ものすごい七夕飾りの下。  
 あたしとコイツは、二人で歩いている。  
 八月七日。あたしと休みを取ったコイツは、二人でコイツの故郷の仙台にやって来ていた。  
 
 駅に着くなり馬に乗った片目の男の銅像に出迎えられたあたしは、この町の意外な大きさに  
ビックリしていた。  
「いないみたい。電話が留守電だから」とコイツの家に行くのは後回しにして、あたしたちはまず  
七夕見物に行くことにした。  
 
 たしかに、コイツが言うように仙台の七夕はちょっとしたものだった。  
 ものすごい数の飾りに、たくさんの出店。  
 そしてどこからこんなに沸いて出たのかと思うくらいのたくさんの人人人。  
 その中で、コイツが目を輝かせながら街を案内してくれている。  
 あそこは僕が学生の頃はまだ寂れてて、とかこの古本屋にはヘンな本がたくさんあって、とか  
どうでもいいようなことをとりとめもなく。  
 でも、その顔はなんだかコイツが子供の頃の顔みたいで。  
 あたしが出会う前のコイツの顔みたいで。  
 あたしは、その表情を見てるだけでシアワセな気持ちになれた。  
 
 
 笹飾りの下を歩きながら、あたしは思った。  
 コイツと二人っきりだったら、どんなイナカのだっさいお祭りでもきっと楽しい。  
 すごい人ごみではぐれそうになって。  
 そんななか、コイツは手を握ってくれた。  
 男のクセに、柔らかくて細くて長い指。  
 でも、しっかりと力強い、素敵な指。  
 その指で、ぎゅっと手を握ってくれた。  
 泣きそう。  
 
 それだけで、体の芯がジクジクと熱を持ってきてしまう。  
 いけない。下着が汚れちゃう。  
 
 そんなあたしの気も知らないで、コイツは指を絡ませながらあたしの掌を好き勝手に握って撫でて  
「すべすべで、きもちいいね」  
とのんきな事を言ってくる。  
 もうカラ、コロ、という下駄の音と、サラサラと笹の葉が擦れる音しか耳に入らない。  
 
 
 
 
 
 お腹がすいた、とコイツに言ったら、コイツは「美味しい店があるんだよ」と言ってあたしの  
手を引いて……  
 
 
 
 
 洗面器サイズのラーメン丼にたっぷり山盛りの中華料理屋につれてってくれた。  
 
 入り口はそこそこお洒落なデパートだったのに、なぜか香港の妖しい路地裏みたいな地下の  
学生食堂っぽい大盛り中華料理屋に。  
 っていうか、ここって女の子連れてくるような店じゃないだろー!  
 
……ま、まあ、全部食べたけど。牛テールラーメンって美味しかったし。  
 
 
 コイツはコイツであたしと同じくらいの細い体してるのに、山盛りの焼きそばをぺろりと  
美味しそうに平らげていた。どこに入ってるのかしら。ホント。  
 
 表通りに戻ってから  
「美味しかったでしょ?」  
と天真爛漫にコイツが言う。  
「そ、それは、まあ、美味しかったけど、なんであんな地下の狭くて薄暗くて汚い店なのよ?」  
 
 急に立ち止まるコイツ。  
「あー……ゴメンね。僕、女の子が喜ぶようなお店とか知らなくて」  
 コイツは傷ついたような顔を見せる。自分が不器用なのを自覚するたびに、コイツはこういう  
顔をする。そんな死にかけの子犬みたいな顔は、見てるだけでコッチの胸が痛くなりそうで。  
 だからあたしは冗談めかして  
「ま、まあそうでしょうね。アンタ、見るからにもててたことなさそうだし」  
と笑って言ってやる。  
 
「うん」  
 コイツは悪口言われてるのに嬉しそう。なんかムカツク。  
「……他の女の子にもてなくても、いいんだ。一人だけでいいから」  
 心臓が止まるかと思った。  
 急に微笑みながら、そんなこと言われたら。  
 コイツは時々あたしを殺す。  
 呼吸ができなくなるような。  
 心臓がハレツしそうなことを平気な顔で言ってくる。  
 
「一人だけでいい」  
 
 雑踏の音が一瞬で消え去った。  
 風の音。  
 七夕飾りが風で揺れてこすれあう音。  
 物売りの声。  
 
 全部、そんな音は一瞬でミュートになって。コイツの声しか聞こえなくなる。  
「僕ってバカで、女心わかんなくて、女の子との付き合い方とかわかってないけど…  
僕のことスキって言ってくれる女の子は一人だけいればいいんだ。他の子なんて、いらない」  
 
 ズキ、ズキ、と胸の奥が甘く痛くなってくる。  
 なんで。こいつの顔が。歪んでくる。世界の下半分が歪んでいる。泣いてなんかない。  
 涙なんて出るわけない。こいつの肌の熱さも、体のにおいも嗅ぎたくなんかない。  
 
