1
バスルームに立ち込める湯気が、心地よく少女を包み込んだ。背筋を伸ばしながら、軽く身体を動かした。軽くシャワーを浴びて、浴槽にはいる。
湯に浸かりながら、鈴奈(れな)は溜息をついた。両手で湯をすくいあげ、顔を洗う。穏やかな時が流れていく。
甘美なまどろみに誘われ、鈴奈は浴槽の縁に下半身を横たえた。ほっそりとしたしなやかな若い肢体が、ゆるやかに湯の中で揺れた。
天井から落ちた雫──ポチャンと音を立てて湯の表面に小さな波紋を広げた。透明感漂う少女の粉雪のように白い肌──うっすらと桜色に染まっていく。
(天馬(てんま)ちゃん……あたしの天ちゃん……)
心の中で何度も恋人の名前を呟いた。愛しい天馬の横顔を思い浮かべただけで、胸が切なくなった。指が湯に沈んだ肌を滑っていく。
無意識だった。疼く女の性──そっと指を這わせた。鈴奈の薄桃色の乳首が固くしこった。子宮に感じる生命の息吹。淡い光に心が包まれる。
「あ……ああ……」
皮を被った肉芽を指腹で刺激した。細い喘ぎが喉から漏れる。天馬の愛撫を思い出しながら、鈴奈は自分を慰めた。天馬の体臭。天馬のぬくもり。
ほんの僅かな時間ですら、離れているのが辛かった。ふたりはいつも一緒だった。幼馴染だったふたりは、今では恋人同士だ。
身体が火照った。ゆっくりと中指を内部に挿入する。内部はうなるように熱く煮え滾っていた。痛切だった。一瞬、鈴奈は苦悶の表情を作った。
「ああ……んん……ッ」
昂ぶった。ただ、昂ぶり続けた。しとどに濡れる紅百合の花弁──溢れる蜜液が湯を汚した。下腹部に密集する薄い翳りがゆらめく。
色素の薄い花弁は初々しくも、はっきりと女の証しを示していた。少女はある時期を境に女へと生まれ変わる。
鈴奈が浮かべている表情──愛しい男を思う女の顔だ。魅力的な丸みを帯びた真っ白い臀部に、小ぶりだが形の良い紡錘型の乳房。
全体的に柔らかな女らしい身体つきだ。濡れ羽色の長い髪に、アーモンド形の瞳が愛くるしかった。美しかった。
眉毛は細く筆で引いたようにすらりとしており、秀麗な、中立ちの相貌は、同性から嫉妬と羨望の眼を向けられるだろう。
ガラス細工のヴィクスドールのように美しい少女だ。その清純な色気は、少女と女の狭間にいるものだけが持つ特有の色気だ。
(天ちゃん、切ないよ……あたし……すごく切ないよ……)
「あああ……ああ……ッッ」
呻き声が激しさを増した。潤んだ瞳が輝く。官能の渦に隋道が収縮した。鈴奈がオーガズムに達した。酷く寂しいオーガズムだった。
『汝の欲するままになせ。それがすべてのルールなのだ』
──アレイスター・クロウリー「麻薬中毒者の日記」
2
エスの甘ったるい匂いが天馬の鼻腔粘膜を撫でた。溶液のこびりついたスプーンを舌先で舐める。
口から放したスプーン──粘つく唾液が糸を引いた。貴重なマブネタだ。無駄には出来ない。
神からの贈り物──エスは素晴らしい。これさえあれば残版でもグルメ料理と同じ味が楽しめ、どんな醜悪な存在でも愛しく思えてくる。
左腕の肘の付け根をゴム管で縛り上げ、親指を握りこんだ。心臓が激しく胸壁を乱打した。脳髄がビブラートする。
浮き出た静脈──ニードルをぶち込んだ。青い血管がマンコにぶちこむ寸前の童貞ペニスのように破裂しそうになった。
ローションに濡れたニードルは、スムーズに血管の中を突き進む。流石はドイツ製──最高のインシュリン注射器だ。
注射器を引いて血液と溶液を混ぜて遊ぶ。逆流する血が渦を巻きながら注射器内部の溶液と戯れ、綺麗な赤い水中花を咲かせた。
ゆらめく水中花を凝視する。首を鳴らしながらエスをたっぷりと血管に流し込んだ。細胞が歓喜に叫んだ。
ドーパミンが放出され、脳内が一気に冴え渡った。過剰分泌されるドーパミンが体内を駆け巡った。
混じり気なし──極上のエスだ。北朝鮮ルートが壊滅してからエスが高騰し、これほどの雪ネタは滅多にお目にかかれなくなった。
背筋にドライアイスを押し付けられたような冷たい感触が湧き上がる。身体が芯まで冷え切った──股間の血液が凝固する。
内臓が発するロック──リズムよく鼓膜を打った。心臓は十六ビートを刻みつけ、肺がホルンを響かせた。悪くない。
