魔を討つため、魔に堕ち、魔を断つ。
我が名は魔剣オールオーバー。
我は、魔を絶つ剣。
我が名は魔剣。
声が、聞こえた――ような気がした。
私は、それが気のせいだと確信するため。目下、潜入捜査中である、街でも有数の貴族の蔵の中を見渡した。
貴族のくせに、蝋燭の一本をケチるのは、彼の商売人根性からくるものであろう。
その性質は、普段ならば同調するところだが。今は別だ。
広さはあるかわりに、ランプを向けていなければ、全くの暗闇になってしまう土蔵の中はひんやりとしていて。時折、どうしようもなく背筋に悪寒が走る。
――怖い。
意地を張って、部下を置いてくるのではなかったと後悔した。
貴族の娘だからと、コネで軍警察に入隊したお嬢様と思われるのが癪だからといって。潜入捜査に一人で来るのはまずかった。
かなり怖い。
暗い部屋の中、ジメッとして冷たい室温、その上――幻聴。
気絶していないでいられるのは、意地のおかげといって過言ではない。気を抜けば、今にも倒れてしまいそうだ。
しかし、こんなところで倒れれば何を言われたものか。
暗い蔵が怖くて、幻聴が聞こえたから倒れた――それでは、私を<お嬢様>と嘲る連中の言葉を肯定することになってしまうではないか。
「……フ」
そうだ、怖がってはいられない。
それに
「フ、ハハハハ」
何が怖いことがある。
恐れるから怖いのだ、恐れなければ全然怖くなどない。
ああ、そうとも。
たかだか、蔵の探索じゃないか。
……そう、自らに言い聞かせて、探索を再開する。
今日の私の任務は、貴族が所有する<アーティファクト>を譲り受けることにある。
<アーティファクト>――過去、正式な記録は消失しているため、正確な所は分からないが。
現王家ができる以前とされているから、約三百年より以前。その頃栄華を極めていた、魔導文明その技術により創られた物。
正式名称<ロストスキルエンチャントアーティファクト>
その大半は日用雑貨、生活用品であり。
目を引くのは、自動昇降機や魔力充電式ランプなど、現在の技術では再現不可能なものであり。
そうしたものは、個人での所有が認められている。
生活の場で便利な物は、使用して当然。
人々の生活が豊かになるのを、軍警察も政府も禁止はしない。
けれど、中には危険な物もある。
銃弾の装填なく撃てる銃や、放てば間違いなく敵を貫く矢、魔人を召喚するランプ、外なる神を呼び出す輝石。
まるで御伽噺のような代物の使用例が、国史に記されている。
そう御伽噺、そうとしか思えぬ伝説もある。
雷を自在に操る勇者、異なる世界へ繋がる門、魔剣を操る白き王と黒き獣。
御伽噺はいつもそうしたものたちが彩ってきた。
しかし、今。
そうした、危険な<アーティファクト>を破壊してまわるテロリストがいる。
彼らは異形の獣を操り、<アーティファクト>を破壊するためならば、平然としてその所有者。時には無関係な者まで殺す。
故に、我ら軍警察は、そうした所有物を一旦軍警察に預けるよう言い渡しているのだが。自発的にもってくる者は、あまりいない。
だから、こうして、軍警察が直に差し押さえを行っているのだ。
私がここ、ジョアン・エルザ・フォスター男爵家を訪れているのはそのためだ。
しかし、何故、家の者もいないなか、こうして一人なのは。
この蔵が先々代より使われていない、ガラクタ置き場だからだ。
言われて、分かっていたとはいえ。
蔵の中は埃だらけ。
着ている軍警察の誇りの青と緑は、埃の灰色に上掻きされ。
髪も、なんだか、ベトベトして気持ち悪い。
……帰りたい。
湯でなくてもいい、洗いたい。そういえば近くに河があったな、水浴びすればどれだけ気持ち良いか……。
いや、考えるのはよそう。
今はここに何もないことを確認するのが先だ。
そう思って、いつの間にか腰掛けていた長い木箱の上から腰をあげた。
――と、そこへ。
「ここでいいんだな」
「ああ、そうだ。だが、我が家は何も隠してなどいない」
