* * * *  
 
 
 血と硝煙の匂いのする大気を切り裂いて、一人の青年が飛翔する。その背には、蝶にも似た光の翼。  
 彼が腕を一振りする度に光弾が放たれ、眼下の敵が吹き飛ぶ。歩兵も、戦車も、戦闘機すらも彼の敵ではなかった。  
 
 青年目がけて放たれる小銃を、戦車砲を、機関砲を、光の翼を羽ばたかせて回避。お返しとばかりに再び光弾を叩き込む。  
 歩兵集団の中心に炸裂した光弾は破壊と殺戮を撒き散らし、周囲を鮮血の赤に染める。  
 が、その中に辛うじて息のある兵士が居た。  
 兵士はその最後の力を振り絞り、敵である青年目がけ手にした銃を放つ。  
 
 殺したと思っていた相手からの思わぬ反撃に、青年の反応が遅れた。  
 だが、彼は迷わず光の翼で己の体を包む。光で作られた翠緑の障壁は兵士の命と引き換えの一撃をあっさりと防ぎ、そして消失の瞬間――  
 
「どぉだっ!」  
 
 先程までの光弾を遥かに越える破壊の光が放たれる。  
 長い歴史を過ごして来ただろう城壁が、市街が、尖塔が、破壊の光に飲み込まれ、砕け散った。  
 が、その破壊の光の中においてなお、形を失わぬ巨大な影があった。  
 
 それは、先程の戦闘機とは比べ物にならぬほど巨大な飛行物体――戦艦だ。  
 その体にある無数の銃座が、青年目がけ一斉に弾丸を放つ。  
 それは、圧倒的な密度を持った弾幕だ。  
 
 けれど、青年は怯まない。  
 あ、ともお、とと聞こえる叫びと同時、青年の体が変化を遂げる。  
 がっしりとした体格が、丸みを帯びたそれへと変化。肩幅が狭くなり、筋肉で引き締まった尻はふっくらと大きく、柔らかく。  
 上衣を内側から大きく持ち上げる二つの膨らみは、紛う事なく女性のそれだ。  
 
 そう。瞬きするほどの間に、青年は成熟した妖艶な女性へとその姿を変えていた。  
 
 変わったのは、外見だけではない。  
 青年が女性へと変化したと同時、敵艦の放った弾幕の速度がガクンと低下する。  
 体感で約半分の速度になった弾幕を躱すことなど、彼女にとっては児戯にも等しい。翼を羽ばたかせ、自らの美しさを誇示するかのように飛び回る。  
   
「ふふっ、いいわぁ」  
 
 低速弾と化した弾幕の隙間をくぐり抜けながら、青年であった女性は立て続けに光の矢を放つ。  
 それは、青年であった先程よりもなお強力で、残酷で、無慈悲な光だ。  
 偉容を誇る巨大戦艦が煙と機械油と廃材と、乗員の血を撒き散らしながら切り裂かれ――異変が起こったのはその時だ。  
 
 敵弾のすべてが遅くなるはずのこの世界で、しかし不意に弾丸が赤い光を帯び、恐るべき速度で女性目がけて迫る。  
 時間切れ――彼女が己の失策に気づいた時、すべては手遅れだった。  
 断末魔の絶叫にも似た、狂気すら感じさせる弾幕が恐るべき速度で彼女に迫る。  
 もはやその身に障壁を作る力はなく、わずかな隙間にその身をくぐらせるには、あまりに弾速が早すぎた――  
 
 
* * * *  
 
 
 
「あっちゃあ……」  
 
 電子音の響く薄暗い建物内で、慧は思わず頭を抱えた。  
 目の前の筺体に記されているのは、無慈悲な『GAME OVER』の文字。  
 いつもならステージ5――調子の良い時ならクリアだってしたことのあるこのゲームだが、今日は2面でゲームオーバーだ。  
 不調の原因は、きっと一つ。父親が旅行先の米国で、事故死したことか。  
 
「別に一人暮らしが長かったから、今更居なくなったところで……って思ってたんだけどね」  
 
 慧の父親は民俗学者だった。それも、どちらかと言えばオカルティズム系の。  
 母親はとっくの昔に見切りをつけ、若いツバメを見つけて家出した。  
 それでも父は幼い慧より仕事を取り、慧はもっぱら祖母に面倒を見られながら育って来た。  
 そんな祖母も彼が中学に入る直前に病死。  
 以来、慧は一年のほとんどを一人きりで過ごして来た。  
 