落書きまみれの薄汚れた壁──もたれかかった。注射器を投げ捨てる。床に視線を落とした。
散らばった注射器と針が天馬の目に飛び込んできた。踏み潰した。プラスチック注射器の砕けていく音がまぬけに聞こえた。
白い快楽のはきだめだ。不潔な公衆便所にはよく似合う。メタンフェタミンの恍惚──天馬は喘いだ。イク寸前の女の喘ぎに近かった。
酔っ払いの小便と糞がこびりついた黄ばんだ便器──漂うアルコールと醗酵したアンモニアの臭気が天馬の鼻を突いた。
便器にはみ出している黄色い粘液の物体──半ば乾いた反吐だ。水分を失い、表面がくすんでいる。
ぶちまけられた反吐の表面──咀嚼されかけのナルトがかろうじて原形を留めながら、浮かんでいた。
黄ばんだ便器、注射針、麺の溶けかかった反吐、ナルト、吐き気を催す悪臭。何もかもが素晴らしかった。
リーバイスのジーンズを脱いだ。勃起したペニス──強く握りしめた。脈打つ鼓動が伝わった。しごいた。網膜に広がる極彩色に輝く世界。
クスリだけが、全ての苦痛を癒す。クスリだけが、灰色の風景を塗り替える。天馬はエスに耽溺した。
亀頭の先端に施されたピアスを引っ張った。尿道に迫る熱い奔騰──ホワイトリキッドが薄汚れた壁にぶちまけられた。
* * * * * * * * * * * * *
ジョリーロジャーのダウンジャケット、レイバンの薄いサングラス、小羽を模ったゴローズのネックレス、ヴァンキッシュのグリッターデニム、
右手の人差し指と中指にはめられたA&Gのシルバースカルリング。
全て女達から買い与えられた品物だ。女は金になる。だから天馬は女を食う。
中でも天馬のお気に入りはこのスカルリングだ。相手の顔面をぶちのめす時に、指輪がスムーズに相手の頬を切り裂くのが快感だった。
天馬はほとんど自分の金を使ったためしがない。女達が支払ってくれるからだ。天馬も悪ぶれず様子もなく、平然と女達に金を使わせる。
天馬の容姿は抜きんでて美しい。日本人離れ──というより常人離れしている。巧緻な芸術品だ。
秀麗無比とさえ言える完璧な美貌──華麗な孤を描く切れ長の二重瞼、エキゾチックに切れ上がった目尻、
綺麗に整った鼻梁、薔薇の花弁を連想させる唇、曲線の美しい顎のライン。
軽くウェーブのかかったメッシュの細い髪が、不思議な色香を醸し出す。女達には天馬が凛々しい天使として映る。
全体的に鋭角な顔の輪郭、特に素晴らしいのが一際目立つその瞳だ。黒真珠のような光沢を放つ黒い瞳は女達を妖しく包み、虜にした。
人が美と感じる最大公約数的なバランスによってのみ、天馬は構成されている。現世に生まれたアドニスだ。
月は羞恥に雲で己の身を閉ざし、花ですら頬を染めて眼を伏せる美貌。生まれついてのジゴロ、スケコマシ。
女達はこぞって天馬に貢ぎ、天馬は黙って金と品物を受け取った。受け取った金でクスリを買って、打った。
今では立派なシャブ中だ。その、美しい見た目とは裏腹に、天馬の心は完全に腐り切っていた。
渋谷センター街のマクドナルドで注文した、やたら甘ったるいコーラを啜りながら時間を潰す。昨日から何も腹に入れていなかった事を思い出した。
食欲が湧かない──当たり前だ──エスを打っていれば食欲なんて湧くはずがない。横を振り向いた。SCGPが見回りをしていた。
中年親父が汗をかきながら集団で行動する姿ははっきりいって醜悪だ。中年親父の暇つぶしか。馬鹿らしい。
ご苦労様な事だ。天馬は欠伸を噛み殺した。退屈だ。暇を持て余しながら、天馬は親指の爪を舐めた。
時計が十時を回った。109を抜けて道玄坂に向かう。路上に散乱するタバコの吸殻が視野にちらついた。道端の空き缶を蹴飛ばした。
道玄坂二丁目、センター街と比べて周りは薄暗かった。デニムのポケットからパッケージの潰れかけたラークを取り出し、唇の先端に挟む。
ジッポーライターでタバコに火をつけようとヤスリを強く擦った。火花が飛び散る。何度か試してようやく火がついた。オイル切れ間近だ。
鈍い痛み──親指の皮膚が、ライターのヤスリで何度も擦られたせいで赤くなっていた。星のない夜空を見上げ、天馬は唇を舐めた。
