そして出会った。  
 
 
11:What I've Done  
 
 
 
 目配せに気付いて、正宗はそっと立ち上がった。何食わぬ顔で部屋から出て、待つこと数分。やはり  
しれっとした顔で、美幸が出てくる。ぐっ、と親指を立てる彼女、同じように返す彼。  
 こっそりと、ガラス張りの扉の中を覗くと、もはや歌そっちのけで高村と静香は話に夢中になっていた。  
 二人とも、正宗と美幸が部屋を出ることに気付いていただろう。それでも止めなかったのは、その意味を  
理解していたから。  
「あんまり覗くの、良くないよ」  
 耳元で小さく囁く少女の言葉に、彼は頷いて離れる。  
 最後に正宗が見たのは、部屋の中の二人の視線がしっかりと絡まっているところだった。  
 
「出番、あんまりなかったね」  
 苦笑しながらの美幸の言葉に、彼は黙って頷いた。  
 すでにカラオケ屋から出て、二人は当てもなく街をブラブラしていた。ゆっくりと歩く彼女に、正宗は  
ちゃんと歩調を合わせてくれている。  
「もうすっかり、両想いだったよね、二人とも。最初から別行動でも良かったかも」  
「そういうわけにもいかないだろう」  
 美幸が唇を尖らせて言った言葉に、彼は苦笑を交えて返してくる。勿論、彼女も冗談のつもりだったから、  
だよね、と肩をすくめる他になかった。  
 ふと見上げる空は、澄んで青い。どこまでも。  
 吸い込まれるのは、心。そして想い。  
「行きたい所は?」  
 正宗の言葉がなければ、そのまま泣いてしまっていたかもしれない。一瞬、目を閉じて小さく息を吐く。  
「少し、ブラブラしよ。それから考える」  
 それは悲しいこと、辛いことがあった時に言う、美幸のいつものわがまま。買い物をするとか、甘いものを  
食べるとか、幸せをたくさん味わいたい。  
 もしそこに正宗がいてくれれば、もっと楽しくなる。そして優しい正宗は、何も言わずに付き合ってくれるのだ。  
 
 
「これなんてどうかな?」  
 向日葵の飾りの付いた麦わらの帽子を被って、彼女は笑う。今日の為にと用意した、白のキャミソールに  
レース編みのフリルボレロ。七分丈のデニムと相まって、涼しげに夏を楽しむ美幸は、休日で賑わうデパートの  
中でも一際、目立つ。  
 その隣に立つ正宗は、ぶっきらぼうな表情ながらも優しい目で彼女を見つめる。タンクトップの上に羽織った  
薄いブルーのシャツ、その袖からのぞく二の腕は、細いながらも引き締まっていて。  
「いいんじゃないか?」  
 彼の言葉に、美幸は嬉しそうに笑う。はにかんだ顔のまま、その隣に並んでいた帽子を手に取るが、  
「そっちは、あんまり」  
「えー。可愛いと思ったのに」  
 なかなか正宗の審美眼は厳しい。唇を尖らせて不機嫌を装うが、彼は頑として首を縦には振らない。  
美幸は、さして拘る素振りも見せずに元に戻した。それだけ、彼の目を信頼しているということ。  
「じゃあ、こっちは?」  
「前に着てたシャツにならあうんじゃないか?」  
「あー、そうだね。あれに合わせたら可愛いかも」  
 わずかな距離だけを置いてかわされる会話は、端から見れば恋人同士のそれにしか見えない。時々、  
正宗の冗談に笑いながら、肩や胸を美幸が叩くのなどは、よほど仲睦まじいカップルなのだろうと、  
通り過ぎる人々に思わせた。  
 
 それでも聡い人は気付いただろう。  
 少女が、彼にわがままを言って甘えながらも、溺れまいとしていることを。  
 少年が、彼女を優しく受け止めながらも、強く抱きしめて我が物にしようとはしていないことを。  
 つまり。  
 二人の距離は、確かに恋人同士かと見間違わんばかりに近いけれど、決してそういった関係ではない  
ということに。  
 気付いただろう。  
 
