「あ、き、貴代子おねえさ〜ん!」  
ある日、公園で千奈美ちゃんと一緒に遊んでいるワタシに、誰かが声を掛けてきた。  
声のした方向を振り返ると、半そでシャツと短パン姿で、野球帽を後ろ向きに被った男の子が、  
こちらに向かって一目散に駆け寄ってくる。  
「はあ……はあ…はあ……はあ……。……た…助けて……兄ちゃんたちを、助けて……」  
「……? 兄ちゃん? ……どういうことだ?」  
ずっと全力で走ってきたのだろう、ワタシの目の前にたどり着くと、両手を膝に当て、  
肩で息をしたまま、話しかけてきた。………必死なのは分かるのだが、いったい誰だ……?  
「えっと……その…。………あ」  
男の子は顔をあげて、口を開きかけた途端にぱっと顔色を変え、  
何かを避けるようにワタシの後ろに隠れた。  
振り返ると、そこには可愛らしく小首を傾げる、千奈美ちゃんがいた。  
「なあ坊や。急いでいるのは分かるのだが、どういうことなのか、ちゃんと説明してくれないかな?」  
「う、うん……でも…その前に……」  
ワタシは再び男の子に向き直り、中腰になって彼の両肩に手を掛けながら問い掛けた。  
だが男の子は、やはり気になるようで、チラチラと千奈美ちゃんのほうを見ながら言葉を濁す。  
「貴代子お姉さん、大事なお話があるの? だったら私、一人で遊んでるよ?」  
そんな雰囲気を察したのか、千奈美ちゃんはこちらに向かって、  
ニコニコと満面の笑みを浮かべながら、ジャングルジムへと駆けていった。  
「え? あ……す、すまないね、千奈美ちゃん。さて……まずキミは、いったい何者なんだい?」  
「あの……ボ…ボク、ハヤトって言います」  
千奈美ちゃんに礼の言葉を述べ、男の子に話しかけると、ようやくポツポツと喋りだした。  
「ハヤト? あ、ああ。鎌鼬3兄弟の末っ子かい。で、お兄ちゃんたちが、どうしたんだ?」  
思い出したよ。確かあの時は、草むらで気を失っていたとかどうとか……。  
………道理で千奈美ちゃんの姿を見て、オドオドするわけだ。  
それはそうと……どういうことだ? ”お兄ちゃん”てのは、この前ボコボコにした、あの連中だろ?  
 
「それが…その……。兄ちゃんたち、あの娘を……美沙ちゃんを殺した犯人を捜す、  
って言い出して、見つけたまではいいんだけど……その………」  
「何か……あったのか?」  
思いもよらない言葉を耳にして、思わずハヤトくんの肩に掛けていた手に力が増す。  
……何を考えて、犯人を追いかける気になったんだ? ”あんなこと”をした連中が……。  
「い、痛いよ……貴代子おねえさん。………兄ちゃんたち、自分だけなら逃げれたハズなのに、  
ボクをかばって捕まっちゃったんだ! ハヤタ兄ちゃん、貴代子おねえさんなら、  
力になってくれるはずだからって、言ってたんだ! お願い! 兄ちゃんたちを……助けて………」  
軽く顔をしかめながら、ハヤトくんは言葉を続けた。それにしても……捕まってしまっただと?  
いくら自分達が人間ではないとは言っても、仮にも相手は殺人犯だろうに。少しは後先を考えろ。  
「わ……分かったよ、話の続きは道すがら聞くとして、とりあえず兄ちゃんたちはどこにいるんだ?」  
………だからと言って、無視するわけにもいくまい。何しろ、相手は美沙ちゃんの仇、だしな。  
「あ、う、うん! こ……こっちだよ!」  
「………っと、千奈美ちゃん。悪い、ワタシ急用が出来たから、また今度ね!  
遅くならないうちに、家に帰るんだよ!」  
「分かった〜! 気をつけてね〜!」  
ワタシの言葉にハヤトくんはぱっと体を翻し、先導するように何歩か踏み出した。  
はたと気づいたワタシは、振り返りざまに千奈美ちゃんに向かって叫ぶ。  
千奈美ちゃんは、ジャングルジムで逆さまになり、真っ白いパンツが丸見えなのも気にせず、  
ニコニコと笑顔を振りまきながら、ワタシに向かって手を振っていた。  
ハヤトくんは、そんな千奈美ちゃんの姿に耳まで真っ赤にさせ、  
顔を背けてはいたが、目だけはチラチラと千奈美ちゃんのほうを、しっかりと見ていた。  
こんな状況にも関わらず、ワタシは思わず肩をすくめ、苦笑いを浮かべていた。  
 
