予想通りの豪華な食事を頂いて、空腹は満たされた。
家の中を自由に見て回っていいと言われたらしいが、とてもそんな気分になれない。
ゲスト用の個室を一つ用意してもらい、そこで待つことにした。
やがて三階の庭が一望できる一室へ案内された。
窓際にイスを持ってきて頬杖を突きながらぼんやりと庭を眺める。
さながらゴルフ場を思わせるような、綺麗に刈り込まれた芝。
池やよくわからない彫像の類も所々に見える。
停止してしまった俺の思考を映し出すかのようにのどかな、変化のない景色が広がる。
また部屋の中に目を移す。
簡素な部屋で普段誰も使っていないという感じが伝わってくるが、
よく手入れが行き届いているようで、汚れや塵は見つからない。
窓から差し込む日の光を浴びて、さっき親父からもらった指輪が手のひらの上で輝く。
それとまったく同じものが俺の左手の薬指で同様の輝きを放つ。
そろそろ時間だ。
でもまだ答えは出ていない。
本当に誰を選べばいいんだろう……。
俺はどうでもいいけど、彼女たちの誰にも悲しい思いや、後悔はさせたくない。
今まで二人の女としか付き合ったことがなかったのに、
いきなり三人の女性にプロポーズされるなんて、どう対処していいか俺の経験ではわからない。
その時、ノックの音が聞こえた。
ゆっくりと立ち上がりドアを開ける。
以前ここで会った主らしき女性、彼女たちの母親らしい。
それと隣に俺の親父の姿を確認できた。
二人の後について初めて、静華さん、響華さん、悠華さんと会った部屋の前に着く。
あの時とはまた異質な緊張感。
この大きな扉を開ける瞬間がトラウマになってしまいそうだ。
ドアのノブに手をかると、ふと気になる台詞が頭をよぎった。
そういえばさっき親父が、
『まだ俺と結ばれてもいいと思っている者だけ集まってくれる』とかなんとか言っていた。
まさか……。
考えすぎかもしれないけど、この先には……。
時間を置いたせいで冷めてしまったとかで誰もいなかったりとか……。
俺をはめるためだけの壮大な計画なんてオチが待っていたりいなかったり…。
この期に及んで、怖気づいてしまい手で握ったノブを回すことができない。
すると突然彼女たちの母が俺の手の上から、自分の手を添えてゆっくりと回してくる。
「三人とも、中であなたのことを待っています。
早く顔を見せてあげてください」
その一言で思い切ってドアを開け放った。
大きな窓を背にして、右から静華さん、響華さん、悠華さんが距離を置いて座っている。
頭の中は空っぽになり、目から入る情報だけが素直に記憶の中に留まる。
静華さんは、着物に身を包んで、髪を綺麗に上で束ねている。
そっと両目を閉じて落ち着いた雰囲気だ。
年下のはずなのに周りの友人たちからは感じなかった大人の色気や気品みたいなものを感じる。
響華さんは、例えるなら自室でごろごろしていたところを突然引っ張り出されてきたという感じ。
インターハイの記念Tシャツを着ているのがおかしくて、少し緊張をほぐしてくれた。
一瞬目が合うと、恥ずかしそうに頬を赤くして節目がちになってしまった。
悠華さんは、さっき俺と会ったときの格好のまま。
ノースリーブのシャツの上から俺の渡したカーディガンを羽織っている。
彼女に視線をやると、ニコッと微笑み返してくれた。
女中がイスを引いて俺に軽く会釈をしたが、あえてそのまま入り口付近に立ったまま動きたくなかった。
そのイスに座ると正面に響華さんがくる。
まだ答えの出ていない俺にとってその行為は、他の二人に申し訳ないような気がしてならない。
どちらかにずれても結局同じような結果になるし、
