昼休み。  
クラスの男どもが先程の「女教師尻丸出し事件」について話題に咲かせる中  
女子達は貝のように口を閉じ、沈黙を続けていた。  
大半の女子が席から動かずにおしゃべりもしないというこの光景は明らかに異常である。  
とはいえ、男勢は大輔を除き彼女らの事情を知るはずもないため多少は女子たちの動向を怪しむ者はいるものの  
特にそれを追求しようとまで気にしているという者はいない。  
しかし、女子たちのほうはここに至ると流石に事を察し始めたのかチラチラと他方を気にし始めていた。  
 
(ま、それでも動けないよな)  
大輔はそんな少女たちの恥じらいを眺めて満足気に息を鳴らす。  
少女たちの観点からすれば、いくら限りなく黒に近い疑惑を持っていたとしてもまさか  
『あなた今ノーパン?』  
などとは聞けるはずもない。  
トイレなどの男がいない場所に行けば話は別かもしれないが、この状況ではそれすら難しい。  
下手に動くこと、それがすなわち危険に繋がっているのだから。  
結局、少女たちは余程差し迫った事態にでもならない限り沈黙を保つほかないのである。  
が、今は昼休み。  
弁当組はともかく、購買・学食組は動かないことには食事にありつけない。  
ついでに言えば、生理衝動、平たく言えばトイレを我慢できなくなってきた者だっているのだ。  
移動したいけど動けない。  
ノーパンがバレる可能性と生理的欲求を天秤にかけて苦悩する女子たちが大輔の目に映っていた。  
 
(ん? 紫藤…?)  
そんな中、一人の少女の動向が大輔の目に止まった。  
椅子の上で顔を赤くしてごそごそしている紫藤由貴だった。  
(弁当が出てるって事はアイツは弁当組だよな。なんであんな挙動不審なんだ?)  
由貴は椅子に座ったままじっと弁当箱を睨むように見つめていた。  
両手は太もものあたりに置き、ぎゅっと拳を握り締められている。  
俯いている顔は頬が真っ赤に染まって何かを我慢しているようにぷるぷると震え  
よく見れば足も時折ぴくっぴくっと痙攣していた。  
(あ、もしかしてアイツ…)  
ニヤリ、と大輔の顔が楽しげに歪んだ。  
真っ赤な顔、我慢するような仕草。  
その状態に大輔は覚えがあったのだ。  
(紫藤…便所か!)  
 
「が、我慢しな…と…で、でも…もし…うぅ、恥ずかしい…」  
大輔に見られているとは露知らず、由貴は小声で呟きながらもじもじと腰を揺すっていた。  
少年の考察通り、今彼女は尿意をもよおしていたのである。  
「はぁっ……う、くふぅ…」  
下へ下へと圧力をかけてくる恥ずかしい液体の感覚に顔を顰めながら由貴は懸命に抵抗を繰り広げる。  
ぎゅっと握られた拳が柔らかい太ももの肉を掴み、微かな痛みを脳へと伝える。  
それでも、由貴は構わずに拳を握り締め続けた。  
正直、尿意が紛らわせるなら痛みでもなんでもよかったのだ。  
「あ、あぁ…っ! ふぅっ…」  
一際大きな尿意の襲来に少女はもじりと体をくねらせ耐える。  
本人は気がついていないが、第三者視点で見れば、薔薇色に染まった頬と荒く吐き出される息が非常に官能的な光景だった。  
(も、もう…限界……ああ、でも…っ)  
数十分耐え続けてきた少女の忍耐力もそろそろ限界が近づいていた。  
だが、それでも由貴は立ち上がることが出来ない。  
実際、彼女と同じく尿意をもよおしている少女は何人かいた。  
しかし彼女らは由貴とは違い、あっさりと天秤を尿意へと傾け、既に教室を走り去っていた。  
由貴もそれに便乗するなりすればよかったのだが、人一倍羞恥心が大きかったのが災いしたのか彼女は結局踏ん切りがつかなかったのである。  
 
