これでかれこれ3周目か。校門の前には、酒井裕美が仁王立ちで待っていた。  
ふらふらになりながら近づく宮口。酒井はその周囲に群がる男子を憎しみとすら言えるなにかの篭もった目で見据える。  
「どきなさい、変態」  
ドスの効いた容赦のない台詞。  
その迫力に、男子どもの一部は足を止め一歩引く。  
だが、一人は勇敢というか鈍感だった。へらへらといやらしい笑みを浮かべながら近づいていく。  
「生徒会の副会長様がそんなこと言っちゃいけないんじゃないかー」  
「あんたたちはたらたらしてないで走りなさいよ」  
「いやー、おれ疲れちゃってさー」  
「もういいっ」  
へたり込んだ宮口をいたわるように酒井が屈み込むと、肉付きのいい見事な尻が突き出される。  
「パンツのゴムが切れちゃってさ……」  
「バカね、そんなときは無理して走らなくていいのよ。黒澤先生だって無茶は言わないわ」  
男子どもは酒井を無視して、立ち位置をずらして宮口の方に視線を向ける。  
ああ、おまえらぜんぜん分かってないなあ。酒井の腰からケツへのラインは一級モノだぞ。  
(こけろ)  
俺は力を使って酒井を張り飛ばした。  
すっ転んでケツを突き出す酒井。体育会少女らしく小麦色の宮口と違って、生白いふとももがなんともいえずエロチック。  
だが、もちろん、それだけで済ませるわけがない。宮口のときはパンツをずり下ろさせたわけだが……  
(裂けろ)  
酒井のハーフパンツのケツのところが真っ二つに割れる。  
隙間からのぞくのは、股引を思わせるベージュ色のパンツ。  
「おまえケツでかすぎー」  
「おい、ウンコ色だぜ、ウンコ色」  
「おかんがそんなの履いてた」  
「俺がもっとセンスいいの選んでやろうかー」  
「あんたたちっ! 先生に言うだけじゃ済まさないからねっ!」  
メガネの奥からにらみすえる生徒会副会長。  
「俺たちはなんもやってないよなー」  
「ふざけないでっ。あなたたちが突き飛ばしたんでしょうっ」  
「勝手に転んだんだろ。ケツが重過ぎて」  
「はははははっ、そうだよな。ケツが重過ぎて」  
げらげらと笑う男子ども。羞恥と屈辱に顔を歪ませる酒井、宮口。  
諸君はこれまでよく働いてくれた。何度礼を言っても言いたりないよ。  
ついては、君たちにも、最高の羞恥を味わってもらおうっ!  
「脱げろ」  
俺が一声念じると、男子4人の体操着のズボンが一斉にずり落ちた。  
トランクス、トランクス、ボクサーパンツ、ブリーフ!  
もちろんそろって股間はもっこりだっ!  
「きゃああああああああああああああああああああっ!!」  
大声を上げて顔を真っ赤にし、抱きしめあう酒井と宮口。  
その網膜に刻印される男のシンボルのシルエット。  
彼女たちには男子どもが強姦魔に見えていることだろう。  
周囲から集まる視線は、彼女たちから男子どもへと。  
「ま、まてっ」  
「おい、見るなっ、見るなよっ」  
奴らはズボンを履き直そうとするが、ズボンは「なぜか」地面に貼り付いて離れない。  
 
