第三章「難しい『ありがとう』」  
 
 
 
 
 授業終了のチャイムが鳴り、ホームルームが終わると教室の空気が溶けた気がした。だけど、いつもと  
違って授業が終わったばかりなのに教科書を開いて何やら確認しながら頷いている者もいれば、ノートを  
挟んで何やら話し合ってる人もいる。  
 あたしは憂鬱な気持ちでその光景を眺めていた。窓の外に見える青い空と太陽が恨めしい。季節は七月の  
初旬。そしてあたしは中学生。となると、そこから導き出される結論は――  
「勇希、おつかれさん……と、なんや、目死んでるで」  
「静は、元気そうね……」  
 下園さんと三ヶ月前には呼んでいたのにすっかり仲良くなったものね、とあたしは思った。ただ、その兵庫  
生まれ宝塚育ちの神戸仕込で仕上げは大阪と自称する関西弁はちょっとアレだけど。  
「そりゃ元気になるよ、明日から授業全部半ドンなんやで? 遊び倒せるやんか」  
「明日から期末テストってこと解ってて言ってるの?」  
「別にテストやから勉強し直すなんて面倒なことせんでいいやん、普段の実力きっちり出せれば普通にええ点  
取れると思うけどなぁ」  
「正論過ぎる正論どうも」  
 
 静は頭が良かった。いや、要領が良いと言うべきかも。授業中寝る事は絶対にしなかったし、ノートは  
きっちり書き、提出物は全て提出。言うことを信じるのであれば普段から予習復習もきっちりやってるらしい。  
 ちなみにあたしは正反対。授業中は寝てるし、ノートはところどころ抜けてたり読めなかったり。提出物は  
期限に遅れることも多く、予習復習などについては……まぁ、そうゆうわけで。  
 テスト前なので当然部活は無い。もうじき防具を付けれるところまで来てるのに……うう。  
「勇希ちゃん、終わったよ」  
 掃除当番でさっきまで細かく動き回っていた和美が鞄を手に言った。  
「じゃ、帰りましょうか。ん?」  
 変なものに気付いて、手を伸ばす。  
「和美。頭にほこりの塊が乗っかってるわよ」  
「え、どこ?」  
「取ってあげるわよ、ほら」  
 あたしは和美に一歩近づくと頭をほこりを払い除けてやった。  
「ありがと、勇希ちゃん」  
「全く、どこで付けて来たんだか」  
「なぁ、あんたらホントに付き合ってないんか……?」  
 そんなあたしの振る舞いを見て、静がもうこの三ヶ月で数え切れない程した問答を仕掛けてきた。あたしは  
腰に手を当ててやれやれと苦笑した。全く、そんなんじゃないってのに。  
 
「しつこいわねぇ、あたしと和美は幼馴染よ。幼馴染。全く。クラスの皆もなんでそんなねちっこく聞いて  
来るんだか」  
 この受け答えはもうそれこそ飽きるほどやった。剣道部でも普通に彼氏彼女の関係に間違えられかけた。  
あたしはどこを見てそんなことを言ってるのかと聞き返してやりたかった。いや、実際聞き返してみた。  
すると「バカップルぽく見えるから」とか返された。もう意味が解らない。  
 あたしたちの間では普通であることをちょっと違うんじゃないか、と言われても、ね。  
「なんでっても言われても、うーん……なんちゅーか、その……全体的に、近い」  
「近いって?」  
「物理的な距離とか、心理的な距離とか?」  
「言ってる意味が全然わかんない」  
「そう見えるんやって。実際一週間の内に三度は島本くんの手作り弁当食べてる人が言うても説得力ないで」  
 はぁ、と溜息を付いた。今日はこんなことをしてる暇は無いのだ。  
「はいはい、付き合ってないから。この話はお終い。和美、行きましょ」  
「なぁなぁ、島本くん。本当は付き合ってるとかじゃないん? 実は付き合ってるけど言うのが恥ずかしい  
から隠してましたー、って言う展開ちゃうの?」  
「え、えっと……」  
 話の矛先が振られると思ってなかったのか、和美は戸惑いの声を出した後、あたしの顔をちらりと横目で見て、  
「勇希ちゃんの言うとおり、なんだけど」  
 結局、あたしと和美が退散するまで静は「納得いかんなぁ」と呟き続けていた。  
 
