今や歴史書の中に記録を留めるばかりとなった、血と炎に彩られた混沌の時代。  
 その幾万幾億の命を飲み込んだ人と魔の対立が、僅かな手勢と共に魔王の城に乗り込んだ勇者と女魔王の七日間に渡る壮絶な一騎打ちと取っ組み合いと口喧嘩の果て、お互いに愛が芽生えてしまいグダグダで有耶無耶の内に終わってから幾星霜。  
 かつては魔の使いと恐れられていた獣人が村で農夫をしていてもおかしくないくらいに人魔の垣根の下がった、そんな時代。  
 
 フォルは自然の恵みに感謝しながら、今日と言う日を終えようとしていた。  
 テーブルの上には木のカップに入ったハーブ茶が湯気を立て、そこから立ち昇る良い香りが室内に漂っている。  
 作業の手を休めて、鍛えられた厳つい指がカップを持ち上げて口に運ぶ。ほど良く熱い液体が口から喉を潤し、心地よい熱気が湿った鼻からふわりと抜ける。  
 ハーブ茶と言っても、王都からのキャラバンが商うようなきちんとした製品ではなく、山で自生しているのを山菜採りの片手間に採って来て自分で乾燥させた物であるが、それでも出来はなかなか。  
 自分の成果に満足しつつさらにカップを傾けると、昼間の疲れが体から溶け出すように消えていく。  
 両手でカップを抱えるようにして持ち、黒目がちな瞳を細めて、ふーと幸せそうなため息をつく彼の姿は若いはずだがどこか爺むさい。  
 今日は野良仕事の傍ら、樵の手伝いにと刈り出されていた。  
 数々の戦場で鳴らした体も、平和な畑仕事で鈍ったのだろうか。戦いの興奮と衝動に身を任せ、戦場を駆け巡り朝から晩まで振り回していても一向に疲れなどしなかった得物が、今は少し重い。  
 フォルの膝の上には久しぶりに使った愛用の斧が置かれ、手入れをされている最中だった。  
 その斧の柄は、全長が大人の背丈を大きく上回る。柄の先、竃とランプの灯りを照り返しゆらゆらと鈍色に光る刃は大人の頭数個分もの巨大さ。  
 斧の銘の通り、旋風の如き速度で目標に叩きつけられる大質量の刃。その凄まじい力に耐える為、柄の部分すら金属で出来ている片刃の両手持ちの斧。  
 物は大きいがけして造りは大雑把ではなく、各所に丁寧な象嵌が施されており、素人目にも匠の手による業物と知れる。グリップ部分には滑り止めになめした鹿皮が巻かれているが、その範囲も人の拳が握るにしては広すぎる。  
 どう見たところで、人が持つには巨大すぎる代物だ。  
 にも関わらず、刃を膝に乗せている彼の体と斧との対比はさほど狂っているように見えない。  
 こんな物を振るって樵をするなど、伝説に登場するようなよほどの豪傑を除けば、人に出来る業ではない。  
 そして、まさしくフォルは人ではなかった。  
 彼はミノタウロスと呼ばれる種族の出であった。  
 
 その性、野卑にして凶暴。戦場では魔族の尖兵としてよく見られ、血に狂って己の死すら気づかず戦う姿は人側諸種族に恐れられる。人肉、特に若い女を好んで犯して喰らい、暴力に酔う理性の欠片も無い野獣のような牛頭人身の魔物。  
 と、されていた種族である。  
 大昔、人間と魔物が確たる理由も無しに互いに憎しみあい殺しあっていた時代ならいざ知らず、今はそのような目で彼らを見る人はいない。  
 今では姿形と文化こそ多少違うが、人の隣人である。  
 ミノタウルスの中には今でも祖先同様の凶暴な振る舞いをする者もいるが、それもごく少ない。隣人に良き者と厄介者がいるのは、種族が何であれ同じとされる。当然、そのような厄介者には犯罪者として適正な処罰が待っている。  
 幸いにして、草食性であるフォルは至って温和な性質だった。  
 四界の精霊と祖霊を敬う事を忘れない自然を愛する朴訥な青年、青年と言ってもミノタウロスの寿命は長いので既に結構な年月を生きてはいるのだが、は都市部に比べて閉鎖的な農村でも受け入れられていた。  
 唯一、見上げんばかりの巨躯は要求する食事の量も桁外れなので、村の中心にあるレストラン兼酒場兼宿屋の女将にだけはいい顔をされないが。  
 フォルは肉と酒は嗜まないのであまり訪れないが、酒場で村の寄り合いなどがあった際に、ひとたびその気になると食材を食い尽くしてまう事も少なからずあった。  
 実際、彼の前にある茶の入ったカップはビールジョッキと見紛うほどの大きさであったし、竃の方へと目をやれば水の張られた桶に突っ込まれているのは大鍋のようなサラダボウル、小麦の粥の入っていた特大サイズのスープ皿。  
 これに加えて茹でて塩とバターを乗せたジャガイモ十個とキャベツの漬物丸まる一個分が、今夜の彼の夕食である。これで満足度は腹八分目というところ。  
 
 そんな夕餉の余韻を楽しむフォルの耳が、不意に響いた小さく乾いた音を感じ取った。  
 ぴくっと片耳だけを動かして音がした方向に向ける。  
 再び、規則正しく間隔を開けて、二度、ドアが叩かれる。  
 フォルはわずかに首を捻り、いぶかしんだ。  
 こんな夜更けに自分を訪ねてくる人間にフォルは思い当たりは無かった。それも忍ぶように静かに。  
 彼に何がしかの緊急の用があれば、もっと騒々しく来る筈である。ミノタウロスの鋭い知覚がそれを逃がす事は無い。  
「ふむ…」  
 フォルは今しがた手入れの終わった両手斧を静かに床に置いた。  
 戦場にあっては敵からは恐れを篭めて、味方からは畏敬の念を持ってつむじ風と呼ばれ、恐れられた戦斧である。  
 人など一撃で両断する恐るべき威力を誇るが、彼の身の丈ほどもある鉄塊を狭い家の中で振り回せる筈もない。彼の筋力からすると無理をすれば振り回せなくも無いが、そうすると明日から住む場所が無くなってしまう。  
 置いた斧の代わりに、暖炉の横に積まれた薪を一本、棍棒代わりに手にして立ち上がった。  
 木の床と蹄が触れ合って音を立てそうなものだが、器用に殺して歩く。  
 狩りと放浪を生きる道とするミノタウロス。今は農夫だが、フォルもまだ角も生えない子供の頃から野山を駆け回って狩りをしてきたのだ。このくらいの芸当が出来なければ野生動物を相手に狩りをするなど覚束ない。  
 物盗りの類か、と用心しながら扉の前に立つ。  
 もっとも、本気を出した彼が用心しなければいけない脅威などそうそう有り得ない。熊でさえ、彼には道を譲るのだ。  
 
「こんな夜更けに、誰だ?」  
「こんばんは、フォル。あたしよ。開けてくれないかしら?」  
 透き通った美しい声と、扉越しに香る匂いにフォルは確かに覚えがあった。  
 覚えがあるからこそ、その人物のこんな時間の訪問に余計に合点が行かない。  
 不審と言えばその全てが不審であったが、童話に出てくる狼と七匹の子ヤギのように扉を挟んで証拠がどうのと問答しても仕方が無い。簡単な錠前を外し、樫で出来た厚い戸を押し開けた。  
 果たして、戸口に立っていたのはフォルの予想通りの人物であった。  
 開いた戸から漏れた室内の明かりが照らし出すのは、年端も行かぬ一人の少女。  
「エリザベスお嬢様…」  
「ふふ。なによ、フォル。他人行儀ね。小さい時みたいにリズって呼んではくれないの?」  
 フードの奥から声がする。  
 彼女は足元までを覆うゆったりとしたマントを羽織っており、その合わせ目は体の前でぴったりと閉じられている。その上、フードをすっぽりと被っていたのだ。  
 夜に男の家を訪ねてくる行為と言い、その格好と良い、怪しい事この上ない。  
 一見すると獣のような見た目に反して倫理観念の強いフォルは、彼女の行為にブルルッと鼻を鳴らして不快感を露わにした。人間ならば、眉をしかめる行為に相当する。  
 彼女の住む館から彼の家まで歩いて来れる距離ではあるが、こんな時間に女が、しかも十四齢の少女が一人歩きするには物騒だ。  
 夜と言うのは、光に祝福された人の子の時ではない。闇に紛れて魔の跳梁する時間なのだ。それは今も昔も変わりは無い。  
 加えて、彼女に関するある一つの噂がフォルの脳裏を掠めたからだ。  
 
 曰く、領主の娘のエリザベスは夜な夜な男の家を訪ねては淫らな遊戯に耽っている。  
 
 遊戯、とあるがそれが何を示しているのか分からないほど、彼は初心でも浮世離れもしていない。  
 フォルにしてみれば思い出したくも無い事柄だった。  
 彼女の父親である現領主とフォルは、十年以上前の東方戦役に於いて共に血みどろの戦場を駆けた仲だ。  
 国王に仕える者の義務として参戦していた領主は、当時、傭兵として一兵卒だったフォルの鬼神の如き戦振りに惚れこみ、直卒の配下とした。  
 それ以来、彼との間には鋼より堅い戦友としての友誼、そして領主とその臣下としての忠誠がある。  
 友の子として、エリザベスの事も彼女が乳飲み子の時分から良く知っていた。  
 最近は足も遠のいたのか、あまり頻繁には姿を見せなくなっていたが、昔は足しげく毎日のように遊びに来ていた少女に口さがない噂が付きまとうのは正直面白くなかった。  
 いや、面白くないどころか、フォルにとって自分の家族を貶められているようであった。  
 彼女の親である友と会う度に幾度となく進言したが、その度に彼の友人である領主は哀れみと呆れの混ざった奇妙な視線で彼を見つめ、適当な言葉でその場を誤魔化されてしまうのだった。  
 
 可愛らしい咳払い一つがフォルを現実に連れ戻した。  
 ほんの少し、十秒にも満たない程度だが物思いに耽ってしまったようだ。当のお嬢様が不機嫌そうにフォルを睨みつけている。  
「で、お前はいつまでレディを戸口に立たせたままにしておくのかしら?入れて頂戴」  
「…狭苦しい所ではございますが、いらっしゃいませ。お嬢様」  
「本日はお招きに与り、恐縮です」  
 不機嫌そうな顔から一転、余所行きのわざとらしい満面の笑みに切り替わる。  
 ドアの前から半歩ずれ彼女の道を開け、お城のドアボーイさながらに恭しく会釈するフォル。  
 それに応え、優雅に腰を折って挨拶するエリザベス。こちらの仕草はマントの下なのでさっぱり見えなかったが。  
「あら、いい香り。このお茶、お前が作ったの?今度分けてくれない?」  
 他愛無い冗談めかしたやり取りから素に戻ったエリザベスが、ざっくばらんに話し掛けながらフードを外す。  
 
