人生ってのは本当にわからないものだと思う。  
大学卒業を間近に迎えた時期に付き合っていた彼女から振られて、これ以上の苦しみはないってほどに  
へこまされたと思えば、四月に入社式という新社会人の儀式を通過したときには  
嬉し恥ずかし新婚さん。  
時間――日数にしてみれば三週間余りの間の出来事。  
狐につままれたというのは、今の自分の状況を言い表すのに的確なものだと思う。  
朝はおはようのキスで起こされ、出勤時にはいってらっしゃいのキスでお見送り。  
昼食に持たされている弁当には、お約束のごとくハートマークが白米の上に鎮座しており、ダイスキ!  
というメッセージももれなくついてくる。  
そして、左手薬指に輝くは白銀の指輪。  
 
まあ、ここまで現実的なことが起こっているわけだから受け止めなきゃしょうがない。  
 
その日。三日前に付き合っていた彼女から振られておれ――松中智仁(まつなか ともひと)は、  
これ以上の苦しみがあるのだろうかっていうぐらいの絶望感を味わっていた。  
 
――早い話が不貞腐れていた。  
 
そこへ現れたのが早瀬紗奈(はやせ さな)。小さいころによく一緒に遊んでもらっていた三歳年上の  
幼馴染の女性で、今は二十五になる。  
大きくなれば――もう少し年が近い幼馴染だとお互いの関係が照れくさくなったりして遊ばなくなった  
りするんだろう。やや年が離れていたためか彼女はおれにべったりといっていいほどに  
世話を焼いてくれた。  
お互いが一人っ子であったため、彼女から見れば弟、おれから見れば甘えられる姉が欲しかったんだと  
思う。  
それからも疎遠になることはなく、よく一緒に遊びにいく仲の良い姉弟といって差し支えのない関係が  
続いていた。  
 
振られてへこんでいたため出かけるのを渋るおれを強引に引張り、卒業祝いと称して飲みに連れ出して  
くれた。  
亡くなったおじさんとおばさんから受け継いだ莫大な遺産を運用して、実業家としてばりばりに活躍  
しているらしい紗奈姉ちゃんは、大学生のおれが見てもわかる高そうな料亭へと入ろうとした。  
先祖代々の庶民的でごく平凡な家庭にて生まれ育ったおれは当然のようにびびって、飲み会で行き着け  
にしていた居酒屋を代わりに提案していた。  
 
「……というわけなんだ。ひどいだろ。紗奈姉ちゃん」  
おごりだから遠慮なくやるようにと言われていたものの、結局、いつもの安い焼酎をロックだの水割り  
だのお湯割りだと飲んで、いい具合に出来上がっていたおれは彼女に散々愚痴っていた。  
始めは上品にワインを飲んでいた姉ちゃんは、おれが飲む焼酎に興味を惹かれたのかしばらく前から  
同じものを注文して黙々と飲み干していった。  
「ねえ、姉ちゃん。おれの話聞いてる?」  
確認しようとしたところ、ちらっと視線だけ向けてきたと思えば、手元のグラスへと意識を戻しその中身を  
喉の奥へと流し込んでいく。  
ややあって、ダンっとテーブルに叩きつけられたグラスからなかの氷が飛出そうとしてくる。隣の  
サラリーマンのおっさんたちが陣取る机からは迷惑そうに見られていた。  
「姉ちゃん、どうしたのさ?」  
おっさん連中に愛想笑いつきで軽く会釈しつつ、どうも様子がおかしい彼女の俯けられた顔を覗きこんだ。  
「……ひどい」  
「えっ? ああ、さっきのおれの話のこと? だろ? 本当にひどいよな、彼女……」  
「違うっ! ひどいのはトモくんよっ!」  
「……うんうん、ひどいのはおれ……ってなんでおれなの!?」  
「だってそうじゃないっ。他の女の子にばかり手を出して、いつになったらお姉ちゃんに振り向いてくれるのっ」  
黒曜石のような綺麗な瞳にじわりと涙をためて紗奈姉ちゃんはおれのことを非難してくる。  
おれとしてはまったくの不測の事態でありおろおろするだけだった。  
「お姉ちゃんはトモくんのことがこんなに好きなのに……ひどいトモくんはいつまでお姉ちゃんに  
放置プレイをかます気なのっ!?」  
「ほっ、ほっ放置プレイっ!?」  
いやらしい――性的なこととは無縁だと思っていた姉が顔を真っ赤にして訴えてくる。さっきのおっさん  
連中や、近くの席からはおれと同じ大学生風の男女が好奇の目でこちらを見てくる。  
視線の色がどうも怪しい。  
紗奈姉ちゃんが、お姉ちゃんと連発してくるので、もしかしたら近親相姦一歩手前のいけない姉弟だとでも  
思われたりしているのかもしれない。  
「ひどい……。お姉ちゃんはトモくんのことが小さいころからずっと好きだったのに疑うの……?」  
「いっ、いや好きって……姉弟愛みたいなもんでしょ……?」  
予期せぬ人に予期せぬ場所で予期せぬタイミングで告白される。処理できる容量を大幅に超えてしまった  
のだろうか。どうも頭が追いついてくれない。  
姉の端整な顔に一筋の涙が通ったかと思うと、注意しにきたらしい店員に迷惑料込みですと言って  
最高紙幣を十枚ほど握らせるとおれの手を引いて出て行った。  
 
