「…と、言うわけで、病気で休養中の浜田先生に代わって、  
しばらくの間、皆さんを受け持つことになる、福山敏則先生、だ。福山先生は…………」  
教壇で俺の隣に立つ、頭が見事にハゲあがった教頭が生徒に向かって俺の紹介をする。  
心臓の鼓動が激しい。よく、『口から出てきそうだ』とか言うが、まさにその通りだった。  
こんな気分、前の仕事時代でさえも、味わったことなんて無かった、ぞ。  
 
 
――ほんの一年ちょっと前まで、俺は某社に勤めるサボリーマンだった。  
だが、ある出来事を機に、教師への道を目指したのだ。  
はっきり言って、職場の同僚や上司には呆れかえられた。  
今更何を考えてるんだ、とか、お前にだと真っ先にサボリ方とかを教えられそうだ、とかな。  
そりゃあそうだよな。俺が彼らの立場なら、間違いなくそう考える。考えないほうがおかしい。  
 
特に、同期の同僚は大変なようだ。  
後輩を指導する立場で、さらに自分の仕事があり、おまけに俺の仕事を引き継ぐ、んだからな。  
お人よしな性格が災いして、仕事が山積みになる。……悲惨なヤツだ。  
 
まあ、同僚のことは今はどうでもいい。とにかく俺は、教員試験を受け、無事に合格した。  
で、俺が赴任されたのは、偶然なのか必然なのか、故郷とは隣町の田舎だった。  
もっとも両親はとっくに他界して、引き払っているから田舎でアパートを借りている。  
心機一転、頑張っていかなければ、な。特に今の俺には頑張れる理由が、ある――  
 
 
………それでは、福山先生、挨拶をどうぞ」  
「あ…は、はい、初めまして皆さん。福山と申します。先生、と言っても、  
教育実習の肩書きが取れたばかりの、いわゆる教師1年生みたいなものですので、  
至らない点が多すぎると思いますが、お互い楽しく勉強していきましょう」  
ハゲ教頭の言葉に、現実の世界に戻された俺は、昨日暗唱した言葉を述べる。  
もの凄く心臓がドキドキしているが、どうにか噛んだりしないで上手く話せた。  
「はい、それでは私はこれで。福山先生、よろしくお願いいたします」  
俺の挨拶を見届けたハゲ教頭は、満足そうな笑みを浮かべ、教室をあとにする。  
さて……と。これからどうしたものか………。  
 
「ねえねえ先生いくつなの?」  
「結婚しているの!?」  
ハゲ教頭が姿を消した途端に、生徒からの声。あらためて、俺は教室を見渡した。  
田舎だけあって、生徒は多くない。せいぜい20人ほど、だ。  
しかしまあ……いきなりこれか。ま、俺も子どもの頃ならそういう質問をする、だろうな。  
「そうですね……年は……幾つに見えるかな? それと参考までに結婚はしてません」  
………飲み屋の女の子相手にしてる台詞だな。心の中で苦笑いしながら、そう答える。  
 
 
「えー、ずるーい」  
「えっとね、18歳くらいですか?」  
「バッカ、そんな年で先生になれるはずがないだろ。30歳くらいですよね?」  
「いやあ……どう見てもそんな年に見えないよ。せいぜい23歳くらいでしょ?」  
 
俺の言葉に、好き勝手に子どもが答える。………正解は…残念ながら、この中にはない。  
もっとも、正解に一番近いのは「バッカ」と言った子、なのだが。  
 
「まあまあ、僕の年は後のお楽しみとして、この学校について、教えて欲しいんだけれど――」  
「えっとね! この学校を語る上で、忘れてはならないのがね!」  
 
半分、答えを逸らす回答だったのだが、嬉々として話し出す生徒がいた。  
俺は聞き役に回って、その生徒の話を聞いていた――  
 
 
「ふう……どうにかこうにか…か」  
帰り道、クルマを運転しながら溜め息をつく。  
今日は一日、お互いの顔見せということで、授業には入らなかった。  
明日から本格的に、授業を行なうことになるわけだが、まあどうにかなるだろう。  
勉強を教えることについては、すでにあるお墨つきを頂いてるわけだから。  
だが、それよりも大事なのは、生徒の心を無事掴めるかどうか、にあると思う。  
「しっかし……学校の四不思議…ねえ」  
信号待ちでタバコに火を点けながらつぶやく。  
色々な話題で盛り上がってはいたが、一番盛り上がったのが、怪談の話だった。  
特にこの学校では、怪奇現象と思われる出来事が四つほどあるらしい。  
まあ、どこの学校でもそういう話はあることだから、話半分にしか聞いてはいなかったのだが。  
それにしても、普通は七不思議だろうに、少なめの四不思議というのが如何にもそれらしい。  
 
やれ音楽室で夜中にピアノ演奏がなされるとか、体育館で誰かが遊んでいるだとか、  
理科室の骸骨が夜中に走り回るとか、美術室の彫刻の目が動くとか……  
 
俺は首を振りながら、クルマを発進させた。ま、所詮噂は噂だ。  
もっとも、万が一実在したとしたっておかしいとは思わない、がな――  
 
 
「ふう……ただいま」  
「おかえりなさい、敏則さん! どうでしたか、挨拶は? 失敗とかしませんでしたか?」  
家に着いて玄関を開けると、エプロン姿の夕那がパタパタとかけてくる。  
「ああ、上手くいったよ。夕那のおかげだよ。どうもありがとう」  
「そうですか、それは何よりです! ところで…夕食は食べますよね?  
敏則さんの門出を祝って、今日はご馳走ですよ!」  
「ああ、何だかいい匂いがするね。楽しみだな〜」  
返事をする俺に、屈託の無い笑顔で笑いかけてくれる夕那。  
だが実は、まったく普通の女の子に見える彼女が、すでにこの世の者ではなかったりするのだ。  
しかし、そんなことはまったく気にはならなかった。  
元々、教師になろうと決めたのは、彼女のひとことがあったからだ。  
そう。この微笑みがそばにあれば、今の俺は何だって頑張れる。  
上機嫌で鼻歌を歌いながら、部屋に向かう夕那の後ろ姿を見て、俺は思っていた。  
 
