シンの弟子入りを受け入れて一ヶ月が過ぎたころ、俺たちは一時的に住み慣れた真珠亭を離れて
シルビアの住むシュタインベルグの城へとその住処を移していた。部屋のほうはそのうち戻る
つもりなのでそのままお金を支払って維持してもらっている。
その際、おやっさんに無断で魔法の改造を施したのがばれて三時間ほど説教を食らった。
最後にぶっきらぼうにシルビアをちゃんと守ってやれっていうのと帰ってくるのを待っていると
いうのを忘れないところがおやっさんのいいところだと俺は思う。すっかり第二の我が家だ。
何故城へと引っ越したのかというと難しい話ではなく、必要に迫られたからだ。
シルビアの出産が近づいたため、それまで超人的な仕事っぷりを示していた彼女が動けなくなり、
その穴埋めとして彼女の手足となれる人間…つまり、俺が彼女が動けない間の仕事のうち謀略と軍事に関して
受け持つことになったのだ。軍事に関しては全員に説明してあるが、謀略に関してはベルにしか説明していない。
信用ではなく、性格的なことが理由だ。
政務に関しては元賢者の一族であるというシュタインベルグ侯爵家の忠実なる配下である
クレスラー伯爵家の老伯爵が受け持ってくれている。快活なこのじーさんは古くからの同士で、
信用と能力において、申し分ない実力をもっている。貴族同士の折衝は俺が出来ないため、この辺は
まかせっきりとなってしまうだろう。
まあ、そんな話はともかく今の俺は忙しかった。
「師匠〜夏ばてですか?」
専用のデスクで書類に埋まりながらぐったりしている俺にお茶を持ってきてくれたのは
弟子にとったそばかすの少し残った少年だと思っていた少女、シンだ。短かった髪は
最近伸ばし始めたらしく少しだけ女の子らしくなったと思う。
「お前、姉さんのとこにいかなくていいのか?」
この城には彼女の姉であるイリスがメイドとして詰めている。彼女も出産が近いため、
仕事を休ませてもらってゆっくりとしているはずだ。退屈しているのではないだろうか。
…人事じゃないな。俺も緊張している…正直。
そんな俺の悩みを気にする風もなく、彼女は本当に嬉しそうに笑っていった。
「姉さんにカイ師匠の弟子になったって報告したら姉さんすっごく喜んで、師匠はすごい人
だから頑張ってお世話して傍について勉強しなさいって!」
「そうか。よかったな。」
てっきりイリスは気をつけろとかいうかとびくびくしてたんだが…。まああの子は人生全て
シルビアって感じだからあいつが白といえば全て白なのかもしれないが。
そんな彼女だからこそシルビアも特別扱いなわけだが…。
「それで師匠、最近なにやっているんですか?」
一応、弟子にとったからには基礎から学問は教えている。基礎は大事だ…俺もちゃんと…
いや、あまり思い出したくないほど繰り返し師匠から教え込まれた。懐かしい思い出だ。
昔の俺を知っているベルやシルビアは昔を懐かしむような目でシンを見ているが、今の
俺しか知らないマオやユウは心底意外だといった感じで俺を見ていた。このとんでもなく
魔力が強いくせに使い方が荒いこいつらにもそういう教え方をしたはずなんだがなぁ。
とにかく、基礎と分からないことは質問しろと教えてある。その上で自ら考える問題に
関しては自分で考えさせ、そうでない問題に関しては答えるようにしていた。
「シルビアの受け持っていた仕事の半分だ。殆どの仕事は有能な部下が片付けているが
それでもあいつが受け持っている仕事は多いからな。動けない間は俺が手伝わないと。」
「どーして、師匠はそんなこと出来るんですか?魔法技師と全く関係ないと思うんですけど。」
不思議そうに首をかしげる彼女に俺は、