「それは、我らが判断することだ」
蔵の扉が開き、光と声が入ってきた。
誰の声だろうと見ると、まともに直射日光をみてしまい、目が眩む。
入ってきたのは二人のようだ。顔かたちまでは判らぬが。
「――なっ、なんで軍警察がいる」
「まだ、帰っていなかったのかね……」
この声は、
「フォスター男爵?」
この家の当主。
元商人にして、現在貿易管理局副局長補佐を務める者。
金で貴族になったと言われているが、彼の実績を考えれば、それだけではないことは明白だ。
彼がいたことによって、これまで敵対関係にあった隣国ロンギとの貿易が始まり、今では融和策すら考えられるようになっていた。
ロンギとの和平がなれば、公爵位を与えられることになるだろう。
私の父の友人でもある。
「すいません。もう少しかかりそうです」
私が中々出てこないこと心配して、来たのだろう――そう思ったのだが。
「聴いての通りだ、軍警察が一刻探索しても見つからなかった。それでも探すのかね」
元が商人だからだと、本人も言っている通り。
フォスター男爵はいつでもにこやかな顔と喋りをしている、それらと豊かな腹は、相手を安心させるのに有用な武器なのだと。
「ハッ、信用できるかよ」
目が少しずつ光になれてきた。
フォスター男爵の隣に居るのは、どうやら男、中肉中背といった感じの。
「つーか、女かよ。へへっ、オレもついてら」
その言葉にかちんときたが、相手の素性も分からぬのに、殴りかかるわけにもいかず。ぐっとこらえる。
その男は蔵の中にはいってきて、中を見渡した。
「スゲェな。ここにあるもん売り払ったら、幾らくらいになるんだろうな」
「ここにあるのはガラクタばかりだ、1ルドにもならんよ」
「そうかい、なら焼き払っても構わないよな」
その言葉に、私は耳を疑った。
「――なっ!? なにを馬鹿な。君はあるかどうか確認するだけだといったではないか」
「こんなかにあるのは、ガラクタだけなんだろ。ならかまわねぇだろ」
確かに、ガラクタばかりかもしれない。
価値のあるものはないのかもしれない。
しかし、それでも個人の所有物であり。ここには家の歴史がある。今では使い道のない、ものばかりかもしれない。
しかし、それだからといって、焼き払うなど。
それに、もし、ここに火がつけば。側にある母屋にも火が移るのはまず間違いない。
そのようなことを、赦すわけにはいかない。
「貴様」
腰に下げた剣の柄に手をかけた。
「本当にする気ならば、法王の名において、捕らえるぞ」
可能な限り声を低め、ドスを効かせた。
男は私の方を向くと、足から頭まで見た上で――笑った。
「知るかよ」
「なんだとっ」
その顔に下卑た笑いを貼り付け、男は私に歩み寄ると、無造作に私の顎を掴み。
まるで舐めまわすように、私の顔を見ると。
「綺麗な顔してるな。えッ、警察士さんよ」
「それがどうしたっ」
男の手を払い、距離をあけるため、飛びのこうとし――足を取られて転んだ。
「……っう。たた」
直ぐに立ち上がろうとした、その鼻先に剣の切っ先があった。
「――くっ!」
視線を、ゆっくりと動かす。
軍警察支給品と違う、婉曲した刀身。ぬらりとした油が塗られていた。
「動けば殺すぜ」
その剣を握っているのは、確認するまでもなく、あの男。
下卑た笑いは深く。
「やめないか。その子は関係ない」
フォスター男爵の言葉も通じず。
男は、
「ああ、そうだ。イエンド、そのオヤジをぶっ殺せ」
そう、蔵の外へと叫んだ。
その声に呼応し、
「Guwraaaaaaa!!」
獣の咆哮が聞こえた。
「なっ、待て、」
「フォスター男爵っ?」
蔵の外、光が遮られた。
大人三人くらいは横並びに入れそうな広さの出入り口を塞げるほどの巨体
――異形の獣。
その姿を見たとき、私は、喉が詰った。
それは、赤銅色の隆々とした筋肉を鎧い、人間のような四肢を持ちながら、頭がなかった。
ならば、先ほどの咆哮はどこから?
