夏の暑さが終わりを告げ、秋の紅葉を見せはじめる季節。  
木々が日本的な彩りに鮮やかに染まり、哀愁と、自然的な美を醸し出している。  
無機質なコンクリートは、その表面を色とりどりの葉によって覆われ、そこを踏みしめれば秋の音が鳴る。  
そんな風景を、教室の中から眺めている青年が一人。  
髪の色が薄く金に染まってはいるが、けっして人為的な色ではなく、むしろ金色こそが地であるかのようだった。  
鋭い瞳に無表情ときており、近寄り難さがあるかもしれないが、そこから取れる感情は冷淡としたものでもなかった。  
その青年がしばらく風景を眺めていると、いつしか、時限を告げる、聞き親しんだチャイムの音が流れた。  
教室内で席を立ち談笑していた仲の良さそうな少女達や、何かの用事で教室の外へと出ていた者。  
それぞれがそれぞれの席へと戻り、教師の到着を待つ。  
何の変哲もない、ありふれた学校の風景である。  
全員が席に着いて一分もしたかという頃、教室の扉を、一人の男性ががらり、と開いて中へと入って来た。  
何か大きな特徴があるわけでもない、普通の教師。  
普段のように教卓へ着き、いつものようにホームルームをはじめる。  
そしてそれが終わり、生徒が皆それぞれの行動に移る。当たり前の、いたって普通の光景だった。  
ただ、そこからが違っていた。  
 
 
「ちょっと、一度席についてくれるか?」  
普段ならそのまま教室から去る教師が、突然生徒達を席につかせた。  
何かあるのかといった表情で、生徒が席に戻る。  
さきほどの青年はというと、元から席を立ってはおらず、ただ無表情のまま教師の方を見つめていた。  
「あー、早速だが……」  
いかにもといった口振りで、教師が話を切り出す。  
「近日に、当校に転入生がやってくるという話は皆知っているな?」  
生徒達が一様に頷く。転入生がこの学年にやってくるというのがどこからか知れ、それが話題になっていたのである。  
「その転入生がだな……うちのクラスにくることになった」  
 
教師の突然の言葉に、当然と言うべきか、生徒達がどよどよとし始めた。  
「先生、その転入生っていつ来るんスか?」  
一人の男子生徒が、教師に対して質問する。  
「今日だ」  
 
「え、うそマジで!?」  
「いきなりだねー」  
「どんな人が来るんだろう?」  
 
生徒同士の会話が多くなり、どんどんうるさくなっていく。  
それに歯止めをかけるように、教師が静かにするよう注意をした。  
「まあ落ち着け、実はだな、もう教室の外にいたりするんだ」  
この発言は火に油であった。  
まるで小学生のように生徒が騒ぎ始め、あっという間に教室は転入生ムードになっていた。  
「じゃ、ちょっと呼んでくるから待ってろ」  
そう言って、教師が外に出ていく。  
そんなことはおかまいなしであるかのように、生徒達のお喋りはヒートアップしていった。  
 
「なあなあ、どんな奴が来ると思うよ?」  
さきほどの青年の前に座っている男子生徒が、目を輝かせながら青年に聞いて来た。  
転入生が来る事が楽しみで楽しみで仕方がないといった顔である。  
「……お前のようにうるさくない奴を願うな」  
青年が皮肉っぽく言うと、その生徒は、子供のように頬を膨らませた。  
「なんだよー、別にいいじゃねえかよ。明るいってのはいいことなんだよ」  
「明るすぎるのも問題だな」  
「いいのいいの、ほら良く言うじゃん、善は急げ、ってさ」  
得意げに言ってみせる目の前の生徒に、青年は一つ溜め息をついた。  
「……どういう意味で使っているつもりだ?」  
「んじゃあ、笑う角には福来る?あ!弘法も筆の誤りって奴か!?」  
「もういい、少し黙っていろ」  
 
青年が、生徒にそう言い放ったのとほぼ同時に、再び教室のドアが開いた。  
教室内のすべての生徒がそちらへと集まり、さっきまでのうるささが嘘のように静まり返る。  
教師が先に教室へと入り、転入生に入室を促す。  
そして、その転入生が、ゆっくりと、教室へと踏み込んで来た。  
 