「どうしてだと思う?」
と、逆に問いかけた。シンは首をかしげて考え込んでいた。
「うーん…。」
「答えは一つじゃないから。誰に聞いても本で調べても構わないから考えてみな。」
「はい。師匠!」
シンは元気に頷いて部屋から飛び出そうとしたが、その前に呼び止めた。
「ベルの稽古、終わってからな。」
「う…ばれてましたか。意地悪…」
「いろんなことを覚えるのは悪いことじゃない。がんばれよ。」
俺はそういって笑ってシンを見送った。ベルの稽古は相当厳しいらしい。
う〜・・・全身が痛い〜。ベル姉さんは加減知らないんだから。
ベル姉さんの稽古は基本の型を確認した後、延々と組み手。剣術だけでなく、槍、徒手、
様々な形でそれは行われる。俺は身軽さには自信があるんだけど、かすりもしない。
自分のことを俺って考えるのにもう違和感はない。半分スラムのような場所で暮らすのに
身に付けた知恵だ。マオ様がきてからは構える必要も無くなったが長年の習慣は治らない。
「それにしても、師匠は謎だなあ。」
だらけきって昼寝でもしてるのが似合いそうな雰囲気を持つ師匠は優秀な魔法技師であり、
どうやらそれだけではないらしい。貴族の仕事を代わりにするなんて普通は出来ないはずだ。
魔法技師って魔法の道具を作る仕事のはずなのに。
夜部屋にくるなっていってるのと関係あるんだろうか。今度こっそり忍び込んでみよう。
「そういえば、人に聞いてみてもいいっていってたなぁ。」
広い城の通路をゆっくりと歩いていると赤く髪を染めた少しきつそうなショートの美女とユウさんが
庭でお茶を一緒に飲んでいるのが見えた。
「あら…貴女はイリスの妹さん。こんにちは。」
こちらに気づき、大人の美女…ミリアムさんは声をかけてくれた。この人たちに聞いてみようと
俺は彼女たちのほうに歩いていった。
「何か悩んでるみたいだね。」
金髪の可愛らしい少女、ユウさんは鋭い。人を良く見ている。
同じくらいの年齢のはずなのに、俺と違って女の子らしいし、大人っぽいし…。どうやったら
こんな風に強くて可愛くなれるんだろうか。
「実は…」
俺は師匠の課題について話す。
「そうだね。カイ様は不思議だね。」
ユウさんはくすくすと微笑んでいた。
「魔法技師という職業に誇りを持ってる。だけど、それだけじゃなくていろんなことができる。」
「そうなんだよ。それになんか強いみたいだし。」
目の前の美しい少女は少し考えていった。
「生粋の料理人だけど魔法も使えます。」
「はあ…。」
「そんな感じじゃないかな。」
どうだろうと、ユウさんは赤い髪の美女のほうを向いた。
「ただ根性が腐って性格が悪くて捻くれてるだけよ。」
この人は師匠が嫌いらしい。ユウさんはくすくす笑っている。
「もう、素直じゃないんだから。」
………?
ユウさんたち二人と別れ、再び通路を歩いているとシャワーを浴びてさっぱりしたという感じの
ベルさんを見つけた。苦手だった無表情なこの人も、慣れると結構わかるようになるのが不思議だ。
「ベル姉さん、ありがとうございました。」
「……………(こくり)」
ベル姉さんと並んで歩き、ふと思いついて師匠からの課題について聞いてみることにした。妹の
この人なら何かいろいろ知っているかもしれない。
「実は…」
ベル姉さんの部屋は師匠と同じ部屋らしい。昔からの習慣でこれは譲れないとか。マオ様となんか
重い空気を醸し出していたような…。
「……………」(なるほどね)
ベル姉さんは頷くと腰元からナイフを取り出し、部屋にあるダーツの的に向かって投げた。
少しの狂いもなく、的の中心へと突き刺さる。
「……………」(シンはなぜ私がいろんな武器を教えてると思う?)
