これは、三人が紡ぐ物語。  
 
 
 
   01 : Daily Life  
 
 
 
 六月、続く雨に誰もが気を塞ぎがちになる季節。  
 高校の教室の窓の外、しとしとと降り続ける雨をチラリと横目で一撫でして、塩崎忍は再び読みかけの本へと戻っていく。  
「それ、面白いのか?」  
 近くの席に座り、声をかけてきた男の名前は、九条正宗。まるでどこかの殿様か、あるいは名家のご子息かといった具合  
だが、父親は平凡なサラリーマン、母親はスーパーでレジ打ちのパートをしてるという、ごくごく一般的な家庭の育ちだ。  
 しかし、容姿は名前負けしない立派なものだった。背は人一倍高く、百八十近くあるだろう。その上に乗る顔も決して悪く  
ない。絶世の美男子というわけではないが、どちらかといえばいい男に分類される方だ。  
 ただいかんせん、愛想が無いことで有名だった。腹を抱えて笑っているところを誰も見たことがない、と噂されるほど、彼  
は表情の変化に乏しいのだ。正宗本人にしてみれば、そんなことを言われるのは心外で、十分に笑っているのだが、なか  
なか伝わっていないようだ。  
「これ? 面白いよ。読む?」  
 答えて顔を上げた少女、忍が本の表紙を彼に見せるが、正宗は小さく肩をすくめて首を横に振った。どうやら退屈過ぎた  
から言ってみただけで、さして興味はなかったようだ。  
 そ、とだけ言って、気を悪くした素振りも見せない彼女、塩崎忍は、スカートをはいていなければ男の子と見間違われかね  
なかった。短く切った黒髪に高い背、スレンダーな体形。彼女が少女を主張するのは、スカートと、衣替えを終えたばかりの  
半袖の制服から覗く、白くて細い腕ぐらいだ。  
「随分、読み込んでるんだな」  
「好きだからね」  
 辛うじて背表紙のタイトルが読めるといった具合に、かなり読み込まれてボロボロになった本を、忍はパタンと閉じて膝に置く。  
「どんな内容?」  
「読めばわかるよ」  
 視線を向けられて、正宗はさりげなく目をそらした。やはり読む気はないらしい。その仕草に小さく口元だけで笑って、忍は  
教室の壁にかけてある時計に目をやった。  
「遅いね」  
 待ち合わせとして指定された時間は、放課後五時。場所は二人のクラス。なのに、当の本人は十分を過ぎても現われない。  
「いつものことだろ」  
 投げやりな声で正宗は言って、大きく伸びをする。確かにいつものことだったから、彼女も怒ったりはしない。本を持ってきた  
のは、あらかじめこれを予想していたからだ。  
「今日はどうする? どこに行こうか」  
「雨が鬱陶しいから、遠くには行きたくない」  
「じゃあコルトンなんてどう?」  
 忍が挙げたのは、彼女の叔父が経営している喫茶店の名前だ。本当はコールド・ストーンという名前なのだが、コルトンという  
名前で通っている。忍が行くと安くコーヒーを出してくれるので、正宗も一緒に行くことが多かった。  
「そんなとこだな」  
 と正宗も頷いて、ふと、  
「明日って、何か授業が入れ替わってたよな。なんだっけか」  
「数学が、木曜の英語に変わった。そういえば正宗、あてられてるけど、もう訳した?」  
「そういやそんなのあったっけな。忍はもうやったのか?」  
「やったけど、見せない。正宗の為にならないし」  
「今日、奢るって言ったら?」  
「……考えとく」  
 どうせ見せることになるのだろう、と思いながら忍は自分の意思の弱さに苦笑する。そこでちゃんと断れていたら、カッコ良かった  
のに、と。  
 もっとも、そんな彼女を見て声を出さずに笑っているところを見ると、そもそも正宗は断られることなど毛頭考えていなかったのだ  
ろうけれど。  
 
「テストの時、困っても知らないから」  
「なんとかなるさ」  
「それで本当になんとかするんだから、正宗は可愛くない」  
「平均点ギリギリだけどな」  
 他愛もない会話のやり取りの隙間からも、彼らの仲の良さが伺える。退屈な、それでいて楽しくないわけではない  
時間を、忍も正宗も、決して嫌いではなかった。  
「……ってか、あれじゃないか? 近付いてくるやつ」  
 そうこうしているうちに遠くから聞こえてきた足音に、二人は扉に目を向けた。階段を駆け上がって近付いてくる  
それは、確かに彼らが聞きなれたもの。  
「来たね」  
「だな」  
 二人が目配せをすると同時に、教室の前で足音は止まり、ガラリと音を立てて扉が開いた。  
「ごめんっ、お待たせっ」  
「遅い」  
 呆れ交りの忍の言葉に、戸口に立ったままの少女は片手を挙げて謝って見せる。正宗はわざとらしい溜息を  
ついて、鞄を持って立ち上がった。  
「で? 遅れた理由は?」  
「んー、ちょっと、話し込んじゃって」  
 彼の問いかけに返ってきたのは、はにかみの笑顔。  
 一瞬にしてまさかという顔になる正宗と、呆れ果てたという顔の忍、二人の視線が交わる。  
「もしかして、またか?」  
「ういっ! 立花美幸、好きな人が出来ましたっ!」  
 お茶目に敬礼をする彼女をよそに、二人は肩を落とす。  
「あの台詞、これで何度目だ?」  
「二年になってから、四回目」  
「なに、暗い顔になってんのよ。雨だからって、気分まで暗くなってちゃ損だよっ」  
 忍と正宗、二人が同時に吐いた大きな溜息にも気付かないのか、美幸は一人、テンションが高い。その彼女  
の明るさにつられたのか、気がつくと雨はすでにやんでいて、雲の境目から光が差し込んでいたのだった。  
 
