・・・・その43
夏服と冬服の混じる衣替えの移行週間に、十月が来た。
グレーのスカートが秋雨前線に空気を含む。
週末には文化祭だ。
公立進学校の文化祭なんて簡素なもので、後夜祭も何もなく、二日目の夕方に撤収してしまう。
他はどうか知らないけれども、この地方ではそうだ。
打ち上げをするグループは皆で駅の方へ繰り出すし、帰る人はそのまま帰るのだろう。
次の日は代休で、それが終わればもう何の行事もない。
あとは受験生するしかないから、さやめきだした学校の雰囲気も少し寂しい。
窓際の背中をちらりと眺めた。
夕暮れの雲の脇で、ホームルーム中なのに前の男子と手紙を回していた。
これからの半年間は、推薦を今年中に受けるあの人も、実力不足の私も、ゆっくり過ごす余裕は減っていくだろう。
だから下校の時間は、イトくんが言うとおり大事なのだ。
湿った風が教室の窓から吹き込んで、教卓のプリントを飛ばす。
また雨が降るかもしれない。
秋の虫が鳴き始めていた。
一緒に帰ろう、と私から初めて誘った。
他愛もない会話をぽつぽつと交わしながら、歩きなれた夜道を二人で辿る。
雨のせいで先週の週末に軽く熱を出した彼は、私と違って月曜から冬服を着ている。
色が落ち着いた冬服は似合う。
と前から思っていたことを言うと、こちらが照れるような言葉を返されて赤くなった。
留学先の習慣を持ち込むのはやめてほしい。
先週電話を忘れて寝てしまった言い訳と謝罪が始まっていたので、思考をそちらに向ける。
とっくに怒っていないし、ふうん、と気もなく頷いて流した。
左手の絆創膏で無意識に髪を押さえて道路を見る。
薄闇に秋風が吹いている。
イトくんの笑い声が低く響いて夜に溶けた。
「懲りずにまた掛けてくれていいよ。とーさんとハルくらいしか自宅には掛けないから、大抵は空いてる」
「気が向いたらね」
背中を眺めて呟きながら、気持ちが柔らかくて和んだ。
一緒にいると安心する。
幼馴染なせいかこの人が好きなせいか分からないけれども。
人通りの少ない路側帯で彼の横に並んだ。
通り過ぎる家々から夕食のにおいとほのかな生活の賑わいが遠く聞こえる。
歩調が緩んで、私に合わせてくれた。
私は隣を見上げた。
イトくんは目を細めて一瞬こちらに視線を移して、また前を見た。
道路を帰宅の車が数台通り、自転車が脇の白線を越えていく。
澄んだベルの音がいつまでも耳に残った。
イトくんがふと口を開いた。
「そういえば、おまえは憶えてもいないだろうけど。春頃にたまたま、一緒に帰ったことがあったろう」
「そうだっけ」
鈴虫が細く雑草の奥から鳴いて草がそよいだ。
そういえばそんなこともあった。
まだフランスから帰ってきたばかりのこの人が同学年ということに慣れなくて、困っていた頃のことだ。
「それが何」
「うん。あれは嬉しかった。嫌われてるかと思ってたのに、そんなわけないじゃない、とかひーこが言うし」
本当に懐かしそうに目元を緩め、彼はふと沈黙した。
曇りがちな空を仰ぐ。
それから、眼を伏せてかすかに息をついた。
肩に触れていた濃灰色の袖が擦れて、歩調が緩まる。
手首が温かいものに包まれて引き寄せられるのに、逆らわなかった。
今年の秋は例年より寒い。
握りしめる手がそれで余計に暖かい。
視線を落とすと互いの袖が色違いだった。
「嫌なら放すよ」
静かな響きにただ指を曲げた。
握り返すことで答えにする。
そうして重なる手の体温に、不意に甘い感覚が蘇り脈が震えた。
心が読まれていないように祈りながら、握る手に弱く力を込める。
もう一度見上げると、幼馴染はどこか遠くを見ていた。
溜息を漏らして、街灯の影を過ぎる地面を眺めながら歩いた。
ゆっくりと公園を抜ける途中に、自然と喉から湧き上がって声になった。
「イトくん」
優しく見つめる視線を感じながら、言葉を探る。
「私が最近いろいろしてるの、変かな」
「ん。いろいろって、風邪引いたときに見舞いの床でキスしてくれるとか、風邪が移ったら寝間着で甘えてくるとか、
夜中に電話してくるとか辞書入りのかばんで殴りつけるとかそういうこと?」
「…その表現わざとでしょう」
「うん」
軽く睨むと、開き直った幼馴染に笑われた。
まあ間違ってるわけでもないし、その通りだ。
緩い坂道の奥に明かりが見える。
そろそろ近所の人に見られそうだし、離れた方がいいんじゃないだろうか。
手を抜こうとしたのに、放してくれなかった。
視線が揺れて、ぼんやりと浮遊した。
握る大きな手が遠慮がちに力を強めていた。
意識がそっと、熱湯に沈む。
「変じゃない。欲しくて困ってる」
降った囁きは低く、小さかった。
それで、耳に届くのが遅れた。
私は俯いて、脇を過ぎる車の音を聞いた。