「この痴漢野郎っ!!」  
激昂した宮口が、ジタバタする男子生徒のケツに蹴りを入れた。  
顔面から地面に突っ込み鼻血を吹くそいつ。チェックのトランクスに黒く残る足跡。  
道路にのたうつ男どもを、宮口は片手でハーフパンツをつかんだまま、次々と足蹴にしていく。  
血走った目がぎらぎらと、ヤバげな光を放っている。  
クラスメイトは足を止めるが、遠巻きに見守るばかりで近づけない。  
「あ…ん……ふぅっ……」  
一人の男子生徒は妙に色っぽいあえぎ声を出しながらなぶられている。こっちもヤバいし、近づきたくない。  
(飛べ)  
目を閉じて、額に拳を当てて念じると、俺は人垣の裏側に“転移”していた。  
生徒を押しのけて宮口の肩をつかむ。  
「落ち着け、落ち着けって」  
「邪魔するなよっ!!」  
宮口の手が顔に当たる。目の下、頬骨がずきずきと痛む。  
「え…あ…ご…ごめん……」  
泣き腫らしたような目が俺を映す。  
呆然と、ほうけたようにきょろきょろと周囲を見渡す。  
ゴムの千切れたハーフパンツ、無様に転がる変態ども、恐怖や好奇心の混じった周囲の視線。  
「ふ、あ…あ……」  
口元が歪み、目尻に新しい涙がわいてくる。  
やべ…かわいいぞ……こいつ。  
泣き顔にいちばん惹かれるなんて、俺も相当イカれてるかもしれない。  
体操着の襟元をぐいっとつかまれた。  
「う…う…うわあああああんっ」  
俺の胸元に顔をうずめて、大声をあげて泣き出す宮口。肩に立てられた爪が痛い。  
(ど…どうしろっていうんだ?)  
「そのままに、させてあげて」  
胸で大きく息をしながら、宮口を気遣う田中陽子。心配で戻ってきたらしい。  
友達思いのいい子じゃないか、惚れちゃうぜ。  
それに、グッドタイミングでいい仕事をしてくれる。  
「おまえたちっ! なにをやっているんだっ!」  
大またで歩いてくるのは、体育教師の熊澤こと黒澤。趣味は筋トレ、上腕が女子の…どころか俺の太ももほどもある筋肉ダルマ。  
「マラソンは中止。おまえとおまえは(顧問をつとめる陸上部員を2名指名)ここに残って戻ってくる奴を教室に帰らせろ。おまえは――」  
熊澤と目が合った。重量級の視線が威圧してくる。  
「おまえは、その子についていてやれ」  
……どうやら、俺はずっとこうしてないといけないらしい。  
胸元で泣きじゃくる宮口の背中に手を当ててやると、宮口はいっそう俺に体重を預けてきた。  
大きなバストが俺の胸に当たってつぶれる。  
そうして熊澤は、なにやら言い訳をする変態どもを回収していった。  
(なおれ)  
パンツのゴムは繋いでやる。俺って友達思いだろ?  
 
 
 
「ふぅ……全く、1時間も説教するんだからなー」  
結局放課後に職員室まで携帯を取りに行った後、こってりと先生にしぼられてしまった。  
超能力でこっそり取り返すこともできたが、それだと後で怪しまれるからな。  
そんなこんなで、家にたどり着く頃には既に7時を回っていた。  
 
「ただいま」  
扉を開けると、玄関に沙耶の靴しか出ていないのに気付いた。  
「……おかえり」  
少し遅れて、リビングから妹の少し拗ねたような声が聞こえる。  
どうやら、ソファに座ってテレビを見ているようだ。  
「母さんは?」  
そう訊ねながら、俺はリビングに足を踏み入れる。  
沙耶は、黙って食卓の上を指差す。  
そこには、ラップの掛かった肉じゃがと、「友達の家に泊まってきます」とだけ書かれたメモがあった。  
既に半分ほど減っているところを見ると、沙耶は先に食べ終わったのだろう。  
「えーと……今朝のこと、気にしてるのか?」  
「べ、別に……」  
口篭もって視線を反らす沙耶。気のせいか頬が赤くなっている。  
まあ、こいつもそろそろ年頃の女の子だからな……兄といえど、男にパンツを見られるのは恥ずかしくて当然か。  
念のためにこれを買ってきて正解だったな。  
俺は右手に持った和菓子屋の箱を沙耶に見せる。  
「ほら、機嫌直せよ。お前の好きな苺大福買ってきてやったぞ」  
「ぅ……」  
ぴく、と沙耶が反応する。予想以上の効果だ。  
「いらないんだったら、俺一人で食っちまうぞ?」  
「た、食べるってば!」  
そう言うと沙耶は強引に俺の手から箱をひったくり、苺大福を口に放りこむ。  
おいおい。一口で食べて、喉につまらないのか?  
沙耶はしばらく口を動かしていたが、やがてごくりと飲み込む。  
「……おいしい」  
「そっか、よかったな」  
「えっと……その……」  
「ん?」  
「……ありがと、お兄ちゃん」  
笑顔を見せる沙耶。食べ物で機嫌を直すあたりやっぱり単純な奴だ。  
 
