「それじゃ、お先に失礼します」  
「おう、お疲れさん」  
 荷物をまとめて鞄に詰め込み、先輩に挨拶をしてから会社を出る。  
 少々出るのが遅かったかも知れない。マナーモードに設定してある携帯電話がさっきから震えっぱなしだ。  
 出たら出たで怒られるのは分かっているので出ない。それよりまず一秒でも早く待ち合わせ場所に着くことだ。  
 走って、走って、走って─  
   
「おーそーいー」  
 会社を出て五分後、俺はスーツ姿の女性に文句を言われていた。  
 女性としては高い身長、黒いパンツスーツ、モデル顔負けのスタイル、整った顔に長い黒髪。  
 ぱっと見は、どこぞのキャリアウーマンだが、朗らかな笑顔が柔和な雰囲気を感じさせる。  
 男女関係なく振り向かせる様な女性。  
「はぁ…はぁ…わ、悪いな……はぁ…」  
「十五分も遅刻。電話にも出ないし。まったく、後五分来なかったら帰ろうと思ってたよ?」  
「悪かったって…ふぅ……ちと、片付けておきたいもんがあったから」  
「ふぅん?皆原優也くんは幼馴染みより仕事の方が大事なんだね?そうなんだね?私悲しいな」  
 言葉面だけ見ると怒っているようだが、口調にそんな調子は無い。  
 そんな彼女の調子に笑ってしまう。  
「なんでそうなるんだよ?どっちも大事だっての」  
 幼馴染み、と言うか彼女の方が大事だが、言えるものか………  
「………」  
「な、なに?」  
 なぜか恨めしそうな目を俺に向けてくる。  
「……ま、良いもん。伊藤友梨ちゃんは優しいからそんな優くんも許したげるもん」  
 いったい俺は何を許されたんだ?  
 そんなことを聞く暇もなく、彼女、同じ会社の部署違いの友人、俺の幼馴染みの伊藤友梨は居酒屋に入って行く。  
 
 
「……だからね、私はそういうのが好きだって言ったの」  
「それで?」  
「そしたら美奈ちゃんね。『私はそういう………」  
 いつもの会話。いつもの役割。彼女は話し手、俺は聞き手。  
 彼女は最近の出来事や愚痴を話し、俺はそれに適当な応答を返す。  
 いつもの事だ。いつものままで充分。近くに入れれば、それで。  
 彼女は酒も入って舌の回りが良い。俺が飲むのはコーラやサイダー等の炭酸飲料。  
 別に酒が嫌いな訳じゃない。飲むときは飲むし、それなりに強い自信もある。  
 ただ、彼女と飲むときは酔っちゃいけない。彼女を送らなければならないから。彼女に何かあってはいけないから。  
「ちょっと、聞いてるの!?」  
「ん?あぁ、すまん」  
   
「だからね、私…は……そこで…………あぁ…言っ……………」  
「………友梨?」  
 机に突っ伏している。どうやら眠ってしまったらしい。  
「……ぬぅ…」  
 別に彼女が眠ってしまうのはいつもの事だ。ただ、いつも思う。  
─出来れば起きていて欲しい  
   
「御来店、ありがとうございましたー」  
 会計の女店員が微笑ましげな目で俺達を見ていたのが妙に記憶に残る。  
 まぁ、来るたび来るたびこんな感じじゃ微笑ましげにもなるか?  
 俺は寝てしまっている彼女をおんぶしていた。  
 正直、彼女がズボンで助かった。過去にタイトスカートで、足を開けないから、お姫様だっこをするしかなかった事があった。  
 ……だめだ、思い出すだけで赤面してしまう…  
 通行人は羨望と嫉妬、微笑みが混ざりあったような視線を向けてくる。  
 まぁ、小さいときから一緒にいる俺でも綺麗だと思うからな。赤の他人がそういう視線を向けるのも分かる。もう慣れた。  
 ……恥ずかしいには変わらないが…  
 
「……ふぅ…」  
 駅の駐車場。目指していた車が見えてくる。  
 大学在学中に親から資金を提供してもらい購入した軽自動車。免許ももちろん取ってある。  
 基本的に電車で通勤、帰宅するが、さすがに友梨をおんぶしたまま電車には乗れない。  
 だから友梨から「今日は飲もう」と連絡があったら車を使う。  
「んぅ……」  
 背中の彼女が唸り、俺の首筋に頬擦りをする。  
 彼女をおんぶ出来るのは、幼馴染みの特権だろう。  
 実家は隣同士、幼稚園、小学校はもちろん、中学、高校、大学、果てには就職先まで一緒だった幼馴染み。  
 小さい頃から一緒に遊び、その付き合いは社会人三年目の今になっても続いている。  
 いつの間にか、だった。理由は分からない。  
 彼女を好きになっていた。  
 だけど、幼馴染みと言う関係を崩すのが怖くて、まだ、告白も何もしていない。  
「……はぁ…」  
 彼女を後部座席に乗せて、自分は運転席に。  
 いつか、この関係を崩すのだろうか?崩せるのだろうか?  
   
