その日は休日で学校も仕事もなく、久しぶりに部屋で暇をもてあましていた。
こんな日は普段であればベルやミリアムの買い物に付き合って外に出るのだが、
今日は二人とも合宿と研究で泊り込んでいるために不在だ。
普段暇であることに慣れていない俺は、新しいマジックアイテムを作って暇を
つぶしていたのだが…
そんな時、呼び鈴が鳴った。俺の部屋に客が来るのは珍しい。友人はいるがこの部屋には
こさせないからだ。妹がいるからな。
「誰だー?」
ドアを開けるとそこには、金髪碧眼の絵に書いたような完璧な美女が男物の服を少しだけ崩した
スーツ姿のような服装で立っていた。彼女は長い髪を後ろに簡単にくくり、夏らしい
さっぱりとした雰囲気を出している。
「あ、貴方って人は!なんて格好しているんですかっ!」
そんな美女…シルビアは俺を見て顔を真っ赤にして怒っていた。自分の家だから
いいじゃないか。…と、思っていたのだが自分の格好を思い出してやっとわかった。ズボンはいてない!
「すまんっ!ちょっと着替えるから待ってろ!」
パンツとシャツだけで作業をしていたのをすっかり忘れていた。大慌てで着替えて
改めてドアを開ける。
「まったく…貴方は女性への礼儀を学ぶ必要がありそうですわね。」
「そう怒るなって。今日はたまたまだ。」
呆れたような顔で俺にそういい、部屋の中に入る。俺は紅茶を用意し彼女に差し出した。
「どうだか。ん、お茶の腕前だけは悪くないですわね。そういえばベルとミリアムは?」
「二人とも合宿と研究で泊りらしい。」
「そ、それは困りましたわね。」
なにやら困り果てているようだ。この何でもできる女にしては珍しい。
「俺は暇だから何かやるのなら協力するぞ。今作ってる道具はそれほど急ぎじゃないしな。」
「今日はほら、だいぶ前に街に市が立つっていってた日でしょう。彼女たちが暇なら案内
してもらおうかと思っていたの。私、街には出たことがなかったから…。」
今日は珍しい日だ。いつも貴族らしい高慢なこの女がお預けを食らった犬のような情けない
顔をしている…。眺めているのも楽しいが、俺も暇だしな…。
「なら俺と行くか。」
「諦めるしか…ええっ!貴方と二人で?」
意外そうに驚くシルビア。
「嫌ならここで道具作ってるが…。」
「ええ、でもそれミリアムに…ああでも、街には行きたいし…でも…」
「…?ミリアムがどうしたんだ。どうすんだ?」
百面相状態で苦悩して悩み続けるシルビアにさっさと決断しろと迫る。
「そ、そこまでいうならエスコートしていただいても構いませんわ!」
やめときゃよかったかなあ…。
昼前にシルビアを連れて街に出ると予想通りというか思いっきり目立っていた。原因はもちろん
隣を歩くこの女だ。男の平均の身長である俺とほとんど変わらない女性としては背が高く、
体型はすらっとしていてそれでいて出るところは出ている。顔はいうまでもなく美人。
そして…
「カイ!何これっ!こんな玩具みたことないですわ!」
「カイ!あの犬賢いですわね。すばらしいわ!」
「きゃっ!帽子から鳩がっ。どうなっているのかしら。不思議だわ!」
子供のようにはしゃぎまくる侯爵様。街で市が立つ日は芸をするものたちにとっても
稼ぎ時であり、市は音と歓声で賑わっているのだが…美女がそんなことをすると目立つ。
「シルビア、お前こういうとこ来たこと無いのか?」
「ええ。一人で出歩くのは危険ですし護衛をつれて歩くのは嫌ですから。」
本当に楽しそうに微笑むシルビア…こうしてみると、年相応の雰囲気を感じる。
そんなかわいらしい笑顔だった。
「あ、あんまり離れるなよ。迷子になるぞ。」
「子供じゃないんですから…。」
そうぼやきつつも、俺にくっつきながら好奇心いっぱいといった感じであたりを見回している。
俺は露店のひとつで昼食代わりのクレープを二つ買うと一つをシルビアに渡した。
「なんですの…これ。」
「クレープも知らないのか?」
「フォークもナイフもないのですが…どうやって食べるの?」
「そのまま食べるんだよ。ぱくってな。」
お手本というように俺は自分の分を食べる。果物をはさんでいて甘い味が口に広がる。
そんな様子を見ながらシルビアは予想できない行動に出た。
「なるほどね。これはおいしいわ。こういうのもいいものね。」
俺のクレープを横から齧り、にやりとシルビアは笑った。少しだけ頬が赤い気がするが
単に好奇心が故だろう。
「自分の分を食べろっ!まったく…。」
「カイから私が物を教わるなんて…悔しいじゃない。やられっぱなしって趣味じゃないのよ。
あ、でもそれカイが続き食べると関節キス?…ふふ…。」
何いってんだこいつは…。文句を言おうとも思ったがあんまり楽しそうに笑うから思わず
言い損なってしまった。立場のせいかいつも硬い雰囲気をもってるシルビアもこんな顔が
できるんだなと、ちょっと感心した。
軽い食事を済ませ、今日一番の出し物であるらしいサーカスが行われる場所に俺たちは脚を
伸ばした。簡単なテントに荷物を置き、広場で演技をするといった感じか。大きなテントを
もてるほど裕福なサーカス団ではないらしいが、猛獣を扱うことでそこそこ有名なところだ。
演技が進み、そのたびにシルビアは子供のように歓声を上げた。俺もなかなかの出来に