「それにしても、ハヤトくんはどうしてワタシの名前を知っていたんだ?  
キミの兄さんたちにも、名乗った覚えは無いぞ?」  
二人で山の中を駆けながら、ワタシはハヤトくんに声を掛けた。  
やはりずっと走っていたせいか、ハヤトくんは息が荒く、少しずつワタシから遅れている。  
「えっと……ボ、ボク、貴代子おねえさんとは初対面じゃないんだ。  
……あの時は、この姿じゃなかったけれども」  
この姿じゃない……? まさか…まさか……。  
「…………まさかキミ………クーちゃん、なのか?」  
「う……うん……」  
思わずワタシは足が止まり、ハヤトくんをじっと見つめながら問いかけた。  
ハヤトくん――クーちゃんは、バツが悪そうに、視線を逸らす。  
「なあ。するとアンタ達兄弟は、最初から美沙ちゃんに悪戯しようとして……」  
「ち、違うよ! ボク、本当に死にそうな怪我をしてて、治してくれた美沙ちゃんには凄い感謝してて、  
でも、でもあの時……ボクを抱えている美沙ちゃんを見た、兄ちゃんたちが………あんなことを……」  
血相を変え、ワタシの言葉を遮るように、くちびるを噛みしめ、拳をぎゅっと握り締めながら、  
必死にまくしたてるハヤトくん。後半は歯切れ悪く、途切れ途切れに……。  
「それで、すっかり味を占めちゃって、さっき貴代子おねえさんが一緒にいた娘を……その………」  
「ま、いいさ。過ぎたことを、とやかく言う趣味は無いし、ハヤトくんが悪いわけじゃない。  
それに、今さらどうこうして、美沙ちゃんが生き返る訳でもない……」  
うなだれるハヤトくんを見て、ワタシはため息をつき、額に手を当てながら首を振る。  
そう……今さら、どうなるわけでも無いのだから……。  
「貴代子おねえさん………」  
「………ところで兄ちゃんたちは、まだなのかい?」  
ワタシに向かって手を伸ばすハヤトくんに、再び問い掛けた。  
いくらあんな連中とはいえ、危機が迫っていて、しかも助けを求めてくる相手を、  
見捨てることは出来なかった。我ながら、かなりお人よしだとは思うが。いや、鬼だったか。  
「うん……ほとんど、山の反対側のほう、なんだ……」  
「そうか……。それじゃ出来るだけ、先を急ぐぞ」  
ハヤトくんの答えに、ワタシは再び山道を走り始めた。  
 
「……はあ…はあ……あ、あの、岩! あれを、越えると、沢が、あって……」  
「そう…か……っと……。うっ………」  
前方の岩を指差しながら、ハヤトくんは息も途切れ途切れに叫ぶ。  
走る速度をあげ、岩の上に駆けのぼったワタシは、眼前に広がる光景に息を詰まらせた。  
 
そこには、凄惨な光景が広がっていた。  
元は、ハヤトくんの兄であったと思われる肉片が、そこかしこに散らばり、  
辺りは真っ赤に染まっていたのだ。  
さすがのワタシでも、しばし頭が真っ白になり、呆然とするしかなかった。  
 