 フードの下からは、素晴らしく整った美貌が現れた。  
 一流ドワーフ職人の作る少女人形にも勝るとも劣らない美しさだが、人形の持つ儚さは欠片も無く生命力に満ち溢れている。  
 海のように透き通った蒼い瞳は強い意志の光を宿しており、パッチリとした大き目は吊り上がり気味な事も相まってややもすると高慢な印象を見る者に与える。  
 つんと尖った鼻梁と言い、ふっくらと血色の良い頬と言い、あと五年もすれば求婚者が引きも切らぬ程の美女に成長するだろう。  
 胸元までの長さに揃えられた柔らかい栗色の髪が、フードがずれた拍子にふわりと揺れた。  
 緩やかに波打つ髪はいつ見ても艶やかで、彼女が如何に大切に扱われているかを伺わせる。  
 室内に満ちたハーブ茶の香りに、エリザベスから発散される春の野に咲く花のような匂いが加わる。  
「去年の秋に作り置きしておいたヤツだ。まだあるから持って行っても構わないが、お嬢様ならキャラバンがもっと良い葉を持ってこないか?」  
「あたしはお前の作ったお茶のほうが好きなの」  
「ふむ、それは光栄だ」  
 勝手知ったるフォルの家、とばかりにエリザベスは遠慮する素振りすら見せずに中に入っていく。領主の娘とその領地で暮らす一農夫と言う立場の違いもあるが、彼女にとってフォルは物心付いた頃からの遠慮なく付き合える相手であった。  
 少しくらい無遠慮に振舞っても彼なら許してくれる、と言う甘えもそこには含まれている。  
 ここまでの道中で使っていたらしいランタンの芯を吹き消して、テーブルの上に静かに置いた。だが、夜行性の野生生物は灯りを避けるもの。煌々とした灯りがあった方が安全だろうに、何故かランタンのシャッターは細く絞られていた。  
 エリザベスを招き入れてドアを閉め、カチャリと錠をかけ、フォルは彼女に抜き直った。  
「で、こんな時間に何の用だ。領主様は、お嬢様がここに来てるって事は知っているのか?」  
「あ、ヴィルヴェルヴィントね。前に見せて貰ったのはいつだったかなぁ」  
 床に置かれた巨大な斧が目に留まったようだ。だが無邪気な彼女の声は、彼の問いに答えていない。  
 あからさまに会話を逸らしている。  
 彼女の露骨な態度につのる苛立ちを代弁するように、フォルの腰の後ろで蝿を払うように尻尾が跳ねて尻を打ち、鞭に似た小さな音を立てる。  
「ごめんなさい。お前を見て、ちょっと緊張してたの」  
 フォルは幼い彼女の着替えを手伝ったこともあるし、一緒に泉で水浴びした事だってある。今更、一体何を緊張すると言うのだろう。  
 益々、訳が分からない。フォルの中で疑問符がさらに大きくなる。  
「今日、お前の家に来た用事って言うのはね…こういう事よ」  
 言うなりエリザベスはマントの合わせ目に両手をかけ、すぅっと息を吸うと、一気に左右に開いた。  
 
 見るや否や、フォルは弾かれたように反応した。  
「…ッ!」  
「駄目よ」  
 小さいが鋭い声が、ぴしりと彼を打ちつける。  
 ぱさりと言う小さな衣擦れは、マントが床に落ちた音か。  
「顔を逸らさないで。ちゃんとこっちを見なさい」  
 領主の娘である彼女にきちんと法的に裏付けのある権力は無い。従って領民に命令の出来る立場ではない。だが、彼女の暮らしているような農村では実効的な権力を有しているのと等しかった。  
 彼女は、今までにそのような親の権力を笠に着た事は一度しか無かったけれど。幼い彼女が、そのようにしてキャラバンに並ぶ列に横入りしようとした時、待っていたのは彼女の母親による公開お尻ペンペンの刑だった。  
 それを抜きにしても、フォルは昔から彼女を可愛がって甘い面があった。彼女の言葉に逆らう事が出来ない。  
 反射的に逸らした顔を戻す事を強制させられた。  
 逃れる事は出来ないと分かってはいても、結末を出来るだけ先延ばしにするようにゆっくりと顔を少女へ向ける。  
 が、その視界に少女の姿は入ってこない。  
「…目も開けるのよ」  
 僅かに残された抵抗の手段も、呆気なく彼の手から奪い取られた。  
「あたしを良く見て」  
 カタツムリが這うくらいの速度で瞼を開ける。うっすらと視界が元に戻っていくと、まずエリザベスの顔が目に入った。  
 白磁の頬が紅潮しているのは、さすがに恥ずかしいからなのか、それとも興奮によるものか。  
 わずかに潤んだ吊り上がり気味の瞳が、挑発的な視線でフォルを射る。  
 白い首はフォルの片手で容易に掴めそうで、乱暴に扱えば呆気なく壊れてしまいそうなほど細い。  
 首筋から伸びるラインはなだらかな線を描いて華奢な肩へと続く。  
 そこからさらに視線を下げていくと、フォルの目に映ったのは下着もつけていない慎ましやかな双丘。  
 否、胸だけではない。胸も腹も太腿も、僅かに靴下と靴を履いている以外は頭の天辺から足の先に至るまで全て。  
 マントに隠された彼女は何一つ身に纏っていなかった。  
 エリザベスはフォルの前に全てを曝け出していた。  
 秘めやかな彼女自身を隠そうともせず、何かを迎え入れるかのように両手を広げる。  
 
(…勘弁してくれ、お嬢様)  
 と思うのだが、お嬢様が勘弁してくれそうな様子はこれっぽっちも無い。それどころか、少しでも目を逸らす気配があると、火でも噴きそうな勢いで睨みつけてくる。  
 エリザベスの裸身は健康そのもので、ブクブクと醜く太っているのでも無く、かと言ってガリガリに痩せ細っている訳でもない。雪のように白く透き通った肌には染み一つ無く、若く生命力に輝いている。  
 オンナと呼ぶには生々しい肉感が足らず、コドモと呼ぶには艶めかしい。  
 第二次性徴期に入っているが、まだまだ成長途上のカラダ。  
 絶妙なバランスの上に成り立つ、どちらにも属さない境界線上の美しさ。  
 乳も尻も太股も肉付きが薄く、大人らしい丸みは見えない。腰のラインもくびれと言うには曲線が足らない。  
 しかし、それは不完全であるが故に人を惹きつける。   
 ほころび始めたばかりの秘裂は、幼さから抜け出しかけの単純な造形で、咲き誇る時を今か今かと待ち望む蕾のようだ。  
 そのほんの上、ふっくらとした恥丘を覆う毛はほとんど生え揃っておらず、まだごく薄い。  
 呼吸に合わせて上下する膨らみかけのなだらか胸も、その丘の先端で薄桃に色づく頂点も、薄く肋骨の浮き出た脇腹も、可愛らしいおヘソも、エリザベスの何もかもがフォルには眩く感じられた。  
 並みの男ならその場で飛び掛らんばかりの、妖精もかくやと思わせる姿態を、エリザベスは惜し気もなくフォルに見せ付けていた。  
「どうかしら?」  
「どうかしら、と言われてもな。何も感じん」  
 嘘だった。  
 ミノタウロスは、獣人と言っても感性はさほど人と変わらない。むしろ彼の先祖は人の雌を追い求め、繁殖相手とする傾向が強かった。  
 祖先から受け継いだ遺伝子にプログラミングされた習性は、彼の奥深くに逃れられない本能としてがっちりと根付いていた。  
 彼の思考や倫理観はどうあれ、本能は目の前で裸身を晒す雌を繁殖相手として認識、反応し始めていた。  
 その証拠に、フォルの心臓はどくどくと力強く早く、脈打ち始めていた。強力なポンプで送り出された血液が全身を駆け巡る。本能の雄叫びを上げて疾走する血流は、ある一点目指して流れ込んでいた。鎮まれと持ち主が思えば思うほど、ソレは意思を無視して硬くなっていく。  
 フォルは無駄な足掻きと知りつつも、懸命に股間の暴れん坊を落ち着かせようと試みる。家族も同然の娘に欲情するなど許されぬ事だし、だいいち、女性に勃っているのを知られるのは恥ずかしい。  
 だが、本能を宥めすかすのに必死な彼は見落としていた。  
 軽く俯き、前髪の作り出す影の中でエリザベスの表情が酷く悲しげに、今にも泣き出さんばかりに歪んでいた事に。  
 
 僅かな沈黙が室内を支配する。  
 その短い時間の間で幼いながらも奸智に長けた頭脳が何を思いついたのか。エリザベスがゆっくりと顔を上げた。  
「ねぇ」  
 面白い悪戯でも思いついたかのように、くすくす笑いながら呼びかける。  
 何かを企んでいるような楽しそうな声色に悪い予感がフォルの胸をよぎる。  
 そして悪い予感と言う奴は、往々にして当たる物。  
「あたしだけ裸でいるなんて不公平よね。お前も脱ぎなさい」  
 身体中のほとんどの部分に獣毛が生えているフォルにとって、衣服の意味は人とは異なる。  
 防御や気温の変動に衣服で対応しなければいけない人と違い、自前の毛皮で何とでもなる獣人にとって衣服の持つそれらの機能は意味が薄い。  
 彼ら獣人が人と同じように服を纏うのは、純粋に倫理的な問題からだ。人に混じって暮らすからには局部丸出しで生活する訳にはいかないのである。毛も凍りつく冬や戦闘時を除けば、獣人は一年中、最低限の服しか着ないと相場が決まっている。  
 家で寛いでいる時間であったというのもあるが、事実、フォルも上半身は簡単なシャツ一枚、下半身は下着の褌と腿の半ばから腰までを覆う腰布を着けたきりだ。  
 この状態から服を脱いだら、あっという間に少女の前に全裸を晒す事になってしまう。  
「お嬢様、さすがに冗談が過ぎるぞ」  
 狼狽するフォルが思わず投げかけたその言葉に、エリザベスの動きが止まった。  
 フォルを見上げる可愛らしい顔には怒っているような泣いているような、曰く言いがたい表情が浮かんでいた。  
 だが、それもほんの一回瞬きする間だけ。  
 次の瞬間には、元の小悪魔のような笑顔に戻っていた。  
「うふふ、冗談だと思ってるの?」  
「…冗談だと思いたいがな」  
 澄んだ青い瞳の奥に冗談など欠片も存在しないのを察し、観念したフォルはシャツに手を掛けた。  
 彼女が考えを改めてくれる事を祈りつつ、短い毛に覆われた太い指で器用にボタンを外していく。  
 これが本当に冗談で『実は悪戯でした〜』といつものように彼女が種明かしをしてくれる瞬間を待ち望んだ。たとえエリザベスの羽織ったマントの下が悪戯や冗談と言うには度を越した、刺激的過ぎる格好だったとしても。  
 だが、彼の祈りは天に届かなかった。  
「まったく、お前はとろいわね」  
 むしろ、状況はフォルにとって更に悪い方向に向かおうとしていた。  
「あたしが脱がしてあげる」  
 そんな、とんでもない事を少女は口にした。  
 