演技に見入っていた。ライオンの火の輪くぐり、象の玉乗り…猛獣使いによるそれらの演技は
素晴らしいものだった…のだが、
「まずいですわね。」
呟いたのはシルビアだった。最前列で見ていた彼女は迷わず仕切りを越えて演技をするために一度後ろを
向いている猛獣使いを足で突き飛ばした。先ほどまで大人しくしていたはずの虎の爪がそこを通り過ぎていく。
「なんでわかったんだ。あいつは…。」
俺もぼやいたがシルビアに続いて仕切りの中へと入る。シルビアは剣を抜き正面から虎と
にらみ合っている。とんでもない女だ。猛獣使いの男は必死に虎を宥めようとしているが
聞く気配はまったく無い。観客は演技か事故かわからずどよめきを大きくし始めている。
「私は動物は結構好きだからあまり殺生はしたくないの。おとなしく引いてくれないかしら?」
「ぐるる…」
「弱い者いじめは性に合いませんの。野性が少しでも残っているなら実力差は分かるでしょう?」
虎に向かって不敵に笑って問いかける彼女を見つつ、こいつとだけは喧嘩しないようにしようと決心し、
俺は捕縛系の魔法の詠唱を始める。
「があああっ!!!!」
虎は戦いを選び、シルビアに飛び掛った。彼女はあっさりと横にかわす。虎もそれを追いかけて
何度も飛びつくが、最小限の動きでかわしていく。様子を見て少し安心した俺は長めの詠唱を
選び、ルーンを刻み始めた。
時に剣でけん制し、回避し続けていた彼女の額に汗が浮かび続けたころに俺の術は完成した。
<汝我が鎖によりて戒め、動くことかなわず!>
「皆様、如何でしたでしょうか。私の演技をこれで終わります。」
事故ということを悟らせないように優雅に会釈する彼女に割れんばかりの歓声と拍手が送られた。
「危ないことするなよ。まったく…。」
「ふふ…先に気づけば貴方も同じことをするのに説教するのはよくないんじゃなくて?」
少し汗で髪が額にくっついていたが、その笑顔は一点の曇りも無かった。
「虎を殺さなかったのは?」
「サーカス団の人たちにも生活があるからな。虎を殺せば困る。お前が殺さないのなら、
出来るだけのことをしたかっただけだ。ちゃんと精神も弄っておいた。二度と事故は起こらないはずだ。」
「カイはよくわかってるね。うーん、なかなか楽しかったわ。」
「大物だよ。本当にお前は。」
俺は苦笑して、見物客に囲まれる前にシルビアの手を掴んで走った。少し拒絶したが俺は離さなかった。
彼女の手は小さく暖かく、汗ばんでいた。そして、女性らしく柔らかく…はなくかなり固かった。
その後も適当に楽しみ、帰宅しようとするころには日が西に沈むところで片付けの始まった市を
赤く照らしていた。
「うーん、カイと二人っていうのが残念ですけど、着てよかったですわ。」
言葉ほど嫌そうではないその表情を見て、俺も笑った。
「全くだ。色気が全然無かった。…楽しかったか?」
「ええ。とても…。」
夕日を受け、その顔に赤い光を受けたシルビアは自然に微笑んでいた。
「よう、カイじゃないか。すっげええ!こんな美人とデートかよ。」
「キトーの親父か。親父さんも露店だしてたんだな。」
祭りが終わるような余韻を感じていた俺たちに知っているむさくるしい男が声をかけてきた。
「どなたですの?」
「俺はキトーってんだ。美人のお嬢さん。」
「同業だ。たまにバイトさせてもらってる現職の魔法技師だ。腕は今のところは俺より上だな。
まあ、二年後は俺のほうが上だろうが。」
「がっはっは。いってくれるぜ。まー、実際お前さんはいい腕してるよ。簡単に負ける気も無いがな。」
快活に笑う親父。暗いところの全く無い彼は見かけによらず国でも数少ない一級の魔法技師だ。だが…
「嘘…カイより腕のいい魔法技師ならどこでも欲しがる場所はあるでしょう?」
「お嬢さん、貴族だろう。俺は平民。貴族のためより平民のために生きる。だから、俺は彼らのために
道具を作り、夢を与えて自由に物を創るんだ。懐はいつもひーひーいってるがいいもんだぜ。」
「なるほど…カイみたいなこというのね。親父さんも。」
「まあ、こいつにゃこいつの生き方があるだろうけどな。技術は教えるがどう生かすかはこいつの
自由だ。自分で考える自由がなくなったとき、俺たち芸術家は終わるってなもんだ。」
そういって、キトーの親父は俺たちに一つずつ指輪を渡した。
「売れ残りで悪いがそいつはやるよ。何が悪いのか店にカップルがよりやしねえ。子供の玩具とか
はきちっと売り切れたんだがなぁ。カイとベルちゃんが売り子したときは全部売れたのに不思議だぜ。」
「そりゃ、親父。むさくるしいから…」
「あっはっは、そうかもな。まあ、いい子じゃないか。カイ…仲良くしろよ。」
そういい残して彼は軽くなった荷物をまとめて去っていった。
「面白い人ね。本当に今日は着てよかったわ。」
「帝国だけでも広いし人はいっぱいいるからな。しかし、どんな効果の指輪なんだこれは…」
「ま、嵌めてみましょう。」
俺は右手の薬指につけた。シルビアは左手の薬指に付けたようだ。少し幸せそうな顔で指輪を
見ている。二人とも嵌めて十秒ほどたった頃だろうか。
二つの指輪が輝き、俺の右手とシルビアの左手がくっついた。………離れねえええ!!!
