「…弁当は?」  
朝、一人きりの家で大輔はポツリと呟いた。  
既に愛菜は日直で登校している。  
普段ならばこういう場合テーブルの上に手紙と共に弁当が置いてあるのだが、それがない。  
幸いにも朝食は用意されているので悪意からの行動でないことは確かなのだが。  
「やはり昨日のアレのせいなのだろうか」  
妹の生唾もののセミヌードを思い出しつつ大輔は少し度が過ぎたかと後悔する。  
だが、反省はしていない。  
何故ならばまた似たようなことをする気満々だからだ。  
(今日は学食か購買だな…)  
食パンが焼けるのを待ちつつ大輔はポケットに手を伸ばした。  
そこには、確かに手のひら大の感触がある。  
「ふっふっふ…睡眠時間を削ってまで頑張っただけに納得のいくものができた」  
少し充血した目をこすりながらも大輔は今日という一日を楽しく過ごそうと決意を固める。  
かくして、修地家に朝っぱらから不気味な笑い声が響くのであった。  
 
(…うおっ!?)  
ガララ、と教室の扉を開けた大輔はいつもと違う雰囲気に思わず後ずさった。  
見た目はいつもと変わらない教室。  
だが、一点だけいつもとは違う光景が存在していた。  
二人の女子が睨み合っている。  
というか片方が一方的にもう一方を睨みつけている。  
睨んでいるのはお嬢こと高見沢美香で、睨まれているのは委員長こと紫藤由貴だった。  
(な、なんだこの状況は…)  
思わぬ緊迫空間に困惑しかけた大輔だったが、すぐに原因に思い当たる。  
高見沢美香という少女は短気で傲慢不遜で人を見下すところがあるが、無意味にケンカをふっかけるようなマネはしない。  
まあ、自分という例外はいるが。  
そんな彼女が他人に怒気をぶつけているとなれば理由は一つ、昨日の一件しかありえない。  
 
(大輔くんっ)  
(げ…)  
大輔は二人のすぐ傍でオロオロしている文乃と視線がぶつかった。  
幼馴染という付き合いの長さからその視線の意味を察する。  
すなわち、助けてくれ。  
 
(大輔くん、どうにかして!)  
(俺に振るな!)  
(だって仲裁できそうなのは大輔くんしか…)  
(だが断る! ていうかなんで俺しかいないんだよ!?)  
(だって、それは…その…)  
すぐさまかわされる幼馴染ならではのアイコンタクト会話。  
だが、厄介事に巻き込まれたくない大輔は即行で文乃の訴えを棄却した。  
大本の原因は自分にあるとは理解しているが、だからといってあの空間に割り込むほどお人よしではない。  
そう自己評価する大輔だったがトラブルの女神は彼の襟首を強引に掴んだ。  
すなわち、渦中の女性二人が彼に気がついてしまったのである。  
 
「修地大輔!」  
「修地君っ」  
「うえっ!?」  
クラス、否、学校でも指折りの美少女二人に同時に呼びかけられた大輔は思わず体を硬直させた。  
関わり合いになるまいと反転する最中だったので非常にマヌケなポーズである。  
「な、なんでしょうか…?」  
思わず敬語になる大輔。  
怒りと羞恥と困惑、そして期待と申し訳なさ。  
そんな相反する感情を含んだ二対の視線を一身に受けたのだから彼のリアクションももっともだと言える。  
だが、視線の主たちはそんなことには構わない。  
意思の強弱こそあれど『こっち来い』というオーラが二人の少女から漂いだす。  
(勘弁してくれ…)  
額にでっかい汗を流しつつ大輔は足を動かす。  
勿論後にではなく前にだ。  
大輔的にはこの場を離れたいのは山々なのだが、既に場の空気がそれを許さない状況になっている。  
文乃はおろか、今クラスにいる級友たち全員が彼に対してどうにかしろオーラを放っているのだから。  
 