 立花美幸は、気さくな少女だ。快活で裏表がなく、男女を問わずに友人の数は多い。忍があまり交友関係を  
広げようとしないのとは対照的だ。  
 対照的なのはそれだけではない。体つきも、女性をしっかりと主張している。忍がモデル体形ならば、美幸は  
グラビアアイドルといったところか。  
 そんな彼女なのだが、恋の話に関しては、忍と正宗、二人の前でしかしない。  
「それでね、それでね、まぁ前からちょっとカッコイイな、とは思ってたんだけど、顔だけかなとも思ってたわけ。  
それが今日、ゆっくり話してみたら、意外に真剣に色んなこと考えててさ。あ、なんかいいな、って思ったんだ。  
サッカーも遊びじゃなくて、プロにはなれないかもしれないけれど、ずっと続けていきたいし、ゆくゆくはコーチに  
なりたいんだって。で、今からそういう勉強もしてて……」  
 
「それじゃ、また明日ねー」  
「おう」  
「……じゃあね」  
 コルトンからの帰り道の途中で美幸と別れ、二人になった忍と正宗は、今日、何度目かわからない溜息をついた。  
 喫茶店につくまでと、ついてから、そして店を出た後も、美幸はずっと『彼』のことを喋り続けていたのだ。彼らは  
ただ、時々相槌を打つぐらいにしか口を挟むことが出来ず、延々と聞かされるだけだった。  
「疲れた……」  
 忍が漏らしたのは、心の叫び。ただただ疲れたとしか、言いようがなかったのだ。  
「相変わらずだな、あいつは」  
 同じように正宗も言うが、わずかに苦笑が交っているのは、それだけ耐性がついているからなのかもしれない。  
 
 忍と正宗、そして美幸の三人は、幼稚園の頃からの幼馴染だ。住んでいるところが同じ町内と近かったので、  
お互いの家を行き来していたものだった。そのまま小学校にあがり、中学校を経て、今は同じ高校に通っている。  
 ただしそれは、正宗と美幸の二人だけの話。  
 忍は家の都合で中学の三年間だけ、別の土地で過ごしていたのだ。すごく遠く、というわけでもなかったが、  
中学生が自由に行き来出来るほどではなく、メールのやり取りはしつつも疎遠になっていた。  
 それが高校の入試前後に、また家族そろってこちらに戻ってくることになったのだ。なんだかんだで再び、一緒の  
高校に通うことになった時には、一番喜んでいたのが美幸だった。正宗も勿論、喜んでいたのだが、同時に、  
「お前もこれからは一緒に聞いてもらうからな」  
 と言ってもいた。覚悟しとけよ、とも  
 その時には何のことかわからなかったのだが、今ならばよくわかる。  
 
「いつも思うんだけど」  
 並んで歩く正宗を横目で見ながら、忍は疲れ切った声で尋ねる。  
「よく耐えられるね」  
「慣れたからな」  
 肩をすくめる仕草をした彼の横顔には、諦観に似た笑みが張り付いている。確かにそうだろう。忍がこの街を  
離れていた三年の間も、ずっと聞かされていたのだろうから。  
「ああやって人に聞かせたくて仕方ないんだろ。自分が好きになった男が、どれぐらい素敵かってのを」  
「悪気がないのはわかってるんだけどね」  
 短い髪を軽くかきあげながら、忍は夕焼けの空に美幸の面影を重ねる。彼女が浮かべる無邪気な笑みは、  
いつも眩しいから。  
「にしても、簡単に人を好きになるな、って思う」  
 話を聞くのが嫌だというわけではない。ただ、恋をするのが一年に一度とか、それぐらいのペースならばまだ  
いい。そうではなくて、傍目から見ていると、美幸はあまりに簡単に人を好きになってしまうのだ。だからこそ、  
たった二ヶ月ちょっとで四人目なのだ。  
「そういうのは、許せないか?」  
 だが、そう言っておりながらも忍は、正宗の問いかけにすぐに頷けない。何故なら、  
「あいつはいつでも、真剣だぞ。困ったことに」  
「……そうなんだよね」  
 他の女子がそうだったなら、あまり友人付き合いはしたくないと彼女は思う。ただ美幸は、簡単に人を好きに  
なる癖に、その一つ一つに真剣なのだ。気軽な気持ちで恋をしているわけではないというのが感じられるから、  
美幸のことを嫌いになれないのだ。  
 ただ。  
「なんていうか、厄介な子と幼馴染になっちゃったな、って感じ」  
「まったくだな」  
 それでもさすがに、幼馴染でなければきっと、見限っていただろうとも思う。まだ小さい頃の彼女を知っている  
から、嘘を付いていないと感じられる。それだけ、子供の頃からの絆は深い。忍はそう考えていた。同じことは  
正宗にも言えるだろう。  
「じゃあ、ここで」  
「ん。また明日」  
 彼の家の前で、別れを告げた後、ふと忍は振り向く。  
「そういえばさ」  
「ん?」  
「美幸の恋がうまくいったら、どうする?」  
 夕焼けを背に、彼女は問いかける。正宗からは影になって見えていないだろう。それでも、忍は表情を消す。  
 想いを悟られたくはないと、そう思って。  
 
