「この辺りにはいるはずなんだけど……」  
生い茂る木々の隙間を縫うように進みながら、周囲に視線をめぐらせる。  
けれど森の中は遮蔽物が多くて隠れる分には簡単で、逆に捜すとなるとかなりの困難を伴っていた。  
普段なら、森は私にとって一番落ち着ける安らぎの場所だ。  
だけど今は違う。  
水の中に一滴インクを落としたように、森全体にとても薄くではあるけれど、紛れもない悪魔の気配が漂っていた。  
息を潜めているのか、それとも何らかの事情でひどく衰弱しているのか。  
後者ならその不浄な存在をこの世から滅する絶好のチャンスだ。  
だけどもし前者なら……。  
感じる気配があまりにも小さすぎて、それから場所の特定をできないことがもどかしかった。  
少し離れたところにある大きな木。  
あれの後ろなんて、隠れるには最適な場所なんじゃないだろうか。  
あの影から今にも悪魔が飛び出してくるかもしれない。  
そんなことを考えていると、愛用の弓を握り締めている左の手のひらにじわりと汗が浮かぶのがわかった。  
柔らかな下草を踏むかすかな音。  
それさえもこちらの場所を相手に知らせてしまう警報のようで、少しでも音を抑えるために慎重に慎重に足を運んでいく。  
どれくらいの時間、そうやって森の中を彷徨っていたんだろう。  
全身を包む緊張感のせいでひどく引き伸ばされて感じられていたその時間は、ある時あまりにも突然終わりを告げられた。  
 
(――なっ!?)  
いきなり膨れ上がった悪魔の気配に思わず足を止めていた。  
爆発的。  
そう表現できるくらいの劇的な変化だった。  
(近い――)  
今や惜しげもなくその存在感を撒き散らす強すぎる気配。  
おかげで場所は容易に特定できたものの、私は自分の考えていた2つの可能性がどちらも外れていたことに戸惑いを覚えていた。  
意図的に隠れていたなら、まだこちらが発見したわけでもないのにわざわざ居場所をアピールしてくるはずがない。  
かといって、この強すぎる気配はとてもじゃないけど衰弱している悪魔なんかに出せるものじゃなかったからだ。  
場所が掴めた今、一気に攻撃に移るか、それとも相手の出方をうかがうか。  
逃げるという選択肢は最初からなかった。  
天使として、悪魔なんかに背中を向けることができるはずもない。  
「だぁれぇ?」  
私の迷いを強制的に断ち切ったのは、何だか間延びした、緊張感のかけらもないそんな声だった。  
声から少し遅れて、その持ち主が姿を現す。  
天使の前だというのに全く警戒心のない気軽な足取り。  
彼女――人間で言えば10歳にも満たないだろう小柄な体躯が纏うのは、森の中にはふさわしくない豪奢な衣装だ。  
その背で折りたたまれた蝙蝠の羽と同色の、ふんだんにフリルがついた漆黒のドレス。  
ボリュームのある金髪の上にはドレスと同じ生地を使ったヘッドドレスが乗せられていて、その小さな体とあいまってお人形さんのような印象を与える女悪魔だった。  
病的に白い顔の中、大きな黒い瞳と毒々しい真っ赤な唇がその印象に拍車をかける。  
幼い容姿だからといって油断はできない。  
年齢と力は概ね比例の関係にはある。  
けれど、主から与えられたそのままの姿を大切にする天使と違って、悪魔はその時々の気分で外見を操作する者も多いというのは常識だった。  
 
「なぁんだ、天使か。  
 でもぉ、おねえちゃん、なんだか弱そう」  
値踏みするような視線を向けられただけで、背筋にぶるりと震えが走る。  
それを武者震いなんだと自分に言い聞かせ、私は腰に下げた矢筒から矢を引き抜いて狙いを定めた。  
けれど鋭利な鏃が向けられているのに、悪魔は全然動じていない。  
完全に舐められていた。  
「大人しくしているなら、苦しまないよう一撃で終わらせてあげます」  
声にまで震えが混ざらないよう、細心の注意を払わないといけなかった。  
そんな私の内心を見透かしたように、幼い悪魔がさもおかしくてたまらないとばかりにくすくす笑う。  
「天使って、どぉして皆、同じことしか言わないのぉ? それに、こんな森の中で弓矢はないんじゃないかなぁ?」  
自分の衣装を棚に上げ、そんなことまで言ってくる。  
そして、それが私たちの戦闘開始の合図になった。  
 