不幸にも空気が読めてしまった大輔はぎこちないとしか言いようがない笑顔を顔に貼り付けた。  
「お、おはよう」  
微妙に噛んだ。  
だがそれを笑うものは誰もいない。  
生贄に哀憫を抱くのはいいのだが、侮蔑を抱くのはタブーだからだ。  
 
「おはよう、と言っておきますわ」  
「おはよう」  
ツーンと見下すような美香と下から見上げるような由貴の対照的な挨拶が大輔の耳に届く。  
「一体、ど、どうしたんだ?」  
「どうしたもこうしたもありませんわ!」  
穏便にと下手に出た大輔を一刀両断する美香の怒声。  
女王様オーラ全開のその声を聞いた全ての者が思わず跪きたくなる衝動に駆られる。  
「昨日、私はとてつもない屈辱をこの紫藤さんから受けましたわ!」  
「とてつもない屈辱ってお前…」  
ぽわん、と大輔を含む男どもの脳裏に浮かぶのは美香の尻。  
「な、何を考えているんですのっ!?」  
美香は慌ててにへら、と口元を緩ませる大輔の頭上で手をぶんぶんと振り回す。  
どうやら妄想を消しているつもりのようだ。  
無論、そんなことでは妄想は消えるはずもないのだが。  
「はぁはぁ…と、とにかく! 私は謝罪を要求しているのです! 邪魔しないでもらいたいですわ!」  
(いや、邪魔も何もお前がこっち来いっていったんじゃん…目で)  
「な、なんですのその目は!? 言いたいことがあるのならば言えばいいじゃない!」  
「いや、別に」  
「くきぃーっ! その目が、その目がむかつきますわぁぁぁ!」  
言いがかりも甚だしい。  
そう思った大輔だったが特に反論することなく無言を貫く。  
ちょっとは悪かったかなーと思っているのと、下手な反論は火に油を注ぐと承知していたからだった。  
 
「ごめんなさい!」  
と、そこに絶妙なタイミングで謝罪の声が響いた。  
勿論声の主は由貴である。  
『は…?』  
突然の謝罪に大輔と美香の声がハモった。  
そして同時にぷいっと顔を背ける二人。  
「あ、あの…高見沢さん。昨日は本当に…ごめんなさい!」  
土下座をもしかねない勢いで由貴の謝罪は続く。  
何度も何度も頭を下げる少女の姿は逆に申し訳なさを覚えるほどのものだった。  
 
(う…)  
これに困ったのは美香だった。  
元々美香は聡明な頭脳を持っている。  
由貴が誠意を持って謝っているのは明確に理解できるのだ。  
だが、天邪鬼全開な彼女の性格は素直に謝罪を受け入れることができない。  
「や、やめなさい! そんなに謝られても、私は…!」  
 
「許してやればいいじゃねーか」  
「んなっ!?」  
「だってお前は謝罪を要求してるんだろ? で、紫藤は謝罪した。何の問題が?」  
「うぐっ…」  
が、そこに口を挟んできたのは大輔だった。  
実に正論である。  
それが自身の罪悪感と保身、あとほんの少しの正義感から出た言葉であっても正論は正論。  
故に美香は口を閉じることしか出来ない。  
何故ならばこうなってしまうと許す以外の選択肢が取れないからだ。  
実際問題、美香は一夜明けた今それほど由貴に対して怒りを抱いているわけではない。  
どちらかというとその後の保健室連行の一件のほうが彼女にとっては重要だったからだ。  
だが、ここで許すといえないのが高見沢美香という少女である。  
「で、ですが…」  
「それにだ。お前は―――俺に借りがあるよな?」  
後半はそっと耳にささやくように大輔が美香に告げる。  
その瞬間、三人の少女―――わかりやすくいうとお嬢様と幼馴染と委員長、の顔がそれぞれの理由で真っ赤に染まった。  
一応理由を端的に説明しておくと、動揺、嫉妬、羨望である。  
勿論、一番大きく染まっているのは美香だ。  
「な、ななな…」  
「ここは俺の顔を立てると思って…な?」  
ニヤリ、と悪人丸出しの顔で美香の肩をぽんと叩く大輔。  
既に美香に退路は残されていなかった。  
 
