何も見えない暗闇の中。触れ合う体から伝わる熱だけが、確かに心に刻まれていく。  
 
 
 
  03 : In The Darkness  
 
 
 
「ちょ……まずいよ、こんなの……」  
「いいから」  
 夜の校舎、静寂を裂く二人の声は抑えられたもの。  
「ほら、早く」  
「わ、わかったよ……」  
 耳元で正宗に囁かれ、忍は頬を赤らめる。おずおずと彼の側に寄って、それでもさ  
さやかな抵抗とばかりに体を離そうとするが、許されない。  
 正宗の顔に顔を埋めて、改めて彼の胸板の厚さに気付く。悔しいのは、こんな状況  
なのに、聞こえてくる鼓動が平常なところだ。こんな風に自分を夜の学校に誘ってお  
いて平静なのが忍の癪に触ったし、ドキドキしてるのは自分だけというのが少し悔し  
くもあった。  
「どうだ?」  
「ん……大丈夫、だよ」  
 何とか自分も冷静に、と願うが、声が震えてしまう。どうしてそうなってしまうの  
かは、彼女自身でもわからなかったのだが。  
「声は出すなよ?」  
「…………」  
 コクリ、と頷く。出せるわけがない。なんといっても、夜の学校、しかも昼には自  
分達が勉強している教室なのだ。見つかったらまずい。  
「…………」  
 何とか声を出さないようにと意識する。それでも、正宗の体の一つ一つに、敏感に  
なってしまう。少し動かれるたびに、ドキンと心臓が跳ね上がるのだ。  
「ん……」  
 漏れた吐息に、慌てて忍は唇を噛み締めた。密着して見えないが、きっと今、彼は  
責める様な目をしていることだろう。とはいえ、悪いのは自分とわかっているから、  
うつむいていることしか出来ない。そもそも顔を見上げることすら出来ない程に密着  
しているのだけれど。  
 ……段々と、息苦しくなってくる。一方で、漂う独特の匂いに、さらに顔を強く彼  
の胸に埋める。触れ合っている場所の全てが、熱くて仕方ない。段々と濡れてきてい  
るのを、彼も悟っていることだろう。  
 それでも正宗の鼓動は、相変わらず平静なままだったが、忍はもう、どうでも良か  
った。願うのは、ただただこの時間が早く終って欲しいということだけ。彼と一緒に  
いることは嫌じゃないし、むしろ楽しいのだが、これはあまりに恥ずかしすぎるから。  
 
 自業自得。ふと、そんなことを思う。こういうことを断れない自分のせいだ、と。  
腹立たしくもあるが、正宗に頼まれると嫌と言えないのだ。  
 そんな彼女の物思いは、彼が少し動くとどこかに吹き飛んでいってしまう。たまら  
ず忍は、  
「ちょっと……そんなに動かないでよ……」  
「仕方ないだろうが」  
 抗議も、一蹴される。それどころか、  
「大体、お前だって動いてるだろが」  
「それは……」  
 確かに彼の言う通りだったから、反論も出来ない。動かないでいることの方が苦痛  
なのだから。それでも正宗ほどではないと思ったが、喧嘩をしていられる余裕などな  
かった。  
 ほんの五分ほどのことだったろうが、忍には永遠に近いほどに長い時間に感じられ  
た。耳元で正宗が囁く。  
「イッた?」  
 半ば意識が朦朧としていた彼女は、小さく頷くが、  
「ちゃんと口に出して言えって。わかんないだろ?」  
「……イッたよ……」  
 そうか、と彼は頷くのを見上げて、忍は最後の気力で言う。  
「ね、早く……」  
「ああ、わかってる。出るぞ」  
 ようやく。ようやくだ。心躍らせる彼女に、ようやく待ち望んでいた瞬間が到来した。  
 
「ぷはっ……」  
「あっつかったー」  
 掃除用具の入ったロッカーから転げるように出てきて、二人は肩で息をつき、早速  
に愚痴を言い合う。狭い空間に閉じ込められていたせいで、暑くて仕方なかったし、  
酸素も足りなくなりそうだった。無理な姿勢をしていたせいで、体のあちこちが痛い。  
「匂い、きつい」  
「だな。辛かった」  
 ロッカーの中は、鼻が曲がりそうな据えた雑巾の匂いが充満していて、忍は服に移  
らなかったかと心配そうに肩の匂いをかいでいた。  
「すごい汗だく」  
「お互い様だろう。こっちだって、お前の汗で随分と濡れてるんだからな」  
「はぁぁ。帰ったら速攻でシャワー浴びないとね」  
 溜息の後に不機嫌そうに言ってから、彼女はジロリと正宗を睨み付ける。  
「こんなことになったのも、正宗のせいだからね」  
「悪かったよ」  
 半ば投げやりに答えられて、忍は眉を顰めるが、今はそれよりもここを離れること  
が先決だった。  
「もう見つかったんでしょ? さっさと帰ろ」  
 
