プロローグ 
 
 
古い教会の天井は高い。 
天窓に嵌め込まれたステンドグラスから降り注ぐ色とりどりの光が、建物から溢れるほどの参列者達の黒衣に、滲んだ色をちらちらと映していた。 
 
しめやかで荘厳な讃美歌が、大きなパイプオルガンから低く流れる。 
外国人の神父が壇上に立ち、日本語の発音はややおぼつかないが、落ち着いた厳かな調子で説法を始めた。 
喪服姿の参列者たちは、すし詰めと言っていいほどの状況にややうんざりした表情を隠しきれないものが殆どだ。皆どこか他人事のような顔で、周りの参列者と談笑しているものさえいる。例外は、貴巳の目に入る範囲では、自分の横に並ぶ三人の女性くらいのものだ。 
 
中嶋貴巳(なかじまたかみ)は、肩が触れ合うほどの距離に並んでいる三世代の女性を、ちらりと横目で見た。 
一人は自分の妻である中嶋雪子である。いつもは降ろしている長い髪をアップにまとめていることもあり、喪服のスーツ姿はいつもよりも大人びて見える。少女のようにあどけない横顔が黒いベールに透けて、憂いを帯びた表情に色香を添えていた。 
もう一人は雪子の母である坂井美紀子。 
こちらは小柄な雪子の母とは思えないほど背が高く、すっと伸びた背筋と、きりりとした吊り目がちのまなじりに彼女の勝ち気な性格がにじみ出ている。 
そして最後の一人は、豊かな銀髪の、杖をついている老齢の女性である。 
小柄ながら威厳のある風貌のこの老婦人の名は、橘徳子(たちばなのりこ)。 
美紀子の実母、つまり雪子の母方の祖母である。 
このまるで似ていない三世代の女性たちは、共に頭にクリスチャンがミサで使用するベールを頭に被り、胸の下で両手を組んで静かに祈りを捧げていた。 
神父の説法が終わると献花があり、葬式はそれで終わりのはずだが、広い会場に入りきらず外にまで溢れた参列者達が一気に帰途につくとなると駐車場も周辺道路も大混雑のはずだ。 
(式の間は三人が黙っていてくれるだけまだマシだな) 
内心そう呟いた貴巳は、漏れそうになる溜息をそっと噛み殺した。 
 
 
 
 
 
1 
 
 
事の始まりは4日前のことである。 
 
いつも通り、夫婦二人で夕食後の穏やかな時間を過ごしていた中嶋家の電話が鳴った。 
「もしもし……ああお母さん。うん、今ごはん食べ終わったところだよ……えっ……?」 
気安い調子で喋っていた雪子の声音が、突然暗くなる。 
「……そう……うん、お体の調子が良くないっていうのは聞いてたんだけど……うん、おばあちゃまから……いつ亡くなったの?……そっか……もちろん参列するよ。場所とか……あ、メモとるから待って」 
電話を保留にした雪子が、ダイニングテーブルに置かれたティシュを一枚取り、目頭に押し当てた。拭っても拭ってもなお水滴の溢れる瞳をしばたかせると、大きく一つ、震える息で深呼吸をして、ペンを片手に再び受話器を取る。 
「お待たせ……そう、明後日ね。場所は……ああ、知ってる。……え?貴巳さん?……ええっ、大変じゃない!坂井さん大丈夫なの?……そう、うん、おばあちゃまもね……ちょっと待って、聞いてみるから」 
突然自分の名前が出たことに訝しそうな様子の夫に、雪子は再び電話を置いて、困ったような顔で口を開いた。 
「あのね、私の中学高校時代の先生が、ご高齢で亡くなったんだけど……今度の土曜日が葬儀なの。お母さんと、それに橘のおばあちゃまも昔からのお知り合いだから一緒に参列したいんだけど、送っていってくれる筈だった坂井さんが、ぎっくり腰になっちゃったんだって。 
それで……お休みの日だし、もし貴巳さんさえよければなんだけど、私とお母さんとおばあちゃまを、U市の教会まで送ってくれないかって……」 
言われて貴巳は、義理の母親と祖母にあたる二人の女性の姿を思い浮かべた。 
雪子の母、美紀子は、どうも貴巳に対して敵意を持っている節がある。 
かわいい一人娘の結婚相手が愛想のかけらもない仏頂面で、しかも娘より12も年上なのだから、快く思われないのも無理からぬことではあるが、それにしても限度がある。 
何しろ会うたびに貴巳を鋭い目線で睨み付け、言葉のいちいちに棘をふくませて投げつける。 
それを気にするような貴巳ではないが、雪子が言うには「周りの人間が生きた心地がしない」と言うほどの険悪な間柄だ。 
美紀子は雪子の父親と死別した後、再婚して坂井姓となっているが、坂井家を訪れる際に雪子はなるべく母と貴巳を二人きりにしないように気遣っているほどである。 
一方、祖母の徳子である。 
古くは華族の傍系であるという名家に生まれ育った徳子は、婿にとった伴侶を早くに亡くした後、 
不動産業を中心とする家業の経営に携わり手腕を発揮した。 
引退し息子に事業を任せた途端にバブル崩壊のあおりを受け、一家は没落の一途を辿ったが、その後も気品を失わず、齢70を超えた今も、唯一手放さずに残った古い小さな屋敷で、一人きりで暮らしている。 
もともと小柄である上に腰が曲がり、杖をついてゆっくりとでなければ歩けないが、その眼光はあくまで鋭い。 
徳子の性格は、気の強いところは美紀子にも受け継がれているが、その上、旧家の教育を受けた子女らしく、礼儀作法から身のこなし、言葉遣いなど細かいところにまで非常に厳格である。 
彼女は孫婿である貴巳のことが不思議にお気に入りで、「今時珍しいきちんとした、弛んだところのない男性ですね」とは初対面の時の彼女の感想だ。 
しかし問題は徳子と美紀子の母娘が犬猿の仲であるというところにある。 
良家の子女として教育を受けたとは思えぬほどにさばさばとした、言動にがさつなところのある美紀子を、徳子は母として苦々しく思っているのだ。 
そして、そんな母娘と貴巳の三人ともから溺愛される雪子。 
三すくみどころの話ではない混沌とした関係である。 
雪子が複雑な表情で送迎を頼んできたのは、貴巳を気遣っているだけではなく、自分もまたその場にいると気を遣うために疲労困憊するからなのであった。 
 
面倒なことになった、と頭痛を覚える貴巳だが、さすがに気が重い、という理由だけで断るのも狭量だ。 
溜息を押し殺して雪子へ向かって頷いてみせると、むしろ貴巳が断ることを望んでいたのか、情けなさそうに口をへの字にした雪子が、電話に向き直る。 
待ち合わせの時間などを打ち合わせる妻の声は、訃報のせいばかりではなく暗くしずんでいた。 
 
 
 
 
 
2 
 
 
長い時間を並んで、ようやく献花の順番がやってきた。 
棺の手前に並んだ係員が捧げ持つ盆から、参列者達は白い花を一輪ずつ受け取る。 
その花を故人の棺に入れるのかと思いきや、もう棺は花で溢れんばかりになっているので、横にある献花台に置くのだという。 
なんという無駄な儀式だ、と呆れながら貴巳は、それでも別れを告げる三世代の女性の後ろについて棺の傍らに立った。 
棺の中で眠っているかのように穏やかな顔つきの老婦人は、当然、貴巳には一面識もない。 
そしてこの会場に参列している弔問客の大半も、故人には会ったこともないはずである。 
なのになぜこの会場はこんなにも人でごった返しているのかというと、それは故人の長男が、この地方では有数の有力者である、小野寺グループの会長だからなのである。 
小野寺グループは傘下に多くのグループ会社を抱え、会長の親族には県議会議員や地方の名士が名を連ねる。 
かつての橘家と同じように代々続いた名家であり、小野寺家に生まれた女性はもれなく、この地方随一の名門校、良妻賢母の育成を掲げ、お嬢様学校として名高い聖陵女学院に進むのだという。 
故人もまた聖陵女学院の前身校の出身で、雪子の祖母とはそこで同窓生として出会ってから半世紀の長きにわたる交友を結んでいた。また、体調を崩すまでは高等部の礼儀作法の客員講師として―聖陵には「作法の時間」という独自の科目があるのだ―「聖陵の乙女たち」の指導にあたり、雪子はその教え子であるのだった。 
 
傍らの女性たちに目をやると、徳子はさすがに万感の思いなのか、じっと語りかけるように故人を見つめている。雪子はその傍らで、祖母の背にそっと手を添えて目を潤ませていた。美紀子は一見、特段の感慨も無さそうに見えるが、棺の中に落とす視線にはさすがに寂しそうな色を浮かべていた。 
彼女は直接故人から教えを受けたことはないが、母の友人として度々交流があったのだという。 
「本当にお優しい方だったわね……お母様とお友達なのが嘘みたいに」 
行きの車内での彼女の発言が、ただでさえ息苦しい場の空気を更に重くしたのは言うまでもない。 
 
