〜粉砕天使ナツメ 第四話 前編〜  
 
――――――ピピーーーーピッ!  
 
揺らぐ水面に照り返っては踊る真夏の太陽。響き渡るホイッスル。時折通り過ぎる入道雲が白いタイルを灰色に染めては去って行く。  
セミたちが喧しい恋文を叩きつけ合う中、荻沙女子校のプールでは鍛え抜かれた小麦色の肌が虹を描き波間を踊っていた。  
 
「ねぇねぇー。アッチーは聞いた?先週、隣の学区の………あー、ホラなんつったっけ……」  
 
「雛菊女学院」  
 
「そうそう!そこの天文部の女子全員が例の化け物に襲われたって話。アレやっぱマジだったらしいよー」  
 
「うっそー」  
 
その一角、更衣室前に陣取る三人の女子生徒。お盆開けに県大会を控え鍛錬に余念の無い他の部員たちを尻目に、彼女たちは噂話に御執心だった。  
話題の主役は言うまでも無い。昨今、世間を騒がせている異形の化け物。他ならぬデスパイアだ。  
 
「やっぱホラ、襲われるって言うと、そのー……、アレされちゃったワケ?」  
 
「って言うかウチらも実はヤバくね?一学期んときも何か急に来なくなっちゃった子、学年にも何人かいたじゃん?不登校とか病気とかじゃないのにさァ」  
 
「C組みの美原とかもそーじゃん。なんかセンセーたちも話し逸らすし。ぜったいアレだよ、アレ」  
 
噂は噂を呼び雪ダルマ式に膨れ上がっていく。デスパイア絡みのニュースがお茶の間に届けられるようになって既に久しいが、その一方で、被害の具体的な内容、場所などは、被害者のプライバシーや精神的苦痛に配慮して一切伏せられるのが慣例となっていた。  
情報の提供はもっぱら出現地点の近隣住民のみに絞られ、それも警察官や保健所職員による戸別訪問という徹底ぶりである。話に尾の一本や二本がついて広まっていくのも致し方無しと言えた。  
 
「マイっちあたりなんか特に気をつけないと。今日の帰りあたりにさ、一人になったところでふと振り返ったら、そーこーにーはー………ッ」  
 
「きゃー、変態さーん」  
 
両手の指をワサワサと動かして迫り来る悪友をペシペシ叩いていた時だった。  
 
――――――ピピピーーーッ、ピッ、ピッ、ピーーーッ!!!  
 
「こぉーら、そこのサボリ魔三羽烏!!アンタたちメドレーのタイムまだ計ってないでしょーがァー!!」  
 
けたたましいホイッスルと共に逞しい声の少女が迫って来た。競泳水着から突き出る鍛え抜かれた肩が、彼女が相当な猛者である事を周囲に誇示している。  
 
「うげ。副部長閣下のお出ましにあらせまーす……」  
 
叱責された三人は慌ててタオルを払いのけ、スイムキャップを拾い上げる。  
 
「ホラ、ホラ、ホラ!もう残ってるのアンタたちと補欠組だけよ。上が緩むと一年にも響くんだからね。噂話はオバンになってから好きなだけしなさい」  
 
「ははァー。閣下の仰る通りにてー」  
 
副部長に急かされて三人はダラダラと立ち上がり、折り曲げていた背筋を目一杯伸ばした。紺色の化学繊維に押し包まれて広がる乳房が、彼女たちの健康な育ちぶり存分にアピールする。  
左右の足首を交互に回してよく解し、水泳帽とゴーグルを被ろうとしたその時だった………。  
 
「………アレ?」  
 
「ん?」  
 
サボリ魔二名が空中を睨むようにして立ち尽くす。  
 
「ほーら、ちゃっちゃとしなさーい!」  
 
「あーいや。副部長、ちょっとタンマ」  
 
「………………?」  
 
マイっちと呼ばれていた部員が顔の高さに右手を広げ、手の平の何かを確かめるようにしきりと指を動かしていた。  
 
「なんか………降ってない?」  
 
「降ってる?」  
 
他の部員たちも気が付いたようだ。傍にいた者と口々に言葉を交わしながら、周囲を不思議そうに見渡したり、虚空の何かを掴み取ろうとしている。  
 
「……――――――ホントだ」  
 
そう、確かに降っている。キラキラと金属片のような輝きを放つ、黄金色の粉末がプールサイドに降り注いでいるのだ。  
 
「なんだろ、これ?」  
 
「…さァ?」  
 
薄っすらと手に積もるその粉末は、幾ら記憶と知識を手繰り寄せても該当項目が見当たらない。  
周囲で建設作業など行っていないし、花火が上がるようなイベントも開かれていない。発生源を突き止めようと上空を見上げても、生憎そこには真夏の太陽。逆光のお陰で何ひとつ確認できなかった。  
 
「あれ………?アッチー、なんか顔赤くない?」  
 
「へ?」  
 
指摘された部員の内一人が友人の方を振り返る。確かに赤い。それに心なしか息も荒いようだ。  
 
「ってゆーか、マコも」  
 
「え、マジ?」  
 
ニ、三分ほどが経過し水面にも浮かぶ粉が目立ち始めた頃、ようやく彼女たちは自らの身体に芽生え始めた異変に気がつく。  
高まる鼓動に渇く喉。上気した頬に何やらムズムズする内股。彼女たちの戸惑い無視して、降り注ぐ粉末は更に密度を上げ、プールサイドは淡い金色のカーテンに包まれたかのような様相を呈していた。  
 
「み、みんな!一旦全員プールから上がって!順番にシャワーでこの粉を洗い流すのよ!!」  
 
上級生の指示を待つまでも無く、覚束ない足取りでシャワーへ蛇口へと急ぐ部員たち。太腿も二の腕も桃色に染まり、熱気に浮かされる腰はカタカタ震えている。  
一番手の少女が蛇口を捻り、無数の水滴を降り注がせる。しかし誰が知っていようか。事はその時既に手遅れだったのだ。  
 