「全く、参ったわね」  
 帰り道、あたしは肩を落としながらひとりごちた。  
「テスト?」  
「うん、そー」  
 そこで、よくカップルと間違われること?と和美が言わないところは阿吽の呼吸だ。  
「初めてのテストでああだったから自信がないわ……」  
 ちなみに初めてのテストの結果は家族会議が開かれるほどの出来だった。うん、あの時の母さん……  
すっごく怖かったなぁ。床に正座させられたし。  
「対策とかは?」  
「ヤマ貼って一夜漬けして分の悪い賭けを一点張りってとこじゃない」  
「ちなみに、勝ち目は?」  
 その問いにあたしは答えない。わかりきっているからだ。  
 しばし無言で歩いた後、和美が言った。  
「勉強……教えようか?」  
「あー、うん、それは、頼もうかなー、と思ってたんだけど」迷惑でしょ?という言葉を呑み込む。個人的に  
足手まといになるのは大キライだ。和美なら、なおさら。  
「教えるのって、教える側にも勉強になるんだよ」  
 和美があたしの言葉を遮って話した。  
「教える内容のことがきちんと理解できてないと教えることなんてできないから、復習には最適!……って  
下園さんが言ってた」  
 
「静が?」  
「どーせ勇希のことやからテスト対策何もしてへんやろ、島本くん助けたりやー。愛の共同作業は千里の  
道も一歩からやでー、とも言ってたけど」  
「静〜……」  
「あはは。で、どうしようか? 一緒にするなら夕食後に行くけど」  
「う、うう……」  
 願ってもないこと!と飛びつくのは簡単だけど、簡単だけど……迷惑は。でも、なぁ。また真っ赤な点が  
付いたら部活禁止だってありそうだし。母さんにいらない心配かけるのも嫌、だし……やっぱり……  
「じゃあ、任せて……良い?」  
「うん、任された」  
 和美があたしの肩ぐらいにある顔を笑顔にして嬉しそうに頷いた。  
「なんでそんなに嬉しそうなの? 面倒を抱え込んだー、みたいな顔してもおかしくないのに」  
思った事をそのまま聞いてみる。すると、和美は後ろに短く縛った髪の毛を犬の尻尾のようにぴっこり揺らして、  
「なんでだろうね」  
 と笑って答えた。  
 そのいつも通りの笑顔を見てあたしもなんだかおかしくなってふふ、と笑ってしまった。  
 和美に迷惑をかけている、という少し後ろめたい気持ちがもう無くなっていることに気付いたのはあたしが家に  
帰ってからのことだった。  
 もしかして、あたし手玉に取られてる……?  
 
 夕飯(レトルトのカレー)を食べて、十五分くらいして、休んでいると予定通り和美が現れた。会場は  
あたしの家。和美の家を使うと(とゆうか、和美の部屋にいると)和美のお母さんとお父さん――おばさん  
おじさんが何やかんやと理由を付けて部屋を覗きにこようとするからだ。理由は知らない。聞いてみても  
意味深に笑うだけで答えてくれないし……ま、そんなわけで最近は何かあったら邪魔が入りにくいあたしの  
家を使うことが多い。  
「勇希ちゃん、おばさんはまた?」  
「遅くなるって。今日中には帰って来ないかも」  
「最近、また忙しいみたいだね」  
「しょうがないわよ……と、それじゃお願いします」  
「うん」  
 こうして勉強会が始まった。どこがわからないのかわからないあたしに対してもう全てを教えるのは時間的に  
無理なので試験の範囲内を要点だけ踏んで教えて貰う。あ、今の歴史、あたしが思ってた範囲と全然違うとこ  
やってる……マズかったー!  
 そのまま休憩を挟みつつ三時間ほど。一人だったらこんな風に出来なくて今頃、後は野となれ山となれ気分で  
寝てるだろうな、と思いつつ集中。気が付けば、もう時計は十時を指していた。  
 この辺にしておこうか、という和美の言葉でお開き。その後、あたしがそこまでしなくても、と言ってるのに、  
折角だから、と言いつつ夜食まで作ってくれた。内容は和美が持って来た夕食で余ったご飯を使った、中身が  
入ってない塩だけのおにぎりが二個という素朴なものだけど、何故か驚くほど美味しかった。  
 
