〜粉砕天使ナツメ いんたーみっしょん〜  
 
ゼフィルス・クィーンとの交戦から五日ほど経過した夜。  
 
通り過ぎていく自動車のテールランプを下界に望みながら国道を飛び越え、イグニートエンジェルことマルーシャ=アレクサンドルヴナ=トルスターヤは十数メートルは離れた商業ビルの屋上に軽々と飛び移った。  
ここは東日本を中心に全国展開していた大型スーパー『ミスター・ハート』の店舗跡だ。展開していた、と過去形になっているのは、赤字続きだった本社が昨年とうとう経営破綻し、  
駅前商店街を震え上がらせ乗り込んできたこの店舗も、今や全てのシャッターが降り豆電球ひとつ灯っていないからである。  
世の中の流れとは実に早いものだ。事実、神に代わって一度はこの地上の全てを掌握したかに見えた人類も、現在では追い上げられる側なのだ。  
それも淫らかつ醜悪な怪生物の一群によって。  
 
「ふー、どっこらせっと」  
 
埃まみれのベンチを軽く払うと、横柄に足を投げ出して彼女はそこに腰掛ける。約束の刻限には少々早いが、まあ、相手は自分と違って律儀な女だ。そう待たされはすまい。  
周囲には立ち入り禁止を示すロープとカラーコーンが林立し、訪れる者のいなくなった屋上のプレイランドは墓場のように静まり返っている。  
子供向けのミニSLにゴーカート。ポップコーン販売機にモグラ叩き。かつての賑わいの名残りも今となっては全てがモノトーン。現実は駆け足で色褪せて、過ぎ去った跡にはただ一握りの思い出だけが残る。まるでどこかの三人のようだ。  
 
「…お」  
 
そんな寂れた世界に一点だけ浮かぶ生気の色。何をする訳でもなく場内の遊具を順に見渡していた彼女の目線は、百円硬貨一枚で動き出すパンダの乗り物、正確にはその上に腰掛けている人物の姿を拾う。  
どうやら待たせていたのはこちらの方だったらしい。  
軽く微笑んで会釈するとその人影は遊具から立ち上がりマルーシャの方へ向かってくる。  
上下一体になった黒のライダースーツ。右手に持ったバイクのキーをチャラチャラ振り回し、ブルネットのショートボブを夜風に遊ばせながら彼女は歩みを進めてきた。  
 
「よ。久々だな、バネッサ」  
 
「ええ、ホントに久しぶりね。マルー」  
 
互いに短い言葉を交わす娘たち。ふたりの付き合いは長い。マルーシャがまだエミリアやユイとチームを組む以前、イゾルデの処に身を寄せていた頃からになる。  
彼女はバネッサ=リリーヒル。エンジェルだ。いや、厳密には元エンジェルになる。  
 
「しっかし相変わらず毎度へんぴな場所指定してくるよなァ、オマエも」  
 
コートのポケットから缶チューハイを二本取り出し、片方をバネッサに差し出すマルーシャ。  
 
「オマエも、って言うと?」  
 
「ユイだよ」  
 
「ああ、あの子…」  
 
受け取った缶のタブを起こすバネッサの笑顔には暗い影が射している。  
彼女もユイとは旧知の仲だった。エミリアを挟んで何度か共に任務に当たったし、一緒に買い物や食事に出かけたりもした。もっとも、ユイの方はエミリア以外の人間とはあまり喋りたがらなかったが。  
 
「随分派手にやりあったみたいね。あの学校、爆弾でも落っこちたみたいになってたわよ」  
 
「そいつァご本人とエミィに言ってくれ。こちとりゃチョイと急ぎでね、早いとこ本題をお願いしたいんだが」  
 
「ええ、先日送ってもらった交戦記録を元に解析してみたけれど…。どうやら彼女、Sランクへの格上げは間違い無さそうね」  
 
「そうかい。ならいっちょ祝電でも打ってやるべきかね?」  
 
「残念。潜伏先までは掴めなかったわ。帰国してから滞在していたと思われるビジネスホテルも空っぽ。宿帳からも従業員の記憶からも綺麗さっぱり消えてたわ」  
 
「ったく、知恵つけてんなー。昔はオラウータンといい勝負だったクセに」  
 
バネッサは言わば情報屋だ。天使のサポートに当たるこの生業は俗に“キューピッド”と呼ばれる。  
彼女も昔はクリスタルを秘めた天使として、二挺拳銃を自在に操り最前線で戦っていたのだが…。とある一戦でその身に注がれたデスパイアの精液が、魔力の低下していた彼女を無惨にも妊娠させてしまったのだ。  
手術により化け物の子供を堕ろしたバネッサが再びエンジェルとして銃把を握る日は遂に訪れず、メンタル的な理由もあって彼女は後進にクリスタルを譲り、そして引退した。  
 