「ひ、ひやあぁぁーーーーーーーーっ!!」  
 
「えっ!?」  
 
「なっ……―――――なに!?」  
 
シャワーの下から突如上がった艶やかな悲鳴。一人の部員がその下にうずくまり、両腕を交差させその身を抱き止め震えている。  
あまりにも敏感になっていた肌を水流が撫でたその感触に、軽く達してしまったのだ。その様子を呆気に取られて遠巻きにする部員たち。その中の一人がまた、今度は驚きの声を上げた。  
 
「ちょ、ちょっと……マコ、それ……」  
 
「え……?あ………!」  
 
指差された少女が慌てて両手を胸に持って行く。なんと彼女の乳首が硬くシコってそそり立ち、水着の生地を内側から持ち上げエロティックな突起を浮かび上がらせていたのだ。  
彼女を皮切りに、他の部員たちも自らの乳房の変化に気づき、恥ずかしげに胸を庇う。  
競泳水着の下には通常パッドが左右一枚づつ入っているというのに、それさえも通り抜けて浮き出てしまうほど、彼女たちの突端はピンと尖り、そのありさまを周囲にひけらかしていたのだ。  
 
「ど、どうして!?一体何?」  
 
自分達の身体は今、絶対普通では無い。  
 
「や、やだ……。なんなのよ…、これ…」  
 
「ちょ、……ちょっと誰かタオル。私、気分悪い……」  
 
モジモジと内股を擦り合わせ始める部員たち。誰が最初かは分からない。一人が始めたのを引き金にして、彼女たちは次々と太腿を揺すり始めたのだ。  
出っ放しになったシャワーの音に混じって微かに聞こえる肌と肌の摩擦音。そのスリスリという囁きは徐々に二重奏になり、三重奏になり、その音源を時間と共に増やしていく。  
 
「ちょっとヨーコ……!あ、あんた一体なにやってんのよ!?」  
 
「………ふぇ!?で、でも……っ」  
 
ヨーコと呼ばれた少女は惚け切った顔で狼狽する。浮き出た乳首を隠していた手の平で、自分でも気が付かない内に、やわやわと乳房を揉んでいたのだ。  
指摘され慌てて止めるが、胸に残った切なさが彼女をキュンと急かす。内股を動かすたびに股間に食い込むハイレグカットの生地が、余りにも気持ち良すぎる。  
 
「な……っ、なん、なの……一体、これ……」  
 
「はぁ…、はぁ、はっ、………ん、んくっ!わ、私もう……ダメ…」  
 
こんこんと溢れ出る脳内麻薬に耐え兼ねた一人が、遂に水着の肩紐から両腕を引き抜く。束縛から解放されて飛び出した自らの乳房に、両手の指を食い込ませて鷲掴みにし、さらなる歓喜を味わうべく揉みしだき始めた。  
ギョっとして眼を剥く部員こそ少数いたが、もうその行為を咎めまでする者は皆無だった。我慢のボーダーを踏み越えてしまった数名が遂に股間へとその手を伸ばす。  
 
「んふ、ん、はァ………っン…」  
 
「あ……、ひぅ…」  
 
片手で水着越しに乳房を愛撫しながら、人差し指と中指を器用に使って股間を縦断する生地を持ち上げ、か細い指先をその下にスルリと潜り込ませる。待ち構えていたのは真っ黒な茂みと奮え立つ肉芽。  
その下で弛緩していた桃色のヒダを指の腹で撫でたその瞬間、規定貯水量を超えたダムが放水を始めたかのように、彼女たちの全身を快楽信号が駆け巡り股間から愛液が流れ落ちた。  
 
「ひぁ……、ひ、ひもち、いぃ……」  
 
少女の欲望が生乾きの競泳水着を潤す。伸縮性に富んだ群青色の薄地は、その最下部を黒々とした湿っぽい輝きへと塗り変えられ、塩素の消毒臭に満たされたプールサイドに妖しい芳香を漂わせ始めた。  
余りの気持ちよさを堪えかねて膝を折り、タイルの上に転がって全身を弄り出す者。誰が号令した訳でもなく二人組みになって、互いに口付けを交わしながら、身を寄せ合い欲望の赴くままにまぐわう者。  
いかに遊泳能力に長けた彼女たちであろうと、誰一人として、その痴態の海から這い上がって来る者は居ない。  
 
「あ、あ、あ、あ、あ、………ひぁぁぁぁぁぁあンっ!!!」  
 
絶頂の深みに意識が引きずり込まれる刹那、少女たちの瞳は何か巨大な飛行物体の影を捕らえていた。  
 
♯  
 
僅か数分前まで広がっていた健全そのものの光景を跡形もなく消し飛とばし、歓喜と禁忌に染め上げられた肉林の宴は盛りを増していく。  
津波の如き快楽が少女たちの理性を欠片たりとも残さず洗い流したのを認めると、遥か上空で様子見に徹していた主催者たちは、ようやくその高度を下げ、宴の舞台へとその姿を現した。  
 
真夏の日差しを遮るその色は青。いかなる青よりも青い、蒼穹に吸い込まれて消えてしまいそうな翼。  
自分を抑える術を喪った少女たちに見入る巨大な真紅の複眼。頭頂部から突き出た杓子状の触覚に、ネジのように巻かれたストロー形の口器。そして巨体を支えるのは六本の脚。  
 
――――――蝶だ。  
 
グライダーのような大きさの、まるで空そのものが降りて来たかの如く巨大な蝶。  
青一色の翅をはためかせ、一羽、二羽、三羽と、みるみる内に十数羽もの蝶型デスパイアがプールサイドに降り立つ。  
爛々と輝くその視覚器官が、水揚げされた魚のようにもがいている少女たちを見据えた。哀れな獲物は既に正気を失い、もはや逃げようともせず一心不乱に自慰行為に励んでる。  
感情を宿さぬ昆虫の複眼に、微かな笑みが広がったかに見えた。  
 