 種族によっては手が三本以上ある者もいるが、彼はミノタウロス。手は二本しかない。  
 そして、その彼の二本の手は自分のシャツのボタンを外す事に忙殺されている。  
 そこで彼が今現在脱いでおらず、かつ彼の身に残っている物となると一箇所しかない。当然、その奥には少女の目に触れさせるべきではない猛る雄の器官が鎮座している。  
 エリザベスにとっては上手い具合に、フォルにはとても都合の悪い事に、残った部分は彼女の胸の高さ辺りに位置しており、手を延ばすだけで届く絶好の位置にあるのだった。  
 今しも、たおやかな手が残った防壁を掴もうとしているのを見るや、フォルは最終手段に出た。  
「ふんっ!」  
 シャツを掴む手に少しだけ力を篭める。  
 それだけでボタンが弾け飛び、布地は耐え切れずに悲鳴を上げ、哀れ、シャツはボロ切れに変わった。  
「止めるんだ、お嬢様!上は脱ぎ終わった!そこは自分でやれるから!」  
 既に腰布に手を掛けている少女を大慌てで制止する。  
「うるさいわね。お前は黙って脱がされてればいいのよ」  
 妙に迫力のある視線が、じろりとフォルを射る。  
「それとも…ここであたしが大声を上げたらどうなるかしらね?」  
 エリザベスを止めようとして手が空中で張り付いたように停止。ぐぅ、と言葉に詰まる。  
 
 大声を上げて助けを求める全裸の少女と、その傍にいる荒々しくシャツを破り捨てた腰布だけのミノタウロス。  
 そのシーンだけを切り取ってみれば、十人中の十人までもが後者に有罪を言い渡すだろう。  
 エリザベスが泣きながら『作ったお茶を渡したいからと家に呼ばれ、入った途端に乱暴された』とでも追撃すれば、漏れなく性犯罪者の一丁上がりである。  
 
「…っ!俺を脅迫する気か」  
「あら。あたしはただ、もしここでそうなったら皆がお前をどう思うかしら?って言っただけよ」  
 それは十分に脅迫である。  
 言葉に詰まるフォルに、しれっとした表情で言い放つ意外に腹黒いお嬢様。  
 無垢な少女だとばかり思っていた人物の予想外の言葉に絶句して、大人しくなったところを見計らって、エリザベスは作業を続けた。さっさと腰布を取り払い、ぽいと脇に放り投げる。  
 人を余裕で凌ぐサイズの肉棒を内に納めて盛り上がった真白い褌が、少女の眼前に曝け出された。  
 概して人と比べると露出度の高い獣人だが、それは羞恥心が無いのとイコールではない。  
 もしフォルの顔が白い和毛に覆われていなかったら、恥辱の余り、顔を真っ赤に染めているのが見えただろう。  
「で、これはどうやって外すのかしら?」  
 普通、この年齢では男性の下着、特にミノタウロスの下着の外し方など知らない。  
 しばし迷ったエリザベスはフォルを見上げて視線で問うた。  
 が、当のフォルは目を逸らし、あわよくばこのまま逃げ切ろうと知らん振りを決め込んでいる。  
「ふーん…まだ反抗するんだぁ」  
 少女は年に似合わぬ嗜虐的な笑みを浮かべ、  
「ぐあっ!」  
 途端、屈強な戦士の口から苦痛による呻き声が漏れた。  
 玩具が逆らうならば、持ち主はこれに罰を持ってあたる。それは至極当然の事。  
 フォルの欲望の詰まった敏感な袋を、エリザベスの手が下着の上からがっしりと鷲掴みにしていた。  
「男の人ってココが弱いのよね?フォルが大人しくしてくれれば、あたしはこんな事したくないんだけどなぁ」  
「な?!や、やめろっ!」  
 白い布地の上から陰嚢を強く掴んでいた掌が動きを変える。その変化した手の動作から、彼女が次に何をしようとしているのかを察し、フォルは声が外に漏れるのも構わず叫んだ。  
 彼は見たくなかった。  
 例えそれが下着の上からとは言え、エリザベスが男の肉棒を撫でさすっているところなど。  
 
 彼の制止など意に介さず、  
「ほーら、早くこれの外し方を教えなさい。さもないと…またニギニギしちゃうわよ?」  
 与えられる感触に反応し、大きく隆起し始めている褌の上で可憐な掌がさらさらと踊る。  
 薄い布地越しだが、痛痒感にも似た甘い刺激。  
 腰の裏から延髄まで走り抜けるちりちりとした疼きに、フォルは顔を歪め、耐える。牛そっくりな鼻の上に刻まれた皺が一段と深くなる。  
 倫理感に後押しされた理性はこの感触から逃げようとするのだが、本能は求めている。  
 教えれば、更なる恥辱が待つ。  
 教えなければ、鈍痛と求めぬ快感が理性を蝕む。  
 教えても教えなくとも、待っているのは逃れられない罠。  
 拷問とも言える選択に屈服したフォルは、前者を選んだ。  
 
 褌と言うのは大元は人族で構成された、とある海洋国家が起源らしい。  
 それがどういう過程と道筋を辿って獣人が知るに至ったのかなどは、歴史の彼方に消え去ってしまい知る由も無い。  
 が、伝わった結果は明らかだ。簡素で安価な点と、何より着用する時の身体的な制限が緩い点が獣人達に大い受けた。  
 ミノタウロスの場合、尻の上辺りから生える尾が邪魔になるのと、蹄なので足先を通し辛く、人と同じデザインの下着は非常に着づらいのだ。  
 フォルが締めているのは、六尺と称されている種類。元々は名前も布の長さを示していたそうだが、着用者のサイズが人と異なるので、今となっては締め方を表すだけになってしまっている。  
 彼の締め方だとボタンやピン、紐などの付属物で留めるのではなく、前から後ろへ股下をくぐらせた布を、腰を回る部分にねじり込んで留めてあるだけだ。ほどくのは女の子の手でも容易い。  
 フォルには、彼の右脇腹辺りに回り込んだエリザベスが、嬉しそうにそれを解いていくのを黙って見ているしかなかった。  
 きっちり締められた戒めが解かれ、一端が弛んだ途端、それは内部からの圧力に突き崩されるように全体がバラリと解けた。  
 まとわり付くただの細い布と化した褌は重力に引かれ、音も無く床に落ち、床にわだかまる。  
 その下から、天を突く威容が姿を現した。  
 
 現れ出でた物を見たエリザベスは、凍りついたように動きを止めた。呆気にとられ、頬を引き攣らせている。  
 それも無理はない。フォルの肉棒は竿の長さだけでも彼女の肘から手首までに匹敵する。その先の赤黒い肉塊も彼女の握り拳ほどもあるのだ。  
「え?あ、やだ、嘘でしょ…こんなに大きいなんて…お父様ったら話が全然違うじゃない」  
 人の下腹部辺りから何やらブツブツと聞こえてくる。  
「どうかしたか?」  
「え、ううん。フォルの、その、おおお、お、おチン…チンってすごく大きくて立派ね」  
「それはどうもありがとう、エリザベスお嬢様」  
 慇懃無礼に答える声はどうしたって刺々しい。  
 この状況で致し方ないだろう。脅されて服を剥ぎ取られて、これで機嫌を損ねないなら本物の聖者か筋金入りの馬鹿のどちらかだ。  
 だが、エリザベスはそんな皮肉どころではなかった。  
 なにせ目の前にそびえ立つのは、獣欲を持て余した荒くれ者の相手をする戦場の娼婦達でさえ絶句させた逸品だ。  
 職業的に見慣れている女でもそうなるのに、せいぜい肉親の物しか目にした事のない少女とあっては動揺するなと言う方が無理である。  
「それにしても…」  
 初対面の衝撃も時間と共に薄れ、恐ろしさよりも目の前でヒクヒク蠢くモノに対する好奇心が打ち勝ったエリザベス。  
 最初は怖々と、次第に大胆になる。  
 僅かに屈み、そそり立つ剛直を様々な方向から舐めるように観察する。  
「男の人って興奮するとこうなるんでしょ?お前は、あたしの体じゃ何も感じないんじゃなかったの?」  
「そ、それは」  
 正直に言うのが恥ずかしかったからだ、なんて言えない。  
 彼女の指摘に面白いようにうろたえる牛頭に、エリザベスが目だけで微笑みかける。  
「ふふ、嘘吐くような悪い子にはお仕置きよね」  
 桜色の唇を窄め、まるでバースディケーキの上に刺さった蝋燭にするかのように、肉棒の頭にふーっと吐息を吹きかけた。  
「ぬおぉっ?!」  
 突然の快感に、フォルの鼻孔が思わず大きく広がり、ぶふぉっと息が漏れる。  
 無様に悶える姿が気に入ったのか、エリザベスはそのまま何度もふーふーと繰り返す。  
 その度にグロテスクな肉棒は、たかが空気の流れに翻弄され、びくびくと震える。  
「あはは、お前のその顔、すごく可愛いわよ」  
 最後に一際長く、張り詰めた表面に触れそうになるまで唇を近づけ吹きかけてから、彼を解放した。  
 
 エリザベスは、とん、と軽やかに一歩バックステップ。  
 両手を腰の後ろで組み、可愛らしく上体を傾げ、フォルに指示した。  
「ね、座って」  
「こうか?」  
「そうじゃなくって…」  
 胡座をかこうとするフォルにさらに指示が出された。それに従って、フォルは両足を投げ出す格好で、どっかと座る。  
 ようやく二人の目線が同じくらいの高さになる。  
 木の床はひやりと冷たいが、全身に毛の生えているフォルには大した事は無い。  
「こうでいいのか?……うおっ?!」  
 座ったところに、軽い体が首っ玉に飛びついてきた。  
 所々に黒斑のある白く柔らかい獣毛の下には、生半可な矢弾なら弾き返し、剛力で知られるトロルと互角に鍔競り合いをする鋼のような筋肉がある。  
 普通は大人が飛び掛ってきてもびくともしないのだが、不意を突かれたフォルはバランスを崩した。  
 首にしがみついたままの体を優しく受け止める為、腹筋に軽く力をこめて倒れるスピードを殺し、背中から床に軟着陸。  
「おいおい。やんちゃ過ぎるぞ、お嬢様」  
 飛び掛ってきた体を、そっと、あくまで軽く押し退けて、起きようとする。  
 筋肉の盛り上がった逞しい肩にエリザベスの手が置かれ、その動きを押し留めた。  
 小さく、可憐な掌。  
「だめよ」  
 そこにほんの少しも力は篭められてはいないのに、置かれただけでフォルは動けなくなった。僅かな言葉を伴なったそれはフォルにとって無限の重さだ。  
 そのまま、顔にしな垂れかかって来た裸身に、再び押し倒された。  
 胸に跨る少女を庇って衝撃を伝えないように、ゆっくりとフォルは床に背と後頭部をつける。  
 と、フォルの視界が陰った。  
 次の瞬間、熱く、湿った感触が厚い唇を襲った。  
 何が起こったのかと目を白黒させるフォル。  
 再び、ゆっくりと視界が明るくなった。  
「ふふっ、キス、しちゃった」  
 唇に人差し指を当て、無垢と妖艶の同居した少女が悪戯っぽく微笑んでいた。  
「あたしの初めて、あげちゃったぁ…」  
 夢見心地で呟くエリザベス。  
 フォルは違和感を覚えた。初めて?おかしい。何か、どこか話が食い違っている。自分の中で辻褄があっていない。  
 だが、間近に迫った少女の肢体が放つ芳しい香りが鼻孔を満たし、体温と心地よい重みが徐々に思考を蕩かす。  
 そんな混乱の極みにあるフォルにお構いなしに、エリザベスは彼の首筋の毛皮にぼふっと顔を埋めた。  
 フォルは長毛種ではないので体に生える毛はあまり長くないが、頭から背中に掛けては立派な鬣があるし、首周りも毛に覆われている。  
 剥き出しの乙女の柔肌に伝わる、ちょっとちくちくする毛とその下にある引き締まった肉体の感触。  
 長らく求めた物が与えられる興奮に、乙女の心臓はトクトクと割れ鐘のように脈打つ。  
 力強い雄の匂いと体温を直に全身に感じ、エリザベスは自分の中で何かが目覚めていくのが分かった。  
 緊張に乾いた唇を、ちょっと舌を出してちろりと湿らせる。  
 人と違い、前に突き出したフォルの口吻。その上顎に、横からキスしては頬擦り。頬擦りしてはキス。  
 ひとたび堰を切ったエリザベスは、溺れる者が空気を求めるように、フォルの感触を求めた。  
 バッファローのように前方に大きく曲がった角。その前にある漏斗のような耳の後ろを引掻くように弄られると、性的な物とはまた違った快感が与えられる。思わず目を細め、満足げな鼻息を漏らすフォル。  
 エリザベスはそれに嬉しそうに笑いかけると、つんと尖った形の良い鼻梁を、黒く濡れ光る大きな鼻に擦りつけた。  
「お前の鼻、湿ってるのね」  
「…ミノタウロスはそれが普通だ」  
 離れ際に、大振りな葡萄粒のような鼻の頭をちろりと一舐め。  
 取り敢えずは満足したのか、エリザベスは体を起こした。  
 フォルの体の上に手を突いて、それを支えに、はしたなく股を開いたままの格好で腹の上までズルズルと後退した。  
 白い毛の上に、蛞蝓が這ったような、ランプの灯りに微かに光る一筋の道が残された。  
 