自らの限界を悟りつつも負け犬という自己嫌悪に苛まされ、絶望の淵にあった彼女を励まし、この仕事を勧めたのが駆け出しのマルーシャだったのだ。  
元来、身のこなしに長け情報通で通っていた彼女には、この“キューピッド”は正に天職と言えた。そんなこんなで、二人の付き合いは少々のブランクを挟みながらも現在に至るまで続いている訳である。  
 
「で。そのユイちゃんの新しいお仲間なんだけど…」  
 
そう言ってバネッサがノートパソコンを開く。ディスプレイに映し出されたのは夜の校庭に溢れかえった巨大な触手の大群。丘の中腹にある防災カメラが、ヤツの出現を地震と勘違いして誤作動し、偶然撮影された一枚だ。  
言うまでも無く、茨のデスパイアである。  
 
「ごめんなさい。残念だけど殆ど何も掴めなかったわ」  
 
「…そっか…」  
 
なるほど。残念と言えば残念だが予測通りの回答である。これだけの巨体でありながら、自らその姿を曝すまで尻尾ひとつ掴ませなかった相手だ。一朝一夕で御殿が割れるハズも無い。  
 
「でも、画像から見るだけでも凄まじい相手ね。ホラ、ここなんか影が歪んでるでしょ?こいつから自然に洩れる魔力だけで、ここまで空間が歪曲されてるのよ。  
膨大な質量が空間に作用する事は前から知られてるけど、魔力だけでそれを顕現させてしまうなんて。ハッキリ言って相当ヤバイ相手よこれ」  
 
「わり。もう少し噛み砕いて説明して」  
 
「歩く原発みたいなヤツだって事よ。この辺り一体の勢力図を塗り変えてしまうような規模の魔力がコイツの体を循環してるってワケ」  
 
「ったく…どこのゴジラだよそれ」  
 
憎々しげに吐き捨てながら前髪をクリャリと握るマルーシャ。この手の局面で出る彼女のクセだ。  
事実不愉快極まる。通常時でこれだけの効能があるなら、その魔力を空間歪曲に集中させればそれこそ光学迷彩の一丁上がりだ。隠れ家を暴くのは容易ならざる行為である。先が思いやられるなんてモンじゃない。  
 
「わーった。バネッサは引き続き情報の収集を続けてくれ。アタシは目ぼしい場所を足で洗ってみるからさ」  
 
「いいの?他のデスパイアも相手しないといけないでしょ。見回りは?」  
 
「んーまァ、平行して続けていくけどね。いざって時の為にエミィがあちこちに“枝”張ってるし」  
 
「分かったわ。でも無理だけはしないでね。………私みたいな思い、貴方にはさせたくないわ」  
 
バネッサは俯き加減になってそう紡いだ。  
確かにエンジェルは一般人と違ってデスパイアに犯されても、注ぎ込まれた精子を魔力で分解する事が出来る。  
しかしそれは万全の状態の話だ。幾度も絶頂を味わされ力を吸い取られてしまえば、彼女たちと普通の人間を隔てる壁は徐々に薄く低くなっていく。  
聞くところに拠れば、バネッサは半月ほど軟禁状態に置かれて孕まされたらしい。取り出されたデスパイアの子供の育ち具合から逆算すれば、彼女の受胎は敗北初日と見て間違いないだろう。  
要するに、戦闘中の一回や二回ならともかく、完全敗北を喫し囚われの身になってしまえば人間も天使も結末は一緒であるという事だ。  
 