 あたしがおいしい、と言うと和美はいつものように嬉しそうに笑って、いつものように、  
「ありがとう」  
と言った。  
 あたしはその言葉が頭から離れなかった。和美が帰って、お風呂に入りながらもずっとその事を考えていた。  
 お礼、言わないと。  
 ありがとうと言わなきゃいけないのはあたしの方だ。なんで言いそびれてるんだあたし。『あたしも今日は  
ありがとう』って言えば済む話だったのに。  
 鼻の下くらいまで湯に沈めて思う。特に、最近は。  
 急いでお風呂を出て、髪を乾かすのもそこそこに自分の部屋に駆け込む。窓を開けた。目の前には和美の  
部屋の窓がある。電気は点いていた。こういう時のために部屋に常備してある棒で窓を軽く叩いた。すぐに窓が  
開いた。  
「どうしたの?」  
 和美もお風呂に入った後なのか、パジャマ姿だ。普段括っている髪も括っておらず、いつもとちょっと違った  
印象に見える。  
「あ、うん、ちょっと、ね」  
 まずい、なんか、ちょっと言うだけなのに、改めて言おうとすると……すごい照れくさい。ええい、ガマンしろ  
あたし。ここで言わないのもよっぽどどうかだ。  
「和美、その……ありがとね、最近色々面倒見てくれて」  
「え」  
「頻繁に朝ごはんとかお弁当とか作ってくれるし、今日みたいに勉強とかもそうだし……ちょっと、いや、えーっと、  
かなり、感謝、してるから。そ、それだけだから! おやすみ!」  
 
「ゆ、勇希ちゃん!?」  
 和美が何か言おうとしたのを聞かずに窓をカーテンを閉める。心臓がやけにうるさいのはさっき階段を  
急いで駆け上がったからよね。うん、きっとそのはず。  
 明日朝に顔を合わせたらどんな顔をしようか、と思って激しく後悔して、どうとでもなれと開き直った後、  
とっとと済ませるべきことを済ませてあたしはベッドに入った。ちょっとだけカーテンをめくって和美の部屋の  
様子を伺う。もう電気は消えていた。何となく安堵の溜息を付いて、部屋の電気を消した。  
 そういえば、と目を瞑りながら思った。  
 そういえば、昔はあたしが和美の面倒を見てやったことが多かった……はず。いつから、こんなカタチに  
なったんだっけ?  
 最近じゃない。  
 最近になって急に和美がこんな風にしてたらあたしは気味が悪がってたと思う。でも、そんな気持ちを  
感じた記憶は無い。だとすると。  
 ずっと昔……からこうだったっけ?  
 昔? どのくらい昔?  
 記憶を手繰る。今。一年前。二年前。三年前。四年前――あ、そうか。なんで気付かなかったんだろう。  
 あんなにもくっきりとあの時から変わってたのに。ひどい時期だったからかな。それともあたしが鈍感な  
だけ、か……も。  
 それきり意識は闇に吸い込まれた。  
 
 翌朝、少しばかりきまずい思いをした後でさっくりと元に戻ってテストを受けた。結果を述べるなら、赤くは  
なかったと言っておこう。  
 

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