「いろんな武器を使えるようにするため?」
わからないなりに答えてみたがベル姉さんは首を横に振った。
「……………」(いろんな武器を使う人がいる)
そして、二本目のナイフを投げる。ナイフは一本目の柄に刺さった。
「……………」(武器の使い方を知れば、逆にその対処もできるようになる)
「じゃあ、一つの武器じゃなくていろいろ使ってるのはそのため?」
「……………(こく)」(一通りわかったら使いやすいのを選べばいい)
ベル姉さんの稽古の意味はわかった。でも…
「師匠のはどういう意味なんでしょうか。」
「……………」(似たような意味だと思うけど)
わからない。いろいろな対処法を覚えることと何でもできること…同じなんだろうか。
「……………」(無理に答えを出すこともないと思う)
「でも、課題だし。」
「……………」(お兄様にはお兄様なりの理由がある。それはわかるけどあなたは同じ理由は持てない)
こういうもったいぶった言い方は兄妹だなぁと思うな。それ以外はあまり似てないけど。
「……………」(とりあえず、自分の身は自分で守れるように)
それには頷いた。俺だって守ってもらい続けるなんてごめんだ。
師匠とベル姉さんの部屋を出た俺はふと、シルビア様が師匠と仲が良かったのを思い出した。
学生時代からの付き合いらしい。今は仕事の引継ぎも終わって暇だそうだし、一度聞いてみよう。
「そういうわけで伺ったんですが…。」
「いいわよ。私も暇してたし。仕事やれないと退屈してだめね。」
マオ様とチェスをしていたシルビア様は、むむむむむと顔を顰めて悩んでいるマオ様を笑ってみながら
俺にそういってくれた。
「どうして色々なことが出来るのか…ね。」
シルビア様は楽しそうに考えていた。そういえばシルビア様の子供って師匠の子供って聞いたときは
驚いたなあ。結婚するのかと思ったらそうでもないみたいで、でも仲は良くて不思議な関係だ。
「簡単じゃ。それが必要だったからじゃ。」
マオ様が、チェスの駒をにらみつけながらいった。どうやら敗色は濃厚のようだ。
「師匠に必要だった?」
「うむ…奴には大きな敵がいる。それらと戦うために色々学んでいるんだろう。」
「マオだめよ。ちゃんと自分で考えさせないと。」
シルビア様が、少し苦笑しながらマオ様をたしなめた。
「目的があって、それを達成するために色々学んだのよ。カイは…。その下地になる基礎は教え込まれていた
から、すぐに身に着けて言ったみたいだけど。だから強いの。」
「でも、師匠はベル姉さんのほうが強いから戦うことはそっちに教えてもらえって…」
シルビア様は落ち着いた優しい笑みを浮かべて俺にいった。
「単純に戦うだけならベルのほうが強い。それどころか私にも勝てないわよ。」
「えー?でも強いって。」
「絶対に勝てるように状況を持っていくの。」
それってどうなんだろう。
「どれほどみっともなくても最後には勝つ。それがあいつじゃ。」
マオ様は誇らしげにいった。なんでも師匠はマオ様に勝つために三十回以上わざと負けたんだそうな。
しゃべりながらこっそりと駒を入れ替えている。それ反則ですよ。
「シンはシンなりの理由を持てばよい。あやつの弟子になったといっても魔法技師だけが
未来の姿ではない。今、色々学んで置くのは決して悪いことじゃないだろう。」
「はい、マオ様、シルビア様。ありがとうございます。なんとなくわかりました。」
マオ様も同じくらいの年にしか見えないのに、考え方は大人だ。この方も謎が多い。でも、負けず嫌いで
やることは時々せこい。この手のゲームは弱いのだ。
「シンは…カイのこと、興味あるの?」
「尊敬してますけど。」
質問の意図がわからず、俺はそれだけ答えた。シルビア様はとっておきのおもちゃを見つけた
ような笑顔を浮かべている。なんだか嫌な予感が…
シルビア様は席を立つと机の中からきれいな宝石箱を取り出した。
「うわー。綺麗。」