 あたしは気が付くと、七夕の雑踏の中で、コイツの体に抱きつきながら  
笑いながら泣いていた。  
 あたしが「ばか」って言うたびにコイツはうれしそうに「うん」と答える。  
 それが嬉しくて。聞くたびに胸の奥が温かくなって。コイツの肌の匂いを感じるたびに  
体の中が軽くなってしまうようで。  
「あ、あアンタみたいな野暮ったくて」  
「うん」  
「あ、頭が悪くて…女心のわかんないバカのことなんか」  
「うん」  
「あたし以外の女が好きになるわけない…でしょ……」  
「うん」  
 そう言いながら、街なかのベンチで。祭りの雑踏のなかで。  
 コイツは人目があるところでいちゃいちゃするのがキライなはずなのに。  
 
 
 
 キスしてくれた。  
 
 
 
 崩れてしまったお化粧を直したあとであたしたちはコイツの実家に向かった。  
 どうしよう。ご、ご両親に……ご挨拶って。  
 さっきとは違った意味で胸がドキドキして焦ってしまう。  
 気に入られるかな。浴衣のままでよかったのかな?着替えてから来たほうがよかった?  
 そんなことをぐるぐると頭の中で考えていたら、タクシーの座席の隣から、コイツが  
あたしの手をぎゅっと握ってきてくれた。  
 そして、さっきはあんなに優しくて柔らかくて甘い味のした唇で  
「大丈夫。心配しないで」  
と言ってくれた。  
 
 どうしよう。  
 コイツのことが、好きで好きでたまらない。  
 前の席のタクシーの運転手のおっちゃんがどっかに消えてしまえば、今すぐにコイツを  
好きなようにできるのに。  
 キスして、押し倒して、浴衣の胸を剥いで、男のクセにやたら真っ白い胸板に思う存分  
この男はあたしのモノだ、という証拠のキスマークの跡をつけてやりたい。  
 これまた男のくせに細くて白くて華奢な指をあたしの手と組み合わせて、えっちしながら  
手とあそこでつながりあいたい。  
 運転手の「着きましたよー」という声であたしの妄想は破られる。  
 
 夕暮れの町。あたしはコイツのご両親の住む家についた。  
 
 
 え?  
 いないの?  
 チャイムを押してもなんにも言わない。  
 おかしいなー、と首をひねるコイツ。  
 
「あら、センセイんとこのちいお兄ちゃんでないの! 帰ってたのかい?」  
 突然人懐っこそうな声が後ろからしてくる。  
「あ、卵屋のおばちゃん。おばんです」  
 コイツは突然わけのわからない挨拶をしている。オバンデス?って日ハムの外人?  
 謎のおばちゃんは人懐っこい笑顔をあたしにむけてくる。  
「あらあら、こっちのコはお嫁さんかい? えらいめんこいお嫁さんでないの」  
「あ、いや、そうじゃなくって、その、彼女っていうかその……」  
 お嫁さん…お嫁さんって! さっき言われた言葉が頭の中でぐるぐると渦巻く。  
 深々とお辞儀をしてなんていえばいいのかわからないまま、どうしようとおもうしかない。  
 コイツとおばちゃんはよくわからない言葉で会話をしている。  
「チャイム鳴らしてもはっぱりなんもいわねで」  
「あら。ちい兄ちゃん知らねのしゃ? センセイは奥さんと世界一周さ行ったっけ」  
「えええええ!?」  
「年末まで帰ってこねんで庭の植木とか、じられねえようによろしくって」  
 なんでも、ご両親は世界一周旅行へ行っていて留守だそうだ。なんでこんなときに。  
 おばちゃんの「ウチで晩御飯を食べていけ」という誘い(たぶんそう言っていたのだと思う)を  
なんとか断って、コイツは自分の持ってた合鍵で家の扉を開ける。  
「ただいまー」  
 誰もいない我が家に帰宅の挨拶をするコイツ。  
「お邪魔します」  
 おなじくあたし。  
 荷物を玄関の上がりに置いて、後ろ手に扉の鍵を閉める。  
 そしてあたしは、靴を脱ごうとかがんでいるコイツを抱きつくように押し倒した。  
 
 そのあとは、まあ、なんていうか、うん。しちゃった。  
 いっぱい。  
 最初はコイツも抵抗してたのに、そのうちなんだか興奮してきたのか  
すごい、命令っぽいことまで言ってきて。  
 そんなこと言われたらあたしはなんにも抵抗できなくて。  
 その日だけで四回も。  
 翌朝からもう何回か、しちゃったっていうのは日記だけに書いておこう。  
 恥ずかしいから!  
 

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