「はあ……はあ…はあ……はあ……き、貴代子おねえちゃ……」  
「見るな! 見るんじゃない!」  
ようやく追いついたハヤトくんが、息を切らせながら岩をよじのぼってくる。  
我にかえったワタシは、この光景を目にさせるまいと、思わず叫んでしまう。  
「………はあ…き…貴代子、おねえさん? ま…まさ……か……。はあ…はあ……」  
「あ、ああ………」  
ハヤトくんは一瞬、怪訝そうな声をあげるが、光景を目にしたのか、すぐに声が沈んでいく。  
その声が痛々しくて、ワタシはハヤトくんの顔を見ないで答えていた。  
「ハヤトくん。ここでじっとしてるんだ、いいね?」  
気を取り直したワタシは、ハヤトくんに声を掛けながら、岩から飛び降りようとした。が、  
「え!? い、いやだよ。ボクも、ボクも一緒に行くよ!」  
「だが……」  
真っ青な顔で、首をブンブン振りながら、ワタシの腕を握り締めてきた。  
「お…お願い……」  
「………わ、分かったよ」  
ハヤトくんの、まっすぐに見つめる視線に押され、ワタシは思わずそう答えていた。  
 
「……しかし、こりゃあ………」  
「うっ……兄ちゃ……ん…」  
沢に降り立つと、血の匂いがさらにきつくなっていた。  
ハヤトくんは大粒の涙を流し、口元を手で押さえながら、嗚咽を漏らしている。  
その痛々しい姿に声を掛けることも出来ず、じっと見つめていたが、  
不意に何者かに見られている気配を感じ、思わず顔を見上げると、  
先ほどこの沢を見下ろした岩から、ワタシたちを見下ろす人影が二つあった。  
「なあハヤトくん。犯人はアイツらで、間違いないのか?」  
「え? あ……ああ…あ………う、うん……ま、間違い…ない…よ……」  
未だうずくまる、ハヤトくんに声を掛ける。ハヤトくんは、ワタシの声にぱっと顔を上げ、  
ワタシが見つめている相手に気づき、歯をカタカタ打ち鳴らし始めた。  
「そう…か。ハヤトくん、ワタシの側を離れるんじゃないよ?」  
コクコクと糸の切れた操り人形のように、ハヤトくんは何度も頷き、ワタシの背中に隠れる。  
人影は、互いに何か目配せしたかと思うと、こちらに向かって飛び降りてきた。  
 
目の前に降り立った二人を見て、ワタシは思わず息を飲んだ。二人はまったく同じ顔で、  
髪型だけが違っていた。片方は金髪のロングヘアで、もう片方は銀髪のショートカット。  
もし髪型が違わなければ、区別がまったくつかなかっただろう。  
だが、ワタシが息を飲んだのはそんなことではなかった。  
女たちは、犬らしき大きな耳と尻尾を携えていた。まるで人間では無いことを証明するかのように。  
しかし、ワタシが息を飲んだ理由は、それでもなかった。  
彼女達からは、生きている気配がまるで感じられなかったのだ。  
そう、ワタシたち鬼とも違う、何か別の生き物のような……。  
 
「シャーッ!」  
まるで蛇のような声をあげながら、銀髪のほうが襲い掛かってきた。  
その手には、鋭くとがった長い爪が生えている。  
「はっ!」  
ワタシは掛け声とともに、後ろ回し蹴りを繰り出した。  
銀髪は軽く頭をさげ、ワタシの蹴りをかいくぐりながら、ワタシの腹を目掛けて腕を伸ばす。  
「キャウンッ!」  
爪がワタシの腹に突きたてられた瞬間、ワタシの拳は銀髪の顎を捉えた。  
銀髪は犬コロのような悲鳴をあげながら、空中で一回転して地面にうつぶせに倒れ込む。  
 
「な、な!?」  
次の瞬間、ワタシの目の前に金髪が立っていた。驚く間もなく、金髪はワタシにくちびるを重ねてきた。  
「む……むぐ…うっ……」  
突然のことに、頭の中が真っ白になっているワタシの頭に手を回し、舌を潜り込ませてくる。  
「んふ…っ…んっ! んん…っ……」  
さらに舌を絡ませたまま、左手で優しくワタシの胸を撫でまわしてきた。  
思いもよらない刺激に、ワタシはビクンと身をすくませ、塞がれていた口から吐息を漏らす。  
「ふあ……あ…ああっ……」  
金髪は、ワタシのくちびるをようやく解放したかと思うと、そのままワタシの頬に舌を這わせ始めた。  
相変わらず左手は、ワタシの胸を優しく撫でまわし続けている。  
絶え間なく続く刺激に、ワタシは腰が砕けそうになり、そんなワタシを金髪はしっかりと支えていた。  
 