答え――隆々とした身体付き、その下腹部に口が存在した。
その口からは、黒い――いや色は判然としない涎が垂れていた。
「く、くるな、来るなぁ―――――」
フォスター男爵の叫び。
異形の怪物の背から、筋肉の隙間から、蛸のような触手が伸び、フォスター男爵を絡めとり、縛り上げた。
「やめろ、なにを…やめ」
触手に縛り上げられたフォスター男爵の身体が――
ベキッ
――有り得ない方向に折れ曲がった。
「フォスター…男爵……」
唐突な、突然の出来事に、思考が追いつかない。
異形の怪物が、その口腔を拡げ、頭から……
ぐじゃ、べき、あむ、めきき、ぐご
「イエンド、喰うなら、外にしろ」
男の言葉に、異形の怪物はおとなしく従った。
男は怪物を蔵から追い出すと、扉を閉めた。
蔵の外からは、絶えず、何かが捕食する音が聞こえている。
私は、男が扉を閉める隙に、立ち上がればよかったのに、なにも出来ずにいた。
ようやく、逃げないと――考えがいたった時には男が戻ってきた。
男は、私の腰から剣を抜くと、届かない場所に放ってしまった。
「んじゃ、するとすっかな」
男はベルトを外しながらそう言った。
「な…なにを……」
「ああ? 決まってんだろ」
ベルトを外し、ズボンを脱いだ男はそう言って、足を上げ。
「――ぐえっ!?」
私の腹を踏みつけた。
「蛙みたいな声で鳴きやがる」
男が笑いながら言うのが聞こえた。
突然のこと,上手く反応できない。
抵抗も受身も取れないで、呻くだけの私から足を上げると、男は私の足元に膝を付いた
男の手が、制服のズボンを下ろしていく。
抵抗しよう、抵抗しないとまずい――分かりながらも、行動できない。
――怖い。
剣に頼ろうと、剣をと、手を伸ばし絶望する。
そうだった、剣は奪われていた。
蔵の冷たい空気が脚を脅かし、脱がされたのが分かった。
怖くてみれないし、なにより灯りがないせいで、見えない。
唯一ある灯りは、男の側。
「へへ、可愛い下着つけてやがんな」
「――ひっ!!?」
男の手が、下着の上から私の下腹部を撫でた。
やめろ、触るな。
――声が上手くでない。
混乱しているのか、声の出し方が分からない。
どうすればこの状況から抜け出せるのかも。
「なぁ、おい」
男の顔が、側にあった。
息が臭い。酒と血とコールタールの臭い、不快な。
「痛くされたくないよな?」
私は反射的に頷いていた。まるで、そうしなければならなかったかのように。
男が笑った。
「痛くされたくなかったら、自分で脱げ」
私は、頷いた。
頬を熱いものが流れていた。
腰を抜かしていた私を、男は助け起こすと。まず、下腹部を覆う下着を脱ぐよう指示した。
私は、成す術なく、その指示に従い。下着を脱いだ。
「へぇ」
いやだ、見るな。
「いい尻してるなぁ、おい」
男の手が、私の尻を打った。
「ひっ」
悲鳴をあげ、その場に崩れる私に、男は
「んじゃ、上も脱げ」
と指示をした。
躊躇う私の太ももを、油で切れ味を増した婉曲刀の腹で叩いた。
冷たい鉄の感触と、粘液のような油の感触に、鳥肌が立つ。
恐れが、私の手を動かした。
上依を外し、鎖帷子を脱ぎ、下着を脱ぐと。
いまさらと分かりながらも、私は胸の登頂部を片腕で隠していた。