 
貴巳が、帰りの車内の雰囲気を想像し暗澹とした気分になったころ。 
三人の女性がそれぞれ別れを告げ終え、後ろに続いて檀から降りようとする貴巳の耳を、場違いなほどに玲瓏たる響きの美声が掠めた。 
「まぁ……白雪ちゃん。お母様に、お婆様も。来て頂けたのですね」 
「あら、何年ぶりかしら……白雪ちゃん、あなたちっとも変わらないのね」 
何事かと貴巳が目をやると、声の主は、遺族席から進み出てきた二人の妙齢の女性であった。 
「百合香(ゆりか)さん、薔子(しょうこ)さん、この度はご愁傷様です」 
丁寧に頭を下げる雪子を両脇から抱きかかえるようにして、二人の女性は大仰に頷いた。 
「ありがとう。白雪ちゃんに来てもらって、祖母もきっと喜んでいるわ」 
「まあ、薔子さん、なんて他人行儀な呼び方はよして。昔のように呼んで頂戴」 
突然目の前に展開された、芝居がかったほどに仰々しい会話。さすがの鉄仮面もめんくらって半歩退いた。 
その拍子に横に並んだ美紀子に、貴巳は目顔で(一体あれは何です)と尋ねた。 
美紀子は、失礼でない程度の笑みをうかべたまま、小声で呆れたようにささやく。 
「小野寺の当主のご令嬢よ。つまり故人の孫で、雪子の学校の先輩にあたるお嬢様がた。 
聖陵女学院の双子の女王っていえばその界隈では有名人だったのよ」 
学校の女王とはどういう立場なのかどうも納得のいかない貴巳であるが、その界隈というのは要するに、聖陵学院に子女を通わせる、この地方の上流階級の交友関係ということであろう。 
「……白雪とかいうのは」 
「雪子のあだ名。なんだか知らないけど在学中は随分可愛がられたらしいわ」 
「ええ本当に。小野寺のお嬢様がたは雪子を気に入られて、在学中はお家に招いて下さったり、本当に可愛がって頂いたのですよ」 
いつの間にか横に立っていた徳子もそう言葉を添えた。 
可愛がる、という言葉に含まれる微妙なニュアンスにやや不安を感じながら、貴巳は改めて二人の令嬢の姿をじっくりと眺めた。 
黒一色の喪服姿であっても、二人並んでも見分けのつかぬほど瓜二つのその艶やかな美貌は些かも翳ってはいない。 
豊かな家の育ちも相まって、自信と気品に満ちた態度は周囲を照らすように堂々としている。 
なるほど、女王と呼ばれるのも不思議ではない風格である。 
会話を聞いていると、髪が長く豊かに波打っている方が百合香で、、すっきりとまとめている方が薔子らしい。 
その二人が、小柄であどけない風貌の雪子を両脇からしっかりと捕まえ、しきりに語りかけているさまは、まるで、 
「……ペットの子猫を奪い合うお嬢様がたの図ね」 
「……ご自分の娘をペット呼ばわりというのは如何なものでしょう」 
「中嶋さんの言うとおりですよ。いくつになっても思慮が足りない娘でお恥ずかしいわ」 
ぼそりと呟く美紀子と、内心同じように思いながらつい反論した貴巳、そして娘をたしなめる徳子の間に、本日幾度目かの静かな火花が散った。 
 
そんな張りつめた空気をほぐしたのは、背後から掛けられた女性の声であった。 
「まぁ、雪子さん……美紀子さんに徳子さんも、いらしていたのですね」 
振り向くと、そこにはシスター姿の老齢の白人女性が、背後に十数人の制服姿の女学生を従えて立っていた。 
外国人とは思えぬほどに流暢な日本語で、親しげに三人に語りかける老婦人は、物腰は柔らかいが、周囲を威圧するほどの威厳が滲み出ている。 
美紀子が貴巳に「聖陵学院の学院長よ」と通りがかりに耳打ちすると同時に、驚嘆すべき素早さで、完璧な貴婦人然とした微笑を作って夫人に歩み寄った。 
雪子や小野寺の令嬢たちも、すがるようにシスターに歩み寄る。 
「百合香さん、薔子さん、このたびはお辛いでしょうけれども、故人は神のみもと、安寧の地に招かれて、満ち足りて行かれたことをおわかりですね」 
「ええ、ありがとうございます、シスター・マリア・ベルナデッタ」 
穏やかにそう語りかけるシスターに手をとられ、二人の令嬢も目じりに涙を浮かべて頷いた。 
暖かな表情で頷いた学院長は、背後に控える女生徒たちを促した。 
「こちらは、亡くなった小野寺先生の最後の教え子たちですわ……みなさん、こちらが先生のお孫さんの百合香さんと薔子さん。それに教え子の橘……いえ、今はご結婚されて……そう、中嶋雪子さん。皆さんの先輩にあたる方々です」 
「まぁ、みなさん今日はどうもありがとうございます。祖母もきっと天上で喜んでおりますわ」 
そう百合香が応えると、女生徒たちはまるで小鳥がさえずるように口ぐちに、 
「お姉さまがた、はじめてお目にかかります」 
「百合香さまと薔子さまのことは、本当にお美しく気高いお姉さまがたであったと、私たちの世代にまで言い伝えられておりますの」 
「まぁ、雪子さま……亡くなられた小野寺先生が、よく雪子さまのお話をしてくださいましたのよ……お父様を亡くされても希望を失わず、お一人で就職をされたとか……お会いできて本当に光栄ですわ」 
「まあ、祖母がそんな話をしておりましたの。そう、この白雪ちゃんはね、本当にけなげで可愛らしい姫ですのよ」 
薔子がそう言った途端、女学生たちは大仰に驚き、ざわめいた。 
「……では、この方が「聖陵の白雪姫」でいらっしゃいますの?」 
「まあ、噂には聞いておりましたが、本当にしとやかなお姉さまでいらっしゃいますわ」 
 
まるで周囲に花が咲き乱れ、裸の天使が頭上でラッパを吹き鳴らしているかのような絢爛たる空気に、さすがの貴巳も気おされて数歩の距離をおき、回りくどい台詞回しの令嬢たちの会話を理解しようと脳の翻訳機能をフル稼働させていた。 
雪子は女性の群れに囲まれて頭しか見えず、不本意ながらこの場での唯一の味方とも思える美紀子もまた、さっきまでの皮肉な口調をおくびにも出さず、完璧に上品な振る舞いで、徳子とともに学院長と挨拶を交わしている。 
貴巳の、珍しく救援を乞う色を帯びた視線を感じ取ったのか、丁寧に頭をさげて会話の輪から外れた美紀子が貴巳の横へと戻ってきた。 
「……あなたの驚いた顔を初めて見た気がするわ」 
「別に驚いてはいません。しかし……姫、というのは何です」 
眉間にしわを寄せて貴巳が尋ねると、美紀子はあくまで上品に首をかしげて答えた。 
「そうね……姫、というのは聖陵学院独特の、一種の称号のようなものなの。 
……聖陵学院は言わずと知れたお嬢様学校だけれど、そこで交わされているのはああいう感じの、実に白々しいほどお上品な、時代錯誤な会話よね。でもあれは一種のブランドなの。あの生徒たちはみんな分かっているのよ、自分が「聖陵の乙女」――清らかで穢れを知らぬ温室育ちのお嬢様を演じるメリットを」 
美紀子はさらっと恐ろしいことを言ってのける。 
「多かれ少なかれ、みんな本性をうまいこと隠して、したたかに振る舞っているのよ……聖陵の校訓「マリア様、人の嫌がることはわたくしが喜んで」「許し、愛せよ。神はそこにある」を体現するような乙女のふりをしてね。ただ、ごくまれに……数年に一人いるかいないかの割合で、その校訓、教育方針をを実に素直に、そのまま信じてしまう底抜けに純粋無垢なお嬢様がいらっしゃるのよねえ」 
なんとなく話の方向性が見えてきて、貴巳は眉間の皺を深くした。 
「それが聖陵で「姫」と呼ばれる女の子。姫はそれぞれの個性に合わせて愛称がつけられて、皆からマスコット的な人気を博するのよ。家柄や財力は関係ないの。まあ聖陵に入る子はみんなそれなりの家の出だけれど、雪子の場合は、橘家も没落した上父親を亡くして、何の後ろ盾もないところが却って珍しくて注目されたのかもしれないわね……」 
雪子は、白々しい空気の中でさぞ困惑しているだろうと思われた。しかし貴巳の予想に反し、人垣の間から垣間見える雪子の表情は実に自然である。 
「まあ、ありがとう存じます。私も小野寺先生の授業が本当に楽しみだったんですの」 
にっこりと天使の笑みをうかべ、首をかしげる様はどうみても純粋培養の深窓の令嬢であった。 
(……しかしなぜ、言葉遣いまで普段と違うんだ……) 
初めて見る妻の令嬢育ちの一面に眉間の皺を深める貴巳に、 
「あれが「聖陵の白雪姫」。聖陵学院始まって以来の庶民的な出自の姫と言われた、あなたの奥様よ」 
その困惑を見透かすように勝ち誇って美紀子が言う。 
「……雪子にそんな大仰な肩書があったとは知りませんでした」 
憮然としてそう答えた貴巳は、ふいに視線を感じて雪子の方へ眼をやった。 
まるで小鳥の群れのような十数人の女性たちの顔が一斉に貴巳のほうを向いており、雪子がにこにこと手を振っているが、雪子以外の少女たちの顔は、一様にややこわばった、困惑したような微笑を浮かべた表情である。 
どうやら夫として紹介されたらしい、と悟った貴巳が、申し訳程度に会釈する。すると小野寺の令嬢二人の目がぎらり、とこちらを射るように見たかと思うと、歩調まで合わせてつかつかと近づき、目の前で二人並んで貴巳の顔をきっ、と見上げた。 
「……初めまして、雪子の夫の中嶋です」 
愛想のかけらもない声音でそう挨拶した貴巳を、品定めするかのように頭から爪先まで遠慮のない視線で眺め回して、双子の令嬢たちはあでやかな唇をとがらせた。 
「小野寺百合香と申します。はじめまして。白雪ちゃんが結婚されたとは伺っておりましたが……元同僚……市役所の……で、いらっしゃるとか」 
「ご挨拶が遅れて申し訳ございませんわ。小野寺薔子でございます。まさかこちらが白雪ちゃんのご主人様とは思わなかったものですから。随分……お年が離れてらっしゃいますのね?」 
上品な口調にたっぷり含まれた棘を隠そうともせず、挑みかかるような表情と口調である。 
要は、職業、年齢、風采のすべてが、自分たちの寵愛する「聖陵の白雪姫」には不釣り合いだと言いたいのであろう。 
どうやら貴巳は、雪子の回りの女性たちにもれなく敵視される運命にあるらしい――美紀子然り、橋本あや然り、そして目の前の令嬢二人が新たに追加である。そして雪子が自分たちの結婚式に聖陵の同窓生を誰一人呼ばなかった理由――「呼んじゃうと、いろいろ大変そうだから……」と言った台詞の本当の意味を、貴巳はようやく悟ったのであった。 
困惑顔の女生徒たちに会釈をして、雪子が無邪気な笑みを浮かべて近づいてくる。 
「貴巳さん、お待たせ。お姉さまがた、お忙しいところ話し込んでしまって申し訳ありません。私たちはそろそろお暇します……あの、百合香お姉さま……薔子お姉さま?」 
会釈する雪子の両手をそれぞれしっかりと握って、令嬢たちはじっと雪子の顔を見つめる。 
その瞳がうるんでいるのを見て、雪子が不思議そうに小首をかしげた。 
「白雪ちゃん……あなた、世が世ならこんな苦労をしなくても良いというのに……」 
「我慢できなくなったら、すぐに私たちに連絡をちょうだいね。心配しないで、白雪ちゃん一人の面倒を見るくらいわけはないわ。私たちを本当の姉だと思って頼ってちょうだいね?」 
「……一人?我慢?えっ、えーと、お姉さまがた、ありがとう存じます……ですがあの、とりあえず今は何も困っては……」 
全く事情を飲み込めず、きょとんとしている雪子の肩を押し、貴巳がそれとなく令嬢たちの手から雪子を離す。途端に絡みつくような憎悪を込めた視線が二方向から向けられるが、そんなものにうろたえる鉄仮面ではない。 
視界の端で徳子が、学院長と別れの挨拶をしているのを認めると、貴巳は大輪の花のような双子に、刺々しい視線を跳ね返すほどの、冷淡かつ皮肉な会釈を返したのであった。 
 