 今まで潜り抜けてきた激しい戦いを物語るかのように、フォルの体には上半身下半身を問わず、傷がそこかしこにあった。  
 引き攣れたようなのは剣で斬られた痕。点のようなのは弓で射られた物。どの傷も、そこだけは獣毛が生えず、直接皮膚が見えている。  
 その中で、胸を左肩から右脇腹にかけて、一際目立つ三条の傷跡が走っていた。  
「あの時の傷、まだ残ってたのね」  
「これほどの傷だ。死ぬまで消えんだろうよ…ああ、お嬢様が気に病む必要は無い」  
 暗く沈みこむエリザベスを慌てて慰める。  
 フォルの言葉は慰めの為の建前などではなく、本音であり全く気にしていなかった。  
 戦士にとって戦いでの傷は付いて当然であり、苛烈な戦場に臨みあるいは強敵とまみえ、そこから生を勝ち取ったことを示す勲章のような物だからだ。  
 
 それは、今からおよそ十年前。  
 フォルの住む村にほど近い山から、冬眠し損ねた熊が麓まで降りてきた事があった。それも、山の主とも言われる巨大な雄のヒグマが。  
 半端に空いた腹と眠れぬ苛立ちを抱えた熊は、言うまでも無く非常に危険な存在だ。  
 これから冬を迎える山には彼の腹と苛立ちを静めるだけの実りは既に無く、彼は麓から流れて来る家畜の匂いに釣られて山を降りた。  
 狡猾なヒグマは手を出せば報復が来ると知っていたから、普段ならば人の飼う動物に手を出したりはしない。だが、その時は違ったのだ。  
 運悪く、牛も羊も放牧は終わっており、ヒグマの欲した獲物はそこにはいなかった。  
 運悪く、村の郊外に広がる牧草地にお供に連れられた一人の子供が遊びに来ていた。  
 刈り取りも終わり、すっかりなだらかな丘となった牧草地に座って一人遊ぶその子供に、狡猾なヒグマは目を付けた。  
 お供の者が離れた隙を狙い、木々の隙間からその巨体を現し、子供の前に悠然と立つ。  
 何が起きているのか分からず、ただじっと熊を見つめる子供。  
 その小さな頭蓋に無慈悲な一撃が振り下ろされる瞬間。  
 ヒグマの横っ面に木製の手桶が叩きつけられた。  
 それは畑へと出かけようと、たまたま通りがかったフォルが投げつけた物だった。  
 野良仕事へ行く途中だった為に碌な武器も持っていなかった彼は、美味そうな食事を中断され吠え猛る野獣に臆する事無く、ヒグマに倍する咆哮と地響きを上げて突撃。  
 己の身を省みる事すらせず、最強の野獣に肉弾戦を挑んだ。  
 結局、止めこそ刺し損ねたもののヒグマは撃退され、フォルは子供の命を救った。しかし、その代償として彼自身も無傷では済まなかった。  
 ミノタウロスの強靭な生命力を持ってしても、魔法の治癒の助けが無ければヴァルハラへと旅立っていた所だ。  
 
 そのかつての子供が、今は全裸に近いはしたない格好でフォルの腹の上に跨り、彼に刻まれた名誉の負傷の後を指先でなぞっている。  
 しっとりとした指先はゆるりと動き、そこに篭められている万感の思いを指先から伝え、染み込ませるかのように幾度も幾度も痕を優しく撫でる。  
 その可愛らしくも気高い顔は陶然とフォルの逞しい胸板を見つめていた。  
 エリザベスの指先は傷跡をなぞるだけに留まらない。毛に隠されたフォルの乳首を探し出し、のの字を書くようにしてくりくりと刺激して、快感を送り込む。  
「やめろ、お嬢様…ッ!」  
 フォルの制止もこれで何度目になるか分からない。何とかして彼女に翻意を促そうとする。彼は、自分が命を賭して守った大切なお嬢様が自分で自分を穢していくのなぞ、これぽっちも見たくなかった。  
 彼としてはエリザベスがここまでする理由がさっぱり思い付かなかったのだ。  
 行動するには須く理由がある筈。そして聡明なエリザベスが訳も無くこんな事をする筈が無い。  
 フォルは存在するであろう、その理由を探した。彼女を止める突破口になるなら何でもいいと、足掻く。  
 ふと、彼女の理由を探すフォルの頭に電撃のように閃くものがあった。  
「まさか。まさか、お嬢様…あの噂は…?」  
 恐ろしい予想が脳内で広がってしまい、それを言葉にすると事実になってしまいそうで、最後まで言葉が出て来ない。  
「なに?もしかして、お前も例の噂を信じてたの?」  
 蔑むような冷たい視線と、刃物のように尖った声。  
「そんな筈があるか!」  
「ふふ、ありがと。言ってみただけよ。フォルなら信じない、って思ってたわ」  
 激しく否定の声を上げるフォルに、小春日和のような温かい笑顔を見せる。  
「あの噂話はね、嘘よ」  
「嘘?」  
「噂を流したのはあたしだもの」  
「お嬢様が?」  
 オウムのような反応しか出来ないフォルに、告げられる衝撃の真実。  
「うちの執事のセバスチャン、お前も知ってるでしょ」  
 ああ、と頷く。  
 執事服を着て生まれてきたのではないかと思わせるほど、一分の隙も無く執事服を着こなす初老の男性の姿が脳裏に浮かぶ。  
「セバスチャンに頼んで、村にそれとなく噂を流してもらったのよ」  
「何でわざわざ、そんな自分を貶めるような真似をする!」  
「あたしだって馬鹿じゃないわ。領主の娘って言う立場がどういう物なのかぐらい知ってるつもりよ」  
 聡明な少女はいつかどこか知ったのだろう。  
 己の身が政略結婚の道具足りうる、と。  
「いつかお父様がどこの馬の骨とも知れない男を引っ張ってきて『さあ、我が娘よ。彼がお前の夫となる男だ。ご挨拶しなさい』なんて言われるの、あたしは願い下げだわ」  
 魔に属する者達は総じて実力主義だ。かつての魔王も女性であったように、老若男女を問わず、他より優れた力を持つ者が無い者を率いるのが常である。  
 その影響からか、今では人でも女領主などはそう珍しい存在ではない。  
 が、やはり伝統と形式を重んじる人の流儀では、余程の事態でなければ世継ぎは男子なのが主流である。  
 王族貴族を始めとする支配階級の子女は生れ落ちたその時から人生の選択肢の中に、親兄弟の勢力拡大の道具として生きる、という一つを付け加えられることを余儀なくされる。  
「だから噂を流したの…変な噂の付きまとってる女を妻にしたがる男はいないでしょう?」  
 特に大きな利害の絡む政略結婚ともなれば、なおさらだ。  
 僅かな隙でも政敵には格好の急所となる。そうと知れれば喜んで傷を抉り、塩を擦り込むだろう。  
「そりゃそうだが、何故そんな事を?」  
 犯罪的なまでの鈍さを誇る男の言葉に、彼女の堪忍袋の尾も切れかける。  
「ここまであたしがして、ここまでされて、まだ気付かないの?!」  
「何をだ?」  
 事、ここに至っても相変わらずの朴念仁ぶりを遺憾なく発揮するフォル。  
「あたしだって乙女よ。素敵な殿方から愛を囁かれるくらいは夢見るのに、まさか初めてなのに自分から言う事になるとは思わなかったわ」  
 そして、堪忍袋の尾は切れる為にある。  
 
「好きよ、フォルトゥナート」  
「………は?」  
「噂を流してお父様がどこかからお婿さん連れて来るのを防いでおいて、その間にお前があたしの所に来るのを待ってたのに…この鈍感牛」  
 この馬鹿この馬鹿この馬鹿、とここぞとばかりに、胸にキスの雨を降らせまくる。  
「それとも…血がぜーんぶコッチに流れこんじゃって、頭の方まで回らないのかしら?」  
 にやり、と微笑んで右手を下の方に伸ばした。  
「これは純情可憐な乙女心を踏み躙った罰よ。たっぷりと虐めてあげるんだから」  
 純情可憐な乙女は裸で夜這いなんかしない、と反論したかったが、先端をくりくりと弄ぶ五本の指先に黙らされた。  
「白馬に乗った王子様がお姫様を迎えに、ってあるじゃない?」  
 言いながら、年相応にはにかむ。  
「あの時に決めたの。あたしの王子様はね…白馬に乗って迎えに来てくれるんじゃなくって、白毛に黒ブチの王子様なんだって」  
 フォルの心臓がドクンと大きく脈打つ。  
 美しい少女にそこまで想われ、ここまで熱烈に求められ、発奮しない男が存在するだろうか。  
 同時にフォルは、ここに至るまで彼女の想いに気づけなかった己の死にたくなるほどの鈍感さ加減を悔やんだ。  
 エリザベスが好きか嫌いかと問われれば、彼は一瞬の迷いも無く前者を選択する。  
 だが、その『好き』はあくまで家族的な愛情に過ぎない。  
 ありえないと言う諦めにも似た思考が、そう感情をすり替えていた。  
 フォルはただの農夫で、エリザベスは領主の娘。格が違う。フォルはミノタウロスであっても、成人して部族を離れて以来、人の社会に混じって生活していたので人の流儀は承知していた。  
 身分の違いと言う概念も理解していたし、人の社会では彼女と結ばれるのは許されざる事だと知っていた。  
 だが、それがどうしたというのだ?  
 目の前の少女は自らの品位を貶めるのも厭わずに、ただフォルを想って行動したのだ。  
 今こそ、この想いに応える時。  
 フォルは吼えた。  
「お嬢様!いや……エリザベス、リズ!!!」  
 想いに報いんと腹の上の細い身体を抱き締めようとしたフォルを、フォル限定で計り知れない強制力を秘めた指先が制する。  
「ダメよ。さっき言ったでしょう?これは罰なんだって」  
 くすり、と嗜虐的に笑いかける。  
「お前はそこで大人しく、あたしに虐められてなさい」  
 