「あぁ……、らめぇ、…じゃま、しない、……でぇ…」  
 
途切れ途切れに発せられる懇願を無視しながら、各々手近な部員に覆い被さるデスパイアたち。細い脚が水着越しにその柔肌に触れる度に、細く切ない喘ぎが返って来る。  
 
「…………………」  
 
デスパイアたちは終始無言だ。ただの一言も発さぬまま、発声器官を宿さない管状の口器をゆっくりと伸ばす。狙いは一箇所。即ち少女たちの股座。  
しどしどに濡れた水着と一緒にその下のスイムサポーターをずらし、引っ繰り返った軟体生物のように震える割れ目を白日の下に曝け出す。  
 
「ひぅ、ひうぅ………」  
 
自らが巨大昆虫に組み敷かれていると言うのに、少女たちは抵抗ひとつする気配が無い。まるでその行為しかプログラムされていないかのように、己の性感帯を撫で回し、愛撫し、狂ったように慰め続ける。  
そんな彼女たちの下半身デルタに、ストローの先端は到達する。そして……。  
 
――――――――ちゅる……。  
 
「ひぁう……っ!!」  
 
粘度の高い液体が吸い込まれる卑猥な音。蝶型デスパイアの軍勢は次々と、取り付いた少女たちの股間に溢れる愛液を啜り始めたのだ。  
 
ちゅる……ずず……、ずる………ずずずぅ〜。  
 
肉のヒダから溢れ出る潮を瞬く間に貪り尽くし、僅かに残った愛液を求めてその周囲を探り出す吸引管。しかし既に少女たちの股にお目当てのスープは見当たらない。  
僅か十秒足らずで前菜を平らげてしまった客たちは、横暴にもまだ奥で控えている主食を求めて口を伸ばす。そう、少女たちの一番大切な場所へ。  
 
――――――――くちゅ。  
 
「……ふえ!?」  
 
自慰に勤しむ少女たちの手を強引に押し退け、デスパイアの吸引器が肉洞の入り口へと宛がわれた。  
何が始まろうとしているのか判らず、手持ち無沙汰になった手で、咄嗟にその肉管を掴む少女たち。  
次の瞬間、そのベトベトの一物は指の中を滑るように前進した。  
 
――――――――ずちゅ。ずぶずぶず………。  
 
「ひッ、あぁぁぁぁぁぁぁあン!!」  
 
突き立てられる腐肉の筒。プールサイドは無数の歓喜とも悲鳴ともつかぬ嬌声で溢れかえる。  
自らの胎内に深々と喰い込む吸引管を握り締め、瑞々しいその身を波打たせるた少女たち。その姿からは行為を拒絶しているのか歓迎しているのかさえ判別できない。  
 
一方のデスパイアたち。稀代の美酒で満たされた空間に突入を果たした彼らの口器は、思うが侭に愛液を啜り上げ、食欲と性欲の二大欲求を同時進行で満たしていく。  
空気を揺るがして触角に伝わる獲物たちの悲鳴は、感情らしい感情を持たぬ彼らの下等な脳さえも、サディスティックな歓喜とエロティックな興奮で埋め尽くす。  
 
「んぁぁあ!んくーーーーーーー!!」  
 
「ひゃっ、ひゃあっ!だ、だめへぇ……!もう、吸っちゃ……だめへぇぇぇ!!」  
 
小さな肉壷を満たしていた愛液を存分に吸い尽くし、僅かな余液を求めて膣粘膜を内側からチュパチュパ啜る吸引管。およそ人間の男を相手にしている限り一生味わう事の無いであろうテクニックに、部員たちは転げ回りよがり狂う。  
性器に挿し込まれた肉管は、その狭い洞窟の内壁から僅かづつ湧いて出る宝の雫を、岩の隙間から流れる一筋の水にすがる飢餓者のように舐め尽し、穢れ知らぬ犠牲者の貞操を無慈悲に踏みにじった。  
 
「はっ、はっ、はっ……あ!いあぁぁぁぁぁーーーーーーアっ!!」  
 
「やだっ、来ちゃう、来ちゃう、来ちゃ…………ひアァァァァァァア!!」  
 
生命の危機を訴えるような甲高い悲鳴に、周囲の鳥たちが慌てて飛び立つ。反り返った背筋に、ピンと張り詰めたまま開く足の指。そして揺らぐ炎のように真っ赤に染まった頬。  
媚薬と吸引の相乗効果で絶頂を迎えてしまった少女たちの股間からは、鉄砲水のような潮が噴き出し、キラキラとアーチを描いてプールサイドに飛び散る。  
その残滓めがけて我先にと殺到する蝶の群れ。噴出量の多い部員には何体ものデスパイアが群がり、その穴には複数本の口器が挿し込まれ、狂気のバキュームプレイは際限なく加速する。  
 
「ひあぅぅぅぅぅぅうーーーーー!!」  
 
「よすぎるぅーーーっ!よすぎるぅぅぅーーーーーっ!!」  
 
僅か数分にも満たない間に、生徒たちはオルガスムスの極致を味わされ、精力の限界に達した者から順にタイルの上に突っ伏していく。  
閉じられた目尻には恍惚の涙。悲鳴を上げる肺は彼女たちが日頃行う50メートルや100メートルの遊泳と掛け離れた、この行為の運動量を物語る。  
 
「あ………あぅ…」  
 
ズポリと嫌な音を立て、枯れ果てた肉壷から吸引管が引っこ抜かれる。一人、また一人、絶頂の向こうの桃源郷に危うく行きかけた娘達が大の字に伸び果てた。  
徐々に喘ぎ声も減っていく中、不幸にも持久力に長けていた少女達が延々と腰を振り続けているの。だが、その数も数分と待たずに片手で数えるほどになり、そして遂に……。  
 
「あ、あ、あ、あ、ア………アぁぁぁぁぁぁぁン!!!」  
 
今までで一際大きな艶声が白い校舎に木霊する。限界まで乳首のそそり立った胸を豪快に海老反らせ、最後の一人がようやく力尽きた。  
プールサイドを所狭しと埋め尽くす水着と肌。緩やかに膨らんでは萎む胸部が、辛うじて彼女たちが生きている事を証明している。  
およそ真夏の太陽の下では冷めるはずの無い火照りを、少女たちはただ湿った風の撫でるがままに任せていた。  
 