箱を開けると二つの指輪が入っていた。宝石箱に比べると少し安っぽいけど一片の曇りもついておらず
大事にされているように思えた。
「シンにこれを貸してあげるわ。夕刻、日が落ちる頃に片方を自分の左手の薬指に。もう片方を
カイの右手の薬指に付けなさい。そしたらカイのことが良くわかるようになるわ。」
そこまでいうと、シルビア様は鈴を鳴らした。その音で、メイドが一人部屋に入ってくる。
「エラを呼んで頂戴。」
理由はわからないがそれを聞いたマオ様が嫌な顔をした。しばらくすると一人の大柄な女性が
部屋に入ってきた。
「この子をお願い。イリスの妹なの。」
「え…、まあ!…この子もちっちゃくてかわいいわ。ふふふ…お人形さんみたい…ふふふ…」
「あ、おい!」
なんか理由がわかった気がした。俺は抵抗も出来ずに彼女に部屋から引きずられていった。
シンが去ったシルビアの部屋では────
「マオ。そこ変えても戦局は変わらないわよ?」
「ぬ……、そうじゃ。さっきの指輪はなんじゃ。変な魔力が出ていたように感じたが。」
「面白いことが起こるのよ。」
「お主も性格が悪いな。」
「だって暇だもの。」
ひ、ひどい目にあった。鏡と服が沢山置いてある部屋に連れ込まれたかと思うと大柄な女と
その部下と思われるメイドたちに髪の毛から下着まで全部変えられてしまった。
短い髪は付け足し、癖毛を直してストレートに流して赤いリボンを付けられた。うっすらと化粧も
施されて黒い髪の色を邪魔しないために薄めの色のドレスを選んだそうな。
スカートなんてはいたことないから足がすーすーして気持ち悪い。寝るときまで着替えちゃだめ!
っていう大女の涙ながらの懇願に負けてしまった俺は、シルビア様から預かった指輪を持って
師匠のところへと向かった。
「師匠?」
日は既に殆ど暮れており、夜の気配が強くなってきている。そんな薄暗い部屋で師匠はデスクで
眠っているようだった。はじめに見た書類は綺麗さっぱりなくなっている。
俺は自分の左手の薬指に教えてもらったとおりに指輪をはめ、同じように師匠の右手の薬指に
指輪を嵌める。そうして、起きるまで師匠の結構整った顔立ちの寝顔を眺めていた。
「ん…うう、…だる……」
「あ、師匠!起きましたか。」
師匠が起きたのはそれから三十分くらい立ったときだった。日はもうほぼ沈み、部屋を光の魔法の
かかった道具が明るく照らしている。
「ん…誰…って!おわっシンか!」
俺を見てのけぞって驚く師匠。やっぱり…
「似合いませんよね。こんな服。」
「いや、いきなりで驚いただけだ。似合ってる。かわいいよ。」
へらへら軽薄そうに笑って頷いてる師匠。誰にでもかわいいっていってそうだなぁ。この人は。
ほんとにもう…。
「どうしたんだ?それ。」
「エラって大きな女の人に捕まっちゃって。」
「ああ、あの人か…。善行をしたと思って諦めろ。大丈夫、後で姉さんにも見てもらって来い。」
なるほどと納得した師匠は少し微笑んでそういってくれた。
「どういうことですか?」
「あの人はかわいい服が好きなんだ。作るのも着るのも。だけど背が高いだろ…。」
「うん。師匠より高いね。」
「シルビアも背が高いだろ。だから、仕方なく自分の理想を満たしてくれそうなかわいい子を
着飾ることで満足してるんだ。」
なるほどねー。そうなんだ。いろんな人がいるんだなぁ。
「で、今度は何のようだ?」
「えっとね。シルビア様が師匠のことがもっとわかるようにって指輪を貸してくれたんです。」
「へーどんなだ?」
師匠は俺の左手を掴むと指輪をまじまじ観察し始めた。少し気恥ずかしい。しばらくすると
師匠の手が私の手を掴んだまま震えだした。そして、がばっと窓のほうを勢いよく向く。
外は最後の光が落ちたところだった。
「………シン。」
師匠は静かにつぶやいた。
「お前…シルビアにこの指輪の効果、ちゃんと聞いたか?」
指輪は淡く輝いて師匠の右手の指輪と重なっている。…ってあれ?