「というわけで、本日よりこのクラスに転入する……」  
「ファティ……ファティ・ランスイードといいます。みなさん、宜しくお願いします」  
転入生は、女性であった。それも、日本人ではなく。  
 
「お……おおおおおおおおお!!!」  
一瞬間が開いた後、男衆がものすごい雄たけびを上げた。  
それもそうであろう、その転入生……ファティは、そこらにはいないような可愛さを持っていたのだ。  
雄のエネルギーを全開にするのは無理もないほどの美貌であった。一瞬、見惚れた者もいるほどだ。  
対する女子生徒も、黄色い悲鳴を上げ、驚いていた。  
「おほーっ、すっげーやつが来たなあ」  
青年の前の生徒も、感心とも驚きともつかない声を上げていた。  
「なあ、どうおも……ん?」  
その生徒が振り向くと、青年は珍しく、驚いたような表情で、ファティをただただ見つめていた。  
生徒が、ここぞとばかりににやり、という笑みを作る。  
「はっはーん……」  
「な、なんだっ、どういう意味だ」  
「おうおう、動揺しとりますのうお兄さん」  
自分の調子を狂わされるのは滅多にない事なのか、青年は動揺を隠せないでいた。  
「うるさいっ!前を向いてろ!」  
「へいへい、邪魔しませんのでじゅーぶん御堪能くださいよーだ」  
「……刺すぞ」  
殺気のこもった青年の声にも生徒はからかいの手を休めない。  
「いやんいやん、嫉妬って怖いわー」  
「そうかそんなに刺されたいか。なら刺してやる!」  
 
そんな漫才を二人が披露していると。  
「あの……隣、いい……?」  
「……なッ……!」  
あろうことか、青年のすぐ隣の席に、ファティが座っているではないか。  
遠くの方から、教師の「ちょうど空いてるからそこで」という声が聞こえた気がした。  
ということは、つまり、そういうことである。  
「良かったのう、この幸せ者めっ」  
生徒のからかいも青年の耳には届かず。  
青年は、驚いた表情でファティの顔を見つめる事しか出来なかった。  
「えっと、その……名前、聞いていいかな?」  
ファティがそういうと、青年よりも先に、まさに神業といった速さで、前にいた生徒が答えた。  
「俺、新宮 涼。よろしく。ああっと、駄目だぜ、俺に惚れちゃ。俺にはもうちゃんとした人が……」  
70年代の映画の渋い俳優のようにキメたつもりの生徒……涼であったが。  
「君じゃなくて、こっちの人に聞いてるんだけど……」  
あっさりと流された。  
自分のネタが通じない事に落胆し、おそろしいほどにテンションの下がる涼。  
そんな涼を尻目に、指名された青年は、できるだけ無表情を決め込みながら、自己紹介をした。  
「……ヤナギ シンマだ。名字は柳、名前は、神に、真と書いてシンマと読む。……分かりづらい名前ですまない」  
「不思議な名前なんだね……よろしく、神真クン」  
「あ、ああ……よろしく」  
無邪気に笑ったその笑顔に、自然と自分も笑顔になっていることに気づかないまま、神真は答えた。  
 
 
こうして、この平凡なクラスに、突然にして、不思議な転入生がやってきた。  
この転入生の意外な正体と、やがて起こる事件を、まだ誰も知る由はなかった……。  
 
 
とある学園の屋上。  
時刻はちょうど昼を回ったところであり、普段は静かなこの場所にも、生徒達が集まり、いくらか賑やかになっていた。  
絵に描いたような青空と燦々と降り注ぐ日光が、気持ちのいい景色を演出していた。  
やはりこういう場所で食事をとろうという考えの生徒がいるためか、いつもよりは生徒の数が多いようだ。  
そんな中、いくつも設置されたベンチに座り、昼食をとっている一団がいた。  
 