今さらながら俺は優柔不断で度胸がないことだけが思い知らされる。
しばらく無言で立ち尽くし、左手に握られている指輪をもう一度握りなおす。
「さあ、おまえがもっとも気に入った方にそれをあげなさい」
それを見た親父が無神経にも俺に催促してきた。
答えの出ないまま一歩二歩と前に出る。
だけど、またここでなにも言葉を発することのできないまま棒立ちになってしまった。
そのまま30分近い静寂が続いた。
もう俺はプレッシャーに押しつぶされそうで耐え切れなくなっていた。
そして、緊張のあまり乾ききってしまった口をゆっくりと開く。
「お、俺は――――」
「…本当に俺でよかったの?」
「ええ、私は一生後悔はいたしません。
あなたはとても素敵な方ですよ」
今、俺は中庭の間を走る道を静華さんと二人で歩いている。
だけど俺は静華さんを選んだわけではない。
それ以前に結局答えは出せなかった。
そう、遡ること1時間ほど前の出来事――――。
「お、俺は、えっと……、その……」
ずいぶんみんなをやきもきさせたというのに、とりあえず口を開いただけの俺は、
未だに壊れたおもちゃみたいに意味にならない言葉を呟きながら目を泳がせていた。
だが部屋中の視線が俺に集まる感覚が伝わってくる。
「ご、ごめんなさい。 俺、この縁談を断らせていただきます。
みんなみたいに、俺のことを大切に思ってくれる人なんて他にいませんでした。
それにこれからも現れないと思います。
だから俺、みんなをすごく好きになりました。
それなのに、その人たちの中から誰が一番いいかなんて順位をつけるようなマネはできません。
これが俺の答えで…、いてッ!!」
やっとの思いで声を振り絞り、思いを伝えようとした俺のももの裏に激痛が走った。
振り返ると親父が手に持った杖で俺のももの後ろを強打したみたいだった。
「馬鹿者が!
これは両家の間での取決めごとなのだぞ!!
おまえごときにそんな権利はないわ!!
こんな場でわしに恥をかかすんじゃない!」
膝をついて、ももの裏をさすりながら彼女たちを見ると、三人ともキョトンとしている。
俺の発言を受けてか、暴力的な姑の恐ろしさに唖然としたのか。
一方の俺の立場はさらに良くない方向へ転がりかけているような気がした。
それを見ていた彼女たちの母が俺に近づいてきて、そっと手を差し伸べてくれる。
「この子たちは三人とも、十八年間あなたを想って操を守り通し続けてきました。
そんな屁理屈では納得してはくれないでしょう。
しかし、お互いまだ若いですし、実際の夫婦というものがどういうものか実感が沸かないのも理解できます。
貴仁さん、勝手なお申し出で恐縮ですけど、
よろしければ、正式なお返事はしばらく保留にしていただいて、
娘たちと擬似的な夫婦生活を体験して、
それから本当に自分の妻にふさわしいと思った者を選ぶというのはいかがでしょう?」
チラッと親父の方を見ると、無言で腕を組んでいる。
最初っから俺が一人に絞れないと予想して用意していた妥協案といったものかもしれない。
――――かくして
俺は、月曜と木曜は静華さんと、火曜と金曜は響華さんと、水曜と土曜は悠華さんと
擬似的な夫婦生活を送ることになった。
そして今日は月曜日。
この日、俺と一緒にいることが許されたのは静華さんだった。
隣を歩く静華さんがゆっくりと口を開く。
「私たちは、なにかを取り合って喧嘩をしたという経験がほとんどない仲のいい姉妹でした。
それぞれ興味のあるものが違ったせいか、なかなかそういう機会がなかったのも事実ですけど、