三世代の女性の露払いよろしく、貴巳が人ごみをかき分け進む。 
ごった返す人波の中とは思えぬほどの速度で道を作って進む貴巳に、雪子が慌てて声をかける。 
「貴巳さん、お願い、もうちょっとゆっくり……おばあちゃまが疲れちゃう」 
その声に立ち止った貴巳は振り返り、後ろに続く雪子の顔をしげしげと眺めた。 
「……な、なに?私の顔に何かついてる?」 
穴のあくほど見つめられた雪子が、居心地悪そうに尋ねる。 
「……なぜ口調が違うんだ」 
「口調?なんのこと?」 
「さっき、小野寺の令嬢たちと話していた時と、今の口調が違う」 
突然、まるで尋問されるかのような状況であるが、そこは貴巳の唐突な発言に慣れている雪子だ。少し考え、納得したようにうなずく。 
「ああ、さっきの……なんていうのかなぁ、聖陵のひとたちとお話しするときは、自然に昔の言葉に戻っちゃうの。あやさんがこの前うちに来たとき、携帯に広島のご実家から電話かかってきて、その時ちょっと言葉が違ってたでしょ?「今友達のうちに来とるんよ」って。なんか……そういう……感じ?」 
こともなげにそう言う雪子に、 
「雪子が就職したばかりの頃は、言葉づかいで随分からかわれたって言ってたわね、そういえば」 
「からかう方がおかしいのですよ。美しい言葉遣いの何がいけないのですか。嘆かわしい」 
と、二人に追いついた美紀子が頷き、徳子が眉間に皺をよせて首を振った。 
(お嬢様言葉とは方言と同じなのか……) 
内心驚愕しながらそれをおくびにも出さず、貴巳は再び、今度はゆっくりと道をかき分けはじめたのであった。 
 
 
 
 
 
3 
 
 
 
帰路、予想と違わず大渋滞に巻き込まれた車内は、来たときよりも更に刺々しい空気に包まれていた。徳子と美紀子の母娘が、雪子の教育について意見を戦わせていたからである。 
「聖陵学院も堕ちたものです。今では生徒に和裁を教え込むこともしないなんて。私はてっきり、雪子もきちんとした教育を受けたものと思っていましたよ」 
「お母様、今はそんな時代じゃないのよ」 
「時代が変わったとはいえ、雪子は浴衣一枚縫えないというじゃありませんか」 
「いまどき浴衣なんて縫えても仕方ないわよ。仕立て上がりのがいくらでも売ってるわ」 
「そういう事を言っているのじゃありません。教養として最低限、単衣の着物と羽織くらいは縫えなければ、聖陵の教育を受けたとは言えませんよ」 
「あ、あの、おばあちゃま……和裁はわかりませんけど、着付けは授業できちんと教わりましたから」 
母娘の火花を散らす会話を何とか和ませようと、おずおずと割って入った雪子であったが、 
「着物を着られる?そんなもの当たり前です。わたし洋服着られるのよ、なんて自慢する人がどこにおります?3歳の子供じゃないんですよ」 
眼光鋭い祖母にぴしゃりと叱られて、しゅんと肩をすくめた。 
「まったく、この調子じゃ家事教育の方も期待できませんね。雪子には、私が早くから仕込んでおいて本当に良かったわ」 
「……だからねお母様、良妻賢母教育なんて、いくら聖陵でも時代遅れなの。雪子がうらやましいわ。私のころなんて、特に中等部からはシスター達が鬼のように怖かったもの」 
「その厳しい教育を受けたはずのあなたがどうしていつも台所を散らかし放題にしているのです」 
「あら、でも雪子はきちんときれいにしてるんだもの、母の背中を見て育ったのよね」 
「反面教師ということでしょうね。あなたが結婚してからも一向に家事が上達しないものだから、私も後悔したのよ。だから雪子には小学生になってすぐにきちんと台所のことを仕込んだのよ。鉄は熱いうちに打てというものね」 
後部座席の母娘二人の語調は激しさを増し、スパーリングのような会話はとどまるところを知らない。 
おびえたように首をすくめる助手席の雪子に、ハンドルを握る貴巳は小声で話しかけた。 
「……そういえば橘のお婆様に料理を習ったと言っていたな」 
「うん、小学生になってすぐ、おばあちゃまの家に通うように言いつけられて……今でも覚えてるよ。料理を教えますって言われて、わくわくしながら行ったら、まずはお鍋や食器の洗い方と拭き方からです、って。それを覚えたら台所用品の手入れの仕方。ふきんや茶渋の漂白の仕方に包丁の研ぎ方でしょ……実際にお料理させてもらえるまでに一か月くらいかかったんだから」 
懐かしそうに雪子はくすくす笑う。 
「お料理教えてもらえるなんて、大人扱いされてる気がして嬉しかったの……「おばあちゃま先生」なんて呼んで。それが、おうちに行ったらいきなり「まずは薬缶を磨きます」って。だから私「やっぱりもうちょっとお姉さんになってからのほうが……」って帰ろうとしたんだけど、許してもらえなかったの」 
「雪子、厳しかったかもしれないけれど、それが今、あなたの身についているんですからね」 
聞いていないとばかり思っていた徳子に釘を刺され、雪子がぎくりと肩をすくめる。 
「あら、基本はお母様から習ったとしても、限られた予算で毎日の献立をやりくりできるようになったのは私のおかげよねえ。お父さんが亡くなって、私が働きだしてから雪子は本格的にごはん作るようになったんだものね」 
「情けないこと。あなたは教育のつもりではなくて、単に自分が楽をしたいから雪子を手伝わせていただけでしょうに」 
「あの、私、お料理好きだし……お母さんと二人の時も、ご飯作るの楽しかったよ?」 
おずおずとそう言う雪子の言葉など耳に入らない様子で、ますます過熱する母娘の舌戦は、通常の三倍ほどの時間をかけて車が美紀子の自宅に到着するまで続いたのであった。 
 
「ああ、やっと着いた。長かったわねえ」 
車から降りて背伸びする美紀子の背に、「それはこちらの台詞だ」と貴巳と雪子の夫婦が同じ感想を抱いた。 
徳子は今夜は美紀子の家に泊まり、明日一緒に百貨店へ買い物に行った後自宅へ戻るのだという。 
喧嘩するほど仲が良い、というわけでもないのだろうが、思い切り文句を言い合えるのもまた刺激のある関係なのかもしれない。 
「貴巳さんも雪子もご苦労様。上がってお茶くらい飲んでいったら?」 
そう声をかける美紀子に、雪子は首を横に振る。 
「夕飯の支度しなきゃいけないし、私たちはもう帰るね」 
「そう?あっ、じゃあ雪子、せっかく車で来てるんだから持って行ってもらいたいものがあるの。ちょっと貴巳さんも一緒に来てくれる?」 
呼ばれて二人が坂井家の玄関口まで入ると、奥の部屋から大きな段ボール箱を抱えた美紀子がよたよたと歩いてきた。 
「ちょっと、これ重いのよ貴巳さんお願いね」 
「えっ?お母さん、これ何?」 
「物が増えて片付かないから、雪子のだった部屋を物置にしようと思って。それであなたの昔のもの色々、とりあえずまとめておいたから……いらなかったら自分で捨ててちょうだい。もうひと箱あるからよろしくね」 
「あっ雪子ちゃん、貴巳くん〜今日はごめんね、僕がこんなことになっちゃって」 
「坂井さん!大丈夫なんですか?」 
「あなたダメよ動いちゃ。おとなしく寝てなさいって言ったでしょ?」 
玄関奥の夫妻の寝室から、四つんばいで痛む腰をかばいながら出てきた美紀子の夫、坂井義之は、最愛の妻にぴしゃりと叱られて、しゅんとした顔で後ずさりする。その姿はまるで主人に叱られた忠犬のようであった。 
 