「ちょっ、姉ちゃん、痛いって! どこに行こうっていうのさ!」  
「…………」  
なおも無言で通す姉は駅前にて携帯電話でハイヤーを呼び出し、おれを強引に車内へと押し込んだ。  
「……ホテルまでお願いします」  
「えっ……? ちょっと!?」  
その手の話はまったく知らないおれだけど、そこが最高級のホテルだってことはわかった。確か外国から  
来る政府要人や偉い金持ちの人などVIPな方々が利用するようなところだ。  
後部座席のかしましいやりとりを気にすることもなく、運転手はおれたちを無事送り届けると  
何事もなかったかのように去っていった。  
 
目の前にそびえ立つホテルを見て、何階建てなのかな……などとバカなことを考えていたおれは手を引かれて  
連行されていく。  
紗奈姉ちゃんはフロントにて短く名前だけを告げてキーを受け取ると、エレベーターへとおれを押した。  
やがて部屋につくと、訳がわからず借りてきた猫のようにおとなしくしていたおれをフカフカのベッドへと  
突き飛ばしたお姉ちゃんはこう宣言してきた。  
「トモくんを……お姉ちゃんがどんなに愛しているのかってことを、たっぷりと理解させてあげる……」  
 
その夜のことでおれが覚えていることは、夜景が綺麗だったということ。それと紗奈姉ちゃんのおれへの  
深い愛情だった。  
 
 
朝起きると広大なサイズのベッドにはおれひとりしかいなかった。  
「……姉ちゃんにこのホテルに連れてこられて、やたら積極的だった姉ちゃんとエッチ……いや、  
逆レイプみたいな感じで犯されたんだっけ……。そいうや、姉ちゃんは……」  
やや離れた場所からガチャリと扉が開く音がした。スラリとスタイルの良さが際立つ肢体をバスローブ  
にて包んだ紗奈姉ちゃんが出てきた。  
瞳と同じ黒い髪にまとわりついた水分をとるためにタオルを当てている。  
――ヤバい……風呂上りの女の人って色っぽい……。  
朝の現象によって半ば起きていた息子は、完全に起きだしてきたようだ。昨夜も結構な回数をこなした  
はずなのに少しばかりの睡眠だけでスタミナは十分回復したらしい。  
ぼけっと姉ちゃんに見入っていたおれ。おれが起きていることに気付いた彼女は微笑を浮かべつつベッド  
へと上がってきた。  
「んー。トモくん、おはよ♪」  
重ねられてきた唇を受け入れて口付けを交わす。ちゃっかり姉ちゃんの頭と背中に腕を回して抱き寄せて  
いたりしている。今の状況を確認すべくいろいろと聞かなきゃいけないのだが、そんなことは  
お構いなしにキスを楽しんでいた。  
やがて満足したのか姉ちゃんがエヘへとかわいらしく笑って唇を離した。  
「えっとね……確認したいことが少しあるんだけど、いい?」  
「なーに?」  
横へと移動してきた彼女は、おれの肩へと頭を預けて腕を組んでくる。  
「えっと……姉ちゃんとおれは昨夜エッチしたよね? というか強姦?」  
「……恥ずかしかったけれど、がんばったんだもん。鈍感なトモくんがお姉ちゃんの気持ちにいつまで  
たっても気付いてくれないから、こうやって迫るしかなかったんだもん。  
愛がある行為だからレイプとかじゃないもん……」  
「姉ちゃんは……おれのことが好きなんだよね?」  
「好きじゃなかったらセックスなんかしたりしないっ。それに……」  
かけ布団をめくってくる。ちょうど腰の位置辺りに血痕が見える。  
「もしかして、姉ちゃんはバージンだったの?」  
おれの言葉にコクリと首肯してくる。  
「好きなひとがいるのに、ほかの男の人とそういうことをしたりしないよ。本当は結婚して初夜のとき  
までは我慢しなきゃいけなかったんだけれど……モタモタしていられなかったから。  
きっと父様も母様も怒っていると思う。でも、ここでやらなきゃトモくんは一生  
手に入らない気がしたから」  
 