「……」
男が沈黙して、私の胸を眺めているのが分かった。
――分かっていながら、何もできない。
こんな時にどうすればいいのか、お父様も教えてくれなかった。
「でかいな」
男が、ぼそりと呟いた。
その言葉の意味するところに、私は顔を赤くしていた。
昔からこの胸が好きではなかった。
女そのものな錘。
実力主義の警察社会において、女性というだけで何度もさげすさまれ、何度となく嫌な目にもあった。
男の油ぎった手が伸びてくる、払おうとして、絡め取られ。敢え無く、男の手が、胸を掴んでいた。
「本当にお前警察士かよ、娼婦じゃねぇの?」
ニヤニヤ笑いながらいう男に、私はなんの反論もできなかった。
男の手は私の胸を揉む、などという生易しいものではなく。まるで、親の仇のように、握りつぶそうとしているかのようだった。
痛い。
爪をたてられ、その部分がじんじんと傷む。
何がしたいのか、男は私の胸を捻った。
「――っ!?」
痛い、痛い、いたい。
どこまでも痛いだけ、なのに
「あ? 乳首勃ってるぜ、感じてんのかよ」
そんな勘違いしたことをいってくる。
「気持ちいいんだろ、なぁ?」
硬くなった乳首がつままれ、爪で抓られる。
「――――やめてっ!」
思わず、気づけば声が出ていた。
その声に、男が一旦手を離した。案外、気の小さい男なのかもしれない。
「な、なんだよ。でかい声だしやがって」
へへっと男は笑った。
「……胸触られるのは嫌なのかよ? こんなやらしい胸してるくせによ」
私は何か言い返そうとしたが、嗚咽しかでなかった。
涙が止められなかった。
嫌だ、なんでこんな。なんで私がこんな扱いを受けなければならないのだろう。
その泣き声が、男の神経を逆なでしたのか。
どんっと肩を押された。
「――っ」
先ほど座っていた箱の上に押し倒された。
箱の冷たい感触に、凍える。
男が私の脚を掴み、開こうとする。
私は抵抗しようとし――敗北。
「いやぁ」
脚が開かれ、見られたくないその場所が露になる。
それだけでも、苦痛なのに――
「く――っ!」
男の、脂ぎった指が、私の秘唇を割り、押し込まれた。
「濡れてねぇな」
つまらなさそうな声で、男が理解不能な言葉を吐いた。――死ね。
男の指先が、私の膣を掻き回す。
爪が薄い皮を削り、拡げるためかぐいぐいと何度も押される。
体が、痛みに抵抗するため。異物を吐き出すため。潤滑液を排出しはじめるのが分かった。
それを、なにを、勘違いしたのか。
「へへっ、ようやく感じてきたか」
男はそんなことをいった。
怨嗟で人を殺せるなら、私は、今この男を殺せる。
憎しみが沸く。
憎悪が猛る。
指が唐突に抜かれた。
男のシルエットが、私の視界にを覆う。
強く、
強く、
強く睨み付けた。
なのに、男は怯まない、怯えすらしない。それどころか、笑った。
私の表情を愉しむ、嘲るように、男は笑い。
「いくぞ」
意味不明――理解したくない言葉を言った。
言葉、意味、行動。
痛めつけられた局部に、男の何か――おそらく汚らしく、不浄な物が押し当てられた。
それが、
「いやあぁぁぁぁぁっぁぁっぁぁぁぁぁっぁぁあっぁaaaaaaぁぁぁぁぁ!!!」
――何か。
なに?