「ああ。安心してくれ。バケモンどもの出生率向上に貢献するつもりはサラサラ無いからよ、っと」  
 
空になったチューハイの缶を、回収する者など訪れないゴミ箱に放り込む。ガランと音を立ててもうひとつ、今度はバネッサの缶が投げ込まれた。  
 
「あ。そう言やー…」  
 
屋上から跳び去ろうとフェンスの端に足をかけた所でマルーシャは振り返った。  
 
「ほれ。例の原稿。ゼフィルス関連の項目んとこ、結構加えといたから。これでオッケーっしょ?」  
 
「…いつまで経っても最終校正が始まらないと思ってたら…。またマルーが原稿止めてたワケ…」  
 
マルーシャがフリスビーのように放った茶封筒を受け取りながら、バネッサはさも呆れたように呟く。  
 
「うるせーやーい。これでもシベリア超特急なんですよーだ。こちとら二足草鞋でほんと忙しいの。そこんとこ忘れちゃ困るよワトソン君」  
 
「ハイハイ。毎度誠意の無い言い訳ご苦労様」  
 
中に入っていた原稿の枚数だけその場で確かめると、バネッサは封筒を小脇に挟み、非常階段の方へと向かって行く。そんな彼女の背中にもう一言、マルーシャの声が掛かった。  
 
「ついでのついでにマヤの奴は元気してるか?今度、アイツにもこの件で仕事頼もうかと思ってんだけど、なかなか繋がんなくてさー」  
 
湯本真矢。そう、エンジェルを辞めたバネッサに“キューピッド”のイロハを教え込んだ女だ。昔から感知能力に長けた娘で、彼女もまたマルーシャとは古い仲である。まあ、本人いわく「友と書いて下衆と読む」仲らしいが。  
 
「……………」  
 
だが、バネッサはマルーシャの問いに一向に答えない。灼熱天使は即座に良からぬ事態を看て取った。特に促される訳でもなく、数秒の後、バネッサは重い口を開く。  
 
「――――彼女、行方不明なの」  
 
それ以上の説明は無用だった。その一言が何もかもを物語っている。  
 
「そうか…。どれぐらいだ?」  
 
「もう、連絡が取れなくなって一月以上経つわ。合鍵使って部屋にも行ってみたけどモヌケの空。帰った形跡は無いわ」  
 
ふー、とマルーシャは大きな溜め息をつく。  
彼女の身に何が起こったかなんて分かり切った事は聞かない。彼女もまた自分とは対照的に律儀な女だ。オマケにいい男と熱愛中の身。誰にも知らせずふらりと消えたりなんてのは有り得ない。  
 
「バネッサ…、あんま踏み込み過ぎるんじゃねぇぞ。ホドホドでいいからな」  
 
「難しい注文ね。そもそも今自分が一体どこまで潜ってるのか、この仕事って分かりにくいのよ」  
 
ごもっともだ。現にベテランの真矢がこうしてトチったのだから。  
元エンジェルともなれば精力の供給源としては申し分ない。殺されてはいないだろう。もっとも、それが当人にとって幸か不幸かは判断しかねるが。  
 
「なァ、バネッサ。マヤって日本でどこに住んでたんだ?」  
 
「近いわよ。雛菊市から快速で一駅だか二駅ぐらいだったかしら。マンション住まいね。結構良さ気な」  
 
「なるほど…」  
 
そう呟いてマルーシャは暫し考え込む。傍らのバネッサも黙ってその様子に同調していた。  
 
「バネッサ」  
 
「ん?」  
 
マルーシャの視線がバネッサの方に戻る。そして。  
 
「今度、アタシと一緒にそのマンション行ってみようか」  
 
「わかったわ。なるべく繋がるようにしておくから、都合が付いたらまた教えて頂戴」  
 
「ああ、頼む」  
 
アイツほどの女を出し抜いた相手だ。相当頭の回るデスパイアに違いない。  
勿論、真矢だってバカじゃない。大物相手となれば相当な事前調査を重ねてから動いたハズである。  
 
(何か、残ってるかもしれない――――)  
 
バネッサには判らなかった、「友と書いて下衆と読む」自分だからこそ判る手がかりが。  
 
♯  
 
「……う…うん…」  
 
泥の海の底でまどろんでいた意識は緩やかに浮上し覚醒に至る。湯本真矢の目覚めは今朝も最悪であった。  
原因は他でもない、前後の穴に挿し込まれた二本の触手。彼女の意識回復を感知した肉棒はゆっくりと抽送を再開。仕方なく真矢も重い腰つきで下半身をグラインドさせる。  
 
「くぅ…はっ。ひぁ…あ…ぁ…」  
 
「んん…、ん…、はぅ…っ!!」  
 
前後左右あらゆる方角から洩れて来る喘ぎ声は、彼女が意識を失う前から何ひとつ変わっていない。  
一体どれくらいの間、自分は犯され続けているのだろう。確か…最初の十日ぐらいまでは数えていた。それ以降はもうあやふやで、体内時計も完全に狂ってしまっている。  
目覚めたときに陽が昇っている確立も二分の一だ。  
 
