・・・・その4
私と兄さんは似ていない。
兄さんは完全な運動部タイプで、行動力があって、感情が顔に出る。
なんでイトくんのような病弱な優等生と仲がよいのか、分からない。
それを言ったら、私がどうしてイトくんと一緒にいるのかも分からないけれども。
「ただいま」
音が響かないようにドアをそっと閉めて(古いマンションはこれが不便だ)、脱いだ靴を揃える。
ねずみ色に黒の線と紐、大きなサイズのスニーカー。
ふと目に付いたその靴で、幼馴染が来ていることが分かる。
「あらま緋衣子ちゃん」
母が抑えた声とともに台所から顔を見せた。
ひそひそ声でおかえりなさい、を言いながら口に指を立てる仕草をする。
「ちょうどよかった、買い物行きたかったのよ。
…橋田くん寝てるから静かにね」
弟の享は高校生になったばかりで部活に燃えている。
どうせ今日も夜まで帰ってこないのだろう。
私は心の中で息をついて、留守番を了解した。
こういうところが困ると思う。
イトくんがいくら家族同然と言ったって、私にとってはどこまでも他人なのに。
幼馴染と言うのはやっぱり、他人なのだと思うのに。
テレビのある部屋のソファに荷物を下ろして、曇り空の窓を見た
コンビニの袋を右手に持ったまま、なんとなくその場で立ち尽くす。
そろそろ家の中が薄暗くなってきたので、電気をつけなければ、と頭の隅で思う。
氷も溶けてしまうし。
軽く溜息をついて、蛍光灯の紐を引っ張った。
そしてカーテンを閉めてから、自分の部屋を通り過ぎて、隣部屋のドアを開けた。
弟と兄さん(今はベッドと少しの家具しか残っていないけれど)の2人部屋は、
私にはほとんど用事のない場所だったので、なんとなく気後れがする。
軽い音を立ててドアノブが回った。
そしてその向こう、窓際の奥、少し前まで兄さんが使っていたベッドで、
幼馴染が身体を起こして外を見ていた。
…寝ていたんじゃなかったのか。
音をなるべく立てないように、後ろ手でドアノブを引く。
でも相手がすぐに気付いたのであまり意味はなかった。
疲れ気味の顔が、いつもの表情で余裕げに笑んでいる。
「やあ、ひーこ。お邪魔しているよ」
お邪魔というのかなんというのか。
「起きてたのね」
「いやいや、おまえの気配を察知しただけだよ」
「何しょうもないこと言ってるの」
謎の台詞に脱力して、とりあえずベッド脇の椅子に腰掛ける。
微かな溜息が出た。
何千回目だろう、この人に関わって溜息をつくのは。
買ってきた氷を差し出しながら、制服を着替え忘れていたことに気付いた。
「イトくん、具合は?」
「頭がぼーっとしていると本が読めなくて困るね」
そんなこと聞いてない。
まあ、イトくんにとっては結構重要なのだと思うけれども。
曇った日の夕方に特有の、うすぼんやりした日光が開いたカーテンから差し込んでいる。
溶けかけたかちわり氷を食べる年上のその人は、こんな時いつも薄らいで見えた。
「ひーこ」
突然した声に、顔を上げる。
幼馴染は、空になった容器をゴミ箱に入れてから、私を見据えた。
なぜか、身体のどこかが萎縮した。
「何、イトくん」
「心配してくれてありがとう」
私は困った。
幼馴染の "心配かけてごめん" ではなく "心配してくれてありがとう" という
その性格が、多分私が困っている一番の原因なのだろう。
コンプレックスよりも、人をくったような遊びっぷりよりも、ご近所とか世間体とか、そんなものよりも。
否定ができなくて、何を言っていいのか分からない。
兄さんは、こんな人とどうやって仲良くしていたのだろう。
黙ってただイトくんを眺めるだけの私に、幼馴染は目を細めた。
「氷美味しかったよ」
「…そう」
お母さんが帰ってくるのを、こんなに待ち遠しく思ったことはない。