 言うなりエリザベスは立ち上がり、フォルの右太腿の上に移動して、すとんと腰を降ろした。  
 馬に乗るかのように、膝でフォルの太腿を挟み込む。  
 鍛え上げられた身体には、少女の重みなど羽毛に等しい。  
 フォルの脚の一部に、温かく湿った感触が伝わる。  
 それが何かと思い至る前に、フォルは悲鳴を上げて、思考を中断する羽目になった。  
「はぅっ!」  
 肉棒の下にぶらさがる、ずしりと重い袋に白魚のような十本の指が絡みついたからだ。  
 先ほど褌の上から握り締められたのとは全く違う触り方。  
 皺の一つ一つに指を這わせ、そよぐ陰毛を梳る。薄皮に包まれた二つの塊を愛しげに掌の上で転がす。  
 けして激しくないが、痛痒感にも似たじれったいような快感。  
「わぁ、こんなに重いんだ…。この中にお前のが詰まってるんでしょう?たくさんたくさん、吐き出してね」  
 体が熱い。  
 よせばいいのに誕生日に父親に勧められてブランデーを飲んだ、あの時のように頬が火照る。  
 ふわりと浮き上がってしまいそうな多幸感がエリザベスの全身を包み込んでいた。  
「こういう時はこう言うんでしょ?……お口で可愛がってあげる」  
「いや、待て。ちょっと待て!リズ、それは無理だ!」  
 喰われる、と言う恐怖感がフォルの背筋を走り抜けた。  
 フェラチオと言うより捕食行動だと言わんばかりに、大口を開けて齧りつこうとするエリザベスをフォルは必死に止めた。捕食は最高の愛、と放浪先で出会った学者にちらりと聞いた事があるが今は違う筈だ。  
 少しだけ、市場へと続く道を荷馬車にゴトゴト載せられて行く子牛の気持ちが分かった気がした。  
 だいたい、フォルの亀頭は彼女の拳と同じくらいの寸法なのだから、それが彼女の口に入る筈が無い。  
 よしんば入ったとしても、絶対に歯が立ってしまう。エリザベスは知らないだろうが、男にとって、それはとてもとても痛いのだ。  
 今しがたの恐怖感に縮み上がり、少しだけ力を失った肉棒をエリザベスがつつく。  
「あら、ちょっと小さくなっちゃったわ」  
「噛みつかれるかと思えば、誰でもそうなるさ…」  
 フォルは、ここで思いついた疑問を口にする。  
 エリザベスは何だかんだ言っても、領主の娘。お嬢様だ。どこで、こんな下品な事を覚えてきたのだろうか?彼女の両親が、彼女をとても大切にしているのは知っていたし、そこまで放任だったり教育の手を抜いているとは思いにくい。  
「だいたい、ナニをしゃぶる、なんてなぁどこで知ったんだ?」  
「あぁ、あれ?ちょっとウチのメイドのノーマに相談したら本を貸してくれたの。その本の中で、主人公がヒロインにさせてたわよ?」  
 どうやら、ハーレクインロマンスなどのドぎつい描写のある本から知識を取り入れていたらしい。知識の偏り具合からすると、もっと露骨な物かも知れないが。  
「取り合えず、無茶はしないでくれ」  
 出来る事ならばエリザベスの希望にそってやりたいが、喰い千切られるのは御免被る。  
「ふぅん…それじゃ、こうすればイイのよね?」  
 再び、牛の口が悲鳴を上げた。  
 今度は恐怖ではなく、快感によるものだった。  
 
 エリザベスが根本にキスをしたのだ。  
 玉袋の付け根辺りに顔を埋め、口に含むのは諦めたらしく、そこに親愛の情を示すような軽いキス。  
 そのまま膨らんだ輸精管に沿って、小鳥が啄ばむようにちょんちょんと先端まで丹念にキス。  
 やはり本と屋敷のメイド達から仕入れてきたのだろうか、エリザベスは持てる知識の限りを尽くして奉仕する。  
 右の掌全体で包むようにして雁首から亀頭を撫で、左手指で陰嚢を揉み解すようにふにふにと転がす。  
 そして舌は一際敏感な裏筋を舐め上げる。  
「む、はぅ、…くっ、リズ!そ、こは…ぁ…っ!」  
 小さく突き出された赤い舌が下から上へ動くたび、脳髄は痺れ、フォルの下腹には疼きが溜まっていく。  
 腰と床の間に挟まれた尻尾が勝手に震え、彼の余裕の無さを表すかのようにばたばたと床を叩く。  
 今まで大切にしてきた少女の汚れなき手と唇が、自分の汚らわしい雄の象徴に奉仕していると言う背徳感。  
 彼女の言葉を跳ね退けられず、言い様にされている事に対するどことなくマゾヒスティックな被征服感。  
 肉体的、精神的な責めにあっという間に高まる快感。  
 自然、身体は歓喜の涙を流し始めた。  
 亀頭の先端にある亀裂を大きく拡げ、透明で粘ついた液体が湧き出る。  
 それは見る見るうちに大きくなり、鈴口の上にわだかまる。ぷくりと膨れた水滴はやがて表面張力の限界を超え、とろりと伝い落ちた。  
 エリザベスがそれを人差し指でついと掬い取って、しげしげと眺める。  
「ふーん、ちょっと粘っこい感じがする。これが我慢汁って言うのね」  
「初めてなのに、くぁっ…なんでそんな事まで知ってる?」  
 表面を伝う水滴を捕らえようと動いた指先に、亀頭表面を撫でられてフォルの声が上擦る。  
「言ったでしょ。本で読んだもの」  
「一体、何を読んだん、だか。あと、リズはお嬢様なんだから、はしたない言葉使いは止めろ」  
「あら、お前に悦んで欲しいからいろいろ調べたのに…酷い言い様ねぇ」  
 年相応な仕草で、ぷぅっと頬を膨らませて抗議する。  
「でも〜あたしがエッチなお嬢様じゃなかったら…こんな事、して貰えなかったのよ?」  
 先走りに濡れた人差し指を口に含み、舌を絡める。  
「ん…は、ぅん、フォルの味がするぅ」  
 愛欲に蕩け潤んだ瞳で、採れたての極上の蜂蜜でも舐めるかのように味わう。  
 ちゅぷっ、ちゅるっ、といやらしい水音が小さな口元からこぼれる。  
 とびきり扇情的な光景に、フォルは我知らず生唾を飲み込みんでいた。  
「なによぅ、フォルだって、んっ…興奮してるんじゃない」  
 興奮しない方がどうかしている。  
 欲望の溜まった状態の身体に、今の光景は激しすぎる。  
 溜まった物なら出してやればいいのだが、ミノタウロスは自慰が苦手だ。  
 水などで濡らして滑りをよくしてやれば大丈夫だが、ごつごつした乾いた手指で敏感な部分である自分自身を擦るとちょっと痛いのだ。  
 それに人と違って吐き出す量も多く、後始末が大変だ。風呂など無いフォルの住環境ではおいそれと行為に及べない。家の中で潤沢に水を使えるのは富裕層の証と言える。  
 最近は畑仕事も忙しい時期、疲れからとっとと寝てしまうのもあってご無沙汰で溜まっていたのは事実だった。  
 
 そんなフォルから白い膿みを搾り出そうと、エリザベスはさらに責める。  
 小さい両手で輪を作り、雁首の部分を重点的に扱く。  
 柔らかい手がエラを引っ掛けるようにして下から上へと通り過ぎるたび、フォルの脳髄を鋭い快感が襲う。  
 腰の後ろから全身に走る甘い電撃に体は言う事を聞かず、派手に腰が跳ね上がる。  
「ふふ、まるで暴れ牛ね」  
 笑いかけながら、亀頭を伝い落ちる先走りを、子猫がミルクを飲むようにぺちゃぺちゃと舐め取る。  
 枯れない泉の如く鈴口からこんこんと湧き出す汁は、舌で拭い切れず、エリザベスの手を汚していった。  
 さらさらとした極上のシルクのような肌触りが、粘液に塗れた独特の感触に変わっていく。  
 粘液を絡めて滑りの良くなった両手は、ニチャニチャと音を立てながら次第にピッチを早くしていく。  
 上下する手の速度が上がれば快感の度合いも増す。それが泉から新たな湧き水を誘い出す。  
 二人の荒い呼吸音と、粘ついた淫靡な水音だけが室内に響く。  
 手と唇による愛撫を続ける最中、エリザベスの脳裏にある疑問が閃いた。  
 この舐めても舐めても尽きぬ汁の根源に悪戯してたら、どうなるのか。  
 思いついた。ならば、試せば良い。  
 突き出した舌先で亀頭のぷっくり膨らんだ部分をちろちろと舐めながら、上目遣いに機を窺う。  
 フォルが野太い呻きと共に頭を仰け反らせた瞬間、鈴口に軽くキス。  
 ちゅ、と吸い出した。  
 瞬間。  
 肉棒が一回り膨張したかと思うと、爆発した。  
「ぅっ、う!もおおぉぉぉっっ!!」  
 眠っていた火山が突然火柱を吹き上げるように、白いマグマが噴出する。  
「きゃぁっ?!」  
 雄叫びと共に放たれた一射目は、放出の余りの勢いにエリザベスの唇を押し退けて、高々と打ち上げられる。しばし宙を舞ったそれは床とフォルの腹に落ちた。  
 びゅるっびゅるっ、とわずかに勢いの衰えた二射目、三射目と続き、射精を初めて目にする少女の手に降り注いでは、白く染めていった。  
 ガクガクとフォルの腰が戦慄き、膝が笑うような震えが全身に拡がる。  
「か、はーっ…はーっ…はーっ…はーっ…」  
 放出は長く続く。  
 ビクンと大きく肉棒が震えるたび、大量の白濁が吐き出され、振り回される逸物は少女の乳房や腹にも精液を飛び散らせる。  
 神経が焼き切れそうな程激しい快感に、フォルはエリザベスを気遣う余裕も無かった。  
 
 むせ返るような獣臭が満ちるその真ん中で、エリザベスは嬉しそうに微笑んでいた。  
 愛する男が、自分の手で、自分の口で感じ達してくれたのだ。  
 吐き出されたばかりの大量の欲望を、その細く白い十本の指で絡め取ってはニチャニチャと弄ぶ。  
「うふふ、これがフォルのなんだ…すごく熱くて臭くて…でも、とても良い匂い」  
 精液に塗れた掌が、上気し薄桃色に染まった薄い乳房から柔らかい腹までを撫でていく。  
 ふしだらな化粧を自らに施しながら妖しく微笑む。  
 この上なく淫靡な姿。  
「ね、もっとあたしにフォルの匂いを付けてよ」  
 フォルの中で肉欲と言う名の猛獣が、その首に嵌った理性の枷と鎖を引き千切ろうと暴れる。  
 鋼鉄の如き意志の力を動員して、その鎖を必死に手繰り寄せ、猛獣を組み伏せる。  
 ぎり、と噛み締められた奥歯が鳴った。  
 もし彼が理性を無くしてしまえば、結末は一つしかない。  
 彼の文字通り人間離れしたパワーとタフネスは容赦なくエリザベスに襲い掛かるだろう。  
 一度そうなってしまえば、少女の脆く儚い身体が耐えられる筈も無い。比喩などではなく、本当に突き殺してしまう。  
 フォルは床に大の字に寝転んだまま、耐えた。  
 鼻面に苦悶を刻み、手は何かに縋ろうと求めるが、ただ床を掻くのみだ。  
 彼女が欲しくてたまらない。が、ひとたび身を起こし彼女を求めた時、自分は本当に内なる獣を御しきれるのか。  
 その葛藤を知ってか知らずか。  
「フォルが来てくれないなら……無理矢理にでも、あげちゃうんだから」  
 愛する者に自らの乙女を捧げようと、エリザベスが圧し掛かって来た。  
 
