私は生まれつき体が弱い。  
 夏になれば貧血は日常茶飯事だし、冬になれば最低二回は大きな病気にかかり寝込む。  
 学校も早退や欠席が多く友達もほんの数人。  
 しかも友達と言っても学校で話すことが主で、外では体の弱さが祟って遊ぶなんてこと滅多にない。  
 昔は、この思い通りにならない体が忌々しくて堪らなかった。  
 でも今は、違う。私はこの体に感謝している。  
 この弱い体のおかげで私は好きな人と一緒にいられる。  
 この弱い体のおかげで私の想い人は私を心配してくれる。  
   
 今日もそうだ。  
 熱を出してベッドで横になる私に、その人は頻繁に頭に乗せた濡れたタオルを交換してくれる。  
 私、宮野由真(みやの ゆま)にとって大切な人。  
 起きて目も開けて居ないというのに私はその人が誰かわかる。  
「兄さん…」  
「ん? 起きたか…熱、ひきそうか?」  
 私の額に手を乗せ自分の熱と比べるこの人の名前は、明人(あきと)という。  
 私の兄さんだ。  
 初めて人を好きになることを覚えたとき私は、ああなんて私は幸せ者なんだろうと思った。  
 だって私の好きな人はこの世のどんな人よりも、私の傍に居てくれる。  
 だって私の好きな人はこの世のどんな人よりも、私のことを知っていてくれる。  
   
 だって私は、その好きな人の妹なのだから。  
 
「そんなの、わかりませんよ」  
 できれば長く続いて欲しい。…もちろん私が兄さんの子供を産むのに支障が無い程度に、だけど。  
 はは、と兄さんは苦笑する。その仕草すらも愛おしい。  
「…兄さんの手、冷たくて気持ちいいです」  
「あ、あぁそりゃな、さっきまでタオル絞ってたし」  
「その…ほっぺが熱いから、触ってくれませんか…?」  
「こうか?」  
 そう言って兄さんは、私の頬に手を移し軽く押しつける。  
 冷たくて、とても気持ちいい。それに加えて兄さんがやってくれているという事実がさらに幸福感を増す。  
「ん…もう少し……そのまま…」  
「ああ」  
 私と兄さんしか居ない私の部屋、二人だけの空間。  
 誰にも邪魔されない今の幸せが今後将来ずっと続けばいいと思う。  
「っと、そろそろ昼だな」  
 10分ぐらいしただろうか、兄さんは机に置いていた財布を後ろのポケットに入れ、イスから立ち上がった。  
「兄さん?」  
「今日は家政婦の千代子さんは休みで居ないし、母さんも遠方の親戚の家に行ってるから飯買ってこないと」  
「あ、それなら、私が作ります」  
 勿体ない。そんなの、私が作ればいいだけなのに。  
「いや、そんな体じゃ無理だろ。お粥ぐらいなら俺だってできるけど、それだけじゃ物足りないだろ」  
 主に俺が、と恥ずかしそうに付け加え部屋を出ていく。  
「あっ…ぅ、行ってらっしゃい…」  
 少し心配になる。交通事故に合わなければいいんだけど。  
 
そうして、兄さんが居なくなると急に部屋が広く感じるようになる。  
 実際広くなるわけは無いが、私にとって兄さんがどれほどまでに大きな存在か実感させられる。  
 今は兄さん玄関で靴を履いている頃だろう。  
 出来るだけ早く帰ってきてほしい。  
 やっぱり食事は私が作ろうか、今から駆け足で行けばまだ兄さんを呼び止めれるかもしれない。  
 そうだ。そうしよう。  
 私はベッドから立ち上がり、よろける足で黒塗りの廊下を歩いて部屋を後にする。  
 少し肌寒い。カーディガンを着てくればよかっただろうか。  
 そんなことを考えながら私は早足で玄関へ向かう。  
 兄さんの靴は無い。予想通りだけど、まだ外へ出れば道路の歩道を歩いてるかもしれないと期待を寄せて自分も靴を履く。  
「兄さん…!」  
 大き目に声を出し辺りを見渡すが、兄さんの姿は無い。  
 私を心配させないために早足で向かったのだろうか、…それはそれで嬉しい。  
 兄さんの行くあては大体分かるし、これから向かえば食べるものを選んでいる兄さんに会える。かもしれないけど、兄さんを心配させたくない。  
 仕方ないので、しぶしぶと玄関で靴を脱ぎ部屋へと向う。  
 しかし、リビング辺りでインターフォンが鳴り、私はどうせだからと玄関へと戻ってとびらを開けた。  
「…どちらさまでしょうか」  
 そこには知らない女の人が立っていた。  
「ぁ、あの…桜崎美代(さくらざき みよ)と申します」  
 第一印象は気が弱そう。これは誰が見てもそう思うだろう。  
 肩で切り揃えられた髪と眼鏡と、大事そうに抱えたノートがさらにそれを際立たせた。  
 土曜なのになぜ制服を着てきているのかわからないが、そのおかげで私と兄さんと同じ学校だということはわかる。なにかの部活か委員の帰りだろうか。  
「はい」  
「あの、あの…明人さん…はいらっしゃいますか?」  
 