「……んくっ!?」  
 
とりとめの無い思考に没頭していた真矢が歯を食い縛る。彼女の肛門に頭を埋めていた触手がビクビクと脹れ上がり、小刻みに痙攣し始めたのだ。  
どうやら“朝食”の時間らしい。  
 
「くぅ…うぅ……。かは…っ」  
 
半ば反射的に収縮した括約筋が、野太い触手を雑巾のように絞り上げる。その瞬間を待っていたかのように触手の先端は噴射口を開き――――。  
 
ごぼごぼごぼ……どちゅっ。  
 
「――――くあぁっ!」  
 
どろりとした白濁液を彼女の直腸に流し込んだ。収まり切らなかった蛋白質のスープが結合部から溢れ出し、クリーム色の気泡と共に左右の尻肉から滴り落ちていく。  
桜色に染まった真矢の肌からどっと脂汗が噴き出した。  
 
「はぁ…、はぁ…、はぁ…。――――くそっ」  
 
乱れた呼吸を整えながら、真矢は唯一可能な抵抗である悪態を付く。  
時計もカレンダーも無いこの空間で時間の経過を知る術は無い。  
ただ、捕まった直後は顎の高さぐらいで切り揃えられていた黒髪が、既に肩に掛かりそうな長さまで伸びている事から、少なくとも自分は一ヶ月以上は凌辱され続けているのだろうと、真矢は推測を立てていた。  
脱出の目処は未だ立っていない。  
 
「りょう…、すけぇ…。…亮輔…ぇ。ひうっ!」  
 
隣で犯されながら助けを求めているのは制服姿の少女だ。  
彼女だけではない。このまるで植物園のようなドーム内では、数え切れないほどの女達が、たった一体のデスパイアによって辱められている。  
どれもこれも皆若い。愉悦と羞恥に咽び泣く喘ぎも、その声に混じる哀願の言葉も千差万別だったが、前後の穴に頭から潜り込み蠢いている触手だけは皆お揃いだった。  
正確な数は真矢も数えていないが、百人は軽く超えるだろう。伽藍に反響し続ける恍惚の吐息と啜り泣きは、聴いているだけで精神が蝕まれてしまいそうだった。  
 
(く…っ。バケモノめ…)  
 
捕まってから何ひとつ口にしていないというのに、真矢の身体は空腹を感じることも無く、痩せ細っていく気配も無い。その肌はむしろ以前にも増して艶を増し、色めき立ってさえ見える。他の女達も同様のようだ。  
原因は恐らく、朝晩決まって一日二回、お尻から注ぎ込まれる大量の白濁液。何が入っているのか知らないが、真矢たちはこの液体によって生かされている。  
 
「はひっ!?はァ、ひいーーーーー!!」  
 
「ひやあーーーーーっ!やめ、やめてぇーーーーー!!」  
 
一際甲高い悲鳴が割かし近場で上がった。  
見ればそこには二人の女性。彼女たちは数本の触手で全身をまさぐられている最中だった。先端はいずれも勃起した男性器のように包皮がめくれ返り、中からは無数の小さな触手が飛び出しイソギンチャクさながらの形状をしている。  
どうやら彼女たちは“定期清掃”の時間のようだ。ここに囚われている女性達は皆、垢や脂汗で肌が汚れてくると、あの触手で全身をくまなく舐め尽くされ、老廃物を取り除かれる。  
実際真矢も、これまで既に三度あの触手で身体中を掃除され、不覚にも三回とも達してしまった。肌のベタつき具合からして四度目の清掃も恐らく近いだろう。  
 
(結局……、私達は…こいつの玩具ってワケなの…)  
 
触手の描く軌跡を追い続ける二つの穴は、既に快楽を生み出すようになって久しい。後ろの方は挿入時こそ苦痛を伴ったが、それも束の間。二日目の朝には、彼女の肛門は立派な性感帯として開発され尽くしていた。  
こうして真矢達は意識がある間中、腰を振らされ、愛液を搾り取られ、欲望のマグマを注ぎ込まれ続ける。  
唯一の救いは、自分たちが眠りに落ちている間だけ、触手の運動を止めて貰える点だ。出来る事なら、一度でもいいからコレを抜いて欲しかったが、流石にそこまでのサービス精神は相手も持ち合わせが無いらしい。  
長期に渡り合体を持続させられている彼女達の穴は、もはや触手の太さに完全に拡げられ、あたかも専用にあつらえられた差込口のようにフィットしている。  
腹の膨れている娘はいない。繁殖が目的ではないようだが、そうなるとこれほどまで大掛かりなコロニーを作り上げる理由も謎だ。  
一体何が狙いなのか。  
 