(……トイレに、行こう)  
が、流石にこれ以上我慢していると体に変調をもたらしかねない。  
最悪、漏らす可能性すらある。  
そう判断した由貴はついに天秤をトイレへと傾けた。  
「しょっ…と…」  
スロー動画のようにノロノロと立ち上がる。  
限界一歩手前まで我慢し続けていた少女の体は敏感になっていた。  
仮に、今背中や肩をぽんっと叩かれたらショックで漏らしかねないほどに。  
「ゆっくり…ゆっくり…」  
体に負担をかけないよう、それでいてスカートはきっちりガードしつつゆっくりそろそろと足を動かしていく。  
非常に違和感きわまるというか滑稽な仕草なのだが、由貴は大真面目だった。  
見ている大輔も、その瞬間は由貴のエロ仕草を忘れて思わず固唾を呑んでしまったくらいである。  
 
そろり、そろり。  
もはや歩くというよりはすり足といったほうが正しいような動きで由貴は教室の出口へと差し掛かる。  
と、その時。  
僅かな安心感からか、由貴はふっと視線をそらしてしまった。  
そう、大輔の席の方向へと。  
 
『あ』  
それは小さな驚愕だった。  
それゆえに声を発したことを両者は勿論、周囲のクラスメートたちも気がついていなかった。  
しかし、視線は見事にぶつかっていた。  
片やエロ全開の視線。  
片やほっとした瞬間の不意打ち。  
(や、やばいか…?)  
大輔は一筋の汗を頬にたらしながらどうリアクションを取るべきか悩んだ。  
偶然目が合った。  
そう解釈してくれればいいのだが、目を大きく見開いている由貴の様子からするとそれはなさそうな気配である。  
そうなると、これはかなりまずい。  
女の子が尿意に耐えている状態をガン見してました、など変態以外の何者でもない。  
昨日のスケ体操服の覗き見とはわけが違うのだ。  
由貴がそういったことを吹聴するような人物だとは思わないが、由貴一人でもダメージはでかい。  
しかも、大輔からすれば由貴は嫌っていない、いや、それなりに好意を持っている相手なのだ。  
(抗弁するべきか? いやしかしガン見してたのは事実だし、なんと言えば…)  
とりあえず黙っていても仕方あるまい。  
そう判断した大輔は一声かけるべく席を立ち上がろうとし  
「ひうっ」  
しゃっくりのように体をビクつかせた由貴を見て、その動きを止めた。  
 
「あ…あああ……」  
由貴は無意識に後方へ大きく一歩後ずさっていた。  
大きな動作に尿意が襲い掛かるが、少女からすればそれどころではない。  
(修地君に…み、見られてた…?)  
混乱する思考がぐるぐると由貴の頭を占めていく。  
トイレを我慢している状態を見られていたなど恥ずかしいという言葉ではすまない事態である。  
「……う、うううっ」  
ふらり、と由貴の体が傾いた。  
だが、なんとか持ち直す。  
危うくショックで気絶しそうだったが、二度目ということで精神的にも耐性が出来ていたのだ。  
無論、本人に自覚症状はなかったのだが。  
 
「……っ!!」  
だっ!  
そして大輔は、尿意をもよおしているとはとても思えない俊敏な動きで教室を出て行く由貴を呆然と見送るのだった。  
 
「…のーぱん、GJ」  
ぽつり、と大輔は呟いた。  
身を翻して教室を出て行く瞬間、由貴のスカートの後ろが持ち上がり生尻がチラリと見えたのだ。  
正にビバチラリズムである。  
「しかし…これは流石に嫌われたか?」  
いいものは見れたがその代償は大きい。  
別段大輔は女子に嫌われて喜ぶような趣味を持っていない。  
である以上、由貴に嫌われた可能性は少年にとって気を沈ませるには十分な材料だった。  
(…今度からはもっと気をつけよう)  
それでも、もうしないという選択肢が浮かばないあたりは流石なのだが。  
 
ちなみに、大輔の懸念とは裏腹に現在必死に廊下を駆けている紫藤由貴嬢に彼を責める思考は一切存在していなかったりする。  
それがパニック故だったのか、それとも相手が大輔だったからなのかは少女の心の中の秘密である。  
 