「ほおう。これはまた、何とも豪勢な……」  
テーブルについた俺は、思わず感嘆の声を漏らす。  
ご飯と刺身の盛り合わせ――しかも、鯛の姿盛りつき――に、  
松茸のお吸い物、それと……ピザ? 和食風な食事の中に何故?  
「あははっ。何だか、美味しそうだったので、思わず頼んでしまいました。ま、海鮮繋がりってことで」  
怪訝そうな顔をする俺に、ペロリと舌を出しながら夕那が答え、チラシを差し出す。  
 
〜ピザバット特別メニュー 海鮮エビカニ親方 ソースは黄昏デス〜  
 
ううん。確かに香ばしい香りが食欲をそそる。  
だが…それにしても、何て名前のピザだ……俺は思わず苦笑いを浮かべていた。  
 
「……えっと………、それでですね、敏則さん」  
「ん? ああ、何かあった?」  
ご飯を食べていると、夕那がもじもじしながら俺に話しかけてくる。  
俺は顔をあげ、聞き返した。  
「実は今日、買い物に行っている時に神社を見つけたので、これを買ってきたんです」  
出来れば……その…ずっと…持っててくれれば嬉しいな…って……」  
顔を赤らめながら、俺に向かって手を突き出しながら夕那は言った。  
その手には、恋愛成就のお守りがある。  
「へえ…神社、かあ。そろそろ正月だし、今度一緒に拝みに行ってみようか?」  
「ホントですか!? 敏則さん、私すっごく嬉しいです!」  
夕那からお守りを受け取りながら、返事をした。  
すると、夕那は顔をぱっと輝かせ、俺の首にしがみついてきた。  
俺は、そんな夕那をぎゅっと抱きしめながら、そのままゆっくりとくちづけを交わしていた――  
 
 
「やっぱり…まだ怖いのかい?」  
「は…はい……」  
風呂の椅子に腰掛ける夕那の背後に回り、ゆっくりと語りかけた。その体は多少ブルブル震えている。  
無理も無い。夕那は、かつて母親に殺され、給水塔に投げ捨てられていた幽霊だったのだ。  
水仕事程度ならば、気にしている様子では無かったが、雨だとか風呂だとか、  
大量の水を目の前にすると、体がそのことを思い出してしまって、震えてしまうようだった。  
「ん。分かったよ。そのままじっと目を瞑っていればいいさ」  
「わ…わかりました。……すみません、敏則さん……」  
詫びの言葉を述べる夕那の頭をそっと撫でながら、俺は腰掛けた。  
ま…それはそれで、俺も十分楽しめるんだがね…。  
石鹸を手に取って泡だてながら、俺はよからぬ考えが浮かび上がっていた。  
 
「あんっ。く、くすぐったいです……」  
「まだまだ。動いちゃダメだよ、洗っている最中なんだから」  
背後から、夕那の胸を揉みしだく。夕那は俺の手を掴み、軽く抵抗の声をあげる。  
だが当然の事ながら、こんなことで止める俺では無い。  
揉み心地に多少、難が無くも無いが、気になることではない。  
問題は生きた反応、だ。……死んでいる、とか余計な突っ込みは入れないように。  
「あは…あ……あん…あんっ……」  
夕那の口から艶っぽい声がこぼれだし、胸の頂が硬度を増していく。  
頃合を見計らった俺は、右手をゆっくりと下ろしていった。  
「あふ…く……くすぐったい…です……」  
下腹部から太ももにかけて、ゆっくりと撫で回す。夕那は軽く身をよじらせながら、つぶやく。  
俺はさらに、夕那の割れ目に右手を潜り込ませた。  
「あ! ああんっ! ダ…ダメですうっ!!」  
たちまち、夕那の口から抵抗の声が漏れだし、ぎゅっと両足を閉じ合わせる。  
だが、あまりに艶っぽいその声は、言葉とは裏腹に俺の獣性を目覚めさせるのに十分だった。  
 
「何がダメなのかな? こんなにしちゃっているのに、さ?」  
夕那の中は熱く、石鹸の液とは違う液体で満ちていて、俺が指を動かすたびに、くちゅくちゅと音がする。  
俺は夕那の耳たぶに軽く歯を立てながら、呆れるようにささやいた。  
「あう……そ…それ…は…あ、あはあんっ!!」  
段々、夕那の顔が真っ赤に染め上がり、その手がだらりと垂れ下がってきた。  
そんな変化を見逃さず、俺は夕那の両足を掴み、大きく広げた。  
「い…いや! いやああっ!」  
まるで、おしっこをさせられるような体勢になった夕那は、両手で顔を押さえながら悲鳴をあげる。  
だが、その声からは、本心で嫌がっているようには見えないのを感じ取った俺は、さらに言葉を続ける。  
「いやってことはないだろう? ほら、鏡にもちゃんと映っているし」  
「だって…だって……恥ずかしいです…」  
俺の言葉に首を弱々しく振りながら、ぼそぼそとつぶやく夕那。もう、ひと押しかな?  
「それに、さ。こっちからは、石鹸を使ってもいないのに、どんどん熱い液体が溢れているんだよ?」  
「あんっ! そ…それ…は……、あ……あふう…あふ…っ……」  
再び夕那の割れ目に指を何本か潜り込ませながら、ゆっくりとささやく。  
もはや夕那の顔は、ゆでだこのように真っ赤になり、その声からは喘ぎ声しか漏れ出していない。  
そろそろ、限界かな? そう思った俺は、潜り込ませている指の動きを激しくさせた。  
「あっ! ああんっ! あんっ! 敏則さん! ダ…ダメです! 夕那! 夕那! もう、もう……!」  
夕那の声が少しずつ断続的になってきた。全身は指の動きに合わせ、ビクビク震えている。  
「ああっ! ああああんっ!!!」  
スパートとばかりに、割れ目の先端にあった豆を軽く摘み上げた時、  
夕那は叫び声をあげながら、全身を弓なりにさせ、絶頂に達していた――  
 