 誰がこの夏を一番楽しんでいるかといえば、それは太陽なのだろう。張り切って大地を照らしつけている  
様を見れば、誰もが少しうんざりした顔をしながら頷くに違いない。  
 正宗と美幸も、その例外ではなかった。  
「コルトン、行こうか」  
 首筋の汗をぬぐう正宗に、美幸も手で自分をあおぎながらそう声をかける。  
 存分にデパートの中を歩き回り、心ゆくまで買い物を済ませた頃には、随分と喉が渇いていた。だが  
考えることは皆、同じなのだろう。どこの喫茶店に行っても満席で、席に付くことが出来ない。それは  
暑いとわかっていて外に出ても同じことで。  
 たまりかねた彼女が提案したのが、普段から通う馴染みの店だった。ここからは少し離れているが、  
その分、人通りも少なく、座ることが出来るだろうと思ったのだ。  
「ん、そうだな」  
 頷きながら、交差点へと向かった彼が、一瞬、立ち止まった。硬直した体、その視線を知らず美幸は追う。  
 
 そこにいたのは、二人だった。  
 高村と静香。  
 カラオケを終えて、次はどこに行こうとしていたのだろう。互いを見る彼らの目にははにかむような幸せが  
浮かんでいて。  
 そして彼らの手はしっかと結ばれている。指を絡めて、もう離さないと言わんばかりに。  
 
 あぁ。良かった。うまくいったんだ。  
 そう思った、次の瞬間。  
 美幸の胸は、締め付けられた。終わりを実感して。  
 
 いつも。いつでも。  
 彼女のことを見ていた。だから、気付いた。  
 泣き出しそうだと、いうことに。  
「美幸」  
 彼女の腕を掴んで、正宗は足早に歩き出す。幸い、激しい人波のおかげで彼らは二人の姿を認めて  
いないだろう。もしも見つかったら、美幸は涙を我慢する。笑って高村と静香を祝福する。それがわかって  
いるから、彼はその場を立ち去った。  
 おめでとう、そう言うのは今じゃなくたっていい。美幸が辛い気持ちを抑えてより辛くなるのなら、今でなくても。  
 だから正宗は、二人から逃げ出した。美幸もそれに逆らうことはなく、黙って彼に付いて行くのだった。  
 
 彼女は、しかし泣かなかった。  
 本当に、本当に泣きそうだったのだけれど。  
 ぐっと耐え切ったのだった。  
 
 噴水の前のベンチに腰を下ろした美幸は、一つ、大きく深呼吸。  
 吸って、吐いて。その時に、自分の中の澱みを外に押し出す。  
 ダメだなぁ、と彼女は思う。幸せを祈る、なんて啖呵を切ったのに、まだどこか振り切れていなかったから。  
「大丈夫だよ」  
 それでも。  
 美幸はそう言った。目の前に立つ少年に言い聞かせるように。  
 これ以上、心配をかけたくはなかった。今日はもう十分、わがままを聞いてもらったから。  
 そして実際、彼女は大丈夫だと思っていたのだ。何故なら、彼が……正宗が側にいてくれたから。  
「ねぇ、正宗」  
 それでもほんの少しだけと、美幸は最後のわがままを言う。いや、言おうとした。  
「…………正宗」  
 なのに、彼に先を越されてしまって。彼女はくすぐったそうに笑う。  
 
 彼の手は、美幸の頭をそっと撫でてくれていた。  
 
 いつだってそうだった。  
 辛い時。悲しい時。側にいてくれたのは、正宗だった。  
 何度も何度もしてきた失恋。その度に、落ち込む彼女を励ましてくれたのは彼だった。  
 言葉では何も言わない。優しさは態度で示すだけ。それでも十分だった。十分すぎるほどに、十分だった。  
 常よりも深く落ち込んだ時には、こうして、頭を撫でてくれる。  
 少し照れくさいけれど、彼のぬくもりが直に伝わってきて、暖かな気持ちが生れる。  
 我ながら子供っぽい、と美幸は思う。それでも。  
 正宗の優しさに、彼女は甘えてしまう。最後には、頼ってしまう。  
 