これだけ木が密集していると下手に飛ぶわけにもいかず、2本の足で木々の間を疾走する。  
もう足音を気にする必要はなかった。  
「あは、まぁた、はぁずれ」  
踊るような軽快なステップで、何本目かの矢が易々とかわされる。  
相手に指摘されるまでもなく、この場所が弓矢に向いていないことぐらい理解していた。  
だけど全てが全てマイナスなわけでもない。  
たぶん、爪や尾、羽あたりを武器とする接近戦タイプなんだろう、向こうが何らかの武器を持っている様子はない。  
それなら近づかせなければ攻撃はないんだ。  
木々たちは私の射線を遮る一方で、接近しようとする相手にとっても障害物になった。  
相手の動きは決して鈍くはない。  
それでも、私にとっては十分距離を保てるレベルだった。  
何とか隙を見て接近しようとする彼女と、距離を維持しながら時折矢を放つ私。  
最初の内こそそんな構図が続いたもの、いつしかそれにも変化が訪れていた。  
向こうは無理に近づこうとせず、あからさまに有効射線上に躍り出たかと思うとすぐに木の影へと姿を隠す。  
その動きからは、こちらの消耗を狙っているのが見え見えだった。  
そんなものに付き合う義理はない。  
私がその作られた隙をわざと見逃すと――、  
「どぉしたのぉ? もう撃たないの?」  
あろうことか足を止めて挑発してくる始末だった。  
(馬鹿に、して――っ!)  
乗せられる形で一射。  
当然かわされた。  
そんなことがそのまま何度か繰り返され、徐々に矢筒は軽くなっていく。  
 
「今度はぁ、ここ」  
またしても戦闘中だというのに足を止める幼い悪魔。  
当然そこは私との間に遮るものがない、絶好の射撃スポットだった。  
「いい加減にしなさい!」  
偽りの激昂を叫びに乗せて矢を放つ。  
放たれたそれは、狙い違わず相手の胸元めがけて空気を切り裂いていった。  
「あはは、こわ――ぇ!?」  
気に障る哄笑だけを残して飛び退こうとした悪魔の動きがガクンと止まる。  
驚いたように足元に向けられた視線の先、ドレスの裾からちらりと覗いた真紅の靴に、何本もの下草が絡みついていた。  
それまでずっと余裕を湛えていた悪魔の顔に、初めて焦りの表情が浮かぶ。  
(――もらった!)  
それを見て取った私は、心の内に自分の勝利を確信したのだった。  
 
「そんな!?」  
次の瞬間、私の視界から悪魔の姿が掻き消える。  
それはまるで、あの悪魔がただの幻だったと思ってしまうほど突然の消失だった。  
背後から声が聞こえたのは、さっき放った矢が直前まで悪魔がいた空間を空しく通り過ぎたのとほぼ同時。  
「つーかまえたぁ」  
「きゃぁ!?」  
いきなり胸のあたりを触られて、不覚にも悲鳴をあげてしまった。  
込み上げる後悔と自己嫌悪。  
背後に悪魔がいる。  
それを頭で理解するよりも早く、反射的に右腕で背後をなぎ払うように体を捻っていた。  
「あっはは」  
振り返った視界の中、悪魔の体が遠ざかっていく。  
そこでようやく、何らかの手段で敵は私の背後に移動していたという事実に頭が追いついてきた。  
(……向こうの力は空間転移?)  
私の力は植物の成長を操作するもの。  
それを受けたあの場所の草は、狙い通り確かに悪魔の足に絡み付いていた。  
力によって多少は強化されているとはいえ元は普通の草だから、時間があれば切断するのは難しくない。  
でも、あの瞬間、瞬きすらせず注視していたけどそんな動きは全くなかった。  
いきなり消えて、次の瞬間には背後にいたんだ。  
一瞬とはいえ触れられた胸を中心に悪寒が全身に伝播していく。  
触れるだけじゃなく爪を突き立てられていたら、今こうして立っていることすらできなかったかもしれない。  
それは紛れもない恐怖。  
だけど、それと同時に恐怖にも負けない強さの怒りが、ふつふつと沸き立ってくるのも自覚していた。  
一度は詰めた距離をあっさり放棄したのは、いつでもまた近づけるという自信の表れなんだろう。  
こうなってしまうと、今までの戦闘は茶番としか言いようのないものだったことに気づかざるをえなかった。  
「ちょっとだけ、びっくりしちゃったぁ。  
 でもぉ、草で足止めして矢でとどめなんて、なんだかずるいんじゃないかなぁ?」  
ゆっくりとしたしゃべり方が苛立ちと焦りを募らせていく。  
言葉通り、こちらの力も相手を一瞬驚かせる程度のことはできたかもしれない。  
だけどこちらが相手の力に受けた衝撃は、それとは比べ物にならないものだった。  
 