 それに対して、彼もまた、表情を消して。  
 一瞬、そっと視線をそらした後。  
 
「おめでとう。って、それだけの話だろ」  
 何事もなかったかのように、いつもの顔に戻って、そう言う。  
 
「ん。そっか」  
 正宗に合わせるように、忍もいつもの顔で頷いた。胸の奥はわずかにくすぶっていたけれど、隠せない程では  
なかったから。  
 
 それから、一週間後。  
 
「はぁぁぁぁ」  
 深い、深い溜息を付いているのは、立花美幸。この世の終わりが来た、と言わんばかりの表情。だが忍と正宗  
にとっては、見慣れた光景でもある。  
 彼女がこんな風に落ち込んでいる理由は簡単だ。  
 フラれた。それだけのこと。  
「今度は、何て言われたの?」  
「好きな人がいるんだけど、って相談されてさ……なんでよりによって、私にするかな……」  
 テーブルに顎を乗せて、落ち込んでいく美幸に、二人は苦笑と同情の交った視線を向ける。どちらかといえば、  
苦笑の割合の方が大きいか。  
「相変わらずだね」  
「いつものことさ」  
 
 彼女は人を好きになる数は多いのに、実はまだ誰とも付き合ったことがない。ただの一人も。  
 美幸は気さくな少女で、男女問わずに友人が多い。だが、それはもう一つの意味を持つ。  
 彼女は、その性格ゆえにか、男子から恋愛対象というよりは、『女友達』として認識されてしまうのだ。その為、  
恋愛相談をしやすいと思われているらしい。そうしていつも、彼女の恋は実ることなく散ってしまう。  
 もう一つ、美幸は自分の恋愛を忍と正宗以外には話さない。だから、二人を除いた彼女の友人は皆、美幸は  
誰も好きになったことがないと思い込んでいる。恐らくこれも、彼女に恋人が出来ない遠因だろうと、忍は推測  
している。  
 
「懲りないよね、美幸は」  
 美幸がノロノロとトイレに向かったのを見送ってからの忍の言葉に、正宗は重々しく頷く。  
「まぁそれでも、男を見る目はあるんじゃないか。女なら誰でもいい、って奴には惚れないんだから」  
「確かに、それは評価出来るかな」  
 美幸が好きになる男に共通するのは、真摯な男ということ。だからこそ、自分の想いを優先して、美幸に振り  
向きもしないのだけれど。  
「いつかベクトルが向かいあう人に、巡り合えるのかね」  
「数打ちゃ……ってわけにはいかないだろうからな、こういうのは」  
 コーヒーカップで表情を隠す正宗を、忍はチラリと盗み見る。  
 
 もしも。  
 もしも、いつか。美幸のベクトルと、その想い人のベクトルがピタリと向かいあった時。  
 彼のベクトルは、どうなるのだろう。  
 
 そして私のベクトルは。  
 
 
 
「落ち込んでても、仕方なーーいっ!!」  
 忍の物思いは、トイレから戻ってきた美幸の大声に破られた。一体何があったのかわからないが、すっかり  
元気になっていつものテンションに戻っている。  
「忍、正宗っ。カラオケ行こっ、カラオケっ。歌って忘れる、これに限るっ!!」  
「はいはい、わかったよ」  
「仕方がないな」  
 苦笑をしながら、二人は鞄を取った。  
 立ち直りが早いのは、いいことだ。それでこそ自分達の幼馴染、立花美幸だ、と。  
 
 そうして幼馴染三人は、カラオケへと連れ立っていく。一人の明るい少女を先頭に。  
 少年はその後ろについて、彼女の背を見ていた。普段はぶっきらぼうな彼の瞳には、暖かな優しさが浮かんで  
いる。彼女の後を歩く、それだけでいいと思っているかのように。  
 だが彼は気付かなかった。自分の背を、もう一人の少女が複雑な目で眺めていることには。  
 
 
 これは、三人が紡ぐ物語。  
 描き出される模様を、彼も彼女らも、まだ知らない。知ることもない。  
 

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