「は……あ!? あ! ああっ! ああんっ!」  
不意に胸を撫で回していた左手が、ぱっと離れる。  
刺激を中断されたワタシが、怪訝そうな顔をした途端、ワタシの首筋を舐めている金髪と目が合った。  
金髪は悪戯っぽく微笑んだかと思うと、ワタシのタンクトップをずりおろし、胸を露わにさせる。  
あっと思う間もなく、金髪はワタシの胸を荒々しく揉みしだいた。嬌声が口から次々と漏れだす。  
「ふああっ! あっ! あっ! あっ!」  
硬くしこった胸の頂を、金髪は親指と人差し指で軽く摘まみ上げる。  
もはや我慢しようとしても、我慢しきれなかった。腰がガクガク震え、自然と金髪に体を預けてしまう。  
……もう…もう何も、考えられない………。  
 
「うああっ! あっ、ああっ!」  
どこか遠くで、誰かが何かを叫んでいるような気がする。ぼんやりした頭で、声の方向を振り向くと、  
すぐ目の前でハヤトくんが体中を震わせ、口をパクパクさせている。  
ズボンはずりさげられ、剥き出しのアレを誰かが後ろからしごいていた。  
さっきまで倒れていたはずの銀髪が、ハヤトくんを背後から押さえ込んでいるのだ。  
舌を伸ばして耳たぶをペロペロしゃぶり、手のひらで優しく胸を撫でまわしながら。  
余程嬉しいのか、銀髪の尻尾が千切れんばかりに激しく揺れている。  
あ……ハヤトくんぐらいでも、アレってあんなになるんだ……。  
ハヤトくんの”男”である部分を目にして、どこかピントのズレたことを考えながら、  
ワタシはただひたすら、金髪の愛撫に身を任せていた。  
 
「はあ…あっ……あっ! あっ! ああっ! あああんっ!!」  
頭が真っ白になり、絶頂に達しそうになった瞬間、  
 
ブチィッ  
 
一瞬、そんな音が耳にではなく、頭に直接響いた気がする。  
次に感じたのは、咽喉元に焼きごてでも当てられたような熱さ、だと思った。  
だがそれは熱さではなく、痛さだった。ワタシは思わず咽喉元に手を当てる。  
ぴちゃりと濡れた音が響き、手を見ると真っ赤に染まっていた。  
目の前の金髪は、口から一筋の血をこぼしながら、クチャクチャと何かを噛んでいる。  
「ぐは! …あっ……」  
あまりの痛さに、口から悲鳴がこぼれた。思わず仰け反ろうとするワタシだが、  
ワタシの首に、金髪の腕がしっかりと回っていた為、それもままならない。  
金髪は大きな口を開け、再びワタシに噛み付こうとしてきたとき――  
 
ドスッ ガシッ  
 
ワタシは金髪の腹に、拳をめり込ませた。表情ひとつ変えずに、体をくの字に折り曲げる金髪。  
丁度いい位置になったため、ワタシはそのまま金髪の顔面に、思い切り膝蹴りを見舞った。  
金髪は後方に吹き飛び、大の字になって地面に倒れ込んだ。  
「な…な……」  
ところが金髪は次の瞬間、まるで何事も無かったかのように、すっくと立ち上がった。  
無性に胸騒ぎを覚えたワタシは、咽喉の痛みをこらえ、”切り札”を呼び寄せるべく動作に入った。  
右手の指を目まぐるしく動かすと、”力”が右耳のピアスから、右手に流れ込むのを感じる。  
念じた次の瞬間、右手の”力”は炎として姿を現わした。  
「くそ…っ……これでも……くらえ……」  
ワタシは、それをそのまま金髪と、すぐ後ろにいた銀髪目掛けて放り投げた。  
 
ジュッ  
 
「な、何っ!?」  
まるで、火を水に浸けたような音が響きわたり、炎とともに二人の姿が消える。  
そんな予想外の出来事に、ワタシは思わず驚愕の声を口にして、地べたに座り込んでいた。  
 