「はあ…はあ……はあ…はあ…」  
「夕那……。大好きだよ……」  
未だ肩で息をする夕那を抱きしめ、耳元でつぶやいた。  
夕那は、ピクンと体を震わせたかと思うと、ゆっくりと手を重ねてくる。  
鏡越しにうつむく顔を見てみると、頬を赤く染め、目は依然として固く閉じあわせていた。  
「あっ…敏則…さん……」  
そんな仕草に、たまらなくなってきた俺は、夕那を床に寝かしつける。思わず声をあげる夕那。  
だが、俺が何をするか察しているのだろう。彼女自ら、ゆっくりと両足を広げ始めた。  
くちゅ…にちゅ……っ……  
「ああ…はあ……んっ…」  
モノの先端を、夕那の割れ目に押し入れる。  
夕那の中は、すでに熱い蜜で満たされ、腰を動かすたびに湿った音が響き渡る。  
俺はその音に刺激を受けながらも、円を描くようにゆっくりゆっくりと腰を動かし続けた。  
 
ぐちゅ…ちゅっ……  
「あは! あ! ああんっ! ………と…敏則さん?」  
喘いでいた夕那が突然、ぱっちりと目を見開いて俺を見つめ返す。その目にはかすかに疑問の色が見える。  
無理もない。さっきから俺はモノの先端部分だけを割れ目に押し当て、中へと挿入してはいないからだ。  
ぬちゅっ  
「あんっ! と、敏則さん!?」  
モノを引き抜くと、再び夕那は俺の名を呼ぶ。先程よりも明らかに動揺した表情で。  
そんな夕那の顔に、思わず胸の鼓動が高まるが、冷静に自分のモノの状態を確認する。  
――よし、十分濡れてるな――そう感じた俺は、モノをゆっくりと夕那のすぼまりに押し当てた。  
「と、敏則さん!?」  
ようやく俺の意図を感じ取った夕那は、キュッとすぼまりを閉じながら叫んだ。  
俺は、委細構わずにモノを中に潜り込ませようとして――  
 
「敏則さん! い、嫌あっ!!」  
絶叫に近いような声で、夕那が叫ぶ。狼狽した俺は、思わず腰を引いてしまった。  
「ゆ…夕那……。やっぱり…こっちは……駄目か?」  
おずおずと問い掛けてみる。夕那は顔を真っ赤に染め、目を固く閉じたまま、コクンと大きく頷いた。  
「あ…当たり前です。夕那は…夕那は敏則さんが大好きですけれど…お、お尻なんて……」  
「ご…ごめん……」  
今度は、さっきまでと違って本気で嫌がっている――そう思った俺は、素直に詫びの言葉を述べた。  
 
実際、普通の人間と何ら変わりなく過ごしているが、一応夕那は幽霊だ。  
夕那が、それを自覚しているのかどうかは分からない。  
だが、あえて聞こうとはしなかった。いや、正確には聞けなかった、のだ。  
また、夕那が本気で嫌がることは、絶対にすまいと自分に言い聞かせていた。  
その途端に、夕那が幽霊であることを思い出し、俺の前から消えてしまいそうな気がして。  
 
「あ…あの? 敏則…さん?」  
「え? あ、ああ……」  
俺を呼ぶ声が、現実の世界に引き戻そうとする。  
つい反射的に返事はしたが、半分状況が飲み込めていない。  
「敏則さん……怒って…ますか?」  
「怒っている? 何で……?」  
再び俺を呼ぶ声がする。目の前には、心配そうに俺の顔を覗き込んでいる夕那の顔がある。  
俺は夕那を安心させようと、出来るだけ穏やかに答えた。  
「だ…だって……敏則さん…お、お尻に…い、挿れようとするのを……夕那、嫌がって…それで……」  
夕那は、さっきまで赤かった顔をさらに真っ赤にさせながら、ぼそぼそとつぶやく。  
その恥ずかしげな顔に魅かれたのか、俺は声を出すことが出来なかった。  
「で、でも……夕那、敏則さんのこと、好きですよ。す…好きだから、あの…その……だから……  
こ…こっちなら……い…いくらでも……」  
自ら割れ目を広げながらつぶやく夕那のひとことに、俺は完全に理性が弾け飛んでいた。  
「きゃあっ! と、敏則さ……あ…はあっ!!」  
無言でモノを夕那の割れ目に押し当て、ひといきに突いた。  
夕那の、悲鳴とも喘ぎともつかない声が聞こえたが、気にならなかった。いや、出来なかった。  
「夕那…夕那……」  
「と…敏則さん……敏則さあん………はあ…あ」  
腰をひたすらに突き動かしながら、夕那の名を呼び続ける。  
夕那もまた、俺の名を呼び続けていた。ふと見ると、夕那の手が床にだらりと垂れている。  
俺は上半身をゆっくりと前に倒し、夕那の手を握り締めた。  
「………と、敏則さん……」  
「…ゆ…夕那……夕那……」  
夕那がぱちっと目を開けたかと思うと、俺の手を握り返す。  
その温もりと彼女の微笑みに、一種の安堵感を覚えた俺は、腰の動きをさらに早めていた。  
 
「あ…ああ……あ…あ…と…敏則さん! ゆ、夕那! 夕那! もう…もう!!」  
段々、夕那の声が甲高く、途切れ途切れになってきた。  
握り締める手にも、力がこもっている。  
俺は腰の動きはそのままに、そっと夕那のうなじに舌を這わせだした。  
「敏則さん……夕那…夕那……は…あ…ああ…あっ…あああ……あああんっ!!」  
夕那の口から嗚咽が漏れ、歯がガチガチと鳴り響いたかと思うと、  
全身をビクビクと震わせながら、夕那は絶頂に達していた。  
「ゆ……夕…那……」  
「あは…あ……ん……と…敏則さん…敏則…さん……」  
夕那の絶頂を確認した俺は、腰の動きを緩め、代わりに奥深くまで突き入れていた。  
うつろな目で、夕那は俺を見つめながら、俺の名を呼び続ける。  
まだ俺は達していないが仕方ない、か。  
急に理性が戻ってきた俺は、夕那からモノを抜こうと腰を引き――固まってしまった。  
夕那が両足を絡ませ、がっしりと俺を捕縛していたのだ。  
 
