「おーい沙耶、機嫌直せよ」  
「……」  
俯きっぱなしで俺の前を早足で歩く沙耶に声をかける。  
流石に先程の事件が堪えたらしく、10分ほどずっとこの調子だ。  
「ほら、お詫びに何でも好きなもの奢ってやるからさ」  
「…暑い」  
沙耶が不意に足を止め、ぽつりと口を開く。  
「え?あ、じゃあジェラートでも食うか?」  
「…近くに、アミューズメントプールがオープンしたのよね」  
「……はい?」  
「流れるプールとかウォータースライダーがあって、たまにミスコンとか水上騎馬戦とかのイベントも開催されるの」  
「へ、へえ…。」  
「確かお兄ちゃんもさっきのお店で水着買ってたよね?」  
「いやまあ、確かに買ったけど…。」  
「絶好のプール日和だと思わない?」  
「そ、そうかな…?」  
沙耶がくるりと振り向き、意地悪い笑みを浮かべる  
「確か、好きなもの奢ってくれるって言ったよね?」  
 
もう二度と妹の言うことを何でも聞く約束などするまいと心に誓った。  
 
―――――――――――――――――――――――――――――――  
 
「お兄ちゃん、早く早くー!」  
「はいはい、わかってるよ…」  
楽しそうにはしゃぐ沙耶とは対照的に、俺はとぼとぼとチケット売り場のほうに向かう。  
思わぬ散財だ…果たして月末まで残り3000円で乗り切れるのだろうか。  
「あ、いらっしゃいませー」  
「えーと…大人一枚と小学生いちまぐふぉっ!」  
妹の無言のコークスクリューが鳩尾に直撃する。  
「げほげほ…す、すみません、大人二枚お願いします…」  
「かしこまりました、6000円になりますー」  
…果たして月末まで残り2000円で乗り切れるのだろうか。  
「それじゃ私は着替えてくるから、先に着替え終わったら中で待ってて」  
そう言い残し、沙耶はさっさと更衣室に向かっていった。  
まあいつまでも金のことを悩んでも仕方ない、ここまで来た以上は精一杯楽しむとするか…。  
男性用の更衣室でとっとと水着に着替え、一足先にプールに向かう。  
「意外と空いてるんだな…」  
周りを見回すと、休日とはいえ思ったほど混雑していない。  
恐らく、家族連れなどは近くにある安い市営プールを選ぶのだろう。  
また、施設内にエステやスイーツなどの女性向けの店が充実しているためだろうか、  
男性客や高齢者はあまり見かけず、入場者の半分以上は若い女性である。  
「こうしてみると、プールも悪くないかもしれないな…」  
せっかくの休日だ、ゆっくりと羽を休めよう。  
 
…そういえば、沙耶はそろそろ着替え終わるころか?  
そう思って更衣室の中を念視してみると、果たして水着に着替えた妹が更衣室の出口に向かっているところだった。  
流石に先程試着に挑戦していた水着は諦めたのか、ひまわり柄のタンキニだ。  
 
話は変わるが、テレポーテーションと呼ばれる超能力がある。  
物体を離れた場所に瞬間的に移動させる能力のことだ。  
日々の超能力の開発に余念が無い修行熱心な俺は、当然、プールに遊びに来ていても研鑽を怠らない。  
この状況は、新たな能力を発現させるいい機会ではないだろうか。  
うん、間違いない。  
 
沙耶の現在地は更衣室からプールに向かう通路。  
ちょうど周りに目撃者はいない…能力を試すには絶好のチャンスだ。  
念視しながら、沙耶の水着のブラに意識を集中させる。  
(沙耶のバッグの中に瞬間移動しろ!)  
念じながら指を鳴らす(別に鳴らす必要もないのだが)。  
一瞬にして水着が忽然と消えうせ、沙耶の上半身が完全に露出する。  
よしっ!俺は心の中でガッツポーズをする。  
無論周りにはギャラリーはいないが、もしも公衆の面前でこれを行ったとしたらちょっとした騒ぎが起こったことだろう。  
その情景を想像しながら俺は沙耶の観察を続ける。  
上半身のひんやりとした違和感に自分の体を見下ろし、一瞬で事態を把握した沙耶は  
「きゃあああああっ!?」  
という悲鳴を上げてその場にへたり込む…  
…というのが俺の思い描いていたシナリオだったのだが…。  
 
「ん……?」  
ほんの一瞬、違和感を覚えこそしたものの、沙耶はそれをさほど気に留めなかったらしい。  
自分の格好に気づくことなく、まっすぐに前を向いたまま、プールの喧騒に誘われるように足を早める。  
おいおい、まさか…。  
止める間もなく、沙耶は公衆の面前に自らの姿を晒す。  
プールサイドでフラッペを食べながら楽しそうに談笑していた学生の集団が、突然現れた沙耶の姿をぎょっとして見つめる。  
当然だろう、更衣室から年端も行かない少女がトップレスで現れたのだから。  
年齢を考慮してもかなり控えめな双丘に、その先端にちょこんと存在しているピンクの突起。  
それが弾むような足取りとともにふるふると小さく揺れ、まるで周りにいる全員に見せ付けるように露になっていた。  
呆気にとられる集団の視線には気づかず、沙耶は俺を探して人の多い方に向かう。  
他の客たちも沙耶の姿を認識し、視線が徐々に集中し始める。声をかけるかどうか迷っている奴もいるようだ。  
放っておいてもいずれ沙耶も気づくだろうが、流石に騒ぎが大きくなる前になんとかしたほうがいいか?  
とはいえ目撃者がたくさんいる状況であまり目立つ力の使い方はしたくないし…。  
 