「結婚っ……!? 初夜っ……!?」  
なんというか驚愕の連続でどう反応したらいいものかわからなくて、ただ驚くばかりだった。  
「そう。わたしとトモくんは結婚するの」  
「えっ!? だっておれはまだ学生……」  
「トモくんは今月の下旬には大学を卒業して社会人になるでしょーが。それにとっくに十八歳を超えて  
いるんだから結婚はいつでもできます」  
「だって経済力とかまだ伴っていないよ……」  
「自慢じゃないけれど、わたしは早瀬グループの最高経営責任者なんてものをやっています。トモくん  
のひとりやふたりどころか何人でも養えます。お姉ちゃんの経済力を舐めないでほしいな」  
「…………」  
もはや何を言ってもあっさりと返される気がしてきて絶句してしまっていた。  
「それにね……。約二十年間にわたってお姉ちゃんの気持ちをスルーし続けてきたトモくんは、責任を  
もってわたしと結婚しなきゃいけないの。もし断ろうものなら……」  
「……断ろうものなら?」  
「トモくんがわたしのことを強姦したって訴えます。知ってる? この手の犯罪は冤罪だとしてもまともに  
取り合ってくれない場合がほとんどなの。男性性犯罪者に対する世間の目ってものすごく厳しいんだよ。  
わたしに無理やりお酒をのませてレイプ。だれも女のわたしが逆レイプに及んだなんて思わないだろうしね。  
裁判で勝つ自信も百二十パーセントある。うち……わたしは優秀な弁護士の先生方と契約しているから」  
「そんなことをすれば紗奈姉ちゃん自身に傷がつくんじゃ……」  
深く考えれば、まったく無実の罪を被せられて刑務所行きなわけで怖いことこの上ない話だが、頭に  
浮かんだ疑問を口にする。  
「別に構わないもの。真実を知っているのはわたしとトモくんの当事者ふたりだけ。他人がなんと言おうが  
気にしないわ。たとえ刑期を終えて出所してきても何らかの手を打ってまた刑務所に入ってもらうわ。  
大好きなトモくんを他の女になんて絶対にあげない。  
わたしがトモくんを手に入れることができないなら、トモくんには一生塀の向こうで過ごしてもらうわ」  
選択肢はふたつ用意されているようだが、実質ひとつだけのようだ。  
「……ということはわたしだってしたくない。だからトモくんはお姉ちゃんを選んで?」  
狂気じみてドロドロとした愛情ってものを垣間見た気がしたが、ここは敢えて無視。  
そういえば、愛情と狂気は紙一重なんて言葉もあったっけ……。  
考えてもみれば、確かに幼いころからの姉弟ベタベタは愛情があったればこそだったんだろうなって思う。  
でないと、中学→高校→大学と進んでも弟みたいなものだとおれは考えていたとはいえ、頻繁に遊びに  
来ていた姉ちゃんの行動は説明がつかない。  
幼いころから変わらず向けられていた深い愛情。  
それをスルーし続けてきた自分が悪人に思えてきた。  
それに小さいころから実の姉のように慕ってきた女性。そしてここまで思いつめるほどにおれのことを  
深く愛してくれている。  
――うん。この想いに応えよう。  
「その、何一つ紗奈姉ちゃんに釣り合っていないおれだけど、姉ちゃんをおれのお嫁さんにしたい。  
結婚しよっか」  
おれの返答を聞いた紗奈姉ちゃんは本当に嬉しそうで輝いていた。  
 
 
それからの彼女の行動は迅速だった。おれの実家へと電撃訪問。結婚する旨を両親へと伝えた。  
突然の話だったので父さんも母さんも反対か渋るかなと思っていたのだが、あっさりと了承。  
それどころか熱烈な歓迎をしてきた。  
どこぞの氏素性も定かではない女に騙されそうなおれのところに、こんな素晴らしい女性が来てくれた。  
それに小さいころから知っている紗奈ちゃんだから安心して息子を任せることができると諸手を上げて  
の賛成ぶりだった。  
……そういえば息子のおれよりも、娘が欲しかったとかなんとかで紗奈姉ちゃんのことを猫可愛がり  
していたんだっけ……と、あまり嬉しくないことを思い出してへこんでいた。  
 
三月末の卒業式で四年間を過ごした学び舎に別れを告げたおれは迎えにきた紗奈姉ちゃんと、  
おじさんとおばさんが眠る霊園を訪れ墓前にて報告。その足で役所に婚姻届を提出しにいったのだった。  
 
 
こうしておれたちの新婚生活が始まった――。  
 

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