「ゆ…夕那?」  
「敏則さん……夕那の…夕那の中に……敏則さんの、あ、熱いの…ほ……欲しいです…」  
思わず夕那の顔を見つめ返すと、振り絞るような声で彼女は答えた。  
「いい…のか?」  
わずかに残った理性が、質問の言葉を紡ぐ。  
もっとも、それは言葉だけで、すでに頭の中には夕那と繋がっていたい、  
夕那の中に出したいという、欲望に忠実な思いしか残っていなかった。  
「………………。…あ、はああっ! と、敏則さあんっ!」  
無言で頷く夕那の姿を目にするや否や、俺は腰の動きを再開した。  
途端に、夕那の声が響き渡る。だがそれでも、今度は腰の動きを緩めることはなかった。  
「…敏則さん……敏則…さん……」  
「……夕…那…夕那…愛してる…愛してる……夕…那っ……」  
お互いの名を呼び合いながら固く抱きしめあい、それと連動するように腰の動きが増してくる。  
「敏則…さん…あ……あんっ…ゆ、夕那も……夕那も、敏則さんを愛していま……す…あ…ああんっ…」  
「夕那……夕那あっ……夕那っ!!」  
「愛してる」という呼びかけに、夕那が応えてくれたとき、  
俺の喜びと快感は頂点に達し、絶叫しながら夕那の中に思いの丈をぶちまけていた。  
 
 
「敏則…さん……」  
「…な、何?」  
絶頂に達し、腰の動きを緩めている俺を見つめながら、足を絡ませたままの夕那がつぶやく。  
思わず、体をビクンとすくませながら、返事をしてしまう。  
「……今日は…ずっとこうしていて…いいですか……?」  
「俺は構わないけれど……いいのか?」  
しばらく逡巡していたかと思うと、夕那はポツリとつぶやいた。  
が、俺の返事に目を丸くさせている。  
「い、嫌なんですか? 夕那と一緒にいるの?」  
「そうじゃないさ……。風呂場にいるのが…慣れたのかい? ってこと、さ」  
心配そうな顔で見つめる夕那に俺は答えた。  
「え…あ……こ、怖いです…。で、でも…敏則さんと一緒なら、夕那、大丈夫です!」  
急に照れくさくなった俺は、誤魔化すように夕那を強く抱きしめ、くちびるをそっと塞いでいた――  
 
 
 
「もし、そこのあなた、幽霊に取り憑かれておりますね」  
数日後、街中を歩いていると、そんな声に呼び止められた。  
ぎょっとして思わず振り返ると、そこにはタロットカードを広げた占い師がいた。  
「とりあえず、そこに掛けてください。……隠されても分かりますよ。  
あなたの家には幽霊が、それも普通ではない死に方をした娘がいますね」  
目深に被ったフードからは目しか見えず、その表情を伺うことは出来ない。  
また、声も作ったような感じがして、男なのか女なのか、若いのかどうかも分からない。  
そんな怪しい雰囲気に、それこそまるで何かに憑かれたかのように、  
占い師の手招きのままに椅子に腰掛けた。  
「それでは何故その幽霊が、あなたに取り憑いたか。それを説明してもらいましょうか」  
俺は、占い師に言われるがままに、夕那と出会ったときから今までをかいつまんで話した。  
もちろん、関係を持っていることは伏せて、だ。  
 
「ふうむ。今のところ、害を及ぼしてはいないでしょうが…生者と死者……か。…やはり……な」  
「な、何があるというのですか?」  
タロットカードをめくりながら、何事かつぶやく占い師。  
意味深な言葉に、俺は思わず質問していた。  
「そう…ですね。あなたは生きていて、彼女は亡くなっている。両者は本来、相容れぬものです。  
それでも彼女が、そのままあなたのそばにいれば、やがて2人の未来は…これ、ですね」  
言いながら、一枚のカードを俺に見せる。そこには塔の絵が描かれている。  
「多分、あなたはタロットの意味を理解していないとは思いますが…これは『破滅』を意味しています」  
「そ…そん……な…」  
占い師の言葉に、俺は声をまともに出すことが出来なかった。  
破滅…だって? 俺だけでなく…夕那までも……が!?  
「ただ…もしかしたら、私でも御力になれることが、あるかもしれません……。っと。  
もし、その気になられましたならば、今から……うん、5日後、この街の外れにある祠にお越しください」  
カードを何枚か捲りながら、言葉を続ける占い師。  
だが、占い師の言葉は半分以上、俺の耳に届いてはいなかった――  
 
 
「なあ…夕那」  
「はい? どうしましたか? 敏則さん」  
大晦日、テレビ番組を見て年越しそばを食べながら、俺は夕那に話しかけた。  
「あの……さ。そろそろ新年だろ? だから…初詣にでも行かないか? と思ってさ。  
いつか言っていたじゃないか。お守りを買った神社がある、って」  
「そうですね、そうしましょう! そうと決まれば急いで支度しないと!」  
俺の問い掛けに、夕那はぱっと顔を輝かせて、大急ぎでそばをすすりだした。  
 
一方の俺は、例の占い師の言葉を受けてから、ずっと悩み続けていた。  
いよいよ指定された日は明日。いわゆる元日まで迫っていた。  
占い師が何者で、俺たちに対して何をしようというのかは、全然分からない。  
そんな胡散臭そうなのを相手にして大丈夫なのか? という不安も無いわけでは無い。  
最初から信じたりしなければそれでいい、そう考えたこともあった。  
だが俺を見て、俺が幽霊である夕那と一緒に暮らしていることが分かったということは、  
世に言うインチキ占い師とは違う、『何か』を持っているのだろう。…多分。  
 