これは、 いや。
やめて
やめて
やめて
何かが、私の中に入ってくる。
何かが、私の中に侵略してくる。
越えてはならない――少なくとも、こんな男に、こんな奴に――、一線が陵辱されるがままに、踏み越えられた。
それが、理解した瞬間。体が力を失った。
「処女かよ」
男が何かをいった。
「マジでついてんな、オレ」
私は、その言葉に、万感の怨嗟を込め。
「貴様は、死ね」
言った。
涙が留めなく溢れる。
これが現実だと、思いたくなかった。
こんな目に合わされているのに、なにもできない自分を憎悪した。
男は私を幾度となく揺さぶり、私を陵辱していく。
口から泡と喘ぎを漏らしながら狂喜する男、その指先が、私の胸を押しつぶす。
ぐちゃっ、ぐちゅ、ぐちゅちゃ、ぐっちゃ、ぐっちゃ。
私の体がそんな音をたてる。
膣から、なにかが溢れ出していた。
――声が、聞こえた。
***
我が名は魔剣。
魔を討つため、魔に堕ち、魔を断つ。
我が名は魔剣オールオーバー。
我は、魔を絶つ剣。
汝、力を求めるか?
汝、魔を憎むか?
汝、
***
――声が聞こえた。
それは幻聴。
こんな目に合わされながらも――こんな目に合わされているから、言える。
そんな、私に都合のいいことは起こりえない。
私は貴族の家に生まれた。
一人娘、男子はいない家系。父は口癖のように繰り返す。
『お前が男だったらな』
私はその言葉に抗った。
男でなくていい、女の私でもいいとお父様が満足してくれるよう。
だから、軍警察に入った。
男に負けないため――なのに。
「くっ、すげ、絡みついてきやがる」
なのに、この展開はあんまりじゃないか。
なんで私が……
希望を打ちのめす、最悪の展開。
ご都合主義の打開など起こらない――――――――死にたい。
――汝、力を欲するや?
うるさい。
幻聴は消えろ。
そんな、都合の良いことがおきるわけない。
男は私をひっくり返し、うつ伏せにすると、再び挿入。
――そう、奇蹟は起きない。
なら黙ってろ。うるさい。
私を助ける力がないのなら、黙ってろ。
――そう、我には汝を救う力はない。
なら
――汝が汝を救うための、力にはなれる。
私は、その幻聴を冷笑し、その上で。
そこまで言うなら、助けて……ううん、力を貸して。
その幻聴の話に乗った。
――心得たり。
――我が力、用いたければ、我が名を呼べ。
――我の名を、
「……ぃ、」
掠れる声を奮い立たせる。
「それは叫び、それは痛み、それは涙」
「あ? なにブツブツ言ってんだ?」
「その切実なる願いに応え顕れ、魔剣オールオーバー!」
***
それは誓い。
それは契り。
それは聖約。
彼を封滅していた棺に血が流れたとき、彼は覚醒する。
今、血流す。傷つく人の呼び声に答えるため。
彼は喚起する。
魔術的封印の施された棺が、解け、内部に納まっていた剣が起動する。
八つに裂かれたその刀身が、繋がり、結ばれ、剣を成す。
それは両刃の剣。
それは血を浴びながらも、魔に堕ちぬ意思を持つ剣。
それは魔を断つ剣。
我が名は魔剣。
魔を討つため、魔に堕ち、魔を断つ。
我が名は魔剣オールオーバー。
我は、魔を絶つ剣。
***
気づけば、手の中に堅い感触があった。
「これは……」
私の手が、まるで独立した意思をもつように、手が動いていた。
「これが……」
うつ伏せの体勢。手が動く。背後に憎むべき悪がいる。手が動く。硬質な感触、眠っていた旧い冷たさ。手が動く。
手が動き、腕が押し込む。
「なっ――!!」
呻きが聞こえた。
手の中に剣があった、その剣は私の脇を通り過ぎ、背後にいる男へ伸びていた。
鏡のように研きぬかれた刀身に、血が滑る。
男の体が、ゆっくりと倒れこんできた。
もの言わぬ重さが、私の身体にのしかかる。
「……うう」
その重さから逃れるため、私は男の下から這い出た。
「くっ……あ…んっ」
這い出、立ち上がり
「…………」
――自分の成したことに、慄然とした。
この男は、確かに自分を犯した――それは、報復に殺してかまわないような罪なのだろうか?
