五月某日、早朝。
<校長室>
金色の文字でそう書かれた不必要に重厚な扉の前で、一人の女性が立ち止まった。
年齢は二十を少し越えた位であろうか。まだ何処か表情に少女のあどけなさを感じさせるその女性――泉水風音は、扉に向き合うと大きくひとつ深呼吸する。
この小学校に新任教師として配属されて1年余りが経過したが、未だにこの部屋に入る時だけは緊張してしまう。
意を決して2回ノックした後、内からの応答を待って扉を開けた。
「失礼します」
「ああ、お早うございます、泉水先生。お待ちしてました」
豪華なデスクの前に座った人の好さそうな初老の男性――校長は、こちらに目を遣ると笑みを湛えて口を開く。
室内はおよそ8畳。扉の正面にデスクがあり、その手前には簡単な応接セットも配されている。
「既に先日、ご相談させてもらいましたように……」
校長は椅子から立ち上がり
「今日から泉水先生のクラスに転入生を加えていただきます」
ゆっくりと、校庭に面した窓辺へと足を向ける。
自然、その動きに合わせて視線を動かした風音は、こちらに背を向けて窓際に佇む一人の少女の姿を認めた。
ドクン……
(…………あれ?)
背中まで伸びたポニーテールの亜麻色の髪。
「お父さんの転勤で、こちらに引っ越されて……」
……ドクン
(何だろう、これ。胸が……どきどきする)
背が高い。小柄な風音と殆ど同じか、或いはそれ以上か。
「お仕事の都合上、また来学期には……」
ドクン……
(何か……昔、こんな感じが……)
スラリと長い手脚は小麦色に焼け、活発な印象を与える。
「えー、お名前は……」
……ドクン
(……そうだ。これは……)
脳が、チリチリとスパークする。
ゆっくりと、少女が此方を振り向く。
ぐるぐると部屋中が回転するような眩暈感。
少しエキゾチックな彫りの深い顔立ち。挑発的で勝ち気そうな瞳。
どうっ
と、開け放された窓から、校舎に満ち満ちた子供達の嬌声を孕んだ五月の風が吹き込んで来て、頭の中が真っ白になって……
――クスクスッ……
――あっ、ひっ、っ! っっっ! くぅうん、っ、……ふあぁぁ、で、出ちゃうぅぅっ……
――フフッ、またお漏らしぃ? でも、まだまだだよ?
――っ!? んあぁっ、陽子ちゃん、もう止め、止えてぇっ
――あはは、何で? 気持ち良いんでしょ? ほら、ほら、ほらほらほら♪
――んぅうっ、っああぁぁぁっ
扉の隙間から覗き見た、夕陽の差す放課後の教室。
ポニーテールの長身の少女と、その足元で陸に揚げられた魚のように跳ね回る級友。
夕陽を照り返す、床に出来た水溜り……
……先生……泉水先生?
「あ……ふぁ、ふゃい!?」
不意に現実に引き戻され、素っ頓狂な声を上げてしまう。
少し怪訝そうな様子を見せながら、校長は窓際に立つ少女の肩に手を置いて、今しがた述べていたらしい台詞を繰り返した。
「名前は、松下洋子さん。よろしくお願いしますね」
えっ……。
掠れた声を搾り出す。
「よ……陽子ちゃん?」
少女は、その印象深い瞳で上目遣いにこちらを見つめながら、情感を感じさせるぽってりとして唇を、にぃっと歪めて見せた。