また俺自身、夕那とこのまま暮らしていてもいいのか? という疑問を抱いていたのも事実だった。  
俺は夕那のことを愛している。もちろん、幽霊であるなんてことは関係ない。  
それどころか、夕那に出会ってからというもの、人生が充実しているように感じられる。  
夕那とは絶対に別れたくはない、不幸な目には遭わせたくはない。偽らざる俺の気持ちだった。  
だが逆に、そんな俺のエゴが原因で、夕那は成仏できないのではないか、とも思い始めていたのだ。  
 
「どうしたんですか、敏則さん? 夕那、支度できましたですよ?」  
「あ、ああ悪い。それじゃあ…行くとしようか」  
突然、夕那の顔が視界に飛び込み、現実の世界に戻ってくる。  
気を取り直した俺は、首を振りながらゆっくりと立ち上がった。  
 
 
「はあ〜っ、寒いですねえ。人もだ〜れもいないし」  
「ああ、そうだな」  
神社に着いて、夕那がひとこと。確かに人っ子一人、いやしなかった。  
さすがに小さな町だから、誰も夜中には出歩かないのかもしれない。  
それとも、年末のテレビ番組がそんなに面白いのかねえ?  
俺は夕那に返事をしながら、なんとなくそんなことを考えていた。  
 
ゴーン…… ゴーン……  
 
「あっ、除夜の鐘です。………敏則さん。あけましておめでとうございます!」  
「ん。夕那、あけましておめでとう、今年もよろし…む……んんっ……」  
除夜の鐘が聞こえたと同時に、夕那がペコリと頭をさげて元気よく俺に挨拶をする。  
俺も挨拶を交わそうとしたが、最後まで言うことが出来なかった。夕那が、そっとくちづけをしてきたからだ。  
「んん……んっ、敏則さん。夕那、敏則さんのこと、大好きですからね!」  
「ああ。俺も夕那が大好きだ。…愛してるよ」  
くちびるを離し、夕那が笑顔を見せながら宣言する。  
先刻までの葛藤はどこへやら、俺はその言葉に応えるように、夕那を強く抱きしめた。  
 
「さて、おみくじを…って、さすがに誰もいないから、それは無理ですかあ。しっかたないですねえ」  
「ま、静かでいいじゃない。それより…お参りしようよ」  
ぱっと体を翻し、きょろきょろと辺りを見渡すが、当然ながらこの時間は誰もいない。  
舌をペロリと出して残念そうにつぶやく夕那を見て、俺は軽く肩をすくめながら答えた。  
 
「さって、お賽銭お賽銭…っと」  
俺たち二人は寄り添いながら賽銭箱の前に立った。  
「お、おい夕那。これから拝むんだから、手を離さないと」  
と、賽銭を出そうと懐をゴソゴソしていて、俺の腰に手を回している夕那に言った。  
「ええ〜っ? 気にすることは、ありませんですよお。ほら、こうすればいいでしょ?」  
「へ?」  
少し大袈裟に驚いた表情を見せた夕那は、空いている左手をぱっとかざす。  
俺は夕那の仕草の意味が分からずに、ぽかんとした表情で思わず問い返した。  
「も〜う、鈍いんですからあ。敏則さんの右手で合わせれば、柏手は打てますよ。ね?」  
軽く頬をぷくっと膨らませたかと思うと、白い歯をニカッと見せて笑いながら言った。  
「それとも……私といるの、イヤになりましたかあ?」  
「い…いや、そんなハズはないだろう。ただ…神様のまん前でも、こうってのは………」  
俺の顔をじっと見据えながら、夕那は俺に問い掛けてきた。  
口調こそ明るかったが、腰に回していた手がビクンと硬直し、顔色は不安げな色に染まっている。  
そんな夕那を安心させようと、肩を抱いていた手で軽く頭を撫でながら答えた。  
「なあんだ、そんなこと!」  
俺が答えると、夕那は顔色をぱっと明るくさせ、あっけらかんとした声で答えた。  
 
「だって、この前のお守り買ったの、ここの神社ですよお。だったら、大丈夫じゃないですかあ」  
一瞬、あっけにとられた顔で夕那を見ていると、にっこり微笑みながら言葉を続けてきた。  
ああ、そうか。そういえばそうだよなあ……。  
俺は夕那に貰い、胸にぶらさげていたお守りを、服の上から握り締めた。  
 
チャリン、コロコロコロ…  
 
「ん。わかったよ。それじゃ、お参りしようか」  
「はい、わっかりました!」  
夕那の言葉に納得した俺は、500円玉を賽銭箱に放り込み、右手を差し出した。  
それを見た夕那は元気よく返事をし……  
 
パン パンッ  
 
二人で柏手を打ち鳴らし、そのまま礼をした。と、夕那が指を曲げ、俺の手をぎゅっと握り締めてきた。  
「ゆ、夕那?」  
「敏則さん……ずっと…ずっと一緒にいてくださいね…」  
俺が突然のことに驚いていると、夕那は俺のほうに頭をもたれかかせながら、消え入りそうな声でつぶやく。  
ああ、俺だってそうしたいさ。でも…な――俺は上手く返事が出来ず、代わりに夕那の手を強く握り返した。  
 