「クスリが欲しいなぁ」
テーブル席に肘をつきながら、天馬はゲップを漏らした。背の低いスツールに座りながらコロナビールをラッパ飲みする。
乾いた喉にビールの炭酸がやけにひりついた。二本目のビールを注文した。異常に喉が渇いてしょうがない──典型的なジャンキーの症状だ。
エスのせいで唾液が分泌されず、つねに唇と口腔内が乾く。隣の席に座っていたドレッドヘアーの少年──明(あきら)が天馬に声をかけた。
「アップジョン(ハルシオン)とチョコ(ハッシッシ)の良いのがあるんだけど、買ってくんねえ?金本さんに上納金、払わねえとやべぇんだよぉ」
明のすがる様な卑屈な眼差し──本性が垣間見えた。明は金本のパシリをしている。明は金本の飼い犬だ。つねにゴマをすっている。
命じられれば、尻尾を振ってどんな汚い事でも明は平然とやってのける。仲間を裏切れと命じられれば平気な顔で裏切り、
親兄弟を殺せと言われれば、平然と殺す──もっとも、それが自分の利益に繋がればの話だが。
自分の利益になるなら、明は金本も殺すだろう。明はむかつく位、したたかだ。金本が明を含む餓鬼どもに慕われるのは、何も人徳があるからじゃない。
ふたりの共通点はどちらも強者に媚びを売り、弱者を足蹴にするという所か。
ろくでなしでジャンキーの自分が言えた義理ではないが、明も金本も最低のクズだ。
(せっせとあのチビデブにゴマでもすってろよ、この薬局屋(ヤクの売人)野郎)
天馬は心でひとりごちた。ビールがまずくなる。金本の醜悪な顔が天馬の脳裏をよぎった。ジンマシンが出そうになる。
金本──明神組の若衆、明達のグループのケツ持ちをしているヤクザ。ガキどもにあれこれ命じては、得意がっているうすら馬鹿野郎だ。
蟹のように平べったい顔とはれぼったい一重瞼、身長は百六十センチにも満たず、コレステロールの塊に憑りつかれた三段腹が突き出ているデブ。
精妙に禿げ上がった頭部は完璧な波平スタイルだ。何より酷いのが、腋から漂う生酸っぱい饐えた匂いだ。
金原は腋臭だった。あの匂いには辟易させられる。口臭も凄まじかった。一度、吐きそうになったのを覚えている。
こんな男だから女には縁がない。金本は何をトチ狂ったのか男に走った。元々、その気があったのかもしれない。
出来る限り、近寄りたくない人物だった。天馬は金本を歩く生ゴミだと思っている。
「なあ、頼むよぉ。お願いだから買ってくれよぉ」
「ああ、わかったから買うよ。じゃあとりあえずチョコ、これで買えるだけちょうだい。アップジョンは僕にはキックがないからいらない」
デニムの尻ポケットからクシャクシャになった万札を無造作に五枚抜き取って、明の胸に押し付けた。明が嬉々として受け取る。
「サンキュー、じゃあこれ」
腋に抱えた黒いバッグから三つのアルミホイルを包みを取り出し、天馬の掌にのせる。ホイルの中身は茶色い樹脂──ハッシッシだ。
「これでなんとか今月分のノルマはクリア出来たぜ」
「もう用がないならあっちいけよ」
野良犬を追っ払うように邪険に手を振った。明の表情が曇る。無視した。一息にビールを飲み干すと席を立つ。家に帰ってマリファナでも吹かしたかった。
「おい、どこいくんだよ」
「うるさいなあ、僕が何をしようとお前には関係ないだろう」
「そう、嫌うなよ。友達だろう」
「ふざけんなよ、馬鹿野郎。誰がテメエなんかダチなもんかよ」
明の相貌が怒気に白く褪色していく。明はキレると赤くならずに白くなる。こういう手合いは手加減を知らない。喧嘩になればトコトンいってしまう。
明は今まで何人もの喧嘩相手を再起不能に追い込んでいる。背骨がへし折れるまでバッドで殴りつけられ、半身不随にされた者。
腎臓が破裂するまで蹴り続けられ、苦痛に身悶えながら自分の血の小便にのたうちまわる相手。明は今までに二度、少年院に服役している。
それでも、明は絶対に天馬に手出しはしない。明は天馬の凶暴さを骨の髄から知り尽くしていた。下手に手を出せば──こっちがあの世行きだ。
天馬は生まれついてのヤクネタ(めちゃくちゃヤバイ奴)だ。ギャング、チンピラなら天馬の名を聞いて震え上がらない奴はいない。明は毒づいた。
