私の目の前にお弁当箱がある  
たった今おかずを詰め込んだところで  
あとは蓋をするだけ  
蓋をするだけで良いのだけど……  
 
昨晩のこと  
「飽きた」と兄が言う  
「何が?」と私が答える  
「お昼いつもパンなんだよね。いい加減飽きた」  
私の家は母子家庭でお昼は各自で調達しなければいけない  
母にお弁当を作る手間をかけさせないためだ  
「そだね、あと御握りとか代わり映えしないよね」  
「そうなんだよ。こう何て言うかたまには温かみのある食事がしたいんだよ」  
嘆きながらそう言う  
本当に大げさなんだから  
「それはパン作ってくれる人に失礼だよ」私は苦笑しながら答えこう続けた  
「お弁当くらいなら私が作ろうか?」  
何気なく言った一言だった  
だだの思いつきで  
でも兄には以外だったらしく  
「えっなに、お前料理とかできるの?」と  
私に詰め寄ってくる  
そんなに驚くことなの?ひどいなぁ  
「う、うん少しくらいなら、お母さんを手伝ってるから」  
「是非ともお願いします」  
こうして私は明日のお弁当を作ることになった  
 
そして今  
私の目の前にお弁当箱がある  
別に失敗してしまった訳ではない  
少しと言ったが実は結構自信があったりする  
本当に上手く出来た  
から揚げも卵焼きもポテトサラダもとっても美味しそう  
美味しそうなのだけど……  
ちょっとやり過ぎてしまった……  
私はご飯の上にかかっているソレを見る  
ソレはピンク色のさくらでんぶ  
さくらでんぶ自体は問題じゃない  
お弁当にはたまに入っているし  
ただ、その自己主張の仕方が問題  
ご飯の上で大きく目に痛いピンク色で形作っている  
ハート型を  
「あはは……」  
さすがにやり過ぎたと思う  
私は普通の兄妹より少しだけ兄に懐いている  
少しだけブラコンかもしれない  
「でもこれはちょっとね。恥ずかしいし」  
こうして私の初めてのお弁当はお蔵入りになる  
兄には「失敗した」といえば良いや  
そこで、ふっとある考えが浮かぶ  
もし兄がこのお弁当の蓋を開けたら  
兄は何を思うのだろう……  
何を感じるのだろう……  
 
少し考えて私はお弁当を包み  
それをを兄の席に置いた  
 
実はハート型のおかずは  
ご飯の下に隠した  
というのは兄がもし  
彼女と一緒にいたとしたら  
言い訳できなくなるから  
彼女なんているかよ  
兄はそういって苦笑したけど  
信じられないから  
 
弁当箱の底まで食べて  
怒ったら終わり  
笑ったら始まり  
誰の? 誰にとっての?  
もちろん──私にとっての  
 
兄が部活から帰ってきた。私は軽い感じで聞いてみた。  
「弁当美味しかった?」  
「驚いた。すげー美味かったよ」  
「良かった」  
そうじゃない。違う。本当に聞きたかったのは  
ハートマークのさくらでんぶ、気づいた?  
ってことなのに  
「じゃあ、明日も作ってあげようか?」  
兄の挙動が止まった。  
「あ、うん」  
「ど、どうしたの? やっぱり不味かった? ヤダな。まずいならまずいって言ってよね。もう作ら──」  
違う。それじゃ駄目だ。  
「もっと勉強するから、上手くなるから」  
兄は、兄は言った。  
「ごめん」  
それが何を意味するか、分かった。  
「俺好きな子がいてさ。その子と昼飯食いたいんだ。だからああいう冗談はこれっきりな」  
冗談……?  
「う、ん。分かった。だったらいい? 作っていい?」  
「ああ。助かるよ……どうした?」  
「何が」  
「何泣いてんだよ。何か変な事言ったか?」  
首を左右に振る。むりやり笑う。  
「あっ、じゃさっそくお買い物してこようかな。今度はタコさんウインナー入れたいから」  
兄に背を向けて声を作る。もうダメだ。  
「おい」  
「じゃ、行ってくる」  
声が震えた。涙が零れた。  
「バカ」  
ドアを思いっきり閉めて、外に出た。  
雨が降ってた。温かい雨だった。  
 
雨がこんなに温かいなんて知らなくて、ずっと空見上げてた。  
通りすがりのオジサンの鼻歌が無性に心地よくて、また切なくなった。  
大雨になった。雷雨だ。辺りに人がいなくなる。  
雨だけだ。私と雨だけになった。  
アスファルトから黄色い傘がバッと開いた。水玉の傘、赤い傘、黒い大きな傘。  
色とりどりの傘が天道虫の背のように生まれた。  
近所の小学生のせいだった。  
傘の中に小学生が何人も隠れていた。この大雨の中、彼らは沢山の傘を広げて  
城を作り、身体を折り曲げて傘の道を行き来した。時折無邪気な笑い声が聞こえ  
てくる。仲良し同士で集まって、雨だろうが雷だろうが気にせず、好きなように遊び  
倒す。  
キュン、と胸が締めつけられた。  
兄と一緒になって城を見つけたのを思い出したのだ。裏山の洞窟に兄と二人して  
入っていって、怖くて帰りたいと言っても手を離してくれなかった兄。「遺跡がある  
んだ」と鼻息を荒くして言う兄にそんなのどうでもいいよと言ったら怒られて、無理  
やり連れていかされた。中学年の頃かもしれない。洞窟の奥にあった石碑に彫ら  
れていた文字は、「おまんこ」だった。二人しておまんこって何と周囲に聞きまくり、  
親にどやしつけられた。  
「いいか。今日からここが俺たちの城だ」  
言葉は力だから、言葉は魔法だから、単なる洞窟でさえ城になる。  
私たちはプリンスとプリンセスになり、一日で国外退去させられた。家に強制送還  
されたのだ。  
あそこは危険だからと口をすっぱくして言う親をよそに、兄は私にこういった。  
「未来の俺に、なんか送れよ」  
タイムカプセルを作るというのだ。  
「俺も未来のお前に送るから」  
ルーズリーフ一枚分のメッセージと、当時流行っていたレアカードなどを缶に詰め  
込んで、裏山の洞窟の奥深くに埋めた。それから一年も経たずに洞窟は土砂崩れ  
で埋め立てられてしまった。つまり私たちの未来は閉ざされたわけだ。  
 
