・・・・その44
昼休みがいつにも増して騒がしい。
お弁当後にお茶を飲んで教科書を眺めていると、教室の後ろから呼ばれた。
「ひーちゃん、衣装ってこの箱だっけ?」
振り返ってお弁当を仕舞い、最終稽古に向かうキャスト陣のところへ行く。
私は裏方なので後はあまりすることがない。
破れた布の修繕と体育館への搬入のお手伝いくらいだけれど、それはそれで少し楽しかった。
こういう、何かを作り上げるという行為はどこか好きだ。
いつの間にか文化祭は明日で、廊下を歩けば色づいている。
放課後のチャイムが飾られた廊下に響いて木霊する。
生徒会と実行委員以外は夜遅くまで残らないようにとのお達しが出ているので、皆ぞろぞろと校門を過ぎていった。
祭りの前は賑やかだ。
夕暮れに染まる昇降口で幼馴染と合流し、並んで歩いた。
久々に空は晴れ渡り、薄い雲が茜色に広がっている。
「よりさんたち、相変わらず仲いいね」
一緒に帰っていると、ちょうど通りがかったクラスの男子が
自転車を止めて途中の曲がり角まで道連れになった。
よりさんというのは「依斗」だかららしい。
横断歩道で別れて、並んで一緒に道路を渡る。
「相変わらずだって」
ぽつりと横で呟かれて困った。
そんなこと言われても。
顔を上げて隣を見る。
身体が近くて肘が擦れた。
本当は、何もなかったみたいにされても、毎日こうしていれば意識してしまう。
なのにどこかが変に穏やかだった。
時間がきて溢れてしまっただけなのだろうなと、ぼんやり思う。
土手の薄暗がりの、遠い夕焼けの色に記憶が流れる。
今更思い出すのも変だけれど。
高熱で眠る幼馴染の部屋に訪れて、多分それでいろいろなものが、お互いの間のなにかを接がしてしまった。
二人きりで空は夕闇で、柔らかい毛布の上だったというのに唾液だけを交わした。
唇を私が初めて重ねて、逆にゆっくりと貪られて舌を絡めた。
幼馴染はとっくに消耗していて、私もそういうのが初めてで応えるだけで精一杯で、その後抱き合う以上のことなんて出来なかった。
あれからブレーキが切れてしまったような気がする。
秋風はあの日例年以上に涼しく、帰り道で身体は芯まで冷え、
――風邪は当然のように移って、私のからだは緩やかに糸をほどいた。
「―信号、ほら」
低い声が届くと同時に肘が引かれた。
意識が現実に戻ると、目の前を車が数台走り抜けていった。
瞬きをしてから心臓の温度が一度下がる。
隣の幼馴染がこちらを見下ろしているのを、見返して、弱く袖を握り返した。
「危ないよ」
頷いてお礼を言うと深く息が漏れた。
腕を掴む手が離れて、見下ろす視線が優しくなる。
「明日が楽しみでぼんやりしてたかな」
「…兄さんじゃないんだから」
眉を顰めると、兄さんの長年の相棒は笑った。
それを見上げながら脈が僅かに熱くなって薄れた。
信号が青になったので横断歩道を渡り、色の薄れ出した空の下に影は伸びる。
街灯がちりちりと騒いで、点灯した傍を歩いて、触れる指先をどちらともなく絡めた。
放してくれずに囁かれた言葉が底で蘇って指が震える。
彼はあれから何も言ってこないし、私も聞かなかった。
嫌だったわけではなかった。
―ただ、私から答える言葉を探しているだけで。
髪が頬にこぼれ落ちて遠くでパチンコ屋の車のアナウンスが聞こえた。
いつか橋田家の居間で聞いたような宣伝は、遠ざかっていき、虫の音に消えた。
「ひーこ、今度の代休暇?」
坂道をコンビニ周りで上り(イトくんが雑誌を買った)、
マンションが見えてくる前に、聞かれたので見上げた。
「うん。暇」
「よし。デートしよう。行きたいところがあったら教えて。なかったら散歩しよう」
「…家じゃだめなの?」
「どっちの」
真顔で聞かれて、顔が熱くなって弱った。
そういう意図じゃなかったのに。
否定も出来なくて俯いて、少し足をはやめた。
隣から余裕そうな苦笑が届いて、重なる影が夕陽の奥に溶けていく。