美紀子から手渡された段ボール箱を抱えて、貴巳は車へ向かう。 
するとてっきり家の中に入ったと思っていた徳子が、夕暮れの街を眺めて貴巳の車の横に佇んでいた。 
「ああ、中嶋さん。今日はお手数をおかけしましたね。ありがとうございました」 
「いえ」 
頭を下げる徳子に短く答えて、貴巳は荷物をトランクへ積み込む。 
その手元をじっと見つめていた徳子が、ぽつりと言った。 
「……雪子は、きちんとやっているのでしょうね?」 
「きちんと、とは」 
意味をとらえかねて尋ねる貴巳に、徳子は暫しの沈黙の後に応えた。 
「……不足なく、きちんと妻としての仕事をしておりますか」 
「ええ、自分は、雪子には何の不満もありません。よくやってくれていると思います」 
即答する貴巳の様子に安堵したように頷いて、徳子は言葉を継ぐ。 
「雪子は、祖母の私が言うのもなんですが、素直で本当にいい子です…… 
いい子過ぎて、無理をしているのに自分でそれに気づいていない時があるのです」 
遠くを見つめながらそう言う徳子の顔は、年齢相応の深い皺が刻まれ、照らす夕日がその陰影を際立たせて、急に歳をとったような顔立ちに感じさせる。 
「いえ、中嶋さんは本当にしっかり雪子のことを見て頂いています、余計な心配だというのは百も承知です。 
ですがあの子は、昔から、回りの人間のことを考えすぎて、自分のやりたいことや言いたいことを飲み込んでしまうのですよ。 
小さなころからどれだけ、自分でも気づかずいろいろなことを我慢してきたか……。 
今更ですが、あんなに厳しく雪子を躾けたせいで、自分の素直な気持ちを出せなくなってしまったのではないかと不安になったりするのですよ。躾けが間違っていたとは思いませんが、もう少し、あの子の気持ちを尊重してやっても良かったかもしれないと…… 
幾つになっても反抗的な美紀子のこともあって、私も少し依怙地になっていたのかもしれません。 
どうぞ、老婆心と思って聞き流して下さいませね」 
言われて貴巳は、そういえば、と思い出す。 
背後の、美紀子の現在の伴侶、坂井氏の建てた立派な一軒家を仰ぎみる。 
結婚する前、初めて二人きりで休日に会ったとき、雪子は、母の再婚を心から祝福できない自分を責めて泣いたのだった。 
亡くなった父を忘れたかのように幸せそうな美紀子が許せない、でもそんな自分がもっと許せない―― 
それから数年の月日が流れ、今では雪子はすっかり、新しい義父にも、そして母にも心を許している様子だ。 
しかしそこに辿り着くまでに、雪子の中でどのような葛藤があったのか――貴巳は改めて、徳子の言葉を噛みしめた。 
「いえ、自分も、より気を付けていきたいと思います。ありがとうございます」 
そう答える貴巳を、実の孫を見るようにまぶしげに見上げた徳子。 
そこに、小さな身体で抱えるには大きすぎる段ボール箱をようやく持ち、ふらつきながら雪子がやってきた。 
「貴巳さん、お願い、トランク開けて……あれ?おばあちゃま、まだお外にいらしたの?」 
「もう中に入りますよ。じゃあ二人とも、気を付けてお帰りなさいね」 
厳しくも穏やかな顔つきの祖母に見送られて、二人は家路についたのであった。 
 
 
 
 
4 
 
 
 
トントントントン……と、木のまな板を包丁がリズミカルに叩く心地よい音。 
雪子の握る包丁の音は、その人柄を映すように軽やかで優しい。 
小口切りにされた長葱の香りがぷんと鼻に届く。 
刻んだ葱を小さなボウルに移し、まな板と包丁をきれいに洗う。 
火にかかっていた両手鍋の中の卯の花を木べらでかき混ぜ、良いころあいになるまで水分を飛ばすと火を止め、余熱のあるうちにきざみ葱を加え、混ぜ合わせる。 
それによってほどよく葱に火が通り、食感を損なわずにツンとする香りがまろやかになり、ほどよい甘みも生まれる。 
出来上がった卯の花を小鉢二つに取り分け、残りを保存容器に移すと、空いた鍋を手早く洗い、再び水をいっぱいに入れて火にかける。沸騰するのを待つ間、冷蔵庫から取り出した、青々とした小松菜の束をボウルに入れ、水で流しながら根本や葉の汚れを丁寧に洗い流していく。 
ややあって沸騰した鍋に、青菜の束を両手で抱え、まずは根本の固い部分だけを湯につける。火の通りを均一にするためだ。根本が柔らかくなったころあいを見計らって手を離し、菜箸でくるくるとかき混ぜる。ほんの少し待ち、火を止める。青菜をざるに上げ、ボウルに入れた冷水に放す。水の中に、ぱっと緑の花が咲いたようだ。 
空いた鍋に、冷凍庫から出した氷を入れる。そこに水を注いで、先ほどゆでた小松菜を入れる。 
「何故二回に分けるんだ」 
「うわっ!びっくりしたぁ!貴巳さんいつからそこにいたの!? 
集中して料理していた雪子は、背後からいきなり声を掛けられて飛び上がるほど驚いた。 
「ずっと見ていたが……それより、なぜ小松菜を二回も冷やすんだ」 
夫の疑問に、雪子はああ、と合点したように頷く。 
「こうやって粗熱を取ってから氷水で冷やすと、青菜の食感がシャキシャキ瑞々しくて美味しいんだよ」 
「何故そうなるんだ」 
「うーん、なぜかって言われても……おばあちゃまにそう習ったから……」 
首をかしげながらも、雪子の手は忙しく動き続ける。 
青菜を根本を揃えて握り、水気を切ってまな板に置く。 
食べやすい長さに切り、切り口を上にして皿に盛りつけ、先ほど削っておいた鰹節を散らす。 
魚焼きグリルからは、鯵の干物の焼ける香ばしい香りが漂いはじめた。 
もう一方のコンロに弱火でかけられていた出し汁の中では、銀杏切りにした大根がよく煮えて半透明になっている。細切りにした油揚げをそこに投入し、お玉でひと混ぜすると、火を止めて味噌を溶き入れる。 
炊飯ジャーが、白飯が炊き上がったことをブザーで伝えた。 
調理台に茶碗と味噌汁のお椀、それに魚用の長皿を二組ずつ揃える。料理と並行して洗い物をしているので、シンクの中には汚れ物はほとんどない。流れるような手つきで、まだ脂のじゅうじゅういっている鯵を皿に乗せ、味噌汁とご飯をよそった雪子は、背後の夫を振り返って、 
「はい!ごはんの時間ですよ!」 
と微笑んで宣言した。 
 
 
 
 
5 
 
 
夕食を終え、風呂から上がってきた貴巳がリビングのドアを開けると、ソファに座った雪子が何やら微笑みながら本を膝の上に開いていた。 
「あ、貴巳さん。これ、私の中学校の卒業アルバム。見てみる?」 
差し出された冊子は豪華な革張りの冊子で、表紙には「学校法人聖陵女子学院中等部 第67回生卒業記念」と麗々しく箔押しされている。 
「こっちは高校のね。お母さんに持たされた荷物に、懐かしいものが沢山入ってたの。貴巳さんに見せたことなかったよね?よかったら見てみて。私はお風呂に入ってこなくちゃ」 
二冊のずっしりとした冊子を手渡すと、雪子は風呂場へと向かう。 
リビングに一人残された貴巳は、ゆっくりとページを開いた。 
生徒と教師全員の顔写真。ミッション系である聖陵学院の教師は、神父を除いては全員が女性であり、そのほとんどが尼姿のシスターであるあたり徹底している。 
生徒たちも髪を染めたり化粧をしているようなのは一人もおらず、少女たちはみなきちんと整えられた黒髪であるところも、さすがに全国有数のお嬢様学校というところか。 
一組から順に眺めていくと、見慣れた色白の顔が目に飛び込んできた。今よりも更にあどけなく、中学の卒業アルバムだというのにまるで小学生にしか見えないような、幼い雪子の写真だ。 
写真撮影の際に照れたのか、少し頬を赤らめて、はにかんだ笑みを浮かべる表情は、全く無邪気で箱入りのお嬢様そのものだ。 
そういえばこの時はまだ彼女の父親も健在で、自分にこの先待ち受ける困難など想像もしていなかったであろう――そう思って、貴巳の胸がきしむように痛んだ。 
更にページを繰っていくと、学校行事の写真が十数ページに渡ってレイアウトされている。体育祭、文化祭など普通の学校らしい行事から、クリスマス生誕祭ミサなどという馴染みのないものまでさまざまである。写真の背景にある校舎や、参観する父兄の雰囲気など、日本では死語となったかに思える上流階級というものが、現代にも厳然と存在するのだと示して余りある豪華さであった。 
昼間に垣間見た同窓生たちと雪子の会話の様子も合わせて、やはり住んでいた世界が全く違っていたのだな、という事実を眼前に突き付けられた気分だ。 
更にページを繰ってゆくと、今度はクラス別の文集だ。アンケートの結果など――それは「好きな教科は何ですか」「担任の先生に一言メッセージ」などの他愛もないものばかりだったが、一つ、貴巳の目を引く欄があった。「将来の夢」……そこに書かれていたのはお嬢様校らしく、「母のように立派な日本舞踊の師範になりたいです」「ピアニストになって世界中でコンサートを開きたい」などといった煌びやかな職業か、「良き妻良き母となりたいです」といったものまでさまざまであった。 
だが目に飛び込んできた「橘雪子」の名前の横には、 
「小さいころから、ずっと保母さんになるのが夢です」と、幼いながら丁寧な筆跡で記されていた。 
 
暫し考え込んだ貴巳は、もう一冊、今度は高校のアルバムを開く。 
三年後の雪子の顔写真は、相変わらずあどけない少女であったが、その表情は、唇をしっかりと結んで、微笑みを浮かべながらも、しっかりと前を向いている眼差しが印象的であった。 
一足飛びに、最後の文集のページを探す。やはり高校でも同じような作りで、そこにはもう少ししっかりとした筆跡で、もう少しだけ現実的な、しかしやはり一般人から見ると十分にきらびやかな令嬢たちの将来の夢が記されていた。 
そんな中見つけた、雪子の「将来の夢」は―― 
「与えられた仕事を喜んでおこない、自分の力で生活していけるようになりたいです」 
――そう記されていた。 
 