 それでも慧が――日課がゲーセン通いというのは問題あるかもしれないが――たいしてグレずに育ったのは祖母の教育と、そしてゲーセンで出逢った『ある人物』の影響が大きい。  
 
 ともあれ、そんな趣味人の父でも、死んだと聞けばやはりショックなものだったらしい。  
 死亡の知らせから数日は家から出る気力もなく、忌引明けで学校に行った帰りに久々にゲーセンに寄ってみれば、こうしてあっさりゲームオーバー。  
 今まではきっちりこなして来た家事をする気力もなく、流し台には洗い物が溜まり、制服のワイシャツにはアイロンも当たらず、ごみ箱にはほか弁の空き容器。  
 
「まっずいなぁ……」  
 
 言いつつも、まるで大切な何かがポッキリと折れてしまったかのように気力が沸かない。  
 目の前のコンティニューを促す筺体に思わず硬貨を叩き込みたくなる衝動に駆られるが、自制。  
 
 ゲームは楽しく。むしゃくしゃする時はどこかで解消してから。  
 そして、男は――乙女でも――黙ってワンコイン。  
 どちらもゲーセンで出逢った『先生』のアドバイスだ。  
 
 硬貨を財布に戻し、ついでに時計を取り出して時刻を確認。  
 慧の時計は、学生には不釣り合いなアンティークの懐中時計だ。  
 祖母の形見であり、その祖母は母親から貰ったという、かなりの年代物。  
 お宝鑑定団に出したら良い値が付くだろうと友人から言われる時計が指す時間は、午後六時三十七分。  
 学校帰りの彼の格好は、当然ながら学生服。  
 あまり遅くまでここにいると、警察その他が色々とうるさい。  
 
「そろそろ帰るかな……。夕飯は――インスタントで良いか。面倒だし」  
 
 確か、カップ麺の買い置きがまだ残っていたはず。そんな事を思いながら、慧は電子音の響くゲームセンターを後にした。  
 
 
 
 
 
 ゲームセンターを出ると、既にあたりは薄暗かった。  
 徐々に夏が近づいているとは言え、今はまだ六月になったばかり。夕方を過ぎればあっと言う間に辺りは暗くなる。  
 そんな夕闇の中、真っ先に目につくのは明るく照らされた、対面のビルのメイド姿の女性の広告だ。  
 
「メイド派遣なら、安心と実績の星智カンパニーへ!」  
 
 そう、メイドである。  
 二十一世紀に入り、それまでも上昇傾向にあった児童虐待や育児放棄、あるいは犯罪の低年齢化はもはや抜き差しならない事態にあった。  
 そんな時、時の国会からある法案が提出された。  
 
 育児の外部委託による児童育成特別法案――通称メイド法である。  
 
 幼少時の子供の面倒を専門教育を受けたプロフェッショナルに委託する。  
 あるいは家事をプロフェッショナルに委託することにより、濃密かつ質の高い親子間コミュニュケーションを築き、子供の健全な育成を促すことを目的として発案されたこの法案は、  
 野党や一部知識者、メディアの「は? 寝言は寝て言えこのフェチ野郎」と言う反対意見にも関わらず、驚くべき速度で可決、施行された。  
 
 結果、鰻上りだった虐待や低年齢犯罪は一気に鎮静化し、今までは米国ドラマか秋葉原くらいでしか見られなかったメイドが、社会の様々な場所に進出したのである。  
 
 ああ、メイドさんを雇えば楽できるなぁ。  
 反射的にそんな思考が脳裏をよぎり、慧は思わず苦笑する。  
 
「そんな金がどこにあるんだよ」  
 
 そう。いくら遺産と保険金があるとは言え、これからは節約して行かねばならない。  
 定期的に仕送りの有った父の生前とは違うのだ。  
 義務教育期間内なら、低料金かつ料金分割追納可能な国選メイドを申請出来たのだが、残念ながら高校生の身ではそれもかなわない。  
 
 ちなみに国選メイドとは、母子家庭や父子家庭等、保護者が事情で普段子供の面倒を見られない上に、収入が一定以下で民間メイドを雇うことが出来ない様な家庭に対し、国や地方自治体が安価でメイドを派遣するシステムである。  
 国選メイドは皆、国家一種以上のメイド資格あるいはメイド検定二級以上を持つため、下手な民間企業よりメイドの質が高いと言われている。  
 
