私の通う中学の私を含む教室の生徒は今期、8科目ほどの授業を受けています。  
 そして私を含む教室は勿論のこと、8タイプの授業態度がありました。  
 保健の授業の時は面白おかしく怠慢に、体育の授業の時は少なからず真面目に、という具合です。  
 それは先生の厳しさや怒りっぽさ、優しさに起因されていることであり、私たちは幾度かの授業でそれらを学びました。  
 もう学校生活は慣れたものだったのです。  
 
「……次の授業、さぼろうかな」  
 休み時間が始まって、仲の良い友達同士が集まってグループが形成されて、私の側にいる弓子ちゃんが言いました。  
 弓子ちゃんは中学なんて行かなくても卒業できるという固い意志を持っていて、また将来は自営業の美容院を継ぐという進路を決めており、  
 高校は最低ラインで一向に構わないという進路を決定していました。  
 そのため中学の授業というものには一抹の興味もなく、よってすぐにさぼる悪癖がありました。  
「いやー駄目ですよ。また先生に怒られちゃうよ?」  
 私がいつものように注意すると、弓子ちゃんは深く溜息を吐いて頭を垂れました。お母さんに無理やり染められたという茶色の髪がさらさらと踊ります。  
「やっちゃん、真面目だねぇ」  
「? そんなことは全然ないですよ」  
 即答する私を、弓子ちゃんは上目遣いで見つめます。  
「やっちゃん、一年の時も無遅刻無欠席だったもんねぇ」  
 あー……それは確かにその通りですが、イコールで真面目というわけではありません。  
「まぁ、私のことはどうでもいいんですけど……ともあれ弓子ちゃん、さぼっちゃ駄目ですよ」  
「……うー……」  
 あっさり話を戻されてしまった弓子ちゃんは少し頬を膨らませ、それを溜息みたいにして吐き出します。  
「いい暇潰しでもあればいいんだけどさー……」  
 弓子ちゃんが嘆くように呟くと、不意にずっと本を読んでいた海未ちゃんが振り向きした。海未ちゃんは平易の、だるそーな顔をしています。  
「なら弓子、ギャンブルしよう、ギャンブル」  
「えぇ?」  
 海未ちゃんは日本人形みたいな真っ黒のおかっぱ頭をしており、いつもぼんやりとしています。  
 そんな海未ちゃんと弓子ちゃんは、並ぶとまるで相反していて、私はそれを見ているだけで楽しくなりました。  
「なぁに、何するの?」  
 問い掛ける弓子ちゃんに、海未ちゃんは携帯電話を差し出します。  
 薄い桃色の、折り畳み式のその携帯電話に、私と弓子ちゃんの目が向けられました。  
「賭けしりとりしよう」  
「……………………」  
 賭けしりとり……私は何のことだか分からず、きょとんとしました。  
 いつの間にか、そういう遊びが流行っていたのでしょうか……そう思うも、弓子ちゃんも同じく、きょとんとしています。  
「何それ……どうやんの?」  
「ルールは、メールでしりとり、それだけ。でも制限時間があって、五分以内に返信しなかったら、その時点で負け。もちろん【ん】がついても負け」  
「……制限時間とメールでってこと以外、普通のしりとりと一緒?」  
「そう……でも、制限時間は絶対なの。例えば先生に指されて黒板に回答を書いてるうちも、カウントされる」  
「えぇ、それって……指されちゃったりしたら、その時点で負けじゃないですか」  
「お腹が痛いって教室を抜ければいいんだよ。ま、とにかく制限時間は絶対ってこと」  
「ふーん……んで、ギャンブルってのは?」  
「負けたら罰金五千円」  
「えぇっ。そんな、すーぱー大金じゃないですかっ」  
「だーから、はらはらどきどき、授業もあっという間だよ」  
「ふーん……んー……」  
 
「やる? やらない?」  
「よし、乗った」  
「おっけー。んじゃ、次の授業、私からメールしたら開始ってことで」  
「最初はどっちにメールすんの?」  
「…………?」  
「じゃぁ、やっちゃん」  
「…………?」  
「じゃ、やっちゃんはあたしにメールね」  
「…………ん?」  
 こうして私は、第一回賭けしりとりに参加することになりました。  
 次の授業……静寂と緊張が支配する、国語の時間に。  
 