二冊のアルバムを貴巳は見比べた。そこに流れる三年の月日は、雪子の人生の中で最も激動のものだったに違いない。 
高校生になって間もなく、父が過労が原因の居眠り運転で事故死、その事故で大怪我を負った被害者への補償はもちろんのこと、父が経営していた会社をたたみ、自分の親族から借金の返済を求められた美紀子が働かざるを得なくなり――雪子はずっと家事を一手に引き受けていた。同窓生が皆大学進学や留学、それでなければ家事手伝いという名の花嫁修業へと進路をとるのに、雪子は学年でただ一人就職活動をし、ほとんど独学で地方公務員試験に合格したのであった。 
 
 
(……もし、父親が亡くなっていなかったら) 
アルバムを膝の上に開いたまま、貴巳はらしくもない想像にふける。 
彼女の父親は、聖陵学院に通っていた女学生時代の美紀子を見初めたのだという。お嬢様学校への憧れが強く、雪子に是非にと母と同じ学校への進学を勧めたのも彼であった。 
ならばきっと、健在ならば雪子を付属の大学へ進学させたがったに違いない。保育士になるというのなら幼児教育学部があるらしいし、中学生の雪子はきっと、自分がそこへ進学することを夢見ていたはずだ。 
 
 
 
「貴巳さん、どうしたの?」 
肩越しに覗き込んだ雪子にだしぬけに声をかけられて、貴巳は内心うろたえた。 
「あ、これ高校の時のアルバムだね。私若いなぁ」 
「……どこが変わったのかわからんが……雪子?その恰好は何だ?」 
ソファの背後に立つ妻の姿を振り仰いで、貴巳は訝しげな声を上げた。 
そこには、風呂上りのパジャマ姿……ではなく、セーラー服姿の雪子が小首をかしげて立っていたのであった。 
「ふふふ。持たされた荷物の中に入ってて、久しぶりに着てみたくなったんだー。ちょっときつかったけどちゃんと着られたよ」 
聖陵の乙女たちを象徴する、上品なグレーの長袖セーラー服である。襟に入った白い三本のラインに、同色のスカーフが胸元で揺れる。きっちり膝丈の、細いひだが沢山あるプリーツスカート。白いハイソックスには校章のワンポイントがあり、雪子の長い黒髪はご丁寧に二つに分けて三つ編みにされていた。 
微笑んでくるりと回ってみせる様は、まばゆい光のごときオーラを放ち、どう見てもうら若き令嬢、今や絶滅寸前の天然ものの大和撫子である。 
まるで、アルバムの中の高校生の雪子がそのまま飛び出してきたような錯覚にとらわれて、貴巳は幾度か目をしばたかせた。 
「……貴巳さん、どうしたの?じっと見て……やっぱり変かな?」 
「いや、違和感は全くない。驚くほどに無い」 
そう断言されて、嬉しいような悲しいような複雑な表情を浮かべ、雪子は貴巳の横に腰かけた。 
「あ、これ卒業記念のアンケートだね。……懐かしいなぁ。皆、今は何してるのかなぁ」 
かつてのクラスメイト達の「将来の夢」を楽しそうに眺める雪子の様子に、貴巳は思わず尋ねる。 
「……後悔していないのか」 
「後悔?……どうして?」 
きょとんとして問い返す雪子の表情はあどけなく、本当に17歳の昔に帰ったかのようだ。 
「雪子は、自分の夢を諦めて就職したんだろう。同級生が皆、思い思いの道に進んだのに」 
「……わたしの、夢……」 
「俺は、雪子が将来保育士になりたいと思っていたなんて知らなかった」 
「……ああ!そっか……中学校の文集に書いてあったんだね」 
驚きの表情を浮かべた雪子が、テーブルに置かれたもう一冊のアルバムに目をやり、納得した声を上げる。 
革張りの表紙を愛しそうに撫でてから、自分の膝の上で、そのページを開いた。 
「……うん。そう。このころは、ほんとにそうなりたいと思ってたよ」 
穏やかな微笑みを浮かべて、十年近く前の自分の筆跡を、そっと指先でなぞる雪子。 
「だから、後悔していないのか、と」 
まるで尋問するかのような調子の夫に苦笑して、雪子は貴巳に向き直る。 
「してないよ……本当に」 
「もう諦めがついたからか。父親が亡くなって仕方ないと思っているからか」 
「……今日の貴巳さんは、ほんとにどうしたの……今までそんなこと聞いたことないじゃない」 
くすくすと笑う雪子に、貴巳はあくまで問い詰める態勢を崩さない。 
ちょっと困ったように考え込んで、雪子は言葉を選びながらぽつりぽつりと話しだした。 
 
 
「ほんとはね……諦めなきゃいけなかったわけじゃないの」 
「どういうことだ?」 
「私が就職するって決めたとき、同級生や先輩のお姉さまがたが、とっても心配して、色々気を使ってくれて。ご両親の会社で働かないかって言ってくれたり、あとはお父様が経営されてる幼稚園で、事務員として働けるようにしてあげるって言ってくれた先輩もいたの。保育士ではなくても、子供たちのそばで働けるからって」 
「……さすが聖陵、と言うべきなんだろうな、それは……」 
高校生の小娘が就職を斡旋するなど非現実的な話であるが、超お嬢様学校の聖陵であるからこそ納得できる話である。犬も歩けば社長令嬢に当たる、という極めて特殊な環境なのだ。 
「私も、そう言われた時は甘えちゃおうかなって思ったの。就職活動なんて私以外に誰もしていなくて、先生がたもそんな指導したことがなくって勝手がわからないって……自信もなかったし……でも、どうしてか踏み切れなかったの。その時に色々相談に乗って下さったのが、亡くなられた小野寺先生だったんだ」 
言われて貴巳は、昼間の教会での光景を思い起こす。 
遺影の中の穏やかな微笑の老夫人。 
「高校のお作法の時間に教えて下さったのがご縁で、よく声をかけていただいたの。小野寺のお姉さまがたのお宅に招かれていったときにも優しくして下さって……それで、就職のことで悩んでたときにね、作法室の掃除当番が私一人の時に、小野寺先生がいらしてたくさんお話をしたの」 
故人のことを思ってか、雪子がうっすらと目に涙を浮かべる。 
「先生はおっしゃったの。「雪子さん、あなたがもし、今の自分の交友関係のおかげで希望する職場へ就職できたとして、その先のことはどうかしら。何の資格もなく、経営者の娘の友人というだけで採用されたあなたのことを、他の職員たちはどう思うでしょう。何より、あなたはそれで満足できるのでしょうか。……周りの若い職員たちはみんな、あなたの目指していた資格をそれぞれ勉強して得て採用され、子供たちと一緒に切磋琢磨して成長してゆくのですよ……その傍で、事務員としての仕事をして、それで満足できますか。辛くなるばかりではありませんか」って。はっとしたの……今まで私の胸の中でもやもやしてたものの正体を、小野寺先生にずばり言い当ててもらったのね」 
うつむいて、一言一言を思い出しながらかみしめるように雪子は呟く。 
「それでね、先生はこうおっしゃったの。自分の道を切り開いておいきなさい、回り道でも、時間がかかっても、与えられた仕事に真摯に取り組んでいけば、きっと先には素晴らしいものが待っています、って。そう言われたときに、ああ、他人をあてにしないで、自分の力でやってみよう、って思えたの。就職して、どんなことでも自分に与えられた仕事を頑張ってみて……それでも夢を諦められなかったら、自分でお金を貯めて、それから勉強をし直しても遅くないんだって……」 
凛とした横顔。あどけない唇から紡がれたのは、貴巳の予想していたよりも、ずっと強い、しなやかな生き方であった。 
「でもね、今はもう、本当に保育士になりたいとは思ってないの。貴巳さんに言われて久しぶりに思い出したくらいだもの」 
「……後悔はしていない、と」 
「うん。小野寺先生は正しかったと思うの……お父さんが亡くなって、悲しかったし大変なこともたくさんあったけど……でも」 
言葉を切って、雪子が貴巳の目をまっすぐに見つめる。 
「でも……何だ」 
「貴巳さんが、ここで待っててくれたんだもんね」 
「……ここで?」 
「うん、職場で……それにこのおうちで、待っててくれたのは貴巳さんだったんだなぁって……」 
はにかんだ笑みを浮かべてそう言う雪子に、こみ上げる愛しさを咳払いでごまかした貴巳は、わざとそっけない口調で言う。 
「まあ、そうでもなければ俺にお鉢が回ってくることもなかっただろう。雪子はどこかもっと金持ちで条件のいい男に嫁いだろうからな」 
「またそういう意地悪言う……じゃあ、もし私と出会ってなかったら、貴巳さんは操さんと結婚してたのかなぁ?」 
口をとがらせた雪子が、負けじと言い返す。 
操というのは貴巳の自称元愛人、昔から恋愛感情は一切なく身体の関係だけ、という、妻が把握しているにしては余りにひどい間柄の女性である。 
「それだけは絶対にない。おぞましい想像をするな」 
即答した貴巳は、しかし本気で、もし雪子と出会っていなければ自分は一生独身だったに違いないとも思う。 
結婚どころか、恋愛さえ軽蔑しきったまま一生を終えることになっていたのではないか。 
一人の男性の死、雪子たち家族にとっては耐え難い悲劇に違いないが、しかしそれがきっかけとなって、雪子と貴巳のそれぞれの道は奇跡的に交わったのだった。 
 
 
 
