故に嫌がらせを受けても特に気にせず放っておくのだが、舞衣の方はそうはいかなかった。  
「自分の愛する人を侮辱されて黙っているのは女が廃る!」とは舞衣の弁だ。  
 
「でも、先輩は高村先輩のどこにそんなに惚れ込んだんですか?」  
失礼かと思いつつも、好奇心を抑えきれずに桜が尋ねる。怒られるかと思ったが、舞衣は当たり前のようにこう言った。  
「全部だ。」  
はぁ、と桜はまた気の抜けた返事をしてしまう。そんな桜の様子を見て、舞衣は更に言った。  
「まぁそう言っても君たちには分からないし、分かるように説明しても良いが、それで君たちが正刻に惚れてしまっては困るから端的に  
 言おうか。私にとって彼は、太陽みたいなものなのだ。」  
「太陽……ですか?」  
桜の問いかけに、舞衣は頷く。  
 
「そう、太陽だ。月並みな表現かもしれないが、それが一番近いな。私にとって、唯一無二の存在。代わりのものなど無い存在。いつも  
 眩しくて、憧れる存在。それが彼なんだよ。」  
腕組みをしたまま舞衣はそう語る。  
桜は、自分が話題を振ったとはいえこの人こういう恥ずかしい事を良く言えるなぁという想いと、こんな事をきっぱりと言い切れるなんて舞衣  
先輩はやっぱり色んな意味で凄いという想いがせめぎあって、何も言えなかった。  
ちなみに美琴はこくこくと首を縦に振っている。今の発言を支持しているようだ。  
それを見て、舞衣はにこりと微笑んだ。  
 
「ほう佐々木、正刻の素晴らしさが分かるか? お前はなかなか見所があるな。よし、ではとっておきの正刻の昔の話をしてやろう。  
 実は……。」  
そう言いかけた舞衣の口がにゅっと伸びてきた手で塞がれる。  
「おい舞衣……! 頼むから俺が居ない所でロクでもない話をしないでくれよな……!」  
塞いだのはもちろん正刻であった。片手で舞衣の口を塞ぎ、もう片方の手に鍵を持っている。  
 
「あぁ済まん。君のどこに惚れこんだのかと立上に訊かれてな? 佐々木も興味ありそうだったし、話していたら興が乗ってしまってな。」  
正刻の手を外して舞衣が言う。それを聞いた正刻が横目で二人を睨む。桜はぺこぺこと頭を下げ、美琴も微妙に目を逸らしている。  
はぁ、と溜息をついた正刻は疲れた声で二人に言った。  
「おいお前ら……。頼むから火にガソリンをかけるような真似はしないでくれよ……。それじゃ舞衣! さっさと済ませるぞ!」  
「分かった。では行こうか正刻。」  
 
そう言って二人は歩き出す。身長に差はあるが、しかし並んで歩く姿はとても自然で、穏やかなな雰囲気を醸し出していた。  
頬杖をついて二人を見送った桜は、はぁ、と溜息をついた。  
「何だかんだ言ってもあの二人はお似合いね。付き合わないのがおかしいくらいだわ。……私もあんな風に一緒にいられる彼氏が欲しいなぁ。  
 ……で、アンタは何でそんなに不機嫌なのよ。」  
そう言って横目で美琴を見る。美琴は一見いつもと変わらずぽーっとしているように見えるが、しかし桜の言うとおり、かなり不機嫌であった。  
何故なら……。  
「聞きたかったな……先輩の昔の話……。」  
そう呟いた親友を一瞥した後、桜は肩をすくめて読書に戻った。  
 
「さて、ここに来るのも久しぶりだな。舞衣、探してる資料はどれくらい前のやつだ?」  
「そんなに古いものではない、精々4,5年前程度のものだ。もっとも、量が結構ありそうでな。探すのは私がするから、君は運ぶのを  
 手伝ってくれ。」  
「了解。じゃあ見つかったら呼んでくれ。俺は昔の文集だの何だの読んでるからさ。」  
そう言って正刻は奥のほうへと歩いていく。  
舞衣は、さて、と腕まくりをし、髪を軽く束ねて作業を開始した。  
 
二人がいるのは地下一階にある資料室である。学校に関する資料や、卒業文集やアルバム等が保管されている。  
基本的に生徒の立ち入りは禁止されているが、今回は舞衣が既に教師の許可を取っていたため、こうして入っているのだ。  
 