「うぐ…ぐう……っ……」  
「あ、貴代子おねえさん、大丈夫? ……………っと」  
咽喉の痛さにうずくまる、ワタシのそばにハヤトくんが駆け寄ってきて、そっと手をかざした。  
するとどうしたわけか、見る見るうちに咽喉の怪我が治っていく。  
「な…何だ? 何がどうなっ………うっ」  
不思議に思ったワタシは、ハヤトくんに問い掛けながら立ち上がろうとするが、  
立ちくらみがして、再びその場にへたりこんでしまった。  
「あ、む、無理はしないで。流れた血まで、癒やされたわけじゃないから……」  
ハヤトくんはワタシを心配しながらも、気まずそうな様子で、ワタシの顔をまともに見ようともしない。  
そりゃあそうかもな……こんな微妙なお年頃の男の子が、あんなことをされたんじゃ……。  
まあ、それはそれ、だ………。ワタシは座りなおして、ハヤトくんに再び尋ねた。  
「なあ、いったいどういうことだ? ワタシにいったい、何をしたんだ?」  
「これが……これが、鎌鼬であるボクの力。ハヤテ兄ちゃんが相手を転ばして、  
ハヤタ兄ちゃんが相手を切りつけて、ボクがその傷口を塞ぐ薬を塗る……って」  
「そうなのか……でも、その……」  
「この力は、ボク自身には効かないんだ………」  
――その力があれば、美沙ちゃんと出会うことはなかったのに――  
口には出さなかったが、雰囲気は察したようで、ハヤトくんは目を伏せてつぶやく。  
「なるほどな……しかし、それにしても……」  
「え? ど、どうしたの……?」  
気を取り直して舌打ちするワタシを見て、ハヤトくんが不安げに問い掛けてくる。  
「………ヤツら、実体ではない。式神というか、使い魔というか……」  
「そう…なの?」  
「今の炎を見ただろう? 本来アレは、魂を燃やし尽くさせるはずなのに、一瞬にして消えてしまった。  
ということは彼女たちは魂そのもの、もしくはそれに近い実体はないモノ、ってことなんだ。  
……失敗したよ。おかげで”残り火”を使い果たしてしまった」  
「そんな……それって……」  
「ああ、どこかに本体がいるということだ。しかも、尋常ではない力を持った、な」  
…………使い魔でさえ、ここまでの力を持っていたのだ。本体となるとどうなるものか……。  
 
「貴代子おねえさん……ボク、行くよ」  
「お、おい。まさか……」  
ワタシの葛藤を読んでいたのか、ハヤトくんは顔をあげ、きっぱりと言った。  
「ボク……どうしても、兄ちゃんたちの仇を取りたいんだ。あんな……あんな兄ちゃんだったけれど、  
ボクにとっては優しい兄ちゃんであることには、変わりなかったんだから……」  
「ハヤト……くん…。しかしな……その実体がどこにいるのか……」  
軽く首を振りながら、ハヤトくんに答えるともなく、独り言とも言わず、思ったことを口に出す。  
そう……確かに美沙ちゃんの仇は取りたいが、相手がいなければ取りようもない。  
「さっきの傷を癒やす力の他にも、ボクはそういうものに鼻が効くんだ。  
今ならまだうっすらと、匂いが残っているから……」  
「そうか、分かった。その代わり、ワタシも最後まで付き合うよ?」  
ワタシのつぶやきに答えるように、ハヤトくんは言った。ふと見ると、その体がブルブル震えている。  
言葉とは裏腹に、虚勢を張っているのが見て取れた。何だか、このコ……カッコイイかも……。  
そんなハヤトくんをしっかりと抱きしめながら、ワタシは自分の心に言い聞かせるように、言った。  
「え……い、いい……の?」  
「ああ。このままハヤトくんを置いて帰ってしまうのも、寝覚めが悪い。  
………それにワタシも、美沙ちゃんの仇を取りたいんだ」  
「う、うん、分かった。………こっちだよ! 着いてきて!」  
意外そうに見つめるハヤトくんに、ワタシは拳を握り締め、ゆっくりと立ち上がりながら答える。  
ハヤトくんは、そんなワタシの姿に一瞬身震いしながらも、ぱっと身を翻して再び駆け出した。  
 
 
キーンコーンカーンコーン……  
 
あ。もうお昼なのか。ふう……アイリス…大丈夫かなあ……。一応会社に来たことは来たが、  
正直言って仕事がまるで手につかなかった。いったい、アイリスの身に何があったのだろう……。  
 