「さあって、敏則さん。初詣の願い事って何でしたかあ? 夕那はですねえ…」  
「ちょ、ちょっと夕那。願い事ってのは普通、口に出したら叶わないもの、なんだよ」  
神社をあとにしながら、腕を組んでいた夕那が俺に向かって話しかける。  
俺はそっと、夕那のくちびるに人差し指を添えながら忠告した。ま、それは何かの迷信なんだろうけど。  
「わ、分かりました。それは一大事です。夕那、絶対に口にはしません」  
「まあ、それがいいだろうね。ところで…ちょっと寄りたいところがあるんだけど…いい?」  
夕那は俺の話を聞いて、少し慌てた様子を見せながら、「口にチャック」の仕草をした。  
そんな夕那の立ち居振る舞いに、思わず笑みがこぼれる。  
どうしても、夕那の天真爛漫な姿を見ていると、決意が薄れてしまう。  
だが今夜こそは、はっきりさせなければならない。俺は覚悟を決め、夕那に問い掛けた。  
「もちろんです! 夕那、敏則さんの行くところなら、どこでも着いていきますよ!」  
はしゃぎ声をあげながら、頭を俺にもたれかかせる夕那。  
そうさ……神様にも祈ったんだ。悪いことになんて、なるはずがないさ……。  
 
「やってきましたか……」  
街外れの祠に夕那とともに現れた俺を、数日前に出会った占い師が出迎える。  
依然としてその表情はフードに覆われ、感情が見えない。  
「と、敏則さん……ど、どういうこと…ですか?」  
夕那が俺の袖を引っ張りながら、俺に向かって問い掛ける。その顔は疑問の色に染まっている。  
それも無理は無い。何せ夕那には、ここに来た理由など一切話してはいなかったからだ。  
「どういうことも何もない、ですよ。所詮、あなたは死者で彼は生者。一緒にいれるはずがないでしょう?」  
「ちょ、ちょっと待てよ。だったら…だったら俺たちをどうする気、なんだよ?」  
占い師はくちびるを歪ませ、悠然と語る。  
初めて見せた感情らしきものに、寒気を感じながら、俺は占い師に向かって言った。  
「別に、あなたをどうこうする気はありません。……用があるのは、彼女、です!」  
 
ザクッ  
 
占い師の言葉に、身の毛がよだった俺は次の瞬間、夕那を抱きかかえて飛び退った。  
同時に何かが空を切り、俺の腕をえぐった。  
「ぐ…く……」  
「と…敏則さん! 敏則さんっ!!」  
腕に鈍い痛みを感じ、その場所を手で押さえる。夕那の俺を気遣う絶叫が聞こえる。  
「あ〜あ……。じっとしていれば、あなたが傷つくことは無かったのに……」  
如何にも残念、という声が舌打ちとともに聞こえる。  
声がした方向を見上げ――俺は声を失った。そこには、悠然とたたずむ占い師がいる。  
さっきまでとは違い、フードを取り去ったその顔は、ぞっとするぐらいに美しい。  
だが、それ以上に俺が驚愕した理由は、彼女が手にしていた大きな鎌を見て、だった。  
その姿はまるで……。  
 
「……まさか…まさか死神……なのか?」  
「そうです。死者である、彼女を迎えに来たのですよ。未だに成仏できない幽霊を、ね」  
俺のつぶやきとも言えるような声に、彼女――死神は答えた。  
ちょ、ちょっと待てよ。あんたが力になれること……って…。  
「言ったはずですよ。生者と死者は、所詮相容れぬものだ、と。  
ああ、もちろんあなたには感謝してますよ。わざわざ彼女をここに連れてきてくれて」  
「えっ!? と…敏則さん……そ、それって……それって…」  
呆然としている俺に、死神が語りかけてくる。が、その声に反応したのは夕那だった。  
「敏則さん……敏則さんは、夕那が…夕那が、邪魔になったのですか? そばにいちゃ、ダメなのですか?」  
「違う! 違うよ夕那! 俺は、俺は夕那が邪魔だと思ったことはない! ……信じてくれ」  
夕那は、震える声で俺に話しかけてきた。その目には大粒の涙が浮かんでいる。  
俺は夕那の肩を抱き、彼女の目を見据えながら言った。  
「ホント……ですか? では…あの人が言ってることは……?」  
「俺を信じてくれ。彼女が…彼女が『力になる』とか言うから、ここに来ただけなんだ」  
疑問の色に染まる夕那に、俺は必死に答える。と同時に、死神に対して怒りがこみあげてきた。  
「なああんた。今さら夕那を成仏させて何になる、というんだ?  
このまま、俺たちが一緒にいることに、どんな不都合があるっていうんだ?」  
「…………」  
夕那を抱きしめながら、死神に向き直るが、死神は薄笑みを浮かべたまま、返事をしようとしない。  
 
「フン、返事が無いのなら話にならないな。俺たちはこのままでいい、……」  
それじゃあな、と捨て台詞を吐こうとしたが、最後まで言うことが出来なかった。  
突然、死神の目が怪しく光ったかと思うと、体の自由が利かなくなってしまったのだ。  
辛うじて動く目で夕那を見ると、彼女もまた同じように身動きが出来ないようで、俺をじっと見つめていた。  
「そこまでですね。大丈夫ですよ、お互いの今までの記憶は、ちゃんと消し去ってあげますから。  
悲しいのはそれで終わり。出会ったこと自体、すべて『無かったこと』にして差し上げますよ」  
薄笑みを浮かべ、鎌を大きく振りかぶりながら、死神はゆっくりと宣言した。  
ふ、ふざけるな! 夕那と出会ったことまで忘れてしまうだと!?  
――そう叫ぼうとしたが、それすらもできなかった。  
そんな俺に出来ることと言えば、その手に抱きしめている夕那をじっと見つめながら、  
彼女の温もりを感じ取ることだけだった――  
 