最後は私が、ワガママな妹たちに譲ることが多々ありました。
ですが、あなたばっかりはそう簡単に譲る気にはなれなかったんです。
私も意外とワガママな女かもしれないですね」
そう言って彼女は俺の方を向いて、少し恥ずかしそうに笑った。
その顔が夕日に照らされてやや赤く染まっている。
「和服がお好きなんですか?」
「え?」
「いえ、時々こちらを見ていらっしゃるようでしたから」
言われてみれば、目が合うのが恥ずかしくて、彼女とタイミングを外してチラチラ見ていた。
それも、髪を束ねていた彼女のうなじとか胸元とかそんなところばかり見ていた気がする。
「ええっと…、着物が好きっていうより、すごく似合ってるから見惚れてたと言うか……」
「フフッ…、お上手ですね。
でもそう言っていただけると嬉しいです。
私の知人が着物のデザイナーをやっていて、今度個展を開くらしいんです。
よろしかったらご一緒しませんか?」
「そ、そうだね。 うん、ご一緒しますよ……」
「気に入ったものがあったら、是非見立ててくださいね」
「で、でも、俺そんなにセンスよくないし……」
「そんなこと構いませんよ。
もうあなた以外に似合ってるなんて言ってもらう必要がありませんから。
あなたの好みで選んでくださって結構ですよ」
そう言いながら、静華さんが優しく腕を組んできた。
あの時答えが出せなかったため受け入れたこの妥協案は、間違いだったかもしれない。
こんな展開が、彼女たちの中から誰か一人を選ぶことの一助になるはずがない。
だけど後先考えず、流れに身を任せる癖がついていた俺には、
もう流れを変える力なんてないことくらいわかりきっていた。
ここは全てを忘れて、可能な限りこの甘い生活に流されるしかなさそうだ。
――――その日の夜
俺はしばらくの間、彼女たちの家の庭にある、はなれを借りて暮らすことになった。
はなれといっても、普通の一軒家よりは大きいし、生活に必要な設備は整っていた。
さらに母屋とも距離があるし、使用人たちも勝手には入ってこないので、
さながらマイホームを手に入れてしまったような錯覚に陥る。
問題といえば、今まで自転車で20分の距離だった大学が、
電車を乗り継いで2時間の距離になってしまったこと。
ほぼ毎日通うわけだから切実な問題ではあるが、
ここまでの幸運の代償としては些細な問題かもしれない。
そんなことを考えながら、寝室のイスにかけて夜空を眺めていた。
すると、部屋のドアが開き静華さんが入ってきた。
湯上りの少し湿った髪と、ワンピースタイプの白いネグリジェ姿に視線が釘付けになる。
「よかったらお休み前に少しいかがですか?」
そう言った静華さんの手にはワインとグラスが一つ握られていた。
「へー、気が利くねー」
俺自身酒にはわりと強いけど、好んで晩酌をするほどの酒飲みでもない。
けど、彼女のこういった気遣いは、自分が勘違いしてしまうほど大人っぽい感覚にさせてくれる。
そしてその感覚は心地よく、悪くないものだった。
向かいのイスに腰掛けた静華さんが、グラスにワインを注ぐ。
「フランスにホームステイしていた時に世話になった方から送られてきたんです。
お口に合うかわかりませんけど……」
夕食の時にも同じ台詞を聞いた。
だが彼女の作ってくれた料理は、金を取っても恥じないくらい、見た目も味も満足いく物だった。
おそらくこのワインも、安酒しか知らない俺にはもったいない物だろう。
「さ、静華さんも一杯どうぞ」
やがて酔いが回ってくると、目の前で俺を眺めていた彼女にもワインを勧めていた。
「え、わ、私はまだ……」
「一回くらい飲んだことはあるでしょ?