「あれ? 係長、どうしたんですか? 見取り図なんて広げて」  
「ん、これかい? 実は我が家のなのさ」  
「へえ〜、係長も一国一城の主ですか。……結構大きいですねえ」  
ふと顔をあげると、同僚二人と係長が、何やら楽しそうに話し込んでいる。  
いつもなら、僕も参加しようと席を立ってたのかもしれないけれど、  
さすがに今日はそんな気分になれず、三人の会話をぼうっと聞いていた。が、  
「まあ、2世帯住宅だからね。それに一国一城と言っても、まだ仮契約の話だよ」  
仮契約………何故だか妙に、その言葉が頭から離れなかった。  
………契約の前に、仮契約……。ま、まさか……まさか……。  
 
ガタン  
 
「ん〜、どうしたんだ? 新條?」  
気がつくと僕は席を立っていた。怪訝そうに、係長が僕を見つめる。  
「あ、す、すみません! 家族の体調が悪いんで、早退させてもらいますっ!」  
言いながら、僕は慌てて荷物をまとめた。妙に胸騒ぎがして、心臓の鼓動がどんどん高まる。  
「ん、そうなのか。何だか、朝から様子が変だとは思っていたけどね。  
家族は大事にしたほうがいい。早く帰って、そばにいてやりなさい」  
「へ? アイリスさんの体調が? それは心配だね。……お大事にね」  
「つーか、長いこと一緒に暮らしてんだから、命中したんでないの? 諦めて、さっさと結婚しちまえや」  
「………だと、いいんだけどね。それじゃ」  
三者三様に見送りの言葉をかけられ、僕は会社を後にした。  
 
僕は会社を早退し、自宅へと急いだ。アイリスの身に、何が起きたのかは分からない。  
アイリスと出会ったのは、今から……あ、そういえば…………丁度1年前、だ。  
もっともあの時は、僕が試しに彼女を召喚して、その挙句にあんなことがあって……。  
でも何だかんだ言って、今では僕にとって、かけがえのない人であることは確かだ。  
……だが、会社で聞いた言葉、”仮契約”の3文字が頭から離れなかった。  
今まで思いもしなかったが、アイリスと僕は”契約”を交わしていた。  
もしそれが”仮契約”で、期限が一年だったとしたら、アイリスの変調も説明がつく。  
そうだとすると、”仮契約”が終わる前に”本契約”を果たせば、元に戻るのではないのだろうか?  
問題は”本契約”とは、何をすればいいのか分からないこと、だけれども。  
それともまさか、同僚の言葉どおり、子どもができたとかいうのだろうか?  
いや。だとすると、アイリスは僕に何か言ってくるはずだ。それに悪魔と人間って、子どもが出来るの?  
 
 
そうこうしているうちに、家に辿りついた。……ええい、あれこれ考えても仕方ない。  
まずはアイリスに会おう。……でも、いくら早く帰って来いと言われたからって、  
こんな時間に帰ってきたりしたら、呆れかえられるかな? などと思いながらカギを取り出した。  
 
「た、ただいま! アイリス!」  
玄関のカギを開け、中に入る。……が、いつも笑顔で迎えてくれる、アイリスの姿は無かった。  
いったいどうして……。絶望感に苛まれながら、ふと食卓を見ると、作りかけの料理が並んでいる。  
まさか……まさか本当に、いなくなってしまったのか?  
全身の力が抜け、がっくりと膝をついてしまう。………アイリス、どこに行ってしまったんだ?  
 