私は考える。
状況に対して、頭が酷く冴えていた。
私は――
その時、悲鳴が聞こえた。
蔵の外から、誰か、女の人の恐怖に満ちた声。
思い出す、蔵の外に異形の怪物が立っていることを。
そして、仮定する。
この男、私が殺した男があの組織の一員ならば。あの異形の怪物と男の間には、盟約が存在したはずだ。
死が二人を別つまで、契約者は異形の怪物を意のままに操れる。
それが盟約の内容。
それが破棄されたとき、契約者が死んだらどうなるか、それは簡単だ。
――暴走。
人間という理性のギアスが存在しているならまだしも、
異世界より召喚されると言われている、異形の怪物どもは、この世界において破壊を繰り返す。まるでそれが、自分たちの使命だというように。
故に、あの異形の怪物を殺すならば。
契約者を殺す前でなければならない。
契約下にない異形の怪物を殺すには、三個中隊以上の部隊が必要。
悲鳴が聞こえた。
私は、無謀と分かりながら、蔵から飛び出した。
服は――いや、そんな時間などない。
蔵から出ると、フォスター男爵自慢の庭が赤く染め上げられていた。
使用人、近衛兵の死体の名残が、あちこちに散乱している。
異形の怪物は今も、メイド服姿の少女を食らおうとしていた。
私は駆けていた。
「やめろぉっ!」
駆けてから気づいた、剣は男の腹に刺したまま。
今の私には武器などないことに、しかし――
「せりゃぁあっ!!」
――勢いをつけ、片足で地面を蹴り、怪物を殴りつけた。
「――っ」
だが、私の軟な拳で怪物の隆々とした筋肉には通じず――筋肉の谷間から、触手が伸び、腕を絡め取り、捻りあげた。
「ぎっ…あぁぁぁっ!!」
しかし、そのおかげで。
怪物の注意は私に向き、少女は解放された。
私は顎をしゃくり、少女に逃げるよう指示する。
少女は一瞬迷ったようだったものの、一度頭を下げると逃げ出した。
後は、私が逃げるだけ……でも、無理そうだ――いや。
私はあることを閃いた。
まるでそれが出来て当然、
まるで以前からそのことを知っていたかのように。
口が動いていた、
「それは叫び、それは痛み、それは涙。……その切実なる願いに応え顕れ、
魔剣オールオーバー!」
私の声に喚起され、手の中に――在る。掴み、握り、
異形の怪物は、捕食しようと私を口へ運ぶ。
剣をその口へ向ける、勢いは充分――
「Gugyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa」
怪物の咆哮。
口腔に突き刺さった剣を抜く、黒く濁った血が溢れる。
触手の拘束が弱まり、触手を切り払いながら、体勢を整える。
血に濡れた剣を構えなおす。
重さは感じない、手に馴染むその感触。
一糸纏わぬ身は、血で濡れている。
私は人を殺した。
もしかすれば、他の解決法があったかもしれないのに、私は人を殺した。
だから、私が言える言葉ではないのかもしれない。
だけど、
この惨状はどうだ?
人が殺され、嬲られるがまま。
このような非道を、悪を赦していいのか?
