微かな蝋燭の灯りしかない地下室に一組の男女がいた。二人とも黒を基調とした服を纏っているが、それ以外は全く違う。
ゴスロリメイド服に身を包んだ女は、長い銀の髪が特徴的な十代半ばの美少女。寝台に寝かされ、手足は銀の枷で縛られている。眠っていても、気品と威厳が漂ってくるようだ。
三十前だろう男は神父のような服装で、少女に銀の十字架を捧げ何事か呟いている。
「アーラーハンマーヤー……星辰は満ちた。今こそ目覚めよ、吸血鬼マジャーラ」
十字架から目映い光が放たれ、少女の赤い瞳がゆっくりと開かれる。
数秒間天井を眺めた後、体を起こそうとするが、固定された手足は動かない。
「人間、これは何の真似じゃ。余が夜の民を従える女王であるのを知っての所業か?」
何故かこの体は渇いている。近くに人間がいるのは目覚めた時より気付いていたが、浅ましく襲いかかるのは趣味ではない。
唯一動く首を使い、未だ動かぬ人間へと視線を向けた。そこには、幾度となく矛を交えた仇敵の姿があった。
「げえっ! ツイ!?」
怯えきったその声と姿に男は腹を抱えて笑いだした。怒りと羞恥に顔を赤く染め、今度は威厳に満ちた声で語る。
「……ふん。如何なる術かは知らぬが。寝込みを襲い余を縛るとは、ツイらしくもない姑息な手段だのう」
震える体で余裕を見せようとする吸血鬼。
「残念ながら、俺は悪魔祓いの須藤終じゃあない。その孫、須藤一だ」
厭らしい笑みを浮かべたままの男に呆れたように溜息を吐く。
「ハジメとやら、嘘ならばもっと上手く吐くがよい。ツイは貴様よりも幼い外見じゃった。人には孫より幼い祖父なぞおらぬのであろ?」
「馬鹿だねぇ。あんたは爺さんに封印されてたのさ。俺がその封印を解いてやったのさ」
一は得意気に銀の十字架を翳してみせる。
「マジャーラは百年もこの十字架に封印されてたのさ。さあ、恩人の俺を崇めろ、讃えろ」
小躍りしそうな男に蔑む目線を向けながら手枷を鳴らす。
「そんな事より、早くこの枷を外すがよい。余はツイに封印の礼をせねばならぬ」
「ああ、それは無理。爺さん死んでるし」
何気ない一の言葉に少女は愕然とする。
「そうか……死んでおったか」
「そ、死んだ」
悲しみの色に染まっていく少女にあくまで軽い声を投げる。
「ところで、マジャーラって言い難いからサラって呼ぶぞ」
「黙れ下郎! 我が名は父母に賜いしもの! 軽々しく略するでないわ!」
噛み付かんばかりに怒る少女を笑いながら、一は壁にあるレバーを落とす。瞬間、少女に電撃が襲いかかった。
「言っておくが、その枷には高圧の電気が流れるようになっている。俺の機嫌を損ねると……」
「ま…まあ、貴様は恩人であるからの。名前くらい好きに呼ぶとよい」
電流をカットした男の言葉に首を高速で縦に振る。その姿に満足したように十字架を玩ぶ。
「それに、この十字架に再封印するのだって簡単なのだぞ」
サラは涙を浮かべ蒼白にした顔をゆっくりと横に振る。
「な、何が目的じゃ。余を解放したのには理由があるのであろう。聞いてやるが故、話すがよい」
「じゃあ教えてやろう……」
笑みを消し、真剣な表情となりサラに向かう一は重々しく口を開いた。
「俺のメイドになれ」
真面目に馬鹿馬鹿しいことを言った一に、先程までの恐怖を一瞬で忘れ怒鳴る。
「戯れ言を申すな! この余を女中にじゃと……本気で言っておるのか!」
「本気じゃなくてこんなことが言えるか!! その服だってそのために作ったんだ!」
怒鳴り返されたサラは目をぱちくりとして一を見る。
サラが見つめているうちに、かつての仇敵であった終を思わせる真剣な表情も鳴りを潜め、再びにやけた顔に戻る。
「どうやら俺の気持ちは伝わったようだな……。さあ、俺に仕えろ。忠誠を誓え。甘えた声でご主人様と呼んでください!」
「ふ、ふふふ……」
地下室の気温が急に下がったように感じられた。静かに笑うサラの周囲は霧のような形に現出した濃密な魔力が漂い始める。
「冗談が過ぎたの、人間。枷を外し、余を自由にすれば見逃してやろうと思うたが……」
「ヒイィィッ!!」
みっともなく壁際にまで後ずさる一の姿に、サラは眦を決する。
