・・・・その35  
 
 
イトくんは、医療系のもう少し技術的なほうに進むらしい。  
医学生は体力関係で到底無理だと、学部を変更したそうだ。  
大学は変わらないみたいだけれど。  
一昨日、部屋で温かい飲み物を飲みながら、そんなことを聞いた。  
 
生姜湯のカップを洗い上げて、手の甲をタオルに包む。  
記憶をすくって、なんとなく思い当たった。  
私から唇を弱く重ねた後、黙って深く返されたときの、こととか。  
その後の何も言わない長い抱擁とか。  
…諦めたのかもしれない。  
歩けないほどの高熱と、だるい身体を抱えたあの日に。  
推測だけれど。  
あの人は、そうして、自分の身体を引き摺りながら狭い選択肢を寂しそうに笑って選ぶ。  
周囲のすべてに感謝しながら余裕そうに前を見る。  
――不思議な人だ。  
私は、彼に代わることはできないけれども。  
せめて勉強を頑張ろう。  
幼い頃から傍にいた人が、そんな風に私を諦めないように。  
 
 
テレビはどのチャンネルも同じことばかり放送していた。  
参考書も頭に入らないし、なんだか退屈だ。  
一人で暇だったので、ぼんやり部屋に戻った。  
古い壁と隙間風で肌寒い。  
座って熱を測った。  
風邪薬を飲んだのに眠くならない。  
暇だ。  
溜息をついて、立ち上がる。  
仕方なく机の整理を始めてみた。  
辞書を重ねて、問題集を科目ごとに分ける。  
…と、赤ペンが落ちて足先で跳ねた。  
「あ」  
机の下まで入ってしまった。  
手を伸ばして、取ろうとして、  
 
別の物を見つけた。  
 
写真だった。  
初夏の夜、イトくんが見せてくれた留学時代の写真だった。  
一枚、落として机の裏に紛れてここにあったのだろう。  
石の建物に囲まれた、広場だった。  
幼い頃から変わらない瞳は、私の知らない街を見ていた。  
色の違う空が長身の背後に澄んでいた。  
 
――随分、経った。  
 
イトくんが校門で待っていて、夜道を一緒に帰った日から。  
この写真に初めて距離と寂しさを感じてから。  
うちわの脇に写真を立てかけて小さく笑った。  
帰ってきたら返そう。  
整理を終えて、ベッドに入った。  
うとうとして、毛布みたいにあたたかい夢を見た。  
 
 
枕元の子機が鳴ったので、目が覚めた。  
お父さんだった。  
二人の古い知り合いに会ったので遅くなると言った。  
半分覚醒したまま切り、寝返りを打って薄目で部屋を仰ぐ。  
部屋の小さな窓から雨雲が見えていた。  
毛布にくるまれて、ぼんやりする。  
ベッドが暖かい。  
なんでそんな気持ちになったのか分からなかった。  
―夢の、せいだったろうか。  
舌を絡めて吸われたような、震えて熱く心地よい、あの夢の。  
あたたかくて暇で、心も緩んでいて。  
いろいろと精神力も弱っていたせいか理性がそのときはなかった。  
無意識に手が腿の奥に伸び、パジャマ越しに弱くなでた。  
緩慢な意識が波打った。  
布団からはみ出た足指がかすかに震え、肩の先から痺れが逃げていく。  
感覚を追ってもう一度そこを指の腹でなぞると、またそうなった。  
もう一度。  
息が湿る。  
そこで怖くなって、やめかけた。  
この部分を触ってこんなになるのは初めてだった。  
でもなぜかこの疼きを知っているような気がして、思い出そうとしたのか気がつくとまた触れていた。  
ゆっくりと繰り返しているうちに頭が熱くなる。  
「は……」  
たいして動いてもいないのに息が大きい。  
…変だ。  
指を軽く立てて押すと腰が勝手に浮いて、腿が閉じた。  
 
手首から先が勝手に柔らかい部分を探り、痺れの強いところを強く撫ぜている。  
「…ぁ…っ、あ」  
上擦った声が息を押し退けて漏れ、泣き声に変わる。  
うつ伏せに身体を捩り、空いた手で枕を抱いた。  
枕を痛いほど抱き寄せて息で濡らしながら、声を隠す。  
毛布と腰の間に挟みこむように手を押し付けてゆっくり擦ると、  
喉から押し戻された声までが身体を溶かす熱湯に変わった。  
――随分、長いこと続けていたように感じる。  
疲れて重さで痺れてきて、次第に動くのが苦しくなっていた。  
どこかもどかしく、でも続けたら戻れなくなりそうで、やめたほうがいいような気がした。  
感覚を追うのを深い呼吸とともに、諦める。  
寝間着が湿っているのは気のせいかとも考えながら、ゆっくりと手を下から抜いた。  
抜きたくなかった。  
切なげな溜息がこぼれて枕が唾液で濡れているのに気付く。  
熱い胸の奥から心臓が打っている。  
「――っ、はぁ、は」  
今しばらくの行為の余韻をぐったりと全身で受け止めて、力なく打つ伏した。  
身体全体がぴりぴりと火照って、ひどく鋭敏だった。  
短めの髪が頬にかかっていることが目を閉じても分かる。  
汗ばんだ肌が寒くて頭も熱い。  
弱く戻りかけた記憶がなぜか鮮明に誰かの存在を一瞬、流した。  
身体が余計に熱に侵されるような気がして振り払う。  
面影と余韻を忘れようと首を振って、気だるいままベッドから降りた。  
素足が床に冷たい。  
目端にとらえた写真をそっと机に伏せ、吐息で部屋をあたためる。  
呼吸がまだ不規則なままで、顔の火照りも収まらない。  
…とりあえず、手を洗おうと思った。  
下着も替えたほうがいいだろうか。  
足がふらつくのは熱のせいだと思いたい。  
 
 

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