荒れ狂う海中を、光速の如きバタ足で突き進むのは誰だろう。  
 それは筋肉だ。岩石の如き筋肉を持った獰猛スイマー千匹(概算)は、  
各々の腕に疲れ切った同胞をひしと抱きかかえ、激流を遡っている。  
「お前らもっと気合入れて泳ぐのじゃあ!」  
「済まんですじゃ兄者ぁ!」  
 先頭を泳ぐ筋肉が吠えると後ろの筋肉が口々に吠え立てる。  
「のう枢斬(仮名)」  
「何じゃいUMA公(仮名)」  
「わしはもう駄目じゃけん。置いてゆけ」  
「何を言うとるんじゃ! 聖地秋葉原はもうすぐではないか!」  
 集団の前方につけていた一つの筋肉が、腕の中で弱音を吐く同胞を叱咤する。  
「駄目じゃ。わしは疲れた。筋肉の力も乙女の魂も消え失せてしもうた」  
「何を弱気な! もう少しで乙女のぱらいそに着くと言うのに!」  
「その事なんじゃがなぁ、枢斬……本当にアキバはわしらの楽園なのか?」  
「う、UMA公、お前……!」  
「わしにはどうもそうは思えんのじゃ。わしらがこんな姿になったからと言って、  
向こうが同じようになっているとは限らんのではないかと……」  
「待てUMA公! それ以上考えるな!」  
「もしかしたらアキバもメンズの帝国になっとるんじゃないか。もしかしたら  
他の街のように不気味なナマモノの園になっとるんじゃないか。もしかしたら……」  
 
「止めんか! 楽園はあるのじゃ! それを疑ったらお前は……」  
 言い掛けたその時、同胞の肉体がぐにゃりと歪んだ。  
 それはほんの一瞬ビア樽のような体型の女に変化したが、二三度瞬きする間に  
また姿が歪み、今度はセーラー服にお下げ髪の愛らしい高校生(推定)に変わる。  
「貴様の武運長久を祈っておるぞぉぉぉぉぉぉぉっ!」  
 体が小さくなった為に同胞の腕をすっぽ抜けた少女は、愛らしい声で男らしい  
雄叫びを放ちつつ群れの後方へ流されていった。  
「うまこぉぉぉぉぉッ!」  
「振り向くな枢斬ッ!」  
 追い掛けようとすると、近くを泳いでいた筋肉が捕まえて怒鳴る。  
「しかし、このままでは奴は桃色ナマモノの餌食に……!」  
「悲しい事だが、楽園を目指すには奴の乙女心が足りなかったのじゃ! 楽園に  
辿り着けるのは、煩悩を絶えず萌やし続ける真の乙女だけなのじゃ!」  
「っ……」  
「行こう枢斬。倒れた朋友の分までわしらの心の小宇宙を萌やすのじゃ!  
振り向くな、躊躇うな、君だけの信じる夢をぉ~どんとるっくばっくじゃ!」  
「……おう!」  
 二つの筋肉は決意を新たにし、激流の中を猛然と泳ぎ出したのだった。  
 
 
 「え~と、何て言うかその……腐れ乙女オソロシス」  
 あたしは泳ぐのを止め、暑苦しく吠えながら遠ざかる一団を見送った。  
 水没した東京に徘徊する化け物、と来て昔遊んだテレビゲームを思い出した  
あたしは、『大破壊後東京周遊ツアー』と題してあちこち泳いでいたんだけど、  
池袋方面へ向かう途中で彼女達を発見して、しばらく追跡していたのだ。  
 そう、姿形はアレだけど、あれは間違いなく女、それも乙女ロードの住人、  
その中でも妄想遍歴と年季を重ねた貴腐人と呼ばれる猛者達だ。  
 全てが美女と化け物に変わった世界で、どうして彼女達だけ男性化したのか。  
 どうして秋葉原を楽園だと思い込んでいるのか。  
 どうして彼女達の周囲にだけ激流が発生しているのか。  
 そんなツッコミだらけの現象に興味が湧いて、あたしはしばらく彼女達を  
追いかけていたんだけど、更に驚いたのは、群れから脱落した者はもれなく  
美女に変わり、激流から逃れる代わりに化け物に狙われるようになる事だ。  
 彼女達はこの状況を『801の神が与え給うた試練』だと考え、『こんな  
狂った世界でも乙女心を失わない』……ぶっちゃけホモ妄想を続けられる者  
だけが『聖地』だか『楽園』だかに辿り着けると考えているみたい。  
 しかし、試練を乗り越えられなかった者は罰として『キモイ萌えキャラ』に  
姿を変えられ、美少年どころか人間ですらない化け物に食われてしまうとか。  
 それが本当かどうかなんて判らないけど、あたしが追走していた僅かな間に  
二十人ほど脱落し、全員休む間もなく化け物に捕まって阿鼻叫喚(ry  
 
 ほら、今脱落した奴も。  
「お? お、おぉぉ、おわ~っ!」  
 悲鳴……悲鳴よね? 上げた時にはもう遅い。惰性で海底に落ちた彼女は  
あっと言う間に桃色触手絨毯に飲み込まれ、姿が見えなくなってしまった。  
「何すんじゃワレぇ! 萌え尽きたとは言え貴様の如きナマモノにわしの  
初物をくれてやる気は……おっ、おごッ、おごわァァァァァッ!」  
 ……もう十分もすれば他の犠牲者と同じような可愛い声になると思うけど、  
さっきの素薔薇しい雄姿が思い起こされてとても萌えられそうにないわ。  
 確かにあたしはマッシヴな女が好きだけど、ヒゲの生えた女は却下よ却下。  
 興味が薄れたあたしは、次なる観察対象を探すべく泳ぎ出した。  
 化け物共は相変わらずあたしには見向きもしなくて、中には露骨に嫌がって  
一目散に逃げ出す奴までいる。  
 この極上マッシヴエロバディに毛ほども興味を示さないなんて、こいつら  
揃いも揃って節穴さんばっかりだわ。  
 でもまぁ、そのお陰でこうして呑気に観察を続けていられるわけだけど……  
やっぱり腹立つわ。いっそ逆に襲ってやろうかしら?  
 ……いや、それは後に取っておきましょ。この世界を見飽きて何もする事が  
無くなるまで。  
 

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