月、夜空に幻想的に輝くそれは古来より人に親しまれ、そして同時に恐れられてきた。  
夜の闇に浮かぶ月の輝きには、人の中に潜む魔性を呼び覚ます力があると信じられてきたからだ。  
 
何故、それが信じられて来たか……  
潮の満ち引きや生物の出生率だけではなく、傷害や殺人、自殺などの事件事故の発生率すらをも、  
月はその満ち欠けによって左右し続けて来たからだ  
 
かつて、ヒトが電気の明かりを手にする以前、  
満月が輝く夜には、その輝きによって呼び覚まされた”彼等”が夜闇を蠢き、闊歩していた、  
ヒトは”彼等”を恐れながらも敬う事で”彼等”の領域を侵す事なく、  
そして”彼等”もまた、ヒトの領域を侵す事無く静かに関係を保っていた。  
 
だが、何時しか人々は電気の明かりを手にし始め、夜と、月の輝きを恐れなくなった時、  
”彼等”は静かに闇の中へと去っていった。  
 
しかし、空の闇に月光が輝く限り、彼らはまだ夜闇の何処かに潜んでいる事だろう……  
 
――――――そう、それは今の世界であったとしても――――――  
 
       【MOON・LIGHT 第1夜 プロローグ】  
 
 
 
―――唐突だが、俺は死に掛けていた。  
 
いや、これは例えとか冗談だとかそう言う物ではなく、  
俺、沢村 宏一(さわむら こういち)は今、本当に死に掛けていた。  
人間、一生に何度か死にそうになる経験があると言うが  
これほど死を意識する事は無いだろうと思えるくらい俺は死に掛けていた。  
実際体は殆ど動かないし、息をしようにもゴホゴホと咳き込むような息しか出来ないし  
左腕は完全に折れているらしく、Z形と有り得ない形に折れ曲がっていたりするし  
身体の彼方此方から裂傷による出血もかなり出ており、既に身体の下に血溜まりが出来ている。  
 
だが、その割に意外と身体の痛みを感じないのは脳が過剰な痛みをシャットアウトしているのだろうか、  
そうでなければ既に痛みでショック死している筈だ。  
 
もし通りかかった人がこの俺の状況を見れば間違い無く慌てて通報する状態なのだが  
今、それも望めそうもない。何せここは人通りの少ない峠道だからだ。  
 
―――俺が何故こうなったか、  
普段の俺は何処にでもある商社のしがない会社員をしており、  
毎日の様に上司からの説教やら、客からのクレームやらの対応でストレスが溜まりまくっている  
その溜まりまくったストレスを発散するが為、休暇の日は何時もバイクでツーリングを楽しむのだ。  
 
だが、この日はその楽しいツーリングの最中でふとした弾みで余所見をしてしまったのが行けなかった。  
俺が気が付いて前を向いた時には、前からやたらと派手なトラックが迫ってきていた。  
 
無論、避ける間も無くバーンと言う轟音と共にトラックにぶつかった俺と愛車は  
アクション映画のスタントマンも真っ青の空中三回転を披露しながら吹き飛び、  
俺と愛車共々仲良くアスファルトの上に転がる羽目となった、と、そう言う訳だ。  
 
……多分愛車の方は既に御陀仏だろう、さっきから盛大に燃えてるし。  
……その序に俺も御陀仏になりそうになっているのは笑い事では無い。  
 
まあ、普通、こんな事になったらトラックの運ちゃんは慌てて警察なり消防なりに通報するのだろうが、  
……そのトラックの運ちゃん、倒れている血塗れの俺を怯えた目で見た後、  
あろう事か死に掛けている俺を放って猛スピードで逃げ出しやがったのだ。  
 
如何見ても見事なまでの轢き逃げです、ありがとうご(ry  
と、くだらない冗談を考えている場合では無い、今はマジで死に掛けているのだ、  
 
―――あー……五年前に事故で亡くなった父さんと母さんと小学生の頃の俺の姿が見えるやー  
―――はは、あの頃は楽しかった――――って、もう走馬灯まで見えてる!?ヤバイ、マジで死ぬ!  
 