そしてしばらく後。ようやく資料を揃えた舞衣は、うーん、と一つ伸びをした。髪を解きながら舞衣は奥に向かって声をかけた。  
「待たせたな正刻。じゃあこれを運んでくれ。」  
しかし、何の返答も無い。舞衣は首を傾げた。  
「……? どうしたんだ、あいつは……。」  
そう言って舞衣は奥へと向かった。  
 
舞衣が正刻を見つけたのは、卒業文集を保管している場所だった。  
声をかけようとした舞衣は、しかし、かける事が出来なかった。  
文集を読む正刻の顔が、あまりにも真剣で、そしてどこか悲しげであったからだ。  
「……ん? 舞衣? 終わったのか?」  
舞衣の気配に気づいた正刻が声をかける。  
「あ、ああ……。ところで正刻、それは……。」  
「ああ、これか。……父さんや母さん達の卒業文集さ。」  
 
舞衣が近寄って覗き込む。それは、大介や夕貴、慎吾や亜衣、兵馬達の代の卒業文集であった。  
「何かこれ読んでたらさ、父さんや母さんの事を色々思い出しちまってな……。」  
頬を掻きながら正刻は呟いた。その表情は、笑顔ではあったが、しかしどこか痛々しさを感じさせるものであった。  
その表情を見て、舞衣の胸は痛んだ。きゅっと自分の胸元をつかむ。  
そんな舞衣の様子には気づかずに、正刻は明るい声で告げる。  
「さて! そんじゃさっさと運ぶか!……ってま、舞衣……?」  
 
正刻は戸惑った声をあげる。舞衣にいきなり後ろから抱き締められたからだ。ぎゅうっと力いっぱい抱き締められる。  
「おい舞衣! 仕事も終わってないのに何してやがるんだ!!」  
抱き締めてくる舞衣を引き剥がそうと、正刻は腕に力を込める。しかし。  
「正刻……。」  
そう囁いた舞衣の様子に何かを感じ、正刻は動きを止める。  
 
「なぁ正刻……。無理をする事はない。私に……甘えてくれても良いんだぞ……?」  
舞衣は正刻にそう囁く。正刻はふっと目を閉じて笑う。  
「ありがとうな舞衣。だけど、俺は本当に大丈夫だ。ただちょっと、ちょっとだけ……父さんと母さんの事を思い出しただけなんだ。  
 だから心配するな。」  
 
しかし、正刻がそう言っても舞衣は彼を放そうとしなかった。それどころか、舞衣の体は震え始めていた。  
舞衣の様子がおかしい事に気づいた正刻が、心配そうに問いかける。  
「舞衣? どうした? 気分でも悪くなったのか? おいま……。」  
「正刻……。」  
正刻の呼びかけを遮るように、舞衣が彼の名を呼び、そして続けて言った。震えそうな声を、懸命に抑えるように。  
「私は……そんなに頼りないか? 私では……駄目、なの、か……?」  
 
そう言われた正刻は戸惑った。  
「ま、舞衣……? お前、何を言ってるんだ……?」  
「君が風邪で学校を休んだ日……。唯衣には弱音を吐いたのだろう……?」  
舞衣は正刻に、逆に問い返す。正刻は驚き、そして正直に答える。  
「……あぁ、確かにな。だがあれは俺にとっちゃあ不覚以外の何物でもないんだが……。しかし舞衣、どうしてそれを? 唯衣が喋るはず  
 ないのに……。」  
そう尋ねる正刻に舞衣は軽く微笑を浮かべて答える。  
 
「そうだな、何となく分かってしまうんだ。二卵性とはいえ、私と唯衣は双子だから……な。」  
そして舞衣は、正刻の髪に顔を埋めた。その感触に、正刻は体をぴくり、と震わせたが、しかし何も言わなかった。  
「で、な……。私も正刻の弱音を聞いてやろうと思っていたのに、君は……私を頼ってくれない。私に弱さを見せてくれない。それが……  
 無性に悲しくて、な。」  
「舞衣……。」  
正刻は舞衣の手に自分の手をそっと重ねた。しかし、それにも気づかずに舞衣は続ける。  
「君を責めるつもりは無いんだ。頼られないのも、弱さをみせてもらえないのも、全て私がいたらないのが原因だ。それは分かっている。  
 分かっているが……それでも少し、辛くて、な。君の役に立てないなんて、私は本当に駄目な女で、いつか君に見捨てられても、きっと  
 文句は言えなくて、そんな事を考えたら、すごく怖くて、それで……。」  
 
