「おっ、ひかりちゃん、うまくなったねえ」  
「おじちゃんのおかげだよ〜……それえ」  
「こらあ、ひかりちゃん!おじちゃんじゃなくてお兄ちゃんって呼びなさい、って言ってるだろ!」  
娘と彼がボール投げをして遊んでいるのを、ぼんやり見つめる私。  
(楽しそうだなあ、ひかり……)  
 
私、吉岡いずみはいわゆる「シングルマザー」というやつだ。  
短大を出て働いていて、その頃いた彼と結婚するつもりだった。  
そのつもりでエッチもしたのに、急に連絡が取れなくなった。  
借金のせいだとか、いろんな噂は入ってきたが、今となっては気にしてもしょうがない。  
とにかく私は妊娠していた。そのときの子供がひかりだ。  
以来4年間、私は働きながらひかりを育ててきた。  
母さんが協力してくれるからなんとかなっているが、やっぱりシングルマザーって大変だ。  
社会人として親に頼りきるわけにもいかないし、かといって独身なのに小さな子供がいると、できる仕事も限られてくる。  
必然、収入も限られてくる。  
 
そんな中、今の職場で出会ったのが今の彼―秀二だ。  
私より三つ年上で、仕事もばりばりこなす。営業職の職場ではトップだ。  
実年齢より少し上に見えなくもないけど、それに見合った包容力とでもいえるものがあると思う。  
3歳になる前のひかりを連れて買い物に来ていたとき、偶然秀二と会った。  
最初はやっぱり驚いていたけど、一生懸命ひかりに話しかけて、緊張を解こうとしていた。  
そのせいもあるのだろう、ひかりが親戚以外で最初に甘えたり親しんだりする様子を見せた相手も秀二だった。  
……後で彼が告白したところによると、私に好意を寄せていたのは事実だけど、  
ひかりから先に仲良くなろう、って考えたのも事実らしい。  
まじめ一辺倒に思えて、意外と周到なところもある。  
それが仕事でも好成績を残す秘訣なのだろうか。  
 
そうこうするうち、ひかりと秀二が戻ってきた。  
「ひかりちゃん、ボール投げるのうまくなったねえ」  
「うん、秀二おじちゃ……お兄ちゃんのおかげ」  
慌てて言い直すひかりを見て、思わず笑ってしまう。  
「こら、そこ笑わない」  
「ははっ、ごめんごめん」  
その様子を見ていたひかりが、ぽつりと漏らす。  
 
「あーあ……秀二おにいちゃんがひかりのパパだったらいいのに」  
 
「え?」  
終わってからお茶を飲んでいた秀二が突然むせる。  
私もドキッとした。  
平静を装って秀二を気遣う。なんだかお互いに気まずい。  
純粋な子供の言葉は時にドキッとさせられる。  
それからは、うまく話もかみあわず、ひかりが疲れていたこともあって早々に帰ることにした。  
 
秀二が運転して、私が助手席。  
ひかりは後ろのチャイルドシートでぐっすり寝ている。  
寝ているからと気を使うわけではないが、いつになく二人の間に会話がなかった。  
(「ママは秀二おにいちゃんのこと好きなの?」)  
ひかりが前に言っていたことを思い出していると、秀二が口を開いた。  
 
「その……さ、いずみはああいうことがあったからさ、大変だよね」  
いつもはうまく話す秀二も、ひかりの言葉の緊張から解けていないのだろう。  
「うん……」  
「……でも、ひかりちゃんのためにも、いつまでも今のままじゃいけないんじゃない?」  
「それはわかってるけど……」  
秀二は、後ろの席でひかりが寝ているのを確認すると、ゆっくり口を開いた。  
「なあ、もし、その……俺が結婚してくれ、って言ったら、いずみはどうする?」  
「えっ?」  
私は言葉を失った。  
 
「別に、ひかりちゃんがあんなこと言ったから今言ってるわけじゃない。  
いつか、いずみにきちんと話さなきゃな、とは思ってたんだ。  
さっきのひかりちゃんの言葉がきっかけになったのは確かだけどね。  
 
……俺は、いずみと結婚して、3人で幸せな家庭を築きたいんだ」  
 
 
彼の言葉を、ゆっくりとかみ締め、理解しようとする。  
秀二のことは好きだけど、どうしても怖くて―また同じ目に遭うんじゃないか―  
そう思うと、今までずっと身体を許すことができなかった。キスが限界だった。  
「って、こんなこといきなり言われてもやっぱり答えられないよね」  
 
「そんなことない」  
私は、思わず口をついて出た言葉に自分で驚いていた。  
だけど、言ってしまうと―堰が壊れたかのように―思いのたけが溢れ出てきた。  
 
「私だって、秀二のことは好きだし、すごく嬉しいよ。  
ひかりも秀二にはすごくなついてくれてるし、今すぐにでもきちんと答えたいの。  
だけど、だけどね……私、怖くて……。  
 
秀二のこと、プライベートだけじゃなく、仕事も通してみて、信頼できる、頼りたい、って思えてるのに……  
心のどこかで、またあんな目に遭うんじゃないか、って思ってて……」  
いつの間にか、私の頬を大きな涙の粒が伝っていた。  
もう、嫌われてしまったかもしれない。  
こんな勇気のない奴、秀二だったら嫌いになっちゃうかもしれない―。  
 
秀二は車をコンビニの駐車場に止めると、私の肩に手を置いた。  
「ごめん、ごめんな……いずみのこと、わかってるつもりだったのに、  
ちっともわかってなくて……つらいこと、思い出させちゃったみたいだな」  
ポケットからハンカチを取り出して、そっと私の涙を拭いてくれた。  
「だけど俺は……絶対に、いずみにもひかりちゃんにもそんな思いはさせない。  
そう決意できたからこそ、いずみと結婚したい、3人で幸せになりたい、って思ったんだ」  
 
「秀二……」  
私は、今度こそこの人の包容力に任せようと思った。  
思いをぶつけて、勝手に泣いて、優しく抱きかかえられて―  
そのうちに、不思議と涙が止まり、心にあったしこりが解けて消えていくのがわかった。  
「……ありがとう」  
「えっ?」  
「私……秀二のお嫁さんになってもいいかなあ?」  
一瞬あぜんとした秀二は、すぐに最高の笑顔を見せてくれた。  
「バカ、いいかなあ、じゃないよ。  
『私をお嫁さんにしてください』だろ。  
ほら、ちゃんと涙ふいて、いずみも笑顔で言ってよ」  
「うん……」  
 
 
私はひかりを起こさないように、でも最大限の笑顔で、こう言った。  
「秀二、私をお嫁さんにしてください」  
って。  
 

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