「は、離れませんわね。…カイ、そのポケットからでている紙は?」
「い、いつの間に…『夜の間恋人同士はなれないようにする指輪だ。がんばれよ。』…親父!!!」
「………ぷっ。これは大変ですわね。」
「笑い事じゃないだろ。どうすんだよ…。」
苦悩する俺を見ながら彼女は意地悪そうに笑っていた。
「一緒にお風呂はいって一緒にご飯食べて一緒に寝るんですわ。」
「風呂は我慢しろよ!」
「いやよ。汗かいたんだから。あら、照れてるんですの?」
「俺に裸見られてもいいのかよ。」
「まー減るもんじゃありませんし。ミリアムとベルに話す種ができましたわね。」
俺はそれだけはやめてくれとひたすら懇願し、後日また言うことを一つ聞くことを約束させられた。
諦めたように俺はシルビアと手を繋ぐ。また彼女の手がびくっと拒絶する反応を見せる。
なんとなくわかった。これは唯一かもしれないコンプレックスなのだ。
「俺はお前の手嫌いじゃないぜ。なんか一生懸命努力してるって感じのシルビアらしい手で。」
「………ありがと。そうそう、今日のお礼ですわ。」
シルビアは俺の頬にキスをした。そして、俺たちはゆっくりとした足取りで家へと帰宅した。
ゆっさゆっさゆっさ…体が揺らされてる…。
「うーん。ベルもう少しだけ寝させてくれ〜。」
ゆっさゆっさゆっさ…
「んっ………ってうわぁぁぁぁぁぁっ!」
目を開けてみると下着姿のシルビアが目を閉じて俺を抱きしめ、気持ちよさそうに眠っていた。
やわらかい二つのものが俺の胸に押し付けられている。足も俺の体に巻きつき動けない。
なんて寝相が悪いんだこいつは!
「……………」(お兄様)
わかる。わかるぞ。兄には妹が無表情の中にもとてつもない怒りを覚えていることがっ!!
「こ、これは違うんだ。ベル…。」
「……………」(よりによってシルビアと)
やばい、なんて言い訳したらいいのかわからない。だんだん記憶がはっきりしてきた。
昨日、帰ってからもう隠すことが無いほどの一晩の生活を余儀なくされ、完璧な裸を
拝んで立派になったモノをじっくり観察されるという羞恥プレイをされた挙句に、服を着たら
寝れないというシルビアになんとか下着だけは付けてもらって寝たのだ。……俺はなかなか
寝ることが出来なかったがシルビアは三秒で寝やがった。
「ううん……あれ、ここは…そうだ…泊まったんでしたっけ。」
「……………」(シルビア?)
「おはよう。ベル…お帰りなさい。」
やっと起きたのか俺の体をゆっくりと離し、起こしてベルに向かって優雅に挨拶する。
「……………」(何はあったのシルビア?)
「昨日は……」
なんだ。シルビアのこの笑みは…
「昨日はカイが優しかったので楽しかったですわ。」
おいまてそれじゃっ!!!
「……………」(お・に・い・さ・ま?)
「待て待て落ち着けベルっ!俺は無実だ!!おいっ。木刀を振り上げるんじゃない!!」
「じゃ、ありがとう。またね。」
手早く着替えると、シルビアは颯爽と去っていった。逃げたともいう。
「ああ。カイ。約束忘れないでね。昨日のことは私、忘れないわ。」
そして、我が家では大きな悲鳴が響き渡った。
この後、誤解?が解けるまでの一週間…ミリアムとベルの俺への虐めは苛烈を極めた。