ピンポーン  
 
不意にドアのチャイムが鳴った。アイリス! 帰ってきたのか!?  
僕は喜び勇んで、玄関へと向かった。  
 
ガチャ  
 
「アイリス! いったいどうし……あ」  
興奮してドアを開けたが、一瞬にして喜びは落胆と動揺に変わった。  
そこには、見たことも無い女性が腕組みをして立ち尽くしていたのだ。  
やや吊りあがった目、多少強気そうな顔立ち、やや浅黒い肌。  
服装は虎柄のタンクトップに、真っ黒いレザーのジャケットとお揃いのミニスカート。  
………まったく見覚えが無いんだけど、いったい……誰?  
「単刀直入にいこうか。ちょっとアンタに聞きたいんだけど、この家に人間じゃないのがいるよね?」  
な……何者だ!? アイリスが人間じゃないって知っているなんて!?  
驚いた僕は思わずドアを閉めようとして……  
「い…痛たたた。何考えてるんだい? いきなりドアを閉めるんじゃないよ」  
彼女がとっさに伸ばした、腕ごと挟みそうになっていた。  
ところが、彼女は片手であるにも関わらず、あっさりと挟み込んだ腕だけで、難なくドアを開けてしまう。  
僕があっけに取られていると、彼女はいきなり僕の首を絞めてきた。  
「な……なな…ぐええっ!?」  
「ま、そういう態度に出るのなら、話は早い。……どこなんだ?」  
「……げ…ぐえ……えっ………」  
首を締め上げたまま、片手で僕を宙吊りにしながら、さっきよりも厳しい口調で問い詰めてくる彼女。  
…………喋ることが出来ない……そ、その前に、い、意識が………。  
「ちょ、ちょっと貴代子おねえさん。そんなことしたら、声ひとつ出せないじゃない。  
それにこの人……そんなに悪い人に見えないけれど……」  
「あ、ああそうか。……で? どこに行ったというんだい?」  
「げほ……げほごほ…っ……は…はあ…はあ……。  
……あ、あんたたち、こそ、いきなり、こんな、ことして、何者、なんだ?」  
薄れ行く意識の中、甲高い声が頭に響き渡ったかと思うと次の瞬間、僕は床に尻餅をついていた。  
あまりの息苦しさに涙がこぼれる僕は、ひたすら咳き込み続けながら、どうにかしてつぶやく。  
「と、とりあえずさ……2人とも、中に入らない? このままじゃ、ちょっと……」  
「ああそうだな。……ちょっとお邪魔するよ」  
さっき聞こえた甲高い声が、家に入るように促す。彼女はその言葉を受け、部屋に上がり込む。  
ここは、僕の家なんだけど………と言いたかったが、声が声にならなかった。  
 
「悪かったね。いきなり首なんか絞めたりして」  
「………で、いったいぜんたい、あなたたちは何者なんですか?」  
部屋にあがり、お茶を啜りながらペコリと礼をする、謎の女と謎の男の子。  
どうやら、さっきの甲高い声の持ち主は、この男の子のようだ。  
僕は首を押さえ、二人の顔を見比べながら言った。  
「えっと……ワタシは貴代子。で、こっちの子はハヤト。  
一応、人間では無かったりするんだが……信じるかい?」  
「え、ええまあ……あ、僕は秀人と言います」  
彼女、貴代子は首をしゃくらせて男の子を指し示し、自分のくちびるを軽くめくりながら、自己紹介をする。  
めくれたくちびるの内側には、普通の人間よりも遥かに長い犬歯――いや、ここまで来たら牙だ――  
が生えていた。………そりゃ、信じるなというほうが無理だ。僕はつられて自己紹介をしていた。  
「それで、ひと月くらい前に、近くで殺人事件があったのを覚えている?」  
「………確か女の子が誘拐されて、山の中で殺されたんだっけ?」  
突拍子も無いことを問われ、戸惑いながらも先月起きた事件を思い出す。  
何とも痛ましい事件だったっけ……しかも、犯人は捕まっていないし。  
「そうそれ。ただその事件、誘拐犯と殺人犯は別人で、しかも犯人は人間じゃなかったんだ」  
「へ!? そ、そうなの!?」  
思いもよらない言葉に、僕は呆気に取られながら、思わず声を裏返して聞き返していた。  
「まあ、な。………彼の兄は殺人犯を追いかけ、見つけたところで逆に殺されたんだ」  
「はあ!? ということは………警察?」  
「それは無い。まあ、詳しいことは後回しにして、ワタシたちもまた犯人に出会い、襲われたんだ。  
で、その時に分かったことだが、犯人は何かの使い魔のようだった」  
僕の問い掛けに即答する貴代子。口調こそ冷静そのものだったが、  
何かを思い出したかのように一瞬だけ、こめかみがピクピクと動いていた。ん? でも……。  
「使い……魔?」  
そんなの本当にいるのかい。アイリスにさえ、そんなのいなかったと思うけど。  
などと首を傾げていたが、貴代子の次の言葉を耳にしたとき、僕の全身は凍りついた  
「そう、そして使い魔を使役している黒幕を追いかけようと、痕跡を追って辿りついたのが、ここだ」  
 