「………………」  
 
一方、遅めの朝食を終えたデスパイア達は引き抜いた吸引管をスリスリと前脚で払いながら、ベトベトの余剰物を丹念に拭き取り元のゼンマイ状にと無言で畳み戻していく。  
食後の手入れが終わると彼らの視線は再び女子生徒たちへ。  
大きな翼を存分に広げたデスパイアは、横たわる水泳部員たちの中から各自一人を選び抜くと、六本の捕脚で優しくその身体を抱え込む。そして……。  
 
――――――――ブワリ。  
 
力強く羽ばたくと、人間一人抱えたその巨体はまるで魔法のように浮かび上がり、二度目三度目の羽ばたきでみるみる内に上昇。  
一羽、また一羽とデスパイアが離陸。青一色の翼は真夏の蒼穹にと溶け込み消えて行く。  
バケモノ達が去って行ったプールサイドは先程までの乱痴気騒ぎが嘘のように静まり返り、取り残された少女たちが恍惚の残り香にその肌を奮わせながらまどろんでいる。  
 
襲撃開始から僅か十五分。救急隊員が駆けつけた時には、既に十数名もの女子部員が連れ去られてしまった後だった。  
 
♯  
 
ずるずる………ずずずずずずーーーーーーっ、ずちゅる!!  
 
精神衛生上よろしくない効果音と共に、麦を捏ねて湯掻いた紐状の食物が綺麗な唇の間に吸い込まれていく。向かいの席に腰掛ける二人の少女は片や苦笑い、片や仏頂面でそれに応えた。  
 
「ぷはァ〜、生き返るぅ!わざわざ遠出した甲斐があったってモンよ」  
 
ここは大手蕎麦チェーン店“原井亭”の一店舗。キンキンに冷房の効いた店内で、灼熱天使ことマルーシャは大変上機嫌であった。  
 
「あのー………」  
 
「ン?なにかね藤沢クン?」  
 
自信無さ気に軽く挙手し質問しているのは粉砕天使ナツメである。  
 
「どうして作戦会議が国道沿いのソバ屋でなんですか?」  
 
黒髪の少女は至極尤もな疑問を口にした。  
 
「せっかく日本に来てるんだからソバが食べたーい、って誰かさんがゴネるのよ」  
 
その隣で頬杖を突きながら答えるのは葬送天使エミリア。その態度からは食欲の無さがアンニュイなオーラとなって全方位に放たれている。  
 
「なに言ってンの二人とも。日本に来たら、寿司!蕎麦!!芸者!!!やっぱこの三大グルメはガッチリ押さえておかないと、そりゃ奥さんモグリってヤツですよ」  
 
「最後のひとつは食べない方がいいと思うわ。個人的に」  
 
展開される独自の日本観光論に冷静なツッコミを入れながら、彼女は油揚げを一枚どんぶりの中から拾い上げた。  
 
「マルーシャさん、おソバくらい家でも簡単に作れますから。呼んでくれれば湯掻きに行きますよ?」  
 
ついでに作戦会議もそこでやれば…、と言外のメッセージも込めてナツメは提案する。天使の作戦会議と来れば、議題は結局デスパイア関連に他ならない。  
要するに、どんなに眉間にシワを寄せ大真面目に取り組んでも、困った事に怪しい会話へとなってしまうのだ。まあ、その、……とりあえず泣きたい。  
 
「いや〜、ウチまだ荷解き完了して無くってさ。フライパンもトースターもどっか埋もれてるンよ」  
 
「あのアパルトマン、もう入居してから結構経つわよねぇ……マルー?」  
 
「細かいこと言いなさんなって。そんなんじゃ白髪も増える一方だっての」  
 
―――――――ずずずずーーーーーーーちゅるッ。  
 
「元から全部白いわ。お陰さまで」  
 
少女ナツメのささやかな願いを気にも掛けずに踏み倒し、矢継ぎ早に放たれるエミリアの的確なツッコミを大鉈で捌きながら、マルーシャは再びとろろソバを豪快に吸引する。  
午後も既に二時半を回り食事時を外れた為、幸い店内に他の客は見当たらない。  
カウンターの向こうで定員が変な視線を送って来るような気がしたが、まあ、見知った顔でないのは日頃の行いを見ていてくれた神様の采配かもしれない。  
ちなみにソバにはフライパンもトースター使わない。念のため。  
 
「ああ、言っておくけど私の部屋もNGよ。ゆうべ下の階の住人がクサヤなんか焚いてくれたものだから、今日一日は換気作業。……思い出したらまた腹立ってきたわ。訴えてやろうかしら」  
 
アンニュイ・オーラを俄かに殺意の波動に変えエミリアが呟く。ナツメの意図に彼女は気づいていたようだが、既に意識の矛先はおかしな方角へ向けられている。  
残念ながら、このテーブルに新米天使の味方は居ないようだった。  
 
♯  
 
「ほんじゃ、落ち着いたところでおっ始めると致しますか」  
 
二杯目のどんぶりを半ばまで平らげた所で、ようやくマルーシャは切り出した。  
既にデザートの白玉団子へと取り掛かっていたナツメが、慌てて居住まいを正す。  
 
「取り敢えずは報告だな。ユイの足取りは未だ掴めず。ついでにこの一週間、各種交通機関の監視カメラにもアイツの姿は映ってない」  
 
「つまり、この雛菊市ないし近辺から動いてないと見て間違い無いわね」  
 
「ああ。と言うより動く気が無いんだろうな。あの馬鹿ちんは今もこの街に潜伏してる。狙いは勿論、解ってるなエミィ?」  
 
「……………ええ」  
 
暫しの沈黙がその場を支配する。そして。  
 
「まァ、欲を言えば傷が癒える前に叩いて置きたかったんだが、この際しゃーないわな。どの道デスパイアである以上“食事”を摂らなきゃ体が持たない。  
遅かれ早かれ必ず馬脚を出すさ。時が来るのを待つ他に無い。情報は一応、他のエンジェルにも行き渡ってるしな。なんかありゃ一報が来るハズだ」  
 