6 
 
 
横に座った雪子が、貴巳にもたれかかり、胸に頬を摺り寄せる。 
抱き寄せて口づけようとして、ふと貴巳の手が止まった。 
「……?どうしたの?」 
しげしげと自分の姿を見て何やら躊躇している様子の貴巳に、雪子が不思議そうに尋ねる。 
「……いや……」 
首をかしげる雪子は制服姿で、しかもあからさまなコスプレならばまだしも、完全に高校生にしか見えない、清楚な風情を醸し出している。 
(……これに手を出したら、俺は完全に変態なんではないだろうか……いや冷静になれ、中身はいつもの雪子と変わらない、何の問題もない) 
スカートとハイソックスの間にのぞく白くかぼそい膝小僧が、いやがおうにも視界に入る。 
侵しがたい気品と、まだ生娘のような初々しさが雪子の全身から滲み出て、邪な劣情を抱くには良心が咎める風情である。 
「もぉ……さっきから、貴巳さん変だよ?やっぱり制服似合わない?」 
「……いや、そういうことではない、よく似合う」 
似合いすぎていて困るのだ、とは口には出さず、貴巳は頷いた。 
苦し紛れとはいえ、めったにない夫の褒め言葉に気をよくした雪子は、両手を腰にあて、得意になった子供のようなポーズで、 
「へへー、貴巳さんに褒められちゃった」 
と胸を張った。が、その瞬間、ぶつっ、というような音がして、セーラー服の上着の前合わせのスナップが弾け、雪子の白い、柔らかな二つの丸みがこぼれ出る。下着をつけず、素肌のままである。 
「あっ!うあぁ……やだっ」 
真っ赤な顔で、慌てて前を隠すしぐさに、貴巳もまた自分の理性がはじけ飛ぶ音を遠くに聴いた気がした。 
「なるほど、きついというから妙だと思ったが、胸のことか……」 
「やっ、だってっ、高校の頃は全然っ、無かったしっ」 
「胸だけは成長したんだな。喜ばしいことだ」 
「……たかみさんは、もっとおっきいほうが、好き……?」 
上目使いでそうおずおずと聞く雪子の頬を撫で、貴巳の指はそのまま制服の襟元へ滑り込む。 
やわやわと掌で乳房をくるむように撫でさすると、くふん、と雪子が吐息を漏らす。 
「別に、大きければいいというものでもない。……このくらいがちょうどいい」 
「っ……ほん、と?……嬉しい」 
しかし、改めて見ると、制服の前をはだけながら乳房をまさぐられている姿というのは、背徳感もあいまって素晴らしく扇情的な眺めである。 
熱を発して起ち上がった貴巳のパジャマ姿の股間に気付いて、雪子がおずおずと手を伸ばす。 
「貴巳さんのここも……おっきくなってるよ……?」 
形を確かめるように指先で輪郭をなぞり、雪子はそっとそこに頬を寄せる。 
ソファに座る貴巳の足の間にひざまずくようにして、うっとりと布の上から唇を這わせた。 
貴巳が珍しくされるがままになっているのを認めて、勇気づけられたように雪子はパジャマの下を脱がせにかかる。 
下着と一緒にずり下げると、飛び出すように勢いよく姿を現した剛直に、蕩けた熱い吐息を漏らした。 
花のつぼみのような清楚な唇で、挨拶をするように、そっと先端に口づける。早くも先端から滲み出した透明な先走りの滴を、ちゅっと音をたてて吸い上げた。 
その瞬間、怒張がびくり、と痙攣して、驚いた雪子はほんの少し身を引いた。 
(わっ……なんか、びくって……すごい……) 
再び恐る恐る唇を寄せ、今度は根本の方から、舌先でつつっ、と先端まで舐める。 
どくどくと脈打つ熱の塊を、舐め溶かそうとするかのように何度も、唾液をまぶした舌で舐め上げた。 
いつもは貴巳があまり奉仕されることを望まない。雪子を責めたてているほうが楽しいのだそうで、雪子もまた貴巳の手管に翻弄されるがままになってしまう。 
しかし今日の貴巳は妙に遠慮がちというか、日ごろの強引さがない。 
制服姿の雪子に欲情する自分が許せない、などという理由は雪子には当然わからないが、めったにない状況を雪子はむしろ楽しんでいた。 
 
「んっく……んう……っ、うんっ……」 
くぐもった声をあげながら、強直を喉の奥まで飲み込んでゆく。 
息苦しさが余計に興奮を駆り立てる。 
きつく吸い上げながら首を振り立てると、喉の奥からぐぼっぐぼっとくぐもった淫らな音が鳴る。 
口腔が性器のように犯されているという倒錯感に、身体に触れられずとも雪子の体温も高まっていく。 
「っ、ぷはぁっ……」 
ついに息苦しさに耐えられなくなり、ずるり、と喉から引き抜いた。 
唾液と先走りでてらてらと濡れ光る逸物は、湯気のたつほどの熱と淫臭を振りまいて、鼻腔からも皮膚からも雪子を犯す。 
熱に浮かされたような頭の雪子の視界に、今までほとんど触れたことのない敏感な部分が映った。 
屹立する根本にぶら下がるものを、持ち上げるようにそっと指で撫でると、貴巳の身体がほんの微かにたじろぐように揺れた。 
「ここ、触ると痛い……?」 
「……いや、強くされなければ痛くはないが……」 
「じゃあ、痛かったら言ってね?」 
そう言うと雪子はおもむろに、その部分に舌を這わせる。 
竿の部分とはまた違った感触に好奇心をそそられて、ひだをなぞるように舌でなぞったり、皮を軽く吸い上げたりすると、そのたびに竿がびくり、と反応した。 
(おもしろい……これ、こんなふうになってるんだ……) 
快感を感じているらしい反応に勇気づけられて、雪子は思い切って、袋をそっと口に含む。 
左手で竿を上下に柔らかくしごきながら、口いっぱいに含んだ精液袋を、ころころと舌でころがすように舐めまわした。 
(ここに……はいってるんだよね、貴巳さんの……せいえき……) 
舌でそのありかを確かめるようにねぶる。傾けた唇の端から、たらたらと唾液が糸をひいて流れ落ちた。 
(それから……ここを通ってる管を……ぐーっと上ってきて……) 
咥内からよだれまみれになった袋を舌で押し出すと、精液の道筋を辿るように、竿の根本から裏筋を舐めあげる。 
(ここから……びゅうっ、て……吹き上がってくる……っ) 
先端を熱い粘膜で包んで、尿道口を舌先で軽くこじるようにしながら吸い上げる。 
 
 
「……っっっ!」 
珍しいことに防戦一方の貴巳は、奥歯を噛みしめて必死に耐えていた。 
何しろ、目の前にあるのは、制服姿を乱れさせた妻が、一心不乱に肉棒に奉仕する光景である。 
女子高生、というより女学生といった方が似合う清楚な風情の少女が、あろうことか自分の玉袋まで口に含み、蕩けた色っぽい表情で必死に口唇奉仕をしているのだ。興奮するなと言う方が無理である。しかしその背徳感、そしてこの状況にいつもの夫婦のセックス以上に興奮してしまう自分を認めたくないというのが貴巳の本音である。 
「……たかみさん……きもちいい?……っ、んうっ……!」 
上目使いでそう尋ねる雪子の胸をまさぐり、頂点の蕾を指先で摘まむ。 
自分の方が余裕をなくしている常ならぬ状況に焦り、何とかして自分のペースを取り戻そうという目論見である。 
それは成功したかに見えた。雪子は舐めしゃぶっていた屹立から顔を離し、とろんとした目でひっきりなしに子猫の鳴き声のような声をたてる。 
「やっ……ああ、っ……んにゃぁ……っ」 
顔を真っ赤にし、ぷるぷると全身を快楽に震わせながら耐える雪子の様子に余裕を取り戻しつつある貴巳は、ひときわ強く乳首をひねりあげる。 
が、しかし。 
余りに強すぎる快感に極まった雪子が、膝立ちの体勢に耐えられず、貴巳の股間に覆いかぶさるように倒れこむ。 
その勢いで、天を衝かんばかりの強直が、雪子の柔らかな右の乳房を押し上げ、強く圧しつけながら乳首と擦れ合った。唾液と先走りの混じった汁がローションの役割をして、屹立がぬるりと乳房をえぐる。 
「あ、ひゃ、あああああうんっっっっ!!」 
ひと際高い嬌声を上げた雪子が、その快感の源を探り視線を胸元へ注ぐ。 
「きもち、い……そういえば、おっぱいで、したこと……なかった、ね」 
蕩けた目を輝かせ、自分の両乳を寄せるように持ち上げる雪子に、貴巳の脳裡で黄信号が灯る。 
(これは……まずい) 
しかし時すでに遅く、雪子はゆっくりとやわらかな双乳を圧しつけ、肉棒への奉仕を初めていた。 
「……っ、あ……んうっ……だめえ……うまく、できない……」 
さすがにすっぽりと肉棒を挟み込んで扱くにはボリュームが足りないらしく、雪子が泣き声をあげる。 
しかし、なんとかしてしごき立てようとさまざまな角度から圧しつけられる柔らかな肉の感触は、もどかしい快感を貴巳の背筋に走らせた。 
「……っんんっっ!」 
雪子がふいに身体をびくつかせる。雁首の段差が、敏感な胸の頂きを押しつぶすように刺激したのだ。 
「あー……っ、……これぇ……きもち、いいっ……」 
びくびくと痙攣しながら一旦身体を離した雪子が、改めてそっと、亀頭と乳首の先端を触れ合せる。 
すでに先走りと思えないほどの粘液が溢れ、くちゅ、と淫らな音を立てた。 
「っああ……ふぅっ……やぁ……キス、してる……みたい、ね……」 
刺激で隆起している桜色の乳首は、こりこりとした感触で怒張の先端をくすぐり、擦りたてる。 
身体全体を揺らすようにして刺激を続ける雪子の身体が、絶頂の予感に張りつめ震えだした。 
我を忘れ、ますます激しく淫らに身体を圧しつけてくる。はだけた制服のまま、うずく細腰を振り立ててあえぐ少女のあられもない痴態に、 
 