こういうのって一人で飲んでても面白くないからさ」
自分のグラスにワインを注ぎ足して彼女の前に出した。
「そ、それじゃあ、少しだけ……」
静華さんはグラスを口元まで持ち上げると、一気に飲み干してしまった。
「あ、ちょ、ワイン一気はマズイって……」
ハラハラと見守る俺の前で、静華さんはグラスを置くと、そのままテーブルに伏せてしまった。
「……だ、大丈夫かな。 ほとんど満タンに注いだのに」
明かりを消し、彼女を抱きかかえベットの上にそっと寝かせて、俺もすぐ脇に横になった。
風呂上りの静華さんのほのかな香りがして、疲れてるはずなのに眠気が吹っ飛ぶ。
とにかく天井だけ眺めて、気分を落ち着かせるのに努めた。
ようやく鼓動の高鳴りも収まってきたというのに、
突然静華さんの手が首筋に触れてきてまた心臓がうるさく波打つ。
そのまま彼女が覆いかぶさるように、仰向けで寝ている俺の上に来た。
「あ、あれ、酔い潰れてたんじゃ…?」
「私が酔い潰れていたら、どうするおつもりだったんですか?」
「え、いや、本当に襲うつもりとかそんなんじゃなくて……。
てかここまできて襲ったりはしない……」
言いかけて開いた俺の口に、静華さんがゆっくり唇を重ねてきた。
舌が入ってきて、口の中にかすかにワインの味が広がる。
「じゃあ、こっちから襲っちゃいますよ?」
唇を離した静華さんが妖艶な微笑を浮かべて、俺の下瞼を人差し指で優しくなぞるように撫でてくる。
「私、初めて体を重ねた時も、こうやってあなたの表情ばかり見ていました。
この人はどうやれば喜んでくれるんだろうとか、気持ちいい時はどんな顔をするんだろうとか…。
………少し変かもしれないですけどね」
「い、いや、全然そんなことないよ」
静華さんが足を絡めてきて、俺のそそり立っているモノが彼女の下腹部に押し付けられてしまう。
むしろ俺の方が変態だよと言いたいくらい恥ずかしい。
「大人しくしていてくださいね」
静華さんが、俺のパジャマの前のボタンを上からゆっくり外していく。
さらにゆったりとしたズボンまで簡単に剥ぎ取って、再び体温を感じるくらい顔を近づけてくる。
「私も脱ぎましょうか?」
「え…っと……」
もう酔いが醒めかけている俺は勢い任せで何でも言える状態じゃなくなっていた。
「フフッ…、ちょっとエッチな奥さんだと嫌ですか?」
「そ、そんなことないです……」
それを聞いて静華さんが肩の紐を指先で摘むと、真直ぐに上に引っ張りあげる。
そのたった一枚を脱ぎ捨てると彼女は全くの裸。
月明かりで透き通るような白い肌と、形の良い乳房が露わになる。
引き締まった腰のくびれ辺りまで、美しい黒髪が届いている。
我慢できずに手を伸ばして、彼女の胸を包み込む。
「んぁっ……!」
静華さんの口から吐息交じりの喘ぎ声がわずかに漏れ、後ろに仰け反るように倒れこんだ。
その彼女に、さっきとは上下逆転の体位でそっと近づく。
普段の控えめな態度からでは想像できない彼女に興奮をかき立てられるばかり。
「酔ってる……?」
「さあ……。 いいじゃないですか、二人っきりの時くらい甘えさせてくれたって……」
静華さんが両手を頭の後ろにそっと回してきて、また二人の顔が近づく。
「うん、い、いいと思うよ……」
「無理に急いで答えを出さなくていいですから、
せめてこういう時だけは甘えさせてくださいね――――」
――――朝
携帯のアラームが鳴って無理矢理起こされてしまった。
結局寝たのも遅かったけど、最近十分な睡眠を取れていない気がする。
ベットの隣はもぬけの殻だった。
目をこすりながら辺りを見回すと、ドアの前で静華さんが後ろ手でエプロンの紐を縛っているのが見えた。
俺が起きたのに気づいたのか、彼女が振り返る。
「あ、おはようございます」
「おはよう……」
「ずいぶんお早いですね。
どこかへお出かけですか?」
「うん、学校は来週まで休みだけど、バイトが入ってた……」
片手で携帯のスケジュールを見ながら呟く。
そういえば、わけわからん山奥のラブホに放置してあるバイクも早いとことりに行ったほうがいいんだろう。
「そうですか……。
今日はもうほとんど一緒にいれませんけど、朝食の支度だけしておくので食べていってくださいね」
「うん、ありがとう。
でも母屋までは歩いて行ける距離だし、いつでも会えるんじゃ…?」
「嬉しいですけど、それでは規則違反になってしまいますから……」
規則、か………。
なんか、俺のせいで彼女たちにもえらく迷惑をかけてしまっているのかも。
「ごめん、なんか悪いことしちゃったみたいで……」
「いえ、私はあなたの口から正式なお返事が頂けるまでお待ちしています。
ずっと想いを寄せていた人に好きだと言われたんです。
こちらから諦めるようなマネはもったいなくてできませんから」
静華さんはそう言いながら笑みを見せると、寝室を後にした。