――否。
断じて否。
罪が裁かれなければならないように。
悪は滅びなければならない。
しかし、私も人を殺した。人を殺したものが悪だとするならば、私は悪。
憎むべき性質の者ども。
それでも……
――迷いは剣を鈍らせる。
……迷っている間に人が死ぬというのなら。
今は、悪でもいい。
――悪を憎むか、ならば
悪を討にのに、悪をにならねばならないというのなら、私は悪に成る。
――唱えよ。
「私が名は魔剣」
深く旧く陰鬱な祝詞が聞こえた。
「悪を討つため悪に堕ち、悪を断つ。私が名は魔剣オールオーバー」
獣の咆哮が聞こえた。
世の理に逆らいしものどもの咆哮が。
「私は、悪を絶つ剣! 貴様等悪を、裁く者也!!」
血に濡れていた剣が、光を放つ。
無数の触手が迫る。
その動きが、全て理解できた。
魔剣の契約者に施される魔術、超反応。動体視力が極限にまで拡大される。
声が聞こえた。
――肉の器しか持たぬ者よ、走れ。持久戦に持ち込まれては、勝算が崩れる。
その声に、私は従った。
言われずとも、それを理解していたからだ。
あの男に陵辱された精神的な疲れがきているのか、身体が重い。
さっき、一撃で決めなかったことが悔やまれる。
けれど、後悔は――後だ。
走る/走る/迅る
触手の連撃――当たらない。
先ほどの一撃が効いているのか、怪物の攻撃は目暗撃ちもいいところだ。
身体が高揚していく/理解が超越する/意識が咆哮。
――今だ、跳べ。
「ああ!」
地面を蹴る。
隆々とした筋肉を蹴り、更に跳躍。
剣を振り上げ/剣を掲げ/高らかに/雄雄しく――叫べっ!
「ゼヤァァァァァァァァァァァァァッァァっ!!」
そして、振り――
――降ろせ。
剣が血飛沫をあげ、肉を引き裂く。
獣は、断末魔をあげることすらできず、断たれる。私によって。
地面に降りた私の上に、両断された獣の死骸が倒れてくる。
剣をかざし、防ごうとし――失敗を理解したのは、押しつぶされたときだった。
***
目覚めると、私は気を失う以前とは異なる場所にいた。
どこだろう、ここは?
白い壁、白い天井、ここは……病院?
私は身体を起こそうとし、柔らかいベッドに手をついたが――失敗した。
ベッドの上に再び倒れこむ。
身体が酷く重い、頭が穿たれるように痛い。
「あ、ようやく起きましたか」
声。
幼い声、誰だろう?
ベッドの脇に声の主が来て、ようやく誰だか理解する。
「ジョシュア?」
「はい」
金髪の少年が花のように微笑み、頷く。
「全然目を覚まさないから、死んでしまったかと思いましたよ」
「はは、それは、心配をかけたな」
「ええ、全くです」
ジョシュアは起き上がろうとした時にまくれた毛布をかけなおすと、手ぬぐいを拾いあげ。
「でも、ほんと、無事でよかったですよ。騒ぎを聞いた近所の人が通報で、行ってみたら。
怪物の下敷きになった先輩がいたんですから。それも怪我一つしてないっていうんですから」
「運がよかっただけだよ」
「そうですよ。これからは、一人で戦おうとしないでくださいよ。先輩が死んだら、みんな悲しみますよ」
「そうかな」
「そうです」
ジョシュアは力強く頷くと、
「水飲みます?」
「いや」
「何か食べますか?」
「いや、いい」
「そうですか。じゃあ、手ぬぐい絞ってきますね」
「ああ、頼む」
病室から出て行くジョシュアを視線で見送り、私は息を吐いた。
ジョシュアが悪いわけではない、疲れているのか、喋るのすら辛い。もう少し、眠っていたい気分だった。
目を瞑る。
眠りは自然と訪れた。
眠りの直前、私は不意に考えた。
そういえば、あの剣はどうなったのだろう?
「それは叫び」
私は、呟いていた。
「それは痛み、それは涙。その切実なる願いに応え顕れ。魔剣オールオーバー」
手に、硬質な感触は感じなかった。
魔剣は顕れなかった。
私は、それを少し残念に思いながらも。
私同様、あの剣も疲れているのだと。
魔剣。
魔を討つため、魔に堕ちた、魔を断つ剣。
魔剣オールオーバー。
魔を絶つ剣。
今は眠れ、再びその力が必要となるまで。
おしまい