「……っっ、雪子、っ……!」 
「えっ、きゃぁっ……」 
くぐもった声を上げて、貴巳が咄嗟に雪子の肩を掴み、自分から遠ざけようとする。 
しかしそれは一瞬間に合わず。 
噴き上げた白濁液が、雪子の顔と制服にビュルビュルと巻き散らかされた。 
 
「……済まない、大丈夫か」 
「ん、大丈夫、わあ……べたべた」 
目をつむったまま、顔に噴きかけられた精液を指で拭い取る雪子に、貴巳は慌てて傍らのティッシュを数枚取り、拭いてやろうとした。 
しかしその伸ばした手は、やんわりと雪子にどけられた。 
怪訝そうにしている貴巳に微笑んで、雪子は子供のように小さなか細い指で、顔や制服、三つ編みの髪についた白濁を丁寧に拭い取り、淫臭をふりまく指を、まるで砂糖菓子のように口に含み、ちゅっと音をたてて舐めとった。 
「……不味いだろう」 
珍しく妻に主導権を握られた気まずさを押し殺し、貴巳はつとめて冷静な声音を作って言う。 
「うーん、味は美味しくはないんだけど……でも、貴巳さんが感じてくれて、これが出てきたんだと思うと、なんか……おいしいよ?」 
嫣然としたしぐさで男の精を舐めとりながら、天使のようなあどけない笑顔でそんなことを言う雪子。 
「わっ……たかみさんっ……もう?」 
たまらず抱きかかえ床に押し倒すと、すでに力を取り戻している貴巳自身に目をやり、雪子が驚きの声を上げる。 
雪子は夫のことを絶倫のように思っているかもしれないが、しかしそれを可能にしているのが他でもない自分自身の恥じらう表情や感じる仕草であるとはいつまで経っても気づかないようだ。 
セーラー服の前がはだけ、ほどけたスカーフが上気した玉の肌をくすぐる。 
ほどけかかった乱れたおさげ髪が、まるで本当に女学生を犯しているかのような危うい雰囲気を醸し出している。 
貴巳の筋張った手がそっと細いふくらはぎをなぞり、露出している膝の裏をくすぐり、スカートの中をまさぐった。布で隠れている分、雪子の触覚はより鋭く、腿の内側をするりと撫でられただけで焦れったい痺れが肌を粟だたせる。 
腿の上へゆくほど、体温は高くなる。付け根は熱があるのではと思うほどに熱く、その中心、下着のクロッチの部分は既にぐっしょりと濡れそぼっていた。 
「……っ!!んうっ……あ、や、あああ、っ……!」 
雪子が切羽詰った声を上げる。先ほどの胸での愛撫でとろけきっていた秘所が、待ちわびた刺激。 
指で悪戯めいた動きを続けようとする貴巳の手が、雪子の指に掴まれる。 
目顔で問う貴巳に、雪子はこまかく熱い呼吸をしながら潤んだ瞳で乞うた。 
「……も、もう、じゅんび……できてるからっ……すぐ、来て……おねがい」 
「ああ」 
頷いて貴巳は雪子の下着をするりと脱がせる。 
スカートのホックを外そうとしている雪子の両手を頭上でまとめて掴み、もう片方の手で細い腰を抱えた。 
「や、だめ……」 
「すぐ、と言っただろう」 
「待ってよぉ、スカート脱がなきゃっ……」 
「それは駄目だ」 
抱えた腰を、ぐいっと自分のほうへ抱き寄せ、真っ白な両腿の間に身体を割り込ませる。 
清楚なプリーツスカートがめくれ上がり、その奥から、少女のような淡い風情の秘所があらわになった。 
貴巳が二本の指でそっと割り開くと、桜色の淫肉がぷちゅぷちゅと蠢いて、透明なぬめりが、涙のようにぽたり、とこぼれ出る。 
「やだっ……は、ずかしいっ……てばぁ……電気、消してよぉぉっ」 
泣きそうに眉尻を下げた雪子が懇願するが、感動的なまでに淫猥で背徳的なこの眺めを諦める選択肢は貴巳にはもちろん無い。 
ぱくぱくと物欲しげに開閉する入り口に、貴巳は自らの先端を圧しつけると、じっくりと観察しながら腰をじわりと進めた。 
「……っ!っ、ふうっ……っあ……ああっ……あっだめ……っ、あ、ああああ、っっ……!!」 
一番太い雁首の段差が飲み込まれるまでは抵抗があるが、力をこめると水音をたててぬるりと飲み込まれる。その瞬間、透明な汁がしぶき、入口の締め付けが五度、六度と痙攣するようにきつくなった。 
「……もういったのか」 
荒くなる息を押し殺し、つとめて冷静さを保とうとしている貴巳が、低い声で言う。 
「っ、だ、だってっ……さっき、から、ずっと……っ」 
絶頂の余韻で身体を幾度もひくつかせながら、涙声で雪子が答える。 
軽くのたうつ度に、はだけたセーラー服の間の両乳が波打つように揺れ、白いなめらかな腹が大きく上下している。 
「……あっ、やぁっ、ゆっくり、っ……きゃ、や、だめっ……!!」 
じわりじわりと、焦らすようにゆっくり、貴巳の先端が膣肉をかきわける。 
最奥まであと半分ほどのところで動きを止め、またゆっくり、時間をかけて引き抜いてゆく。 
ぷりぷりとした粘膜のひだ一枚一枚をかきわけてゆくのが解るほどに。 
下品なほどの粘る音を立てて引き抜かれたそれは、カリの傘の部分にたっぷりと、真っ白な淫液をまといつかせていた。 
太いものを抜かれてぽかりと口を開けた膣口が、ぱくぱくと咀嚼するように開閉する。 
それをじっと見つめる視線を感じてか、雪子が恥じらいのあまり泣き声を上げた。 
「もう、っやだ……見ないで、みないでぇぇ……っ、んううっっ!!」 
再び、勢いよく肉槍で押し開かれる。しかしやはり先ほどと同じ、奥までは侵さずに、執拗に中ほどの壁の、女の弱点を押し上げるようにして刺激を続けられ、雪子の口から間断なく甘い声がほとばしる。 
「あ、あんっ、ううっ……あっ、やっそこ……っ、あああっ、あっあっあっあっ……っ!」 
汗だくになった額に前髪が張り付き、身体全体がピンク色に上気している。 
ハイソックスを履いたままの爪先が、何かを掴むようにきつく丸まる。 
しかし快楽を逃さないための無意識の動きなのか、両足はしっかりと貴巳の腰に絡みつけられていて、それが貴巳を更に駆り立てた。 
「あっ!……あっあっあっあっ……だめっ、めくれ、ちゃうっ……っっっ!」 
ごりごりと段差で粘膜を引っかかれながら、抜き去られる感触で再びあっけなく極みを迎える。 
息つく間もなく、もどかしいほどじわじわと押し込まれ、女の弱点、上壁の感じるスポットを執拗にこじられて、全身を掻き毟りたくなるほどの焦れったさに責めさいなまれる。 
「あ、ひゃんっ、ああああ、いき、そ……また、いきそうっ、だめ、も、だめぇっっっ!!」 
両手で自らの身体を抱きしめるようにして爪を立て、必死で堪えようとする努力も空しく、結合部からぴちゃぴちゃと潮をしぶかせながら、三度目の絶頂。 
「や、も、ゆるひて、も、がまん、できないっ……おねがい、おねがいっっ……もっと……ちゃんとぉ、っっ」 
乱れた三つ編みを振り乱して、身も世もなく懇願する雪子に、貴巳が意地悪く尋ねる。 
「もっと早くして欲しいのか」 
既に恥じらう余裕も無く、こくこくと頷く雪子の片足を、自分の肩の上へと担ぎあげる。そうして雪子が逃れられないようしっかりと捕まえると、おもむろに貴巳は、激しく、しかし小刻みなピストンを開始した。 
膣口から抜けるギリギリまで腰を引き、何度も素早く中ほどまで突き上げる。膣道がよじれ、もっと奥まで飲み込もうと吸いついてくるが、貴巳は腰を引いて決して一番奥までは侵入せずに、白く濁った愛液をしぶかせながら、ずくずくと痙攣する肉穴を犯しぬいた。 
「あああっ、ひゃ、あああやあああああっっっ!!」 
入口の敏感な肉を擦りたてられて四度目の絶頂。上の壁をしつこく押し上げられて五度目。乳首をきつく吸い上げられて六度、七度…… 
「っ、あああーーーー…………!!」 
ついには間断ない絶頂の大波にさらわれて、全身を汗みずくにした雪子はきつくのけぞりながら獣じみた声を上げる。 
男の味どころか、まだ初恋さえ知らない風情の清純な少女は、今や制服のスカートを淫液でびしょ濡れにし、はだけた胸乳を揺らしながら快楽に翻弄される、発情期の雌そのものであった。 
 
「あああああっ、だめ、ほんとに……っっ、そこ、だけじゃっ、たりなっ、足りない、っのっっ」 
何度絶頂を繰り返しても一向に満たされることのない雪子の最奥は、もはや焦れるなどという段階を通り越し、子宮口から涎のように愛液を垂れ流しながら膣壁を切なくよじり合わせ、身もだえするように男根を待ちわびている。 
額に汗を浮かべた貴巳もまた、一思いに貫いて果ててしまいたい衝動にかられ、理性の手綱を必死で引いた。 
もう幾度、こみ上げる射精感をやり過ごしたかわからない。 
「っ、足りないのは……ここのことか?」 
わざと解らないふりをして、限界まで圧し拡げられている膣口の上、触ってもいないのに充血して存在を主張している突起を、指の腹で小刻みに擦りあげた。 
「あ、きゃ、ああああああああああっ」 
瞬間、雪子の背が弓なりに反り、全身が余りの快感に激しく痙攣する。 
細い身体がめちゃくちゃにのたうつのに構わず、更に陰核を摘み上げるようにしていじり倒すと、 
膣内がまるで電気ショックでも受けたかのようにびくびくと激しい収縮を繰り返し、ややあってくたり、と雪子の全身が床に沈んだ。 
気絶。 
あまりの連続絶頂に耐えきれず意識を失い、力なく投げ出された手足に、閉じた瞼を縁取る長いまつ毛。薄く開かれた唇からほんの少し覗く、真珠色をした歯並び。 
まるで人形のようだが、それにしてはあまりに凄艶だ。 
「雪子……大丈夫か……っっ!」 
さすがにやりすぎたか、と腰を引こうとした貴巳が、喉の奥でうめく。 
気絶しているはずなのに、雪子の内部はまるで意思をもっているかのように蠢いているのだ。 
奥へ奥へ……膣内射精で最高の絶頂を極めるよう覚えさせられた雪子の女の器官は、吐精をねだって吸い付き、男根をしゃぶりあげるような動きをする。 
無意識の媚態が、貴巳の理性の糸の最後の一本を灼ききった。 
 