 さて、授業が入る前に、蛇足的な自己紹介を行っておきます。  
 私の名前は多々良羽やちる。  
 特別に何をやりたいというわけでもなく、近いという何となくな理由で今の中学校に入りました。  
 性格は平々凡々、小学生の頃から何となく気が合う友達と一緒にいる、普通の女の子です。  
 ただ、ほんのちょっとだっけ、僅かばかり違う点というのが、私は兄が大好きということでした。  
 兄は昔から私の面倒をよく見てくれていて、とても優しかったのです。  
 この好感を隠しておくのも兄に対して不遜であると考えた私は、ある時、告白を計画しました。  
 小学校を卒業すると同時に、私は兄に言ったのです。  
「兄さん、好きです」  
 兄は私の目をじっと見て、数秒の間を置いてから答えてくれました。  
「これで我慢しとけ」  
 そう言いながら兄さんの差し出したものは――ピンク色の物体でした。  
「? これ、何ですか?」  
 まだパッケージに入っているものを持て余す私に、兄は言いました。  
「バイブ。ローター? まー使い道は色々……ゲーセンで取ったけど、使い道ないし」  
「……はぁ。ありがとう」  
「いや、いいっていいって」  
 以来、私はパッケージの中身の使い道を知り、兄に言われたとおり、兄への想いは代替品にて我慢することにしたのです。  
 ちなみに、パッケージの中身の使い道は、簡単なものでした。  
 ピンク色の、親指くらいの大きさのものを下着の中に入れて、紐にて繋がっている携帯電話くらいの大きさのスイッチを操作するだけで良かったのです。  
 そうするだけで、ピンク色のものはぶるぶると振るえ続けました。  
 それだけで、頭の奥の方がぽわぽわとする心地を味わうことができるのでした。  
 兄は全く、不思議なものをくれたものです。  
 それからというもの、私はそのピンク色の物体を下着に入れることが多くなったのでした。  
 今までに何度か、授業の時にも入れていたことがあります。  
 ただ、長く入れていると、ふわふわ感よりも痛みの方が勝ってくるため、一日のうち一時間、一回の授業にしか入れないようにしています。  
 そして今日、次で最後の授業となる五時間目、私はまだそれを入れていないことに気付いたのでした。  
 
「どこ行ってたの?」  
 授業が始まる寸前、手洗いから帰ってきた私に弓子ちゃんが聞いてきました。  
「うん……ちょっと、手洗いです」  
「ふうん。しりとり、始まるみたいだよ?」  
「あ、はい」  
 言われて海未ちゃんを見ると、その手には携帯電話があります。  
 その時、チャイムが高々と鳴り響きました。  
 きーんこーんかーんこーん。  
 途端に、今まで賑やかだった教室は、水の跳ね返る音さえも響きそうなほど静かになりました。  
 それほど、国語の授業というのは緊張に満ちたものなのです。  
 私はその静けさの中、ポケットから携帯電話を取り出し、折り畳み式のそれを開きます。  
 もちろん下着の中には、兄から頂いたプレゼントが入っていて、それは微弱に震えています。  
 その小さな振動は、頭の天辺に少しずつ少しずつ熱っぽさを運んでいます。  
 