「な、何これ…離れない!?」
師匠は重いため息を吐くと苦笑いで説明してくれた。
「これは俺の知り合いが作ったやつでな。冗談か嫌がらせか本気かさっぱりわからないが、
夜の間ずっと離れられなくするものだ。当人は恋人の指輪とか言っていたんだが…」
一生懸命手を振ってみるけど、しっかりくっついて離れる気配はない。ひ、一晩一緒って…
えっとその…あわわわわっ!
「師匠〜。なんとかならないんですか?」
「俺が作ったものじゃないからな。しかし、何故これが…。処分したはずなのに。」
苦々しげにつぶやく師匠。
「これシルビア様が宝石箱に入れて大事そうにとってましたよ?」
「あいつめ…」
師匠の表情はなんか複雑そうだった。嬉しいのか怒っているのか。
「とにかく、これは一晩絶対に外せない。解析は出来るだろうが解呪までは時間がかかるから
どちらにしろ無理だな。」
「そ、そんなぁ…」
まったくなんてことするんですか、シルビア様…
結局どうすることも出来ないということで、そのまま師匠とくっつきながら夕食を
取ることになった。大きなテーブルなのに、師匠との距離は0だ。師匠が料理を適当に
選んで取ってくれている。
何か空気が重いような…。
「それで、こんなことに…。」
ユウさんが師匠の取ってくれた料理を見ながら笑顔でいった。しかし、笑顔なのに
何故か背筋に氷が走ったような感触を受ける。
「シルビアの悪戯か。カイもカイだ。そんな指輪あっさりはめられよって。」
これはマオ様だ。不機嫌を隠そうともしない。そういえば師匠の右っていつもマオ様の
席だったような…ごめんなさい。
「しょうがないだろ。かったるい書類仕事で疲れて少し寝てたんだから。」
「細かいアイテム作るのが得意な貴方がそれくらいで疲れるなんてね。」
この席唯一笑顔を浮かべているのはシルビア様だ。こんないたずらするような人
だとは思ってなかった。
「しかし、シルビア。お前懐かしいもの引っ張り出してきたな…。」
「シンも一つだけとはいえ魔法も覚えたことだし、ここで教えないといけないこともあるでしょう。」
教えないといけないこと……?
そう、弟子入りして初めて昨日、魔法を使ったんだ。得意な魔法を調べるためっていわれていろいろ
させられたけど、結局使えたのは一つだけだった。
師匠が利き腕でではないはずの左手で器用に食事を食べている。そんな師匠を眺めながら言葉の
意味を少し考えていた。
いろんな場所から重い空気が漂っているのはもう気がつかないことにしよう。
「じゃがその指輪はよいな。夜だけとはいえ一日カイを独占できる。なぜわらわに教えて
くれなかったのじゃ。」
マオ様がシルビア様にそんなことを聞いていた。だけど答えたのは師匠だ。
「決まってる。これが恐ろしいアイテムだからだ。いや、マオならそうでもないかもしれないか。
だが、これをはじめて嵌めたとき、俺は心底恐怖したぞ。」
ベル姉さんはシルビア様を無言で睨み付けていた。どうやらベル姉さんは知っているようだ。
だけどこれってくっつくだけでしょ?