「……っ!……くっ……」  
 
俺は何とか救急車を呼ぶべく、最後の力を振り絞ってズボンの右ポケットに仕舞っている携帯電話へ手を伸ばす。  
だが、唯一無事な右腕もカタカタと振るえてまともに動かす事が出来ない  
 
頑張れ、俺の右腕!オナニーの時の凄まじい上下運動を見せた時の力と根性を発揮するんだ!  
と、心の中で自分の右腕に応援するも、情けない事に右腕はズボンに届く前に力尽きてしまう。  
―――万策尽きた、もう俺の人生オワタ\(^o^)/  
 
ああ、思えば、沢村 宏一として生きてきた俺の22年間、決して悪い人生ではなかった。  
……今度、生まれ変わったら映画俳優になりたいな……  
 
と、俺が半ば自分の生を諦め掛けた時だった。  
 
「人間、か……血と炎と油の匂いがすると思えば……」  
 
だ、誰かキタ――――――(・∀・)―――――――!  
何とか首を動かして見れば、声のした方にはセーラー服姿の少女が立っているのが見えた。  
年の頃は16〜17辺りの端整な顔立ちに鋭さを感じさせる眼差しの所謂クール系の美少女、  
けど、なんだか少女の言動を聞く限り少し頭がイっていそうな気もするが……  
まあ、今は少女の頭がポンポコピーだとかそんなの如何でも良い、今の俺にとってこの少女はまさに天の助けなのだ、  
これを逃したらマジで俺は死ぬ、もう少し持ってくれ俺の身体!  
 
ヲイ、見てないで早く助けを呼んでくれ、俺は死にそうなんだ!  
と、その少女に向かって叫ぼうとするも  
 
「……ぅ……あ……たす……れ……おぇ……だ……」  
 
最早、喉にも力が入らないみたいで、全然言葉になっていないし……('A`)  
い、いや、この状況を見れば誰だって助けを呼んでくれる筈だ、俺はそれに賭けるぞ!  
さぁ、早く救急車を呼んでくれ!もし救急車を呼んでくれたら俺の財布の中身を全部やるぞ!  
……まあ、財布の中には3千円しか入ってないけどね?  
 
「ふむ、この男は死に瀕して尚、生き延びようとしている。  
よし、決めた、この男にしよう……」  
 
って、をいこら、何を決めたかは知らんが早く救急車呼べっての!こっちは死に掛けてんだよ!  
 
「…………」  
 
俺の心の叫びが聞こえているのか聞こえていないのか分からないが少女は何も言わずに側まで歩み寄ると、  
スカートの間から白色の可愛らしいパンツが見えるのも気にせずしゃがみ込み、  
被っているヘルメットを俺から外しつつ懐から何かの袋を取り出す、  
 
「『月の欠片』……お前ならこれを受け入れられる筈だ」  
「……ぁ?……」  
 
そして少女はその袋から不思議な輝き―――そう、言えば月光の様な輝きを放つ石を取り出すと  
少女は口に石を含み、おもむろに俺の頭を両手で抱え上げ、  
 
「……飲め……」  
「………んむっ!?……」  
 
あろう事か少女は抱え上げた俺に口付けを交わす、それもディープで  
その少女の行動が理解出来ず戸惑う俺は、ぬめる様に口内へ侵入する少女の舌と石をあっさりと受け入れてしまい、  
更にうねうねと蠢く少女の舌によって喉の奥まで石を送り込まれた挙句、俺は反射的に石を飲み込んでしまう。  
 
ってオンドゥレァ何やっとんじゃこりゃぁ!貴女は何考えているんですか!救急車呼ばないんですか!?  
つーか、さっき飲ませたの何ですか!?毒物じゃあないでしょうね!?  
まあ、ファーストキスだった上に「少し気持ち良いかも?」と思ってしまったのは否定しないけどな!  
 
「……後は、満月の夜を待つだけだ……」  
 
俺が石を飲み込んだのを確認すると、少女は俺の身体を優しく地面の横たえ  
すっくと立ちあがり倒れている俺を放ってそのまま何処かへ立ち去って行く。  
っておいおい!俺を放ってどっかいくのか!救急車は!?おーい!  
 
