───あれから、どれくらいの時がたったのだろう。  
 
首を巡らせてげて周囲の闇に目を凝らす。  
ここは地下。  
ランプも、蝋燭すらも無いが、常の状態の彼女であれば、ゆうに見通すことの出来るはずの、慣れ親しんだ暗闇───  
目覚めたということは、きっと外の世界は夜なのだろう。  
 
月は出ているだろうか。星は?どんな風に輝いて……  
夜気に混じる薔薇の香り。深呼吸して綺麗に刈り込まれた常緑の垣根の迷路を散策する。  
何より、月光を反射して銀に滴り落ちる噴水を見るのが彼女は一番好きだった。  
 
懐かしく慕わしい彼女の屋敷。  
もう帰る事は出来ないのだろうと思うと、涙が滲んで頬を濡らす。  
そして嗚咽のたび、両手足を戒めた鎖が耳障りな音を立てる。  
 
(こんな、こんな鎖も引き千切ることが出来ないなんて)  
悪あがきに手足を突っぱねてもがくが、やはり鎖はびくともしない。  
彼女を吊り下げる鎖は銀ですらなく、一般的な鉄製のものだ。  
夜目が利かず、力も出せず、常人より何倍も優れた感覚も働かない所を見ると、なにか特別なもので鋳られているのに違いない。  
 
ひとしきり抵抗した後、力が吸い取られるような眩暈にこうべを落とす。  
 
滅せられたほうがどれだけ楽だろう。  
襲った獲物に捕らえられ、辱めを受けている。こちらが家畜のように血を与えられ、生かされ続けているのだ。  
 
鈍くなっている感覚の中、喉へと這い登るひりつくような渇きだけが鮮明だった。  
今日の訪れはあるのだろうか。  
残忍にいたぶられ、血を与えられると分かっていても、それを待ち望んでいる自分も確かにいるのだ。  
 
なんて、卑しい。  
 
彼女の誇りは打ち砕かれ、飢えと渇きに浸食されていく。  
 
重たげな音が響き、彼女ははっとして顔を上げた。  
地上へと続く階段の先の扉が開かれ、一人の少女が姿を現す。  
やはり月が出ているのだろう。  
銀の光が淡く彼女を包み込む。  
少女、といっても外見は自分とそう変わらない。  
歳の頃は15、6、切れ長の瞳と、凛とした眼差しがこちらを冷ややかに見つめている。  
 
癖の無いプラチナの髪が肩に落ち掛かり、月光の中でさらりと揺れる。  
その様は彼女が愛した噴水の水に似て、思わず目を見開いて顔を背けた。  
 
「───あら、そんなに待ちどうしかったのかしら?」  
冴えた声音にびくりと身を震わせる。  
「……待ってなどっ!断じて……」  
内から厳重に鍵を掛け、手を翳すと口元が小さく動く。聞き取れはしないが、何か聖句を唱えているのだろう。  
 
───あれに、彼女は灼かれたのだ。  
彼女の中に恐れが去来する。  
少女の声には並の神父以上の力があった。  
本来ならば、厳しい修行と祈りによって培われるはずのもの。  
年端もいかぬ、しかも尼僧ですらない人間に持ちえるはずの無い力。  
まったく予想外のことに、彼女は捕らえられて堕とされた。  
 
こつこつと渇いた靴音を響かせ、少女が彼女に歩み寄る。  
ランプの光が揺れ、再び閉じられた地下の闇を照らす。  
 
くす、くす、と少女の楽しげな笑いが広がる。  
「嘘を吐くのはいけないわ。そんなに食い入るように見つめて……」  
簡素な白いブラウスに包まれた襟元がはだけられ、なお白くほっそりとした首が晒される。  
「これが───欲しいんでしょう」  
言って指先で自らの首筋を撫ぜる。  
「……イヤっ!!」  
 
あまりの生々しさ、肌の下に脈打つ赤い血の律動を感じて悲鳴を上げて目を反らす。  
羞恥に顔が熱くなるのが分かった。  
 
「まだ自分の立場というものを理解していないようね。素直になるまでお仕置きよ……」  
言葉とは裏腹に、少女の瞳が愉悦に細められる。  
「リア、こっちをお向きなさいな」  
顎をつかまれ、伏せられた顔を持ち上げられる。  
少女の顔が近付いて暖かな吐息が掛かる。  
足元にランプを置くと、少女はポケットを探り、白い欠片を取り出した。  
 
かり、と少女がそれを齧ると、とたんに信じられない悪臭が広がる。  
────大蒜!  
これ見よがしに咀嚼し、飲み込む。  
赤い舌がちろりと覗いて唇を舐めた。  
「ああ、やっぱり伝説は本当なのね……気持ち悪い?体に力が入らない?」  
 
「ど…して、こんなっ……」  
ひどい吐き気がする。涙が滲んで視界がゆがむ。  
「それはね……あなたがあんまり可愛いからよ……」  
いいざま、唇が重ねられ、少女の舌が滑り込む。  
「…んッ!……んぅ!……ッ!!」  
先ほどとは比べ物にならない臭気が口腔内に広がり、唾液が流し込まれる。  
臭気に反する柔らかな感触に精神が引き裂かれそうだった。  
くちくちと擦り付けられ、唾液を混ぜるようにかき回されて舌が吸われる。  
「───…はッ!、はぁ、ぁ…もう、やめて……お願い……」  
唇を開放され、喘ぎながら懇願の言葉を口にする。  
少女の意図が知れなかった。  
ただ、苦痛だけが彼女の体を支配する。  
「だめよ。ちゃんとわたしに応えて唾液を飲み込みなさい……。あなたの舌で、わたしの口の中を綺麗にするの。でないと、いつまでたっても楽にならないわよ……」  
 
耳元に唇が寄せられ、言葉の合間に耳をついばまれる。  
少女の荒い吐息と唇の感触が、彼女の思考を狂わせていく。  
「ん……!」  
ちゅ、と励ますように首筋にキスを落とされ、また濃密な口付けが再開される。  
 
絡められた少女の舌を吸う。  
大蒜の臭気を取り去るように舌を擦り付けて、溢れる唾液を懸命に飲み干す。  
そうするうちに臭気は薄れ、口付ける行為自体に熱中していく。  
彼女の口腔内に在った熱く柔らかな舌が唐突に引かれ、つうと細い糸が紡がれた。  
「……ぁッ」  
離れた唇の感触が寂しくて、追う様に小さな喘ぎが漏れる。  
少女が艶やかに彼女を嘲笑う。  
(私は、いま、何を────!)  
 
与えられる快楽に抗うどころか、自ら求めるような行動とってしまった。  
少女の思惑通りにくすぶり始めた渇きとは別種の欲に理性が蝕まれていく。  
 
また、少女の力に、瞳に、指に、思うがまま掻き乱され、果てに与えられる血液に蹂躙されるのだ。  
どうせ屈服するのならば、いっそ……。  
切れるほどに唇をかみ締め、彼女は決意を込めて顔を上げる。  
 

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