雨が涙を洗い流す。買い物に出かけたことを忘れていた。今更何を作るという  
のだろう。どんなに一生懸命作ったって、兄は同級生にそれを見せつつ、バカ  
笑いしつつ、食べきるのだ。  
ばかだな。分かってたはずだ。兄が誰かを好きだなんて。  
 
家に帰った私に、兄は大変なら弁当作らなくてもいいぞと言った。  
兄なりの心遣いだった。でも私は断った。お料理が上手くなりたいから。  
兄は無下に断らず、じゃあ明日から頼めるかと訊いてきた。私は頷いた。  
「でもたまには弁当に悪戯書きしていい?」  
兄の挙動がまたおかしくなった。  
「『I LUV U』とか書いていい?」  
兄は困惑して、「マジで?」と言ってきた。  
「冗談っ!」私は笑った。  
「あはっ、あはっ、あははははっ!」兄は何か不安を吹き飛ばそうと笑い続けた。  
次の日、「お兄ちゃん好きだよ」とさくらでんぶで書いたメッセージを、兄は速攻  
お箸でぐしゃぐしゃにしつつ苦笑いを浮かべたという。ご飯は食べる前からぐちゃ  
ぐちゃ。目の前の女子は兄の行為に疑問符をつけて、兄はもっともらしくこう答え  
たという。  
「実は俺の親チョーおしどり夫婦でさ。父さんの弁当持ってきたんだよ」  
「えっ? でも母子家庭じゃなかったの?」  
「だっだっだだっだ」  
兄妹揃って嘘が下手らしい。  
 
「で結局、妹さんに作ってもらってるんでしょ?」  
 彼は頷く。「おいしい?」  
 彼が大きく首を縦に振る。そのあまりの図太さ苦笑した。  
「そっか」  
 妹さんの悪戯は一週間に一回の割合であるらしい。今日お弁当に桜でんぶが仕掛  
けられていたのが私にバレて、初めて事情を説明してくれた。妹さんが毎日お弁当  
を作ってくれていて、たまにお弁当の中身に他人に見せられないような文字が書か  
れてあるということ。やめるようにいっても「これは芸術なんだよ」と軽く拒否さ  
れてしまうから最近では言うのも諦めていること。  
 妹さんが兄離れできていないから悪戯するのだと、彼は結論付けていた。  
「意味わかんねえだろ?」  
 私は微笑んで、頷いた。  
「うん。何でだろうね……ライバルは身内にあり、か」  
「ん? 何が?」  
 つい呟いてしまったらしい。私は急いで訂正した。  
「ううん。何でもない。あ……私もお弁当、作ってきてあげようか?」  
「えっ」  
 彼が少し吃驚して、声を上げた。「駄目だよ。お前、今が一番大切な時だろ」  
「大丈夫。たまにだったらいいでしょ? それくらいの時間、作るから」  
「……」  
「駄目?」  
 彼は少し黙って、そして言った。  
「駄目。お前凝り性だし、絶対無理するよ」  
「し、しないもん」  
「するよ」  
 図星だった。私が気合を入れて料理するだろうことを、彼は見抜いていた。当  
然だ。どうでもいい料理なんて作りたくない。どうせ作るなら、美味しい物を作  
りたい。だけどそうするためには、準備が必要だ。慣れていない私には尚更、時  
間が取られてしまうだろう。  
 改めて彼の表情を見ても、許してくれそうにはなかった。  
 その時、彼の声がした。  
「お願いするにしても、一週間に一回くらいかな」  
 いつのまにか、彼は口を緩めて笑っていた。なんというニヤけ顔。もともと  
許すつもりだったかのような──  
 その後、喜びのあまり彼に抱きついてしまったことを付記しておく。屋上とはいえ  
他の学生もいたから、彼は恥ずかしかったに違いない。  
 ごめんね。  
 
 
おまけ(兄に彼女がいなかったら.ver)  
 
あれから一年が過ぎて、私達は高校生になった  
私は相変わらずお弁当を作っている  
兄は相変わらず弁当を忘れてゆく  
だから朝、兄に告げる  
「今日は入ってないから安心して」  
その時の兄の顔がまた微妙で  
妹を信じられないようなのだ  
確かに、私もそういっては何度となく兄を騙し  
特大のおかずを弁当箱の底に滑り込ませてきた  
兄が口を半開きにさせて、妹を変な目で見るのはもっともだ  
だけれど  
私はそんな兄に笑いかける  
「ちゃんと食べないと、元気つかないよ?」  
赤面する兄を見て、小さく笑う  
 
私達の関係は、もしかしたらずっと  
このままかもしれないけれど、でも  
いつか告白したい  
その前に、兄が私を好きになってくれたらいいな  
わざと忘れられた弁当箱を持って  
兄の背中を追いかける  
忘れ物だよ  
バカ兄貴  
 

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