「………止むを得ないわね」  
 
苦々しげにエミリアが応えた。  
確かに。警察組織でもない彼女らに、この広い雛菊市一帯で潜伏中の一個人を炙り出すのは不可能に近い。  
加えてデスパイアの接近を感知するクリスタルの機能も、人間の皮を被ったユイには無力だ。ましてや相手はタダでさえ隠密性に長けている。  
 
「納得頂けたなら、こないだみたいな突っ走りはもう勘弁してくれよ。エミィ」  
 
「胆に銘じておくわ」  
 
鋭い視線で釘を刺すマルーシャを真正面に見据えながら、噛み締めるようにエミリアは返す。  
そして…、交錯する瞳と瞳の傍らで、その横顔を所在無さ気に見つめるナツメ。どうもユイの話になると、彼女はある種の疎外感を感じてしまう。  
自分には無い、共に死線を潜り抜けて来た歳月と絆の重みというモノを、オブラート無しで意識させられてしまうのだ。  
 
「………あのー」  
 
居心地の悪さに、ついつい声を挟んでしまう。  
 
「ン?」  
 
「それで、もう一方のもの凄く大きかったデスパイアはどうなってるんですか?」  
 
「あー、あのデカブツの方か」  
 
マルーシャは渋い表情でこめかみの辺りを小突いた。  
 
「ヤツに関する情報は不気味なくらい出てこない。まるで初めッから居なかったみたいにパタンと消えちまった」  
 
「あれだけの巨体で大したものね」  
 
エミリアの率直な感想にナツメも同感だった。そもそもこの乱開発のメッカみたいな雛菊市に、あんなバケモノを収納できるスペースが残っていた事自体が何より驚きだ。  
 
「あーでも、街の東端の方って丘陵続きで貯水池とか結構あるから、ひょっとしたら……」  
 
「わり。そっちもう調べた」  
 
「あ、そうですか………」  
 
一言で打ち払われナツメはシュンとしぼんでしまう。  
仕方が無いと言えば仕方が無い。マルーシャもエミリアもベテランだ。街全体を俯瞰できる地図が一枚あれば、奴らの隠れ家などおおよその見当は付くのだろう。  
その二人がこうして音を上げているのだから、なかなかどうしてルーキーの出番は回ってこない。  
 
「結局、奴に関しても迎撃を基本方針にするしか無さそうね」  
 
「ああ。悔しいがそもそも城攻めにゃあ戦力が圧倒的に足りない。警戒レベルを上げながら通常業務。つまり他のデス公どもの掃討だな」  
 
「マルー、貴方って結構顔が利くわよね。情報屋の連中にも何人か声掛けといてくれると助かるんだけど…」  
 
「オーライ。了解だエミィ」  
 
エミリアの言葉に頷き、マルーシャはオーケイサインを出すと蕎麦との格闘を再開した。しかし。  
 
「でも……大丈夫なんですか?」  
 
「ンあに?」  
 
動き出した箸はナツメの質問にピタリと止められる。  
 
「たくさんの女の人達があのデスパイアに捕まってるんですよね。その人たちは……その……、アレされ過ぎて命に関るような事になったりしたら………」  
 
「あー。ほれねえ…」  
 
質問の矢面に立たされたマルーシャは、麺を唇から半ばぶら下げたまま、クイっとエミリアを顎で指し代役を求める。  
 
「えーとねぇ、まず最近のデスパイアは獲物の命を無闇に奪ったりはしない傾向にあるわ。もっとも、それが襲われる側にとって幸か不幸かは判断しかねるけど……」  
 
「あー、確かに以前と比べてデス公どもの数がシャレにならないほど膨れたからね。皮肉にもソイツが逆に抑止効果ってヤツを生んでる」  
 
慣れた様子でエミリアは解説を始める。ハムスターよろしく蕎麦を頬に収納したマルーシャが、続けて補足を加えた。  
 
「抑止…効果ですか?」  
 
「そ。自分の縄張りに住んでる女を徒に殺すようなマネは、今や連中にとって自殺行為だ。要は“資源を大切に”って事だね」  
 
「まったく、とんだフェミニストたちよ」  
 
要するに、食事の度に女を殺していたのでは持たなくなったのだ。だから現在、連中はテリトリーを築き、他のデスパイアを排除して自分専用の魔力の供給源を“確保”する。  
縄張りの中の女を減らすような行為は自分の首を締めるに等しいのだ。  
もっとも、彼らの居城となった街は堪ったものではない。病院は化け物に辱められた女性たちで埋まり、失踪事件は続発する。次に襲われるのは自分か家族かはたまたクラスメートか。  
人々はそんな空気の下、戦々恐々として生活を強いられる事になるのだから。  
 
ごくりと思わずナツメは唾を呑む。冷房から吹きつける風が酷く冷たくなった気がした。  
 
「でも、のんびり出来ないのは今も昔も一緒よ。条件に恵まれた縄張りには侵入者が付き物だから。二人とも、これを見て貰えるかしら?」  
 
「………?」  
 
そう言ってエミリアはパチリと箸を置き、ハンドバックから一包みの茶封筒を取り出した。  
 
♯  
 
「うわー。すっごくキレーな蝶……!」  
 
机の上に広げられた写真を目にするなりナツメが歓声を上げる。  
 
「おーいナッちゃん。よーく見てみろやい」  
 
「……へ?」  
 
マルーシャの指摘を受け、再度写真を覗きこむこと数秒……。  
 
「え、あ……?うわっ。なんかこの蝶、大きさ絶対ヘン!!」  
 
表情を目まぐるしく変化させながらナツメは素っ頓狂な声を張り上げ慌てふためく。  
無理もない。写真の中に収められた青一色の翼を持つ美しい蝶。それが掴まって羽を休めている物体は、なんと電信柱だったのだから。  
初見ではてっきり木の枝とばかり思っていたが、間違いなくこれはそこら中に立っているコンクリートの塊である。  
 
