・・・・その36  
 
 
雨と一緒に、吹き散れて雲が去った。  
夕陽が淡く沈んでいる。  
冬の寝間着を出してきて着替えた。  
少し生地が厚すぎて火照りがこもるけれど仕方ないだろう。  
体温がゆっくりと穏やかになっていくのが、少し寂しかった。  
居間のソファに腰を沈めて一人でいると、風に吹かれてベランダのタオルが、外れて落ちた。  
 
ガラリと音を立てて網戸を引くと、思わず声が出た。  
寝間着姿だと、流石にきつい。  
「寒…」  
ベランダに出ついでに、洗濯物を家に入れる。  
風が涼しかった。  
にわか雨で湿ったサンダルが足の裏を濡らす上に、  
汗ばんだ名残の肌にひやりと雨を吸って、洗濯物はしんと冷たい。  
乾燥機にかけたほうがいいだろう。  
どうせ洗濯途中の寝間着と下着も、乾かす必要があるのだし。  
吐息に、秋の風が溶け込む。  
―ふと遠くで、音がしたような気がした。  
チャイムが鳴っていた。  
宅急便だろうか。  
一応、パジャマなのでインターホンの受話器を取る。  
 
「はい」  
『ああ姉ちゃん?俺。鍵忘れた』  
「何やってるのよあんた」  
溜息をついて、抱えたままの洗濯物を洗面所に放り入れた。  
チェーンを外すと向こうからドアが開いたので、指先を引く。  
「おかえり」  
何気なく呟いて顔を上げたところで、  
視線が揺らいだ。  
…弟の向こうに、幼馴染もいて、お土産らしき袋を提げていた。  
「ドッキリビックリ、下でバッタリーちゃららん」  
「…なんかさっきから元気だな、アキラ」  
「馬に蹴られたい年頃だから」  
珍しく機嫌の良さそうな口調に、疲れ気味の苦笑が重なるのに溜息で答えて短い廊下を踏む。  
部活でいいことでもあったんだろうか。  
兄さん程じゃないけど、弟も結構気紛れだ。  
洗面所に寄って乾燥機を回してから、遅れて居間に戻る。  
荷物を放り投げ部屋に入る享から目を離して幼馴染を探した。  
―窓際に立っていた。  
閉め忘れたガラス戸を引く高い背の向こうに、薄闇が澄んでいる。  
雲はもう山の端にだけ薄く被って、陽を翳らせていた。  
少し迷って、でも、やっぱり近くにいたくなった。  
振り返るイトくんの傍に行くと、怪訝そうな顔が傾ぐ。  
 
「あれ?寝間着、赤かったっけ」  
「…着替えたから」  
「いいね、あったかそうで」  
イトくんが笑って、上着を掛けに部屋の端に歩いて行く。  
私は窓の鍵を閉めた。  
「あー俺、シャワー浴びる。お湯出しといて」  
ドアがバタンと開き、弟がばたばたと慌しくお風呂の方に消える。  
幼馴染が台所に当たり前のように足を向け、お湯の設定ついでにお茶を準備し始めた。  
…なんだか寂しい。  
窓の傍は隙間風で寒かった。  
しまい忘れの風鈴が揺らいでいた。  
音がならない程度に、かすかに空気が流れている。  
裸足のまま居間を横切れば、絨毯に足音が曇った。  
冷蔵庫の脇を通って、細身の背に触れた。  
「イトくん」  
慣れた手つきでやかんに水を入れていた一つ上の幼馴染は、蛇口を止めて私を見た。  
「なんだい」  
黙って、紺のシャツ越しに額をつけた。  
水滴が、やかんを伝って、ぴちゃんと落ちた。  
少しの沈黙の後で、幼馴染がかすかに笑う。  
「何かあったの」  
「…うん」  
自分でも、変な気分だと、分かっている。  
部屋が寒いのに血があたたかい。  
シャツの背を弱く掴んでいた両腕が、無意識に彼の前に回った。  
大きな手が少し濡れている。  
重ねられて、冷たいなあと思った。  
遠くで、シャワーの水音がこもって聞こえてきた。  
 

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