「くっくっくっ……今日の俺は一味違うぜ!」  
突然男子生徒の一人が立ち上がり、片手に持っていた、可愛らしい形の弁当箱を天に掲げ、その蓋をあけた。  
「じゃーん!今日はのり弁なんだぜ〜。どうだ、恐れ入ったか!」  
まったく意味のわからない自信を全身から発しながら、その男子生徒が言った。  
お前ら俺様にひれ伏せ、とでも言いたげな視線で残りのメンバーを見下げながら。  
「……作ったのはお前じゃないだろう」  
もう一人の男子生徒の、あまりにも冷静すぎる一言が飛び出す。  
「そ、それはそうだけどよっ」  
「だったらそういうことを言う前に、天音に感謝して、ありがたく頂いておけ」  
それだけで会話をすませてしまうと、その男子生徒……柳神真は、手に持っていた缶コーヒーを、口に含んだ。  
「ちぇっ……そういうことなら仕方がない。……天音、ありがとうっ。君のおかげで僕は生きていられているよ」  
最初はつまらなそうに呟いた涼であったが、すぐに調子を取り戻すと、女子生徒の前に片膝ををつき、大仰に感謝の意を表した。  
「えっ!?そ、そんな……お礼なんて……いいよ……」  
その女子生徒、朽木天音は、顔を真っ赤にさせながら、ぼそぼそと呟いた。  
「天音、本気で相手にしないほうがいいぞ。そいつは冗談とネタの塊のような男だからな」  
「そうそう、俺の体はネタと冗談によって構成されて……って、何言ってんだコラァ!」  
思わず乗ってしまった涼だったが、時既に遅し。  
天音の表情が見る見るうちに怒りの形相に変わっていき、全身から恐ろしい威圧感が放たれる。  
「……冗談なんだ……?」  
目元が髪で隠れているのが逆に怖い。  
「え?あ、あはははは……」  
さすがの涼も冷や汗をかき、仕方なく、視線をそらしながら乾いた笑い声をあげるしかなかった。  
「涼の、バカーーーーッ!!!」  
 
天音の拳が動いた瞬間。  
涼は、空を飛んだ。  
 
「まったく、二人はいつもあんな感じだな」  
コーヒーを飲みながら、あきれたように神真が呟く。  
しかし、その表情に嫌悪感やそういった物はみられず、むしろそれがうらやましい、そんな風に思っているようだった。  
「それじゃあさ、ボクたちもやってみよっか?」  
「ッ!?」  
突然自分の耳元に囁かれた言葉。  
その暖かい吐息と突然の事に驚き、神真はすばやく立ち上がり振り向いた。  
そんな神真に「突然何をするんだ」といいたげな目で睨まれながらも、くすくすと笑っている、囁き声の張本人。  
肘の辺りの長さまで伸びた銀髪は、日光を浴びて煌びやかに輝いている。  
街中を歩いていれば、通り過ぎていく人々がみな振り返りそうな美しさを持っているが、言葉に表すとしたら「可愛らしい」といったところだろう。  
そんな、美少女、という言葉が似合いそうな、後ろに広がる青空のように蒼い瞳をもった、女子生徒が立っていた。  
「あはははっ、神クンおもしろーい」  
「その呼び方はやめろと言ったはずだろう。それと、突然耳元で囁くな」  
彼女の様子にふう、とひとつため息をつき、神真が淡々とした口調で注意をする。  
「えー、いいじゃない」  
唇を尖らせ、女子生徒が不満をもらす。  
「駄目だ」  
神真がはっきりと言うが、女子生徒は大して気にしていないような顔をしながら、上目遣いで、神真を見つめた。  
「だって、神クンが驚いたときの顔可愛いんだもーん」  
「な……ッ!!」  
神真の冷静な顔が真っ赤になり、そのまま固まってしまう。  
「それそれ、かっわいー」  
「いいかげん怒るぞ……ファティ」  
からかわれていることに気づいた神真がわなわなと拳を震わせるが、目の前の女子生徒―――ファティは、まったく気にしていないようである。  
というより、その様子をみて、くすくすと楽しそうに笑っている。  
この後、昼休みの時間が終わるまで、神真はファティにからかわれ続ける結果となったのは、言うまでもない。  
 