ずん、という衝撃と共に、ふわふわと浮遊する雪子の意識が、強引に現実に引き戻される。 
「んっ……っっっ?!あっあっあっ、やぁぁっ、びゅうって……びゅって出てる……っっっ!」 
貴巳が最奥を貫き、待ちわびた子宮口へ鈴口をめりこませて、大量の精を放ったのだ。 
「ひうっ……!やぁぁ来てる、っ……ああああっ」 
叫び過ぎて掠れ気味の声で、雪子が息をのみ、膣内射精の悦びに震える。 
「あああああ、っ……ひゃ、あうっ……」 
子宮が飲みこぼした白濁が、結合部からぶちゅり、と押し出される。 
長い射精が、ようやく終わりを告げる。 
大きく息をついて身体を離そうとした貴巳だったが、 
「……雪子?」 
雪子の両足は、まだしっかりと貴巳の腰へとすがりつくように回されたままだった。 
胸を大きく上下させて荒い息をついている雪子が、薄目をあけて両手を夫の目の前に差し伸べる。 
それに応えて覆いかぶさるように雪子の身体を抱くと、貴巳の耳元を、雪子の熱っぽいささやき声がくすぐる。 
「なんか……終わんない、っ……いくの……また、すごいの……すごいの、来るう、っ……」 
夫の背にきつく腕を回し、しがみつくようにして、雪子の身体が震える。 
さんざん焦らされてこれだけでは足りない、とでも言うように、精液まみれの子宮口が亀頭へ吸い付き、周りの媚肉がぐちゅぐちゅと肉槍にすがりつく。 
射精したばかりで敏感になっている自身を女陰にねぶられて、焦燥感にも似た耐え難い擽ぐったさが貴巳の腰のあたりに広がる。 
身を引こうとしても、雪子は細い両足のどこからこんなに、と思うほどの力で腰にしがみつき、離れようとしない。 
まるで夢を見ているようにうっとりと目を瞑り、半開きになった唇の端から涎を零して射精の名残の快感に鳴き声を上げ続けている。 
清楚な妻のその蕩けきった絶頂の表情に、貴巳はもうどうにでもなれ、と覚悟を決めて、再び勢いよく腰を打ち付けた。 
ぶちゅ、とも、ばちゅん、ともつかない破裂音。 
まだ硬いままの逸物で、放った精液を押し込めるように、無茶苦茶な動きで子宮を蹂躙した。 
「……っ!ああああああ!!や、くるっ、さいごのっっ、きちゃう、あーだめ、っ……いく、いくいくいくいくううううっっっ、……っっ!!」 
今度こそとどめを刺された淫口が、のたうつように肉槍を扱きあげる。 
最後の一滴までも吸い付くされる感触に、貴巳はきつく眉間の皺を絞ってようやく耐えた。 
 
 
 
暫くは無言で、抱き合って床に横たわっていた二人だが、貴巳が身を起こすと、眠っているようだった雪子も目を開けて、物言いたげな、不満そうな視線を夫に送る。 
「……何だ」 
「もおっ、制服……ぐちゃぐちゃになっちゃった……脱ぐって言ったのにっ」 
頬をふくらませて抗議する雪子に目をやると、確かに上着もスカートも、生臭い淫臭を振りまき、皺くちゃのひどい有様である。 
「クリーニングに出せばいい」 
「こんな汚れがついてるの、お店に持って行けるわけないじゃないー!」 
涙目での抗議も知らん顔をしている夫をじとっと睨み、雪子はふと脳裡に浮かんだ疑問を投げかけた。 
 
「貴巳さんって……ロリコンなの?」 
瞬間、夫の回りの空気が固まり、背後に稲妻が走った……ように雪子には見えた。 
「それは違う」 
必要以上に冷徹な声音で否定する鉄仮面に、雪子が悪意のない追い打ちをかける。 
「だって、今日、この服着てしたら……貴巳さんいつもより、余裕無くなかった?」 
「……」 
固まって微動だにしない夫に、 
「そっかぁ……そーだったんだ……やっぱり貴巳さんは変態さんだったんだねぇ」 
と雪子が無邪気に頷くと、ぎろり、と音がしそうな勢いで雪子を睨み付けた貴巳が口を開く。 
「百歩譲ってだ……それを認めるとしよう。ロリコンというのは子供相手に欲情する変態のことだな?なら俺が雪子に欲情するということは、雪子は自分が子供だということを認めるわけだな?」 
「……」 
「……」 
「……」 
「俺はロリコンか?」 
「……いいえ違います……」 
常日頃から自分が子供っぽく見られることを気にしている雪子は、がっくりと項垂れてそう答えざるを得なかったのであった。 
 
 
ソファに腰かけた貴巳は、口をとがらせながらもいそいそと汚れた床の掃除をする雪子の横顔を眺めていた。 
ほどけた髪はきれいに櫛をとおして、後ろで一つにまとめられている。 
雪子が家事をするときの、見慣れた髪型だ。 
そういえば雪子はほとんど美容院にも行かないし、化粧もしない。 
ふいに、夕方交わした徳子との会話が思い出された。 
「雪子」 
「なぁに?」 
きょとんとした邪気のない顔で聞き返す幼妻に、貴巳は少しためらってから口を開いた。 
「……俺は、雪子に我慢をさせているか」 
「え?」 
「……昼間、橘のお婆様と、少し話した。……雪子はいつも、自分のしたい事を、口に出す前から諦める癖があると……それが心配だと言われた」 
「……おばあちゃまが?」 
「ああ。昔から雪子には厳しくしてきたが、行き過ぎた躾けだったんじゃないかと……心配されているそうだ」 
「え?全然そんなことないのに」 
「まあ、雪子がそう思ってるならいい。ただ、何かあったら、俺にちゃんと言え。思ったことも、欲しいものも、行きたい所も……叶えられるかは別だが」 
目を逸らしながら、ぶっきらぼうにそう言う貴巳の言葉に、雪子の頬に笑みが溢れる。 
横に座り、寄り添って肩に頭を預けると、ふと一つの計画を思いついた。 
「じゃあ……貴巳さん、早速ひとつ、おねだりしてもいい?」 
いたずらっぽく笑いかける雪子に、 
「……何だ」と答えると、雪子は子供のように貴巳の耳に唇を寄せ、小声で二言三言ささやく。 
何故二人しかいないのに内緒話をしなければならないのか、と呆れた貴巳だが、その内容に眉をしかめた。 
「……構わんが……今頃売っていないだろう」 
「探せばあるんじゃないかなぁ。今度のお休みに付き合ってくれる?貴巳さんのも見立てたいし」 
「……二人分もか」 
「だって、せっかくだから」 
「……そうやってどんどん仕事を増やして自分の首を絞めるんだぞ……爺さんのところと、瀬尾の家の面倒まで見ているくせに無理をするな」 
瀬尾、というのは、最近再会した貴巳の父親である。認知症の妻を抱えて難儀しているところに、貴巳が渋い顔をするのにもめげず、雪子がしばしば手伝いに通っている。貴巳の祖父である総二郎の家にも三日とあけず通っているから、雪子の毎日の仕事量はどんどん増え、慌ただしくなるばかりだ。 
貴巳は雪子の手をそっと握る。去年まではすべすべして傷一つ無かった玉の肌が、今年は自宅以外の場所でも水仕事をしているせいか、ところどころにさか剥けや、痛々しいあかぎれができている。明日、仕事の帰りに手荒れの薬を買ってくること、と貴巳は頭の中のリストに項目を追加した。 
「……心配してくれるなら、貴巳さんも今度一緒に行こうよ、瀬尾さんのおうち」 
「……その手は食わん」 
そっぽをむいた夫に苦笑して、雪子はそれでも満足そうに貴巳にもたれかかる。 
三十年の年月を隔てて遠ざかった父と息子の距離を埋めるのはまだ暫く時間がかかりそうだった。 
(……それでも、少しずつ、ね) 
触れ合う肌のぬくもりに、うとうとと眠りに落ちそうになりながら、雪子は心のうちでそっと呟いた。 
 
 
 
 
エピローグ 
 
 
「こんにちは、雪子です」 
古く小さな屋敷に、はるばる一時間をかけて自転車でやってきた雪子は、寒さに鼻とほほを真っ赤にしながら、出迎えた老婦人に微笑んだ。 
抱えた紙袋には、二本の反物。 
女物と男物、季節外れの浴衣地が入っているのを見て、徳子は大仰に溜息をついてみせる。 
「呉服屋の店員がなんて思ったでしょうね、こんな真冬に浴衣地を探しに来るなんて」 
「だって、初めてだし、私不器用だから時間がかかると思って……ゆっくり習っても、来年の夏には間に合うでしょう?おばあちゃま先生、またよろしくお願いします」 
頭を下げる雪子のおどけた仕草に、徳子の日ごろ厳しく結ばれた口元はほんの少し綻んでいる。 
庭先のポインセチアが赤く色づいて、師走の訪れを告げていた。 
 
 
 
 

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