「…………?」  
いつまで経っても「その瞬間」は現れなかった。…いったい何が……?  
依然として、体を動かすことは出来なかったが、目だけを死神のほうに向け――唖然としてしまった。  
そこには死神のほかに、彼女の鎌を素手で抑えている、琵琶を抱えた女性がいたからだった。  
「な…何者だ? 何ゆえに我の邪魔をする?」  
「何者と言われても……通りすがりの弁天ですが」  
死神は怒りを押し殺した声で、女性に語りかけた。一方の女性は悠然とした様子で答える。  
………べ、弁天だって!? しかも通りすがりって……。  
いや…確かに幽霊や死神がいるこの御時世、弁天様がいても不思議では無い。が、しかし…。  
「べ…弁天殿が何故に我の邪魔をする。その娘は既にこの世の者ではないのだぞ」  
「そうですか。……でも、お二人愛し合ってるようですし……」  
弁天と聞いて、死神は鎌を引っ込めたかと思うと、夕那を指差しながら言った。  
「愛し合っているとかどうとかは関係など無い。この世の者でないのをあの世に送るのが我の役目だ。  
なに、心配なさることはない。こう見えても、これが初めての経験ではない。  
今までにも何度もこういう出来事はあったから、二人の記憶を消すのには自信がある。  
皆、相手のことなど綺麗に忘れ、それぞれの道を歩んでいる。……問題などはない。  
さて、弁天殿。邪魔立てするとならば、たとえ弁天殿であろうと………」  
あくまで悠然としている弁天様の態度が気に障ったのか、  
声に静かな怒気がこもってきた死神は、鎌を弁天様の咽喉元につきたてた。  
「ふうん。お役目、ですか……」  
しかし、弁天様は死神の鎌にたじろぐことなく、目を閉じてふうーっと  
長く息を吐いたかと思うと、ぽつりとひとことつぶやいた。  
「そうだ、我の役目だ。分かっていただけた………か?」  
弁天様の言葉に、死神は安堵の声を漏らす。だが、その声も途中で止まってしまった。  
無理も無い。弁天様は再び鎌を手に取ったかと思うと、たやすく柄を折り曲げてしまったのだから。  
「!?」  
柄が折れ曲がったと同時に、体が動くようになった。  
だが俺は、すぐにその場を立ち去ることができず、夕那を抱きしめたまま事の成り行きを見守ることにした。  
 
「な、何をなさる! 御乱心あそばされたか!?」  
「わたくしは至って平静です。どうかお気遣いなさらずに………。  
それよりも…あなた、彼女をあの世へ送るのがお役目、と申しましたね。  
ならば……あなたと私のお役目は、相反することになります。  
今すぐに、ここから立ち去っていただきましょうか」  
鎌を折り曲げられ、初めて動転した表情を見せる死神に、  
弁天様は相変わらず悠然と、それでもきっぱりと意思を込めて言った。  
「な…なな…! 何故だ! 乱心でないとすれば、何故に我の邪魔をする!?」  
「言ったはずですよ…お役目だ、と………」  
動揺したままの死神に、弁天様は答えながら足を一歩前に踏み出した。  
「わたくしは毎年、最初に社まで参拝頂いた方の、願いを叶えることにしているのです。  
今年の最初の参拝者は、そこの二人……。それをみすみす反故にするわけにも、参りませぬ。  
……それに…私のお守りまでも、携えていただいているのですから、ね」  
弁天様の言葉を聞いて、はっとなった俺は、夕那から貰ったお守りを懐から出してみた。  
お守りを見てみると、確かに”恋愛成就”と書かれたその隅に、小さく弁天様の絵柄が描かれている。  
でも…でも、確か弁天様って……?  
「ど…どういうことだ! 芸術の神にして縁切りの神でもある、弁天殿が……!」  
「そう…ですねえ。ここの宮司は少々変わり者、でしてね。  
わたくしが焼きもちを焼けば妬くほど、男女の仲が深くなるのを見て、  
『いっそ、恋愛成就の神様になってしまえ』とか言い出す始末なのですよ……」  
俺と同じ疑問を持ったようで、死神は弁天様に向かって質問を投げかける。  
弁天様は左手を右肘に添え、右手の人差し指を頬に当てたかと思うと、小首を傾げながら答えた。  
 
「な…な…なな……と、途中でそんな簡単に……」  
呆気にとられた表情で死神がつぶやく。それはそうかもしれない。  
声が出せずに呆然としていたのは、俺たち二人も一緒だった。  
「そうですねえ。この国は八百万の神がいますから、司るものも結構曖昧なものなのですよ。………それより」  
「…な……な?」  
弁天様はおっとりとした表情で、死神のつぶやきに答えたかと思うと、ころりと表情が変わった。  
突然のことに、さしもの死神も戸惑っているようで、思わず後ずさっている。  
「先程彼が質問したことに、あなたは答えていませんね。今さら彼女を成仏させて何になるのですか?  
彼らが一緒にいることに、なんの不都合があるというのですか?」  
「うぐ…そ……それ…は…………」  
後ずさる死神を追いかけるように、弁天様は足を踏み出しながら問い掛ける。  
 
「まあ、いいです。答えたくないのか、それとも答えられないのか。そこまで興味はございません。  
ただ……わたくしの問いに答えがないのならば、わたくしのお役目を邪魔する理由もありませぬ、ね」  
「あ……う…」  
ふっと軽く息を吐き、腕組みをしたまま首を傾げる弁天様。  
悠然とした様子はそのままだが、背中越しに見ている俺たちにさえ、彼女から威厳のようなものを感じる。  
顔を見合わせている死神にとって、彼女の威圧感は圧倒的なものだったのだろう。  
死神は、ただただ声にならない声を発しながら、後ずさるのみだった。  
「二度とは言いませぬ。………退きなさい」  
「…こ……後悔しますぞ。い…一時の判断で………」  
さらに一歩前に足を踏み出す弁天様。とうとう死神は捨て台詞を吐き残し、姿を消してしまった。  
 