(人がいい顔すりゃ図に乗りやがって……このシャブ中の狂犬風情がよ……)
歯軋りをしながら天馬を睨めつける。握りしめた拳──怒りに震えた。胃がむかついた。このまま拳を天馬のドテッ腹にめり込ませてやりたかった。
女よりも綺麗なツラを歪ませ、激しくむせながらうずくまる天馬──想像しただけで激しく興奮してしまう。妄想は自嘲へと変わった。
そんな事を出来るわけがなかった。そこまで肝は据わっていない。拳をめり込ませた瞬間、天馬のバリソングナイフが自分の喉笛を掻っ切っているだろう。
「じゃあね。あばよ」
天馬は振り返りもせずに、店を出て行った。店内に残された明──眼で追い続けるように、天馬の背中を睨みつづけていた。
4
全裸のまま、等身大ミラーの前に立った。舌を出した。色々と表情を作って遊ぶ。二分もしない内に飽きてきた。大きく伸びをする。
右肩から胸にかけて彫り上げられたクローバー模様をあしらったブラックのトライバルタトゥー、
亀頭の先端にぶらさがっているピアッシング──プリンスアルバートだ。ピアスの種類はC型の形状をしたサキュラーバーベル、
わりとお気に入りのピアスだった。ピアスとタトゥーは天馬の個人的な趣味だ。来週は背中に新しいタトゥーをいれる予定だ。
台所の冷蔵庫を開け、中からヨーグルトを掴みだす。賞味期限の日付が半年前のヨーグルト──食えないことはないだろう。悪くても腹を壊すだけだ。
酸味のきついヨーグルトをほおばりながら、時計を見た。時計の針は午前七時五十七分を指していた。あと三分ほどで鈴奈が迎えに来る。
丸一日、風呂にはいっていない。熱いシャワーを頭から浴びたかった。
リビングルームのイスに座りラークに火をつける。眠気覚ましの一服だ。テーブルの上に置いてあるアルミの安っぽい灰皿に灰を落とした。
「鈴奈、早く来ないかな……」
半分ほどの長さになったラークをもみ消す。ドアの鍵が開く音がした。鈴奈が迎えにきたのだ。天馬の顔が無邪気にほころんだ。
女は金づるか食い物程度にしか考えていない天馬も、鈴奈だけは別だ。肉親にすら心を開かない天馬も、鈴奈だけには自分の心を許す。
「おはよう天ちゃん。迎えに来たよ。早く服着ないと学校に遅れちゃうよ」
屈託のない微笑を浮かべた鈴奈が、リビングルームのドアから現れた。
「学校いくの面倒臭いよ。身体だるいし……今日はもう休もうよ」
「そんな事ばっかりいって、ちゃんと学校いこうよ。もう三日間も無断欠席してるんだし……あ、ちょっと、天ちゃんったらっ」
天馬が鈴奈に抱きついた。胸に顔を埋めて何度も頬をこすりつけてくる。突然の出来事に鈴奈は少しだけあせった。
「そんなことしちゃ駄目ったらッ」
鈴奈を呼び声を無視する。ショートコートを脱がし、天馬が白いミニスカートに手をかけてパンティーごと引きずり下ろした。
ブルーのニットシャツだけの姿にされた鈴奈。愛くるしかった。たまらなく愛しかった。ペニスが激しく硬直する。
「それよりもエッチしようよ、エッチ」
鈴奈の首筋を軽く舐めながら、猫撫で声で甘えるように鼻を鳴らした。天馬の唇が、鈴奈の唇に重なった。乳房をまさぐりながら、舌で歯茎の上を突く。
「て、天ちゃん、本当に駄目ッ……んん……ッ」
「好き、好きだよ。鈴奈……愛してる……」
舌と舌が蛇のように絡み合い、互いの唾液を求めた。鈴奈は自分の思考が霞がかっていくのを感じた。天馬の熱い吐息に身体が蕩けてしまいそうだった。
「はぅん……ッ、あ、あたしも天ちゃんが好き……大好き……ッ」
くぐもった喘ぎ声を漏らしながら、鈴奈は身悶えた。やがて天馬の指先が下腹部へと向かい、柔らかな花弁に触れた。官能のさざ波が揺れる。
蜜液に濡れそぼる花の割れ目を指腹で玩弄しながら、唇をそっと離した。切なそうに欲情の露に輝くふたりの瞳。あまりにも美しかった。
「ねえ……僕もう我慢できない……」
ペニスを熱い花弁に押し付け、天馬は鈴奈を床の上に優しく横たわらせた。灼熱するペニスの体温が鈴奈の花弁に伝わった。
「あたしも天ちゃんのおちんちんが欲しい……」