 程なく、国語の先生が現れて、日直が起立と礼を行いました。そうして座る際、私は開いたままの携帯電話を太腿に挟みました。  
 携帯電話はバイブに設定しています。こうしていれば、着信によってばれることはないと踏んだのです。  
 何しろ、五千円……勝つ必要はないですが、負けは許されません。  
 と、心構えを強くした瞬間、ぶるるっ、と携帯電話が震えました。  
「……っ」  
 突然のことに、はっと息を飲むと、先生がちらりと私を見ました。  
 私はいつもの、やっちゃん無表情だと何考えてるか分かんないよね、という表情を浮かべて遣り過ごします。  
 尚且つ、そんな表情をしながらも片手を携帯電話に手を伸ばし、液晶に表示されている時間を確認します。  
 制限時間は、五分間しかないのです。  
 慎重に、音を立てないようにメールの内容を確認すれば、そこには【しりとり】という文字がありました。  
 次は【り】から始まる何か……そして弓子ちゃんが思いつかないような言葉にする必要があります。  
 私は息を飲みつつ、片手でノートを捲りながら、かちかちとメールを打ちます。  
【リオネジャネイロ】  
 送信ボタンを押して、すぐに太腿に挟んで、怪しまれないように両手で教科書を開きます。  
 送信中、携帯電話が密やかにぶるぶると震えて、その震えと下着の中の微弱な振動が相俟って、何だかいつもと違う感じでした。  
 いつもは頭の奥がほわーっとなり、ふぅ、と溜息が何度か漏れるような感じなのですが、今回は……何でしょう、緊張感もあるせいなのか、  
 びくっ、と痺れのようなものが、腰の辺りから頭の天辺へと走り抜けるような感じです。  
 送信も完了したらしく振動が終わって、ちらと弓子ちゃんを見ます。  
 弓子ちゃんは足を組んで、先生から死角になるところで携帯電話を持っています。  
 先生はというと、教科書にある小説の一節を淡々と読んでいます。  
 それらを確認してから、私は意識を授業に戻しました。  
 読めない漢字を先生の朗読から解読し、教科書に記しておきます。同時進行で、小説の、朗読されている一節の場面を想像します。  
 静かな授業に集中します。  
 と、ぶるるっ、と再び震えがきました。  
「…………!」  
 振動の強さは分かっているのにも拘わらず、やっぱり緩やかな痺れが走って、お腹の中を通って胸へと上がっていきます。  
 心音が少しばかり高鳴りました。  
 大丈夫……ばれてはいません。  
 先生の朗読が終わり、教科書の斜線が引かれている部分についての説明がされる中、私はこっそりとメールをチェックします。  
【バランス】  
 バランス……また微妙な、中々しりとりでは出てこない単語が届きました。やはり二人も負ける気は毛頭ないようです。  
 そんなことを考えていると、先生が不意に、高城、と名前を呼びました。  
 私は何で急に高城さんの名前が呼ばれたのか分からず、思わず背筋を伸ばします。  
 けれど立ち上がった高城さんは、いつの間にやら黒板に書かれている問いの答えを平然と答えました。  
 ……どうやら一瞬、授業がすっ飛んでいたようです。更に心臓が高鳴りました。  
 しかも、背筋を伸ばした際に下着が圧迫され、親指程度のものが強く密着しました。  
「…………っ……」  
 ぶるるるる、と震えているものが、緩やかな寒気みたいな感じでせり上がります。  
 ちょっと……何でしょう、何か……こめかみの辺りが熱くなっている気がします。  
 いえ、いえいえ、そんなことは置いておいて、早くメールを打たなければなりません。負けは許されないのです。  
 私は口の中に溜まっている唾を飲み込んでから、メールを打って送信しました。  
【水路】  
 ちらと弓子ちゃんを見れば、弓子ちゃんは平淡な顔でノートに何やら書いていて、片手で携帯電話を操作しているようには全く見えません。  
 海未ちゃんを振り返れば、海未ちゃんもだるそーな顔ながらも教科書をしっかり見ていて、私の位置からでは携帯電話すら見えません。  
 ……強敵揃いです。  
 私は少しずつ高鳴る心音を抑えるよう心掛けつつ、先生の説明に納得しているかのように二度頷きます。  
 その時、ふと先生と目が合いました。  
 あ、まずいです……と思った時には既に遅く、先生が「多々良羽」と私の名前を呼んだのです。  
「……はい」  
 私は、どびっくりを必死に抑えて唾を飲み込みます。  
「この漢字、何て読むんだ?」  
 先生は黒板に記してある漢字、【湖水】をチョークで軽く叩きました。  
 
 と、携帯電話がぶるる、と震えます。  
「あ」  
「? 分からないのか?」  
「いえ……えと、【こすい】です」  
「ん、そうだな……じゃあ、次――」  
 先生は私を立たせることもなく、次の問いを三島君へと投げ掛けました。  
 私は、ほぅ、と胸を撫で下ろして、海未ちゃんを振り返ります。海未ちゃんは優しげなウインクで私に応えました。  
 ……あのタイミングと今の仕草、どうやら狙ってのこと……みたいです。  
「…………ふぅ」  
 私は今一度、小さく息を吐き出してから、さり気ない感じを演じて額に浮いている汗を手の甲で拭います。  
 驚きと着信の震え、更にはずっと微弱な振動を与えてきているもののせいで、すっかり体が熱くなっています。  
 しかも気付けば唇が半開きになっていて、慌てて口を閉ざしました。  
 ……何だか下着が湿っているような気がします。  
 けれど今は、そんなことに頓着している場合ではないのです……それを思い出してメールを確認します。  
【富田林】  
 ……海未ちゃんは私を負かす気満々みたいです。ともすれば読み方も危うい漢字を使ってくる辺り……  
 私は太腿に挟んでいる携帯電話を手に取り、一分ほど、三島君が答えられなくて南ちゃんが当てられたタイミングで送信します。  
【進路】  
 送信の震えが、ぶるる、と太腿に走ります。  
 その震えに唾を飲み、腰の辺りから這い上がってくる甘そうな痺れに背筋を震わせます。  
 何だか、気のせいか……少しばかり顔が赤らんでいるような感覚がありますが、そこは静かに息を吐くことで誤魔化します。  
 ちらと弓子ちゃんを見やれば、度重なる【ろ】攻めに辟易したのか、唇を歪めていました。  
 ふふふ、地味ながらも確実な攻撃が功を成してきているようです。  
 ただ、問題は……どうやら私の方も、少しばかり参ってきているという点です。  
 原因は完全に私の落ち度ですが、まさか慣れ親しんだ微弱な振動が、携帯電話のバイブ機能と賭けしりとりによって凶器になるとは思いもしませんでした。  
 す、と息を吸うと心音が高らかに耳元で響き、はぁ、と息を吐くと予想以上に熱い息が吐き出されます。  
 体も変に熱く、額には何度拭ってもうっすらと汗が浮かんでしまいます。  
 それらを認識している最中ももちろん振動はずっと続いていて、そこに携帯電話の着信送信も――  
 と、ぶるる、と携帯電話が震えました。  
 