   
 友梨の実家の前に車を停める。彼女はまだ起きていない様だ。  
 ……しょうがない…  
 再び彼女をおんぶして玄関先へ。まだ十時は回っていない。チャイムを鳴らす。  
「はーい、あら、優くん、こんばんは」  
 出てきたのは友梨の母親。  
「こんばんは」  
「また今日も?」  
「今日もです。ちょっと失礼します」  
 許可を貰い中に上がらせてもらう。  
 そのまま階段をあがり彼女の部屋に。  
 ドアを開けるとたくさんのぬいぐるみが出迎えをしてくれる。  
 友梨は可愛いものが好きで、ぬいぐるみを集めている。  
 それを知っているのは彼女の家族と俺くらいのものだろう。  
 その事実が、なんとなく嬉しい。  
 友梨をベットに寝かせる。  
 優しげな寝顔だ。  
「……じゃあな」  
 出来る限り静かにドアを閉める。彼女を起こしてしまわない様に。  
   
「……なにか、してよ………」  
 部屋に響くその呟きは、誰にも聞こえなかった。  
 
 
 階段をおりると、まだ友梨の母がいた。  
「いつもありがとうね」  
「いえ、幼馴染みですから」  
「幼馴染み、ねぇ……」  
「?」  
 何か変なことを言っただろうか?  
「いやね?そろそろ良い歳って言ってもいいころじゃない?」  
「…ええ、まぁ……そうですね」  
 俺と同い年だから20代後半になるはずだ。  
「だからね?そろそろ結婚とか、そういう話、した方が良いかなぁって思うの」  
「いいんじゃないですか?友梨なら、相手には困らないと思いますよ」  
「……はぁ…」  
 なぜか深く溜め息をつかれた。変なこと言ってますか?俺は?  
「じゃあ、お邪魔しました」  
「……じゃあねぇ。優くんなら、いつでも来て良いからね」  
   
 結婚、か。友梨は困らないだろうな。美人の上に仕事が出来る。料理もそこそこ出来たはずだ。  
 天は彼女に二物以上を与えた。  
 俺は……どうなるんだかな。  
 一応会社ではそこそこ仕事出来る方らしい。  
 顔は…甘目に見て……中の上?……駄目だ、自分で言ってて悲しくなる。  
   
「……ふぅ…」  
 やっと家に着いた。彼女は実家から通勤しているが、俺は一人暮らしだ。  
 実家にはたまに帰るし、親と仲が悪かったりする訳じゃない。  
 ただ、男なのにいつまでも親の世話になるのが嫌だっただけ。  
 小さい意地だ。まぁ、一応最低限の料理や片付けくらいは出来る様になった。そこは成長したところだろうか?  
 ただ、このくらいの成長で、彼女と釣り合う様な男に、なれる訳がない。  
 シャワー……は…面倒臭い……  
 今日は金曜日、明日土曜日は休みのはずだ。  
「別に、いいか」  
 そのままベットに倒れこむ。  
「…友梨……好きだ……」  
 この一言が直接言えたら、どれだけ楽だろうか。  
 この呟きは、誰にも聞こえない。  
 
 
 
