・・・・その24  
 
 
志奈子さんと分かれて、四時半過ぎのバスに乗った。  
屋台による通行止めのせいか駅前は渋滞がものすごい。  
通りには浴衣が行き交い、遠くの橋は人で溢れかえっている。  
花火大会がこんなに混むものだとは知らなかった。  
いつも部屋の窓から見るだけだったし、今年もそうだし。  
窓から見える花火大会のポスターに、感覚が薄かった日付を思い出す。  
そういえば今日は、弟が合宿から帰る日だった。  
もう帰って来ているのだろうか。  
エンジン音を耳に、背によりかかって目を閉じた。  
志奈子さんの主張は結局、ひとつだった。  
膝上でかばんを抱えた手を握り合わせて、薄目を開いた。  
建物の間から射す西日が、眩しくてしみる。  
思いがあるなら、伝えるか黙っているか、どちらかしかない。  
その時々で判断を保留しても、結果は、どちらかひとつに最後は決まる。  
だからしたい方を選べばいいんだよ、と彼女は言った。  
単純な二択。  
信号が変わってのろのろとバスが動き出すと、光が目をいっそう強く射た。  
そのまままどろんで、ガラス窓に頭をもたれる。  
陽光が、夏服の上に、あたたかい。  
 
 
弟も幼馴染もいなかった。  
享が帰るのは夜らしく、イトくんは遊びに(…)行ったらしい。  
お母さんと二人の夕食を済ませて、部屋に戻る。  
花火大会は七時半からだったから、もうすぐだ。  
英単語集を持ったまま窓際に椅子を持って行き、小さな窓を半分網戸にする。  
温い風が、緩やかに入り込んできた。  
月はまだ出ていなくて、雲もほとんどない。  
きっとよく見えるだろう。  
市街地の上空に、気の抜けた破裂音が数度響きわたる。  
開始が近い合図だ。  
あと五分ほどしたら電気を消して見よう。  
腰を下ろして英語と向かい合っていると、ドア越しに重い金属音が響いた。  
手元の本に指を挟んで閉じ、時計を見遣る。  
どちらだろう。  
耳を澄ますと、かすかな会話が聞こえた。  
…よく考えたら、駅解散で荷物の多い弟は、お母さんが車で  
迎えに行くはずだったから、イトくんに決まっていた。  
腕の微弱な痺れとともに、甘い鼓動がはやくなった。  
二人分の声は、少しずつ大きくなって居間に移動してくる。  
と、お母さんの高い声が近くに聞こえたかと思うと、不意にこちらのドアが開いた。  
突然のことで振り返る視界に、お母さんと幼馴染がいる。  
 
荷物を降ろしている姿をお母さんの向こうに見て、また正面に視線を移した。  
「緋衣子ちゃん、花火始まってる?」  
「まだ。でももうすぐだと思う」  
「ああよかった間に合った。橋田くんもほら、皆で見ましょ」  
お母さんはすたすたと入ってきて電気を消し、窓に顔を寄せた。  
…そのせいで私が座っているところから、影で窓が見えなくなった。  
まあいいけど。  
ちらと明るいままの居間の方を見遣ると、幼馴染と目が合った。  
一瞬だけ、気のせいみたいな沈黙が降りた。  
イトくんがすぐに笑って、部屋を指差す。  
「ちょっとお邪魔しても」  
「どうぞ」  
「ありがとう」  
長身が半分くらいドアを閉めると、ちょうど花火のあかりが部屋を一瞬、照らした。  
遅れて音が届く。  
暗い部屋の窓際で、お母さんが嬉しそうに声をあげている。  
「見えます?」  
イトくんの身体が声と一緒に隣に来て、体温がじわりと上がった。  
気配だけで、熱が分かる。  
椅子の背にイトくんの手が乗っているので、寄りかかれなくて困る。  
そっと窓から目を逸らして、隣に立つ長身を見上げた。  
―また、目が合った。  
暗かったけれど分かった。  
赤くなるところまで見えていないだろうと思いながらも、顔を背けて膝を見る。  
その動きのせいで、不意にイトくんの腕が肩へ触れた。  
わざと身体を離すのも不自然な気がして、そのまま動けなくなった。  
肩が焼けるみたいだった。  
 
動悸がうるさくて、花火の音も光も五感に入ってこない。  
どうにか思考を誤魔化そうとして、窓(というかお母さんの背中)をぼやけた視界に眺めた。  
花火が見えない。  
「……お母さん、見えないからちょっとずれて」  
「あらごめんなさい。あ、じゃあもしかして橋田くんも見えなかったのかしら」  
「え、ああ。いやそんなことは」  
「優しいわねえ」  
「おばさんほどじゃないです」  
イトくんがあっさり言い、お母さんが笑っている。  
よく、そういう台詞をいやみなく言えるものだと心の端で思う。  
見えるようになった空に、まだ咲かない大輪を待ちながら鼓動を聞いていた。  
左側にいる気配が動かないので、私も動けなかった。  
布越しにほんのわずか感じられる、触れあう温度が、さっきから信じられないくらい高い。  
花火は次の点火準備中らしく、夜空は余韻にただ濃紺色で佇んでいる。  
ふと、傍に立つ幼馴染が身じろぎして、背もたれから手を放した。  
耳に花火以外の音が飛び込んでくる。  
親機と子機の、二重の電子音が居間から流れていた。  
「ああ、ええと―」  
「私出る」  
イトくんの声を、遮って立った。  
お母さんのありがと、が背中に聞こえるけれど、振り返らないで居間の光の下に逃げる。  
ドアの閉まる音が、妙に大きく頭を通り抜けた。  
後ろ手に握ったドアノブが冷たい。  
息を整えながら、テレビ横の受話器を取った。  
「…もしもし」  
『あ、姉ちゃん?』  
享の声の向こうで、花火らしき破裂音がする。  
携帯電話からかけているらしく、雑音と騒音がひどい。  
『今駅についたから。母ちゃん迎えによこして。じゃ』  
用件を一方的に伝えて、あっさり電話は切れた。  
 
…早すぎる。  
耳元で、ツー、ツーと小さな音が繰り返されている。  
暗い部屋にいたから、やけに蛍光灯の白が目に痛かった。  
拍子抜けして、長い溜息が出た。  
しかたなく子機を戻して、部屋に顔を出す。  
「お母さん。享が迎えに来いって」  
「ええー。今駅渋滞してるからやだ」  
「でも切れちゃったし」  
ぶつぶつ言いながらも支度はしてあったのか、お母さんは  
バッグだけ持ってあっさりと出かける用意を済ませた。  
鍵を閉めるので玄関までついていく。  
遠くで花火の音が、小さく聞こえている。  
階段で見送ってから鍵を閉め、玄関に上がった。  
サンダルを脱いで、揃える。  
渋滞で時間がかかるといっても、車だから長くて一時間程度だろう。  
短い廊下を歩いて、部屋のドアを押した。  
薄暗い中で、手に何かを持った幼馴染がひとり、こちらをふと見た。  
心臓が止まる。  
――いるのを、忘れていた。  
「懐かしいもの出してるね」  
花火のあかりで古いうちわに目を落として、また、イトくんはドアの傍に立つ私に笑った。  
ドアにかけたままの指先からふらつく頭の端まで、血液がゆっくりとまわる。  
私の視線に気付いたのか、イトくんが目を細めて、机にうちわをゆっくりと戻した。  
それから、私を、静かに見た。  
少し遅れて届く音に重なって、また別の花火が、窓の向こうで爆発していた。  
 
 

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