 
ファティがこの学園に転入してきてから、早くも一ヶ月が経っていた。  
いや、まだ一ヶ月、というのが正しいのかもしれない。  
とにかく、この一ヶ月の間に、転入生であったファティは、完全にクラスに馴染んでしまったのである。  
当然容姿によるものだけではなく、ファティ自身の人柄が一番の要因であろう。  
学園の中でも指折りの美少女として数えられ、クラスどころか、学園中の男子から人気なのも、やはりその明るい性格があるからこそだろう。  
そんなファティが特に親しく接しているのが、神真や涼、天音といった面々だった。  
クラスメイトやほかの学年の生徒とも分け隔てなく接する彼女ではあるが、この三人とは、出会って一ヶ月だというのに、まさに「親友」といったところであった。  
これは、そんな四人組の、ある日の放課後の様子である。  
 
「今日さ、みんな暇か?」  
ホームルームを終了し、生徒たちもまばらになってきた頃、突然涼が言い出した。  
「暇だけど……どこか遊びにでも行くの?」  
天音の質問に涼がうなずく。  
「実はだな、こんな物を手に入れたのさっ」  
妙にハイテンションになりながら、涼は片手に持っていた何かを、全員に見えるように差し出した。  
その手に握られているのは、映画の鑑賞券が四枚。  
「あっ、これって、ついこの間から公開されてるやつでしょ?見たかったんだよねー」  
たしかに、その作品は、公開初日から話題を呼び、テレビなどでも取り上げられている作品だった。  
「ちょうど四枚あるからさ。今から行かないか?」  
「アタシは賛成っ」  
「ボクもいいよー」  
天音とファティが、二人で仲良く手をあげて、賛同の意を示す。  
「神真は?行かないか?」  
鑑賞券を一枚手に取り、黙ったままそれを眺めていた神真であったが、涼が聞いてくると  
「……行こう」  
とだけ答えて、学生カバンを手に取り、立ち上がった。  
「行くなら早く行ったほうがいい。上映時間に間に合わないかもしれないし、何より席が取れないかもしれない」  
「そうだな。それじゃ、そうと決まれば早速行きますか」  
涼の言葉を合図に、残りの三人も、それぞれのカバンを手に持つ。  
「そんなこと言って〜、神クンも早く見たいだけなんじゃないの〜?」  
ファティが、にやにやしたまま、神真をからかう。  
「そうか。それはよかったな」  
しかし、屋上の一件でいいかげん捌き方を覚えたのか、神真は相手にしないまま、教室を後にしてしまう。  
あわてて天音と涼が、その後を追いかける。  
そして最後に教室を出たファティが頬を膨らませながら、一言。  
「むぅ〜、楽しみじゃないのかな……ボクは楽しみなんだけど……」  
それだけ言うと、ファティは、先行している三人に追いつくべく、足を速めた。  
 
学園の門を抜け、一行は、街の中心部へと向かう。  
都会という言葉がとてもよく似合うこの街には、それこそ数え切れないほどの店や施設がある。  
つまりは、時間をつぶしたり、買い物をしたり、食事を取るためには、まったく事欠かない場所なのだ。  
それゆえ、この時間帯にいる人は、そのほとんどが、暇を持て余した学生だ。  
人ごみを器用にすり抜け、神真達一行は、鑑賞券に書かれていた中で、一番近かった映画館へと到着した。  
 
「お、けっこういいタイミングでこれたみたいだぜ」  
涼が、入り口前に貼り出された、映画の上映時間の予定表と、自分の携帯電話の時刻を見比べながら言った。  
たしかに、上映まで残り15分程度といったところだ。これなら席も取れるだろうし、菓子類や飲料も買ってこれるだろう。  
飲料などは館内でも買えるということで、一行はさっそく鑑賞券を係員に差し出し、館内へと入っていく。  
この映画館はつい最近に建てられた物であり、随分と出資者が力を込めているのか、映画館としてはかなりの大きさだ。  
その中にいくつものシアターが入っているため、公開されている殆どの作品をカバーしており、連日多くの人で賑わっている。  
四人は手早く菓子類を購入し、席へとついた。  
前からの座席順で言えば丁度真ん中、かなり好条件と言えよう。  
 