「ひっく…、ひく…。ふえぇぇ………ん…」  
 
隣の娘がまた泣き始めた。無理も無い。  
彼女の足首に絡まる純白のショーツは既に少女自身の愛液と生乾きの精液で黄ばみ異臭を漂わせている。そしてそこに散りばめられた赤褐色の斑は、彼女が初体験を奪われてしまった印しに他ならない。  
よりにもよって“初めて”の相手が人外の化け物とは…。彼女の痛ましい姿を見る真矢の胸には悲痛な思いが駆け巡る。  
 
捕まってから最初の一週間ほどは、真矢達はその少女も含めた手近な数名でお互いに励まし合っていた。家族の事、友達の事、恋人の事…。「大丈夫だ、もうじきエンジェルが助けに来てくれる」とも誰かが言った。  
口にこそしなかったが…、かつて天使であった真矢はむしろそれを願わなかった。敵がこの怪物では、並みのエンジェルが一人や二人現れたところで焼け石に水。いや、飛んで火に入る夏の虫である。  
 
幸いと言うか結局と言うか、天使は未だ現れず、励まし合っていた被害者達も次第に口を利かなくなり、数日もすればむしろお互いの痴態を目にせぬよう、視線を逸らすようになって行った。  
真っ先に心を折られてしまったのは隣の少女。いつしか彼女は亮輔なる彼氏の名を叫びながら泣きじゃくるようになり、帰れぬ日常をひたすら欲し嘆き続けるようになった。  
他の女達も今や同じ。ひたすら喘ぎながら時折押し寄せる絶頂に背筋を海老反らせ、その身に異形のスペルマを流し込まれ、一休みしてまた腰をグラインドさせる。  
ここまで来ればもう、先に捕らえられていた無数の先客達の仲間入りである。  
狂ってしまいたい。壊れてしまいたい。それが彼女たちに縋ることの許された唯一の希望…。これまでの人生はもう手の届かないところにある夢のようなものだ。  
 
(久志……)  
 
四方八方から散発的に聴こえて来るオルガスムスの悲鳴。  
真矢は左手の薬指を見詰めながら、下半身から込み上げて来る愉悦にひたすら耐える。拘束役の触手から滴る粘液でベトベトになっていたその指には、ガラス越しの朝陽を浴びて銀色に輝く小さな指輪が填められていた。  
 
恋人の大野久志から先日渡されたばかりの婚約指輪である。  
真矢の全身は既にバケモノの精液が数え切れないほどの回数吐き掛けられ、中途半端に脱がされた衣類は耐え難いほどの腐臭を放っていたが、左手のそのリングだけは常と変わらぬ清らかな輝きを放っている。  
 
(大丈夫…。私にはこれがある……)  
 
自分が天使だった事を告げた夜も、この身がデスパイアに辱められたものである事を打ち明けた夜も、久志はその腕で自分を抱き止めてくれた。  
その温もりが胸の内に残っている限り、シングルベッドの中で交わした互いの体温を覚えている限り、どんなに犯されようとも真矢の心が折れる事は無い。  
彼女にはまだ帰るべき場所があるのだ。  
 
「久志―――……くぅっ!?」  
 
切なき願いを込め震える唇で恋人の名を紡いだ直後、真矢の膣内で脈打っていた触手が突如膨張し、その身をブルブルと打ち震わせた。  
緩慢な腰使いで「の」の字を描いていた真矢の下半身は真下から突き上げられ、背筋はピンと張り詰め反り返る。そして…。  
 
ごびゅっ。ごぽごぽごぽ……ぶしゅっ。  
 
「あ…っ、熱うっ!!」  
 
怒張が爆ぜ、濃く煮つまった汚泥が彼女の内へと流し込まれた。膣内射精と同時に、真矢の顔のすぐ傍で痙攣していた触手からもスペルマが放たれ、薄紅色の頬は吐きかけられたクリームでどろどろになる。  
その余りの熱さに真矢は悲鳴を圧し殺す事が出来なかった。  
 
「げほっ、げほっ、…ケホっ。おえぇ…」  
 
鼻から啜ってしまった精液が気管支に流れ込み咽せ返る。何度か吐き出そうと試みたが結局飲み込んでしまった。  
下半身では、中出しを終えヒクつく一物を膣壁が優しく締め上げ、胎内に収まりきらなかった余剰物をボタボタと排出しているところである。  
 
(くそ……。くそ……。何が足りないって言うのよ。もう汚してないとこなんて無いのに…!)  
 