「……空に満月が輝くその時、お前の―――――」  
 
あ、くそ……この出血の所為で……血が足りなくなったみたいだ……意識が遠のいて行く……  
あの子……去り際に言った「お前の」と言う言葉の後……何………?―――――  
 
 
―――――――――そして、俺の意識は闇の中に飲み込まれていった―――――――――  
 
 
 
――――――唐突だが、俺は追われていた。  
 
いや、だから如何したとか言われても俺は激しく困る訳で……  
まあ、とにかく俺は何処かも知れない場所で如何言う訳か追われていた、冗談抜きで。  
 
何故、俺が追われているのか、  
そして俺は何に追われているのか、  
そして俺が追い付かれたらどうなるのか、  
そして俺が今、何処を走っている逃げているのか、  
それすら分からないまま、俺は逃げていた。  
 
どれくらい走ったのだろうか、気が付けば俺は壁際に追い込まれていた。  
漆黒の様に黒く大きく、登ろうにも手掛かりすらない壁、  
其処に追いこまれた俺は完全に手詰まりだった、  
 
――――――追い付かれてしまう。  
――――――何に追い付かれてしまう?  
――――――とてもこわい物  
――――――何がこわい?  
――――――知ってしまうのが、こわい  
 
逃げる事も出来ず心の中で自問自答する俺の前へ、俺を追っていた何かが姿を現す。  
 
……それは子牛程の大きさの1頭の狼だった  
 
軽く人の首を食いちぎる事が出来そうな鋭い歯牙の並ぶ口  
虎やライオンの物とは違うがそれでも人間の柔肌程度なら簡単に引き裂けそうな爪  
万里を走り抜けても尚、その膂力を衰えさせる事はなさそうな逞しい四肢  
そして、見るだけで心を射すくめそうな鋭い眼光を放つ金色の双眸  
その狼には人間には無い全てを持ち備えていた  
 
俺はその狼を恐ろしく思った、しかし、それと同時に、何故かその狼の持つ力が魅力的に思えた  
 
狼を恐れる俺は、狼から逃れる様に後ずさりをする、そして俺を睨みつける狼は俺へとにじり寄る、  
だが、後ずさりする俺の行く先は背後の壁に阻まれ、にじり寄る狼を見据える事しか出来無くなってしまう。  
 
――――――このまま、俺は喰われる?。  
――――――嫌だ、食われたくない。  
――――――なら、如何する?。  
――――――立ち向かう。  
――――――死ぬかもしれないのに?  
――――――喰われる位なら、立ち向かう!  
 
にじり寄る狼を前に俺は心の中で葛藤した後、覚悟を決めて、狼に対して戦闘体勢に入る。  
そんな俺の様子を見た狼は四肢に力を込め飛び掛る体勢に入る。  
 
「……来るなら、来い!」  
 
俺が狼に向けて言い放った叫びと共に、狼は大きく跳躍し俺へと飛び掛り  
 
「――――――――――………っ!?」  
 
―――――――――狼が俺の身体の中へ”入り込んで”行った―――――――――――  
 
 
      【MOON・LIGHT 第1夜 1話目 月光の下(もと)で目覚めしモノ】  
 
 
 
「―――――……狼が…………入って……俺の…………あ?」  
「あ、沢村さん?目が覚めました?……センセー!沢村さんが意識を取り戻しました―!!」  
 
次に気が付いた時、俺は包帯を巻かれた状態で病院のベットに寝かされていた。  
俺の様子に気付いた看護師の女性が慌てて医者へ報告しに走って行く、あ、転んだ。  
 
……どうやら、俺は何とか死なずに済んだらしい……  
 
しかし、死に掛けたとは言えなんて悪夢を見たんだろうか?  
狼に追い掛け回された挙句に、あんな意味不明な終わりをして何だか心がモヤモヤして仕方が無い。  
ま、夢なんて大体は意味不明だし、おまけに死に掛けた時に見た夢だ、一層意味不明な筈だ  
さっさと忘れる事にしよう。  
 
「沢村さん、身体の具合は如何ですか?貴方は大神峠で事故に遭ってここの病院に運ばれたんです  
で、身体の怪我の割に3日間も意識を取り戻さなかったので心配しましたが……」  
 
俺がそう考えている内に、看護師の知らせを聞いて走ってきた若い医者が俺へ今までの状況を話してくる。  
余程慌てて来たのか、掛けている眼鏡が斜めに傾いている。  
 
「……そうですか、俺は3日も……って、怪我の割に?俺、死に掛けたんじゃないのか!?」  
「え?あ、はい、ここに運ばれて来た時の貴方の状態は殆ど軽傷と言える程度の怪我しかありませんでしたが?」  
「……嘘だ、あの時確かに左腕は折れてた上に身体の彼方此方に深い怪我もあった筈だ、それが軽傷だって?」  
「え、ええ、私が見た限り、貴方の身体は血塗れだった割に殆どの怪我が擦過傷(かすり傷)程度の物でしたし、  
左腕も骨折どころか骨折の跡すらありませんでしたが…?」  
「…………」  
 
