・・・・その34
―そう、と溜息をついて、玄関で見上げた。
秋分の日は曇りで、家の中まで白く濁っているようだ。
パジャマに上着一枚で外気に晒されたので少し寒い。
「ひーこ」
幼馴染が目を細めて屈むと、肩掛け鞄が重さに傾いだ。
「なあに」
「ぼくがいないと寂しい?」
「まあ、それなりに」
寂しいけれど。
そんなことを聞かれても困る。
言ったところで、イトくんが今日一日いてくれるとかそういうことでもないのだし。
肩を竦めて幼馴染を盗み見る。
本当に嬉しそうに笑んで、私を見下ろしていた。
ので少し気恥ずかしくて、視線を泳がせた。
雨は昨晩遅くに上がったらしく、傘立てが無造作に溢れている。
お母さんとお父さんは早朝から田舎へ出て行ったし、享はいまだに寝ている。
当分起きては来ないだろう。
風邪が治ってないせいか、少しぼんやりしている頭で息をつく。
間近の気配だけが不思議に落ち着いて息が漏れた。
ふと髪をかきやられたけれど、何もされなかった。
仰いだ視線に応えて、目の色が僅かに深まる。
―もう笑んではいなかった。
脈がはやくなってきたのを感じて目を逸らす。
触れられるのは慣れても、こういう視線はまだ慣れなくて落ち着かない。
なんだか心臓の中まで見られているような、感じがする。
なんとなく後じさって身を離すと、指が掠めるように目の端を追って、耳元をくすぐった。
変に首の裏が痺れて、されるままに応えた。
言葉もなく撫ぜられていた肩が感覚にさわぐ。
呼吸が苦しくなる前に、ひやりとした温度が離れる。
「…じゃあ、行って来るから。あったかくして寝てなさい」
幼馴染の言葉はいつもより静かで、私の声もなんだか小さかった。
「行ってらっしゃい」
「ひーこ」
「なに」
「今の、妻が風邪引いた新婚夫婦みたいだったね」
かすかに笑いを含んだ声に、肩の緊張がゆっくりと降りる。
どこからそういう発想になるのだろう。
「何言ってるの、もう」
溜息混じりに呟いて、玄関のサンダルを素足に滑らせる。
見送りにもう一度開いたドアの向こうでは、涼しい湿り気と曇り空が、秋の空気に沈んでいた。
風邪っぽい身体で鍵を閉め、ぼんやりと留守番の居間に戻る。
享は雨がやんだら部活があるといっていたのに、起きていなかったら意味がない。
ソファに腰を沈めて、パジャマの身体に触れる。
イトくんと違って、自分でも柔らかいと思う。
いつの間にこんなに成長してしまったのかなと、居間の窓から雲を眺めて瞬きをした。
大分時間が経って、もうすぐ昼前なので居間に出てきた。
生姜湯を自分でいれようとお湯を沸かしていると、がちゃりと小さな音がする。
「…はよー。あれ、橋田くん来てねえの」
「お母さんのお墓参りに行くって」
今年は行くのだそうだ。
良く分からない。
「へえ」
意味ありげに見られたので、肩を竦めた。
寝起きの弟が冷蔵庫を開けるのに場所を空ける。
自分用の牛乳パックを口につける享を眺めて、上着を羽織りなおす。
「雨やんだけど、部活は?」
「姉ちゃんの具合による」
ぼそりと言うのに、少し笑った。
意外に律儀だ。
「大会前でしょ。行ってきたら」
「ん」
眉を顰める弟を退けて、湯気を吐き出したやかんを取り上げ火を止めた。
持ち上げると蒸気の音がする。
「子供じゃないんだから風邪くらい大丈夫よ」
「あそ…てかどいて」
弟は冷蔵庫に牛乳を戻したその手で食べ物を漁っている。
私は生姜湯を抱えて、こぼさないように脇を抜けた。
素足に台所の床がしんみりと冷たくて、古いマンションの軋みが秋の部屋に細い。