「ん……ぬぅ…」  
 起きてはみたが、どうも疲れがとれた気がしない。  
 まぁ、そりゃそうか。スーツなんて堅苦しい服で寝て気分良いわけないな。  
 大きな欠伸を一回。  
「……シャワーでも浴びるか………」  
 そう呟きベットから起き上がる。  
 違和感  
 何かを焼く音、焼ける匂い。  
 それが馴染み深いものと気付くのには数秒とかからなかった。  
「あれ?起きちゃった?」  
 そう言いながら顔を出すのは  
「……友梨…今、何時?」  
「九時半。ついでに私がここについたのが九時頃、ご飯の準備を始めたのが十分頃。あと質問は?」  
 さも当然の様な顔をして言う。  
「……なんで、ここに?…」  
「昨日のお礼。気付いたらベットの上だったから。飲み代、払ってくれたんでしょ?」  
 聞き慣れた台詞。週に一回はこれを聞いている。  
 というのも、飲む→友梨寝る→俺支払い、という流れが毎週少なくとも一回、多くて三回。  
 それがあった週の土曜日、もしくは日曜日も、必ずと言っていいほどの確率で来る。  
 鍵は合鍵を渡している。  
 一昨年の友梨の誕生日に「ちょうだい」と一言、言われたから。  
 言ったのが友梨だったから。  
「もうちょっと待ってて、すぐご飯出来るから」  
「……シャワー浴びる…」  
   
 ずるいと思う。  
 ずっと好きなのに、好きだから家にまで来てるのに、それに気付かないのは。  
 毎回毎回、どれだけの覚悟でここに来てるか知らないのは。  
 一回だけ……もしかして女の子に興味、無いのかな…と疑った事がある。  
 まぁ、それはこの前、彼が寝ている間に床に……その、女の子が写った………エッ、チな本を見つけたから……否定出来た。  
 それじゃ……やっぱり私に…興味が無い、のかな?……  
 いや、でも、家の中には入れてもらえるんだから、少なくとも、嫌われてることは無い、と思う。思いたい……  
 
「美味いよなぁ」  
 優也にそう言ってもらえるのが一番嬉しい。  
 母に料理を教わったかいがあると言うものだ。  
 優也にそう言って欲しい。そう思って料理を教わっているのだから。  
   
「ホント?」  
 その問いについ笑う。  
「嘘言う理由がないだろうよ」  
「なら良かった。せっかく作ったんだから美味しく食べてもらわないと」  
 彼女が作るご飯はシンプルだが、美味い。とても真似は出来そうにはない。  
「ところで、なにで来たんだ?」  
「え?だから、お礼に……」  
「なんで?じゃない、なにで?手段の方だ」  
「あぁ、んとね。お父さんに送ってもらった」  
 おじさん……あなた、付き合ってもいない男の家に娘さんを送りますか……  
「それがどうかした?」  
「いや、特には。ところで、あとどうするんだ?」  
 予定くらいは聞いておこうと思う。  
「ん〜……まぁ、良いじゃない?」  
「なにが?」  
「なにもしなくても、さ」  
 そう言いながら漫画三割、小説三割、仕事の資料三割、その他が一割の本棚に近付く。  
 このお嬢さんは、帰る気が無いらしい。まぁ、別に良いが。  
 あ、そこはその他のスペースですよ。  
「えっ!?」  
 本の背に指を当てたところで動きが止まる。題名をやっと見たようだ。  
 いい年した女性が十八禁の本くらいで停止しないでください。  
「ちょ、ちょっと……なんで、こんなの……堂々と……」  
「前、床に落ちてたろ?」  
「!」  
「それ拾って、お前、机の上に置いたろ」  
 あれは思い出すだけでも恥ずかしい。十年間隠し続けた物を見つかったのだ。  
「なんていうかね?親にエロ本見つかった高校生の気分を味わえたよ」  
 もしかしたら、親に見られるよりキツイかも知れない。好きな女に見られるとは。  
「だから、隠すくらいなら堂々と、と思ってさ」  
 開き直り?うん、開き直ったよ。  
 
「うぅ………」  
 一度背に引っ掛けた指を離していく。それが賢明だろうね。  
 正直、困ったように顔を赤くしている友梨は、可愛かった。  
   
 こ、こんな本があったら、意識してしまう……  
 優也がどんなのに興味があるか……優也が……その…ど、どんなのを見て……オナ…二ー…するのか……とか…  
 ショックもあるが、彼も男だ。良く考えれば、持ってない方が不自然なのかも知れない。  
 正直、見てみたい。と思う。だけど、見たら、エッチな女の子と思われそうな気がする。  
 ……それも良いかな………って、ダメダメダメ!!  
 彼に少しでも良く見られたくて、今までずっと品行方正な女の子を通してきた。  
 今更、品行方正からエロに、なんてアクロバティックな転身はしたくない。  
 ………まぁ、品行方正と言っても……一人のときは…何回も彼を想って……その…オナ  
「どうした?」  
「ひゃい!?」  
 優也の声に現実に引き戻される。  
「お前……その年になってまで、その手の本には耐性無しか」  
「な……何か悪い?」  
「うんにゃ、何も悪か無いさ」  
 彼が意地悪な笑みを浮かべているのが、見なくても分かる。  
 なんとなく、悔しい。  
「てか………私だって……女の子なんだよ?なんでそんなに堂々と………」  
「いやぁ、隠し事は良くないかなぁ?…と」  
 絶対馬鹿にしてる。そんな口調だ。  
 変な意地が出てきた。  
 私だけがあたふたさせられるなんてフェアじゃない。優也の顔も赤くさせてやる。  
 
「男の子って、こういうの見て、オ、オナ、ニー……するんだよね…」  
 あれ?私、なに言ってるんだろ?  
   