(――どうする?)  
客観的に見て、相性は最悪といってもいいほどだった。  
跳べる距離と頻度にもよるけど、ある程度以上の距離を維持することが必須の私ではあまりにも分が悪い。  
自在に転移できる相手をどうにかできる手がないわけじゃなかったけれど、それはかなりリスクの大きい、いわば一か八かの賭けだった。  
力のほとんどを使い切る大技。  
万が一外せばもう逃げるだけの力もなくなってしまう。  
(――逃げる? 私は何を考えて……)  
思考を掠めた弱気な考えを懸命に振り捨てようとする。  
「そろそろぉ、逃げようとか考えてる頃かなぁ? いいよ、ビックリさせてくれたご褒美に、今なら見逃してあげるぅ」  
「くっ、ふざけないで! 誰が――」  
屈辱的過ぎる提案をのんでしまいそうになる自分を叱り付けるようにことさら声を張り上げる。  
それは向こうから見たら滑稽な虚勢に過ぎないのかもしれなかったけれど、なんとなく心の奥から力が湧き上がってくるような感じがあった。  
「あはは、まだ力の差がわかんないなんて、おばかさんなんだ」  
馬鹿にしきった笑いをあげる悪魔の姿に、悔しさで胸が詰まりそうになる。  
その悔しさを噛み砕くように、私は奥歯を強く強く噛み締めた。  
そんな私を楽しそうに眺め、再び悪魔がその真っ赤な唇を震わせる。  
「じゃあ、鈍感なおねえちゃんにもわかるように、もうちょっとだけわたしの力を見せてあげるぅ」  
その言葉に私の全身に緊張が走った。  
次の瞬間には相手の姿が掻き消え、すぐそばまでやってくるかもしれない。  
私はいつ相手が転移しても反応できるように、そしてあわよくば転移の前兆のような何かを発見できればと考え全神経を悪魔に注いでその瞬間を待った。  
 