「ね、ねえ大輔くん…」  
由貴が走り去って数秒。  
他の女子ウォッチングを再開した大輔は自分を呼ぶ声に振り向いた。  
そこには、首筋まで顔を赤く染め、スカートの裾をぎゅうっと握り締めている文乃の姿があった。  
「なんだよ?」  
大輔は軽い驚きと気まずさを覚えながらも返事を返す。  
まさかさっきの今でこの幼馴染の少女が自分に声をかけてくるとは思っても見なかったのだ。  
「あ、あのね、その…」  
「…? はっきり言えよ。俺には読心術なんて使えないぞ」  
「だから…もうっ! ボク、お弁当持ってきてないの! 知ってるでしょ!?」  
「…ああ、なるほど」  
文乃は学食・購買派である。  
だが、彼女も例によって穿いてない以上、いつものように学食や購買まで足を運ぶというのは苦行なのだろう。  
故に事情を知る大輔にお使いを頼みたい。  
僅かなヒントと幼馴染アイコンタクトによってそう読み取り、ぽんと手を打った大輔に文乃はぷいっと顔を背けた。  
「まあ、俺も今日は弁当じゃないからいいけど、何がいいんだ?」  
「ゴージャスヤキソバパン」  
「ちょっとまて。そんな人気商品今からで間に合うはずがないだろ!? せめて普通のヤキソバパンに…」  
「ボクの…そのっ、見たんだから、それくらい当然なの!」  
「いや、アレは見たっていうか見せられた…」  
「バ、バカッ! なんてこというの!? ボクは痴女じゃないもん!」  
「…落ち着け。そんなに激しく動いたらまた見えるぞ」  
「あ…!」  
 
怒りに立ち上がり、大輔に掴みかかろうとした文乃の手が止まり、慌てて腰が下ろされる。  
慌てていたためか、腰を下ろす際に一瞬スカートが持ち上がって文乃の下半身がかなりきわどいところまで露出する。  
だが、大輔は黙ってそれを脳内メモリーに記憶して見て見ぬ振りをした。  
「う〜」  
当然、文乃は怒りと羞恥で顔を真っ赤にする。  
「睨むなよ。ったく、わかったわかった。けどなくても恨むなよ」  
最悪念動を使ってでもゲットしなくてはなるまい。  
何気に外道なことを考えつつ大輔は席を立ち、そしてすぐに立ち止まった。  
目の前で、大股開きで高見沢美香が通せんぼをするように立ちふさがっていたのだ。  
 
(ていうか危機感ゼロだなコイツ…)  
大股開きで仁王立ちなど、風がちょっと吹いたら一発でアウトである。  
今スカートめくったらどうなるかなーと大輔はちょっとした好奇心に揺り動かされながらも口を開いた。  
「…なんだよお嬢。俺は急いでいるんだが」  
「何度いったらわかりますの、私をお嬢と呼ばないでっ!」  
「うるせーな、お嬢なんだからいいじゃんか。ていうか何の用だ?」  
「……」  
「えーと、用がないなら通るぞ」  
「(さっ)」  
「…あの、お嬢?」  
あくまで無言を貫く美香に業を煮やし、横を通り抜けようとする大輔。  
が、美香は無言のまま素早く大輔の進路を塞ぐ。  
右(さっ)  
左(さっ)  
大輔が進路を変えるたびに美香は妨害を続行する。  
「…何故、邪魔をするんだ」  
「邪魔などしておりませんわ」  
「うぉーい」  
平然とうそぶくお嬢様に、思わず念動スカートめくりを仕掛けようかと大輔は本気で検討しかける。  
が、すっかり注目を集めている今の状況が状況だけにあまり不自然なことを起こすわけにもいかない。  
とはいえ、このままでは埒が明かないのも事実である。  
なんせ後ろにいる文乃などは後ろ手で押さえているものの、激昂寸前なのだから。  
「どいて大輔くん。そいつ殴れない!」  
「殴るな。ていうかお前は黙ってろって、ややこしくなるから。つーかお嬢、お前もいい加減にしないと俺にも考えがあるぞ」  
「あら、どんな考えだというのかしら?」  
「…この場でお前のスカートをめくるぞ」  
「な――!?」  
 