 幼馴染という、関係に。  
 
 どれぐらいの間、そうしていただろうか。  
「ありがと、正宗」  
 立ち上がった彼女の眼差しは、しっかりとしていた。別れを告げたのだろう、自分の想いに。きっぱりと、  
はっきりと。  
 正宗は、安心したように頷いて、さて、と言った。  
「コルトン、行くか」  
「そうだね。色々と付き合ってくれたから、今日はおごっちゃうよ」  
「随分と気前がいいな。あれだけ買い物したわりには」  
 大丈夫、大丈夫。笑いながら、不安になったのだろうか、財布を取り出して中身を見た彼女が、一瞬、  
固まる。  
「コーヒー一杯、290円でいいさ」  
「そうしてくれると助かるかも……つ、次にはね」  
 溜息混じりに差し出した言葉に、彼女はあっさりと飛びついてきた。  
「さっき、買い物しすぎだ」  
「だって、可愛いかったんだもん」  
「それはわかるが、計画性を持て、って言ってるんだ」  
 他愛もない言い争いをしながら歩く二人、正宗の目はいつだって美幸に優しい。  
 だが、時にその目は煙る。二人の間の距離を、掴みかねて。  
 美幸に望まれるようにあること。それは彼の願い。だが達観するまでには至っていなくて。  
 何も言わずに側にいることも、想いを押し殺して立つことも辛くはなかった。  
 辛いのは、知っていること。彼女が彼の全てを知っていると言うように、彼も彼女のことを理解している。  
だから、気付いてしまう。  
 優しい幼馴染。求められているのがそれだから、正宗はそう振舞う。  
 決してその先には進まない。何故なら求められていないから。  
 
 辛いのは、求められるものと、求めているものが違うこと。  
 正宗は知っている。  
 彼女が彼に求めているのは、幼馴染の自分でしかないことを。  
 
 それでも彼は、他に術を知らなくて。  
 幼馴染を続ける。いつ終ると知れなくても。  
 
「正宗? どうかした?」  
 覗きこんでくる彼女に、だから彼は言うのだ。  
「なんでもないさ」  
 と。  
 
「あれ?」  
 コルトンに近付いた時、美幸はふと首を傾げる。裸眼で2.0の彼女は、店内に誰かを見つけたらしい。  
「店の中にいるの、忍じゃない?」  
「え?」  
 言われて、正宗はじっと目を凝らす。  
 黒の短い髪。細い頬、スレンダーな首筋。確かに、それは彼の知るもう一人の幼馴染だった。  
 だが、その隣には。  
「あれって、男の人、だよね?」  
 自信なさげに言う美幸に、彼は返事を返せない。テーブルを挟んで向かいあっているのは、確かに  
男だった。シャツをラフに着こなし、どこかふてぶてしい。  
 そして、何よりも二人が驚いたのは。  
「忍、楽しそうだね」  
「だな」  
 普段は人見知りするのか、あまり表情を面に出さない忍が、今は違っていた。楽しそうに男と話している  
彼女の様は、二人にはまるで知らない人間のように思えたほど。  
 いつの間にか二人は、こっそりと見つからないように歩いていた。植え込みの影に隠れながら、そっと  
窓から中を覗き込む。  
 今度は、はっきりとわかった。  
 忍の満面の笑みも。彼女の前に座る男の顔も、やはり楽しそうな様子も。  
 
 思い出す。高村が言っていたことを。  
『相手は一個上の三年らしいんだけど、なんか笑いながら喋っててさ。俺、塩崎があんな風に笑うとこは  
初めて見た気がするな』  
 もしかして、あの男が、忍が図書室で会っていたという男なのだろうか。  
 
「忍にも、とうとう彼氏が出来たか〜」  
 感慨深そうに言う美幸の声は、嬉しそうで、楽しそうだった。心からの祝福を送る彼女をチラリと横目で  
見ながら、何故か。  
 何故か正宗は、言いようのない苛立ちを覚えていた。  
 
 後になって彼は気付くことになる。  
 それが虫の知らせだったということに。  
 
 
 ――――そして出会った――――  
 

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