俺はこのときシルビア様が仕掛けた恐ろしい罠をぜんぜんわかってなかったんだ…。
食事の後、少し疲れてて基礎学問の講義をする気力の沸かないらしい師匠が世界中のいろいろな
歴史や伝説、種族について話してくれた。こういうことを話すときの師匠はなるべく客観的に
話しているみたいだけど、どんな話も新鮮で楽しい。わくわくしながら聞いていた。
「カイ様、シン様。お風呂の用意ができました。こちらへどうぞ。」
ドアをノックして入ってきたのはメイドさんだ。は?…………お風呂?
「ちょ、ちょっとまってよ。今日はいいよ!」
「疲れを癒すようにとの侯爵様からの厳命です。」
メイドさんは無表情のまま冷静に言い切った。すがる気持ちで師匠を見たがそうかと
いっただけだった。
「まあ、シンは子供だしかまわんだろ。」
子供じゃないよ。まだ成人してないけど…
「ではこちらに。」
「し、師匠絶対こっち向かないでくださいよ!!」
「はいはい。」
お風呂場で服を脱いでいく。手がつながってるので脱ぎにくくて仕方がないけど、さらに
隣に師匠がいるので焦ってなかなか脱げない。なんとか全部脱いで大きなバスタオルを
体に巻くと、師匠に合図する。師匠も脱ぎ始めたのであわてて目を瞑った。
「ううー。なんでこんなことに。」
「ちゃんと効力を確認しないからだ。」
自業自得といわんがばかりの師匠。う…師匠の体ってすごい引き締まってる。ううう、
なんか変にドキドキする…。それにすごい古傷だらけだ。
「やれやれ。」
一緒に湯船に使っていると師匠は困ったもんだと呟いた。
「この指輪は一回俺とシルビアが引っ掛けられたアイテムなんだ。」
「ええええ〜」
びっくりだ。シルビア様も自分のようにどきどきしたりしたんだろうか。
「あいつは驚くくらい普段どおりで、風呂は汗が気持ち悪いから絶対に入るとかいいだしたり、
少しは恥ずかしがれよってくらい堂々としてたな。」
さすがだ…でも本当にそうなのかなぁ。
「俺は物凄い緊張したんだが。」
「ふーん。」
そっか。師匠もそうだったんだ。
「俺だと緊張しないの?」
「シンはまだ子供だからな。ベルが子供の頃はよく風呂嫌いだったあいつを風呂にいれてた。」
そういって師匠は笑うと髪の毛を洗ったり背中を流してくれた。時々体が当たってどきどき
したけどたまにはこういうのもいいかもとか思った。
「ユウにマオ。覗くな。」
師匠は急に壁に向かって話しかける。あの二人も一度、魔法で痛い目にあったほうがいいのかもしれない。
お風呂から上がると自室へと戻った。ベル姉さんとも一緒に寝るのかと思ったけど、ベル姉さんは
師匠以外の人とは隙を見せるみたいで寝れないらしい。強い人って大変だ。
師匠は寝る前にトイレを済まし(必死で目を瞑ってた)早いけど寝ることにした。こんな指輪をつけたまま
夜更かしなんてできないし。
城のベッドは昔の自分の壊れそうなベッドとは比べ物にならないくらい大きく、二人で寝ても
大丈夫だったけど、自然と自分の顔が師匠の胸元に当たってしまい、抱きしめられているかのような
錯覚をしてしまう。
(男の人…か…)
あまり男とか女とか考えたことがなかった。小さな頃から男みたいに育ってきてたし、大人とも
そういう風に接してきた。同年代は言うまでもない。
だから、師匠を始めてちょっと年上の異性、男の人…と、そんな風に感じているのかもしれない。
(姉さんの暖かい匂いとも違う、男の人の匂い…。)
そんな風に考えて頭が熱くなる。こんな風に男の人と寝るのは大人になって初めてすることの
はずなのにしちゃってるっていうのが駄目なのだ。
とりとめもない思考が回ってぜんぜん眠れない。
(あ……うう……トイレ……)
寝る前にいかなかったせいか、少し危なく…師匠には申し訳ないけど起こそうとした。
「師匠…ごめんなさい。おきて。」
しかし、起きる気配はない。しっかり熟睡というやつだ。俺はこんなに悩んでるのに〜!!