医者の言葉を聞いて、俺は言葉を失った。  
おいおい、じゃあ、あの死に掛けたと思っていたあれはただの夢だと言うのか?  
それにしてはリアル過ぎる夢だ、半ば潰れた肺で血反吐を吐く様に必死に呼吸する息苦しさ、  
打撲と骨折によって全身を走る激しい痛み、動こうにも全く言う事を聞かない身体、  
そして大量の出血の所為で徐々に下がっていく体温。まだ二十代半ばで死んでしまう悔しさ、そして……あれ?  
 
あれ?  
 
そう言えば、俺が意識を失う直前に何かがあったような……?  
だが、幾ら思い出そうとしても途中で再生中のビデオのテープが途中で切れてしまったかの様に  
意識を失うまでの記憶が少しだけ消えて無くなっており、俺は全てを思い出せずに居た。  
 
「まあ、とにかく検査の為に1日ほど入院した後、何も無ければ沢村さんは退院と言う事になります。  
それにしても救急隊員から聞いた話だと貴方の乗っていたバイクは滅茶苦茶に壊れていたと言ってましたが  
乗っていたバイクがその状態になったにも関わらず貴方は少しの怪我だけで済んだ事は、私は奇跡だと(ry」  
「……はぁ……」  
 
延々と語りつづける医者の言葉に対して、この時の俺は殆ど上の空な状態で耳に入っていなかった。  
それは何故か、自分の状況が未だに理解出来ず、俺の心の中は激しく混乱していたからだ。  
 
 
―――それから数日後――  
 
「はぁ……やっと帰って来れた……もう夜の7時半か……  
ったく、まさか軽くツーリングをする筈が事故るなんて本っ当についてない……  
しかも、まだローンが残っているってのにバイクが御陀仏になるなんてなぁ……はぁ」  
 
病院での検査の末、後遺症などの問題は無いと判断されて晴れて退院した後、  
入院していた病院が家からだいぶ離れた場所だった為、バイクを失った俺は帰るのに苦労する羽目となり、  
日もだいぶ傾いた頃になってようやく俺の住むマンション(築15年のボロ)へと  
ようやく帰りついたのだった。  
 
「ま、死んでてもおかしく無い事故に遭って、命があっただけ儲け物、か……」  
 
リビングまで来ると持っていた荷物をどさりと床に置き、直ぐに絨毯の上へごろりと寝転がり、  
ボロマンション特有のやや草臥れた天井を眺めながら溜息にも似た呟きを漏らす。  
 
本当に災難だった、楽しい休暇の筈が事故にあった所為で愛車は壊れた上に燃えてお陀仏になった上に  
保険証を持ってなかったから治療費&入院費その他諸々で万単位の金が一気に吹っ飛ぶし。  
更に入院して仕事を休んだ所為で、電話口で聞きたくも無い上司の説教を3時間に渡って聞かされるし!!  
……一体俺が何をしたってんだどちくしょう!!  
 
「はぁ、心の中で文句言ったって始まらないか……」  
 
誰に向けるまでも無い呟きを漏らし、俺はごろりと寝返りをうつ。  
 
それにしても、事故に遭った時に意識を失う直前の俺に何があったんだ……?  
確か……ああ、思い出せない!  
 
俺は目を閉じ、頭の中で何度も事故に遭った時の記憶の引出しを探るが、意識を失う直前にあった事が思い出せず  
何だかもどかしい感覚を感じ、絨毯の上でゴロゴロと転がる様に寝返りを打つ。  
 
「……今日は満月か……」  
 
気が付けば、俺はベランダに続くガラス戸の側まで転がっていたらしく、  
既に山間へ沈んだ太陽に代わって、夜空に昇り始めた満月の光が俺の顔を煌々と照らしていた。  
……その満月の光は何処かで見た”ある物”を彷彿とさせた。  
 
――そうだ、思い出した  
 
――俺はあの時、本当に死に掛けていた  
――そして其処で俺は見知らぬ少女からこの満月の様に光り輝く石を飲まされた……  
 
 ど く ん  
 
その時、俺の中で何かが蠢いた。  
 
 ど く ん  
 
それは、今まで俺の中に潜んでいた”何か”が目覚め、俺の中で動き出しているかの様に蠢いた、  
 
 ど く ん  
 
そして、その”何か”は、俺の「人間」と言う殻を突き破り、自由を求めるかの様に蠢いた  
 
 ど く ん  
 
そして、その異変に俺が気付いた時、全てが遅過ぎた。  
 
 
ギシッ……ミシミシミシッ!  
 