舞衣の独白をそこまで聞いた時、正刻の我慢は限界を超えた。  
「舞衣っ!!」  
「!? ま、正刻……?」  
舞衣の腕を強引に振り払い、正刻は身を翻すと彼女を力一杯抱き締めた。  
 
正刻は彼女の独白を聞いて、自分のことを心の中で激しくなじっていた。  
舞衣が無条件に自分を慕ってくれる事に甘え、彼女を顧みる事をおろそかにしていた。その所為で、彼女を傷つけてしまった。  
正刻は深く深呼吸をして一度舞衣を離すと、両手で彼女の顔をはさみ、目をしっかりと見据えた。  
彼女の瞳は潤み、涙が幾筋か流れおちていた。それを見てまた心が痛んだが、しかし正刻は行動した。  
彼女の傷を癒すために。彼女の笑顔を取り戻すために。彼女が……自分にとって、どれほど大切な存在か、分かってもらうために。  
 
そのためにまず正刻が取った行動は、舞衣の顔を両手で挟んだまま飛び上がり、自分の脳天を彼女の脳天に勢い良く振り下ろす事だった。  
いわゆる頭突きである。狙い過たず、きれいにヒットする。ゴンッ! と聞いただけで痛そうな音が資料室に響いた。  
「あいたぁっ!!」  
舞衣はあまりの痛さにうずくまる。正刻も痛かったが、しかしここは我慢する。  
少し痛みが引いたのか、舞衣が非難の目を向けてきた。  
「おい正刻! 一体何を……。」  
「こら舞衣!」  
しかし、正刻に一喝され、さらに煌く漆黒の瞳で見据えられ、舞衣は抗議を中断せざるを得なかった。  
 
それを見て、正刻は肩膝をついてうずくまった舞衣と目の高さを合わせると、ゆっくりと喋り始めた。  
「おい舞衣。俺がお前を頼らない、弱さを見せてくれないって言ったな? そんなの当たり前だろうが! 誰が好き好んで自分の弱さを  
 見せたり、誰かを頼ったりするかよ! 悪いが俺は、最近流行の『癒し』だの『頑張らなくていい』だの、そういうのが大ッ嫌いでな。  
、嫌な事があってもなるべく自分で何とかするし、前時代的だと言われようがやせ我慢だってしまくる! 大体俺がそういう人間だって  
 のをお前は良く知ってるだろうが! 何年俺の幼馴染やってるんだお前は!」  
 
最初はゆっくり、しかし段々と熱を持って正刻は舞衣に話しかける。いや、今ではもう怒鳴っていると言った方が良いかもしれない。  
舞衣はしかし、潤んだ瞳で正刻に訴える。  
「で、でも正刻。唯衣には弱さを見せたじゃないか。何で……。」  
「俺も人間だからな。体が弱ってる時は、流石に気も弱くなる。その時に近くにいたのが唯衣だっただけの話だ。いいか、良く聞け。もし  
 あの時傍に居たのがお前だったとしても、俺は弱さを見せたよ。それは絶対だ。誓っても良い。」  
それを聞き、舞衣の目が開かれる。正刻は更に続ける。  
 
「それに、な。俺が弱さをみせても良いと思ってるのは……お前と唯衣、鈴音ぐらいだぞ。」  
「ほ、本当か……?」  
「ああ本当だ。だがさっきも言ったように、俺は滅多な事じゃあ弱さをみせたりしない。だから、な。俺に頼って欲しいなら、俺に弱さを  
 見せて欲しいなら、俺の役に立ちたいのなら……。」  
そこで一旦言葉を切り、舞衣を見つめる。舞衣はただ黙って正刻を見つめ返す。  
正刻はそこで……にっ、と笑った。そして、とっておきの言葉を舞衣に贈る。  
 
