・・・・その8
写真はたくさんあって、どれも日本と全然違っていた。
空の青さや、人々の髪の色や、いつも写真のどこかで何気ない顔をしている幼馴染が。
よく一緒に写っている人たちには、男の人も女の人もいた。
撮った人は本当に写真が好きなんだろう、と思う。
いい写真ばかりだった。
それなのに、半分くらい眺めたところでめくる指先が止まった。
手がいつもより重かった。
無理をしてはしゃいだ次の日に心が疲れるような、そんな気分だった。
なぜだろう。
私は封筒に写真をしまった。
部屋の明かりを消して、お風呂に入ろうと腰を上げる。
なぜだろう。
――その気分はひどく、寂しさに似ていた。
イトくんはまた校門の脇で黙って私を待っていた。
放課後が始まってから3時間と少し、ずっとそこにいたのだろうか。
そんなことを考えると、暗くなる前に学校での勉強を切り上げようかと思う。
この人を心配させるのは嫌だ。
「写真ありがと」
忘れないうちに封筒を手渡す。
教室で返すのは何となく気が引けていたのでちょうどよかった。
私は、手の平から消えた封筒の感覚にぼんやりしたまま、目の前の人を眺めた。
いつもと同じだ。
一学年上の校章が鈍く光っている。
写真が昨日と同じかばんの中に滑り込むのを見る。
あれから一応すべてに目は通したけれど、あまり気分は軽くはならなかった。
テスト直前は部活がなく、体育館も校庭も不自然に静かだった。
幼馴染の些細な仕草でさえも、耳に響いてくる気がした。
横断歩道を無言で渡る、二人分の小さく不規則な足音や、
布の擦れる音も、私が呟くようにこぼした言葉でさえも。
「あのね」
いつも通りで、この人はどこにも行かないし変わらない。
私はなんとなく視線を上げられずに、幼馴染の名前を呼ぶ。
「イトくん」
"依斗"の一文字目が"緋衣子"の二文字目と似ていたから、幼い私はイトくん、と読んだ。
幼い彼は、一度も訂正しなかった。
一拍をおいてから、イトくんの声が返ってきた。
「ん?」
「もう待っててくれなくていいよ」
高校が見えなくなるくらいの道まで来たところで、告げる。
風が水の匂いを含んでいた。
そろそろまた、梅雨の後半が始まる。
私は、肩越しに振り返ったイトくんを見上げて、少し笑った。
「明日から、暗くなる前に帰る」
「どうして?」
「どうして…って。帰り道が、暗いし」
幼馴染は一瞬だけ不本意そうな目をして、それから残念そうに首を振った。
「一緒に下校できるの、楽しみにしてるのになあ」
「……やっぱり明日から早く帰る」
どう見ても本心で言っているようだったので、かえって困った。
写真を見ていて沸き起こった不思議な感じが、気のせいだったように思える。
なんなんだろう、もう。
イトくんがそんな私を見ておかしそうに笑う。
「ひーこ」
通り過ぎた家の窓から、鯵を焼く匂いが漂ってくる。
そういえば、おなかがすいた。
「なに?」
「ぼくがなんでフランスに行ったか知りたい?」
いきなり何を言うのか。
「『夜間飛行』が好きだからって言ってなかったっけ」
「そうだよ」
「おととし聞いたよそれ」
なんなんだろう、もう。
溜息が出た。
イトくんは何がおかしいのか、私を見て心底楽しそうに目を細めた。
そしてしばらく私を眺めてから、肩につっかけていたかばんを揺らした。
「それ以外に好奇心というのもあるけど。因みに他の理由も知りたい?」
「どっちでもいいよ」
ちらりと見上げたら、目が合った。
ので逸らして口をつぐんだ。
この人はいつも通りのようで、やっぱり昔と少し違う。
それ自体は、困りはしても嫌ではない。
だけど、昨日突然この人を遠く感じてしまったのは、それは。
私がまったく共有していない世界がこの人にあるのを、見たせいなのだろう。
日本の片隅で必死に図書室通いで勉強する私なんて、イトくんから見たらどんなにか小さいだろう。
それを思うと、ひどく心が涼しかった。
「聞きたくなったら教えてあげるよ」
何も知らない幼馴染は懐かしそうにそう言って、前を向いて空を仰いだ。
私は彼の存在に、喜ぶでもなく嫌がるでもなく、なんとなく困っている。
初めて会ったときよりも、ずっと。