 エリザベスは、今まで跨っていたフォルの太腿から腰を上げた。  
 気怠い放出の余韻と内心の葛藤に苦しみ寝そべったままのフォルが視線だけを投げると、そこにはランプの灯りを照り返して幻想的に濡れ光る肢体。  
 一本の筋に近かった秘裂も既に濡れ、咲きかけの花のように少しだけほころんでいた。物欲しそうにゆっくりと開閉する入り口から、ピンク色の中身がわずかに見て取れる。  
 たかが一度くらい放出したくらいでは僅かたりとも衰えぬわ、と主張する熱い肉塊の上に移動し、秘裂を見せつけるかのように股を広げてフォルの腰を跨ぐ。  
 一向に硬さを失わないミノタウロスの逸物。その先端を、ついと摘む。  
「あのね、フォル。あたし、その、初めてだから…ヘタだったらごめんなさい…」  
 性交とは肉体だけが交わるものではない。  
 美女にどんなに技巧を凝らされても、そこに悪意が透けて見えれば、男は微動だにしないだろう。  
 逆もまた然り。  
 少しばかり下手糞だろうが、心が通い合っていれば、そんな些細な事は何の障害にもならない。  
 いじらしい仕草と健気な心遣いが男を昂ぶらせる。  
 フォルは無言だが、彼の荒馬のような鼻息が興奮の度合いを表していた。  
 股間の方でも、早く愛する少女を味わいたいと、無垢なナカを白濁で染め上げたいと、より硬さを増した肉棒が無音の咆哮をあげている。  
「フォルのココ、すっごく元気がいいのね…」  
 くちゅ、と入り口と先端が接すると、  
「はあっ…」  
 薄桃色の切ない吐息が漏れる。  
 そして、ゆっくりと腰を下ろしていく。  
 
 今度はエリザベスが悲鳴を上げる番だった。  
「いっっ!たぁーーーい!!」  
 裂けるような激痛は、破瓜によるものではない。  
 フォルの逸物は彼女に入ってすらいないのでそれは有り得ない。いや、むしろ入らないのだ。  
 成熟していない、まだまだ成長途上の小さな体ではミノタウロスを受け止めきれない。  
 戦地にいた金さえ出せば多少の無理な注文も聞く場末の娼婦達でさえ、彼を受け止め切れる女は少なかった。すんなり彼と繋がれたのは同じ獣人である、虎人の娘くらいだった。  
 激しい苦痛に襲われながらも、それでも何とか迎え入れようとするエリザベス。その姿は、まるで自分で自分を串刺し刑に処そうとしているかのようだった。  
 秘裂は十分に潤ってはいる。が、入り口が精一杯広がっても、直径がエリザベスの握り拳くらいある肉棒がそう簡単に入ろう筈が無い。  
「リズ、やめろ。それ以上は本当に無理だ。裂けちまうぞ」  
 フォルにも今の彼女がきつ過ぎるのは分かっていた。もし、このまま続けてしまえば本当に裂けてしまうだろう。彼女が傷付くなど、そんな予想を頭の中で思い描くのも嫌だった。  
 上体を起こし、苦闘する少女に手を差し伸べる。  
 痛みに耐え小刻みに震える肩を掴み、それ以上腰を落とさせないようにと押し留めた。  
 エリザベスは大きな瞳一杯に涙を浮かべていた。  
 それは痛みからか、想い人と繋がる事の叶わぬ為か。  
「ごめんなさい…フォルと一つになりたいのに…どうしても、入らないの…」  
「なに、そのうち入るようになるさ。急ぐ事は無い…とにかくリズに無茶はして欲しくないんだ」  
 エリザベスの緩やかにウェーブした髪を、そっと撫でる。  
 包み込むようなフォルの大きな掌。そこから伝わる温もりと彼の言葉。それがエリザベスにとり、どれだけの癒しとなったのか。  
「ありがとう…」  
 零れ落ちそうな涙をぬぐいながら、エリザベスは腰を降ろした。  
 無謀な再挑戦をするために亀頭の上へ、ではない。  
 摘まんでいた指が離れ、下腹部に触れるくらいまでビンと反り返って半ば水平になったフォルの竿の部分に。  
「はぉうっ!」  
「ひゃ…あぁんっ」  
 同時に上がる嬌声。  
 何が起こったのか。  
 恐る恐るといった風に、エリザベスはゆっくりと前へと動いた。  
 
 いまだ濡れそぼう秘裂から鮮烈な快感が全身を駆け巡る。脊髄を貫くような性感が身体の芯を痺れさせ、痛覚を洗い流す。  
「あ、はぁ…これ、イイ……イイのぉ…」  
 溢れる悦びに喘ぎ声が抑え切れない。呆けたように半開きになった口からは熱い吐息が漏れる。  
 フォルの手がエリザベスの細腰に回された。  
 男と女の性器同士を密着させ擦り合わせた今の状態は、いわゆる素股と言われる体勢だ。サイズの差が大き過ぎるので挿入は無理だが、素股ならば性交と同じような体位でお互いに快感を得られる。  
 少しばかり乱暴に動いてもエリザベスへの負担も軽いだろうと言う彼女への気遣い半分、彼女を悶えさせて自分も存分に快感を貪る事が出来ると言う欲望半分の判断。  
 フォルは内なる獣の手綱をほんの僅かだけ緩めてやり、秘裂に押し当てられたままの肉棒を擦り上げようとした。  
 エリザベスの両手が、ミノタウロスの逞しい筋肉に覆われた厚い肩にそっと置かれた。  
 ゆっくりと押され、またしてもフォルは床に背をつける羽目になった。  
「お願い、フォルはそのまま寝ていて。あたしはフォルを感じることが出来ないから、フォルにあたしを感じて欲しいの」  
 どこまでも健気な言葉、ただそれだけで獣は首輪を嵌められて大人しくなってしまった。歯向かう事などとても出来ず、またしても主導権を奪われる。男としてちょっと情けないのではないか、と少しだけ自問自答してしまう。  
 そんな間にも肉棒には柔らかく、熱く、濡れた秘裂が這い回っている。  
 それだけで今にも達しそうなのに、エリザベスの肉の狭間はそこを埋めてくれる物を渇望し、蠢いていた。  
 ナカに引き込もうと秘裂の入り口がやわやわと動き、まるで甘噛みするような刺激を繰り返す。  
 送り込まれる刺激に、黒い鼻先から蒸気でも吹きそうな勢いで荒い呼吸を繰り返すフォル。  
 そんなフォルの痴態を愛しそうに眺めながら、もっと感じさせようとエリザベスが動く。それに彼を啼かせようとすればする程、自分も気持ち良くなれて一石二鳥だ。  
 あちらこちらと動いてみて、エリザベスは特に先端の辺りが気に入った。  
 太い血管が蔦のように絡みついた竿のごつごつした感触も良いのだが、括れた部分の段差が柔肉を抉るとぞくぞくと背筋に快感が走る。  
 下から上に向かって滑らせる時に、彼に倒れこんで体を這わせるような感じで寝かせる。  
 そうしてやると、秘裂の上でちょこんと膨らんだ肉真珠が、鏃の返しのように大きく張り出したエラと擦れる。  
「ひゃぅっ…!はっ!やっ、だめぇ!まだ、ダメ…なのぉ」  
 そのたびに、意識が消し飛びそうなほどの快美感が背筋を貫く。  
 厚い筋肉に鎧われたフォルの腹に手をつき、背を丸め、抱え込むようにして快感に耐える。そうしないと今にも気絶しそうほどだったから。  
 前後する腰の速度をゆっくりと落とす。  
 津波のように頭の中身を根こそぎ持っていきそうな快感が過ぎ去るのを待つ。  
「はっ…あ、はっ…くぅ……ん、ふぅっ…」  
 空飛ぶ箒に魔女が跨るように、竿の部分に濡れそぼった秘裂を押し当てたまま、熱い先端を両手で握る。  
 動き易さを求めての何て事の無い行動だったが、結果は二人にとって実に良かった。  
 竿は中へ中へと誘うように蠢く秘裂に甘く揉まれ、亀頭は両手で扱かれて、長い肉棒全体を刺激される。  
 年端も行かぬ少女に翻弄されて、フォルは全力疾走する馬のように荒い息を吐く事しか出来なかった。  
 エリザベスの方はと言えば、動き易くなればなった分だけ身体は一番気持ちの良い場所で跳ね回り、それは即座に快感にフィードバックされる。  
 次第に彼女は、自分の倍ほども背丈のある男をこうも簡単に手玉に取れるのが楽しくなってきた。  
 
 肉棒の方向に沿って縦にずっずっと大きく擦りつけたり、小鹿のように引き締まった美尻を円を描くようにして回して一箇所だけをたっぷり可愛がったりする。  
 裏筋だけをくちゅくちゅと激しく擦ると、二つの嬌声によるの混声合唱が部屋に響く。  
 両手の方も休んではいない。ゆっくり腰をスライドさせながら亀頭をちょんちょんと悪戯っぽく突付いたりする。敏感な射出口を優しく撫でてやると、フォルは海老さながらに仰け反って後頭部を床に押し付け悶える。エリザベスにはその様子が実に可愛かった。  
 自分の腰の動き一つで、あれだけ屈強なフォルが面白いように悶える。  
 もっと違う反応を引き出そうと、工夫すればするほどフォルは反応してくれる。永年思いつづけた相手が、自分で感じてくれているのが嬉しかった。  
 それに何と言っても、たまらなく気持ちいい。  
「あっ…」  
 胎の奥はじんじんと疼き、思考はぼうっとして霞みがかかったよう。  
 ひたひたと潮が満ちるように、自分の中が『気持ちいい』で埋められていく。  
 二人分の汗と涙と涎と愛液と精液に塗れ、無心に腰をくねらせる十四歳の身体は、例え様もなく淫らで美しかった。  
 壊れたようにがくがくと腰を跳ねさせ続けるミノタウロスの上で、きらきらと汗を飛び散らせて白い裸身が踊る。  
「は、ぁん、あ、あははっ、ロデオ、あんっ、してるみた…くぅんっ、い…」  
 快感を貪りながらも、無邪気な感想を述べる。  
 初めてとは言え主導権を握っているので精神的に余裕のあるエリザベスと違い、一方のフォルは休む事なく腰を蠢かされ快感を送り込まれて、答える余裕は無い。  
 既に頭の中は真っ白に染まり、玉袋にぱんぱんに詰まった雄汁を思う存分、雌に向けて吐き出す事しか考えられない。  
 辛うじて残っている理性の一片が、両手の指を床に立てて、エリザベスに踊りかかる事を防いでいる。  
「んっ、あんっ、ああんっ…も、駄目、あふぅっ……もう、フォル、あぅっ…あたし、あんっ…もう駄目めぇっ」  
 耐え切れない様に体をフルフルと戦慄かせ、潤んだ瞳で見つめてきた。  
 繋がってこそいないが、間違いない愛の交わりに、エリザベスの目尻から一滴の涙が零れ落ちた。  
 そのたまらない表情が、フォルの欲望を一層加速させる。  
 フォルに跨って一心に、限り無い愛を謳う少女の姿に、射精感がどんどん高まっていく。  
「ふっ、ぐぅ…おぅっ…リズ……こっちも、そろそろ」  
 快感に踏ん張りきしる歯の隙間から、限界だ、と訴える。  
「ね、一緒に、フォル…好きよ…だか、ら、ね…お願い…あたしと…一緒にぃ」  
 熱に浮かされたうわ言のような懇願。  
 フォルが、がばりと一挙動で跳ね起きる。  
 そのまま腹の上で乱れるエリザベスに口付けた。  
 その今までに無い急な動きが二人の止めとなった。  
 肉棒の根元から先端にかけての長いストロークで秘裂をずるりと擦り上げられ、最後に張り出したエラで敏感な若芽を磨り潰されて、一気に絶頂へと押し上げられた。  
 絶頂に収縮する膣の動きに連動して締まる秘裂、パンパンに張り詰めた亀頭をきゅうっと柔肉で挟まれ、一気に欲望を吐き出した。  
「あっ、イっ、ちゃう…あっ!ん…ああぁぁぁぁッッ!!」  
「Gruu…Mooooooooo!!」  
 重なる歓喜の声。  
 ドクドクと大量に撃ち放たれる精液と、トロトロと流れ出す愛液が二人を汚す。  
 お互いに体を震わせる絶頂の最中、一つになれないならば、せめて他の場所は繋がっていようと求め合う。  
 精一杯に伸ばされて、絡み合い、舐め合う舌と舌。  
 長い長い絶頂と口付け。  
 