「そういえばさ、これからやるのってどんな映画なの?」  
さきほど買ってきたポップコーンを早くも食べながら、ファティが隣に座る神真に話しかけた。  
「そうだな……涼、それ、貸してくれるか」  
なにか考える素振りを見せたあと、神真は、涼が読んでいた薄い本のようなものを借りた。  
「これを読めばわかるだろう」  
みれば、それは、これから上映される作品のパンフレットであった。  
表紙や内容を見る限り、どうやらホラー作品の色が強いらしい。  
「……これって怖いやつなの?」  
パンフレットを見つめて固まったまま、搾り出すような声でファティが言う。神真は、こくりと頷いた。  
「恐怖系は苦手なのか?」  
「ま、まさか!し、神クンこそ、ここ、怖がってボクに抱きつかないでよね?」  
思いっきりどもっているのに加え、明後日のほうを見つめながら言われても説得力がないが、神真はそこに突っ込むのをやめ、背中を座席に預けた。  
それとともに、上映開始を告げる、おなじみのブザー音がシアターに鳴り響いた。  
 
作品の内容はとても単純なものだった。  
ごく普通の一般市民が、突然恐ろしい化け物に追われたり、伝承にあるような人外の存在が生命を脅かす。  
何の力もない主役の一般市民たちは逃げ惑うが、ある者は食われ、ある者は発狂してしまったりする。  
典型的なホラー物だ。  
こういう作品の上映中は、観客を驚かせるような意図をもったシーンが流れると、えてして誰かが悲鳴をあげるものだが……。  
 
「きゃあああああああ!」  
「……はぁ」  
何度目か分からない悲鳴と自分の腕に巻きつく感触に、神真は、静かにため息をついた。  
神真が自分の左腕に視線を向ければ、そこには、神真の腕にしっかりと両腕を巻きつけたまま、ぶるぶる震えているファティの姿があった。  
やはり上映直前の言葉は虚勢だったらしく、開始五分もしないうちから、隣にいた神真に抱きつき、怪物が出るたびに悲鳴を上げている。  
これだけ怖がっているというのに、しばらくすればしっかりとスクリーンに目を向けるというのが、なんともまあ健気である。  
「大丈夫か?」  
神真に声をかけられ、ファティが俯かせていた顔を上げた。  
「し、神クンは怖くないの……?」  
震えるファティの声に、神真は、視線をスクリーンに戻しながら答えた。  
「涼や天音がこういうのが好きでな、あいつらに付き合って何度もこういうのをみているから慣れている。それに……」  
言いかけると、ちょうどいいタイミングで、扉を開けた瞬間に目の前に化け物がいるというシーンが流れ、ファティが驚き、さらに強く神真に抱きつく。  
「こういうのはいくらリアルでも、所詮は作り物だからな、それを考えていればまったく怖くない」  
「そ、そういう物なんだ……きゃああ!」  
スクリーンには、襟の大きな黒いマントを纏った、お約束な姿の吸血鬼が、女性の首筋に噛み付いているシーンが映し出されている。  
それを見た瞬間、ファティは、いままでよりもずっと強く驚き、いつのまにか神真の腕ではなく、神真の首筋に両手を回し、思い切り抱きついていた。  
「吸血鬼怖いよう……」  
ほぼ全身にファティの身体の感触があり、目の前にはファティの顔がある。  
できるだけ身体を動かさないようにしながら、神真は、赤面してしまった自分の顔を見られないよう、そっと視線を逸らした。  
 
