・・・・その32  
 
 
私はやはり、享の言うように、淡白なのかもしれない。  
絡んだ視線を瞬きして逃し、髪を梳く手を黙って感じる。  
もっとこう、何か甘えてみるところだったのだろうか。  
実の兄さんにも甘えた記憶がないから、持って生まれた性格なのだろう。  
イトくんは、何も言わずに触れてくれるので少し安心する。  
私は嫌がっていないと、知ってくれているのは心地いい。  
しばらくして、髪から指先が静かに抜けて彼の膝に戻った。  
カップの底にひと口残った薄色に、目を落とす。  
別にどうしても触っていてほしかったわけじゃない。  
飲み干して、斜め横から、幼馴染を眺めた。  
私は、甘えたりしたことがないから。  
我侭の言い方が分からない。  
小窓の網戸越しに、曇りがちな彼岸の空がある。  
回収する手にカップを預けて、気のせいみたいに撫でられた頬に、  
残る余韻をまた飲み込んで、消える隙間を見送った。  
 
言いたいことは、我侭でもなんでもないのかもしれないと、時々思う。  
 
朦朧と教科書を読んでいた顔を休め、一人息をついた。  
カップを洗っているのだろう、水音がかすかに聞こえている。  
風邪を引いて何が困るといって、頭の回転が鈍くなることだと思う。  
再来週には定期試験だ。  
イトくんに言わせれば、試験というものは直前の勉強よりも普段の勉強の結果が出るもの、らしい。  
だからそう焦ることもないと言う。  
…今はともかく、昔から遊んでばかりだった人に言われても。  
俯くと溜息が出た。  
一理あるとは分かっていても、試験前だって勉強は必要だと思うのだけれど。  
つくづく風邪を引いたのが恨めしい。  
―あんなことしなければよかった。  
毛布の裏で膝を曲げて頬を埋める。  
本気でそう思っていないことは自分でも分かった。  
私からしたそれは本当に短くて下手で、ぎこちないものだったのだけれど。  
重ねられていた手を思い出すと顔が火照る。  
ああいう風にキスされたのは、初めてで。  
妙に恥ずかしくなって、目を瞑って記憶を押し込む。  
どれだけああしていたのか憶えていない。  
離れた時に何かを囁かれたようにも思うけれど、膝が崩れていて息が荒くてそれどころじゃなかった。  
重なっていた手ともたれていた肩の硬さと脳髄の熱ばかりが鮮明で、心臓が疼く。  
結局連れて帰ることも出来なかったし、  
イトくんは見送ると言いながら力を使い切ったらしく寝てしまったし、  
…私は風邪を移されているし。  
よく考えるとものすごく格好悪い。  
なんなんだろうもう。  
毛布を握る指先が緩まって溜息が出た。  
 
遠くにしていた水道の音が止まっていた。  
伏せた眼をドアに向けて、耳をすませる。  
がちゃがちゃと食器を漁る音がしていた。  
昔から、ああやって、うちの手伝いをしていたなあと、なんとなく気付いて思考をずらしていく。  
家族みたいに傍にいたのに、兄さんがいなくなった途端に、私は困惑ばかりで。  
その前は、一年間留学していたときにも平気で、普段どおりに過ごせていた。  
それまでは確かに、お兄さんだったのに。  
今ではドア一枚でも遠いように思えるなんて不思議だ。  
教科書を枕元に置いて軽く目を泳がせる。  
寒い部屋で、手が少し冷たくて握り合わせた。  
聞けないのは、責任を勝手に感じている私の無意味な拘りだと、分かっている。  
イトくんは自分で自分のことを決められる人だったし、  
不自然な進路でも、ないのだけれど。  
…だったらなんで東京の大学なんて見に行ったのだろうとか、  
私をお母さんのお墓参りに連れて行ったあの日のことは、どんな意味があったのだろうとか。  
だったらつまり、私はあの人にとって想像以上に大きな存在だったのかという、  
そんなことまでも考えると思考が止まってしまう。  
何に迷っていたかなんて分からない。  
嬉しくないといったら嘘で、でも、そんな重い存在であっていいのだろうかと思うと自信なんてなく。  
だって私は、悩んでいたとしても、自分の進路を彼に近づけようとはしなかった。  
 
考えても仕方ないし、勉強はできないし、イトくんももう入ってくる様子もないので、諦めて眠ろうと頭を倒した。  
寝てばかりのような気もするけれど、これで早く治ればいい。  
学校にいたのなら、ちょうど二時限が終わる頃だろう。  
時計の音が規則正しく、小さな部屋を流れていく。  
教科書が落ちて、床に潰れるのをかすかに聞いた。  
 
 

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