いつもの昼休み。
同僚たちと飯を食ってだべっていた時、そいつはやって来た。
「つうかさ、あんま仕事ナメんなよ?この間だってよぉ…」
目の前で説教モードに入っているコイツは、三年先輩の武藤だ。
何かしら俺につっかかってくる奴で、同期からもあまり好かれてないらしい。
手に持ったコーヒーが段々冷めていく。あぁ…いつまで続くんだ、コレ。
「最近ミスも多いだろ?いつまでも新人気分でやってんじゃねぇぞ」
「…は、はぁ」
同僚たちは哀れみの視線を向けるものの、助けはない。しようものなら自分にも飛び火するからだ。 その時だった。
孤立無援かと思われた俺の耳に、靴音が届く。
「あっ」
同僚の一人が小さく叫んだ。
すると怪訝そうに振り向いた武藤の顔が、みるみる赤くなっていく。
「あっ、氷室っ!」
(…鏡子さん)
そこに立っていたのは、我が社きっての才女。そして若くして企画部の主任を勤める…俺の妻、氷室鏡子だった。
「…随分と絞ってるみたいね。何かやらかしたの?彼は」
抑揚のない声。
「え、いや…ちょっと最近さ、ポカやらかしてるみたいだし…」
「そう」
聞いておきながら興味無さ気に言葉を返す鏡子さん。「そう言えば、武藤君」
「えっ?」
ヒヨッコの俺たちは、そのあまりに一方的な二人の会話をただ見つめるしかなかった。
自慢の美しい黒髪をかきあげながら、鏡子さんは武藤に切り込んでいく。
「この前の企画、なかなかだったわね」
「え…」
その言葉に、一瞬表情を輝かせる武藤。照れた様に頭を掻く。
俺に対峙してた時の面影はまるでなかった。
「そ、そうかな?いや、自信はそれなりにあってさぁ…」
でも、俺には分かる。
あれは、相手を奈落に突き落とす前の目だ。
「同期の氷室にそう言われると、俺もハナが高…」
「なかなか拙いものだった、って意味よ」
…ザ・マジック。時間は止まる。
武藤と同僚の顔が凍りついた。
鏡子さんは続ける。
「英談社のモノをそのまま使いました、って感じの企画はどうかしら。後輩にとやかく言う前に、まず自分から態度で示すべきじゃない?」
そう言い捨てて、きびすをかえす鏡子さん。チラリと俺を見た。
(何やってるのよ、もう)とでも言いた気な視線を投げ掛けて、常に多忙な彼女は書類片手に優雅に去っていく。
武藤はというと、おぼつかない足取りで、無言のまま情けなく何処かへと歩いて行った。
…どうも、奴は同期の鏡子さんのことが好きらしい。それで旦那の俺に、ネチネチつっかかってくる訳だ。「さっすが、氷室女史。『氷の女』だけあって容赦ないな」
蚊帳の外だった田中が言う。
「なぁ、お前、氷室さんとどんな生活してんだ?全く想像つかねぇもん」
山下が聞いてきた。
すっかり冷えきったコーヒーをゴミ箱に捨てて、椅子に座りなおす。
「んー…至って普通かな」「嘘だろー。え、なんだ?家でも女王様か?」
「んで、召し使いみたいに尽しちゃってるわけか?」「…お前らなぁ」
ひがみ半分のからかいに、よっぽど反論してやろうかと思ったが、やめた。
確に社内での彼女しか知らない奴はそう考えるだろう。
若くして華々しい実績を誇る、才色兼備の美女。決して物事に妥協しない、上昇思考の氷の女。
でも。
「…へっ、教えてやらねーよーだ。俺しか知らなくて良いんだよ」
「こっこいつ!!」
「チクショー!なんでお前なんかがっ」
「やっちまえ!」
襲いかかってくる野郎共。へっ、かかってきやがれ!まるで中学生の様な取っ組み合いをしていると、ポケットの中の携帯がなった。
「メール?」
山下の頭を腕で固めながら見てみると、『鏡子アドレス』の文字。
[To 慎くん 今日のご飯は麻婆豆腐がいいな。今日は早く帰ります。]
家での彼女は…妻としての氷室鏡子はとても甘えんぼでカワイイモノが大好きな、とても可愛い女性。
俺だけが知る、俺だけの彼女。
もったいなくて、教えられるかってんだ。
さて、今日はどっかのスーパー安売りしてたっけ。
つづく