「………はあ?」  
 彼女が何を言っているのか、すぐには分からなかった。  
「やっ…ぱり……興奮………しちゃうものなの?……」  
 さあ、果たして友梨は自分がなに言ってるのか分かってるのかね?  
 一応、答えておく。  
「世間一般の男は、まぁ……そうなんじゃないか?」  
「優也……も?」  
 なぜ俺?  
「ま、一応、俺も男だな」  
「じゃあ優くんは……こういうの見て………妄想とか、しちゃう……の?…」  
 ホントにこの娘さんはさっきから何を言っちゃってるのかな?  
 エロ本は何かのスイッチでしたか?  
「まぁ……あなたのご想像にお任せしようと思う」  
 とりあえず、当たり障りのなさそうな返答を。  
 ……おいおいおいおい………  
 友梨の顔が噴火でもするんじゃないかと思うくらい赤くなっていく。  
 何を考えてる?なあ、何を考えてるんだ?  
「………ぅぷ……」  
 奇声。  
 鼻を押さえてる様だが………って!?  
「は、鼻血!?」  
「うー………うん……」  
「二十代後半突入してんのに妄想で鼻血!?なにそれ!?」  
「う、うるひゃい!へか、女の子のねんへいをでっかいこへて言ふなぁ!」  
 半分くらい聞き取れない。鼻つまんでたらそりゃ、そうなるわな。  
 いや、まぁ、可愛らしいが。  
「ほれ、ティッシュ」  
「うぅ………」  
 ティッシュを数枚取り、鼻に当てる。さすがに鼻栓するのは恥ずかしいか。  
 
「ったく………お前はいったい何を考えたんだよ?」  
「な……何って………」  
 友梨が止まった。  
 顔が更に赤くなっていく。  
「あぁ、いや、思い出さんで良い」  
 鼻血がもっと酷くなったら困るからな。  
「てかさ、俺らはなんでいい年してこんな話してるかね?もっと別のことしよう」  
「別の、ことって?」  
「……ゲームでもしようや」  
「………うん」  
 一緒に遊ぶのに、ゲームはいい手段だった。性別、体格が違っても、ほとんどフェアに遊べる。  
(向き、不向きはあるが、幸い二人とも、向いていた様だ)  
 中学あたりから、ゲームを二人ですることが増えてきた。  
 たぶん、ゲームがあったから、今でもこうやって、一緒に遊べるんだと思う。  
 結局今日は、ゲームでほぼ一日を潰した。  
 貴重な休日だが、友梨といれたんだ、良しとしよう。  
   
「あ……十時……」  
「ん?あぁ、帰るなら送ってくぞ」  
 ……どうして君は、泊まってけ。とか気の利いた台詞を言えないのかな?  
「……な、なに?その目は?……」  
「別に……じゃあ、運転手お願い」  
「はいよ。おじさんたち心配させるわけにゃ行かないからな」  
 確かに心配はしないけど、その代わりがっかりするんだよ?色々と。  
「……あのさ…」  
「ん?」  
「明日、買い物に……つ、付き合って……くれないかな?…お父さんの誕生日が近いから……プレゼントを…」  
 付き合って、のところでちょっとだけ声が裏返ってしまった……感づかれたり……して………  
「良いぞ。どうせすることも無いしな」  
 ……しないよね……感づいてくれる訳ないよね………だって優也だもん………  
 それでも、明日も会えると分かると、嬉しい。  
「んじゃ、明日、お前が準備出来たらメールでもくれ。迎えに行くから」  
「いや、私がここに来るよ?」  
「なにで?おばさんは車の免許持ってないだろ。おじさんには、一応でも秘密にしとけ」  
 ……どうしてそんなところには気が回るのに、私の気持ちには気付いてくれないのかな?  
「……いや、だから…なに?その目は?……」  
「……別に…」  
 

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