 事の次第は、こうだ。  
 夜中の九時も回ったところで、忍の携帯に正宗からのメールが入ってきたのだ。  
『学校に明日の宿題忘れた。取りに行くから付いてきてくれ』  
 実は正宗は、夜の単独行動を極端に避けている。何故かといえば、なんのことはな  
い、怖がりなだけだ。普段は無愛想で、どこかふてぶてしい様さえ見せるのに、怪談  
やホラー、夜の闇といったものがからっきしダメなのだ。  
 それでも、日常に生活する分には問題ないのだが、学校というのは怪談や幽霊譚に  
事欠かない。しかも夜の学校というのは、昼間の喧騒に包まれた場所とは全くの異空  
間だ。怖く思うのも仕方がないか、と忍は思う。実際、自分が同じ立場なら、やはり  
誰かに一緒に付いてきて欲しいと願うだろうから。  
 しょうがないな、と付き合ったのが、しかし不運の始まりだった。  
 特に何事もなく、二人は夜の校舎に侵入したのだが、それが警備員の見回りの時間  
と重なってしまったのだ。教室で二人、廊下に出ることも出来ず、どうしようかと迷  
って、結局、ベタにロッカーに隠れることにしたのだ。  
 とはいえ、平均より背の高い二人が入るには、ロッカーはあまりに小さかった。し  
かも箒やバケツといった掃除用具も入っているのだ。かなり窮屈ではあったが仕方な  
く、彼女達は体を密着させて入ったのだが、無理な姿勢にしょっちゅうゴソゴソと動  
かざるをえなかった。  
 そうしてどうにか、警備員をやり過ごすことが出来たのだが、正宗はロッカーの入  
り口に背を向けていたので、行ったのかどうかわからず、忍に口に出させて言わせた  
のだった。  
 
「っていうかさ」  
 帰り道、コンビニに寄って買わせたアイスで正宗を指し、忍はからかうように問い  
かける。  
「いい加減、正宗、怖がりを直した方がいいんじゃない?」  
「うるさい」  
 にべもなく切り捨てられるが、それは普段よりは強気なものではない。だから忍は、  
構わず続ける。  
「そんなんで、彼女とか出来た時、困るんじゃない? オバケ屋敷に行きたいとか言  
われたら、どうするの?」  
 一瞬、足を止めた後、正宗はペットボトルのジュースを口に運んで、目を空に向け  
て考え込む仕草を見せる。  
「言っておくけど、そうなったら私は助けに行かないからね。今回は、幼馴染ってこ  
とで特別だから」  
 忍は幼馴染、というところを強調して言うと、彼は小さく苦笑する。  
「まぁみっともないところだけは見せないようにするよ」  
「私には見せてもいいって?」  
 軽口のつもりの忍の言葉に、しかし正宗は大真面目な表情で、  
「お前は特別だからな」  
「はいはい」  
 さすがに忍も、その言葉に胸を震わせる程に、彼のことを知らないわけではなかった。  
「幼馴染として、ってことでしょ」  
「そういうことだ」  
 頷く正宗だが、彼女は少しそれを不満に思う。甘い言葉を期待出来るはずもないが、  
もう少し言いようがあるのではないか、と。もっとも、それを正直に口にすることは  
出来ない。出来ようはずがない。  
「ホントは今も、怖いんじゃないの? なんなら手を繋いであげようか?」  
 だからまた、冗談めかしてそう言うが、正宗は黙って忍の方を見て、ボソリと聞こ  
えるか聞こえないかの声で呟く。  
 
「いいよな。お前は見えなくて」  
 
「……え?」  
 一瞬、忍は凍り付く。正宗の視線は、彼女からゆっくりと離れて、彼女の向こう側  
に向かった。そこには何もないはずの宙空を。  
 もしかして、何かいるのか。不安になるが、振り向くことは出来ない。ただ、言わ  
れてみれば、確かに何かの気配が背後にあるような……  
 
「冗談だよ」  
 
 クックック、と声を抑えて笑っている彼を見て、担がれていたことを知る。カァッ、  
と頭に血が上り、忍は正宗の肩を怒りに任せて小突いた。バランスを崩しながらも、  
彼は意地悪な笑みを浮かべて、  
 
「手を繋いでやろうか?」  
「いらないっ!」  
 

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