――変化は直ぐに現れた、  
先ず最初に始まった変化は身体中の骨が音を立てて変形してゆく耳障りな音と、  
身体中の組織が引き千切れ、痛覚と言う痛覚が暴走する様な激痛だった。  
 
「――――っ!!……かっあっ!?」  
 
その激痛に対し、俺は声にならぬ悲鳴を上げながらのた打ち回り、  
何度か身体を仰け反らせては顔面や後頭部を床に強かにぶつけてしまう。  
だが、この時の俺は床に頭をぶつけた痛みは全くと言って良いほど気にならなかった。  
何故なら、頭をぶつけた痛みすら気付かぬほど俺の身体に起きた激痛は激しく、そして長かったのだ。  
 
暑い―――いや、熱い。  
 
次に起きた変化は身体中の細胞が沸騰しているかの様な熱さだった。  
 
それは病気で熱を出して寝込んでいた時の身体の熱さをもっと激しくしたような熱さだった  
その激しい身体の熱さの影響は皮膚にも顕著に表れ、身体中の皮膚と言う皮膚から大量の汗が噴き出す。  
それと同時に皮膚と言う皮膚がざわざわと灰色の何かに覆われ、上下の顎と歯の辺りがムズムズと疼き始め  
更に着ている服やズボン等が身体の変貌に付いてゆけずにビリビリと音を立てていたが、  
そんな事を気にしている余裕なんぞ今の俺には全く無かった。  
 
―――痛い熱いいたいあついイタイアツイイタイ!アツイ!イタイッ!アツイッ!イタイィッ!!アツイィッ!!  
 
身体の熱と激痛は止むどころかその激しさと範囲を増して俺の心と身体を蝕んで行く  
次第に俺の心の中は身体中の細胞が急激に変化して行く事による苦痛で埋め尽され、  
自分の身体に今、何が起きているのかを考える事すら間々なら無くなってしまう。  
 
「――――…………ぐっ!?げっfgyzydmyzygfcyぶrydgdずfせう!?!?」  
 
痛みと熱さにのたうつ俺の身体の変化は遂に内蔵まで達し、  
胃や腸等の消化器が膨張しつづける体中の筋肉に押されながら不気味に蠢き始める  
その気持ち悪さに俺は耐えかね、その場で胃の内容物を全て吐き出し、吐瀉物で床を汚してしまう。  
 
「――――――……あっグッッ!?……かぁっ!!……ぎぃっ!?………あ……ぅ…―――――――」  
 
吐く物も無くなって尚も胃液を吐いた後、更に身体の激痛と発熱は収まる所かより激しさを増してゆく  
その苦しみに目に涙を浮べ、口から涎を流し、嗚咽を上げながら俺は何度も床の上でのた打ち回り続けた挙句  
長く続く身体の苦痛によって蝕まれ続けた俺の精神は遂に限界に達し、  
力なく床に這い付く張った後、そのまま意識を手放してしまう。  
 
――――――空に満月が輝くその時、お前の内に眠るモノが目覚める――――――――  
 
意識を失う直前、俺は何処かで聞いた事のある声が聞こえた様な気がした。  
 
              ※ ※ ※  
 
――――――う、あ……俺、死んでないよな?  
次に気が付いた時、既に俺の身体からは痛みも発熱も何事も無かったかのように綺麗さっぱり消え失せていた  
その代わり、身体中に妙な違和感と窮屈さを感じるものの、  
身体に感じていた苦痛と比べればそう気になるものではなかった。  
 
