お買い物して帰ろうとしたら、いきなりレポーターにマイク向けられて、
インタビューされちゃったの。明日のお昼の情報番組で放送されるんだって」
「…どんな内容だったんだ?」
中嶋貴巳氏の胸中に、そこはかとなく嫌な予感が兆す。
雪子の口から出たのは、案の定、背筋が寒くなるほど恐ろしい内容であった。
「んとね、『貴方の旦那さんに点数を付けるなら何点?その理由は?』っていう質問で、
あとは、『旦那さんに日ごろ言いたいけど言えないこと』っていうのも。
テレビ出たことなんて無いから緊張しちゃった。テレビカメラって案外小さいね。
地元ローカルの局だからかなぁ?レポーターの人はね、よく夕方の番組に出てる…」
「待て」
「へ?」
報告を途中で遮られ、雪子がきょとんとした表情を浮かべて、
眉間に深い皺を刻んだ夫の、凄みのある無表情を見つめた。
「…役所内にあるテレビは、ずっと○○テレビが映っているんだが?」
そう、彼の勤める市役所の建物内には、窓口の待合室をはじめ、
部署ごとにテレビが設置され、チャンネルは常に地元ケーブル局に固定されている。
つまり、明日、彼の出勤中に、雪子のインタビューが放送されるということである。
「あ、そっか…大丈夫だよ、別に変なこと喋ってないから」
無邪気に笑う妻に、貴巳は思わず溜息をついた。
雪子には悪気がないのだから、却ってタチが悪いのである。
怒ったとしても、今更番組の内容が変わるわけではないから無意味であるし、
無意味なことはしないというのが中嶋貴巳氏のモットーである。
「…一つだけ確認したいんだが」
「ん、何?」
「質問には、どう答えたんだ?」
「……………んー、えっと、ね…」
目の前の、未だ少女のような風貌の妻が、頬を微かに染めて口ごもる。
そして、犯罪レベルに可愛らしい笑顔を浮かべて、甘い声で言った。
「…………ないしょ♪」
思わずその笑顔に見とれながらも、鉄仮面たるもの、それを表情に出したりはしない。
貴巳は、何やら少し考えてから、雪子に告げた。
「…明日は少し早く出勤する」
「え?どのくらい?」
「そうだな…いつもより1時間早めで充分だろう」
翌日、市役所の職員たちが、待合室にあるテレビの前で首をひねっていた。
「…ダメですねぇ。映りませんよ、ケーブルテレビだけ」
「あれ、待合室のも映らないのか。うちの課のテレビもダメなんだ」
「故障ですかね。それとも受信機の設定を誰かいじったとか…?」
「どっちにしてもよくわからんなぁ…あっ、おーい、中嶋君」
呼び止められて、通りすがりの鉄仮面が足を止める。
「ケーブル放送が映らないんだが、君んとこのはどうだ?」
「企画課のテレビも駄目ですね。今日は市議会の中継もないし、一日くらいはNHKでも映しておけばいいと思いますが」
「それもそうだな。しかしずっと映らないのは困るよなぁ。
中嶋君、機械強いだろ?設定がおかしくなってないか、調べてみてくれないか」
「わかりました。…夕方には少し手が空きますので、そのころに」
こうして市役所内の全てのテレビは、「機械に強い」中嶋企画課長の手によって、
夕方4時には何事も無かったかのように復旧したのであった。
そして貴巳が帰宅し、時刻は既に深夜1時。
「え?故障で見られなかったの?そっか。私もね、見ようと思ってたんだけど、
お母さんと長電話してるうちに、ついつい忘れちゃったんだ。テレビに出ることなんて滅多にないのにねー」
大して残念そうでもなしに、あっけらかんとそう言っていた雪子も、既に寝室のベッドの中である。
隣に寝そべる雪子が熟睡しているのを確認し、貴巳はそっと寝室を抜け出し、真っ暗なリビングルームに向かった。
テレビの音量を、ぎりぎり聞き取れるくらいまで絞り、HDDレコーダの電源を入れる。
録画予約をしてあった番組を、しばらく早送りをしながら見ていると、それと思しきコーナーが始まった。
レポーターの若い男性が、オーバーアクションで喋りだす。
見慣れた白い顔が、画面に大写しになる。戸惑ったような表情が可愛らしい。
「はい…えっと、今日ですか?買い物です…え?えええ!採点ですか?」
聞きなれたはずの声だが、テレビのスピーカー越しに聞くと、何だか妙な感じだ。
渡されたフリップに、何やら一生懸命にマジックで書いている妻の表情は、
撮影用ライトのせいなのか、不思議なほどいつもと違って見える。
有体にいえば、いつもよりも一層、綺麗に見えるのである。
「さっ!若奥様の採点結果です!…おおっ、何と99点!これは高得点ですねぇ〜!あと1点で満点、ということですが、奥様、どうして99点なんですか?」
マイクを向けられた雪子は、困ったような、恥じらうような、蕩けるような微笑を浮かべた。
「えーと…すごくいい旦那様なんですけど、一つだけ、たまに私が嫌がることを、わざとするような時があるので、1点減点しました」
「奥様の嫌がることですか?それはどんなこと?」
「そうですね…無理やりホラー映画を見せて、怖がらせたりとか…あと、嫌がるのをわかってて、私のことをからかったりとか、です」
「ほうほう…いや〜、なんだか小学生男子のような旦那様ですねぇ!奥様のこと好きで好きでたまらないから、わざと苛めちゃう!みたいな感じですかね?いや、もう、ごちそうさまです!」
レポーターに大仰に頭を下げられて、慌てながら赤面している雪子の表情を眺めて、貴巳は思わず頭を抱えた。
(…これが全県に放送されたのか…)
今後、雪子には、こういうインタビューには絶対に応じないよう、きつく言っておかねばなるまい。
リモコンの『録画内容を削除』ボタンに指をかけながら、
そう決意を新たにした貴巳であった。
画面の中では、再び妻の顔が大写しになっている。
「さて、それでは旦那様に、日ごろ言えない一言をどうぞ!」
そう促された雪子は、ちょっと照れたような表情を浮かべながら、
真っ直ぐこちらを見つめて、口を開いた。
「…いつも、お仕事お疲れ様です。身体にだけは気をつけて、ずっと元気でいて下さい。
えっと…それから…あの……………
……………毎日、幸せです。ありがとう」
何やら雪子を茶化すレポーターの声を、上の空で聞きながら、
貴巳の指はいつの間にか、リモコンの『録画内容を保存』ボタンを押していた。
テレビの電源を落とし、真っ暗なリビングから二階の寝室へ向かう途中、
中嶋貴巳氏の口元が、への字に結ばれていたのは、
鉄壁の無表情を誇る鉄仮面にあるまじく、口の端が吊り上りそうになるのを
必死で抑えた結果であった。