小さく耳元で告げられた言葉ににんまりと余裕ぶっていた美香の顔がボムッと爆発。  
次いで、後ろに回っていた両手がすぐさまスカートの抑えへまわされる。  
ドサッ!  
と同時に、何か硬いものが落ちる音が沈黙の教室に響いた。  
「なっ…なっ…まさか、あなた、知って…!?」  
「何のことだ? それより、何か落ちたぞ」  
そ知らぬふりを決め込む大輔に対し、戦慄にわななく美香。  
しかし大輔はそんな少女の隙をついて美香の背後へとまわった。  
途端、美香の顔が器用にも赤と青の二色に染まる。  
「あっ!? ま、まちなさっ」  
「…弁当箱?」  
ハテナ顔の大輔が拾い上げたのは上品なデザインの布地に包まれた弁当箱。  
だが、ここで大輔を含む野次馬に疑問が発生した。  
美香の机の上にはいつも彼女が使っている弁当箱が置かれている。  
つまりこれは美香が食べる弁当ではない。  
 
(…じゃあ、これは誰の弁当なんだ?)  
首をひねる大輔。  
だが彼の後ろにいた文乃、及び目ざとい女子たちはわかったらしい。  
途端に目を警戒と好奇に輝かせて美香へと集めていく。  
「お嬢、この弁当」  
「な、何のことかしら!? べ、別にお礼のつもりなんてこれっぽっちもなくてよ!?  
 ただ、その、うちの料理人たちが材料を余らせるなどという失態を犯したから、それでっ」  
「いや、中身は無事だと思うぞといいたかっただけ…って聞いてないな」  
勝手に自滅した美香に大輔はダメだこりゃと目を覆う。  
すると、大輔の手をくぐりぬけ、文乃が手をぶんぶんと振り回してなおも否定の言葉を吐いている美香へと近寄った。  
 
「高見沢さん」  
「けれど、折角の食材を無駄に――なっ、なんですの?」  
「それ、大輔くんにあげるつもりなんでしょ」  
「んな――!?」  
『直球だー!?』  
話を聞いていたクラスメートたちが心の中で突っ込みを行う中、落雷のエフェクトが美香の背後に現れる。  
(わかりやすいリアクションをするなぁ…)  
大輔はどこか人事のようにそう思った。  
 
「ふーん」  
「な、ななななななんですのその『全部お見通し』みたいな笑みは!?」  
「べーつーにー?」  
「棒読みですわ!? ち、違いますわよ? このお弁当は、その…」  
狼狽度が更に上昇していく美香に、大輔は二度目のダメだこりゃを感じた。  
彼とて鈍感バカではないのだからここまで来れば目の前の弁当が自分へのものだということくらいはわかる。  
美香の言葉から判断するに、昨日のお礼だというのだろう。  
だが、学校一のツンデレクイーンと名高い美香がこの状況で弁当をくれるとは思えない。  
個人的に高見沢家の弁当に興味があった大輔は落胆の溜息を吐くのだった。  
 
だが、彼は気がついていなかった。  
この結果が自分の幼馴染の手によって意図的に導き出された結果だということに。  
美香のツンデレ性質を読みきって弁当を渡せない状況を作り出し、それを見事に成功させて微笑んでいる文乃の腹黒さに。  
勿論、大輔と美香以外のクラスメートたちは気がついているので  
『比内さん、恐ろしい娘!』  
と畏怖を抱いていたりするのだが。  
 
(…とりあえず今のうちに逃げよう)  
大輔は揉めている二人の少女を置き去りにこの場を脱出することにした。  
こうしているだけで昼休みは刻々と過ぎ去っているのだ。  
弁当がゲットできないとわかった今、この場に留まっている理由はない。  
(さて、俺は何パンを食おうかな)  
購買パンのリストを思い浮かべつつ、教室の扉を勢いよく開ける。  
「急ぐ――っと?」  
「きゃっ」  
と、次の瞬間、大輔は胸元に柔らかい衝撃を受け軽くよろめく。  
落とした視線の先には、鼻を押さえる妹の姿があった。  
 
「…何やってるんだ、愛菜?」  
 

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