-壺鬼-
岸上さんの家の前に、壺が置かれていた。
いや、瓶と言っても良い。
兎に角、白磁に青い唐草模様の入った壺がでんと置かれていた。
「何か植えますか?」
「あははっ。何も植えやしませんよぅ」
旦那さんは何も知らないんですねぇ と、壺を持ったまま彼女は家の裏へと廻った。
家に籠もりきりなのだから仕方ないでしょうと思いつつ、後についていく。
岸上さんは納屋から穀物袋を出すと、中身を壺に空けた。
「豆……?」
「大豆ですよぅ。二月と言えば節分じゃぁないですか」
からから、
ざらざら、
ざあっ
壺の中いっぱいに音を響かせ、壺は豆で満たされた。
「節分といえば豆を壺に詰めるものではなく撒くものでは?」
「準備です。準備」
壺に落とし蓋を閉め、上から漬け物石をのせ、納屋に入れてしまった。
「出来た時には菅さんも呼びますよぅ」
「あー…進まない…」
大手文芸雑誌に連載しているタイトル。
物語も佳境に入る所だが、筆が進まない。
これだけではなく、他の仕事もこんな調子。
スランプ、という奴か。
「旦那様、お夕飯ができましたよぉ」
「ん…仕方ないか……」
気分転換にはならないだろうという確信。
恐らく、先2、3日はこんな具合だろう。
…締め切りは明日までだがね。
「進んでます?」
「…いや。全く」
半分以上書けている。
書けてはいるが、脳を絞って無理やり引き出したアイデアが必ずしも面白いものとは限らない。
調子に乗っている時こそ面白いもの、満足のいく作品が書き上がるのだ。
「大丈夫…じゃないですよね」
「〆切、明日だからね」
「頑張ってとしか言えませんよ」
「頑張りますとしか言えませんな」
「御馳走様。美味しかったよ」
「御粗末様です」
女中が片付け始めると、呼鐘が鳴った。
「はーい」
「…待て、私が」
ドアを開けると予想通り岸上さんが立っていた。
「どうか、しましたか」
「はい、どうぞ」
とん
岸上さんが私の額を何かで突いた。
じわり と額が熱くなる。
何事かと手を遣ると、硬い突起物が指先に触れた。
「な……」
「邪気を払ってくれるんですよぅ」
聞けば、昼間の壺の中で出来たものらしい。
「明日、豆をぶつけられれば自然と落ちますから。あとは火を点けて供養しましょう
ねぇ」
「はぁ……」
明日は宜しくお願いしますと言うと、彼女は帰っていった。
「誰でしたか?……!?」
満面の笑みを浮かべている。
「可笑しいかい?」
「いえ……でも、可愛いです。とっても」
「…それはありがとう」
可愛い、ね。
しかし岸上さんの言う通りこの角は邪気を払ってくれているようで、頭の中がクリアになった気がする。
もしかしたら何かアイデアでもと筆を取る。
「……ほぉ?」
滑り出しがいい。
「……ほほぉ?」
推敲が手間取らない。
「これはもしかすると…」
徹夜の甲斐もあり、原稿は翌日の朝には終わっていた。
「いやぁ、いいのが書けたな」
眠い。
昼まで、少し寝るとしよう。
「…旦那様……お昼ですよぉ」
「……んんん」
「起きて下さ……プッ」
「むー…」
もう少し寝かせてくれと寝返りを打とうとしたが、頭が動かない。
「……?」
「旦那様、角が引っかかってますよぉ」
仕方ない。
起きるか。
「…………あれ?」
頭が重くて持ち上がらない。
「なぁ、いったい私の頭はどうなっているんだ?」
寝たままの姿勢で女中に聞いた。
「ちょっと待って下さいね」
女中が懐から手鏡を出した。
終始、笑顔のままである。
「……おおぉ」
いったい何事であろうか。
私の頭の角は昨晩より遙かに肥大し、巻いていた。
そして重い。
それも尋常ではない重さで、首の力では持ち上がらない
ため恐らく立ち上がった時に虚弱な私の頸骨はへし折れてしまうだろう。
「……岸上さん呼んできて」
「はぁい」
主人が一大事の時に、どうしてああも笑えるのかと憎らしくなるが確かに今の私は滑稽で、私がこんな状態ではなかったら私も笑うだろうな。
「あらあらあらあらまぁまぁまぁまぁ」
「…………」
余り片付いてない自分の部屋に意中の女性を上げることのなんと恥ずかしいことよ。
「たくさん吸われましたねぇ」
岸上さんはからからと笑いながら角を撫でている。
「何をですか?」
「邪気ですよぅ。ジャキ」
頭が重くなる程の邪気が渦巻いていたというのだろうか。
「この御様子ですと、御仕事がはかどった様ですねぇ」
「お陰様で」
「しかし困りましたね」
角を撫でていた岸上さんの手が風呂敷に伸びる。
切るのだろうか?
削るのだろうか?
へし折るのだろうか?
痛いのは厭である。
「本当は夜やりたかったんですが…」
風呂敷包みから取り出したのは、枡に入った大豆だった。
「さ、女中さんも」
「私は……?」
「寝たままで宜しいですよぅ」
ばちばちと顔に豆が当たる。
当たる当たる。
角にも当たるが、顔面にもしこたま当たる。
―ぼろり
その内、私の頭に重圧を与えていた角が根元からきれいに取れた。
それでも飛んでくる豆、豆、豆。
「い…痛いって!取れた取れた!もういいですから!」
夕方、出版社に原稿を出しに行き、帰れば既に夕食の準備が出来ていた。
「あれ、筍ですか?」
お吸い物の中に肌色をした円錐形のものが入っている。
「食べてみればわかりますよぉ」
一口。
…食感は、竹輪に近い。
「わからないなぁ。何だい?コレ」
「岸上さんが作ってくれたんです。昼間のアレですよぉ。岸上さん曰わく、その日の内に燃やして供養するのも良いんですが、最高の珍味だそうで」
……うぇ。
岸上さんが作ってくれたから食べるものの、なんだか排泄物を食べている心地がしてならなかった。