「じゃあ俺も飯にするかな」  
夕食の仕度をしながらリビングの方を見てみる。  
ソファの上では未だに沙耶がテレビを見ている。どうやら心霊特集のようだ。  
「…………」  
縮こまりながらテレビを凝視しているが、よく見ると体が僅かに震えている。  
ああ、そういえばこいつ、怖がりの癖にこういう番組が好きなんだよな。  
「……沙耶?」  
「ひゃぁっ!?」  
俺が呼びかけると、びくりと震えながら頓狂な声を上げる。  
「な、何、何っ?」  
「……お前、怖いの苦手なのにそんなの見てて良いのか? 今夜おねしょしても知らないぞ?」  
「なっ……」  
かぁっと耳まで赤くなる沙耶。  
「す、するわけないでしょ、お兄ちゃんの変態っ!」  
「こ、こら、危な…うぐっ」  
クッションが俺の頭めがけて飛んでくる。地味に痛い。  
「ふんだ、お兄ちゃんのバカ! もう知らない!」  
そっぽを向いてリビングから出て行く沙耶。どうやら風呂場に向かったようだ。  
「やれやれ……」  
本当に乱暴な奴だ。あんな奴のことは放っておいて晩飯を食べるとするか。  
 
「ふぅ……ごちそうさま」  
晩飯の片づけを終えてソファでくつろいでいると、風呂場のドアが開くのが聞こえた。恐らく沙耶が上がったのだろう。  
念視で洗面室を覗いてみる。ちょうど三面鏡を見ながら体をバスタオルで拭いているところだった。  
それにしても、覗き甲斐がないというか……悲しくなるくらい育ってない奴だ。  
胸の起伏というものが、凡そ存在していない。洗濯板とは、こういう体つきのことを言うのだろう。  
もしかしたら、海パン1枚でプールに行っても、男として通用するんじゃないか?  
 
「〜〜〜♪」  
やれやれ、こっちの気も知らず鼻歌なんか歌って、ご機嫌なものだ。  
その様子を見て、ちょっとした悪戯を思いつく。  
超能力の中には、相手の視聴覚に干渉して、幻覚を見せるような能力もある。いわゆるテレパシーと言う奴だ。  
今回はこれを使って生意気な妹にお灸を据えてやろう。  
洗面室にいる沙耶の方に意識を集中していく。  
 
―――――――――――――――――――――――――――――  
 
『沙耶……』  
「え?」  
お風呂から上がって体を拭いていると、不意に耳元から女の人の声が聞こえた気がした。  
慌てて見渡すけれど、私の周りには誰もいない。というか、いる方がおかしい。  
「お兄ちゃん、いま私のこと呼んだ?」  
念のため、リビングに向かって声を掛けてみた。  
「いや、呼んでないぞ?」  
お兄ちゃんの返事が返ってくる。  
そりゃそうだろう。第一、さっき聞こえた声は、お兄ちゃんとは似ても似つかない。  
それに、声が聞こえたのはリビングからじゃなくて、私のすぐ近くからだった。  
 
まさか……。  
私の脳裏に、さっき見ていたテレビ番組の場面がよぎった。  
確か……周りに誰もいないのに、すぐ後ろから自分を呼ぶ声が聞こえてくることがあるらしい。  
そんなときは、決して自分の後ろを振り向いてはならない。  
何故なら――振り向いたが最後、自分を呼ぶ「何者か」に、そのまま連れ去られてしまうから。  
 