「長距離飛行能力を持った昆虫型デスパイアの一種。通称ゼフィルス・タイプよ」  
 
「デスパイアって事はつまりそのー…。この綺麗な蝶も、うーん、なんて言うか……、エッチ目的なの?」  
 
「ええ。って言うかこのデスパイアの主食は、その、……女の人のアレで……」  
 
「……アレ?」  
 
しどろもどろになりながら小さな声で訊ねて来るナツメに、同じく小声でどもりながら何かを仄めかすエミリア。シリアス一色だった食卓がナニやら唐突に変な色合いを帯びてきた。  
 
「愛液よ、愛液。ナッちゃんやエミィみたいな子のアソコにストロー突っ込んで、ずずず〜って愛液を御召になるワケ」  
 
挙動不審な二人を無視して豪快に言い放つ灼熱天使。唇の端をヒクつかせる彼女らの前で、マルーシャはずずず〜っと丼の底に残っていたとろろを啜り上げる。  
そのイケナイ単語と効果音の完璧なコンビネーションに、粉砕天使と葬送天使の食欲は90%の減退を余儀なくされた。  
 
「マルー……貴女はもっとこう…、デリカシーってモノをね……」  
 
まあ、伊達に置き場所に困るような有害図書の巻末に名を連ねてはいない。周囲の様子を伺いながら、エミリアは渋い顔で心からのアドバイスを送る。  
 
「こんなに綺麗な蝶なのに、色々台無しな感じ……」  
 
一方のナツメはデスパイアの写真を眺めながら、こちらはこちらで少々ズレた感想を口にしていた。  
 
「いーじゃん、他に客なんかいないんだし。細かい事言い出したら地球も回りませんよー。ほらエミィさんや、次、次」  
 
デスパイア・ゼフィルスの写真に没頭しているナツメの皿へと爪楊枝を伸ばし、白玉団子を失敬しながら続きを促すマルーシャ。そんな戦友に呆れながら、エミリアが封筒から数枚の写真を取り出す。  
 
「えーと……これは?」  
 
写っていたのはピンポン球のようなクリーム色の球体。どちらが上下ともわからない写真を卓上クルクル回しながら、ナツメが質問する。  
 
「勿体ぶっても仕方ないから簡潔に言うわ。ずばり、ゼフィルスの卵よ。北九州で救出された被害者の子宮から見つかったわ」  
 
「……………」  
 
ナツメの奇麗な顔からサッっと血の気が引く。ついでに白玉団子を丁度頬張ったマルーシャの顔も歪む。  
 
「おいエミィ、今のタイミング絶対ワザとだろ?なァ?」  
 
「何のことかしら?」  
 
「畜生。今度、二十四時間ぶっ通しで“死霊の盆踊り”鑑賞させてやるからな。この外道」  
 
ワケの分からぬ恨み節をボソボソ並べるマルーシャを捨て置き、エミリアは講義を続けた。  
 
「ゼフィルス・タイプは通常、女王を頂点とする血族集団を構成しているの。さっき見せたのはワーカー・ゼフィルス。働きアリをイメージして貰えばいいわ」  
 
そう言ってエミリアはワーカー・ゼフィルスを写した写真を何枚か並べて見せる。  
夕日をバックに飛翔している姿や二階建住宅の屋根の上に止まっている写真。風船を追っかけて飛んでいるメルヘンな物から、大仏にしがみ付いているシュールなショットまで実にバリエーション豊富だ。  
 
「もう一方のクイーン・ゼフィルスは飛行能力を持たないわ。最初はワーカーと同じ姿をしているんだけど、結婚飛行が終わって巣作りが完了すると腹部が肥大化して身動きが取れなくなるの。  
残念ながら写真は無いけど、そうね……、丁度シロアリの女王みたいな感じの格好をしてるわ。巣の中で邪魔になる翅は、クシャクシャになって使えなくなってるけどね」  
 
「うわ〜……。私、虫苦手なのに……」  
 
最初の歓声はどこへやら。これでもかと言うほど嫌な表情を作るナツメ。  
 
「ワーカーの仕事は“味見”した女性の中から母胎の適正がある子を選んでクイーンの許に運ぶ事。そして女王は運ばれて来た女性に数個の卵を産み付けて“苗床”にするの」  
 
店員の視線が無い事を確認すると、今の内とばかりにエミリアは一気に解説する。  
 
「ンで、卵はおおよそ5日から一週間で孵化。幼虫は苗床の子宮内で愛液を吸収しながら共食いを繰り返し三令まで成長。最期は女性器から半分だけ顔を出した状態で蛹になり羽化する。このサイクルが大体で一ヶ月だな」  
 
頬杖を付いて粗茶を啜りながら、最後はマルーシャが締め括った。  
 
「それで……苗床にされた女性は?」  
 
「その時点でまだ使えるンなら再利用だ」  
 
恐る恐る訊ねたナツメに、ピシャリと残酷な回答が叩き付けられる。無理もない。下級とはいえデスパイアという存在の戦慄すべき生態を再認識させるには十分な相手だ。思わず下腹の辺りを抑え座り直してしまう。  
 
「でも、幸い戦闘能力は大した事無いわ。ワーカーなんか普通の人間がバールのような物で殴り殺せた事例があるくらいよ。ただし、鱗粉にだけは要注意ね」  
 
「りんぷん?」  
 
「ええ、この翅から飛び散る鱗粉には強力な催淫作用があるの」  
 
夕焼け空を背に飛んでいる一枚が再び一番上に来る。なるほど。確かによく見れば、デスパイアの周囲を金色の粉のような物体が舞っているのが判る。  
 
「つまり、これを浴びちゃうとー………」  
 
「エロス暴走で抵抗どころじゃなくなっちゃうんよ。まァ、ウチら天使は幾らか耐性があるンだけど、過信は禁物さね」  
 
「……………うわ」  
 
「ついでに言うと、カップルなんかがうっかりこの粉を被っちまったりすると、それはもう大変な事になるそうな」  
 
何を想像したのか知らないが、真っ青だったナツメの頬が一転桃色に染まる。カメレオンも顔負けの早変わりっぷりを、マルーシャは悪戯っぽい笑みを浮かべて眺めた。  
 
「ちなみにエミィはねー、まだ新米だった頃似たような能力持ったキノコ型デスパイア相手にドジ踏んでさァ、危うくパンツを片脚まで脱いだトコで―――――…あッ、痛っ、いででで!」  
 