「ずっと……俺の傍にいろ。そして、ずっと俺を見ていろ。俺がいつ弱さを見せてもいいように、俺がお前を頼りたくなった時、すぐに  
 助けられるように……、な。」  
 
そう言って正刻はウィンクを一つした。それを見て、舞衣はくしゃり、と顔を歪めた。涙が彼女の両目から、とめどなく流れはじめた。  
しかし、この涙は安堵と、嬉しさのあまり流れたものだった。  
正刻が彼女に言ったことは、人によっては傲岸不遜の極地、と捉えられてしまうかもしれない。  
しかし舞衣は、そこに込められた正刻の想いを確かに感じ取った。  
乱暴な言い方をしたのは、落ち込んだ自分を奮い立たせるため。そして、必ず奮い立つと自分を信じてくれたため。  
 
想い人にそこまで信頼されて、それに応えないだなんて、そんなの自分じゃない。  
舞衣は胸に灯った熱い想いを確かに感じた。正刻への熱き想い。これからもきっと、色んな困難があるだろう。人間なんだから、落ち込ん  
だり、すれ違ったりもするだろう。  
 
でも、きっと乗り越えられる。正刻が贈ってくれた言葉が胸にある限り。自分はきっと大丈夫。  
だけど……今は。今だけは。ただ泣かせてほしい……。  
そんなことを考えながら、舞衣は正刻にすがって泣いた。正刻も、黙って舞衣の髪を優しく撫で続けた。  
 
そして暫く後。ひとしきり泣いた舞衣は、しかしすぐにいつもの調子を取り戻した。ハンカチで顔を拭い終えた彼女は、いつものクール  
ビューティーに戻っていた。  
「ありがとうな正刻。……全く、君を助けてあげたいのに、私は助けられてばっかりな気がするよ。」  
そういう舞衣に、正刻は肩をすくめてこう言った。  
「何言ってやがる、こんなのお互い様だろ。特に……俺たちの間じゃあな。」  
 
そう言う正刻を愛おしげに見つめた舞衣は、不意にくすくすと笑い出した。  
その様子を不思議に思った正刻は、舞衣に問いかける。  
「おい舞衣、何がそんなにおかしいんだ?」  
すると、いたずらっぽい目で正刻を見た舞衣は、楽しげにこう言った。  
 
「いや何、さっきの君の台詞が、まるでプロポーズのようだった、と思ってな。」  
 
プロポーズ? そう言われた正刻は、さっきの発言を冷静に思い返す。  
 
『すっと……俺の傍にいろ。』  
『ずっと俺を見ていろ。』  
『俺がいつ弱さを見せてもいいように、俺がお前を頼りたくなった時、すぐに助けられるように……、な。』  
 
どう見てもプロポーズです、本当にありがとうございました。  
 
正刻の顔がみるみるうちに赤くなっていく。口をパクパクさせる正刻をいたずらっぽい表情で舞衣が覗き込む。  
「さて、正刻? この後の人生設計でも話そうか? そうだな……まずは子供の数から決めようか。私は三人は欲しいのだが?」  
もう正刻はさっきの勢いが嘘のように、小刻みに震えることしか出来ない。  
それを見ていた舞衣は、ぷっと吹き出すと、正刻を正面から思いっきり抱き締めた。  
「まったく君は、本当に可愛い奴だな!」  
 
ところで今更だが、正刻と舞衣の身長さの関係で、二人が正面から抱き合うと、正刻が舞衣の胸に顔を埋めるような格好となってしまう。  
舞衣のふくよかな胸に挟まれながら、正刻は体をよじる。  
「こ、こら舞衣! 駄目だって色々と!!」  
「まぁそういうなよ正刻。人前でいちゃつくのが駄目なら、二人きりの時は少しくらいこうしても良いじゃないか。今まで私が寂しかった  
 分の穴埋め、ということでな。」  
 
そう言われると正刻は抵抗できない。只でさえ舞衣の体は温かくて、柔らかくて、良い匂いがするのだ。  
正刻は溜息をつき、負け惜しみのように言った。  
「……少しだけだから、な。」  
舞衣は微笑んで正刻を抱き締めた。正刻も舞衣を抱き締め返し、しっとりとした舞衣の髪をゆっくりと撫でた。  
 
 
この後、二人の帰りが遅いのを不審に思い様子を見に来た美琴と桜に抱き合っているところを思いっきり見られてしまい、正刻は必死に  
弁解するも美琴には「……ケダモノ。」、桜には「先輩不潔ですっ!!」となじられてしまい、更にこの事を知った唯衣と鈴音にダブルで  
頬を思いっきりつねられるという折檻を受けたりするのだが、それはまた別のお話。  
 

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