……………………。  
ぽたり。一滴の冷や汗が、足の甲に滴り落ちる。  
バカバカしい! あれは作り話なのよ。幽霊なんて、本当にいるわけないじゃない!  
空耳か何かに決まってるわよ……冷静になりなさい、沙耶!  
いやな想像を振り払うかのように、私は正面の鏡を思い切り睨みつける。  
当然、そこに映っていたのは緊張に引きつった私の顔と――  
この世のものとは思えない形相で私の後ろにたたずむ女の人だった。  
「………………………………」  
目が、合う。  
私の頭の中は完全に真っ白になっていた。  
5秒…いや、10秒くらいそのまま凍り付いていただろうか。  
『沙耶……』  
再び耳元で囁かれる。  
透き通った手が……ゆっくりと……私の、首筋に…………  
「ぃ……」  
ここでようやく思考が動き始める。  
「いやぁぁぁぁぁぁ!」  
 
私は泣きながら一目散に洗面室から逃げ出し、お兄ちゃんのいるリビングに向かう。  
後ろを振り返ろうなんて考えもしなかった。  
逃げないと、死ぬ。頭の中はそのことで一杯だった。  
「おにぃちゃぁーん!」  
リビングのドアを全力で開き、目の前にいたお兄ちゃんの腕の中に無我夢中で飛び込む。  
「お、おい沙耶?」  
驚くお兄ちゃんに構わず、必死にしがみつきながら泣きじゃくる私。  
「ひっく……助けて、おばけが、おばけがぁ……!」  
「こら沙耶、落ち着け、落ち着けって!」  
そう言いながらお兄ちゃんは、私を軽く抱きしめてそっと頭を撫でる。  
小さな頃、私が泣いているとお兄ちゃんは決まってこうしてくれた。  
「ぁ……うん……ぐす……」  
そのまま素直に体重を預ける私。  
どうしてだろう。こうしてると、だんだん恐怖が薄らいで、体がぽかぽかと暖かくなっていく。  
「ほら、落ち着いたか?」  
私が大人しくなったのを見て、お兄ちゃんが訊ねる。  
「うん、ありがと……」  
お兄ちゃん、こういうときは優しいから大好き……。  
 
「それにしても、何が怖かったのか知らないけどさ」  
お兄ちゃんは体を少し離し、最後に頭をぽんぽんと軽く撫でる。  
「お前も一応女の子なんだから、もう少し恥じらいってものを持ったらどうだ?」  
そう言って、私の顔から視線を下に移動させていく。  
「ふぇ?」  
私もそれを追うように、自分の体を見る。  
「ぁ……」  
そう、逃げるのに夢中になっていたせいで、自分の今の格好を完全に失念していた。  
結論から言うと、私は一糸纏わぬ産まれたままの姿をお兄ちゃんに見せつけるようにしていた。  
剥き出しになった鎖骨の下では、未だに成長の兆しすら見せない小さな二つの胸と、  
その先端にある桜色の乳首が、お湯に濡れたまま大胆に晒されていた。  
そして、視線をさらに下……おへその下まで移動させると、  
クラスメイトの子たちと違ってまだ産毛すら生えていない、私の……  
「まったく……お前の裸なんて見せ付けられても困るんだけどな。  
ほら、俺のシャツを貸してやるから、これでも着――」  
「いやあああああああ!」  
「ぐふぅっ!?」  
本日3度目になる悲鳴をあげながら、私は渾身の右フックをお兄ちゃんの顔面に捻じ込む。  
そのままソファに崩れこんで動かなくなるお兄ちゃん。  
シャツの胸のあたりには、私が抱きついたときの濡れた跡がくっきりと残っていた。  
 
「うわあああああん!」  
私は、泣きながら自分の部屋まで逃げ帰った。  
お兄ちゃんのバカ、バカ、バカ!  
やっぱりお兄ちゃんなんて、大っ嫌いっ!  
 

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