などと思案に耽っている時に後ろから声をかけられた。  
「あれ、松景じゃん。なんでこんなところにいるんだ?」  
「一人でプールなんて珍しいね」  
聞き覚えのある声に後ろを振り向く。  
「よっ、ぼーっとしてたみたいだけど、考え事でもしてたのか?」  
果たしてそこにいたのはクラスメイトの宮口和美と、  
「それとも、誰かと待ち合わせとか?」  
田中陽子だ。  
「ん…ああ、まあね。」  
驚くことに二人とも当たっているのだが、適当に答えをはぐらかす。  
「お前らはなんで来たんだ?」  
「ああ、実は陽子の親父がここの系列の社員らしくて。陽子と一緒だったら半額で入れるんだ」  
「ごめん、松景くんがプールに興味あると思わなかったから言わなかったんだ…」  
「マジかよ…」  
くそう、そうと知っていれば6000円も使わずに済んだじゃないか。  
「あの…良かったら今度ここに来るとき、一緒に誘ってあげようか?」  
「え、いいの?」  
「う、うん…それに、どうせだったら人数が多いほうが楽しいでしょ?」  
「そっか、ありがとな」  
 
改めて二人の姿を見る。  
宮口はオレンジ色、田中はパレオつきの白のビキニだ。  
それにしても、こうやって見ると…二人ともスタイルいいよな…。  
宮口は日ごろの運動の賜物か、見事にきゅっと引き締まったウエストをしている。  
それでいてちゃんと出るべきところは出ているのだから大したものだ。  
満遍なく日焼けした小麦色の肌もまぶしいぜ。  
田中は…宮口とは違って、全体的にスレンダーで女の子らしい。  
胸はやや小ぶりだが、抱きしめたら折れてしまいそうな細い身体が保護欲をそそる。  
学校で透視したときとは違い、二人とも見られていると自覚しているからか、殊更輝いて見える。  
正直な話、これが見られただけでもプールに来た甲斐があったというものだろう。  
 
「あ…そういえばさ、松景」  
宮口の呼びかけで我に帰った。  
「その…昨日は取り乱しててお礼言えなかったけど…ありがとな」  
そう言って恥ずかしそうにはにかむ宮口。やっぱり可愛い奴だ。  
「気にするなって…当然のことをしたまでさ」  
というか、元をたどれば俺の仕業だったわけで…うう、ちょっと良心が痛い。  
そんな俺の気も知らず、田中も会話に参加してくる。  
「でも、普通の人にはなかなかできることじゃないと思うよ?」  
「そ、そうかな?俺はただ咄嗟に…」  
「ちょっとお兄ちゃん、待っててって言ったのに、何で女の子と仲良くおしゃべりしてるのよ!」  
 
まずい、二人との会話に夢中で、沙耶のことを完全に忘れていた!  
冷や汗をかきながら声のしたほうを振り返る。田中と宮口もそれにつられてそちらを見る。  
「まったく、手間かけさせないでよね…探したんだから」  
俺たち三人の視線の先では、沙耶が文句を言いながら仁王立ちしていた…  
…先ほどと変わらず、上半身裸のままで。  
田中も宮口も、にわかに信じられない光景に完全に凍りつき、言葉を失っていた。  
 
田中は、必死に頭をフル回転させながら状況を理解しようとしているようだ。  
一方宮口は「どうなってるの?」と言わんばかりに俺のほうをちらりと見る。  
俺に知らん振りを決め込むことにして、慌てて視線を外す。  
「ん?何よ、黙ってないで何とか言ったらどうなの?」  
俺たちの反応に、沙耶は怪訝な顔をして聞き返す。  
うーん、ここまで鈍感なのもある意味凄いな…。  
「えっと…」  
いろいろ考えた挙句自分なりに納得のいく結論に達したのか、最初に声を発したのは田中だった。  
「…松景くんの、弟さん?」  
「ないない、それはない」  
いかん、あまりの天然ボケに思わず素でつっこんでしまった。  
 
「ちょっと、私のどこを見て男だなんて思うのよ!今はまだ子供っぽいかもしれないけど…」  
そこまで言って沙耶は一瞬自分の体に視線をやり、再び田中と宮口をにらみつけてせりふを続ける。  
「いずれは私だってマリリンモンローのようなナイスバディに…ん?」  
目に映った光景に何かおかしな点があったことに気づいたのだろう、沙耶の言葉が一瞬止まる。  
そして嫌な想像を否定しようとするかのようにおずおずと俺達三人の顔をうかがう。  
気まずそうに視線を露骨にそらす俺。呆然と、沙耶の上半身を見つめている田中と宮口。  
その理由はもはや明らかだった。  
「あ…ぅ…」  
徐々に頬を高潮させ、言葉にならない声を発しながら、沙耶の視線がゆっくりと下に向かう。  
いいかげんパターンを学習した俺は、急いで沙耶の手の届かない位置まで下がり、両耳をしっかりとふさいだ。  
あたりの空気を振るわせるほどの悲鳴が響いたのは、その直後のことだった。  
 

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