「……ぁ」  
 痺れが頭の中を駆け巡って、息を漏らしたつもりが、小さな声も漏れていました。  
 先生と隣の席の響さんが私に目をやりますが、私は咄嗟に咳をするふりをしていて、何とか難を逃れました。  
 …………まずい状況です。このままでは、五千円以上のものを失ってしまいそうな勢いです。  
 頭ではそう思いながらも、私は素早く落ち着いてメールを確認します。  
【アメリカンドリーム】  
 ……海未ちゃんも限界なのでしょうか。  
 ともあれ、すぐに送信します。  
【躯】  
 恐らく汗を吸っているスカートの、太腿の辺りが送信合図に震えました。  
「…………ふ、ぅ」  
 私は両手をぎゅっと握り、ちょっと前屈みになって息を吐き出しました。  
 そんな中、ちらと弓子ちゃんを見れば、茶色い綺麗な髪に手を突っ込み、その指先をがしがしと動かしています。  
 これは、勝ったかも……そう思いました。  
 何しろ、難しい漢字です。しかも、またも【ろ】なのです。  
 ん、と唾を飲み込む私の、淡い期待は――淡い期待は、大きな音で掻き消されました。  
 きーんこーんかーんこーん。  
 先生がその音に頭上を見やります。  
「終わりか……じゃあ、今の部分は明日やるから、予習しておくように」  
 その言葉の後を継ぐように日直が、起立と礼を促します。  
 誰もがその言葉に従い、起立をして、礼をしました。  
 そして先生が教室から出て行くと、わっ、と教室内が騒がしくなって、今までの静寂を吹き払いました。  
「……は、ぁ……はぁ」  
 それらの音に紛れて、私は途切れ途切れに息を吐きます。  
 良かった……その思いで一杯でした。  
 もう限界……椅子に座って息を吐くと、そこに弓子ちゃんがやって来ました。  
「授業、終わっちゃったか……勝負、つかなかったね」  
「……うん、そうですね」  
 残念そうな表情の弓子ちゃんに笑みを返した、その瞬間――ぶるる、と携帯が震えました。  
「ぁっ」  
 それは完全な不意打ちだったのです。  
 太腿に振動が走って、その振動が下着の内の震えに拍車をかけて、雷みたいな痺れが腰から頭へと突き抜けました。  
「?」  
 頬をぺったりと机にくっつけ、背筋を震わせる私を、弓子ちゃんが不思議そうに見下ろしています。  
 そこに海未ちゃんがにやにやと笑いながらやって来ました。  
「勝負、つかなかったね。あ、最後の返信、届いた?」  
 私は答えることもできず、何度も息を吐きます。  
 頭上からは二人の声が聞こえました。  
「? やっちゃん、どうしたの?」  
「? さぁ……」  
「あ、賭けしりとり、どうする?」  
「明日の授業に持ち越しってのはどう?」  
「……いいけど、次は順番交代ね。私がやっちゃん、やっちゃんは海未ってことで」  
「? 別にいいけど……じゃあ、明日ってことで」  
「ん、やっちゃんもおっけー?」  
 私ははぁはぁと息を吐きながらも、こう答えることしかできませんでした。  
「……ん、うん、おっけー……です……ぁ」  
「?」  
 そんな私を、二人は怪訝そうに見つめているのでした。  
 
 ちなみに海未ちゃんの最後の返信は【一匹狼】でした。  
 ……やっぱり海未ちゃんも限界だったようです。  
 

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