「な、そ……それって……」  
「まあそういうことだ。……そういえば、さっき玄関を開けたとき、アイリスとか叫んでいたが、  
それがそいつの名なのか? 今、どこにいるんだ?」  
「そんな……バカな……」  
反射的に否定の言葉を口にしていた。だが、真っ白になっていく頭の中では、  
さっき思いついた”仮契約”の話と、今の貴代子の話が、どこかで繋がっていくのを感じる。  
 
一年の”仮契約”が終わりかけているから、記憶がところどころ途切れ、  
無意識のうちに本来の悪魔の姿に戻ろうとして、使い魔を呼び出していた。  
その使い魔が人を襲うようになり、貴代子たちがそいつらの痕跡を追って、ここへやってきた………。  
確かに、話の筋は通っている。でもそうだとすると、アイリスは今どこにいるんだ……?  
 
「なあ秀人さん。今回の件に関して、ワタシが知っていることはすべて話した。  
今度は秀人さんに、そのアイリスに関して知っていることを、すべて話して欲しいんだ。  
………正直に言うが、ワタシはアイリスが黒幕だと、今でも思っている。  
でもそれは、ワタシがアイリスのことを知らないからだ。知ることによって、  
ワタシはとんでもない思い違いをしていた、と分かるかもしれないし、逆に秀人さんも知らない、  
アイリスに関する新たな事実を見つけることが、出来るかもしれないんだ。……頼む。このとおりだ」  
貴代子は軽く身を乗り出し、僕の肩に軽く手をつきながら、僕の目をじっと見つめて話し出し、  
最後に深々と頭を下げてきた。でも彼女のことを、果たして信じていいものかどうか……。  
「ひとつだけ…聞きたいんだけど、キミたちの話が本当であるという証拠って、どこにあるの?」  
 
「はっきり言う。……無い。それに関しては、ワタシたちを信じてもらうしかないな」  
「そう…ですか」  
まるでアメリカ人みたいに、大袈裟に両手を広げながら、答える貴代子。  
僕は、ソファの後ろにそのまま倒れこんで、ため息をつく。そこまできっぱり言われてもねえ……。  
「…………あ、あのう。確かに信用出来ないのも、無理はないと思うけれど、  
ボクたちが、ピンポイントでここに来たってのも、証拠のひとつにはならないかなあ?」  
ハヤトとか言う男の子が、おずおずと喋りだす。まあ、それは一理あるかな。  
それに、アイリスが何者なのかを話したところで、大した害は無いだろう。……と、思う。  
「わ、わかったよ。貴代子さんの想像通り、彼女はアイリスと言って……」  
僕は椅子に座りなおしながら、アイリスと初めて出会ったときのことを話し出した――  
 
「ふうん。古本市で10円で売ってた本から、ねえ……」  
「でも、そのアイリスって人、今はどこに行っちゃったというの?」  
話を聞き終えた貴代子は、左手で頬杖を突き、右手の人差し指で、  
トントンとテーブルを叩きながらつぶやく。いっぽうのハヤトは首を傾げながら、僕に問い掛けてきた。  
それは僕が今、もっとも知りたいことだよ……。  
「……さあ、僕も今さっき帰ってきたけど、誰もいなかったんだ。  
夕食の支度を、中途半端に残したままで、ね…………あ!」  
「な、何だどうした? 何か分かったのか?」  
貴代子の言葉を無視し、隣の部屋へと向かう。そこには、アイリスを召喚した本がある。  
その本になら、今のアイリスの変調の原因が、記されているかもしれない!  
僕は藁にもすがる思いで、例の本を探し始めた。  
 
「あ、あった。えっと、確かこのページに………あ、あれっ!?」  
押入れを探し回り、ようやく本を発見した。本の中身を確かめた僕は、思わず声をあげていた。  
 
 

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