「ふ〜う。さて、と……」  
「あ…ああ……、そ…その…ええっと……」  
首を何回か軽く振ったかと思うと、弁天様はゆっくりと振り返りながら、俺たちに向かってにっこり微笑む。  
その笑みからは、さっきまでの威厳のようなものは失せ、  
代わりに春の日差しのような、柔らかな温もりが伝わってくる。  
俺は色々な感情がないまぜになり、言葉が言葉になっていなかった。  
「ふふっ、驚きましたですか? わたくしみたいな者が恋愛成就の神様、なんて」  
「い…あ……え…う……」  
口元に手を添え、悪戯っぽく笑ってみせる弁天様。依然として、俺は言葉を発することが出来なかった。  
「まあ、無理もありませんですかね。弁天と言えば普通、縁切りの神なのですから………あら?」  
うふふっと笑いながら、俺たちの方に近づこうとする弁天様が、ある一点を見て突然眉を潜めだした。  
俺が弁天様の視線の先、すなわち夕那のほうを見た次の瞬間………。  
「夕那? 夕那っ!!」  
俺は思わず夕那の両肩を掴みながら、叫び声をあげていた。  
何も言わずに、ただ口をパクパク動かしている夕那。その目はうつろで、まるで遥か遠くを見ているようだ。  
目の前で俺が叫んでいるにも関わらず、夕那の耳に届いている様子はまったくない。  
「……ゆう……れ…い……わたし…。…せいじゃと…ししゃ…いっしょに……なれる…はず…ない……」  
「お、おい! 夕那っ!?」  
それどころか、ぼそぼそと夕那がつぶやきはじめた。しかも、ついさっきまで死神が口走っていたこと、を。  
依然として、その目は焦点が定まってはいない。俺は必死になって夕那を抱きしめ続け……  
「!?」  
突然夕那の感触が消えた。だが…だが目の前に夕那はいるのに……!?  
まさか…夕那? 俺は必死に夕那を抱きしめようとするが、その手は虚しく夕那の身体をすり抜けていた。  
いつの間にか、目からは涙がこぼれ落ち、子どものように泣き叫んでいた。  
すぐそばに弁天様がいたはずだが、恥ずかしいとかそういう感情はまったく無かった。  
ただひたすらに、目の前の夕那を抱きしめたい、離れたくない――その感情がすべてを支配していた。  
 
「とし…のりさん…いきて…いる……わたし…しんで…いる……いっしょに…な………」  
ダメだ! その一言だけは言わないでくれ! 俺のそばからいなくならないでくれ! 夕那っ!!  
泣き叫び続ける俺に対し、死刑宣告にも等しい夕那の言葉が聞こえてくる。  
俺は声を限りに叫んだつもりだったが、ただの涙声しか出なかった。  
 
「ダメですよ、そんなことを言ってしまっては」  
そのとき、弁天様がそっと夕那のくちびるに人差し指を添えながら、にっこりと微笑む。  
「べん……てん…さま…? わたし…わたし………。う、うわああああん!」  
夕那は弁天様の声を聞いて我に返ったようで、そのまま目の前の弁天様の胸にうずくまって号泣しだした。  
そんな夕那の背中を、弁天様は優しくぽんぽんと撫でていた。まるで母親が赤ん坊をなだめるように。  
 
 
「わたし…私……ぐす…ひっく……敏則さんと……弁天様にも…迷惑かけた……こんな…」  
「大丈夫ですよ。気にすることなど、ありません。夕那さんは敏則さんのことを、お好きなのでしょう?  
だったら、それ以上の理由なんて必要無いですよ」  
夕那はしばらく泣き続けていたが、少しずつ落ち着いてきたようで、ぽつりぽつりと口を開く。  
弁天様は、夕那を優しく諭していた。  
「でも…私……もう死……」  
「まったく関係なんてありませんよ」  
それでも自信無さ気につぶやく夕那に、弁天様はぴしゃりと言った。  
「いいですか? 恋愛に大切なのは、お互いの心が通じ合っているかどうか、です。  
生きているか死んでいるか、なんて肉体という器があるか無いかという、些細な問題に過ぎません」  
胸にうずくまる夕那の頭を優しく撫でながら、弁天様は言葉を続ける。  
まるで、その声は俺自身に向かっているようにも聞こえた。  
 
「お〜い、沙羅ちゃ〜ん!」  
「あら、佐門さん。……に、皆さんもお揃いでしたか。ん、もうこんな時間でしたか」  
「もうこんな時間、じゃあないわい。あまりに遅いから迎えに来たのではないか、まったく。  
年寄りを待たすものではないぞ、まったく……」  
「布袋さん…すみませんです……」  
突然、俺の後方から声がする。振り向くと、空中に浮かんだ光り輝く船に何人かが乗っていて、  
こちらに向かって手を振っている。………あ、あれって…まさか……?  
「……さてさて、わたくしはこれから出掛けねばなりませんが、  
あとはどうすればよいか、あえてわたくしが言わなくても、分かりますよね?」  
呆然としている俺と夕那に対し、弁天様が優しく声を掛けてくる。  
「ええっと…その……」  
「夕那さん、気にすることはありません。恋愛なんて自分本位なものなのですから。  
どうしても悩んでしまった時は、思い切り相手を困らせるくらいで、丁度いいのですよ……んっ」  
それでも口ごもる夕那を見て、軽く溜め息をついた弁天様は、夕那の頭を抱え込み、  
耳元でそうささやいたかと思うと、そっと夕那の額にくちづけをした。  
「あ、その…弁天様……あ、ありがとうございました!」  
「ふふっ、わたくしは大した事はしてませんですよ。それではお二人とも、お元気で……」  
夕那が深々と礼をすると、弁天様は優しい微笑みを浮かべたまま、琵琶を手にとって船に向かって歩き出した。  
俺は何と声を掛けていいのか分からずに、ただ呆然としているだけだった。  
 
「あ、そうそう」  
船に乗り込もうとした弁天様は、何かを思い出したかのように、ゆっくりと振り返った。  
「年が明けて、最初に御参りに来た方の願いを叶えるお話、忘れてくださいね。  
あまり殺到されても困りますし、早く来られすぎても今年みたいに遅刻しちゃいますから」  
ぺろりと舌を出しながら、両手を合わせてこちらに頼み込んでくる弁天様。…いや、神様に拝まれても……。  
「その代わり、今年のお二人の願いは毎年、叶え続けさせて頂きますので。……それでは!」  
俺たちが返事をする前に、弁天様は船に乗り込んだかと思うと手を振りながら言った。  
同時に、まばゆい光が辺りを包み込み、そのまま俺は意識を失っていた――  

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