「なんじゃその姿は! 余に向かう気概もないのか! ツイならば勝てぬ相手であろうと、そんな情けない姿なぞ見せなんだぞ!」
更に濃さを増す魔霧に怯え、一は壁のレバーを何度も動かす。
「そ、その銀の枷は人外の魔力を抑えるし、電圧も最大。これでも逆らう気かぁ〜」
「煩い!」
サラは寝台を中心から折り身を起こす。
「こんな玩具で余を縛れると、本気で思うておったとはの」
銀の枷を力ずくで引きちぎり、ニーソックスのまま地下室に立つ。ゆっくりと迫るサラに涙を流して命乞いをする。
「……貴様の血なぞ飲む気にもならぬ」
その言葉に安心し息を吐いた一は、右手を振りかぶるサラの姿に腰を抜かした。怯えきった一に、サラは女神のような笑みを浮かべ怒りの欠片もない優しい声で囁いた。
「安心せい。ちょっと八つ裂きにするだけじゃ。まずは腕を八つ、次は足じゃ。死なぬように留意してやるからの。余の誇りを傷付けた罪、存分に後悔するがよい」
少女が腕を一に落とそうとした瞬間、霧が晴れた。サラは胸元に手をやり、苦しそうにうずくまる。
それを見た一は、立ち上がりサラの頭を蹴り飛ばさた。仰向けに吹き飛んだ少女の肢体を笑いながら何度も踏みつける。
「ハッ、そうだよな。百年も吸血していないのにこんだけの力を使えば血も切れるよな」
「くっ……」
体を丸めることも出来ずに、サラはただ痛みに耐えていく。
暫くして少女への暴行を止めると、しゃがみこみ銀の髪を掴んで少女の頭を持ち上げた。
「どうした、吸血鬼。俺を八つ裂きにするんだろ?」
何の反応もしない少女に舌打ちをすると、一は堅い床に頭を投げ捨てた。
懐から細いナイフを取り出し、自分の指を傷付ける。少しずつ滲む血の匂いに、ぴくりと体を震わせるサラに静かに語る。
「血をやるよ吸血鬼。こんな下郎の血でよけりゃあな」
サラはゆっくりと一に顔を向けた。その顔色は死人のようで、赤く輝いていた瞳も曇っている。
「……本当……か?」
老婆のように掠れた声に大仰に頷く。
「本当さ……。今後、俺の命令に従うのならな」
「まだ…そのような、戯言を……。そんなに…余を女中にしたいのか……?」
何の感情も感じ取れなくなった声色に、一は一層笑みを深くする。
「違うね、サラには奴隷になってもらう」
「なん…じゃと…!」
再び怒りの視線に射抜かれる。
「血が、欲しくないのか?」
返事をすることもなく俯くサラ。
こんな下衆の奴隷……冗談でも耐えることはできない。だが血の渇きは体と心の両方を蝕んでいく。漂う血の匂いを嗅ぐだけで、男の前まで這いずり、舌を伸ばして流れる血を舐め啜りたいという欲求は膨らんでいく。
葛藤するサラを一はまたも罵倒する。
「卑しいな、吸血鬼。誇りとやらは何処に消えた? 蛆虫のように這って、豚のように鼻を鳴らして、物欲しそうに血を眺める姿の何処に」
(そう、じゃな……。余にはもう、何も……)
理性が薄れ、血を求めることしか頭に無くなったサラの口から、我知らず言葉が漏れていった。
「血が…欲しい」
「なら誓え。俺の命に従い逆らわぬと」
「誓う…。余は主に従う……。じゃから」
その言葉に頷き、一は流れる血を数滴床に垂らした。
「舐めろ。豚は床に落ちた餌で充分だろう?」
その言葉が終わらぬうちに、サラは床の血を貪る。
一に罵られた屈辱も憎悪もどうでもよかった。今は血の芳しさと甘さを体中で感じていたかった。
蛆のように這い蹲り、埃ごと血を啜る。血が無くなってなお床を舐めるサラに一は傷の残る指を指しだした。猫のように指の匂いを嗅ぐと、口に含み啜り始めた。
(甘い…甘い…甘い…甘い………)
指から全身の血を吸い取るようにするサラの口から指を引き抜いた。
サラは締りなく濡れた瞳を一に向けると、自然頭を垂れた。
「これで、俺の奴隷だなサラたん」
からかう一の言葉にも、完璧な臣下の礼で答える。
「それが、誓約じゃ」
感情を消したサラの声に満足すると、一は黒皮のチョーカーを差し出した。
「これは吸血鬼の力を奪う犬の首輪」
「それを…余に着けるのか?」
一はわざとらしく首を振る。
「違う。自分の意志で着けるんだ」
サラは一の手から首輪を奪うと、迷う様子もなく自分の首に巻いた……。