"女中と物書き"設定
菅 高峯[スガ タカミネ](旦那)26歳。
そこそこ仕事が入る物書き。
家は先代のもので、財産もかなりある。
仕事熱心というわけではないが、引籠気味。
……だったはずなのだが、家事を全くと言っていいほどやらない女中を雇ったおかげで頻繁に外出するようになった。
朱佐多 梛[アカサタ ナ](女中)23歳。
名前は思い付きで付けたので申し訳なく思っている。
食虫植物の蠅取草を頭に飼っている。
食事の用意は苦手、掃除は面倒、唯一出来るのは洗濯のみという怠慢な女中。
だが何故かクビにはならない。
岸上 貴詩子[キシガミ キシコ](岸上さん)28歳。
菅が密かに想いを寄せる隣の家の未亡人。
趣味は園芸で庭は様々な植物で埋め尽くされている。
-茄殻-
去年の春に岸上さんから頂いた茄子の苗が実をつけた。
余り大きな実ではないが、元々観賞用として貰ったので、私はこれで満足である。
書斎に置いてあったのが、ある昼の事、居間の炬燵の上に移されていた。
「キミが移したのかい?」
いつも通り炬燵で丸くなり怠慢に過ごしている女中に尋ねた。
「あぁ……大変なんですよぉ」
ほら、と指差した先には罅の入った茄子の実が。
「寒さが原因かと思ったんでこっちに移したんですがねぇ……」
どうやら先程より罅が広がっているらしい。
「……岸上さんに聞いてみるか」
庭先に出ると、隣の庭では岸上さんが雪かきをしていた。
藤色の着物に白い半纏を羽織っている。
「精が出ますね」
垣根越しに声をかけると、にこやかな笑みで返事を返してきた。
「あけましておめでとうございます」
そういえば、年末から家に籠もりきりの私は年始の挨拶もしていなかった。
「これはこれは。挨拶も無くてすみませんでした」
「いえ、お仕事がお忙しいのでしょう?」
正直な所、正月明けに入っている仕事は年末に済ませ、後は新聞の新年号に小さく載せられるコラムだけで大した仕事も無いのだが。
ええ と曖昧な返事をしながら私はそう思った。
「…ところで、岸上さんから去年頂いた茄子なのですが……」
私は件の鉢植えを取り出した。
「あ!そろそろ孵るころですね!」
"孵る"?
「蛹ですか?」
毎回、岸上さんから貰う植物には"蛹"が実るものが多い。
「いゃだ、旦那さん。"孵る"と言えば卵に決まってるじゃぁないですか」
ぴきり
私達の見ている前で、茄子が揺れた。
「茄殻の割れる所なんて、そうそう見られるもんじゃないんですよぅ」
2人で鉢を覗き込む。
岸上さんの上気した頬や、そこについている紅色の唇が見えて、動悸がした。
ぱぎ
ぴつ
殻に空いた孔から大豆色の嘴が覗いた。
殻はどんどん割れ、鉢の柔らかい土の上に一羽の雛鳥が落ちる。
茄子と同じ濃い紫の翼を精一杯伸ばし、
まだ目の開ききらない雛鳥はか細く鳴いた。
-遊蛾灯-
或る日のこと。
どうぞ、と岸上さんに手渡された物はアンティークのランプだった。
赤銅色に鈍く光る笠と台が4つの支柱で繋がっているだけで、風避けのガラスも何もない。
「遊蛾灯ですよぅ」
「今は蛾の季節ではないのでは?」
「使って見ればわかりますよぅ。私の主人が昔好きだったんですけど…今は必要無いので菅さんに使って戴ければ、と…」
夕方。そのランプは居間の炬燵の上に置かれていた。
「せっかく貰ったんだから、火点けてみればいいじゃないですかぁ」
「そうだねぇ…」
マッチを擦って支柱に囲まれた芯に近付けると、簡単に火が点いた。
「誘蛾灯ってよりはただのランプですねぇ」
誘蛾灯は本来青紫に光る蛍光灯で、実際はランプではない筈だ。
暫く2人で火を見ていると、支柱の中で炎が渦を巻き始めた。隙間風にしては少々強すぎである。
「あっ」
ぼぼ…っ
一瞬、炎が大きく揺れたかと思うと一匹の蛾が火中から飛び出した。
炎を纏って灯色に輝く蛾は綺麗なもので、火の粉を散らしながら天井まで上って行き、燃え尽きた。
「へぇ…」