「師匠!師匠っ!!」
叩いてもゆすっても起きない。無理やり移動しようにも師匠が重くて非力な私じゃ動けない。
必死になって叩きまくるけど効果は全くない。
「師匠っ!!お願いっ!!起きてくださいっ!!」
そういえば聞いたことがある。師匠は一度寝ると自分で決めた時間までは絶対におきないんだとか。
「師匠〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
絶望の悲鳴が城に響き渡った。あ……あ…も…もうだ………
「わ、わかったから…な?悪かったって…な、泣くな。」
俺は朝起きて顔を真っ赤にして泣きじゃくるシンを必死で慰めていた。体が妙に冷えてるな…
と思ったら…
「うううぅ〜」
「ほらまぁ……そういうこともあるって。おねしょくらい誰で…ぐっ。」
殴られた。ベルに鍛えられている成果がでているのかしっかりとした突きだ。上目遣いで睨み付けながら
恥ずかしがって怒って…大変そうだ。
「魔法のアイテムが使い方間違えると危ないってわかったか?」
シンは何度も頷いた。まあ、ほとんど人災だが。俺は笑って泣いている彼女の頭を抱きしめた。
「今回はそれがわかっただけでも、よしとしよう。弟子の成長はいいことだ。」
「うううううううううぅぅぅ!」
話すとさっきより顔を真っ赤にして殴りかかってきた。ぎゃ、逆効果だったか!?
「師匠って女たらしらしいですね。」
ぐ…。いきなり何を。シンは怒ったまま俺を真剣に見つめている。
「美人に声をかけないのは失礼にあたるってもんだろ。」
と冗談めかしていうと、また殴られた。一日でやけに凶暴になったな。我が弟子よ。
そして、彼女は泣きながら走り去っていった。なんだったんだ一体。彼女を見送った後
俺は指輪を持ってシルビアの部屋へと向かった。
「返しにきたぞ。できれば封印したいが…。」
「あら。折角労力かけて探し出したのに、そんな勿体無いこと許すわけないでしょ。」
いすに座って読書をしていたシルビアは本を置くとそういって笑った。
「で、どうだった?」
「まあ、いい勉強にはなったと思うが…もっといい方法はなかったのか?」
シルビアは向かいの席とお茶を勧めながら、
「こんな方法だからいいのよ。本当に痛い目なんて合わないに限るわ。」
「まあ、そうかもな…。」
紅茶をすすりながら、長年不思議に思っていたことを聞いてみた。
「シンは子供といっても流石に恥ずかしかったんだが、俺とああなったとき、シルビアは
恥ずかしくなかったのか?」
そうすると、シルビアは少し微笑んで、
「あのときのカイは傑作だったわね…。だけど…私も恥ずかしかったに決まってるじゃない。それに
小娘のように動悸も早くなってたわ。まあでも、楽しんでいたのは確かね。」
そうかと、頷くと紅茶を飲み干した。
「確かに楽しかったな。俺は卒倒しそうだったが…。そんときはお前のひね曲がった性格
しらなかったからなあ。馬鹿みたいに緊張した。さて…」
「あら、もう行くの?ゆっくりしていきなさいよ。」
席を立つと一度だけシルビアのほうを俺は振り返った。
「どんなに仕事が多くても仕事を滞らせるのは三流のすること……だろ。」
それはシルビアの口癖だ。彼女は頷くとしっかり頼むわねと、俺の背中を思いっきり
叩いて見送った。痛い…馬鹿力なんだから。まったく…