彼女の端正な美貌を際立てていた睫毛も、今や涙と白濁液の混合物でベトベトに張り付いている。  
衝き上げの瞬間、燃え上がりそうになった快楽の火種を深呼吸で何とか落ち着かせ、女の昂ぶりを抑え込む真矢。前戯無しだったのが幸いしたのか、今回はイかされずに済んだようだ。  
 
(ん……?)  
 
ふと、台風一過で鎮まった彼女の聴覚は、無数の喘ぎ声の合間を縫って聞こえて来る男性の声を拾う。  
幻聴か?いや、違う。確かに聴こえる。  
 
(何だ…。誰か言い争ってる…?)  
 
♯  
 
「茨…。貴様、盟約を違える気か?」  
 
漆黒の羽毛を軒並み逆立たせ、怒りも露に問い質しているのはあのレブナンと呼ばれていた大鴉であった。  
 
「ハハ…、人聞きの悪い事を言うなよ。僕は紳士だ。生まれてこの方、友との約束を反故にしたことは一度たりとも無いんだよ?」  
 
触手の塊に鎮座した巨大な真紅の花。その五枚の花弁が結合する中心部から生える人間の上半身。緑褐色の肌は筋肉の隆起と無数の戦傷で覆い尽くされ、見事な逆三角形の背中で燃え盛るのは真紅の長髪。  
恐るべき楽園の主は、目の前に吊り下げられた娘の両乳房を、大蜘蛛の如き手の平で揉みしだきながら来訪者に応対していた。哀れな生贄の少女は震えるばかりで抵抗ひとつしない。眼鏡の奥で黒い瞳は恐怖に見開かれ涙を湛えている。  
 
「…戯れるなよ徒花。私は言った筈だぞ。あの天使どもの三人目。灼熱天使には―――――」  
 
「あー。言ってた、言ってたとも。灼熱天使には手を出さないで貰おうか。…だろう?それとなんだ、あー…。そうそう。あのマダムがどうたらこうたら…だったね」  
 
怒り狂う鴉の背中がボコリと膨らんだ。まるでその身に巣食う何者かが、皮膚の下で暴れているかのように。  
その剣幕を前に、妖花の化け物はようやく作業を中断し、仕方無しといった態でレブナンの方へと向き直った。  
 
「ならば何故だ。何ゆえ伯爵夫人の侵攻を前にして、いつまでも悠長に遊び惚けている?このままでは早晩、あの脂肪の塊は天使どもと衝突するぞ?」  
 
「勿論、それも織り込み済みだ」  
 
「――――何?」  
 
噛み合せの悪い鴉の嘴がベキリと鳴った。憤怒の余り見開かれた深紅の瞳は殺意の宝石と化す。  
 
「ふふ。だから約束通り僕は手を出さない。僕は、ね」  
 
「…貴様」  
 
ぶちり、と鴉の羽毛を何かが食い破る音がした。見ればレブナンの身体からは、ヘドロのような不定形の物体が飛び出し、真っ黒なその身を怒りに戦慄かせ蠢いている。  
 
『ほっほっほ。こやつ中々の痴れ者よのお。どうじゃレブナン?ここはひとつ軽く撫でてやるのも奴自身の為ではないかの?ケブロークもそう思うじゃろ?』  
 
『応よ。ハルマーツォのジジイの言う通りだぜ旦那。大体前からムカツイてたんだよコイツ。構う事ァ無ぇ。ケツの穴かっ拡げてデカイの一発ぶち込んでやれ!月面にもう一個クレーターこさえちまえ!』  
 
『あー…、僕としても賛成したいのは山々なんですけど。でもホラ、時間とかあんまり無いじゃないですか。ここで揉めてたらマダムに美味しいトコ全部持ってかれちゃいませんかね?そこんトコちょっと気になるんですけど。どうなんでしょ?』  
 
『んーあー。やっぱメギロの言う通りじゃね?つかさ、早いとこ新しい“コア”にする女とか手に入れないと、俺らいい加減ヤバイっしょ?ごちゃごちゃ言ってるよりさっさと動いた方が良さ気だべ、実際?』  
 