「これは良いですねぇ。御主人様、一杯どうですかい?」
女中は既に開けられていた麦酒の瓶を掲げた。
「君さぁ……」
「まぁまぁ…」
日は暮れてゆく。
-鉄砲魚-
家の庭の池にどこから来たのか鉄砲魚が住み着いた。
"彼"に初めて気付いたのは、主人である私の仕事となりつつある庭掃除の時だった。
落ち葉を集めていると首筋に水滴が当たった。
雨かと思って空を仰いだがどこまでも深い青空が広がるばかりだった。
上を見上げていると人は自然に口を開けてしまう。私も例外ではなく、その口内に水滴が落ちた。
「……む」
ちゃぷ
池の方で何かが跳ねた。水中で銀の煌めきが翻る。
「…鉄砲魚?」
再び水面に顔を出すと"彼"はまたも水つぶてを飛ばした。
顔に当たる。
「……むぅ」
構って欲しいのだろうか。
「落ち葉を片付けて欲しいんじゃないですかぁ?」
舌足らずな声が指摘する。
「君がやれよ」
おぉ寒い寒い、と働かざる者は炬燵へ戻って行った。
池の上に浮いた落ち葉を退けると、水底に日光が当たりだした。
成る程。鉄砲魚も寒かったのだ。
冷たい風が吹いた。
私も家に入ろう。パン屑を取りに。
-南瓜凪-
風の強い日だった。
びゅごう、びゅごう、という風の音。
ガタガタ、シャリシャリ、という窓ガラスの揺れる音や、それに当たる落ち葉の音。
それらに混じって、池の方から
どぷ ん
という音が聞こえた。
鉄砲魚が跳ねでもしたかと見れば、音の主は鉄砲魚ではなかった。
水面には固くて厚い緑の殻に包まれた橙の蛹、南瓜が浮いていた。
少し寒いのを我慢しながら表へ出ると、確かに南瓜であった。
自分の縄張に突然入ってきた異物に鉄砲魚が反応し、突っついて追い出そうと躍起になっている。
私は鉄砲魚を助ける為に冷たい水に手を浸けて南瓜をすくい上げた。
立派な南瓜である。
とん、
足元に何かの当たる感触がした。
見下ろせば、また南瓜。
一体どこから転がってくるのか、風と共に南瓜はころころ転がって来る。
「どした?」
怠慢な女中がガラス戸の間から顔を出している。
「今日は南瓜鍋だよ」
「寒いしいいかもね」
足元に南瓜が転がる
「明日も南瓜鍋」
「ぬ」
とん、と
「明後日も南瓜鍋」
「………」
ころころ、と
「次の日も南瓜鍋」
「うぇ…」
南瓜凪が私の足元を吹き抜ける。
岸上さんにもお裾分けしなければ。
-錆蕨-
春の陽気にも慣れ、そろそろ梅雨入りかと感じ出した或る日のこと。
鉄砲魚の池にパン屑を撒いていたら垣根を挟んだ向こうから岸上さんに声を掛けられた。
声を掛けられた瞬間、私はだらしない顔をしていたのだろう。
至近距離からの冷水に顔を引き締められた。
「どうしましたか?」
岸上さんは萌葱色の着物に、白い半纏を着ていた。
今日も首筋がセクシーである。
「菅さんは山菜はお嫌いですかぁ?」
「いえ、嫌いなものなど……蜆以外なら」
岸上さんがくれるものならば蜆以外なら食べれましょうぞ。
蜆は駄目だ。浅蜊ならば良いのだが蜆は駄目だ。
「ふふっ。好き嫌いはいけませんよぅ」
ああ、なんて上品なのだろう。
家の女中なぞ笑う時は豪快にがははといった感じである。
「錆蕨がいい具合に育ったので、菅さんにもお裾分けしようかと…」
「いつも頂いてばかりですみません…さわらび、とは?」
これですよぅ、と岸上さんが取り出した鉢からは4、5本程蕨が生えていた。
岸上さんの育てているものだし、"錆蕨"と言うくらいだから唯の蕨ではないのだろう。
「これは育ちすぎちゃいましたねぇ」
真ん中に生えている一本は他のよりも大きく、葉も開きかけていた。
山菜としてもあまり美味しくない状態である。
ぢょきん
岸上さんがその育ち過ぎた一本を根元から切った。
瞬間。
錆蕨は一気に渦巻き状の茎を伸ばし、葉を広げたのだ。
まるで早送りの様に伸び上がると、今度は葉の先から濃茶色に染まっていった。
鉄臭い香りが漂う。
錆び付いてているのだ。