「………余計な事は言わないでよろしい」  
 
ドスの利いた声と共にマルーシャの爪先を靴の踵で容赦なく踏みつけるエミリア。他方、ナツメはと言うと、机の下で繰り広げられる東西冷戦を他所に、熱心な面持ちでゼフィルスの写真を代わる代わる覗き込んでいた。  
 
「………ま、まァとにかくだ。この不埒な虫ケラの目撃情報が、ここんとこ雛菊市で相次いでるワケよ。丁度先週辺りからだよな、エミィ」  
 
「ええ。ユイや例の巨大デスパイアも勿論だけど、こっちも放って置けないわ。まずは巣穴を突き止めなきゃ始まらないから、ワーカーが現れたらすぐに集合できるようにしといて頂戴」  
 
「つまり、そこから後を尾けるのね。エミィちゃん」  
 
「ご名答。間違っても単独行動は禁物よ。数は向こうの方が圧倒的に上だから。ここ、忘れないように」  
 
そう釘を刺すと、エミリアは湯飲みに茶葉を継ぎ足して湯を注ぐ。片やマルーシャはデザートメニューを手にとって左に右にと眺めだした。  
どうやら、本日の作戦会議はここでお開きという事らしい。ふと時間が気になり時計に目を遣ったナツメは………。  
 
「あッ、いけない!」  
 
「うお。どったんナッちゃん?」  
 
「病院行かないと!ハルカの面会時間終わっちゃう!!」  
 
ガタンと勢い良く立ち上がったナツメは、大急ぎでガサガサ荷物を掻き集め出す。  
 
「会計は立て替えておくから、早く言ってらっしゃい」  
 
「ごめんエミィちゃん。それじゃ!」  
 
「お、おう………いてらー」  
 
レジの女性の挨拶にも返事せず、慌しく店を飛び出していくナツメ。  
その後姿を半ば面食らったような表情で手を振りながらマルーシャは見送った。  
 
♯  
 
「あー……ハルカってのはナンだ、妹さんか何かかい?」  
 
「ええ。ナツメの妹よ」  
 
一人欠けて余計に静かになった店内で、メニューを眺めながらマルーシャは呟いた。  
 
「病院って言ってたな。ってことはやっぱりその子……」  
 
「多分、貴女の想像している通りよ」  
 
「そうかい」  
 
簡潔極まりなり遣り取りのあと、ハァと一息マルーシャは溜め息をついた。  
どれだけ天使が足掻いても、犠牲者の数は一向に減らない。つい先ほどまで自分の真正面に座っていた娘も、目の前で家族を蹂躙された一人だったというワケだ。  
 
「あの子、前に親御さんはもう死んだって言ってたぜ」  
 
「そうよ。彼女の目の前で殺されたわ。今は弟と一緒に叔父夫婦の家で世話になってるみたいね」  
 
「で。そんときナツメと妹を助けたのがエミィ、アンタかい?」  
 
「えぇ………」  
 
なるほど。ナツメがやたらとエミリアにベッタリな理由はそれか。彼女にとってエミリアは、単なるお友達や同志でなく、妹と自らの命の恩人でもあるワケだ。  
そしてそれは容易に憧れへと転化されていく。先刻、話題がユイに振られた際の、ナツメの落ち着きの無さもここに根があったのか。  
 
「そんじゃあエミィ、ウチらもそろそろ本題に入ろうか」  
 
「そう来る頃だと思ってたわ」  
 
マルーシャの方を真っ直ぐ見つめながら、エミリアはコトンと湯飲みを置く。  
 
「エミィ。今日の作戦会議、アタシはアンタだけを呼んだハズだよ。どうしてナツメにも声を掛けたんだい?」  
 
「彼女は天使よ。他に理由が要る?」  
 
「そこが問題なんだって」  
 
少々呆れ返ったような感じで金髪娘は頬杖を左腕に切り替える。  
 
「あんなウブな娘をデスパイア相手に戦わせるワケにもいかんでしょうに。そりゃユイ相手にあそこまで渡り合って見せたのは評価するけどさァ。やっぱり争い事向きの人間じゃないよ、ナツメは」  
 
マルーシャはキッパリと断言してみせる。幾多の戦場を越え、人の波に揉まれ培って来た彼女の観察眼は鋭い。こと人物評に関してはハズレ知らずだ。  
昔、エミリアがユイを紹介した時もそうだった。ユイの精神的な危うさを遠回しにエミリアへ警告していたのも、他ならぬ彼女だったのだから。  
 
「成長が楽しみな逸材だってのは認めるよ。だけど今のままじゃ十年後は愚か三年後も来ないね」  
 
「彼女をユイとの戦いに巻き込んだのは他でも無いマルーよ?」  
 
「ああ、正直アタシも迷ってたんだが、お陰サマで決まったよ。やっぱり考え直させるべきだね。デスパイアに捕まってメチャクチャにされてからじゃ何もかも後の祭りだ。そうなっちまう前に、二人で直に説得すべきだよ、エミィ」  
 