 どれほどそうしていたのか。やがて二人は寄り添ったまま、どさりと床に倒れこんだ。  
 二人とも体液に塗れ、床には色んな液体の混ざりあった水溜りまで出来ていると言うのに、不思議と不快ではなかった。  
 快感の余韻が残り、始めは全力疾走でもしていたかのように激しかった二人の呼気は徐々に静かになっていく。ランプの芯の燃える音が、静寂の中で妙に大きく聞こえる。  
 エリザベスはフォルの広い胸に体を預けていた。硬いフォルの毛とは比べ物にならないほど繊細な髪が、胸元にふわりと広がっている。フォルのごつい指が美術品でも扱うようにして、丁寧にゆっくりと梳っていた。  
 それが精一杯。  
 魂まで抜けるかと錯覚するような激しい射精に、思うように身体に力が入らない。  
 と、胸の上でもぞりと身を起こす感覚があった。  
 同時に手の中からさらさらとした物が逃げていく。毛を漉かれるのも良いが、誰かのを梳る感覚もまた良かったのだが残念だ。  
 天井ばかりが映る視界の下から、エリザベスの頭がひょいと姿を現した。  
 良い様にされ、胸に跨られ、今も愉しそうな色を宿した目に見下ろされている。実に屈辱的なシチュエーションかもしれない。上にいるのが彼女以外であるならば。  
 覗きこむようにして見下ろす深い蒼の瞳に、フォル自身が映っているのが見える。  
 その姿が小さくなった。彼女が目を細めたからだ。  
「ね、あたしがフォルに匂いを付けてあげるわ。ううん、今のくらいじゃ全然足りない。もっともっと、あたしの匂いをフォルにつけてあげる。どんなに血の巡りの悪いミノタウロスだって一発で分かるくらい、フォルにあたしの匂いを付けてあげる」  
 その声は歌うように軽やかだ。  
 これはマーキングだ。  
 猫がそうするように、エリザベスもそうしようとしている。  
 その行為がどういう意味を持つのかは明らかだった。  
「俺はリズの物、だって言うのか?」  
「うふふ、不満なの?それにぃ、お前はあたしがさっき言った事、もう忘れちゃったのかしら?」  
 目が更に細められ、口角が吊り上がる。エリザベスがにんまりと、小悪魔のような笑みを形作る。  
「これは罰、お仕置きなの。あたしがあれだけお前を想ってたって言うのに…乙女心が分からない罪は重いんだから。フォルがあたしを自分の物にしてくれないなら、あたしがフォルを自分の物にしちゃうの」  
 可愛らしい裁判官による厳かな判決。  
「たっぷり、朝まで虐めてあげる…大好きな鈍感牛さん」  
 控訴する被告の声は、可憐な唇に却下された。まあ、被告に控訴する意思は最初からなかったが。  
 探るように差し込まれるエリザベスの短い舌を、フォルの長い舌が迎える。  
 そうして、片方は積年の想いをぶつけ彼を弄ぶべく。もう片方は甘んじて彼女の玩具となるべく。  
 二人はそれぞれ異なる意図を持って、同じ快楽の内に埋没していった。  
 
 ふと、フォルは床に横たわったまま、視線を上に向けた。  
 そこには窓が見える。  
 その先にあるのは、中天にかかる大きな満月。  
 朝はまだ遠い。  
 だが、たとえ一つの朝を迎えそれが過ぎ去ったとしても、彼女と共に迎える幾千幾万の朝が来るだろう。  
 罪滅ぼしの時間は、たっぷりとある。  
 
 
 フォルの家の鍵はごく簡素だった。  
 少しでもその手の技能に覚えのある者にとっては何の障害にもならない。  
 今も闖入者を前にしてあっさりと白旗を掲げ、職務を放棄した。  
 ぎぃ、と軋む音を立てて扉が開く。  
 まだ暗い室内に細い光の線が生まれる。  
 細い線はすぐに太くなり、線から面となった。  
 眩い朝日が差し込み、フォルの家の玄関を黄金色に染めていった。そして、そこで絡み合うようにして寝る二つの人影も。  
 鮮やかな技で鍵を外した初老の男性を下がらせ、一人の男がフォルに家に足を踏む入れた。  
 わだかまる夜が払われ、日の光の元に晒された室内は酷い有様だった。荒らされている訳ではない。だが、むしろそちらの方が今よりもマシかも知れない。  
 男女二人の転がっている辺りの床は様々な体液でベトベトに濡れ、水浸しと言っても良いくらいであり、一部は既に乾き始めていてそれらの発する独特の異臭が鼻を突く。  
 屋内に満ちるのは、少女の匂いと男の匂い。  
 エリザベスの父親でありフォルの友人でもある領主は、眉一つ動かさず、何も身に付けずに床で寝るフォルと彼をベッド代わりにしている全裸のエリザベスに恭しく言ってのけた。  
「おはようございます。昨晩はお楽しみでしたね?」  
 領主の言葉と差し込む朝日が、酷い姿にも関わらず幸せそうに寝る二人を心地良いまどろみの淵から引き戻す。  
「…ん?む?ジェラルド…様、なんでここに?」  
「おふぁよう、ございまふ…お父様」  
 もぞりと動く二つの頭。  
 だが、体は動き始めても心は未だ睡魔の誘惑に囚われて働いていない。  
「さっさと起きるんだ、二人とも。言いたい事はあるだろうが、話は館で聞こう。と、その前に…」  
 領主は揃ってドロドロの彼らの裸身を見やる。  
 寝ぼけた頭は彼の視線に誘導されて、それぞれが、それぞれの体を見る。  
「とりあえず、水で身体を洗って来た方がいいな。ああ、それとエリザベスは服を着なさい」  
 空気は澄み渡り、空は天高く、どこまでも青く。  
 そんな朝の爽やかな空気に、甲高いエリザベスの悲鳴が響き渡った。  
 
 
「さて、両名とも何か申し開きしたい事はあるかな?」  
 しばらくの後、彼らは領主の館の応接間にいた。  
 応接間と言っても仮にも領主の住む館である。ちょっとしたホールくらいの広さはある。  
 祝い事があればパーティ会場に、会議場に、そして何かあれば法の裁きの場となる。  
 その上座に置かれた椅子に深く腰掛け、背凭れに体重を預けた領主は詰まらなそうに言った。  
 フォルは彼の治める村に住む者として、けじめを付ける覚悟は出来ていた。  
 身分が違う人間が体を重ねる。実力本位の獣人の価値観からすれば実に馬鹿げた話だが、人の世界ではただそれだけの理由で処罰の対象になり得るのだ。  
 ただ領主の友人だから、という理由だけで無罪放免となれば他の村人の手前、示しが付かないし、良くない前例を作ってしまう事になる。  
「彼女に手を出したのは俺だ。罰するなら俺だけにしろ」  
「お父様!あたしがフォルを誘惑したの、彼は悪くないわ!」  
 全く同時に、異口同音に主張する。  
 はっと顔を見合わせ、次の瞬間、お互いにお互いの意見を否定しようとさらに言い募る。  
 領主は喧しさの増した二人を、わずかに手を上げる動作だけで制した。  
 彼は仏頂面を少しも変化させる事無く、傍らに立つ執事に問うた。  
「どう思う?我が執事よ」  
「僭越ながら、微笑ましいくらいにお似合いかと存じます」  
「そうか…」  
 気乗りしなさそうに呟く。  
 一拍置いて、破顔一笑。  
「いやいやいや、こいつはめでたい!」  
 突然の変わり様に呆然とするフォルとエリザベスを置き去りにして、領主は一人、実に愉快そうに喋りだす。  
「我が娘が男捕まえてきたと言うだけもめでたいのに、それだけでなく!待ちに甘んずる事無く自ら討って出て、ついでに策を巡らし相手を手玉に取る見事さ。我が子がここまで成長してくれれば、親としては感無量だな。だが、まだまだ甘い所が目に付くぞ、我が娘よ」  
 聞く方を置いてきぼりにして一気にまくし立てる。  
 次があるするならばだが、と前置きして領主は自分の娘に話しだした。  
「我が娘よ。もう少し上手くやるのだな。寝ても覚めてもフォル、フォル、フォル!」  
 ふう、と溜め息一つ。  
「あまりに分かりやす過ぎてお前の将来が心配になったぞ。それとあの時にも言ったが、仮にもレディが男のナニの大きさなんか聞きに来るんじゃない」  
 まぁ心配になるのも分からんではないがな、とフォルの巨躯をちらりと見る。  
「それともう一つ、権謀術数のみならず軍学の基礎でもあるが、大切な事を指南してあげよう。何か事を成そうとするならば手勢の確認を怠らぬ事だ。数もそうだが、誰が本当に信頼に足るのかも含めて、な」  
 