『むう…意見が割れおったわ。最近の若い奴らは慎重よのお。叩き過ぎて石橋が落っこちてしまわねば良いが。はてさてどうしたものかのォ、んー。レブナン?』  
 
一番最初は老人の声。続いて野生的な壮年男性の声。そして若い売り込み風の喋り口と、覇気の無いチンピラ染みたトーン。  
ボコボコと膨らんだゲル状物体は四つの顔になり、口々に意見を交し合い始めた。一方のカラス本体は一言も発しない。ただ沈黙の内に、深い海の如き理性と活火山のような激情をせめぎ合わせている。  
 
「……………」  
 
暫しの後、怒りに膨張していた鴉の瞳が緩やかに細まっていった。  
 
「結論は出たかい?マダムはもうすぐそこまで来ているよ?」  
 
なるほど。このフザケた花の狙いは初めからそこだったと言う訳だ。三つ巴の戦いを制する王道はすなわち漁夫の利。自分の手で伯爵夫人を片付ける予定は更々無かったのだ。  
 
こうなるとこちらも動かぬ訳には行かない。天使側が敗れでもすればレブナンの目論みは御破算である。  
こんな極東の島国で再開するとは思ってもいなかったあの娘。半ば諦めかけていた灼熱天使を、ローパーの親玉なぞにくれてなるものか。  
 
「覚えておけ。この一件、尾を引くぞ…」  
 
這い出していた謎の物体を皮膚の下に収納すると、一言だけそう言い残し、大鴉はその翼を広げる。  
羽音と共にその一点だけ夜が訪れたかのような闇が展開すると、次の瞬間にはレブナンの影は窓枠の外へと消えていた。  
 
♯  
 
「やれやれ。案外カラスも気難しい鳥だね…」  
 
地の底から響くような声の主が消え失せ、女の喘ぎ声だらけに戻った空間で、暴君はワザとらしく溜め息をついて見せた。  
 
「そうかしら?私には恋に一途な紳士に見えたけど?」  
 
それに答えたのは女の声。枯れ果てた油椰子の陰から姿を現したその主は黒髪の娘だ。辻堂ユイである。  
サイズの合わないYシャツのボタンを下から止めていく彼女の背後には、虚ろな目で天井を睨みながらヒクヒクと痙攣する若い娘。股間から溢れ出る白濁液は、彼女がこの堕天使に暴行された直後である証だ。  
 
「盗み聞きは感心しないな。食べるか聞くか、せめてどちらかにし給えよ」  
 
「よく言うわ。演説家が」  
 
真っ赤な舌でぺろりと唇を拭い、彼女はせせら笑った。  
 
「彼、随分とまた切羽詰ってるわね」  
 
ユイが顎で指す方角は鴉が出て行った窓である。  
 
「フフ…。君は天使だったそうだが、彼と一戦交えた事は無いのかい?」  
 
「ええ。でも聞くとこに拠れば、あのマルーに脚を開かせたツワモノだとか。是非とも見学させて貰いたかったわ」  
 
「なるほど。ならば後で詫びを入れておくべきかな?どうやら酷く機嫌を損ねてしまったようだ」  
 
「あら。私はてっきりここでカチ合うのかと思ったわ。火事場泥棒で何人か頂いていこうかとしてたのに」  
 
「生憎だね。自分で手入れした庭を踏み散らかすような真似はしないよ。それに、だ。あれは彼の本体じゃない。受話器越しに喧嘩できるほど現代人じゃないのさ。僕は」  
 
「ふーん。ま、私にはどうでもいい事よ」  
 
短い黒髪をさらっと掻き揚げ短く息を付き、足元に散らばる二人分の衣服の中から自分の下着をつまみ上げるユイ。飾り気の無いグレーのスポーツ用ショーツに気だるい仕草で右脚から通していく。  
 