 …兄さんはモテる。だからたまにこうゆうバカがいることを知ってはいたけど、まさか家に来るとは思わなかった。  
「……兄になにかご用でしょうか?」  
「妹さん…でしょうか? 明人さんは…」  
 イラつく…、その話が通じないのかこのバカは、その気の弱そうな態度も気に障るが、なにより兄さんを名前で呼ぶのが許せない。  
「兄なら居ません」  
「そう、ですか…じゃあまた来ます…」  
 また来る? そんなこと許さない。  
「すいません。御用はなんですか? 後で兄に伝えておきますから」  
「ぃ、いえ、いいです…」  
「ッ私は言ってくださいって言ってるんですけど…?」  
 なんなのだろう。ちゃんと教育を受けてないのだろうか?  
 会話さえまともに出来ないなんて、早く目の前から消えてほしい。でもまだ駄目だ、兄さんが帰ってくる前にコイツがまた来ないようにしなきゃ。  
 言葉に自然に力が入る。  
「その…」  
「妹の私に言えないようなことなんですか?」  
「いえ…! そんなことは、無いです。ただ、このノートを返したくて…」  
「…そうですか。では渡してください。私から兄に返しておきますから」  
 目に抱えられているノートの手を掛けようとする。  
「あっ…!」  
 でも、桜崎という名前のバカ一歩二歩と後ろに下がって私にノートを渡そうとしない。  
 奥歯が砕けそうだ。  
 辛うじてしている笑顔が解けそうだ。  
 
「こ、これはその…明人さんに直接会って渡したいというか」  
「私から渡したほうが早いです」  
「…お礼を言いたいんです…だから」  
「兄はもしかしたらそのノートがなくて困っているかも知れないんですよ。もし、そうだったらどうするんですか」  
 ここでそのノートを持って帰られたら、明日その口実で来る気だ。  
 今の内に取り返して置かないと。  
「そ、それは…」  
「渡してください」  
「じゃ、じゃあこで待ちま…」  
「渡してくださいと言っているんです!!」  
 素早く間を詰めて私はノートを奪い取る。  
 少し声が荒いでしまったが仕方ない。この女が渡さないから悪いんだ。  
「あ!」  
「なんですか?」  
「ぁ…ぅ…なんでも…ないです。か、帰ります」  
「…お気をつけて」  
 桜崎が見えなくなるまで見守り、私は玄関へと戻った。  
 いい気味だ。私と兄さんの空間に土足で入ろうとするからこうなる。  
 少し、疲れました。  
 兄さんも多分もう少しで帰ってくると思いますし、居間で休んで…。  
「あれ…?」  
 足に力が入らない。力んだせいかな、このままじゃ兄さんに迷惑が。  
 でもしばらくしても、倒れたときの衝撃は無かった。  
 逆に何かに支えられるてる様な感覚があった。  
「なにしてんだ由真、こんなところで、体調が悪化したらどうするんだ」  
「…兄さんにもっと、構ってもらえます」  
「バカ」  
「バカです。すいません」  
 ああ、優しい兄さん。  
 大好きです。愛しています。これからもずっと傍にいてくださいね。  
 

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