「――ぇ?」  
何が起きても驚かないつもりだった。  
けれど全く予想していなかった現象に、またしても間抜けな声を漏らしてしまう。  
今度は、いつまで待っても悪魔の姿が消えることはなかった。  
反対に、現れたのだ。  
彼女の手に、白い布が。  
全身の肌の上を、ぬるい微風が通り過ぎていく。  
「――!? きゃああ!」  
一瞬戦闘中であることも忘れて、地面の上にへたり込んでしまった。  
お尻の下に直に感じる下草の感触。  
自分の体を抱くように回した両腕の内側には、直接触れる肌のぬくもりが感じられる。  
「あははは、かぁわいい声」  
羞恥で顔が熱くなる。  
いつの間にか、私は身に着けていたものの全てを奪われていた。  
弓も矢筒も服も、下着に至るまでその全てをだ。  
「それにぃ、すっぽんぽんでわたしを睨んでるおねえちゃん、最高だったよぉ」  
おかしさも極まったとばかりにお腹を抱えて大笑いする悪魔に目頭が熱くなる。  
それがどの感情によるものなのか、私にはもうわからなくなっていた。  
自分が跳ぶだけじゃなく、離れた場所にある物を引き寄せることもできる。  
頭の中、嵐のように吹き荒れる羞恥の中で、一度は細切れになった思考を掻き集めて相手の力を分析する。  
転移を見た時点で空間を操るということはわかっていたはずだ。  
だからこの力も予想してしかるべきだった。  
そう自分に言い聞かせて、何とか戦意を奮い立たせようとする。  
「ばぁ」  
「――ひぃ!?」  
そんな私をあざ笑うように、悪魔の顔が目の前に現れる。  
転移を見るのは2度目のはずなのに、それだけでせっかくまとまりかけていた思考があっけなく散り散りになってしまう。  
またしても反射だけで腕を振るけど、そんなの当たるはずもない。  
「隙ありぃ」  
軽やかにかわした悪魔は逆に、その細い腕を私の体に伸ばしてくる。  
「――!?」  
股間の1点から電流を流されたような衝撃が全身を駆け抜け、声にならない悲鳴がほとばしる。  
何をされたのか理解ができず、ますます私はパニックに陥ってしまう。  
「あははははは、おねえちゃん、頭は鈍いけど体の方は敏感なんだぁ」  
耳障りな笑い声が遠ざかっていくことでかすかな安堵が込み上げてくる。  
だけど、いつまたそれが近づいてくるのかわからない。  
わずかに残った理性は立ち上がって戦えと命令してくる。  
だけど、今の私は立ち上がるどころか、俯けた顔を上げ、相手を見ることすらできなくなっていた。  
怖かった。  
短い時間とはいえ完全に手玉に取られ、私の心は完全に打ちのめされていた。  
涙があふれ頬を伝っていくのを拭うこともできない。  
2本の腕で自分の体を掻き抱き、ただ身を縮こまらせて震えている。  
むきだしになった太ももに落ち、周囲に散っていく小さな飛沫。  
それは、今の私の心そのものだった。  
「あーぁ、だから逃げればいいっていったのになぁ。  
 さってと、おねえちゃん大人しくなっちゃったし、そろそろ終わりにしよっかなぁ」  
聞こえよがしの呟き。  
その中の終わりという言葉に心が震えた。  
これまででも、向こうがその気なら私は何度死んでいたのかわからない。  
完全に生殺与奪の権利を握られた状態。  
だけど、限界まで追い込まれた瞬間、私の中で何かが吹っ切れた。  
もう迷っていられる段階じゃなかったんだ。  
 
ずっと俯けていた顔を上げると同時に、残された力の全てを地面を介して周囲の木々に流し込む。  
変化はすぐに訪れた。  
生い茂る木々の幹といわず枝といわず、至るところに数え切れない瘤が生まれて育っていく。  
「あは、まだ何かする気なんだ」  
嬉しそうに周囲を見回す彼女は完全に油断しきっていた。  
どんな攻撃からも転移で逃げられる、そう思っているんだろう。  
(でも――そうはさせない!)  
心の中、仮想的に作り上げた弓。  
限界まで引き絞ったその弦を離すイメージが、わたしにとって最後の大技発動の引き金だった。  
一斉に瘤が割れ、中から飛び出した無数の弾丸が周囲の全てを打ち砕こうとする。  
上空を含め、この森にいる限り逃れる術はない。  
それだけの密度を持った弾丸の嵐が私の正真正銘切り札だった。  
本来なら、私のいる場所だけが唯一安全になるよう狙いを調整する。  
でも、相手が空間を操る以上私と相手の位置を交換される恐れがあったから、今回はそれすらしなかった。  
負ける恐れのある賭けよりも、確実な相打ち。  
それが私にできる精一杯だった。  
「勝てないなら心中ぅ? だから天使って嫌いなんだぁ」  
確実な死が目前にまで迫ったせいか、逆に恐怖という感情を喪失した私の鼓膜を振るわせたのは、初めて聞くつまらなさそうに吐き捨てられたそんな言葉。  
その声の主が誰なのか理解する暇もなく、私の意識は闇に包まれたのだった。  
 
闇に落ちる直前、覚悟していたような痛みはなかった。  
五感の全てを失った状態で、闇の中に意識だけを漂わせる時間がただただ続く。  
圧倒的な孤独感。  
これが死ぬということなんだろうか。  
もしこの状態がこれから先永遠に続くというなら、そう時を待たずして気が狂ってしまうんじゃないか。  
そんなことを考えていると不意に世界が光を取り戻した。  
 