「時に堕天使。君はかつてお仲間だったあのブロンド娘がレブナンに捕り込まれたとすれば、果たして助けるかい?」  
 
「まさか。彼女はもう仲間でもなんでもない。それは相手方が一番良く理解しているはずよ」  
 
指から離れたショーツのゴムがピチッと音を立てる。無茶な体位で強張った肩をほぐしながら、ユイはキッパリと断言した。  
 
「ま、どうしても救いが欲しいって言うのなら、奴ごと丸呑みにしてあげてもいいけどね。フフ…」  
 
♯  
 
その日、藤沢ナツメはアラームよりも先に目を覚ました。低血圧気味で朝が弱い彼女にとって、これは真に珍しい事態である。  
 
「……………?」  
 
妙に冴え渡った意識で自室を見回してみるが、別段変わった事は起きていない。何だろう。確か首筋に殺気のような物を感じた気がしたのだが…。  
 
(てゆーか、なんで家の中で朝から殺気なのよ…)  
 
何はともあれと目覚し時計のタイマーを切り、着替えの為にベットから起き上がろうとしたその時。キンコーン。玄関の呼び鈴が鳴らされた。  
すぐさま階下からスリッパの足音が響きチェーンが外され、一足先に朝食の支度を始めていた叔母が応対する。耳を澄ませば印鑑がどうのと。どうやら宅急便のようだ。  
 
「ナツメちゃ〜ん、起きてる〜?おっきな荷物が来てるわよ〜」  
 
閉められた玄関の向こうからエンジン音がするのと同時に、階段の踊り場から声が掛かった。  
 
「えーっと…誰からですかー?」  
 
部屋の入り口から顔を覗かせ訊ねると、叔母は眉間にシワを寄せ差出人の名を読み上げようとする。が…。  
 
「ええと…。エミ…エミリー、エミ…エミール・オーダー…?…とにかく、その、外人さんっぽい名前の人からよ」  
 
ドイツ語の筆記体で殴り書きされたフルネームは叔母にとって暗号同然であった。  
送り主がエミリアである事を察したナツメは、首を傾げる叔母からずしりと重いその荷を受け取り、礼を述べ自室へと戻って行く。  
間に合わせの包装紙を所々セロハンテープで補強したその包みは、几帳面なエミリアにしては随分と乱雑な装丁である。中身が気になるが伝票には「粗品」としか記されていない。一体なんだろう?  
丁寧にテープを剥がそうとしたが、途中ビリっと裂けてしまった。仕方なく紙が破けるのもお構い無しに、ナツメは包みを解いて行く。すると…。  
 
「あれ……?」  
 
面妖な光景に出くわした。包みの中から現れたのは包み。二重包装である。こちらはやけに厳重だ。  
持ち上げて底面を調べると、そこにはもう一枚の配達伝票が貼り付けられていた。宛先の住所は覚えがある。エミリアの住んでるマンションだ。差出人の名は…読めない。ロシア語である。  
そして品名を記す欄には日本語で「貴殿のバイブル」とだけ…。  
 
「……………」  
 
嫌な予感がする。つまりこれは、エミリアが何某から贈られた荷物を、開封もせずナツメに受け流してきたのだ。  
このサイズ。この重量。何かが記憶の端に引っ掛かっているが、ナツメは退かない。退く訳にはいかない。デスパイアと戦うと決めたあの日、そう…退くという選択肢は既に粉砕済みである。  
ビリリリリー…ビリッ!分厚い梱包が真一文字に裂け、中から姿を現したその物体は―――――。  
 
印刷されて間もない書籍特有のインクの香り。表紙を飾っていたのは深夜ローカルあたりで売れ残りオーラを放っていそうな三流アイドル風の見知らぬ女。  
露出度の高い服装はきわどい所まで裂け、水着型に日焼け跡が残る肌は塩ビ製とバレバレな触手が絡み付いている。背後から覆い被さろうとしている着ぐるみはデスパイアか、あるいは古き良き時代の火星人か。  
そして黄色いフキダシにはアメコミ調の「OH,HELP ME !」という台詞が、目のチカチカするフォントで踊っている。いやはや。  
 
その名も「対デスパイア用ドキドキ必勝マニュアル新装改訂増補版α」。そしてオビには「初版限定、豪華リバーシブルカバー仕様!!&お役立ちペーパークラフト付き!!」の謳い文句が。  
 
「……………」  
 
ナツメは黙っていた。五秒、十秒、二十秒…。藤沢ナツメは動かない。無為に時間が経過する事いかほどであったろうか。  
 
「うわーーーーーん。ハメられたあーーーーーーーッ!!」  
 
早朝の住宅街に粉砕天使の悲鳴がこだまする。猫が一匹、塀から落ちた。  
その日の夕刻、マルーシャからナツメ宛に放たれた大量破壊兵器がもう一冊到来する絶望的運命を、彼女はまだ知らない…。  
 

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