「ごめんなさい。先に謝っておくけど………、多分それは無駄になるわ」  
 
「………何?」  
 
頬杖付きながらナツメの残していった白玉団子を漁っていたマルーシャが、意外な様子でその身を起こす。流石の彼女も、今回は少々驚いたようだ。  
 
「彼女、あれでも経験済みよ。正確に言えば、私のミスがそうさせてしまったのだけれどね」  
 
「マジ?」  
 
「ええ。先月、市営プールの地下で巨大化したアンモナイトのデスパイアと戦った時よ」  
 
「あー……、その、どこまでされた?」  
 
「殆ど相討ちに近い形で、最後までされたわ。―――――ついでに、その時……私も」  
 
予想だにしなかった真実を前にマルーシャはダンマリだ。カウンターの向こうから聴こえて来る食器を洗う音だけが、苦い沈黙のBGMとなる。  
 
「つまりナマ本番でそれだけされて、何をされるのかも身体で知った上で、それでも前回ユイ相手にああも立ち向かって見せたってワケか」  
 
「………そうよ」  
 
「そうかい。マルーシャさんの窺い知らぬ処で、ハナシはそこまで進んでたのかい」  
 
とんだ番狂わせだ。なかなか自分の人物評もアテに出来ない事が判った。  
逐一お子様くさい反応のお陰で、てっきり未経験だとばかり踏んでいたのだが、どうやらナツメはマルーシャの見立てほど子供ではなかったという事だ  
勿論、まだまだ危うい水域にいる事には変わりは無いが。  
 
「もっとも、彼女は変身してた私のカモフラージュを一発で見破ったほどだから、遅かれ早かれ“こっち側”に来る娘だったのかもしれないわ……」  
 
藤沢宅の襲撃から一週間ほど経ったある日、駅前の商店街で偶然出くわしたエミリアをナツメは一発で件の天使だと見破った。思えばその時、制服姿だったのがエミリアの運の尽きだ。  
その場は何とか逃げおおせたものの、通学先を割られて、校門前で連日張り込まれてしまったとあっては流石にお手上げだった。  
自ら戦いを志願するナツメを厳しく諌め続けること約半月。ついにエミリアは根負けし、クリスタルの一欠片を彼女に託したのだ。  
 
「………なるほど………」  
 
軽く相槌を打ちながら思案気な表情でマルーシャは外の雲を眺める。  
 
確かに、そこまでの覚悟あって戦いに身を投じる者を拒むのは得策ではない。  
むしろここで迂闊に突き放せば、自分独りで戦い続ける道をナツメは模索してしまうだろう。戦いの動機がデスパイアへの復讐心にシフトしてしまえば、最悪反転の惧れもある。  
それに……現実的な都合を持ち出せば、ユイが抜けた穴の大きさはこの三年間で嫌と言うほど味わって来た。いい加減、補充要員を探さねばならないタイミングでもある。  
少々心許無いが、彼女の潜在能力に賭けてみるのも、そう分の悪い話ではない。  
 
エミリアはもう決めているのだ。決断を求められている者は残すところ自分だけ………。  
 
「相分かった。降参だ。ナツメをウチらの仲間として正式に認めるよ、エミィ」  
 
「ふぅ………。いつもなし崩しで済まないわね、マルー」  
 
張り詰めた表情をようやく和らげ、心底安堵した様子でエミリアは礼を述べる。  
 
「おやおや、そう思って頂けるのなら、ここの払いはお任せと踏んでよござんすね。タイチョーさん?」  
 
「どの道押し付ける心算だったんでしょ」  
 
「あ、バレてましたー♪」  
 
財布を取り出し、慣れた手つきで紙幣を数えだすエミリア。  
そんな彼女の方にひょいと身を乗り出し、マルーシャはナツメの席に置いてあったデザートのオーダー表を手に取る。ついでにランチメニューも。  
 
「ちょっとマルー、貴女まだ食べる気なの?」  
 
「いやーこちとら三日連続コンビニ弁当でさァ。胃袋はもう欲求不満でブーブー言って………」  
 
「いい加減にしなさい。そのままブーブー豚みたいに太ったって知らないわよ」  
 
「んなー、そんな事だからエミィはいつまで経ってもヒンヌー教徒なんよ」  
 
「ひ、貧………っ!?」  
 
「もっとしっかりお食べなさい。ほれ、メニュー」  
 
付け加えておくが、別にエミリアの胸が格段貧相な訳ではない。強いて言えば同世代の平均をやや下回る程度か。  
ただ、以前まで仲間内に於けるエミリアの格付けは“ユイ以上、マルーシャ未満”で済んでいたのだが、困った事に入れ替わりで入って来た大物ルーキーが肩書き通りのボリュームを誇っていたが為に、  
無情にも彼女の胸は“メンバー中最小”の称号を頂戴してしまったという訳だ。それはさておき。  
 
「哀れエミリア。誰よりも胸小さき故にオホーツク海の藻屑に………」  
 
「それ以上言い続けたらエリアルコンボじゃ済まないわよ」  
 
「へーい。ってなワケでおばちゃ−ん!冷やしたぬき追加でー!!こっちの彼女には熱々のキツネうどん一丁!!えーと、あとそれからー……」  
 
「あ、こら!ちゃっかり何注文してんの!質量の暴力よ!!」  
 
「あー、あー、引っ張るなってエミィ!店の人に怒られっからー」  
 
周囲の視線も憚らず、強引にメニューを取り上げようとするエミリア。その冊子を抱き込み、幼稚園児に勝るとも劣らぬ低次元な抵抗を続けるマルーシャ。  
カウンターの向こうから注がれる冷ややかな視線がなんとも痛い。だが………。  
 
「………―――――!」  
 
「ン!?どうしたエミィ、やっぱ腹が減ってたのか?」  
 
卓上に身を乗り出してメニューを引っ張っていたエミリアの動きがピタリと止まる。訝しがる戦友を他所に、彼女の視線は窓の外へと向けられ、遥か空中彼方の一点を凝視していたのだ。  
ただならぬ雰囲気に、マルーシャもその眼差しを追い掛ける。そして……。  
 
「………………」  
 
彼女は黙ってメニューを机の脇に戻した。  
 
「どうやら、お食事タイムは終わりみたいだな」  
 
「そのようね」  
 
窓の外、およそ数百メートル彼方。高圧電線の上空を、二匹の巨大な蝶が飛んでゆく。広げた翅は大人の身長の優に三倍はあろうかという見事な芸術品。間違いない。ワーカー・ゼフィルスだ。  
 
「マルー。精算しとくから先に追いかけて。あとナツメに連絡を」  
 
「あいよ」  
 
ほんの一分前までの漫才染みた空気を嘘のように掻き消し、二人の少女は席を立った。  
 

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