濃密過ぎる闇が拭われた時、目の前にあったのは私自身の体だった。  
一糸纏わぬ姿で地面に座り込んだ自分の額に、私はその手を伸ばして指先だけで触れている。  
にもかかわらず、目の前の私自身の両腕は自分の体をかき抱くように胴体に回されていた。  
「おねえちゃんが今見ているのはぁ、わたしが今見てるもの」  
私の口が勝手に動き、私のものではない声を紡ぐ。  
(この声……あの悪魔?)  
少し声の高さが違う気はするけれど、それでもこの声は確かにあの悪魔のもののように私には感じられた。  
「普通なら、おねえちゃんにこの世界を知覚することできないんだけど、最後だから特別に、意識だけ止めずにおいてあげたんだよぉ。  
 でも、それだけだと肉体が止まっているせいで何も感じられないから、今はわたしの感覚を流し込んであげてるんだぁ」  
首が勝手に動いて周囲を見回す。  
(――止まってる)  
瘤から放たれた弾丸、その全てが空中で制止していた。  
「これがぁ、わたしの力。  
 時間の流れを止める、停滞の力」  
敵の口から解説されて、そこでようやく私は相手の力の本質を悟る。  
同時に、自分がどれだけ無謀な戦いを挑んでいたのかも思い知らされていた。  
彼女が屈み込み、それに合わせて視点の高さと、私の額に当てられた指先の位置が移動していく。  
私の体の中心線をなぞるように下りていった指先がたどり着いたのは、ぴたりと閉じられた内股の奥。  
(――や、やめて!)  
他人に、しかもよりにもよって憎むべき悪魔に、その場所を触れられる。  
必死に張り上げる心の声が聞こえているのかいないのか、彼女の指先がその奥にある何かを的確に探り当ててくる。  
「さっきちょっと触っただけでぇ、あんなに反応してたもんねぇ? あぁ、さっきより大きくなってるかもぉ」  
薄い皮に包まれた小さな硬い突起物。  
それを悪魔の指先がクニクニと押し潰している。  
それでも私が感じているのは彼女の指先の側の感覚だけ。  
敏感すぎる場所を弄ばれているのに微動だにせず、ただただ彼女のなすがままにされている。  
この世界では、むしろ私の方が1体のお人形さんに成り下がっていた。  
 
「これぐらいでいいかなぁ」  
(いったい何を……)  
ここまでされても、私には悪魔の意図が完全に掴めているとは思えなかった。  
ただ、ひどく嫌な予感だけが心の奥底にわだかまっていく。  
動けない私の体を弄ぶ様を見せ付けて羞恥を煽る。  
たぶんそれも間違いじゃないんだろうと思う。  
だけど、この悪魔はそれ以上の何かを企んでいるんじゃないか。  
それは漠然とした予感だった。  
 
「さっきも言ったけど、本当ならこの世界で起きたことはおねえちゃんには知覚できないの。  
 服を脱がせてあげたのも、最初は全然気づかなかったよね?」  
その時の滑稽さを思い出したのか、彼女は悪意のこもった笑みを漏らした。  
確かに、あの時気づいたのは、肌を直接撫でた風によってだ。  
それはつまり、脱がされた時に肌と服の間にあったはずの摩擦は全く感じられなかったと、そういうことになる。  
「でも、今度は違うんだよ。  
 意識まで止まっていたあの時と違って、今のおねえちゃんにはわたしに触られたって記憶があるでしょ? じゃあ、これで時間が動き出したらどうなるのかなぁ?」  
(……まさか)  
恐ろしい可能性が頭を過ぎる。  
「ぴぃんぽぉん」  
楽しそうな悪魔の声が、今まで一番嫌らしく頭の芯にこびりついてくる。  
「時間が動き出した瞬間にぃ、意識と肉体がぁ、帳尻を合わせようとするんだよ。  
 ちょっと触っただけでもあんなだったのに、これだけ念入りにしたのが全部一辺にきたら、おねえちゃんどうなっちゃうのかなぁ?」  
心底楽しそうな悪魔の声音と対照的に、私の意識は一秒ごとに絶望の色一色に塗り潰されていく。  
もし体が動いたら、きっと奥歯がガチガチと鳴ってうるさかっただろう。  
「じゃぁね、わたしそろそろ行かないと。  
 おねえちゃんがイッちゃう瞬間を見れないのは残念だけど、ここにいたら痛そうだもんね」  
(ま、待っ――)  
彼女の指先が私のそこから離れると、またしても私の世界が闇に包まれる。  
意識だけがあって、でも肉体の時間は止められているせいで何も感じられない闇の中。  
(や、やだ……)  
今の私にできるのは、この世界に再び光が差し込むその時を待つ、それだけだった。  
その直後に訪れる経験したことのない、予想すらできないその瞬間に怯えながら――  
 

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