「……つぅ……一体あの痛みと発熱は何だったんだ?事故の後遺症って奴か……?」  
 
俺はゆっくりと身を起こすと、頭のモヤモヤ感を振り払う様に頭をプルプルと振りたくる。  
 
「……え?……あれからまだ三十分も経ってないのか……?」  
 
のた打ち回った際にテーブルから転がり落ち  
俺の側で横向きに転がっていた目覚まし時計に顔を向けると  
そのデジタル表示は倒れる前から20分ほど後の8時5分を示していた。  
あれ?……あの時は1時間にも2時間にも感じられたんだが。  
案外、自分の時間の感覚と言う物は充てにならない物だな……  
 
「うわ、こりゃ後片付けが大変だな……上司にしこたま飲まされて悪酔いした後の事を思い出すよ……」  
 
部屋の一角の自分が吐いた汚物を見て俺はげんなりとした気分になる。  
一昨年だっただろうか、上司に無理やり飲まされた酒で悪酔いして家に帰った時に  
部屋中へ撒き散らかしてしまった吐瀉物を翌朝、半分泣きそうになりながら片付けた事を思い出す。  
 
しかし……胃液の臭いに混じって今日食べた牛丼のなれの果ての臭いも混じって……何とも言えんなこりゃ……、  
 
―――あれ?なんで臭いだけで牛丼が混じってるって判別できるんだ?  
そもそも俺はこんなに嗅覚が鋭かったっけ?  
 
まあ良い、そんな事はともかく、  
先ずはこの汚物を早く片付けないと床に染みが付いてしまう、雑巾雑巾っと……  
 
「――って、何じゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」  
 
雑巾を取ろうとして伸ばした自分の手を見て  
俺は思わず昔懐かしの太○に吠えろのジー○ン刑事ばりの叫び声を上げてしまう  
 
俺がつい叫んでしまうのも無理はなかった、  
台所に置いてある雑巾を取ろうと伸ばした自分の手が、何時も見ている人間の手ではなかったからだ  
基本的なフォルムこそ人間の手に似ているが、手の甲、いや腕のほぼ全体が灰色の獣毛に覆われており  
手のひらの方を見ると指の内側辺りだけ毛がなく、それはまるで犬や猫の肉球、いや、そのものだった。  
しかも爪もまた人間の扁平な爪ではなく、今の指先から伸びる爪はまさに獣の持つ鋭い爪だった。  
 
……ちなみに、手のひらを見た際、つい自分の指先の肉球をぷにぷにと触わった事で、  
その触った時に指先に感じた何とも言えない心地よさと同時に肉球から何だかくすぐったい感触を感じ  
この毛むくじゃらの手が特殊メイクとかではなく地の物だと改めて判別したのは内緒だ。  
 
「まさか、まさかとは思うが……」  
 
変わり果てた自分の手をまじまじと眺めた後、  
ようやく意識がはっきりしてきた俺は激烈に嫌な予感を感じ、  
ずっと爪先立ちをして歩くような慣れない感覚で何度か転びそうになりながら洗面台の方へ走る。  
 
「……や、やっぱりか……」  
 
洗面台に来た俺は、其処にある鏡を見て茫然自失といった感じで言葉を漏らす、  
何故なら、鏡に映った俺の姿は人間の姿から大きく変貌していたからだ。  
 
まず、色白だった俺の肌はその殆どがフサフサな灰色の獣毛で覆われ、  
余り厚くなかった胸部は隆々と言う言葉が合うくらいに分厚くなっており、  
どちらかと言えばビール腹一歩手前の弛んだ腰周りも、逞しさを感じさせる六つに分かれた腹筋に取って替わり  
友人からは生っちょろいと良く言われた腕も、其処ら辺の格闘家も真っ青なくらい太く逞しく変貌し  
50m15秒しか出せない偏平足気味な脚も、獣のそれを感じさせる疾駆する為に作られた踵の無い脚となり  
緊張感の無い平々凡々な日本人的な顔も、何処か精悍さを感じさせる金色の瞳を持つ狼の顔へ変わり  
無論、顔と同じくその歯も狼の持つ凶悪なまでな鋭さを持った歯牙へと変貌を遂げ  
おまけに狼の尻尾が臀部の辺りが裂けたズボンから覗いて見えた。  
 
そう、俺は人間から狼系の獣人へと変身してしまったのだ。  
 
 
「……何て言うか……性質の悪い悪夢だな……」  
 
俺はポツリと呟きを漏らし、  
暫し鏡の向こうの変わり果てた自分の姿を呆然と眺めるしか出来なかった……  
 

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