「切ったら直ぐに水に浸けないとこうして錆びて崩れちゃうんですよぅ」
岸上さんがその白く細い指で伸びきった錆蕨を突っつくと、ぼろぼろと崩れ風に散ってしまった。
他の錆蕨は水に浸けたまま茹でて灰汁抜きをし、お浸しにするのがいいそうで。
私は植物は強いものだとばかり思っていたが、やはり生命というものは儚いと実感させられた。
【歌袋】
岸上さんが隣に越してきたのは、私が今の連載を初めて引き受けた頃だった。
「昨日隣に越してきた、岸上貴詩子です」
藤色の着物を着て、ふわりと花の匂いをかぐわせて。
丁度その何週間か前に女中である朱佐多を雇った時で、別に女っ気に飢えていたわけではないのだが
その頃からなのだろう。岸上さんに特別な感情を抱いていたのは。
「これ、つまらないものなんですが…」
と、岸上さんは私に鉢植えをくれた。
鉢植えには一本木の棒が刺さっていて、その根元からひゅるりと蔓が伸びて巻き付いている。
蔓の先端の方には葉が二枚、片方の付け根からはコロネのように渦を巻ながら細長く伸びた蕾が付いていた。
「もうすぐ花が開きますからその際は是非立ち会って、楽しんで下さいねぇ」
はにかみながら彼女はそう言うと自分の家へと帰って行った。
何日か過ぎ。
私が書斎で連載したての小説の内容に頭を抱えていると、女中が茶を持って来た。
どういうわけかこの女中は緑茶くらいしか上手く煎れる事が出来ない。
女中としてこれはどうだろうか。
「筆が進まないんですかぁ?」
「風呂敷を広げすぎてね…収集が着かなくなってしまったよ」
私はペンを放り出し苦笑した。
ハッピーエンドにしたくなったのだがそれを打ち消す伏線を張りすぎたのだ。
これはやはり初期の予定通りバッドエンドで進めた方が良いのかも知れない。
湯呑みに口を付けたその時。
かすかに歌声が聞こえたのだ。ハミングの様な、鼻歌の様な。
「君、何か言った?」
「いえ、私は何も…」
耳を澄ませば、その歌声は窓辺に置かれている鉢植えから聞こえてきている様だった。
「あれは確か隣の岸上さんからの…」
「…花が開きかけているな。君も見てごらん」
蕾の先端が解け、中から歌声が溢れ出してきた。
花が開くとともにボリュウムが増し、私と女中は暫し聞き惚れてしまったのだった。
朝顔に良く似た藤色の花は、数日前どこかで嗅いだ事のある匂いをふわりと漂わせ、
朝日に向かって咲き誇っていた。
【芋粥】
「岸上さんがまた変なものを持ってきた。」
「こら、私のモノローグに見えるじゃないか」
確かに、私の手に乗っているメロン程の大きさの芋は岸上さんが持ってきたものである。
今日も岸上さんは麗しかった。
明日もやはり麗しいのだろう。
「大きなお芋ですねぇ」
「例によって只の芋ではないらしいが…昼も近いし食べてみるか」
着物の袖を捲くし上げ、台所に立っているのは私である。
女中である朱佐多君は料理が出来ないのだ。お茶くらいしか煎れられず、
しかも本当にお茶だけで、コーヒーを煎れると砂糖の代わりに塩が入っている始末。
さらに料理どころか掃除もしない、ダメ女中である。
それでも仕事に追われているときは役に立つし、洗濯くらいならできる、
何より寂しい独り暮らしを送るよりはマシなので傍に置いている。
岸上さんが言うには、中華包丁で縦から一息に割るのがベストだそうで。
ばくゎん
割れた芋の中は想像だにしていない様なものであった。
「腐ってるわけじゃなさそうですねぇ」
「離乳食のようだな」
割れた芋の中には粥のようなドロドロとしたものが詰まっていた。
一息に割れたので零れず、椀のようになった芋に収まっている。
「いただこうか」
「お茶、煎れますね」
唯一得意のお茶の極みを渡された。
蓮華で掬い口に入れると、素朴な感じの仄かな炭水化物の甘みを持った懐かしい味が広がった。
「旨い…」
「おいしいですねぇ♪……あれ?」
「旦那さん、泣いているんで?」
母がまだ、生きていた頃を思い出した。