「ゆ、許します! 許しますわ!」  
その言葉が発せられた瞬間、彼女の近くにいた三人の少年少女は笑った。  
少年はニヤリと、小さい少女はほっと、大きい少女は申し訳なさそうに。  
「ああもう、この話はこれまで! もう時間ですし、あなた達は席につきなさい!」  
むきー! と憤懣やるせない表情で後ろを向く美香に大輔はくっくと笑った。  
昨日の一件と合わせて、ようやく美香をへこませたとスカッとしたのだ。  
 
と、ここで終わっておけばそれなりに(表面的には)良い話だったのだが。  
「大輔くん、ありがとう」  
「私も…ありがとう」  
二人の少女の礼が美香に聞こえたものだから事件は勃発した。  
「いや、俺は特に何もしてないって」  
「ううん、ちゃんと仲裁に入ってくれたもん。やっぱり大輔くんはボクの幼馴染だねっ」  
「そうだよ、修地君が来てくれなかったら、私ちゃんと謝れていたかどうか…」  
大小二人の美少女からの賞賛に大輔の顔が緩む。  
善意とはとても言いがたい行動からの結果だが、女の子からお礼を言われて嬉しくないほど大輔は男をやめていないのだ。  
が、浮かれたが故に彼は忘れていた。  
すぐ傍に自分を敵視するツンツン少女がいるということを。  
 
「何をデレデレとしているんですの…?」  
「へ?」  
ゴゴゴゴゴ…  
そんな擬音を背景に背負って夜叉が降臨した。  
夜叉の名前は高見沢美香。  
庶民である少年に脅されたということと、行き場を失った怒りをぶつける先を見つけたということと、  
女の子二人に礼を言われてデレデレしているクラスメートに何故か無性に腹が立ったということ。  
そんな複雑な感情をないまぜにして怒気を露にしているお嬢様だった。  
 
(な、何故そこまで怒っているんだ!?)  
目を吊り上げた眼前のお嬢様に大輔は本能的な恐怖を覚えた。  
なにかよくわからないが逃げたい!  
思わず念動力を発動しかける大輔。  
だが、そんな彼の前に立ちふさがる二人の少女がいた。  
言うまでもないが、由貴と文乃である。  
「おどきなさい!」  
「嫌だ! っていうかなんで高見沢さん怒ってるの?」  
「怒ってなどいません! ただそこの男にむかついているだけですわ!」  
「それを怒っているというと思うんだけど…」  
「なんですって!?」  
バチン!  
三人の少女の間で火花が散る。  
大輔はわけもわからずふと何故か泣きたくなった。  
 
『ひぃっ!?』  
渦中の四人を除いたクラスメートたちが一斉に彼らから距離をとり始める。  
修羅場空間発生とあらば野次馬と化すのが年頃の少年少女の本能だが、生存本能が勝った模様。  
(て、てめえら…)  
当然、取り残された大輔はそんな周囲を恨めしそうに見回すしかない。  
といっても原因が彼自身にあるので逃げ出したところで状況に変わりはないのだが。  
 
「もしかして、高見沢さん嫉妬してるの?」  
「なっ!? だ、だだだだだ誰が嫉妬なんて! 貴女こそ幼馴染だからって男とベタベタしすぎですわ! 汚らわしい!」  
「むっ! ボクは彼のおねーさんなんだからいいの! 大体それいいだしたら高見沢さんはいつも大輔くんにちょっかいだしてるじゃない!」  
「そうだよね」  
「ち、違いますわ! あれは修地大輔が見苦しいから…って紫藤さん! 貴女何合いの手入れてますの!?」  
「えっ、だ、だって…」  
「もしかしなくても、貴女こそ…」  
「な、何をいってるの高見沢さん!?」  
「紫藤さん…?」  
「ひ、比内さん微妙に目が怖い!? そ、その、一番怪しいのは比内さんだと思う!」  
「ふぇっ!?」  
 