「あー、天章院に頼んで、メイドさんを一人貸して貰うかなぁ」  
 
 ふと脳裏を過ぎるのは、高校のクラスメイトの事。  
 天章院糾と言う珍しい名前の友人は、しばらく前にメイドさん付きの屋敷を相続したというラッキーボーイだ。一度だけ噂のメイドさんを見に屋敷に遊びに行ったが、皆驚くべきほどの美人だった。  
 しかも5人+居候らしい巫女さん付き。世の中はかくも不公平だ。  
 
「天章院みたいにメイドさん付きお屋敷とは言わないから、せめて遺産付きメイドさんでも残してくれなかったのかな。父さんは」  
 
 いや、父にそんな甲斐性を求めても無駄か。  
 そもそもそんな甲斐性があれば母は浮気して家出することもなかっただろうし、あの父と財産などという言葉は全くと言っていいほど結び付かない。  
 
――先祖代々伝わる資産を、擦り減らしながら研究を続けていたようなものだし。  
 
 今でも、主を失った父の部屋には、正体不明のがらくただか古本だか訳の分からないものが山積みとなっている。  
 そうだ、そろそろあのがらくたの山を何とかしなければ。  
 出来れば忘れていたかった事を思い出してしまい、思わず慧はプチ鬱になりながら自宅への道を歩く。  
 
 さして大きいとは言えないが、それなりに品の良い住宅の立ち並ぶ住宅街。そこが、慧の家のある通りだ。  
 ご近所仲もそれなりに良く、一人暮らしの長い慧は色々とご近所さん達から便宜も図って貰えている。  
 すっかり暗くなった家路を急いでいると、自宅の前で誰かが立ち話をしているのに気づく。  
 片方は見知った顔。数カ月前にこちらに引っ越して来たお隣さん、矢吹さんの奥さんだ。  
   
「こんばんわ、矢吹さん」  
「あ、慧くん。お帰りなさい」  
 
 そう言って微笑む彼女の、越して来た時にはあまり目立っていなかった腹部は、もう一目で分かるほど大きい。  
 だから、隣に立っていた先程まで彼女が話していた相手にも、さして驚きはしなかった。  
 
 黒のワンピースに白いエプロン、そして頭にはフリル付きのカチューシャ。その姿は今や決して珍しくない。  
 そう、それはどこからどう見ても完全無欠なメイドさんだった。  
 きっと、そろそろ大変になった家事をメイドに代わって貰うのだろう。  
 てっきり慧はそう思っていたのだが、  
   
「慧くんもメイドさんを雇うんですね。高校生の一人暮らしじゃ栄養も偏っちゃうし、何より寂しいもの。  
やっぱり、誰かが一緒にいてくれた方が良いですよね」  
「――はい?」  
 
 寝耳に水だった。  
 いや、確かについさっきメイドを雇いたいとは思ったが、それはあくまで願望であり妄想だ。  
 第一、既婚者でない未成年は、保護者か後見人の証人がいなければメイドを雇うことも出来ない。  
 
「え? でもこちらの方は、これから慧くんのお家で働くって言っていましたよ」  
 
 話を振られ、メイドが慧の前に進み出る。  
 遠目からは気づかなかったが、彼女の髪は染めていない黄金。  
 肩甲骨のあたりまで伸ばされた癖のないその髪は、夕闇の中でもわかるほど美しく艶やか。  
 夕暮れ近づく空の様な深い青の瞳が、わずかに残る夕日の残滓を受け、菫色に染まっている。  
 
 進み出た彼女はスカートの裾をつまんでわずかに膝を曲げ、優雅に一礼。  
 
「レベッカ=ウェザートップと申します」  
 
 やはり外人さんだった。が、その言葉は聞いていても不自然さを全く感じないほどナチュラルな日本語だ。  
 良かった。どうやら日本語は普通に通じるらしい。  
 
「えーっと、レベッカさん。ひょっとして、僕と誰かを間違えていませんか?  
残念ながら僕はメイドを雇った覚えはないんだけど……」  
 
 慌てた慧の言葉に、しかしレベッカは首を振る。  
 そんな何げない動作のひとつ取っても、美しく優雅だ。  
 だが、彼女に見とれている暇はなかった。  
 それは、  
 
「いえ、私がお仕えするのは、白沢慧様。貴方で間違いありません。  
そして、慧様に身の覚えがないのも当然です。私を雇ったのは慧様のお父様――白沢光太郎様ですから」  
 
 彼女のその言葉に、慧の思考が停止する。  
 反射的に思い浮かんだのは、たった一つの言葉だ。  
 
――それ、なんてエロゲ?  
 

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