 
「あー、面白かったなー」  
映画館を出て、大きく伸びをしながら、涼が感情をたっぷり込めて言った。  
「こ、ここここここ怖かったよう……」  
いまだに神真の片腕に抱きつき、半ベソをかいているファティは、もはや可哀想に思えてくる怯えっぷりだ。  
抱きつかれている神真は、いつもの無表情に、少しだけ困ったような色を出してはいるが、嫌がるわけでもなく、黙って抱きつかれていた。  
その様子を、天音が、複雑な表情で見つめている。  
「……アタシもあんなふうにしたら、涼に……」  
ぽつりと呟く。  
「ん?呼んだ?」  
涼が反応すると、天音の顔が、火を吹くようなぼっ、という音とともに、真っ赤になった。  
「え!?よ、呼ぶわけないじゃない!勝手な勘違いしないでよねもうっ」  
「そうか。ところでなんで拳が飛んdぶるわぁああああ!!」  
どこかの天才高校生の父親が出しそうな断末魔を響かせながら、涼が宙を舞う。  
そして、鈍い音を立てて、アスファルトへと激突した。  
「そ、それじゃ、アタシは涼を送っていくから、二人とはここでさよならね!」  
「な、あ、おい、ちょっと……」  
神真が声をかけようとするが、天音は、ぴくりとも動かない涼の足を掴むと、そのまま引きづり、遠くへ行ってしまった。  
結局、その場には、困ったような表情の神真と、相変わらずビクビクしているファティだけが残った。  
「……仕方ない、か。…ファティ」  
「な、なななななな何?」  
ファティと視線が合い一瞬戸惑うが、すぐに平静を取り戻し、神真はゆっくりと口を開いた。  
「その調子だと、一人では帰れないだろうから、家まで送ろう」  
実際、神真はかなり恥ずかしい思いをしているのだが、それを表に出さないようにしながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。  
すると、涙目だったファティの表情が、まるで早送りで花が咲くかのように明るくなっていく。  
「ほんと!?ほんとに!?」  
「……あ、ああ」  
さっきまでの暗さはどこ吹く風、いまや完全にファティは、いつも通りの、明るいファティに戻っていた。  
「それじゃ、行こう行こう!」  
ファティに突然腕を引っ張られ、神真は体勢を崩しそうになる。  
そして、そのまま、引きづられるように、神真はついていくのであった。  
 
「ふふふ……神クンと二人で歩けるなんて、夢みたい♪」  
ぎゅっと腕に抱きつきながら、ファティは幸せそうに言った。  
大げさな、と神真は考えたが、口には出さないことにした。  
さきほど、同じようなことを言った際、ファティにこれでもかというほど反論されたからである。  
そしてなにより、神真自身が、この状況を悪いものだと思っていないというのがあるだろう。  
「うー……到着しちゃった」  
「ほう、ここがファティの家か……っ!?」  
なぜか残念そうなファティの声に見上げてみれば、目の前には、巨大な建造物と、庭と、巨大な門。  
大豪邸という言葉が、これ以上になく似合いそうだ。  
「こ、ここがファティの家なのか……?」  
ファティは、悲しそうな顔のまま、うなずいた。  
「そうか……。ところで、さっきからどうしたんだ?帰るのがいやなのか?」  
首を横に振るが、その表情は、嫌だというオーラを十分にかもし出していた。  
「神クンと離れるのが辛いの」  
まるで付き合い始めたばかりの恋人同士のようなことを言うものだ、と神真は考えたが、やはり、口に出すのはやめた。  
そして、ファティの頭に、そっと手を添える。  
「明日になれば会える。この夜を越えて朝が来れば、いやでも会えるさ」  
「……うん」  
「だからせめて、待っている人と会うときには、笑顔でいるんだ。ほら」  
神真の、穏やかな微笑み。  
こんなときでしか見られないであろうその微笑を見つめながら、ファティも微笑んだ。  
「それでいい」  
神真の言葉とともに、巨大な門が、カラカラ…という音を立てながら、左右に隠れていった。  
おそらく、ファティが玄関先にいることに気づいた誰かが、開けたのだろう。  
「さあ」  
「……うんっ!」  
ファティはひときわ明るい笑顔を浮かべ、駆け出すと、そのまま振り返ることなく、邸宅へと入っていった。  
その様子を最後まで見届け、門が閉まり始めるとともに、神真は、夜の闇へと消えていった。  
 

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