なんというツンデレ時空。  
遠目から見物している全ての者がそう思った。  
男は嫉妬を、女は哀れみの視線を大輔に向ける。  
(俺が何をしたーっ!?)  
一方、注目を浴びまくっている大輔は理不尽に嘆いていた。  
キッパリハッキリ自業自得の上に今の状況を理解していない。  
というか聞いていない彼だったが、既に精神耐久値が限界に達しようとしていたのだ。  
何せ彼は基本的に平穏を好む男である。  
見る分にはいいが、自分が渦中にいるのは嫌。  
それが修地大輔という男のスタンスなのだ。  
 
「そもそもアナタがいけないんですのよ!」  
(お前ら…)  
「ちょっと、何大輔くんに責任押し付けようとしてるの!?」  
(いい加減に…)  
「えーと二人とも、そろそろチャイム鳴ると思うんだけど…」  
『うるさいっ!』  
「ごめんなさいっ?」  
(その口を…)  
由貴の仲裁も既に遅し。  
大輔の脳内で何かがプッツンと切れた。  
 
(閉じろコラーっ!!)  
 
ぶわっ!!  
「ひゃっ!?」  
「きゃっ!?」  
「あっ!?」  
大輔の心の叫びと共に文乃、美香、由貴のスカートが勢いよくめくりあがる。  
少しキレ気味での念動力の行使だったのでその捲くれ状態はスカートだけ重力が逆転したのではないかといった具合である。  
勿論、パンツは全開でご開帳となり、大輔の視界に赤白ピンクの順番で小さな布地の色が映っていく。  
「やっやっ、なんで!?」  
「ス、スカートがおろせない…な、何故ですの!?」  
「や、やだっ!」  
慌てて三人はスカートを抑えようとするも、念動力で固定されたスカートはビクともしない。  
下着を教室のど真ん中で晒す恥ずかしさに焦る三人の美少女。  
だが、そんな光景を見ている男は実のところ大輔だけだった。  
何故ならば、大輔はスカートをめくると同時にクラスにいた男子全員の首を念動力で捻っていたのだ。  
自分を見捨てて退避していた彼らにいい思いをさせるほど大輔は寛容ではなかったのである。  
なお、ゴキとかグキとか微妙に危ない音が聞こえた気もしないではないが、気にするものは周囲の女子にはいなかった。  
ちなみに女子たちは「比内さん相変わらず似合わない下着…」とか「紫藤さん可愛らしいのを穿いてるのね」とか下着批評をしていたりする。  
 
きーんこーんかーんこーん。  
チャイムが鳴ると同時に大輔は念動力を解除した。  
すると、今までの頑強さが嘘のように少女たちのスカートが元の位置へと戻っていく。  
「な、なんだったの今の…?」  
「風…じゃないですわよね?」  
「窓は閉まってるし…」  
「おいお前ら、いつまでつったってるんだ? チャイムは鳴ってるんだぞ?」  
困惑する文乃たちだったが、教師がやってきたために慌てて席へと戻っていく。  
(ふっ…勝った)  
そんな少女たちの後姿を眺める大輔は勝利の余韻に浸っていた。  
ぶっちゃけた話、スカートめくりによって周囲は余計にうるさくなったのだが、パンツを拝めた彼は満足だった。  
 
余談ではあるが、一時間目の間中ずっと大輔は三人の乙女の視線に晒されることになる。  
その理由は彼女らの羞恥に赤く染まっていた頬を見れば言うまでもない。  
 

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