 父親の放った言葉が何を意味するのか。  
 言葉が脳に染み込んで、意味を理解し、そして言わんとする事を受け入れるまで、時間にしてたっぷり数呼吸。  
 エリザベスの内で全てが完了した。  
 親の仇でも探すような勢いで、執事服に身を固めた男にバッと向き直る。  
「セバスチャン!お父様には内緒にしてくれるって言ったのに!」  
「申し訳ございません、お嬢様。この身は確かにお嬢様にもお仕えしておりますが、一番にお仕えするのは旦那様でありますれば」  
「お前がなにやら企みを始めた最初も最初から、全て私には筒抜けだったのだよ。我が忠実なる執事を通じてな。おっと、それと言っておくがセバスチャンを恨んではいけないよ。彼は私の言い付けに従って職務を忠実に果たしたにすぎん」  
「じゃ、じゃあ、あたしがセバスチャンに頼んで流した噂って…」  
「アレか?少し下品だったが、まぁまぁの手ではあったな。確かに、いかがわしい噂のある娘を政略結婚のダシには出来ん。私が娘にそんな事をする男だと思われていたのはショックだったがな…」  
 今にも頭を抱えこみそうな悲痛な表情の娘に、悲しげに話しかける父親。  
 確かに領主が、娘を道具扱いするような下衆な男ではないのをフォル知っていた。そうでなければ、誰が臣下になぞなるものか。  
 同時に、彼にどこか悪ふざけする子供じみた所があるのを忘れていたのも確かだ。最近、大人しくしていたので油断していた。  
「まぁ、実際に流れたのは、我が娘が『領主の娘が夜な夜な男を漁っている』と言う噂を流してある男の気を引こうとしているので皆も協力してくれ、と言うものなのだが」  
 領主は、居心地悪そうに立つフォルを視線で指す。  
「で、ここで出てくる、ある男、とは言うまでも無いな」  
 俺が何かしたか、と目で問うフォル。  
 ウチの娘に何もしてなかったのが問題なんだろうが、と同じく目で応える領主。  
「な!なによ、それ!じゃあ、夜も寝ないで必死に考えて、すっごく恥ずかしい思いまでしてセバスチャンに頼んだあたしの立場は?!」  
 悲鳴一歩手前の声で叫ぶ。  
「残念だが、我が娘よ。そんなものは無い」  
 挫けそうな心を奮い立たせ、かろうじて踏ん張っていたエリザベスの全身から力が抜けていくのが、隣にいたフォルには分かった。もっとも、その様子は広間のどこにいても一目瞭然だったが。  
 怒りも悲しみも全てが抜け落ちた虚ろな表情で足元を見つめている。もし、この場にベッドがあったら潜り込んで丸まって不貞寝しそうな勢いだ。  
 ここで、今まで全体像の見えない状況に対する情報収集に務めていたフォルが割って入った。  
「待ってくれ。今の話では、俺が聞いた噂とまったく違うぞ」  
「だろうな。ところで、その噂、誰から聞いたか覚えているか?」  
 フォルの疑問に対し、領主はあっさりと首肯した。  
「なんだと…?」  
 フォルは牛頭の狭い額に皺を寄せ、首を捻った。  
 
 おぼろげな記憶を手繰っていき、フォルはある一つの記憶に思い至った。  
 エリザベス同様、弾かれたように首を巡らした彼の目に入ったのは、優雅に腰を折ってフォルに向けて会釈している執事の姿。  
 頭の中で、館に寄った際にセバスチャンがフォルに言った言葉が再生される。  
『かような噂がございますが、事実無根ゆえにフォル様はお気に止められぬよう』  
 酒を飲まないフォルにとって、酒場などの場所は縁遠い。彼の住むようなさほど大きくない、そして娯楽の少ない村では、そのような酒の席が最も簡単な娯楽である噂話を媒介するのに適した経路だと言うのに、だ。  
 その最適流布ルートに接触する機会が少ないにも関わらず、フォルは噂話を知っていた。  
 となれば、誰かが直接、彼に話して聞かせたのだろう。とは言え、嘘ではあるが噂話の内容が内容だけに聞いた彼が激高するのは目に見えている。そんなミノタウロスを見たいという者は自殺志願者くらいだろう。村人が率先してその役を引き受けるとは思い難い。  
 どのような話であろうと、彼が暴れずに最後まで話を聞く相手。  
 フォルが噂を直に耳にしたのはセバスチャンからだったのだ。  
 加えて、彼の性格を熟知している領主は、彼が噂の真偽を確認しようと口外する事も無いと踏んでいた。その為、フォルは自分の周りに流れている話が、自分の知るそれと異なっていると気付かなかったのだ。  
 つまりは、彼も最初から嵌められていたのだ。  
「そういう事か…」  
「そういう事だ。お前にも言っておくが私を恨むなよ。全てはお前を慕う我が娘を想っての事だ。親馬鹿の力を思い知るがいい」  
 フハハー、と椅子の上で得意そうにふんぞり返る領主の姿に、フォルも全身から力が抜けていくのを感じた。  
 ああ畜生、と唸る。  
 こいつはこういう奴だった。こういう面があったのを何で今まで忘れていたのか。  
「素っ裸にマントを羽織っただけの格好で俺の家に来させたのも策略の内か?」  
 体も心も萎えそうだが、気力を振り絞る。  
 まだ倒れる訳には行かない。  
「アレか。私も流石にあそこまでやるとは思わなかったのだが、我が娘に『お前が脅せばフォルは言う事を聞く』と匂わせたのは事実だ。お前が押しに弱い、とも助言してやったぞ」  
「次からはやり方も教えてやってくれ。もう少し穏便な方法を、な」  
「強硬手段を取られるお前の方に問題があるような気がするぞ。我が娘が折に付け、色々と贈り物をしていただろうに」  
「ああ、前の星月祭の時のケーキは実に美味かったぞ。去年の夏至の祭りに貰った花飾りは見事だったんで、後でドライフラワーにした」  
 年頃の娘が男にプレゼントを贈る。それも精魂込めて作られたであろう、それらを贈られると言う事がどういう意味なのか。  
 エリザベスはプレゼントを渡す時、おそらくは顔色の一つも変わっていた筈だ。事実、エリザベスは熟れた林檎のように頬を染め、プレゼントには寝ないで考えた言葉も添えられていた。  
 だがしかし、神話に登場するあらゆる攻撃を跳ね返す無敵の盾の如き鈍さ。  
 それらに隠されたメッセージに全く気付かないのがフォルがフォルたる由縁か。  
 それとも、毛に覆われていて顔色自体を伺う事の出来ない種族にその手の芸当を求めるのが酷なのか。  
「それが感想か…。我が娘よ、これはなんとも苦労しそうだな」  
「ええ、お父様。それについては嫌と言うほど学びましたわ」  
 まったく手の施しようもないと、末期の病人を前にした医者のような雰囲気を漂わせる領主。  
 エリザベスはと見れば、酷い頭痛に苛まされるように眉間に皺を寄せ、そこを指で揉み解していた。  
 そして、話の展開があまり理解できずにうろたえるミノタウロスが一頭。  
 
「さて、残念だがそろそろ裁定を下さねばならん」  
 領主は裁きを下す者として、室内の空気を一新するように姿勢と声を正す。  
「フォルトゥナート=シュタイン。一介の領民にありながら領主の娘エリザベスと淫らな行為に及んだ事、まことに許しがたい。よって、この者の持つ家と畑を没収とする」  
 領主の言葉は更に続く。  
「同時にフォルトゥナート及びエリザベス両名を我が領地から追放、向こう三年間、領内に立ち入る事を禁ずる」  
「まぁ、妥当な線だな」  
 フォルは渋い顔で頷いた。  
 彼の裁定に不服はない。元よりエリザベスを抱いた時から覚悟はしていた事だ。  
 彼を恨む気も無い。彼は領主として、その義務を果たしたに過ぎないからだ。  
 フォルにとって唯一気懸かりなのは隣にいるエリザベスだった。彼女に策略の巡らす知恵はあるが、何と言ってもまだ十四齢だ。期限付きとは言っても、実の父親に追放されては心に深い傷を負うだろう。  
「なぁ、セバスチャン。これは私の独り言なのだが…確か南方の街に我が家の別荘が一軒あった筈だな?」  
「私めの言葉も独り言でございますが。ええ、旦那様、確かにございます。最近はほとんどお使いになられておりませんし、管理する者もおりません。実を申せば、丁度、管理する者が欲しいと思っておりました次第で」  
「さらに独り言なのだが、近々、我が家の馬車が一台見当たらなくなってしまうな?」  
「はい、旦那様。全ては私めの管理の不行き届きにございます。申し訳ございません」  
 その会話を聞いた途端、エリザベスは花が咲いたように満面の笑顔を見せた。  
「ありがとう!!お父様!」  
「私がしてやれるのはこれくらいだな。しばしの別れだが楽しんでくると良い。我が娘に我が義息子よ」  
 一番心に引っかかっていた事に決着がついて、フォルは胸を撫で下ろした。心中の不安の大きさを示すように、我知らず、深いため息が出てしまう。  
 そこで重大な事に気づいた。  
「…義息子、だって?俺が、ジェラルドの、義息子?!」  
「なんだ、我が義息子よ。そんな簡単な事にも気付かなかったのかな?それともエリザベスとは…」  
 もし遊びだったと言うのなら覚悟を決めろ。  
 ぎらりと剣呑な光を帯びた眼が、そう語る。  
 
「そんな訳があるか!!」  
 フォルが鼻息も荒く否定の叫びを上げる。  
 文字通り暴れ牛のような勢いで鼻から怒気を吐くフォルに領主は、安心した、と笑いかける。  
「フォル、お前はあの血みどろの戦場で私に言ったな。あんたとなら地獄までも一緒に往く、と」  
「ああ、確かに言ったぞ」  
 フォルは彼の一兵も見捨てぬ指揮と、常に自らが先頭に立つその戦い振りに命を預けても悔いは無いと心底思ったのだ。  
 だからこそ、フォルは彼の招きに応じたし、そして今ここにいる。  
 その話と今がどう繋がるのか。今はのんびりと昔話をしているような場合ではない筈だ。  
「地獄に往くには墓場を通らないと行けん。ようこそ、結婚と言う名の人生の墓場へ」  
 両手を広げ、遅れて来た戦友を出迎える。  
 領主のにやにや笑いは、これでお前も仲間だ、と告げているようだった。  
「…アナタ。後でほんの少し、お話があります」  
「いや、オマエ、これは言葉の綾と言うか、なんだ、その、ハハハ…冗談じゃないか」  
 今まで広間に居ながらも、一言も発しなかった女性が初めて口を開いた。  
 額から滝のような汗を流しながら必死に弁解する夫に見向きもせず、領主婦人がフォルに話し掛ける。  
「フォルトゥナートさん、不束な娘ですがエリザベスをお願いいたしますね」  
「はい、奥さ…」  
 ま、と最後まで言い切れなかった。  
 死んだ、と思った。  
 このそれなりに年を食っている筈なのに見た目は妙齢の婦人は、いつも通りの、起きているのか寝ているのかよく分からない糸のような細い目をして穏やかに微笑んでいるだけだ。  
 だと言うのに。  
 背筋に氷柱でもまとめて叩き込まれたかのような、この殺気は何だ。  
 ひりつく喉から辛うじて言葉を絞り出す。  
「はい、分かりました…義母様」  
 不可視のブリザードはぴたりと止んだ。  
 たったそれだけのやり取りでフォルは確信した。絶対にエリザベスは母親似だ、と。  
 領主はまだ悪ふざけが足りないらしく、執事と何やらぼそぼそ相談している。たまにフォルをチラッと見る辺り、どうせ碌でもない事を考えているのは想像に難くない。  
 エリザベスはエリザベスで、義母から何か結婚生活についての教えを受けている。ペットと旦那は最初の躾が肝心、とか聞こえたのは出来れば聞かなかった事にしたかった。  
 
 そんな光景を見ながらフォルは、リズと一緒に一度は自分の故郷に戻らないといけないな、とぼんやり考えていた。  
 

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