・・・・その19  
 
 
駅近くの川沿いで、花火大会がある。  
私は多分、今年も家から見ているだけだ。  
もうすぐ8月がやってくる。  
 
 
 
図書室から見える景色は、いつも通りに夏だった。  
ペンを置いて、疲れた手を軽く振る。  
勉強は進むけれど、心はどこか塞いでいる。  
そろそろ認めなくてはならないだろう。  
椅子に寄りかかって、俯く。  
寂しいみたいな、とか、悲しいような、とか、遠回しにいうまでもなく。  
…私はイトくんがいなくて寂しいのだ。  
どうして今回に限って、とも思うし、「いなくて寂しい」という表現は不正確な気もする。  
形にならずに蠢くこのなにか、は、もう少し、違う言葉を待っているように思う。  
それでも幼馴染の不在が寂しくてたまらない、というのも事実だし。  
自分でもよく分からない。  
軽く溜息をつき、眠気の襲う頭で教科書をめくった。  
お腹が痛くなったり、気分が悪くなったりしない代わりに、この時期の私は異常なほど眠たくなる。  
目を擦って頬杖をついた。  
四、五日前から襲うこの眠気も、そろそろ逃げていくはずだった。  
 
 
「おーい、大丈夫か。こら」  
 
顔を上げると電灯がまぶしかった。  
窓からの光でなく、頭上からの明るさにはたと戸惑って、声のした方を向く。  
図書室担当のさやか先生が腕を組んで苦笑していた。  
長い人差し指にキーホルダーをひっかけ、じゃらじゃらと鳴らしている。  
「気持ちよさそーに眠ってるところ悪いけどね、閉館。学校閉めるの」  
先生の声に、ふと時計を見る。  
短い針が8のすぐ下にある。  
一瞬、幻かと思った。  
…窓ガラスに映る自分の顔に、すぐに現実だと理解したけれど。  
この一週間、なんだかこればっかりだ。  
溜息をつくと、ただでさえ悲しい気分が少し増えた。  
窓の外はもう真っ暗で、木々と空の区別もつかない。  
とりあえずかばんに教科書を詰めて先生に挨拶し、誰も残っていない図書室を後にする。  
校舎には物音もせず、上履きの音が反響するくらいだった。  
正面玄関を抜けると校庭も真っ暗で、部活動の人たちもいない。  
体育館だけが、うっすらと光を放っている。  
裏門と西門は閉まっていたので、正門までぐるりと回った。  
夜空にかかる上弦の月が暗い足元を弱く照らしだしている。  
こんな夜道を帰るのは中間テスト前以来だから、随分久し振りだ。  
遠目に見えてきた正門を眺め、ゆっくりと息をついて俯きながら歩く。  
ローファーのつま先を見ていると、門の滑る金属の溝を越えた。  
 
なんとなく、思い出して足を止める。  
前に帰りが暗かったときは、ここで、幼馴染が待っていた。  
まだ帰ってきていないのだから、今はいないに決まっている。  
分かっていながら顔をあげて、以前立っていた場所に視線を向けた。  
誰もいなかった。  
…分かって、いた。  
膝の上でスカートの裾がくすぐったげに揺れる。  
頬に触れる空気は生温く、街灯の明かりが妙に眩しく足元にかかる。  
光が落ちてくるように音もなく、なにか、の正体を不意に知った。  
 
―イトくんに会いたい。  
 
それだけだった。  
いないとか、元気でやっているとか体が心配とか、そういうことなんてどうでもよく。  
口にできる理由も用事もないのだけれど。  
ただ、ただ本当に、会いたかったのだと思う。  
いつもうちに入り浸っている、背が高く年上の幼馴染に。  
喉の辺りがなんだか苦しくて、寂しさが背中を押す。  
鉛色のコンクリートに視線を落としながら、家路についた。  
渡った道路を車が通り過ぎ、背後からの光に影ができる。  
風は緩やかだった。  
夏の夜は、なにもなくても心がざわつく。  
幼馴染が東京に滞在して、明日で一週間になる。  
いつ、帰ってくるんだろう。  
遠ざかるエンジン音が耳を掠めていくと、あたりはまた静かになった。  
通り過ぎる店のシャッターが閉まっている。  
高校が視界から消える曲がり角を、俯いた視界に入れた時、斜め上から声がした。  
 
予期しない声だった。  
 
「ああ、思った通り」  
 
余裕があり、聞き慣れていて、間違うはずのない声が、  
当たり前のような口調で私に向けて言葉を発するのが聞こえた。  
心臓が大きく跳ねた。  
顔をあげるのが怖い。  
足を竦ませて、その場に立ち尽くす。  
俯いた視界には、その人の影もまだ見えないけれど、声と一緒に距離が詰まるのを確かに感じる。  
「まだ学校にいたのかい。夜道は危ないというのに」  
声に含まれた穏やかな笑いが温かくて、心が熱くなった。  
地面を見下ろす視界に、ねずみ色のスニーカーが入り込む。  
こ。  
こんなのは……ちょっと、不意打ちだ。  
震える手を握り締め、顔をおそるおそる上げる。  
 
イトくんがいた。  
 
ひとつ上の幼馴染が変わらぬ立ち姿でそこにいた。  
私の視線の先で、いつものように笑ってこちらを見下ろしていた。  
「……イトくん」  
「久し振りだね、ひーこ」  
風が、生温くて緩やかだった。  
名前を呼ばれて、不意に、何を思う間もなく、胸がいっぱいになった。  
私は。  
次の言葉を聞く前に、  
彼の身体に額を押し付け、  
――無言で背中に腕を回した。  
そして、しがみつくように力を込めてシャツを握った。  
 

楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル